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政治のプロとしての小沢氏と情報

政治のプロとしての小沢氏を見る。
ひとつは選挙のプロとしての顔である。
ひとつは政局のプロとしての顔。
もうひとつは政策のプロ。

このあいだの選挙は勝ったけれど、過去には負けたこともある。
政局も、いつもリードし続けているが、成果を享受しているとはいいがたい。小渕氏に敗れてから、あまりうまくいっていないのかもしれない。
政策のプロは、他にたくさんいる。

民主党が小沢氏を担ぐのは、他の民主党員に欠けているものを持っているからだ。
つまり、政治的情報である。

「参議院で勝利して民意が示された、それを裏切ってはならない」などということが言われるが、それは、勝利するように仕組んだだけであって、正しいから勝ったわけでは全くない。

選挙で国民が示すのは理性ではない。

理性の究極の形は数学である。
この国民が数学が得意とは思えない。
数学は、情報が少なくて、ルールだけがある。その中で、理性を行使する。

理性を行使するなら、国民は要らない。
理性の代表に任せればいいだけだ。
理性は多数決と無縁である。
「それでも地球は回っている」

主権者である国民は選挙のときに何をしているのか?
「与えられた情報」を「不充分に理解」して、「気分に左右」されているだけである。

国民に「下げ与えられる」情報は限られている。あるいは統制されている。
無論、現代では、情報が権力である。

私見では、情報という権力の頂点にいるのが、小沢氏である。
政治情報のプロなのである。その収集と分析と発信。

小沢氏のこころの中にある、理想的な国民の理想的な判断が、今回の大連立構想であった。
しかし現実の国民の判断は異なったものであった。

小沢氏は多分、彼が握っている情報のすべてを、理想的国民に与えれば、小沢氏と同じ結論を出すはずだと信じただろう。今でも信じているだろう。

しかし情報は出せない。説得しても意味はない。
あまり意味のない弁明をして、やっぱり選挙で勝つと言った。

選挙で勝つためには、またまた、意味のない公約を掲げなければならないのだ。
彼は本当はそんなことはしたくない。



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プロ 小沢 対立軸 二大政党

持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから「プロ」である。
こう日野原先生がおっしゃっている。

確かにそうですね。

最近、政治の「プロ」、民主党の小沢氏が、自民との連立を提案、辞意表明、辞意撤回と報道されています。

確かに、現状で言えば、自民と民主のあいだに、くっきりとした思想的対立軸があるわけでもなく、どっちに入ってもやっていけそうな人たちばかりのような気がします。
そんな中で、選挙に勝つとは、何を意味するのでしょうか。

高福祉・高負担か、中福祉・中負担か、低福祉・低負担か、そのあたりを端的に国民に問い、選択してもらうとか。
あるいは、憲法9条と軍事力・軍事費の問題。
あるいは、外交面で、アジアか米国かといった選択。
こうした分かり易い対立軸。

しかし、どうだろう、福祉と負担のあり方についても、そんなに選択肢はないように思える。軍事、外交の問題についても、現状への対応を現実的に考えれば、そんなに選択の幅はないだろうと思う。

極端に理想主義的だったり、その反対極だったり、そのような提案をあえてして、国民に選択しろというなら、対立軸にはなる。しかし、そんなことは頭の悪い人間のやる能率の悪いことだ。

問題は現実的にさっさと常識的な線でまとめて、あとは余暇を楽しんだほうがいい。

だとすれば、穏健な現実主義の道が見えてきて、そうなれば、自民と民主の対立軸は消えてしまう。まともな人間の考えることは似ているだろう。

あえて対立軸を設定したりするから、むだな税金がかかる。手っ取り早く票を獲得するには飴のばら撒きにならざるを得ない。悪い方が勝ったりする。あるいは、マスコミを動かして風を起こす。選挙に勝つとは、たったそれだけのことのようでもある。

国民の良識というものは、増税を拒否し、国債発行を選択し続けてきた。

そんなことをするよりは、この機会に、バリバリ実際的な仕事をしようと考えるのも、一理あると思う。それが、真に国民のためになると考える方向もあると思う。やるべきことは見えていて、それが停滞していることも見えている。
大連立ができたとき、役人の抵抗を押し切って、政治は前進するかもしれないのだ。

しかし、そんなことより、二大政党制の確立が大切だというなら、それも一理ある。あまり違わない二党が、交互に政権を担当するのがよいといわれるし、そのとおりだと思う。
ただしその場合、役人の下請けにならないようにすることができるかどうか。

防衛省問題でも、政治家の答弁は役人の提出した数字で、それが間違っていても、政治家に責任はない様子。役人に責任はあるのかといわれれば、役人は特に責任をとったりはしない様子だ。

年金問題でも、役人に数字を出させることができるかどうかが問題になっていて、問題解決は遥かに遠いように思える。
社長に面会に行ったら、秘書に居留守を使われているようなもので、全然見込みはないと思う。

役人と議員といっても、霞ヶ関に通っていた人が、国会に通うというだけの違いでもあり、どっちがどっちをどうできるとかといったものでもないようだ。
ついでに、天下りとか付き合いがいろいろあり、企業と役所も一体だ。

自民党と民主党の実態は、ある選挙区で、自民党の公認はもう取れそうにないから、民主党から公認をもらう、そんなことがうっかり暴露されてしまいそうなものだ。根本的に血は同じなのだ。

さっさと実質的な仕事をしてしまいたい、そのあとで、二大政党でもなんでもやればいいと思っても、それは悪くないし、むしろ現実的だと思うこともある。
年金、税制、医療、介護、教育、地方分権、農業、よりも、風任せに政権交代する二大政党がいいと言えるだろうか。

まあ、確かに、参議院選挙で負けて安倍政権が退陣したのは、よかった。しかしその場合、民主党に代わらなくても、自民党内で、しかも同じ町村派の中で、代わっただけで充分によかった。安倍-福田の距離と、安倍-小沢の距離をどう測ればいいのだろう。



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