統合失調症とうつ-7
アサーション
アサーションを日本語に訳すと「主張」です。
でも、「主張」と言っても、自分の意見や要望を無理やり押し通すとか、
相手が同意するまで説得するとか、自分の言いたいことだけを言って
相手を自分の思い通りに動かそうとすることではありません。
そんなふうに、自分勝手で攻撃的なものでも、策略的なものでもないのです。
相手がどんな返事をするかは、相手が考えて決めることで、相手の領域。
相手の返事を自分の思い通りに強要するなんてできません。
自分にできることは、自分の言いたいことを相手に伝えるということだけ。
つまり、「アサーション」というのは、
自分の感じていることや気持ち、考えていることなどを、
自分も相手も共に大切にする関係の中で、誠実に率直に伝えていくこと。
アサーティブになるということは、人に対して率直な対応をし、
そのことで対等な人間関係を築いていくことなんです。
アサーティブには、大切な5つのポイントがあると私たちは考えます。
アサーションというのは、言葉の選び方とか、言い方だけではないんですね。
1.自分の正直な気持ちに気づく
「こうあるべき」とか「こうしなければならない」
というところで修正したものを、自分の気持ちと思っていることが多いもの。
頭で考え、修正する前の自分の気持ちを まず、感じ取りましょう。
2.自分の正直な気持ちを大切にし、ごまかしたり否定したりしない
「自分の正直な気持ち」を修正しないことは、その気持ちに誠実であるということ。
そしてそれは、自分を偽らないで相手に接するということで、
相手に対して誠実に接することにもつながります。
3.自分も相手も対等な関係であることをしっかりおさえておく
相手と向き合うときには、自分も相手も尊重します。
つまり、相手を見下したり、自分を卑下したりしないで対等に接します。
4.伝えたいことを屈折させずに表現する
人に自分の気持ちや要求を伝えるときには、どなったり、弁解したり、
遠回しに言ったりしないで、率直に表現することが大切です。
5.表現したことについて、自分を責めたり不愉快になったりしない
自分の気持ちや要求を表現した結果、自分が望んでいない反応を
相手が返す場合もあり得ます。
でも、相手がどう受け取りどう反応するかは、相手の領域。
その反応によって、表現をした自分を責めたり
不愉快になったりしないことは大切なことです。「言いたいことが言えない」「断りたいのに断れない」
「引き受ければ自分が大変になるのはわかっているのに、
引き受けてしまって、相手を恨んだり、自分を情けなく思ったりする」
「いつもにこやかに振る舞っている自分がとてもいやになってしまう」など、
人との関係がうまくいかないことで人間関係に疲れてしまうことはありませんか。
今まで私たちは、それを自分の性格のせいにしたり、
人間関係にはよくあることだと納得させたりしてきました。
でも、実は、よりよい人間関係を築くためのコミュニケーションの方法を
学んでこなかったのではないでしょうか。
私たちが小さい頃から身につけてきたのは、いつも相手の気持ちばかりを
優先させてしまう自己犠牲的なコミュニケーションの方法だったり、
逆に相手に自分を押しつけるような方法でした。
そのため、人との関係がうまくいかなくなってしまっていたのです。
「自分の感じ方や考え方を大切にしていいこと」「感じ方、考え方は人と違っていていいこと」
「自分の中の『いやだ』という気持ちを伝えても、つながっていける関係があること」
などに気づくことで、人との関係のあり方が変わっていきます。
そして、それ以上に大きな変化は、自分自身のあり方かもしれません。
自分の人生を自分で選び取っていっているという感覚や、
背伸びをしたり無理をしないで、等身大の自分でいてもだいじょうぶという感覚が、
自分の中に少しずつ広がっていくこと。
つまり、私自身の中の力に気づいていくことができる、それがアサーションの
一番の魅力なのではないかと思います。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/assert/assert.htm
春夏冬升弐大阪城
春夏秋冬から秋を抜いてアキナイ、
升弐は升が二つでマスマス。
最近で言えば“マス(×2)”といったところ。
“二升”や“升々”も同様の意味。
大阪城は音読みで。
また、“五合”という表現を使っている場合、
五合は一升(いっしょう)の半分なので半升(はんしょう→はんじょう)という洒落。
*****
というような記事を読んだ。
携帯で暗号みたいな言葉遊びをしている人たちも
同じ線上にあるようだ。
*****
「愛」と「恋」の違いは、下心があるのが恋で、下心がないのが愛。
という記事もあり。
全然そうは思わないが。
愛の下にあるのは何か、分からない。
*****
最近の若い人のことばは
むかつくとか
きもい
とかあるようで、
とても心療内科的な言葉遣いである。
不愉快とはいわず、
不愉快なときの自律神経反応である「むかつき」を表現する。
バカだと
対象自体の性質を記述するのではなく、
わたしは不愉快だと
受け手の反応を語り、
しかも感情ではなく、身体反応を記述している。
このように事態を身体言語化して表現するとき、
退行が始まっている。
対象についての客観的な記述ならば、
他人にフラットに伝えられるが、
「むかつく」といった感じの身体言語で伝えられた場合、
聞いた側が同意しなければ、発話者自体を否定することになり、
なかなか対応が難しい。
否定はほぼ不可能な状態になる。
検証不可能である。
このあたりも現代的な不自由さなのだろう。
第3次アーミテージ・ナイレポート “The U.S-Japan Alliance ANCHORING STABILITY IN ASIA”が公表される。 (コラム033 2012/08/28) ロンドンオリンピックの興奮冷めやらぬ8月15日、米国のアーミテージ元国務副長官及びジョセフ・ナイ元国務次官補(現ハーバード大学教授)を中心とした超党派の外交・安全保障研究グループが、日米同盟に関する報告書 “The U.S-Japan Alliance ANCHORING STABILITY IN ASIA
“The U.S-Japan Alliance ANCHORING STABILITY IN ASIA”が公表される。
(コラム033 2012/08/28)
ロンドンオリンピックの興奮冷めやらぬ8月15日、米国のアーミテージ元国務副長官及びジョセフ・ナイ元国務次官補(現ハーバード大学教授)を中心とした超党派の外交・安全保障研究グループが、日米同盟に関する報告書 “The U.S-Japan Alliance ANCHORING STABILITY IN ASIA”(日米同盟-アジアの安定を繋ぎ止める-)1を公表した。
本報告書は、2000年10月2、2007年2月3に公表されたものに続く3番目のものであり、アジア太平洋地域に顕在する様々な問題を踏まえ、今後の米国、日本、そして日米同盟の在り方について、グループの分析評価結果を具体的な政策提言の形で明示したものである。
1 本報告書の概要
本報告書は、グループの研究結果について、アーミテージ氏とナイ氏の共著の形で記述されている。
序章では、総論として、かつて第1次報告書で読者の耳目をさらった「同盟の漂流」というキーワードを再び用い、中国の隆盛と不透明性、北朝鮮の核や敵対的活動、アジアのダイナミズムの兆候等、今目前にある情勢を踏まえつつ、世界で最も重要な同盟関係である「日米同盟」が瀕死の状態にあるとし、力強くかつ対等な同盟の復活が要求されているとした。
特に、日本が今後世界の中で「一流国」(tier-one nation)であり続けたいのか、あるいは「二流国」(tier-two nation)に甘んじることを許容するのか、国際社会での日本の在り方にかかる真意を単刀直入に問いただす、極めて強い表現を用いている。ただし、米国としては、日本の現状、すなわち少子高齢化、財政状況、不安定な政治、若者のメンタリティー(悲壮感と内向性)等の「現実」は適切に認識した上で、それでも日本は今後とも「一流国」として国際社会で一定の役割を果たすべきであるとの見解を明示している。
また、日本の「信頼性」についても言及されており、特に自衛隊は日本で最も信頼に足る組織であるとの評価を明言する一方、「時代遅れの抑制」を解消することで、アジア太平洋地域における海洋安全保障上の戦略的均衡の要になり得るとの評価をしている。
次に、日米同盟の在り方に関する各論的記述として、「エネルギー安全保障」、「経済と貿易」、「近隣諸国との関係」それぞれについて、どのような取り組みが同盟堅持に寄与するものであるか、原子力政策や天然資源に関する新たな同盟の締結、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)並びに経済・エネルギー・安全保障包括的協定(CEESA:Comprehensive Economic, Energy, and Security Agreement)締結への努力等、個別具体的な政策を提示している。
特に、「近隣諸国との関係」では、韓国及び中国との関係に着目し、はじめに日米韓3か国の強固な関係構築の必要性から、日韓に顕在するいわゆる「歴史問題」の解決に向けた努力を促すとともに、判断を下す立場にないとエクスキューズしつつも、当該問題の解決(和解)に向け、米国があらゆる外交努力を払うべきであると訴えている。また、北朝鮮の脅威へ対抗するため、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)及び物品役務相互提供協定(ACSA)締結交渉の加速化をも促している。一方、昨今の中国の再興に対しては、強固な日米同盟こそが必須であり、「関与」と「対処」をもって対処すべきとしている。
さらに、本年4月30日に公表された「日米共同宣言:未来に向けた共通のビジョン」をとりあげ、世界に顕在する人権問題と日米同盟との関係について、特に日本と北朝鮮との間の問題をも踏まえながら、日米の緊密な連携の必要性を訴えている。
次に、新しい安全保障戦略に向けた様々な取り組みについて提案がなされている。 例えば、日本はARFやAPECといった地域フォーラムにおいてそれらの民主主義パートナーとの連携を深め、中国海軍の増強と行動範囲の拡大すなわち「接近阻止・領域拒否」(A2AD)戦略には、日米の「エア・シーバトル構想」及び「動的防衛力」をもって対峙する必要性を説いている。
さらに、よりオペレーショナルな範疇に踏み込み、ホルムズ海峡におけるイランの動向に鑑み、封鎖の意図(兆候)が明らかとなった際には、日本は単独で海上自衛隊の掃海艇を派遣し、当該海峡の通航の安全を確保することや、南シナ海の平和と安定を維持するため、日米共同で監視活動を実施すること等を訴えている。
その他、インターオペラビリティーのさらなる向上や共同技術開発の推進、同盟に欠かせない信頼関係の構築に資する「拡大抑止」にかかる認識の統一、そして先に出された2つの報告書に示された「武器輸出三原則」緩和及び「集団的自衛権」容認の必要性等について言及している。
一方で、国連平和維持活動への参加については、日本に対し過去の2つの報告書では「種々の制約の撤廃」と記述していたが、本報告書では更に細部に踏み込み、派遣された部隊の法的権限の拡大(文民のみならず、他国のPKO要員、要すれば部隊の防護を可能とする権限付与)について言及している
最後に、「結言」として、冒頭に述べられた「同盟の漂流」について言えば、昨年発生した東日本大震災における「トモダチ作戦」が、それまでの3年間で生じた特異な政治的不調和を早急に改善し、それによって「漂流」は終焉を迎えつつあるとの認識を示している。そして、第2次報告書と同様に提言事項(全27件)を列挙し、全32ページに及ぶ一連の報告を終えている。
2 提言事項(全27件)4
本報告書の巻末に列挙された提言事項は以下のとおりである。
・ 日本への提言(9項目)
(1)原子力発電の慎重な再開が日本にとって正しくかつ責任ある第一歩である。原発の再稼動は、温室効果ガスを2020年までに25%削減するという日本の国際公約5を実現する唯一の策であり、円高傾向の最中での燃料費高騰によって、エネルギーに依存している企業の国外流出を防ぐ懸命な方策でもある。福島の教訓をもとに、東京は安全な原子炉の設計や健全な規制を促進する上でリーダー的役割を果たすべきである。
(2)日本は、海賊対処、ペルシャ湾の船舶交通の保護、シーレーンの保護、さらにイランの核開発プログラムのような地域の平和への脅威に対する多国間での努力に、積極的かつ継続的に関与すべきである。
(3)環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加に加え、経済・エネルギー・安全保障包括的協定(CEESA)など、より野心的かつ包括的な(枠組み)交渉への参加も考慮すべきである。
(4)日本は、韓国との関係を複雑にしている「歴史問題」を直視すべきである。日本は長期的戦略見通しに基づき、韓国との繋がりについて考察し、不当な政治声明を出さないようにするべきである。また、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)や物品役務相互提供協定(ACSA)の締結に向けた協議を継続し、日米韓3か国の軍事的関与を継続すべきである。
(5)日本は、インド、オーストラリア、フィリピンや台湾等の民主主義のパートナーとともに、地域フォーラムへの関与を継続すべきである。
(6)新しい役割と任務に鑑み、日本は自国の防衛と、米国と共同で行う地域の防衛を含め、自身に課せられた責任に対する範囲を拡大すべきである。同盟には、より強固で、均等に配分された、相互運用性のある情報・監視・偵察(ISR)能力と活動が、日本の領域を超えて必要となる。平時(peacetime)、緊張(tension)、危機(crisis)、戦時(war)といった安全保障上の段階を通じて、米軍と自衛隊の全面的な協力を認めることは、日本の責任ある権限の一部である。
(7)イランがホルムズ海峡を封鎖する意図もしくは兆候を最初に言葉で示した際には、日本は単独で掃海艇を同海峡に派遣すべきである。また、日本は「航行の自由」を確立するため、米国との共同による南シナ海における監視活動にあたるべきである。
(8)日本は、日米2国間の、あるいは日本が保有する国家機密の保全にかかる、防衛省の法律に基づく能力の向上を図るべきである。
(9)国連平和維持活動(PKO)へのさらなる参加のため、日本は自国PKO要員が、文民の他、他国のPKO要員、さらに要すれば部隊を防護することができるよう、法的権限の範囲を拡大すべきである。
・ 日米同盟への提言(11項目)
(1)福島の教訓から、日米の原子力研究及び開発協力の再活性化を図るとともに、安全な原子炉の設計と地球規模での健全な規則の実施を図るべきである。
(2)米国と日本は、天然資源にかかる同盟を結ぶべきである。また、メタンハイドレートや代替エネルギー技術の開発にかかる協力を促進すべきである。
(3)米国、日本及び韓国は、「歴史問題」にかかる非公式の協議を促進し、その繊細な問題にどのようにアプローチすべきかコンセンサスを得るとともに、それぞれの政府のリーダーに示唆と提言を与えるべきである。この努力は、困難な問題における交流のための「最適な」規範と原則を追求していくものであるべきである。
(4)日米同盟は、中国の再興への対応するための能力とポリシーを構築しなければならない。日米同盟は、平和的で繁栄を謳歌している中国からは得るものは多いが、高い経済成長と政治的安定の継続は不確実である。同盟のポリシーと能力は、中国の核心的利益の拡大の可能性や、軌道変更、そして予測し得る幅広い範囲の未来に対し適応できるものであるべきである。
(5)人権に関する具体的なアクションアジェンダの構築は、賞賛に値するゴールであり、特にビルマ(ミャンマー)、カンボジア、そしてベトナムなどは、共同による関与により、国際人道法と市民社会を促進させることができる。さらに、北朝鮮との関係に関しては、韓国との同盟をもって、食糧安全保障、災害救難及び公衆衛生、加えて非核化と拉致問題の解決等を含む人権問題の全ての範囲の問題に取り組むべきである。
(6)米国と日本は、これまで高官レベルの関心が十分ではなかった、役割、任務、能力に関する協議を通じて、(米国の)「エア・シーバトル構想」と(日本の)「動的防衛力」などといったコンセプトの連携を行うべきである。新しい役割と任務の見直しは、軍事、政治、そして経済にかかる国力をすべて包含する協力と同様に、より幅広い範囲の地理的視点をも含むべきである。
(7)米陸軍及び海兵隊と陸上自衛隊との協力は、相互運用性の向上と、水陸両用で機敏かつ展開容易な部隊への進化を、発展させるものであるべきである。
(8)米国と日本は、民間空港の活用、「トモダチ作戦」の教訓検証、そして水陸両用作戦能力の向上により、共同訓練の質的向上を図るべきである。また、米国と日本は、二国間あるいは他の同盟国とともに、グアム、北マリアナ諸島及びオーストラリア等での全面的な訓練機会の作為を追及すべきである。
(9)米国と日本は、将来兵器の共同開発の機会を増やすべきである。短期的には共通の利益や作戦上の要求に沿った特別の計画について考慮すべきである。一方で日米同盟は共同開発にかかる長期的な運用要求を共有すべきである。
(10)米国と日本は、同盟における米国の拡大抑止にかかる信頼と能力についての信頼を構築できるよう、拡大抑止に関する対話(おそらく韓国と共同による)を再び活気づかせるべきである。
(11)米国と日本は、共通の情報保証基準にかかる研究開発に資する「ジョイント・サイバー・セキュリティー・センター」を設立すべきである。
・ 米国への提言(7項目)
(1)米国は、「資源ナショナリズム」を訴えるべきではなく、またLNGの輸出における民間部門の計画を抑制すべきではない。危機(crisis)の時代において、米国は同盟国に継続的かつ安定的な供給量を提供するべきである。議会は法律を改正し、日本へのLNG供給を容易にするべきである。
(2)米国は、TPP交渉におけるリーダーシップを発揮し、交渉の過程と協定草案の内容について明らかにすべきである。日本のTPP参加は米国の戦略目標としてとらえるべきである。
(3)米国は、日本と韓国の間にある微妙な「歴史問題」について見解を示すべきではない。米国は、緊張を静めるためにあらゆる外交的努力を払い、2つの国家の核心的な安全保障上の利益に再び注目するべきである。
(4)在日米軍は、日本の防衛に関し特別の責任を持つべきである。米国は在日米軍の任務に関し、より大きな責任と使命感を割り当てる必要がある。
(5)米国は、「武器輸出三原則」の緩和を好機ととらえ、日本の防衛産業に対し、米国のみならずオーストラリアなど他の同盟国に対しても、技術の輸出を行うように働きかけるべきである。米国は、時代にそぐわない障害と化している有償軍事援助調達(FMS)手続きを見直さなければならない。
(6)米国は、将来の共同技術研究開発にかかる協力の促進に向け、また、兵器売買に関わる官僚組織の仕事を合理化し、タイムリーかつ戦略的に一貫した意思決定が成し得るようにするため、「科学技術フォーラム」と政策中心の「安全保障協議委員会」の組織を統合し、活性化させるべきである。
(7)米国は、大統領による政治任用の人材を選出し、その者に日米同盟深化の責任を持たせるべきである。日本についても同様の任用について考慮することを望んでいる可能性がある。
3 所見
本報告書は、少子高齢化や景気の後退等、国力の衰退を示す様々な兆候が見て取れることを踏まえつつも、前回の報告書とほぼ同様の文脈で、総じて日本への大いなる期待感を明示している。ただし、その狙いは米国にとって望ましい秩序を持ったアジア太平洋地域の創生であり、隆盛著しい中国への「関与」と「対処」という戦略2本柱を支える財として、日米同盟は存続しなければならない。両氏は、本提言を、まさにそれを担保するための「日本の再生」に資するカンフル剤としてとらえて欲しいのかもしれない。
前報告書との相違に関し、特に韓国との関係において「歴史問題」の解決に言及している点で、韓国大統領の竹島上陸を発端とした昨今の緊張状態に鑑み、日韓関係が注目を引く中で出された極めてタイムリーな報告書として、そのバリューを向上させる一要素であると評価できるとともに、米国が日韓の「歴史問題」に関し、一定の関与を明言していることにも注目すべきである。
巻末に列挙された政策提言に関しては、第2次報告書では、日本、日米同盟の他に、地域政策、地球規模の政策等、広範な内容の記述が見られたが、今回は日本、日米同盟そして米国という主たるアクターに限定し、より具体的な項目を挙げ、短・中・長期それぞれのスパンで何を努力目標とすべきか、それぞれに対し「直球」を投じている。
2000年に発表された第1次報告書は、翌月に大統領選挙を控えており、かつ研究グループのメンバーが新政権のスタッフに登用されたこともあって、新大統領の対日政策にかかる方向性を示唆するものととらえられた。今回は、野党である共和党の正副大統領候補が選出され、今まさにこれから11月の投票に向けた論戦が開始されるタイミングでの発表となったことで、いずれ本報告書が、第1次と同様のとらえ方をされることも想定しておくべきである。
まずは公益通報者を守るべき ーー「公益通報者を守る」という点を特に重視したのはなぜか。 法案では、報道の自由は守る、正当な取材なら罪に問わない、という文言があります。しかし、取材で最も大事なのは、情報を提供してくれる人。まずはそこを守るべきだと思います。インターネットが普及している今は、メディアが取り上げてくれない内部告発を自分自身で公表する、という人もいるでしょう。まずは公益通報者を守らなければ。努力義務として報道の自由を書き込むなら、公益通報者を守るということも、少なくとも同じように入れるべきです
ーー「公益通報者を守る」という点を特に重視したのはなぜか。
特定秘密保護法法案では、報道の自由は守る、正当な取材なら罪に問わない、という文言があります。しかし、取材で最も大事なのは、情報を提供してくれる人。まずはそこを守るべきだと思います。インターネットが普及している今は、メディアが取り上げてくれない内部告発を自分自身で公表する、という人もいるでしょう。まずは公益通報者を守らなければ。努力義務として報道の自由を書き込むなら、公益通報者を守るということも、少なくとも同じように入れるべきです。
ーーー
(とにかく一番伝えたかったんだというのは何ですか?)
電力のモンスターシステムですね
我々が払ってる電気料金の中に非常に大きな無駄があって
本来競争的にやれば払う必要のないようなものが支払われていて
それを“溜り金”のように集めて
<電力のモンスターシステム>
・電力会社が取引先業者に相場の2割増で発注
・1割5分は取引先の取り分
・残りの5分は電力会社と業界団体へ預託
・預託金は政治献金、パーティー券購入、マスメディア対策
・発注額は年間約2兆円
・業界団体の預託金は800億円
・コストとして電気料金に転嫁
ーーー
何が正義かというのは
国民が決めるべきだ
国民の皆さんにはきちんとしたことをお伝えしないで
裏でこそこそ再稼働しようとしていると
これずるいんじゃないかと
卑怯なんじゃないかと
ーーー
いじめをされた側はいつまでも覚えている 多分一生忘れない いじめをした側はすぐに忘れている 多分一生に一度も思い出さない そもそもいじめとは認識せず 楽しく遊んでいたのだと言いはる 学校の先生になるような人は学校が好きだったのではないだろうか みんな仲良くできるはず 話しあえば分かるはず などと考えているのではないか思う
多分一生忘れない
いじめをした側はすぐに忘れている
多分一生に一度も思い出さない
そもそもいじめとは認識せず
楽しく遊んでいたのだと言いはる
学校の先生になるような人は学校が好きだったのではないだろうか
みんな仲良くできるはず
話しあえば分かるはず
などと考えているのではないか思う
ーーー
“オランダ人に「オランダの学校でもいじめってあるんですか?」と聞いたら
「いじめってなんですか」って言われた。
「なぐったり…」「それは犯罪です。」
「ものをとったり隠したり…」「それは犯罪です。」
「集団で圧力を…」「不当ならば犯罪です。」
そうだよねごめんジャパンが悪かった。”
うつ病、精神療法で治す 「認知行動療法」、思考や行動をプラスに修正
「ぼくの翻訳人生」工藤幸雄 Eric Clapton CHANGE THE WORLD
鼻水
波状の熱発と悪寒
胸焼け・吐き気
全身消耗
関節痛
発汗
末梢の異常感覚(これだけはすこし変な症状)
ただし下痢はなし
と、まるで、
踏まれたり蹴られたり水に落とされたり溺れたり殴られたり髪を引っ張られたりと形容していい状態であった。
(「踏んだり蹴ったり」とはおかしな表現ですね。そう思い使えなかった。)
まあ、初めてのことでもなく、こんなことも数年に一度はあるのだから、特に驚きもしない。
仕事が始まればすぐに治るのだと分かってはいる。
仕事が始まらないとぐずぐずと風邪をひきなおしている感じなのだろう。
そんな状態で食事も喉を通らず睡眠はとぎれとぎれで
汗をかくたびに着替えをして水分を補給し
そんな有様でやっと過ごしていたが
その間、本を読みつつ、ラジオを聴きつつ、何とか時間を過ごしていた。
ラジオからはイーグルスだったか、昔の歌が流れて、
ある状況が強烈に再生された。音楽の記憶喚起力を感じた。
またラジオで、 Eric Clapton の CHANGE THE WORLD を聴いた。翻訳を作ってみたことがある。
この手が星に届いたら
ひとつだけ てのひらにつつんで
あなたにあげる
わたしのこころをてらしてみて
なにが見えるか おしえて
満ちているもののすべてを
愛と呼んでもいいの?
もしかしたらただの夢かもって
醒めてしまうのが怖くて
世界が終わるとき
わたしあなたのひだまりでいたい
そのあたたかみに あなたはまどろんでくれるかな
愛しい人 もしも世界が終わる日に
一日でもいいの
望みが叶うなら
あなたと一緒に暮らすの
ほかは何もいらない
わたしたちには愛しかなくて
そんな二人の世界になるの
ばかって言ってね
そんな日を夢見たりしてね
世界が終わる日に
わたしあなたと一緒にいたい
寄り添うぬくもりに身をゆだねてくれたら
ね、もしも世界が終わる日に
もしも世界が終わる日に
世界が終わる日に
わたしあなたを包み込みたい
あなたの重荷を溶かすことができたなら
愛しい人 もしも世界が終わる日に
もしも世界が終わる日に
もしも世界が終わるなら
そして当時の情景が生々しい感情と共に蘇る。
病気で全身が衰弱していて、精神が防衛的態勢を作れていないのだろう。
そんな中で「ぼくの翻訳人生」工藤幸雄を読んだ。
昔話である。昔はこんなこともあったのかと思う。
海外から帰国して共同通信社に復帰しようか、すまいかと著者が悩んでいた時、井上光晴が一喝した。「宮仕えはするな。おれたちは、死に向かって突進しているんだ」。冷厳な真実に裏打ちされたこの説得力のある言葉に励まされて、著者は復帰を諦めた。
「宮仕えはするな。おれたちは、死に向かって突進しているんだ」
それはわかっている。
でも、そうしないでいて、もっと惨めになったらどうするのか。
最低保障ラインは確保しておくのがいいのではないか。
そう思う。さらに、
そんなことを言っても、一度だけの人生だ、賭をするチャンスがあるなら賭けてみた方がいい。賭をするチャンスもなく過ごす人が大半なのだから。
私は個人的には、破滅と大成功と半々の賭けに身をゆだねてみたい。
どうせ手に入るに決まっているぬるい幸せなどいらない。
いままで誰も経験したことのないような人生を送りたい。
そのようにさえ思う。
まあ、実際は、破滅というわけでもないけれど。
普段の生活で、たとえば車の費用を経費で処理できるかとか、そんな程度の違いだな。
「ぼくの翻訳人生」で書かれていることのひとつの柱は、
「日本語に熟達せよ」とのメッセージである。
世間では英語教育とか言っているが、
日本語をきちんと使えない日本人を作ってどうするのか、と語る。
これに私は大いに賛成。
また主張のもうひとつの柱は、言葉に精通するには人生はあまりに短い、
終わりがない、分からないことばかりだというもので、
それもまたその通りである。
知的誠実さがある限り、そのように思わざるを得ない。
浮気調査とうつともうひとつの障害
浮気調査の会社があって、いろいろとアドバイスがあります。
何かと理由をつけて帰宅が遅くなる。
休日なのに急な仕事で外出する事が多くなった。
せっかくの休みもなかなか会ってくれない。
自宅での食事が少なくなった。
ファッションや香水などに気を使うようになった。
趣味や食事の好みが変わってきた。
メールのやり取りが多く内容を隠すようになった。
携帯の料金が以前より高くなった。
お風呂の回数が変わった。
会話が少なくなってきた。
こういったことがあったら、浮気に注意しましょうといわれています。
逆に、こんなことをしていたら、浮気を疑われる可能性があるということです。
でも、これって、半分くらいはうつの項目ですよ。
仕事がたまってしまうので、残業休日出勤が増える、食欲も減少する、
会話が少なくなり、頭が回転しないので、電話も長くくどくなり、電話料金も上がる。
趣味や食事の好みも、うつにあわせて、変わる。
メールの内容を隠すのは、自信がないから。確認したくなって何度もメールを送る。
うつになると強迫性が強くなって、手洗いを繰り返したり、風呂に繰り返し入ったりします。
ですから、パートナーが浮気しているのかなと思う一方で、
パートナーはうつじゃないかなと一度は考えてください。
盗聴器をつける人もいます。
年間で数十万個の盗聴器が販売されています。また、CCDカメラも容易に購入できます。
どちらもつけるのは簡単ですが、発見はなかなか素人では難しいもの。
貴方のまわりで自分の情報が漏れていると感じたことはありませんか?
『昨日電話で友人と話していた内容を彼が知っていた』このような事例は実際よくあります。
結局彼氏が盗聴器をつけ、24時間彼女を監視していたことが判明。
時代はもはや、「自分の身は自分で守る」という形へと変化してきています。
あなたにできることは「確認してみる」ということ。
不安のない日々を送るためにも、お早めにご連絡ください!
で、連絡すれば、盗聴器などを見つけ出してくれるそうです。
パソコン、携帯、電話、部屋の会話、これらは全部筒抜けだと思ったほうがいいです。
むしろ、汚い字のメモのほうが、判別不能で、便利かもしれません。
浮気するならまず離婚した方がいいです。
それじゃ、浮気とは言えない?
結婚を継続したままで浮気をしたいなら、
どんな結末がありうるか、よく考えて、その上で行動してください。
最悪、離婚と慰謝料です。
それでいいなら、何も怖いものはありません。
たとえばの話、
離婚が成立していなくても、
「婚姻が破綻していて、離婚の意志がある」と明示しただけで、
あとの恋愛は自由です。
たとえば、内容証明郵便でもいいし、
離婚調停申し立て手続きでもかまいません。
医者に相談して、公的な記録が残っていれば、
あとで証明することもできます。
破綻主義ですから、破綻していることを日付つきで明示すればいいのです。
破綻したから恋愛したのであって、
恋愛が婚姻を破綻させたのではないと
明確に証明すればよいのです。
でも今の時代、盗聴器をつけなくても、電話会社で教えてくれる、
通話相手番号と時間の記録だけで、大抵のことが分かります。
盗聴器をつけるまでもないでしょう。
携帯には盗聴器をつけられないし、
会社の電話につけるには、内通者がいないと無理、それに、
別な方法もいろいろありますから。
また別の会社で。
・ふと気付くと会話が減ったり、一緒に出掛けなくなったりしていませんか
・帰宅時間が変わった。
・車の中にいつもと違う銘柄のタバコがあった。
・夜中に携帯電話で話しをしている。
・助手席のシートの位置が違う。
・ガソリンの減り方が異常。
・クレジットカードの請求が増えた。
・夫婦関係を拒むようになった。
やはり半分以上はうつで説明できます。
うつでセックスができなくなり、自信喪失して、
まずお店で試してみようという人も一定数いるものです。
ポケットにEDのお薬を見つけても、とがめないで下さい。
自信を回復したくて必死なのです。
クレジットカードの請求書は、店の名前まで出ますから、
浮気も分かりますし、むしろ、浮気ではないことが分かったりします。
明らかに三人分だったり。
土台、喫茶店やレストランで料金を払ったとして、
浮気とは全然いえないわけです。
極端に言えば、セックス中の写真を撮影される可能性のある場所でのセックスを回避すること、
これでいいそうです。
日本の法律でいう、「不倫」とはそういうことです。
精神的なことではないのです。
逆に、精神的に全くつながりがなくても、
セックスの現場を撮影されたら、法律的には、アウトです。
いつものように自己診断テスト。
浮気診断項目
1 家に帰る時間がまちまちである。
2 休日出勤が増えた
3 自宅では携帯電話の電源を切っている
4 自宅では携帯電話を手放さない
5 携帯電話にロックをかけている
6 携帯電話の着信音を消している
7 携帯電話を2つ持っている
8 携帯電話にかけるとでないが折り返しかかる
9 携帯電話の請求書が自宅に来ない
10 メモリーにメルアドだけ登録している人がいる
11 発着信履歴を消した形跡がある
12 深夜に電話を持って買い物や散歩に出かける
13 友人・同僚、上司との付き合いを強調する
14 聞いてもないことを自分から話す様になった
15 服やネクタイなどを自分で買ってくる様になった
16 「疲れた」をよく言うようになった
17 車の洗車をまめにしている
18 カーナビの履歴がリセットされている
19 車内のタバコの吸殻をまめに捨てているようだ
20 食べ物の趣味が以前と変わった
21 身だしなみを気にするようになった
22 気に入っている下着ばかりをはいている
23 クレジットカードの請求書、明細書が届かない
24 サラ金などからお金を借りているようだ
25 見知らぬ会社名から請求書が届く
26 帰宅後、すぐに入浴するときがある
27 帰宅後、目を合わせないときがある
28 一日の出来事を聞くと怒り出すときがある
29 疲れを理由にSEXを拒むようになった
30 財布などに避妊具を隠し持っている
31 自分の一日のスケジュールを聞きたがる
32 アクセサリーをつけるようになった・数が増えた
33 手帳に意味深なマークやしるしがついている
34 見たことのないカギを持つようになった
35 自分専用のパソコンを持つようになった
36 パソコンを触られると怒る事がある
37 みえみえの嘘をつくようになった
38 子供に関心がなくなってきた
39 家族での外出が減ってきた
40 何か考え事をしているようなそぶりをする
1コ~10コ 浮気をしている可能性 20% (浮気をしているとは言い切れません。もう少し様子を見ることが賢明です。
11コ~20コ 浮気をしている可能性 40% (浮気に発展するような行動をしている可能性はあります。事前に食い止めるのであれば今のうちに釘をさしておきましょう。
21コ~30コ 浮気をしている可能性 60% (浮気をしているといってもいいでしょう。ただし、推測だけで相手に事実を問いただすには時期早々です。決定的な情報をつかむのが先決です。
31コ~40コ 浮気をしている可能性 80% (かなり深刻な状態です。浮気につながる情報を集め事実の確認をする必要があります。
くどいのでやめますが、やっぱり、うつが関係あるような項目が目立ちます。
携帯とクレジットカードが主な小道具ですね。
携帯履歴とカード履歴でだいたい分かるらしい。
映画「ノエル」で異常に嫉妬深い男性が出てきますが、
その人は、フィアンセについて、上のような項目をチェックして疑いを深めています。
自分が病的に嫉妬深いのはある意味で勝手ですが、
そのことで他人を苦しめているとしたら、社会的な責任を取らなければなりません。
クリニックに来るのは、うつで、浮気の元気もない人。
パートナーに浮気を疑われ、うつになってしまった人。
一方、過剰にパートナーを疑って人に迷惑をかけた人をどうしたらいいか、
クリニックでは本人がいない場所で間接的に相談を受けているのですが、
最近では判例も積みあがっていますので、
裁判所で民事または刑事で罪を償うことになります。
こういったケースの場合、周囲が迷惑をかけている本人に
治療を勧めても無駄ですし、
人格に深く根ざした傾向であり、よい治療法もありませんし、
根本的に社会生活に向きません。
昔なら出家隠棲したところですが、もちろん、孤独な出家です。
他人に迷惑をかけてはいけないこと、
そのくらいは両親が人の親として、責任を持って教育すべきでしょう。
世の中が変われば、ストーカーという犯罪が認定されたりするのですから、
今後はこうした種類の「犯罪」も、認証が進むのではないかと期待しています。
「ごみ収集癖のおじさん」とか「奇声を発するおばさん」とか、子供を虐待する母親とか。
それなりに名前がつけられて認知される方向です。
大体は親がいれば、何とかなります。
庶民の抱く高貴な感情 山本周五郎「季節のない街」
中に、労働する最下層の人々の中に、
最も高貴な哲学者の達成や、最も深遠な宗教的達成と、
同等のものを見るといった意味のことが書かれていた。
最上級のものと最下級のものが、深い目で見れば一致する、
むしろ、思想も古典語も知らない庶民の生活と労働の中に、
自然が用意した最も豊かな実りがあり、人生があるのだと説いている。
例えば、死をいかにして受け入れるかということについて、
古来多くの哲学者や文学者が説いてきたのだけれども、
結局、安らかに死んでゆくのは、学のない庶民である。
平和な篤い信仰のうちに、静かに死を受容している。
それは真に尊い姿である。
みたいなことを言っているらしい。
目を転じて、手元にあった山本周五郎「季節のない街」をめくってみる。
中の短編「枯れた木」を読んで、庶民に中に生きている真実の感情や思想というものが感じられた。
さすがである。
してみれば、堀田善衞の作品なども、山本周五郎の一短編に及ばないとも思えてしまう。
易しく言えることを、モンテーニュは難しく表現し、堀田は難しく解釈し、それを読んで私は疲れた。
疲れを癒してくれたのは山本周五郎であり、ごく短い文章であり、
その中に、モンテーニュのたどり着いたすべても、含まれていると感じるのだ。
NHK 7時半の超人 「クローズアップ現代」 国谷裕子
週に何度かある。「クローズアップ現代」。
してみると、7時半からレギュラーでキャスターを担当している女性は
超人に違いない。国谷裕子。
テーマに沿って30分ですぱっとまとめる。
これはすごい。
次の総理大臣にしたい。
いやぜひなってもらいたい。
そしてまずNHKを改革して欲しい。
それはそうと、今日の7時半は、犯罪被疑者の海外逃亡についてであった。
海外出身労働者が増えると、必然的にこんな問題が起こる。
社会として、どのような選択をするか、決めなければならない。
「だから」そのような人達は要らないのか。
「にもかかわらず」是非必要なのか。
「実は」日本社会として改善点があるのか。
適正な選択が必要である。難しいが、これが政治的課題というものだ。
もうひとつニュースであるが、
拉致事件解決に向けての交渉のこと。
堀田善衞「ミッシェル 城館の人」の中で、
パリやフランス国内での殺戮や疫病についてさんざん繰り返し書かれている。
拉致監禁なども出てくるのであるが、
現代日本で隣国によって拉致監禁事件が起こされるなんて、
私が育つ過程では注意されたこともなかった。
しかしあり得ることで、これもまた被疑者海外逃亡と似て、
日本の刑法では裁ききれない部分である。
もう一言言うとして、
最近は判決が出るたびに、
ニュースで裁判官の顔を写し、名前を提示する。
良い面も悪い面もあると思うが、実際、気の毒である。
第一、他人に「判決」を下し、運命を左右するなんて、
簡単な気持ちでできるものではない。
どんなにかストレスだろうかと心配になる。
ショッカーとウルトラマン
少しだけショッカーのことを書いたが、
ついでなのでウルトラマンとの対決のメモを。
当時、ウルトラマンが仮面ライダーに先行して
地位を築いていた。
ウルトラマンは組織を相手にせず、単発の企画で
興行を継続した。それでも対戦相手に窮することはなかった。
いまなら大晦日のK1みたいに、一年に一回くらいがせいぜいだろう。
しかし当時は世相が違った。
実は、東京タワーの補修費の一部が、ウルトラマンおよび悪役怪獣に流れていたらしい。
ウルトラマンは原則として週に一回、東京タワーを壊してしまう。
当時は破壊したものが補修する制度はなく、国と東京都で費用を分担した。
当時の美濃部都知事の名前の入った領収書が大手ゼネコンに残っている。
その領収書の金額を算定してみると、
ウルトラマン発足の当時からすれば、
中盤に向かって、補修費は増大して高止まりしたことが分かっている。
ゼネコンで仕事を割っていた。
週に一度、建て替えが必要といっても、いつも同じものを作るのだから、
だんだん要領が分かってくる。
どうせ来週壊れるものを入念に造るはずもない。
工事はなあなあで進められ、
安全面で問題になりかけたが、それは表面化しないで済んだ。
そのかわり、工事費も、予算のちょうど100%で済ませていた。
東京タワーのすぐ近くで営業している老舗、野田岩のある店員は、
当時、近所の人は、東京タワーは危ないとうわさになっていたが、
地方から来る人は知りようもないので、かわいそうなことだとうわさしあっていたと語る。
東京タワーのエレベーター事故も、ウルトラマン戦の巻き添えとして報告された。
美濃部都政は対策を考えた。
大手ゼネコンよりは一段格下の某工務店が参入を希望していたので、許可し、
工事にあたり、被害の状況を詳細に報告させた。
すると、ウルトラマンと怪獣の仕業ではない、工事の手抜きの現状が明らかになった。
これには大手ゼネコンもあわて、抜きの改善に着手した。
腹立ち紛れに、某工務店の仕事の問題点を詳細に報告し、
自分たちの技術力を誇示したこともあった。
当時、技術力の差は歴然としていたらしい。
当然、ここで工事費は跳ね上がり、高止まりになった。
しかし、依然として、設計作業もいらず、図面も同じものを使えばいいので、
少し金が余った。
ウルトラマンはそこに目をつけ、ゼネコンに金をせびった。
その金のおかげで、ウルトラマンは興行の人気をあまり気にしないで済むようになった。
新規土木事業によって道路や観光拠点を作り、周辺地価を押し上げ、
地元住民を豊かにし、政治家、役人、土木業者、農民のすべてが儲かる仕組みが
中心だった時代に、
ウルトラマンは、「開発が終わってしまった時代に、どのようにして税金を持ってくるか」の
ノウハウを蓄積していった。
これから日本でも盛んになるだろう、「建て替え型」の土木事業である。
アメリカで起こった橋の崩落事件は記憶に新しい。
あれと同じことを、ウルトラマンは実行し、間接的に公共事業費を受け取っていたわけだ。
そんな中で、後発の仮面ライダーは、というより、主にショッカーが、
東京タワー利権に食い込もうと策略した。
仮面ライダーは他人を巻き込まない場所での対戦が多かった。
ライダーキックの都合もあって、切り立った岩壁があったりすれば、よかった。
砂浜で対戦した結果、漁業に支障が出て、休業補償を求められたこともあった。
残念なことに、公共事業費に食い込む余地はないと思われた。
仮面ライダーに、安価に、腕力だけで、東京タワーを壊してもらえないか、
野田岩でうなぎを食べながら検討を重ねたが、無理だと分かり、
野田岩の請求書を踏み倒したことも記録に残っている。
しかし当時考案された、「着ぐるみ作戦」は、後になって役立った。
これは、仮面ライダーが大きくなることはできないので、
大きな相手が来たときには、操縦席に座り、大きなロボット兵器を動かすというものだ。
ウルトラマンが地球に招いた怪獣の連絡先や
最近の興行成績までチェックは終了していたらしい。
後の、ガンダムなどの流れにつながる。
ウルトラマン側は、ここでは東京タワー利権を死守したものの、
その後は、破壊者再建責任法の施行にともない、衰退してゆく。
ダルビッシュとショッカー
日ハムのダルビッシュが期待以上の投球をして
日ハムが日本シリーズの初戦をとった
ダルビッシュの長い腕がよく撓り
ボールは激しく回転し
ホームベースのあたりで急激に変化する
ダルビッシュの投げる球はまるで
卓球のボールみたいにスピンがかかっている
そのようすが テレビ画面からわかる
空振りをする様子で伝わってくる
52型フルハイビジョン液晶の最適コンテンツのひとつだと思う
*****
一方で、放送の合間には、
新しいパチンコ台
ショッカーと戦う仮面ライダーたち という趣向らしい
ショッカーという軍団くらい、
戦略に欠けた集団も珍しい
長期ビジョンを発表したこともないし
派閥も内紛も聞いたことがない
フラットで場当たり的な素朴な集団なのかと
一瞬思うが、そうではない
そんなはずはない
目的は世界支配ではなく、
世界に現在のまま寄生し続けることである
仮面ライダーを
実質支えているのはショッカーである
ショッカーがいなければ
仮面ライダーは無用の長物なのだ
発生原理から説明すると、
仮面ライダーよりも先にショッカーが成立している
ショッカーが人体改造しようとしたものの、
ある種の失敗が生じ、そこで仮面ライダーが誕生したと説明される
当然、それは失敗ではなく、シナリオどおりなのであって、
ショッカーという組織を維持するために、
仮面ライダーが必要だったのだ
仮面ライダーの立場に立って考えてみよう
そのように道徳科で教えられるのだから
容易に分かるように、ショッカーがいなくなってしまったら、
仮面ライダーは生活できない
仮面ライダーが怪我をして2年くらい休養しても、
ショッカーとしては、マスコミ対策で別のことを考えればいいだけで、
たいして打撃にはならない
代わりの仮面ライダーを作るとしても、
簡単な技だけでいいのだから、とりあえず人選も難しくない
社会人としての仮面ライダーは不安定なのだ
資格もないし、技といっても、
「子供が容易にまねができて、誰も怪我をしない」
ものに限定されるのであるから、
技で差別化することもできない。
いずれにしても、ショッカーを本気で撲滅するために
仮面ライダーがいるのではない
本気なら、仮面ライダーは、ボスを相手にして、必殺技を繰り出すはずだ
しかしそれはしない
ただ週に一度、負け役の怪人を相手にして、
安全にライダーキックをしてみせる
ショッカーが消滅すれば仮面ライダーも過去の人となる
むしろショッカーを維持するための装置が仮面ライダーとの
週に一度の興行である
ここは最大の注意を要する
隣国が悪い奴だから、防衛費を削ることはできない
という理屈で説明することが多いものだ。
つまり、ショッカーが悪いから、仮面ライダーはますます重要だ!
なんて日テレで宣伝している
でも、
隣国を援助するために、隣国には悪役になってもらい、
こちらは正義の味方を演じる、
そのようにすれば、援助をする代わりに、
正義の味方というポジションが得られるという、
Win-Winが成立するのだ。
仮面ライダーは、個人営業で経済基盤が圧倒的に弱い。
ショッカーとの興行を組んでもらい、胴元から興行代をもらい、それを申告し納税している。バイク屋で生活しているのではない。これは国税が把握しているとおりである。一方のショッカーは、自分たちが悪役を演じて興行代をもらい、それをやっつける正義の味方とほぼ同額の興行代をもらっている。胴元は仮面ライダーの多分二倍程度の収入になっている。
こういう仕組みの中で、ショッカーは、仮面ライダーに、キックバックを要求するのである。仮面ライダーはそれを拒めない。悪役と正義の味方で役を分けた場合、金を払ってでも、マスコミ用に、正義の味方のポジションがほしいものなのだ。
そこを見越して、ショッカーはぎりぎりまでのキックバックを要求する。その契約が成立しさえすれば、後は、悪役を引き受けながら、財産保全と次世代の育成だけが仕事になる。ショッカーの場合、次世代に血縁を当てることはしないらしいが。
経済格差拡大の結果、
ショッカーになりたいと志願する人を確保することはできていて、
当面は困らないそうだ
グローバリゼーションの中で、
ショッカーの国際化も容易なのかと思うのだが、
各国にショッカーに相当する組織はあり、
さらに税制の問題があり、難しい。
ショッカーに必要な言葉は非常に限られていて、
その点では実にグローバルであるが、
日本の特殊性を反映して、高機能携帯を使えないと、
現場に朝集合することが難しいらしい。
そのことを他国人に強制できないし、
他国で活動するとして、携帯のインフラが弱い。
携帯がないと寂しいし、仕事の連絡にも困るし、ゲームもできないし、
目覚まし代わりにしているので、朝も起きられないし、
結局、組織としては現状維持を選択したようだ。
仮面ライダーの側も、海外興行は利益率が悪いので渋ったらしい。
ショッカーは一時、ユーザーとしてではなく、
携帯会社として国際進出を検討したこともあるが、
隊員は極端にIQが低く、
一方、有能な人間を入れると、今のままの組織では運営できないと考え、
無理だと結論した。
失業対策の側面で言えば、
自衛隊に入れば、軍事行為ではない行動という名目の、
しかし自衛隊でなければならないらしい、
ガソリンスタンドの任務に当たらなければならない。
そんなものにかり出される危険をおかすよりは、
ショッカーの方が安全でいいという若者も増えているようで、
ライダーキックで倒された後に、泡になって消滅するのはやりきれないが、
それは単に映像処理であることが、放送が面を見ていても明白で、
ショッカーに入るときの心理的妨げには全くなっていないらしい。
自衛隊なら自動車整備士になる道もあるが、
ショッカーはそのように仕組みはなく、
自分で自己啓発しなければならない。
組織がある程度大きいので、
最近ではメンタルケアの必要が法的に要請され、
EAPなどの導入が決定している。
しかしショッカーはその経費も削減したいので、
組織は別にするが、実際は一体の組織としてのEAPを
組織するということだ。
実際、ストレスの大きい、気の毒な職場である。
それを外部の人間が詳細に知り、
一種のマインドコントロールを解除してしまうと、
組織の側も困るのだが、隊員の側も、
長期にわたるPTSDと喪失感による
精神的不全を経験しなければならない。
隊員確保のためにも、
ショッカーは、新自由主義に賛成なのだという
ホリエモン、オリグチの成功と、ショッカーの勢力維持は
表裏一体なのだ
ショッカーから総理大臣を出したいとは思っていない
(ここであることを書いたが、自己検閲した)
いずれにしても、ショッカーは法人としても税を払っていないし、
メンバーは低所得だから税をほとんど払っていない
正式の雇用契約もない
だから消費税にはどちらかといえば反対である
しかしそれ以上の給付が約束されるなら、賛成するとも言い
組織の類型としては限りなくフラットで、
階層構造はなく、
直接ボスからプライベートメールが飛び込む
思想の根拠としては
アナルコ・キャピタリズムを基礎にしている
アナーキーなキャピタリズムということだが、
相続税を100パーセントにして、
みんなが同じスタート台に立つということ、
そしてその後の競争は、フリーマーケット方式ということ、
これが原則である。
だから、世の中ではびこっている、二代目、三代目は、成立しようがない。
ショッカーのメンバーは、だいたいが財産に乏しく
むしろ負債を抱えていることが多い。
アナルコ・キャピタリズムの原則に従い、
最初の資産はなし、全く平等にショッカー生活をスタートする
ここで、自分の借金をゼロにしてもらえるのだ
これは現実にとても大きな魅力だ
そしてその後は全く自分の努力だけで生き抜く
コネなんか一切なし
といっても、努力の内容としては、ライダーキックを受けるときに、
急所をはずして、かつ、派手に吹っ飛ぶという、技で、
ライダーキックが単純な技であるように、
ショッカーに要求されている技能も、単純なものである。
トヨタなどの一般社会では、
「蹴られる技」の技能大会を開こうということになるが、
ショッカーではそのようなことはしない
そんなことは学校時代だけで勘弁してくれと反感をもたれるらしい。
一方、偉くなる人、儲ける人は、制限がない
税金は安いし、ポストならばいくらでも新設すればいい
たとえば、社会保険庁の解体が決まると、
厚労省は新しい組織と権力の新設を画策している。
ショッカーは日本国の中にできたもう一つの国のようなところがある
誰でも考えることだが、
ショッカーはなぜ同時多発テロ攻撃を発想しないのか、
そこにショッカーの正体を知る糸口がある
週に一回、仮面ライダーと一騎打ちをして、いつも負ける
それはマスコミ興行というもので、プロレスと同じだ
仮面ライダーというネーミングも、
まさにプロレス方式である
第一、仮面ライダーは「仮面」とは全く関係がない
変身ライダーなのだ
必殺技も、ほぼ原始的な、プロレス技を踏襲している
ロマンはあるが実効性はない
ライダーキックというネーミングとその実態は
力道山の空手チョップとか
ジャイアント馬場の16文キックとか
そのあたりのテイストがくっきりしていて
文化人類学的に
縦にくっきりと一筋、素敵なラインが刻まれているのだ
ショッカーの今週予定の怪人が東京で仮面ライダーを足止めしている間に、
同時多発的に
福岡、愛媛、広島、神戸、大阪を制圧して、地方マスコミを独占、
ゴルバチョフとショッカーの歴史的相互理解などを演出する。
雪の降る地域は貧しいので放置しておいても、
ショッカー入隊者は維持できる。
料理が好きなので利尻昆布の北海道ははずせなくて、
京都から金沢をおさえ、
大館などの小京都で宴会の場所を確保、
おおむね北前舟のルートを占拠する。
*****
そんなことを思っている間に日ハムは勝ち、
勝利監督インタビューは、
最後に言った事を大胆に膨らませるという
大胆な技を「通訳」が展開している間に
途中でコマーシャルが入って終り
全く誰も興味がないのだということが分かり
私たちも別の話題に移っていった
Panalion
panarion をタイトルにしようと思った
古い言葉で 薬箱 のこと
薬籠中のもの なんていうときの 薬籠 という訳語が使われる
しかしそれでは何とも大げさな名前をつけたようで申し訳がないし
私は日本耳だからrとlの区別なんかつかないわけで
スペルミスをしてpanalionとすることに決めた
そうすると、pana+lionみたいになり、
この子はライオンじゃないけれど、ちょっと喜ぶかと思った
この子はso-netを使っていることでも分かるように
sonyの方が好きなので、
sonalion のほうがいいと駄々をこねたが、
一応納得した
本名はpanalionで ペンネームを sonalion ソナリオン にするそうだ。
そういえば、命名というものは、自分では名前を選べない、
親の独占的権力であり、それはおかしな制度であると、
うすうす気付いているらしい。
自分の名前を親が決めるなんてなあ。
そういえば、panasonic はpan+sonicで「至る所に音」の意味になる
広汎性静寂で、これは禅みたいだ
本当はpan+electron で 造語すればよかったのにね
panele なら パネーレ で エレガントでいいなあ
*****
薬の名前は紛らわしいのが多くてみんな困っている
新薬はまだしも、ジェネリックを含めると、電子カルテで検索してもややこしいこと限りない
私有コミュニティについて
フリードマンは国家は私有コミュニティで代用できるとする
*****
完全な自由社会に対する反論でよく見られるものの一つは、道路・歩道といった公共設備の供給や、夜間大音響で音楽を楽しみたい私とベッドで眠りたい隣人との利害衝突といった外部性問題の解決には政府の介入が必要であるというものである。そしてそれに対するリバタリアンの反論で時折見られるものの一つは、このような問題の大部分は私有コミュニティによって解決されるというものである。集合住宅を供給する住宅開発会社は道路や歩道も作る。家を購入する人は公共設備を使用する権利とそれを保全してもらう権利を得る。購入者はあらかじめ設定された算出方式に従って公共設備の維持費用を分担することに同意する。
そのような私的な解決は実際によく見られるものであるが、それは外部性についてもうまく対処している。私の同僚がよく言っていたものである。自分の住む(私有)コミュニティでは近所の許可なしにドアの色も変えられないんだよと。それは契約条項の一つだったのだ。マンションというのは一つの建物に全住人が入るというだけで本質的に私有コミュニティと同じだが、その契約には隣の部屋に不当なコストを負わせる行為に関連したトラブル解決ルールが含まれているだろう。またどのような私有コミュニティにおいても、新しい状況に対処するために契約の当事者たちがそれを修正できるということは多いはずだ。
こういう私的な制度は興味深い問題を提起する。どういう意味でそれらは政府でないのか?知人のイギリス人はマンションの共同管理組合と地方自治体は本質的に同じだと言っていた。それらはいずれにしても彼がある特定の場所、つまり地方自治体の中のマンションの一室に住むという行為に対して何かしらの権威をもつ。どちらの団体も彼にルールを課す。またどちらも彼に「課税」する。(マンションがその管理費を税金と呼ぶことはないが。)どちらもルールと税金を民主主義的方法で課す。(一方は市民の投票で、もう一方はマンション住民の投票で。)ではマンションの共同管理組合が一連の問題のよい解決法だとして、いったいそれはどういう意味で私的な解決と言うのか?別の言い方をすると、そのような制度がマンション共同管理組合あるいは私有コミュニティと呼ばれるときはリバタリアンは是認するのに、なぜそれが政府と呼ばれるときは認めないのか?
この問題に対する一つの答えはリバタリアンの自然権の議論から出てくる。つまり私有コミュニティは政府と違って他人の権利を侵害することなしに存在している。住宅開発会社はまず土地をそれらの所有者から買い、政府的な制限が契約に含まれていることに同意した購入者だけに売る。一方、地方政府が存在するのは、過去のある時点において住民の多数派(場合によってはその場所が立地する国の多数派)がそれを作ることを決めたからである。同意していようといまいと、それら多数派がそこへ住んでいるすべての人間に自分たちのルールを課す。
この答えは妥当なものである。だがそれは多くの非リバタリアンを納得させるものとは思えないし、私にとってもおもしろい答えではない。この小論の目的は別の答えを提供するものであり、それは権利に対する特定の見方に依存しない。「政府的な」制度があったとして、なぜその存在の仕方が問題になるかということについてはもっと実用的なよい理由がある。そしてこれはその過程で誰かの権利が侵害されるかどうかといった話とはまったく関係がない。
地方政府を作ったり改革したりする政治も似たようなものだと思うかもしれない。有権者も結局のところ魅力的な制度のもとで暮らしたいし、したがって新しい地方政府を作ったり古い地方政府を改革したりする政治的企業家も魅力的な制度を作ろうというインセンティブがある。これはある程度まで真実である。だがそのインセンティブは私有コミュニティの場合に比べればずっと小さい。民主主義がその機能性で資本主義にとうてい及ばないのには理由がある。
一つは有権者個人に、提案された政治的変化が実際彼の利益になるかどうかということを知ろうとするインセンティブがほとんどないことである。実際に起こることについて彼の一票は小さい影響力しかもたないからだ。一方、コミュニティの購入者個人は家を買うか買わないかということで「投票」する。彼が反対票を投じるなら、ある特定の制度のセットのもとで彼が暮らすことはない。彼が賛成票を投じるなら、家を買う前にその制度を調べてみる強いインセンティブがある。少なくともその住宅開発会社が以前に販売したコミュニティについて、現在における資産価値と公共設備のコンディションをきちんと調べようとするだろう。
政府の最も重要な特徴の一つはそのサイズである。平均的なアメリカ人は、少なくとも何万人おそらくは何十万人もの市民が暮らす自治体に住んでいる。一方、マンションあるいは私有コミュニティの平均的な住人はだいたい100人程度の「私的政府」のもとで暮らしている。このことはけっして偶然ではないだろう。
もの思へばはかなき筆のすさびにも心に似たることぞ書かるる
男女二人でいる時に、
無論いろいろなことをして退屈はなかったのだが、
紙に言葉を書き付けて遊ぶことがあった。
絵であることもあり、
詩文の一部であることもあり、
自作の言葉であることもある。
それは現代の男女も同じで、
たとえばはやり歌を口ずさみ、
自らの心を託したりもする。
あるいはお互い知っている歌の歌詞の一部を口にする、
あるいはメールで送る、メモに書く、
ことにより、思いがけない心を伝え合ったりしている。
たとえば、深く思ってはいけないはずの人なのに、
いつしか思ってしまったことだと二人は知ってしまったりする。
松任谷由実などなら多少の年の差も飛び越えることができるし、
今井美樹でも、まあ、チャゲアスでも用は足りる。
共通の文化的背景がないと通じないけれど、
ふと書いた断片的な言葉で、
いままで潜在的だった心が顕在化することは、
大いにあることで、
死にたいなんて思っていなかったのに、
ふと「死にたい」と書いたことで、
決心が固まったりする。
関係に踏み込もうなどとは思っていなかったのに、
ふと「今日の予定キャンセルになりました」と
秘書が部長に伝えると、
そのあとはもう、シナリオをずっと考えていたみたいに、
事柄が罪深く進んでしまい、
世の中の定まり通り、
妻に知られ、男は曖昧に逃げ、
女はメンタルクリニックで安定剤をもらうのだ。
それはもう、秘書として配属されて、
部長の香りを嗅いだ時に決まったようなものだった。
シュールリアリズムの時代に
自動筆記という楽しみがあった。
精神分析の影響で、意識は検閲の結果であると考えられ、
検閲以前の無意識の層の記述をするために、
意識作用を排除して、無意識層をそのまま自動的に記述する。
男女が何かしながら、口から出る言葉、
男女が筆を遊びながら、ふと書き付ける言葉、
それは自動筆記だ。
そこに書かれた言葉は、
自分の心の意外な一面を教えてくれるという和歌で、
とても現代的な、上智大学心理学科卒業の真央ちゃん的歌である。
そば屋「どんどん」
高輪口降りて横断歩道渡る、京浜ホテル一階。
早く軽くすませたい時に使う。
カロリーカットにも最適。
夜遅く行くと中国の人たちがたくさんいた。
ーーー
この記事を書いたのが2006年11月1日のこと
今ここの一帯は取り壊されてバチンコ屋である
うらめしや。成仏しろ。の翻訳。
お岩が恨んで出ると
「うらめしや」という
This is cruel.
それに対して
「成仏しろ」と切りつける
その時のセリフは
Enter Nirvana!
一念通さでおくべきか
という部分は
One year ・・・と多分誤訳
四谷怪談
木下順二「本郷」
描かれているとおり、本郷は文化の蓄積が厚い。
しかしながら最近の情勢では、急速にオフィスビル化していて、
昼夜の学生向けの商売や文化も繁盛しないようである。
学生の行動半径が拡がり、特に本郷にこだわりはなく、
通信技術の発展もあり、本郷は「住む」所ではなく、
「通過する」ところに変わりつつあるようだ。
本郷が最終学歴でもなく、アメリカの大学で本当の勉強をしたと
公言することも増えていると思う。
この状況で、本郷を懐かしがるのも珍しいだろう。
実際に住んでみると、スーパーに乏しく買い物に不便で、
現代的な町ではない。
だからこそ価値があるのだろう。
西片のお屋敷などには御用聞きが出入りしているのだろうか。
エピソードのひとつとして、
旧地主として父の生きている感覚、
そして著者がそれを受け継ぐことを拒否した経緯が描かれている。
そのような場面もあったものかと思わせられた。
フォークナー「死の床に横たわりて」
高齢の女性はいままさに死のうとしている。
枕元では棺を作る音が響いている。
女性は自分の遺体を父の眠る墓地に埋めてほしいと希望していた。
しかし何となく雨が降りそうで、雨が降ると道はぬかるみ、
運ぶのも難儀そうである。
もう運んでしまおうという意見さえ出始める。
もう変わりはないだろう。
傍らでは棺桶ができつつある音。
翻訳の佐伯彰一には英文学を教わったことがある。
学生よりも数段次元の高いことを考えていることがよく分かるような、
そんな先生だった。
そしていま私は考えるのだが、
教養は何のために?
汝や知る 都は野辺の 夕ひばり 上がるを見ても 落つる涙は
うらうらに 照れる春日(はるひ)に 雲雀ひばりあがり 情(こころ)かなしも 独りし思へば 家持
を思い出す
餃子の出てくる話
堀江敏幸「ピラニア」では、料理店の店主の来歴が紹介されている。その中で、餃子を作る様子と、それが結局余り上手ではないことが描写されていた。
そういえば、と思い出してみた。
伊丹十三「おんなたちよ!」の中では、イギリスで著者が餃子を手作りして友人たちに振るまい、好評だったことが記されている。
餃子の皮を自分で作ることが肝心であり、これを既製品ですませるのなら、
餃子など食べない方がましなのだといったような意見がついていたと思う。
「ピラニア」の中でも、餃子の皮をいかに作るかが軽く説明されていた。
一方、莫言の作品の中に、中国に住む餃子名人のほら話が登場する。
印象に残ったのは、餃子というものはまことに玄妙な食べものであって、
世界的な食糧危機を乗り切るには餃子を普及させるしかない、
なぜなら、食糧危機を乗り切るポイントは、全人類が菜食主義者となることであり、
そのためには、肉の味も、エビの味も、野菜だけで自在に創出できる、この餃子こそが重要である。
そんな嘘の話である。
あと、山本周五郎も餃子について何か書いているような気がした。
実際の食生活では、先日、既製品で、温めればよいだけの、
ふかひれ餃子というものを食する機会があった。
水餃子の一種である。
一人で食べたのであるが、味は、腐っているような味で、
誰かに文句をつけたい気分であったが、
誰にしても不愉快な話であるから、
個人の内部で消化して、誰にも伝えなかった。
別段下痢するということもなかった。
そのあとにもう一度、中華料理屋のセットのようなものに、
野菜いっぱいの餃子が一つだけ含まれていた。
餃子を油であげて温めるのは何となくしつこい感じがして、
水餃子のほうが好ましい気がする。
場合によっては、電子レンジで温めて、そのまま食べることも、
好ましいと感じている。
料理店の店主の話を読んでいて、
今後の人生を乗り切るには、
食事を自分で微調整することが何にもまして肝要である気がしてきた。
こんな一大事を他人に任せておいていいはずがない。
韓国産の餃子かシュウマイの話で、余り推薦できない、思わしくない食材を使っていたとの報道が遠くない昔に、あった。
その後、報道によれば、当事者は、
そのような「食べてはいけないような食材」は日本への輸出用に使っていたものであり、韓国国内向けには一切使っていなかったと弁明したらしい。
なんじゃ?
そういえば、こんなこともあった。
昔、チェルノブイリ原発が爆発して放射能漏れを起こした時の話だ。
地域では白血病の発生率が高くなったりして、
痛ましい話が続いていた。
そんな中で、イタリアが、オーストリアから輸入したウインナーの中に、
高濃度の放射能を検出したとかで、
国際問題として、オーストリアに申し入れた。
オーストリアでも問題視して、調査した。
結果は、原材料の肉に放射能が高濃度に含まれており、
その輸入先は、イタリアであったとのことだ。
イタリアは、ロシアから輸入した、汚染された葉っぱを家畜に与えたものであるらしい。
まあ、そんな具合で、餃子やウインナー・ソーセージなど、加工された末の食品は、どうしても、一部は品質があやしいのである。
そのあたりを考えても、今後、食糧の管理を自分自身でしていきたいと念願している。
ついこの20分くらいの念願であるけれど。