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「恵まれているはずなのに、何を悩むことがあるんだ?」

「恵まれているはずなのに、何を悩むことがあるんだ?」 泉谷閑示 ダイヤモンド・オンラインより

――世代間ディスコミュニケーションの背景にあるもの
  「うつ」についてマスメディアがとり上げる機会も増え、社会的にもメンタルヘルスへの意識が高まってきて、研修や啓蒙活動が活発になされるようになりました。しかし、依然として「うつ」に陥った人を取り巻く人間的環境は、まだまだ十分なものであるとは言えません。
 とりわけ、上司と部下、親と子などの基本的価値観の相違は、世代間のディスコミュニケーションを生み、「うつ」についての無理解が生まれる大きな原因となっています。
――何不自由なく恵まれているはずなのに、何を悩むことがあるんだ?
――自分たちの若い頃は、「自分らしく」なんて考える暇はなかった。どんなことでもひたすら続けていけば、それなりに何とかなるものだ。
――今の人たちは贅沢病で、精神的に弱くなっているんじゃないのか?
――まずはメシが食えなければ何も始まらないだろう。どうしていつまでも青臭いことで悩んでいるんだ?

 このような価値観を持つ上の世代から見れば、現代の若い世代の「うつ」の状態や引きこもり、ニートなどの状態は、まったく理解不能ということになるでしょう。
 今回は、このような世代間ディスコミュニケーションの背景に何があるのかということを、掘り下げて考えてみたいと思います。

「生きる意味」を問う人々
 「うつ」の状態に陥ると、人は、それまであまり意識せずにいた「生きる意味」を問わざるを得なくなります。
――生きる意味とは何なのか?
――自分らしく生きるとはどう生きることなのか?
――なぜ生きなければならないのか?
――なぜ仕事をしなければならないのか?
 このような実存的な問いは、本人にとって容易に答えの見つからない厄介なものであると同時に、それを投げかけられた周囲の人間にとっても、答えに窮するような性質のものでしょう。
 多くの人は、深く考えたことのない問いを突きつけられた際に、狼狽を隠すように「それは考え過ぎだよ」「そんなことを考えている暇があったら、もっと仕事(勉強)をしろ」「気分転換でもしたほうがいいんじゃないか」「病気だからそんなこと考えるんだ」などとはぐらかしてしまったり、問い自体を否定してしまったりします。

 しかし、「生きる意味」を問わざるを得なくなった人にとって、このような反応を返されることは拒絶されたように感じられるもので、「こんなことに囚われているような自分は、救いようがないんだ」と、いっそう孤立感を強めてしまうことになるのです。
価値の優先順位が、時代とともに変わってきた

 戦中や戦後の貧しい時代に生まれ育ってきた人々にとっては、「食べられるか否か」つまり「生きられるかどうか」が最も重要な問題であったので、「どう生きるか」に拘泥している余裕はあまりなかったのではないかと想像されます。
 その後、順調に戦後復興がなされ、奇跡的とも言うべき高度成長期が到来します。この時代には、努力次第で経済的・物質的に豊かな生活を手に入れられるようになった「右肩上がり」の時代であったため、人々は立ち止まって「どう生きるか」に悩むよりも、「どれだけ頑張って豊かになるか」を重視する傾向を強めました。
 そして、少なくともバブル崩壊までの日本においては、有名大学や有名企業などへのブランド信仰が熱をおび、「幸せになることとは、名のあるところへ入ることだ」と信じ込む人々が数多く存在していました。今日のように終身雇用制が破綻したり、企業買収や合併などが日常茶飯事になったりすることなど、当時は誰も予想していなかったのです。
 このような流れの中で、多くの人々にとって「生きる意味」を問うことは、せいぜい青年期の一過性の熱病として捉えられるか、たしなむべき哲学・文学・芸術などの主題として扱われるに過ぎず、アクセサリー的な「教養」の域を出ないものだったと言えるかも知れません。ごく一部の内省的な人間を除いては、「どう生きるか」よりも「いかに成功するか」「いかに豊かな生活を手に入れるか」のほうが重要視される時代だったのです。
マズローの欲求段階説と戦後日本の流れ

 アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求について「欲求段階説」というものを唱えました。

 マズローは、人間の欲求には右の図のようなヒエラルキー(階層)があって、低次の欲求が満たされるに従ってより高次の欲求に段階的に移行していくものだと考えました。そしてマズローは、欲求段階の高次化に人間の成熟を見たのです。
 この説を用いて、先ほどもふれた時代の価値観の変遷について考えてみましょう。

 戦後の「食べられるか否か」という「生理的欲求」の時代から、雇用や身分の安定を求める「安全の欲求」の時代が到来し、それは同時に、会社組織や家族・友人のみならず、学生運動・労働運動・派閥などの絆を重視し、何らかの集団の中に居場所を求める「愛と所属の欲求」の時代でもありました。そして、持ち物のみならず学歴や職業にまでブランドを求め、周囲からの評価や羨望を得ようと躍起になった「認められることへの欲求」の時代の頂点で、バブル経済は崩壊しました。
 多少強引かも知れませんが、このように戦後日本の価値観は、ほぼマズローの言う欲求段階の低次なものから高次なものへと対応しながら、移り変わってきていると言えるでしょう。これはつまり、「エサがとれるか否か」といった動物的な価値観の時代から、より人間に特異的な価値にこだわる時代に移り変わってきているということです。
究極の問いに対して、思わず表れてしまう基本的価値観

 人間の基本的価値観は、どんな価値観が支配的な時代に人格形成期を迎えたかによって、少なからず方向づけられてしまうところがあります。もちろん、それ以外の個別的な要因も大きくかかわってきますが、いずれにせよ一度できあがってしまった基本的価値観は、時代が移り変わっても、深いところではなかなか簡単には変化しにくいものです。
 「なぜ生きるのか?」といった実存的な問いを投げかけられた時に、その人がどの次元の欲求を重視している価値観の持ち主なのかが、その返答に如実に表われてくることになります。
 生理的欲求を重視している人は「メシが食えなければ始まらないだろう」と言い、安全の欲求に生きる人は「まずは安定した仕事に就きなさい」と言うでしょう。所属と愛の欲求を優先する人は「組織(や家族など)のために生きる」と言い、認められることの欲求に生きる人は「社会から認められ尊敬される人間になるために生きる」と言うかも知れません。
 しかし、実存的な問いにさいなまれている人にとっては、これらのどの答えも満足を与えてくれません。なぜなら、この問いは「自己実現の欲求」から発せられたものだからです。
「 恵まれているのに」ではなく「恵まれているから」こその悩み

 たとえば食うや食わずの状況下にある人にとって、「自分らしく生きる」とか「生きる意味」を求めるような自己実現の欲求は、贅沢な悩みと映るかも知れません。人間に特異的な悩みよりも、より動物的な欲求のほうが原始的であるぶん、切実に感じられるからでしょう。
 しかし、今日「うつ」状態にある人々の中には、経済的にも社会的にも十分なものを備えていながら、「生きる意味」が見出せないために、本気で死を望んでいる人が少なくありません。
 このような心境を理解できない人がよく口にするのは、「恵まれているのに、どうして?」という言葉です。しかし、これはむしろ「恵まれているからこそ」表れてきた、人間ならではの特異的な苦悩なのです。
 戦後の貧しさから抜け、急速に経済的発展を成し遂げた国に暮らしている私たちには、生きるうえで何を優先するのかという価値観を、もはや旧態依然とした次元で足踏みさせておくことは許されなくなってきています。今日急増している「うつ」という社会現象は、「食うために」とか「経済的に豊かになるために」といった価値観だけでは生きていけないところまで私たちが来てしまっていることを、厳しく警告しているのです。
次回は、夏目漱石がロンドン留学中に陥った神経衰弱から私たちは何を学べるか、というテーマで考えてみたいと思います。

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夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見
――自分が本当は何がしたいのかわからない。

 前連載(「うつ」にまつわる24の誤解)の第16回でも取り上げましたが、現代の「うつ」において、このような悩みが浮上してくるケースが非常に多くなってきています。
 今の社会では、幼い頃から「やらなければならないこと」を休みなく課せられてくることが多く、なかなか、ゆっくりと「やりたいこと」に思いを巡らす余裕が与えられていません。
 そのうえ、外から「与えられる」膨大な知識を次々に記憶し、「与えられた」方法で要領よく情報処理することを求められるために、人々の多くは、「自分は何をしたいのか?」「これは本当に自分がやりたいことなのか?」といった問いを持つこと自体に、不慣れになってしまっているようです。
 しかしながら、このように「主体」を見失ってしまったという悩みは、現代人のみに見られる新しいテーマというわけではありません。これは、近代的自我の目覚め、つまり「主体」として生きたいと真摯に願う人間であれば、昔から避けては通れないテーマだったのです。
 今回は、この苦悩に直面した代表的な人物として夏目漱石を参考にしながら、現代の私たちが、失われた「主体」をいかに回復できるかという問題について考えてみたいと思います。
漱石の感じていた「空虚さ」

私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。(夏目漱石『私の個人主義』中公クラシックス版より)
 夏目漱石は、若い頃から内面に「自分が何をしたいのかわからない」という「空虚さ」を抱えていました。
 大学で英文学を専攻して学んでみても、漱石には、文学がわかったという手応えが得られない。卒業して成り行きで教師になってはみたものの、その仕事にもまったく興味が持てない。そんな悶々とした状態で過ごしていたところに、突然文部省から英国留学を命ぜられたのです。漱石33歳、明治33年のことでした。
 慣れぬ異国の地で、彼の「空虚さ」は解消するどころか日々増幅するばかりで、いくら本を読んでみても、ロンドン市内をうろついてみても、一向に晴れる気配はありませんでした。そうして漱石は、ついに強度の神経衰弱、今日で言う「うつ」状態に陥ってしまったのです。
 漱石が神経衰弱にいたったこのような経緯は、現代の「うつ」においてもとてもポピュラーなパターンだと言えます。
 進学や就職に際して、実のところ特にやりたいことがあるわけでもないままに、何となく流されて選択して進んでしまう。そして、与えられた勉強や仕事はそれなりにこなすけれども、特別やりがいを感じるわけでもない。そんな日々を重ねて行くうちに、ある時ふと「自分はいったい何をしているんだ?」「これが自分の望んだ生き方なのか?」「なぜ働かなければ(勉強しなければ)ならないんだろう?」といった疑問がわき上がってくるようになり、それがじわじわ強まって、ある日とうとう動けなくなってしまうというパターンです。

「他人本位」だったとはどういうことか?

ロンドンに留学して1年が過ぎ、陰鬱な苦悩がいよいよ極まった頃、漱石はある大切なことに気づきます。
自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や不安の根本原因だったのではないかということです。
今まではまったく他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(~中略~)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々(どれもこれも)皆是なりといいたいくらいごろごろしていました。(~中略~) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。(同前)
 漱石のこの「他人本位」についての言葉は、大正3年の講演で語られたものですが、今日においてもまったく古さを感じさせません。
 「むやみに片仮名を並べて」「鵜呑み」「機械的の知識」などと評されていることは、現代においてもそっくりそのまま当てはまりそうです。しかも、「鵜呑み」で「機械的の知識」をたくさん詰め込むことが積極的に奨励されるような風潮は当時よりもいっそう過酷なものになってきており、今日も脈々と「他人本位」の人間が作り続けられています。
 そして、この「他人本位」の傾向が、現代においても「うつ」をひき起こしている大きな原因の1つであることは間違いありません。
「他人本位」から「自己本位」への脱出

 さて、「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っているに違いないと考えました。つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(~中略~)その時私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。(同前)

 この「自己本位」への覚醒によって漱石は主体的な生を回復し、「うつ」状態から徐々に脱していくことができたのでした。そして、それは同時に作家・夏目漱石を誕生させる出発点にもなったのです。
 このような目覚めは、漱石という選ばれた人間にだけ起こった特別な経験なのではありません。「うつ」から真に脱することに成功した人たちは、やはり例外なく、ある時点で「自己本位」に目覚める経験をしているのです。
漱石の遺した熱いメッセージ

 このように「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけています。
ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるのでしょう。(~中略~)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(~中略~)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることができるようになると思うから申し上げるのです。(同前)
 この漱石の熱のこもった言葉は、100年近く経った現在でも、私たちに新鮮に、力強く響いてきます。
「自己実現」とか「自分探し」といった言葉があります。これらは、いつの間にかすっかり手垢にまみれてしまって、今日ではあまり評判のよろしくないイメージをまとってしまった観があります。そのうえ「本当の自分なんて、どこにもありはしない」「自分探しなんて、するだけ無駄」といった言説のほうが、ずいぶんと幅を利かせてもいます。
 そういったマイナスイメージがなぜ生じてしまったかという問題はさて置き、それでもなお「自己本位」として漱石が言いたかった「主体」回復の大切さは、時代が変わったからといって容易に減じるようなものではないはずです。「主体」をいかに自分に取り戻すかという問題は、人間にとって「生きるか死ぬか」に関わるほど根源的で切実なテーマなのであって、決して「ありえない」ものでも「無駄な」ものでもないのです。
 「うつ」に限らずとも、人が「主体」を見失ってしまった時に、その苦悩の中には「主体」の回復に向けた重要なメッセージが秘められていることを忘れてはなりません。
 これを、単に駆逐すべき「症状」と捉え、すぐに抑え込もうとする傾向が主流になっている今日、私たちはあらためて、漱石の遺してくれた血の通った言葉に耳を傾けてみる必要があると思うのです。
 次回は、「うつ」においても切っても切れない問題である「不眠」の問題を、一味違う角度から考えてみようと思います。

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「眠れない」とはどういうことか?――人は毎日生きて、毎日死ぬ
――自分が本当は何がしたいのかわからない。

 「なかなか寝つけない」「寝ても眠りが浅くて、疲れがとれない」「寝よう寝ようと思うと、よけい眠れなくなってしまう」
 このような不眠症状は、「うつ」状態においてはもちろんのこと、精神的なバランスが乱れた場合に生じてくる、かなりポピュラーなものです。
 通常の治療では、「うつ」などの原疾患に対する治療薬とともに、その不眠の性質に応じて睡眠導入剤が処方される対症療法が行なわれます。
 しかしながら、不眠がかなり深刻になってくると、強力な睡眠剤を複数組み合わせて用いても「眠れる時には眠れるけれど、やっぱり眠れない時には薬を飲んでも眠れない」という状態に陥るケースも珍しくありません。何が何でも眠れるようにとさらに薬を増強していくと、強い眠気や脱力が長時間持ち越されてしまい、翌日が使い物にならなくなってしまったりします。
 今回は、このように通常行なわれている薬物療法で見落とされがちなポイントについて、つまり、不眠という状態をどう捉えるべきなのか、不眠という症状からどんなメッセージが受け取れるのかといったことを考えてみたいと思います。
「眠れない」とは?

まずは、「眠れない」ということについて、よく吟味してみましょう。
 「眠れない」とは、「眠りたいのに眠れない」「眠るべきなのに眠れない」ということを省略した言い方であろうと思われます。
 ここで、前連載でもしばしば用いた人間の仕組みの図(図1)を用いて考えてみることにしましょう。

図1
 前連載の第1回でも触れましたが、「頭」は本来「~すべき」、つまりmustやshouldの系列の言葉を用いる場所です。一方の「心」は「~したい」、つまりwant toの系列の言葉を発します。
 図のように「心」と「身体」は矛盾なく一心同体につながっていますが、理性や意志の場である「頭」は、「心」(=「身体」)に対してコントロールをかけたがる性質があって、「心」との通路を閉ざして一方的な独裁体制を敷きがちです。それは「頭」が「心」との間の蓋を閉めてしまった状態(図2)で、人間は「頭」vs.「心」(=「身体」)と分断されてしまい、両者は対立の様相を呈することになります。

図2
 さて、この仕組みから考えますと、「眠るべき(頭)なのに眠れない(身体)」は蓋が閉まっている状態として理解できますが、「眠りたい(心)のに眠れない(身体)」ということはあり得ないことになります。さてこれは、どういうことなのでしょうか。

眠りは「心」=「身体」のもの
―「頭」に命令されてたまるか!

これは、「頭」による偽装工作の結果だと考えると、簡単に説明がつきます(前連載第9回参照)。
 つまり、「眠るべき」を「頭」が「眠りたい」に偽装したということです。この種の偽装は「頭」がしばしば行なうもので、「学校に行くべき」を「学校に行きたい」にすり替えたり、「会社に行くべき」を「会社に行きたい」にすり替えたりするのです。
 偽装というのは大げさに響くかも知れませんが、別の表現で言うならば、「心」(=「身体」)の声を無視して「頭」の意志が一方的に作り出した「~したい」であったということです。
 少々回り道をしましたが、ここで整理しておきますと、「眠りたいのに眠れない」という言い方も、実はその正体は「眠るべきなのに眠れない」だったということなのです。
 つまり「眠れない」という状態は、「眠れ!」と高圧的に指令する「頭」と、「意地でも眠るものか!」と反発する「心」(=「身体」)の対立の構図で理解できるということです。
なぜ「心」(=「身体」)は、
「眠るまい」と反発するのか?

「眠るまい」と「心」(=「身体」)が反発するのには、いくつかの理由が考えられます。
1つは、そもそも眠りは「心」(=「身体」)の側が自然に行なうはずのものであって、「頭」によって指示される筋合いのものではないということです。
 「頭」に相当する部分を持たず「心」(=「身体」)だけでできている自然界の動物においては、睡眠は自然な欲求であり、葛藤なく実現されています。ですから、「心」(=「身体」)にしてみれば、「頭」が睡眠に口を差し挟んでくることは越権行為であり、それに反発を覚えるのも当然のことでしょう。
 現代人の生活は、案外歴史の浅い、時計仕掛けの硬直化した時間によって毎日の生活が規制されています。
 季節が変わっても、天候がどうであれ、体調や気分がどんなでも、決まった時間に起床し出勤しなければなりません。そこから逆算して、睡眠を○○時間とるべきだから何時には寝るべきである、と「頭」が計算し、きちんと実行できることが「規則正しい」ことだとして奨励されています。
 日々刻々と変わる生き物としては、必要とする睡眠の長さが日によって違ったり、眠くなる時間が変動したりすることはごく自然なことなのですが、しかしこれも現代の常識からすれば、「不規則な睡眠」として異常視されてしまう状況なのです。また、「うつ」状態においてよく見られる昼夜逆転の状態も、その意味が熟慮されずに、はなから病的なものと捉えられてしまう残念な傾向もあります(前連載第7回参照)。

 フランスの啓蒙思想家ルソーは、代表作『エミール』の中で次のように述べています。
食事と睡眠の時間をあまり正確にきめておくと、一定の時間ののちにそれが必要になる。やがては欲求がもはや必要から生じないで、習慣から生じることになる。というより、自然の欲求のほかに習慣による新しい欲求が生じてくる。そんなことにならないようにしなければいけない。
子供につけさせてもいいただ一つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ。(今野一雄訳、岩波文庫より)
1日を一生と捉えて毎日の死を迎える

 「心」(=「身体」)が「眠るまい」とするもう1つの理由として、今日1日の幕を引く気になれないということが考えられます。
 前連載の第21回でも触れましたが、メメント・モリ(memento mori「死を想え」「死を忘れるな」という意味)という古いラテン語の格言があります。これは、「死」というものを想うことによって、ともすれば浪費されがちな「生」の有限性とはかなさを知らしめる警句です。
 「よく死ぬ」ためには「よく生きなければ」なりません。ここで言う「よく生きる」とは、自分に生来与えられた固有の資質を存分に開花させ、自分らしい「生」を享受する生き方のことです。
 これを1日の単位で考えてみても、同様のことが言えるのです。
 1日を締めくくる眠りを、いわば「毎日の死」として捉えてみると、今日1日を「よく生きて」いなければ、「よく死ねない」。つまり、「死ぬに死ねない」がゆえに不眠になってしまうわけです。
1日をどう締めくくるか

 もちろん、1日は限りある短い時間ですから、欲張ってあれもこれもすることはできません。しかしながら、1日の中でたとえわずかでもその人らしい時間を持つことができたか否かは、その日の眠りを大きく左右します。
 よく「身体を動かして疲れれば眠くなるものだ」と言われたりしますが、これは「身体を動かす」ことがその人らしい過ごし方である場合に限って有効なものであって、そうでないタイプの人がいくら身体を動かしても、「身体は疲れているのに、頭だけが冴えてしまって眠れない」ということになってしまいます。
 静かに読書したり、音楽を聴いたり、日記をつけて自分との対話を行なったりすることがその人にとって大切な「自分らしい時間」であるならば、たとえ30分でもそんな時間を持つことによって、自分の奥底で何かが充足し納得するので、眠気も自然に訪れやすくなるでしょう。
どのように過ごすことが「自分らしい時間」になるのか、それは各人各様ですから、自分自身で試行錯誤しながら見つけていく必要があります。
 おびただしい「すべきこと」に追い立てられ日々を過ごさざるを得ない私たちにとって、ここで述べたようなことを実行することは、なかなか容易ではないかも知れません。しかし、何が自然で何が不自然なことなのか、日々の生活に何が欠けているのかということに無自覚であるよりは、せめて問題の所在に気づいているだけでも大きな違いなのです。
 また、薬物療法を要するような不眠に苦しんでいる方であっても、社会化された「頭」が、内なる自然(「心」=「身体」)に向かって力ずくで睡眠剤という爆弾を投下し「あるべき睡眠」を強要するようなイメージではなく、時間に制約された状況に生きているがゆえに薬を使わざるを得ないことを、自分の「心」(=「身体」)に詫びつつ、「これで少しでもお休みください」とお願いするような気持ちで薬を使用することが大切だと思うのです。
 次回は、現代人の安定志向の中に潜む落とし穴について考えてみたいと思います。

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将来のリスクばかり考えて「今」を楽しまないことの害悪 
――安定志向が「ウツ」を引き起こす
 私たちは、「将来に備えて……」「もしものために……」といったフレーズが日常的に飛び交う中で暮らしています。
 これらは近年では「リスク・マネジメント」という美名をまとって流通しているわけですが、安定や安心を求める人間の性質は留まるところを知りません。現代の人間は、コントロールできないはずの「運命」までをもコントロールしたがっているかのようです。
 しかし、このように将来への不安を回避しようと安定を志向するとき、人間は「今を生きる」ことから遠ざかってしまうという大きなジレンマを抱えてしまいます。
 「今を生きる」ことが希薄になると、「心」(=「身体」)は喜びのエネルギーを得ることができず徐々にしぼんでしまって、最終的には動かなくなってしまうのです。案外見逃されやすいポイントですが、人が「うつ」に追い込まれていく背景には、程度の差はあれこの問題が含まれているものです。
 今回は、このような安定や安全を志向する価値観に潜む問題点について考えてみたいと思います。
アリとキリギリスはどちらが幸せか

 イソップ寓話の「蟻と甲虫(カブトムシ)」に由来する童話「アリとキリギリス」は、冬に備えて勤勉に働くアリとヴァイオリンを弾いて暮らすキリギリスが対比され、リスクに備えてコツコツ蓄えたアリが立派だったとする教訓で結ばれています。
 このアリのような在り方を望ましいとする価値観は、特に勤勉さを美徳とする日本人には根強く信奉されてきたものです。
 しかし、アリのストイックな勤勉さが賛美され音楽に興ずるキリギリスが愚かな存在として描かれているこの童話には、ある種の毒が盛り込まれていると見ることもできます。
 イギリスの哲学者バートランド・ラッセルが、こんなことを述べています。
私が本当に腹からいいたいことは、仕事そのものは立派なことだという信念が、多くの害悪をこの世にもたらしているということと、幸福と繁栄に到る道は、組織的に仕事を減らしていくにあるということである。(~中略~)
だが相当のひまの時間がないと、人生のもっとも素晴らしいものと縁がなくなることが多い。多くの人々が、この素晴らしいものを奪われている理由は、ひまがないという以外に何もない。馬鹿げた禁欲主義、それはふつう犠牲的のものであるが、ただそれに動かされて、そう極端に働く必要のもうなくなった今日でも、過度に働く必要のあることを私たちは相かわらず主張し続けている。(堀秀彦・柿村峻訳『怠惰への讃歌』平凡社ライブラリーより)

 皆が必死になって働きすぎることで、人々はかえって不幸になってしまっているのではないか。労働の道徳はそもそも奴隷の道徳であり、そのようなものにもとづいて労働すべきではなく、もっと全体的に労働時間を減らして皆が人間らしい時間をゆったりと持つべきだと、ラッセルはこの『怠惰への賛歌』という本で論じました。1932年の文章ですが、まったく今日の社会にも当てはまる指摘だと思われます。
 前連載第12回で「うつ病の病前性格」に触れましたが、勤勉さや真面目さは、まさに「うつ病」になりやすい性格傾向として言われているものでした。その意味からも、ラッセルの警告は傾聴に値すると言えるでしょう。
ギャンブル依存に陥るワケ

 「人間らしく生きること」や「自分らしく生きること」から遠ざかっている場合に人は「うつ」の状態に陥りやすくなるものですが、この「人間らしく生きること」の中には、人間の動物としての本性を生かすことも含まれていることを忘れてはなりません。
 自然界の動物を見ればわかりますが、生き物はもともと天敵に食べられてしまったり餌を獲得できなかったりというリスクのある状況下で生きるようにできています。つまり、動物は生きることそのものがギャンブルのようなものなのです。

 そんな動物の中で人間だけが「頭」という部分を例外的に発達させ、リスクを回避するために理性を働かせるようになったのですが、しかし依然として人間の「心」(=「身体」)の部分は動物的な性質を備えたままなので、ギャンブル的な状況下で生き生きと働くようにできているのです。
 「うつ」状態にある人の中には、ある時期にパチンコなどのギャンブル依存に陥るケースもありますが、これは、ギャンブルが人を生き生きさせる要素を持っているためだと考えられます。
 また、世界で最も安全な国の1つである日本を出て、スリやその他の犯罪に巻き込まれるリスクが高い国に旅行した際に、かなりの緊張感を強いられるもののどこか生き生きしている自分を実感した方もあるかも知れません。この場合にも、同じ原理で「心」(=「身体」)が生き生きと働いたためと考えられるのです。

「うつ」は「生き生きと」生きる契機

生きるとはこの世でもっとも稀なことである。大抵の人間は存在しているにすぎない。(西村孝次訳『オスカー・ワイルド全集』第3巻収載「箴言」、青土社より)
 このオスカー・ワイルドの箴言は、現代の私たちにも鋭く突き刺さってくるものです。「生きているもの」とは、例外なく即興性を持っているものです。周到に計画され準備されたものは、失敗による落胆も起こらないかわりに、予想外の収穫を得るという喜びもありません。人が「生き生きと」生きるためには、どうしてもこの即興性が欠かせない要素だと言えるでしょう。
 しかし、計画を立ててそれを実行することが良いことであると幼い頃から叩き込まれ、社会に出てからもそれを求められ続ける現代人にとって、即興性を失わずに生きることはなかなか容易ではありません。
――久しぶりに通勤ラッシュの電車に乗ってみたら、みんな目が死んでいて、とても異様な空気を感じました。以前はそんなことに気づきもしなかったから、きっと自分も昔はあんな目をしていたんでしょうね。
 「うつ」から回復して社会復帰しはじめた方たちから、よくこんな感想を耳にすることがあります。
 前連載第24回で、「うつ」からの回復は「生まれ直す」ような変化であると述べましたが、まさに「うつ」とは、人を「死んだような」状態から「生きた」状態に引き戻してくれる重要な契機であると見ることもできるわけです。
先が見えない不安と先が見えた落胆

 人間の「頭」はコンピューターのごとく情報処理を行ないますが、過去の情報を元にした未来の予測を行なったり、計画を立てたりするのが得意技です。時制で言えば、もっぱら「過去」と「未来」に関わっており、「現在」をうまく扱えないという限界があります。
 つまり、「先が見えない」ことを不安と感じるのは、「未来」を扱う「頭」なのですが、しかし逆に「先が見えた」という言葉もあるように、先が見えることで「心」(=「身体」)は即興性を奪われ、落胆してしまいます。心電図の波形を見てもわかるように、生物にとっては変化こそが「生きている」ことなのであって、安定とは究極は「死」の世界なのです。
 人間という存在がややこしいのは、「頭」は省力化を目指し安定を志向するのに、「心」(=「身体」)の側は変化を求めるという、相反する性質が同居しているためなのです。
 フロイトはエロスとタナトスという言葉で、この相反する「生の欲動」と「死の欲動」を表現しましたが、現代の私たちは「頭」の要請にばかり目を奪われがちで、知らず知らずのうちに「死の欲動(タナトス)」を肥大化させてしまっている状態にあります。
 そのような状況の下で、私たちはどうにかして「心」(=「身体」)が求める即興的な「生」の要素を失わないように日々を送る必要があると言えるでしょう。
 次回は、現代の「うつ」の一種である「適応障害」というものについて考えてみたいと思います。

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「適応」することが正常? 
苦痛も喜びも麻痺してしまう精神的「去勢」
 封建的な色彩の強い組織では、構成員は役割を従順に遂行することだけを求められ、それぞれの個性や自己主張は邪魔なものと見なされてしまう傾向があります。
 そのような組織は、意図的かどうかは別として、構成員に何らかの精神的「去勢」を施して既存の秩序を維持しようとします。ことに封建的体質の強い組織の場合には、構成員に対して「しごき」のような通過儀礼を課したりして、人間の均質化を図ろうとする場合もあります。
 こういった通過儀礼は、往々にして理不尽なものであることが多く、これに拒否反応を示した人間は「適応に失敗した弱い人間」と見なされてしまいます。窮屈な環境や理不尽な強制に対して、拒否反応を示すのは人間としてごく自然なことなのですが、組織の側からは「ストレス耐性が低い」と評価されてしまいます。
 近年、皇太子妃殿下についての報道により広く認知されるようになった「適応障害」という診断名がありますが、これはストレスに満ちた環境が原因となってひき起される不調で、抑うつや不安などが生じ、仕事や学業にも支障を来たしてしまうものです。
 これは本来、「うつ病」とは位置付けの異なる診断なのですが、実際にはそう明確な線引きができるわけではありません。
 さて、この「適応障害」の解決のためには、まずは環境の中にあるストレス因子の除去が優先されるべきなのですが、しかし、「適応障害」という診断名からは、どうしても「本人がその環境に適応できるようになること」が治癒像であるかのようなニュアンスが醸し出されてしまいます。
 そこで、今回は「適応」とは何かということについて、掘り下げて考えてみようと思います。
「適応」するとはどういうことか?

 「適応」とは、外的環境に対して自分を変化させて、うまく合わせられるようになることを指します。しかし、その際に自分の内部に起こる変化とは、どんな内容なのでしょうか。

 人間は、新しい環境に身を置いた場合に、まずは全方向性に感覚のアンテナを向けてさまざまな情報収集を行ないます。
 どこに何があるかといった基本的な空間把握に始まり、自分にとって重要度の高いものごとは何であるか、どの人間がどのようなポジションにあり、誰が自分にとってキーパーソンなのか、自分はどう位置づけられているらしいのか、そしてこの場ではどう振舞うのが望ましいのか、等々。そのため、どんな人でも新たな環境に「適応」するために、通常数カ月程度は精神的に非常に疲れるのです。
 このような初期の情報収集において、自動的に省力化が図られて、重要性の低いことからは注意を撤退させ、徐々に大事な対象に限定して注意を向けるようになっていきます。
 しかし、自分にとって苦痛であるような環境要因に対しては、どうしても注意を撤退させることはできません。なぜなら、生物としての自然な性質からして、「苦痛である」ということは、すなわち自分にとって「有害である」という重要な警告だからです。
「適応」とは「麻痺」の別名

 「苦痛」から逃れるのが動物としては自然な反応なのですが、社会化された人間の場合には、そう簡単に逃げ出すわけにもいかない場合も多々あるでしょう。そんな場合に、人間はどうにか「適応」しようとして、「苦痛」を感じないように次第に自分を「麻痺」させていくのです。
 これが、「苦痛」の要因に対してだけ限定して「麻痺」が起こってくれればよいのですが、残念ながら人間はそのようにはできていません。
 ある1つの感覚や感情について「麻痺」を起こす必要が生じると、それは避けがたく五感や感情すべてに波及してしまう性質があります。まずい料理をまずいと感じない味覚は、おいしい料理をおいしいと感じられなくするだけでなく、視覚や聴覚などにも全般的に不感症的変化をひき起してしまうのです。
 つまり「適応」という変化とは、大なり小なり五感を「麻痺」させ、感情を「麻痺」させていることにほかなりません。

 非人間的な満員電車に「適応」し、味気ない直線によって構成された建物に「適応」し、休みの少ない労働環境に「適応」し、効率至上主義に「適応」し、計画と実行に「適応」し、選択と集中に「適応」し等々、気づくと私たちは「苦痛」も感じなくなった代わりに、「喜び」からもずいぶん遠ざかってしまうのです。
「適応」=「正常」は危険な認識

 このように考えてくると、「適応障害」というものを「麻痺障害」と言い換えてみる視点が生まれてきます。つまり、「適応できない」ということは、「麻痺できない」ということでもあるわけです。
 体制の側に立って見た場合には、容易に「適応」してくれて体制の役に立つ人間が重宝されるでしょうし、そちらを「正常」として考えることでしょう。
 しかし、仮にこれを偏狭な独裁者が支配する全体主義的国家の中にでも場所を移して想像してみると、「適応」イコール「正常」と断ずることがいかに危険であるかがわかります。実際、人類の歴史を振り返って見ると国家的犯罪や組織的犯罪などは、常に体制に「適応」した「正常」な人間たちが忠実に責務を遂行した結果、ひき起されたものでした。
 ですから、私たちは「適応障害」の原因を本人のストレス耐性の弱さに帰結させる前に、その環境がはらんでいる問題点について一度丁寧に検討してみる必要があるのではないかと思います。
 そして、その環境に問題がある場合には、そこに不感症的に「適応」している人間を「強い人間」とか「大人である」として称揚してしまうような価値観から、私たちは脱しなければならないと思うのです。
詩人の警鐘

 「適応」が「正常」とイコールで結ばれてしまいやすい風潮の中で、断固として「麻痺」を拒む在り方は、決して容易なものではありません。
 しかしながら、いつの世でも真の詩人は、感覚や感情が麻痺させられることを拒み、美しいもののみならず、異常なものや不自然なものに対しても鋭敏に反応し、詩という「暗号」によって私たちに警鐘を鳴らします。

 惜しくも2006年に79歳で逝去された詩人・茨木のり子氏は、そんな詩人の1人でした。詩集『鎮魂歌』の中の「汲む」という詩の後半部分に、こんな言葉があります。
  大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
  ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
  失語症 なめらかでないしぐさ
  子供の悪態にさえ傷ついてしまう
  頼りない生牡蠣のような感受性
  それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
  (~中略~)
  あらゆる仕事
  すべてのいい仕事の核には
  震える弱いアンテナが隠されている きっと……
  (~後略~)
          (『茨木のり子集 言の葉1』筑摩書房より)
 そしてもう一篇、辛口なフレーズで有名な彼女の代表作「自分の感受性くらい」から抜粋します。
  ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて
  (~中略~)
  初心消えかかるのを
  暮らしのせいにはするな
  そもそもが ひよわな志にすぎなかった
  (~中略~)
  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ
          (『茨木のり子集 言の葉2』筑摩書房より)

 さて次回は、「長続きすることが良いことだ」という観念について考えてみたいと思います。

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何をやっても長続きしないのはなぜか? 
――真のモチベーションを取り戻すプロセス
 ――私は、何をやっても長続きしないんです。
 若い世代を中心に、このような悩みを訴える方が少なくありませんが、特に自己愛(自分自身を愛すること)がうまくいっていない方たちによく見られる悩みでもあります。
 親たちは業を煮やして、そんなわが子に「ものごとは一度始めたらしっかり続けるべきだ」といった叱咤激励の言葉を向けますが、鼓舞するためのこういった言葉もその意図とは裏腹に本人の自己否定感を強めるだけで、何ら事態を改善する役に立ちません。
 前連載第18回でも一度取り扱ったことのあるテーマですが、今回は、また違った視点から考えてみようと思います。
かりそめのモチベーション

 「長続きしない」という悩みを抱えている人の来歴を詳しくうかがってみると、ある時期まではものごとが「長続きしていた」ことがわかります。
しかしながら、大概は、それはいわゆる「良い子」的な従順さと勤勉さによるものであって、その持久力を生んでいた「モチベーション」は、真の意味で本人の意思に根差した「モチベーション」であったかどうか疑わしいことも多いのです。
 試行錯誤があまり歓迎されない風潮のせいもあって、親たちは子供に良かれと思って先回りをして、わが子が最短経路で人生の勝者となるよう進路を整えがちです。
 そんな状況下で子供たちは、親の期待に応えるような「かりそめのモチベーション」に従って勉強したり稽古に励んだりして、自分を勤勉に動かすモードを身につけていきます。
 しかしながら、このモードが定着してしまうと、いつの間にか「かりそめのモチベーション」が自分を支配してしまい、自分の「真のモチベーション」がつかめなくなってしまうのです。
疲れ果ててしまった〈駱駝〉

 「かりそめのモチベーション」でものごとを行なっても、それは「頭」の義務感から生ずる「意志力」や周囲の期待に応えようとする心性(神経症性)が原動力なので、ある時点まで来るとどうしてもエネルギーが枯渇して、続かなくなってしまいます。
 前連載第22回でも触れましたが、哲学者ニーチェの代表作『ツァラトゥストラ』の「三様の変化」の章には、人間の変化成熟の重要なプロセスが〈駱駝〉→〈獅子〉→〈小児〉として象徴的に記されています。
 〈駱駝〉とは、「重荷に堪える精神」であり、忍耐・従順・諦念・畏敬の象徴で、常に「汝なすべし」という〈龍〉に支配されている存在です。
「かりそめのモチベーション」で人が動いている状態とはまさに、「一度始めたことは苦しくとも継続すべし」と〈龍〉に命ぜられ、それに忍従する〈駱駝〉の在り方に相当します。「かりそめのモチベーション」とは、つまり「駱駝のモチベーション」とでも言うべきものなのです。

 ですから「何をやっても長続きしない」状態とは、重荷を負って進むことに疲弊してしまった「駱駝のモチベーション」の末期的な状態と見ることができるでしょう。
 「真のモチベーション」を求めて〈獅子〉に変身する

しかし、〈駱駝〉はそのまま終わるわけではありません。
 〈駱駝〉は、いよいよ自分がない従順さに辟易して、「われは欲す」と叫ぶ〈獅子〉に変身し、この〈龍〉を倒す動きに打って出ます。
 新しい諸価値を立てる権利をみずからのために獲得すること――これは重荷に堪える敬虔な精神にとっては、身の毛もよだつ行為である。まことに、それはかれにとっては強奪であり、強奪を常とする猛獣の行なうことである。
 精神はかつて、「汝なすべし」を、自分の奉ずる最も神聖なものとして愛していた。いまかれはこの最も神聖なもののなかにも、迷妄と恣意を見いださざるをえない。そして自分が愛していたものからの自由を強奪しなければならない。この強奪のために獅子を必要とするのだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳、中公文庫より)
 この変身がうまく成就すると、「駱駝のモチベーション」は捨て去られ、「真のモチベーション」すなわち「獅子のモチベーション」が復権するようになるのです。
 〈駱駝〉はどのように〈獅子〉に変身するか

 さて実際、この変身のプロセスはどのようなものなのでしょうか。
まず、〈駱駝〉が疲弊してくると、それまでできていた義務の遂行が次第に立ち行かなくなります。この時期がまさに、「ものごとが長続きしなくなった」状態です。
 やがて、それに留まらず意欲減退、集中困難といった一種の「うつ」状態も現われてくるようになります。つまり、もはや〈駱駝〉は〈龍〉の指令によって動くことができなくなってしまったわけです。
しかし、この行き詰まりの極みにおいて、〈駱駝〉は〈獅子〉への変身を始めようとします。
 ただし、何しろ〈獅子〉とは「強奪を常とする猛獣」なのですから、怒り、苛立ち、攻撃性といった形で顔を現しはじめます。そして、それまで自分を支配していた〈龍〉を連想させるような対象に対しては、敏感に怒りの矛先を向けるようにもなるのです。
従順な〈駱駝〉に戻そうとする圧力

 この怒りに満ちた状態は、精神医学的には衝動性の亢進、情動不穏といった症状として捉えられるために、医療現場においてはともすると状態の悪化という評価を受けてしまいがちで、なりかけの〈獅子〉を元の従順な〈駱駝〉に戻そうとする圧力が治療の名のもとにかけられてしまいやすいのです。

 ことにイライラや怒りの衝動の高まりは、適切にその意義を汲み取られないまま鎮静を目的にした薬物の増量や入院といった対処がとられてしまうことも多く、重要な変身のプロセスが頓挫させられてしまう痛ましいケースも少なくありません。
 しかし、一度目覚めた〈獅子〉は、いくら圧力をかけられても〈駱駝〉に戻ることもできないため、くすぶった状態で長期化してしまうことになります。
「あるがまま」の〈小児〉へ

 このように、ともすると非常に危険視されがちな〈獅子〉ですが、これはあくまで次の〈小児〉に向かうための途中経過であることを、私たちは知っておく必要があります。
 小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。
 そうだ、わたしの兄弟たちよ。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する。(同前)
 〈小児〉とは、無垢、創造的遊戯と形容されるような状態で、「然り」という発語、つまりものごとを「あるがまま」に捉えることのできるような成熟した人間の状態を表しています。
 一見危険に見えていた〈獅子〉の獰猛さも、「おのれ」が取り戻されたところで自然に消えて行くのです。
適応的な在り方は、成熟のゴールではない!

 この「三様の変化」の章に記されている内容は、私が臨床場面で実際に数多く目にしてきたクライアントの変化に見事に合致しており、人間の変化成熟のプロセスを理解するうえでも非常に有用な比喩であると考えられます。
 従来の発達心理学等をベースにした人間の成長プロセスの理解では、ともすると〈小児(実際の子供時代)〉→〈獅子(反抗期)〉→〈駱駝(適応的社会人)〉という段階で留まってしまっていて、その先にある豊かな成熟のプロセスについては十分に言及できていないように思われます。
 この先に広がる、一見逆行的にも見える〈駱駝〉→〈獅子〉→〈小児〉という成熟のプロセスを知らなければ、変身の渦中にある人間を適切にガイドすることはできませんし、押すべきところを引いてしまうような誤った対処をしてしまう原因にもなりかねません。
 治療やサポートを行なう側の人間にとっては、専門的知識を備えるだけでなく、このような奥深い人間の成熟の可能性に目を開いておくこともまた、欠かせない大切な態度ではないかと思うのです。
 次回は、マニュアルに盲従する現代人の問題について考えてみたいと思います。

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マニュアルがないと何もできない――「自分で考える」力のない人々
――言われたことはやれても、応用がまったくできない部下がいて困る。
――1年前のデータをもとにした入力作業で、人がそれから1歳年をとっていることを、わざわざ言ってやらなければ気がつかない職員がいる。
――昇進試験の勉強は完璧なのに、実務が全然できない人がいる。
――マニュアルはパーフェクトに覚えられるのに、マニュアルのないことはお手上げという人が多い。
 いろいろな組織の中で、このように「自分で考える」力のない人が増加していることが問題になっているようです。
 記憶やパターン思考などのコンピュータ的な情報処理ばかりに「頭」を使うことは、人間にとってはかなり不自然なことであり、次第に「自分で考える」ことができない状態に自分を追い込んでいってしまうものです。そしてそれが、のちのち「心」(=「身体」)側からの大きな反発を招く原因にもなってしまうのです。
 現代の「うつ」の中には、このように偏った「頭」の使い方ばかりしているうちに、「自分がわからない」といった行き詰まりに陥ってしまったケースが少なからず存在します。
 そこで今回は、「人間らしい思考力とはどういうものか?」というテーマについて考えてみたいと思います。
「記憶力が良い」=「頭が良い」ではない!

 人間の「頭」は、「心」(=「身体」)と密接に連携した状態で働くことによって、「自分で考える」ことができる仕組みになっています。この、人間ならではの理性の働き方は、物事を鵜呑みにしない懐疑的精神を備えており、オリジナルな発想ができる創造性と臨機応変に考えられる柔軟性があるものです。
 しかし現代の社会では、どうも「自分で考える」ことよりも、与えられた情報を無批判に受け入れて記憶し、それを器用に処理する能力のほうばかりが評価される傾向が強いようです。
 記憶力やパターン思考に長けた者が高得点を得るような試験制度の存在が、私たちの思考力を偏った方向に歪めている大きな要因の1つであることは間違いありません。そんな中で、いつしか「頭が良い」ということが、「記憶力が良いこと」「従順にパターン化された思考ができること」だとすり込まれてきてしまいます。
 しかしそのような能力は、人間の知的能力の中では、実のところあまり高次元のものとは言えないのです。
モズのはやにえ

 脳の海馬や扁桃体の研究者で近年意欲的に著作を発表されている池谷裕二氏は、動物の記憶力というものは、進化して高等動物になるに従って、写真のごとき精密な記憶力から、むしろ曖昧で抽象的なものになっていくものだと述べています。

 たとえば鳥類のモズは、「モズのはやにえ」として知られているように捕獲した昆虫やカエルなどの餌を木の枝に刺してストックしておくのですが、その記憶力があまりに精密で写真的であるために、葉っぱが1枚落ちただけで同じ木であることが認識されず、結局取りに戻ることができずに刺しっ放しのままになってしまうことが多い。これが、人間のように曖昧で抽象化された記憶力であれば、葉っぱ1枚違っていても、それに惑わされたりせずに同じ木であると認識できる。このように、精密で正確な記憶力というものが、むしろ人間ならではの高度な知性に反するものであることを、池谷氏は指摘しているのです。
 確かに、鉄道路線の駅名を丸暗記できたり円周率を随分な桁数まで覚えることができたりするのも、子供の頃には案外珍しくない特技ですが、大人になるとそんな丸暗記はすっかり苦手なことになってしまうものです。しかし、それこそが知性の成熟の証しでもあるわけです。
つまり、人は成熟すればするほど、やみくもにモズ的記憶力を発揮したりすることはなくなり、興味ある対象や意義の感じられる事項に関して、選択的に抽象的な思考を働かすようになるものなのです。
人間の自我の本質は従順さではない

 人間の自我というものは、その基本的な性質として、外部から何かを強いられることに反発します。
 幼少時の「自我の目覚め」が「イヤイヤ期」となり、思春期の「自我の発達」が「反抗期」を生むように、自我というものはそもそも従順さとは相容れないものです。
 反骨の詩人・金子光晴氏が22歳頃に書いた『反対』という面白い詩があります。この詩には、人間の自我の性質が痛快かつ滑稽に示されているので、ここでその一部を紹介しておきたいと思います。
 僕は少年の頃
 学校に反対だった。
 僕は、いままた
 働くことに反対だ。
 僕は第一、健康とか
 正義とかが大きらひなのだ。
 健康で正しいほど
 人間を無情にするものはない。
(~中略~)
 きものは左前、靴は右左、
 袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
 人のいやがるものこそ、僕の好物。
 とりわけ嫌ひは、気の揃ふということだ。
 僕は信じる。反対こそ、人生で
 唯一つ立派なことだと。
 反対こそ、生きてることだ。
 反対こそ、じぶんをつかむことだ。
 (清岡卓行編『金子光晴詩集』岩波文庫より)

「心」とつながっていない「頭」の状態


 このように、従順ではない自我の特質とは、人間の「心」(=「身体」)の特質に由来するものだと考えられます。
 「心」は何ものにもとらわれずに、対象に興味や関心を向けたり向けなかったりする自由な働きをします。ですから、外部から何かを強いられることは、「心」(=「身体」)にとっては苦痛なことなのです。
 一方の「頭」はコンピュータ的な情報処理をおこなう場所で、「心」との間の蓋が閉まった状態では「心」の関与がなくなってしまい、かの従順なモズ的記憶力やパターン思考などの低次元の知性が前面に出てくることになります。
 逆に言えば、従順にモズ的記憶力やマニュアル思考だけが働いているような状態は、「頭」と「心」(=「身体」)の間の蓋が閉まっているということなのです。これは、前連載でも幾度となく取り上げてきたように不自然な状態であり、「うつ」の予備軍的状態でもあるわけです。
マニュアル重視で「自分で考えられる」人は厄介者に…

 「自分で考える」とは、「頭」と「心」(=「身体」)の間の蓋が開き、「心」が自発的に示す知的好奇心や関心にもとづいて、「頭」が活動することです。
 その際、「心」は、既存のマニュアルに従ったり仕入れた知識や情報を鵜呑みにしたりすることを好みません。必ず一度吟味を加えて、自分自身で本当に納得した場合にだけ情報を取り入れ、しかもそこに何らか独自のアレンジを加えたがります。
 そのため「自分で考える」人は、マニュアルに従わされることには多大な苦痛を感じるものですが、むしろ、マニュアルを作ることは自在にできるものです。さらに、オリジナルな発想をしたり、マニュアルでは対処不能なことを解決したりできる高いポテンシャルを持っています。
 今日では、教育現場、医療現場、商業店舗、会社、行政組織などの様々な場所で、マニュアルを用いたサービスの均質化や効率化が図られています。これによって質の悪いサービスが減り、サービスの質が底上げされるという効用があることは認めざるを得ません。
 しかし、マニュアルにただ従うような人間が増えることは、管理者側にとっては都合の良いことかも知れませんが、人間の在り方としてはとてもいびつなものでもあると言えるでしょう。
 「自分で考える」ことのできるような自然な在り方の人間が、現代の社会において不当に低く評価されてしまったり、従順でないために厄介な人間と見なされて排除されてしまったりする風潮があることは、私たちの社会の大きな問題です。オリジナリティの点でどうしても日本が精彩を欠いてしまうのも、このような風潮によるところが大きいのではないかと思われてならないのです。


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