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「おばあちゃまのお料理はなぜおいしいんですか?」

「おばあちゃまのお料理はなぜおいしいんですか?」ときかれて
おばあちゃまは
「いつもおいしいといってくれる人がいるからです」と答える

どちらか一方ではなく、相互作用の賜物。
どちらかが、それをしなくなった時点で、どちらもダメにも
なるように思う。

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というような言葉のやりとりがあるのですが

なかなか見事にストライクだと思う

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いい話だが個人的には少しめまいを感じるので、その検証のために

以下はつまらない連想

なんだか入れ子になっているような感じもありフラクタルのような

自己言及

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その背景にあるフラクタル的な原型を

「おばあちゃまはどうして私のことが好きなの?」

「おまえがおばあちゃまのことが好きだからだよ」

と縮めて編集できるようにも思う

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フラクタルっぽいのだけれど
どこがどうフラクタルなのか
きちんといえない

相互言及の言明になっているからなんだろう

AだからBだ
BだからAだ

という自己言及の変形なんだろう

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言葉がメタ化しているというのか

料理ーーおいしいーーおばあちゃん好き

おばあちゃんと孫が作る空間に「おいしい」というひもが張られているというか浮かんでいる
お料理についてでもあるし、人間についてでもある

おいしいというひもが張られているので
片方が諦めたらもう成立しない

意味が分からないとか
そのような言葉もなにか
端っこをつかめと言われているようで
つかんでみる
するとひもが張られて意味が浮かぶ

「いつもおいしいといってくれる人がいるからです」
というおばあちゃんの言葉は、ハイデガーのいう被投性でもあり、
投企でもあるんだと先輩は言う

「おばあちゃんと孫が作る空間においしいが張られているというか浮かんでいる」
というのは、間主観性でいうところの生気情動がそんな感じと先輩は言う

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こうなってくると
言葉が現実をなぞっているのではなくて
言葉が現実を創りだしてしまっているのですね

言葉はいつも強力というものではないが
ときに意味が滲み出すことがあり
このように言葉で現実を作り出す局面がある

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知恵の樹 — 生きている世界はどのようにして生まれるのか
ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラ
autopoiesis自己創出、自己産出

円環的構成という点において、オートポイエーシス的システムは、アロポイエーシス (allopoiesis, 異種の産出の意) 的システムと対比できる。
例えば、アロポイエーシス的システムである自動車工場では、自動車 (組織化された構造) を作り出すために部品 (構成要素) を用いるが、
そこで作り出される物 (自動車) は、それを作り出した物 (工場) とは別である。 

一方、細胞では、核酸や酵素、代謝物のような様々な生化学的な構成要素からなり、細胞内の組織化された構造を作り上げているが、
物質とエネルギーの外部との交換に基づいて作動しているこれらの構造は、
その構造を維持しつづけるようにその構成要素を絶えず生成または分解している。 

このような観点を採るとき、システムにとっては自己維持のみがその機能であり、
それ以上でも以下でもないとみなすことができる。










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