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梅雨が開けて人生が暮れる

梅雨明け宣言はまだ出ていないが
今日は昼近くになると快晴になった

朝のうちは白く輝く夏の雲に
急スピードで動く小さな黒い雲が重なっていた
昼を過ぎたら雲は一片もなくなり晴れ渡る快晴だった

南側に広がる窓はワイド画面の二倍くらいあって
ひたすら青かった

昼休みには来客が続き
打ち合わせをして、いろいろな説明を聞き、昼ごはんを食べそびれた

最近は冷えた牛乳に溶かせばいいだけのココアがあって
森永と明治から出ていて(バンホーテンは見つからなかった)
どちらも飲みやすい

老人なんだからカルシウムを取れと孫に言われていて
その通りにしている

昼過ぎて広場ではお祭りが始まっていた
屋台が並び、焼き鳥の臭いが満ちていた
子供たちは深紅の衣装をつけて行進していた
小学生の頃、行進練習に費やした時間を思い出していた

むやみに忙しい一日が過ぎて巨人が勝ったとかゴルフがどうしたとかの
スポーツニュースなどを見ながら
ちょっと難しい本を読もうとするが先に進まず
ひと休みして人生のことなど考えてみる

医学の研究はますます分子生物学になっていて
DNAとそこから生成される蛋白質の物語の解明でもうしばらくの時間が経過するだろう

あんなにも頭のいい人たちがどうしてつまらないタンパク質の制御などに熱中できるのか
私には不思議でならないが
そこは凡人には分からないところなのだろう

凡人にはどうしても人生の問題の方が大切に思える
せっかく生かされているこの時間をどう生きればいいのか
せかされるように思い解答を考える

人生をどう生きればいいのかの問題は年齢によって様相を変える
若い頃はただ一番重大で一番大きな目標に向かっていればよかった
年をとると終りが見えてくるし
できないことの方が大きく見えてくるしで
無力感に抵抗するだけでもかなり大変だ
年を取ったのだから生きているだけで充分幸運だと思ってしまう
そのあたりで眠ってしまう

幸い経済のために節を曲げる必要はなくて生きているのだが
身の回りに数々の不幸はあり
不幸な人が周りにいると色々なお付き合いもあり
自分自身かなり不幸な感覚を味わっている

仕事が仕事だから一応、急ぐな、真実の人生を生きよう、人生を見つめ直そう、
仕事と人生の関係を測定し直そうと、言い続けているが、自分は実際には何も考えずに走り続けている
走っている感覚が好きなので仕方がない

しかしそんなことも実は疲れるので
別の最適解はないかと思案もする

脳科学は意味の生成とか充実感の形成は要するに脳神経細胞の
状態変化なのだと教えているわけで、果てしなく無意味である、あるいはニヒリズムである

喜びというものは要するに例えばドパミンが適切なタイミングで放出されればいいだけであって
それは薬剤で実現されても、セックスで実現されても、試合で優勝しても、友情で泣いたとしても、
たいして違いはないのだし、そんなに目くじらを立てるほどのこともない

現在の瞬間がどのようであったとしても
そのことを嘆くほどのこともない

仕事の上では対人関係情報をメタ処理しているわけだが
そんなことに永続的な意味があるとも思っていない

しかしDNAと対人関係とどちらかといえば対人関係の方がインスピレーションが湧く
この分野では原理原則からすべてを解決する態度は個人的には放棄していて
出たとこ勝負で臨機応変に解決を考える流儀になっている
だから再現性もないしアートに属するもので
しかし私はサイエンスになるべきだと考えていて全く矛盾している

人生の問題を考えるとそろそろアメリカの住みやすいあたりに移住したりするのがいいらしいのだが
それも面倒ではある
地震の危険はますます大きくなり経済的な危機も迫っている
そんな中で日本語の壁の内側にいていいことは何もないだろうと言われる
そうかも知れないと本気で思う

若い人の仕事が無いのは実際にないのであって
サービス業も無駄なものばかり売っているし
SEの仕事は日本語の伝達部分だけ出来ればあとはインドでできてしまう
コンピュータ内部の言語としては日本語など関係ないのだ
しかも驚いたことにインド人の秀才の方が日本語が精密である

衰退する日本文化とは関係の無い部分で
純粋日本語が保存されるのかもしれない


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