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ラグビー 早明戦

今日、出掛ける間際に、テレビから流れていたのはラグビー。

12月最初の日曜日は早明戦です

ほほーと思って準備しながら聞いていたら、
先に明治が点数を取った。
おやおやと思って、出掛けた。

夜になって結果を見たら71-7というのでびっくり。
早大は7年連続の全勝優勝で通算50連勝というので、またびっくり。

ずーっと昔も、一年生コンビが活躍した時代があった。
今泉。

ラグビー選手は、多分、野球やゴルフをやっても、かなりうまいのだと思う。
プロ野球やプロゴルフは、億の金を稼げてしまうが、
ラグビー選手はそうではない。

ほとんど格闘技のようなつらい思いをして、
あまり報われもせず、
しかし格好よくって、
本当にスポーツマンだと思ったが、
今泉は涼風真世と結婚していて、
ずいぶん報われているのかもしれない。

朝青龍をラグビーに使うっていうのは、だめでしょうか。


70億人の考え方

地球には約70億人が住み、主権国家が160以上ある。

自衛隊の給油問題で、国際社会からの要請とか言っているが、
どこら辺の国際社会なのか。

日本が別の面からの国際貢献を選んだとして、
それだから、日本はテロと闘う気がないなどと
言われる筋合いのものではないことはみんな知っている。

それなのに政治家は平気でそんな言葉を口にする。

米国いいなりも悪くない政策なのだから、はっきり言えばよいと思うが。

米国が世界の警察をやりたいのなら、
日本は世界の医療救急隊をやりますといえばいいのに。


紅白歌合戦 歌垣 贈答問答歌

朝日新聞で、紅白歌合戦を続けたらいいという人は、
100人のうち56人。
各界で活躍する100人に聞いたという、
実に新聞の権力丸出しの記事。

一方、中国少数民族・トン族の歌い手を招いて、
歌垣実演してもらうのだという。

歌垣は、男女による歌の掛け合い。東南アジアに広く分布。
男女が歌を掛け合い、歌い継ぐ方法は、
万葉集の贈答・問答歌でも知られる。

ワーグナーのタンホイザーでも、歌合戦がある。

春、種まきの前とか、秋、収穫の頃、夜に若い男女が集まり、
互いに求愛歌を掛け合いながら、恋愛関係になる。
豊作を祈りつつ、自分たちも子孫繁栄の方向で、ということになる。
飲食しながら歌を掛け合い、多くは性の解放を伴っていたらしい。
言霊の強い側が歌い勝って、歌い負けた側は相手に服従した。
これは男同士が競って、勝ち負けを決めるということなのだろう。
勝った男は、一番強い気持ちで女を求めたのだから、その夜の権利がある。
このあたりは、プロ野球のドラフトのようなものだろう。
(もともと決めてあった二人も、この場を利用して、周囲にカップルを宣言するだろう。)
昔トンネルズがやっていた、
「ちょっと待った!」のような場面もあったはずで、
若者には楽しい一夜だろう。

万葉集巻九の「率ひておとめおのこの行きつどひかがふ嬥歌に 人妻に吾も交はらむ 吾が妻に他も言問へ」は有名。
未婚男女だけではなかった様子だ。

時代が下るにつれて、未婚者による求婚行事となっていった。『古事記』には二人の男が女をめぐり歌をたたかわせたとある。

どちらが勝ったかを判定する方法は書かれていない。
新古今集の時代に歌合せにより、歌の優劣を決める時代が訪れるが、
その前段階のことのように思われる。

もちろん、判定はあいまいな方がいいのであって、
女は好きなほうの男を選べる。
その意味では、女にとっては、定家も後鳥羽院も、余計な奴らなのだ。

今も昔も、歌にはセックスアピールがある。
「芸能」の原型である。

歌う姿を見れば、
健康状態や気迫の程度が分かる。
歌には踊りを伴うことも多いだろう。
恋が始まる。

しかし、推定するに、
この一夜で配偶者を決めるというものではなかっただろう。
自分で配偶者を選択するなどできるはずがなく、
大抵は有力者が、ときには親が決めていたものだろう。
そしてそのような婚姻とは別に、恋愛感情というものはあるはずだ。
その気持ちを実現する、限定された抜け道はあったものの、
現実には難しいことも多かっただろう。
歌垣のような機会を利用して、婚姻外の交友を広めたのだろう。

そして、この、公認された日のために、二人は準備するのである。
歌で強く求められ、それは誰にも増して強いもので、
拒むこともできなかったほどなのだと、
示し合わせた二人は演じるだろう。
偶然とはいいながら、
あんなになってしまうなんて、などといいながら。

*****
さて、このように概観してみると、
歌合戦というものは、異性を求めて同性が戦うものであって、
赤組か白組かという勝負ではないことが分かる。
勝っても何もいいことがない勝負なんて珍しい。

また、
男女が相手を選ぶことが本質であって、
歌はその手段に過ぎない。
したがって、
まずお見合い番組と大枠を決めて、
その中で、自分をアピールするために、
歌や踊りを披露すればよいのだろう。

男女20人くらいずつを用意して、
まず一通り、自己紹介の歌を歌ってもらう。

そのあと、一人の男は一人の女にプロポーズする。
その女について他に立候補者がいなければ、それで決まり。
その女について、他に立候補者がいたら、
そこから歌合戦が始まる。

候補者3人くらいの歌を聴き比べて、
この人にしますと最後に決める、そして二人で消えていく。

しかしこれでは子供と一緒に笑ってみるというわけにもいかないか。

*****
タンホイザーにしても、エリザベートの純愛に救われるのだが、
歌を歌うくらいしか能のない男がどうしてそんなにも純愛をささげられるのか、
いまだに理解できない。
歌というものは、それほどの力があるということなのか。
それは何かの寓意なのか。


いい国 日本

2005年三浦展『下流社会』に書かれていたこと。

上流の人ほど「上昇志向で」ある。

下流の人ほど「自分らしい人生という呪文」にかかっている。
「将来のことを考えるよりも現在を楽しみたい」
「現状志向」
「あくせく勉強して、よい学校やよい会社に入っても、将来の生活に大した違いはない」
「成功物語否定的」

下流であるという現実が、このような考えを定着させ、
このような考えが、ますます下流の現実を固定させる。
付き合う相手も下流に限定され、別の考え方には気がつかなくなる。

著者は、こうした傾向を、
社会の長期的な活力を奪う大きな問題、
現状の日本社会を憂慮するといった方向でとらえているようだ。

一方で、次のような指摘もある。

日本ではフリーターをしていても年収は200万近くにはなる。
日本はいい国になった。
毎日朝から晩まで会社に勤めて高額の収入を得るのもいい。
とくに訓練の必要のない単純労務をして余暇を十分に楽しむのもいい。
それぞれの人生を選択できる。

年収300万の暮しというのが合い言葉になっているが、これだけあれば、確実に暮らせるだろう。
高円寺で手取り14万円で、不自由なく暮らしているといっていた。

100円ショップとディスカウントショップでほとんどの日用品が手に入る。
スーパーの安売りの日にまとめて買う。
仕事漬けの人にはできないことだが、この人たちには、買い物に行く時間がある。

高い年収のほとんどは、無意味かもしれない。
大きな部分は住居費であるが、ワンルームでいいと考えれば、まず大きな節約になる。
長期的には人口が減少して、不動産は安くなるから、資産としては目減りするだけだ。
ローンは組まない。賃貸でいいに決まっている。

食費はどうだろう。工夫すれば安く済む。
酒やタバコは税金がかかって高いだけなので、やめる。

ブランド物がほしければお金が必要だけれど、そこは頭を冷やす。
普通の時計でいいなら、正確で安いものがいくらでもある。
バッグも、ものを入れて運ぶだけなら、1000円で用意できる。
着るものも、同じ。

結婚は、無意味な出費の巣窟だ。ばかばかしいのでやめる。
必要なら勝手に一緒に住めばいい。

現状では、何の特権のない人でも、
電車に乗れる、水道はきちんと出ている、電気も供給されている、
水洗トイレもある、テレビも映る、自転車にも乗れる、日本語が通じる、
こんないい国はない。

切り口が違えば論調も違うものです。


徳川の大名

世襲政治家を見ていて、
親のおかげ、家柄のおかげで得をしている人がいるような感じがしていたが、
考えてみれば、徳川時代の大名が現在に至るまで、
特権的な地位を保っているわけではない。
特に太平洋戦争敗戦で不連続が生じたのかもしれないが、
いずれにしてもたいして長くない時間の中で、
没落したものだと思う。
逆に、ごく最近、のし上がってきた人たちもいるわけだ。
長い目で見れば、たいしたことでもない。


将棋とホルモン

将棋盤に向かっているとき、
男性ホルモンが出ているような気がする。


おとなげない

額賀氏喚問問題で
伊吹氏「おとなげない」と発言。

相手をおとなげないなどというと言うことは、
どんな状態か推測できる。

巨人阪神7-0で阪神リード、9回裏、巨人は7,8,9の下位打線、という場面で、
阪神がリリーフ藤川といったら、
原監督は「おとなげない」と言うだろうな。


得する美人

たとえば裁判所で、
被告になっても原告になっても
美人は得をするでしょう

学校の先生が美人なら、
子供も父兄も、お話をよく聞いてくれるでしょう

お医者さんやカウンセラーが美人なら、
相談している人は納得してしまいそうです

英会話学校の先生が美人なら
集中力がアップすると思います

お役所の受付の人も、相手が美人なら、
丁寧に対応してくれるかもしれません

美人ばっかり得をして不公平だと思います

でも考えてみるとそうじゃない

いろんな場面で得をする人を美人と呼んでいるのだ
だから美人は得をするのだ??

美人が不利なときもある
電話セールス いつものように相手が納得してくれないので、自分は美人で得をしていたと気付く。
宴会のとき 上司のそばにいなければならないので不利。無理無理のデュエット。


選挙で何を選んだのか?

政府、つまり中央集権制は、
選挙による主権在民を標榜しているものの、
それは形骸化している。

われわれ国民は、選挙によって大切な何かを選んだ経験があるだろうか?

税金に見合ったサービスを受けているとは思えない。
防衛庁関係の支出にしても、選択した覚えのない項目で、莫大な支出がなされている。

しかし、選挙による信任があるので、いいことになっている。

ーーー
あるとき、学園祭で、一部の人が映画をつくろうと言い出した。
勝手につくる分にはかまわなかったけれど、
強制的に一人何千円か徴収して回った。
品のないことをするものだが、
これが国家の原型なのだと思った。

何も関係のない、かかわる気のない人間からお金を徴収するのではなく、
かかわりたい人がお金を持ち寄り、つくり、
映画を見たい人からお金を集め、決算すればよかっただけなのである。
それがフリーマーケットの当たり前の考えである。

ーーー
自治会でも同じようなことが起こる。
何かの募金の割り当て。
何かの施設を新しくするとき。
自治会費とか、マンションならば管理費とか、そんなものの中から、
強制的に出費させられている。

私道整備やマンション共有部分などは、最終的には多数決しかないだろうが、
それにしても、
小さいけれど、これも強権的な発想である。
小さなことで抵抗すると、「いやな人」というレッテルを貼られるかも知れず、
そのことと、小さな経済的損失とをはかりにかけると、
面倒なので、何も発言しない。
そのようにして、強権的な人々は増長する。

おおむね、田舎の方が強権的である。
都市部になると、理論派の論客がたくさんいたりして、
強権的な人々も、入念な根回しなしには何もできない。

ーーー
NHKの受信料なども、こうした発想を感じる。
wowowなどはきちんとしている。見たい人が支払う。それで当たり前ではないか。
理屈をつけているが、NHKはおかしい。
国民に何かを強制することは、もっと遠慮しつつ、行なってほしいものだ。

ーーー
日常会話で、「税金だと思って諦めなさい」と言われることがある。
自分にとっては全く利益にならない犠牲だけれど、
諦めなさいという意味だ。
そんな税金であってはいけないのだ。

こう考えてくると、
中央集権はやめて、なるべくフリーマーケットで、
個人が個別に選択して購入する、
そのほうがいいような気がしている。

道路がもう一本ほしかったら、有志でお金を出し合って作ればいい。
東京の人の税金で島根の「むだな」農道を整備して、
島根の土建屋さんに儲けさせるのはやはりおかしい。
公共事業は半分になったといいながら、
自衛隊では高い買い物をしているのだった。

一方で、昔ながらの安心できる社会が懐かしい。


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