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古典詩歌入門 多義的別解釈と心理療法

古典詩歌入門 鈴木 健一 岩波

 日本の古典詩歌を詩歌たらしめているものとはなんだろうか.それは〈ことば〉の多義性だと思う.同音異義語が多い日本語によって構成される,短詩型文芸の圧縮された詩型は,多義性の宝庫といっても過言ではない.これを前提にしないと詩的真実は見えてこないだろう.
 本書では,このような視点を具体例に即しつつ繰り返し述べていくことになる.それこそが『古典詩歌入門』という書名にかなう内容だと思うからである.
                         (略)
 高校までの古典教育では,「解釈」が教師や模擬試験の解説において所与のものとしてそこにあった.いわば,自分の外側にある「解釈」を理解し,試験で解答できるように準備しておくことが求められていたのだ.それは,勉強の第一段階として正しいあり方だと思う.しかし,大学生になったなら,あるいは大学院生や社会人であるなら,今度は「解釈」を創造する側にまわることが可能となるし,そのような冒険を冒すべきなのである.この場合,「解釈」は自己の内側に存在している.そこでは,いくつかの選択肢が示されていて,何を選ぶかによって自分自身の真価が問われているとも言えるだろう.その時に必要なのは,それぞれの選択肢を吟味する技術である.この技術は,訓練によってある程度身に付けることができる.そして,技術を駆使し尽した後に,自己の感性としか言いようのない何かもそこに立ち現れてきて,ようやく技術と感性を止揚した次元にたどり着くことができるのである.その時はじめて詩的真実とでも言うべき何者かにも触れることができるだろう.
(「はじめに」より)

はじめに
序 日本の古典詩歌

I 重なり合う〈ことば〉――技法としての多義性
 第一章 〈自然〉と〈人間〉――共時的多義性
   第一節 掛詞
第二節 序詞――装飾する機能
第三節 〈自然〉と〈人間〉の親和性
第四節 見立て――比較する効用
  第二章 〈伝統〉と〈現在〉――通時的多義性
    第一節 本歌取り
第二節 パロディー
第三節 〈伝統〉と〈現在〉の親和性
第四節 和と漢――中国という規範
  I のまとめ――芭蕉「草臥て」の句

II 揺れ動く〈ことば〉――解釈における多義性
 第一章 作中人物の行為――誰の行為なのかを分析する
   第一節 「奥山に」の歌
第二節 蕪村「負まじき」の句
  第二章 作者と作品――作者のイメージを吟味する
    第一節 芭蕉「病雁の」の句
第二節 良寛「たらちねの」の歌
  第三章 一語の重み――ことばへの想像力を鍛える
    第一節 右近「忘らるる」の歌
第二節 和泉式部「うちふせば」の歌
第三節 「夕ぐれは」の歌
  第四章 情景描写――描かれた風景を想像する
    第一節 芭蕉「閑かさや」の句
第二節 芭蕉「暑き日を」の句
第三節 蕪村「不二ひとつ」の句
  IIのまとめ――芭蕉「田一枚」の句・「植ゑて立ち去る」のは誰か

おわりに
 参考文献
あとがき
人名・書名索引

*****
「解釈」を創造する
「解釈」は自己の内側に存在している

多義的解釈、別解釈を吟味する。

これはまさに、現在と過去に囚われている人間が、
解放された未来を手に入れるための方法を提示していて、
実に心理療法的である。

別の解釈はできませんか?と
文藝の次元でトレーニングしてみる。
それは人生に役立つだろう。

親の言葉や態度を別の視点で解釈できないだろうか

人生のつらい思い出も、別の解釈ができないだろうか。



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