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民主主義と自由主義と日本とアメリカとマスコミ

現代的な先進国の基本としては
自由主義的な自由市場が確保され
そこで活発に経済活動をして少数の勝者と多数の敗者が生まれ
上が少数のピラミッド構造となる

そのままでは社会は不穏であるし活性が失われるので
敗者復活の機会を設定し、一時的に不安定になっても最低生活は保証する
政府はそのように機能する

どの程度を保証してチャンスをどの程度にするかは
民主主義的なプロセスによる

直接投票制にすれば投票のたびに最貧層による革命が発生してしまうので
間接制にしたり投票制という疑わしい民主主義になっているし
マスコミがある程度の情報操作をして社会の安定性が損なわれないようにしている

政治家二世三世は大金持ちで安泰で
中間層は上下を繰り返し
最貧層はおおむねいつまでたっても最貧層である
その程度の敗者復活と安定性

ーー
日本の場合は対米戦争に敗けてそこからの事情がある
アメリカは敗戦後の日本を戦争なんかに関心を持たず
熱心に働く経済国家にしようと意図したように思う
憲法の中身はそのようだ

ところが朝鮮半島での戦争とソ連、中国などとの冷戦のプロセスで
日本統治の原則の変更があった

憲法は変更されなかったので憲法の原則と統治の原則がずれている

日本国内では制限付きで政府の指導の強い形での自由経済市場が形成されていたが
それを補正する日本国内での民主主義プロセスが保証されていなかった
自民党も社会党もアメリカからの支持を実行する下請けでしかなかった

少数の勝者と多数の敗者のあいだの再分配の程度を決定するのは
日本国内の民主主義ではなくアメリカからの指示だった

アメリカからの指示はもちろんアメリカ国民の直接投票によるものではない
日本のことは専門の人に任せようという程度の意見だろうと思う
またアメリカのマーケットそのものは
資本の大きさに比例した民主主義のようなところがあるので
そのあたりの意図も反映されるだろう
だが直接ではない

いずれにしても誰も直接に責任をもって決選投票していないのだ

不明な決定過程しかない日本への指示書がアメリカから送られてくる
自民党と社会党はそれを着々となし崩し的に実行する

どの程度の格差が認容できるのか、どの程度の保障が望ましいのか、
日本国民は決定しなかったと思うし、アメリカ国民も直接には決定しなかったと思う

一体誰がどこで決めていたものだろうかと思うし
なぜそんなものを受け入れていたのかと思うが
結局分かりやすいのは暴力的支配の変形としてのお金による支配だろうと思う

ーー
 いっそのこと日本国の統治方針を決定するのはアメリカ国民であると規定してくれれば
 もっと実質的な決定ができたのだと思う
 日本国民が決めるのではないしアメリカ国民が決めるのでもない
 誰が決めたのかはよく分からないが指示書は出されて実行はされた
 実行のための手段として政府と政党と霞が関とマスコミがある
 要請があればいかなることも「合法的に」実行して実現する

 日本人は英語読まなくていいし話さなくていいよと誰かが決めたのだと思う


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