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気ままな生活

天気予報さえ気にしない気儘な生活が続いている。
さっきビデオを確認しようとして久しぶりにテレビをつけた。
日本海側では雪との画面が出ていた。
大変なんだな。

このように社会から奥まった場所から、
世間を見物するのも、
悪くない気持ちはある。
ただ、自分の人生の資産が日々衰え少なくなって行く気がして、つらい。
しかし一方で、わたしは血色もよくなり、髪の毛もシナシナになってきた。
夜中に無茶食いすることも減ってきた。
総じて健康な方向に向かっていると考えてよいだろう。

よく見たら銀行通帳の数字は減るばかりだ。
それだけが気がかりであるが、
なくなったらまた本気で働けばよいではないか。
そう思っている。
何をするために生まれてきたのかいまだに分からないわけだから、
何をしたら充実した気分になるのかも分からないでいる。
そのあたりは明らかに本能の衰えであろう。
それも、もう少し時間を待てば、徐々に回復してきそうな感じはする。
自分の手の甲を見て、血色よく、体調はかなり改善していると思うのだ。
以前は何かというと鼻水が出たり、そうでなくても、薬に頼ることも多かった。
いまはそんなことはなく、自然に健康に向かって暮らしいている気がする。

コントレックスの1.5Lビンをスーパーで見かけたら、
とても高いのでびっくりした。
こんなところで経費がかさんでいるらしい。

気儘な生活を喜んでいるわけではない。
しかし折角だから体験してみようという気分になっている。
人生はいろいろだ。

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賞味期限切れの食品について

実際には害はないけれど、
味が明らかに落ちるという人がいる。
わたしには正直、よく分からない。
私は得していると思う。
何でもおいしいと思って食べているから。



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あと一週間でクリスマス

クリスマスにあと一週間くらい。
今日は静かな日曜日だ。
穏やかに寒い。紅葉はまだ終わりではない。
新聞には、日比谷公園の紅葉がやっと最盛期と書かれていた。
例年より遅いとのことだ。

ある年のクリスマスを思い出す。
25日、最高に陰鬱で暗い一日だった。
そして26日には春が来たかと思われるような、
暖かな光と、海からの南風に恵まれた。
これがクリスマスの意義なのだと思った。
一年の一番暗鬱な日を慎ましく敬虔に過ごし、
その次の日から、祈りは聞き届けられ、
暖かな春の祝福を感じ始める。
季節が反転する、まさにその日が25日だった。

例年、私は春一番が待ち遠しかった。
春一番が吹きましたと報道されるとほっとしていた。
浮浪者の人たちも多分、待ちわびている知らせだろう。
ああこれで、この冬も乗り切った。
とにもかくにも、冬を越えたのだと感じられる。

わたしは風呂に入りながら、
冬を乗り切ったことを感謝しつつ、希望のようなものを感じていた。

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秘密基地

その頃私の生活はその部屋での活動が全部だった。
食事とフロの時には帰るものの、
それ以外は、仕事も睡眠もテレビの視聴も読書もコンピュータに向かっての作業も、もすべてその部屋で行った。
その部屋には私のすべてがあり、
必要な機能はすべて揃っていた。
本もあり、書類に囲まれ、かなりの雑貨も展覧していた。
電化製品がたくさんあった。すきまなく並べられていた。
ある人はその様子を見て、
「ここが秘密基地」と形容した。
その通りで、他人には分からない秩序が厳然と支配していた。
その場所で私の仕事の能力は最大限に開花した。

いますべてが終わって、
何だったのだろうと思う。
最大の効率はあった、
しかし逆に言えば、それだけのことだった。
それが限界だった。
最大といっても、それっぽっちだったのである。
その仕事に満足だったかと言われて、
不満はなく、充足感もあり、報われてもいた、かなり満足だった。
しかしいまになって、
もう一度秘密基地を建設する気力があるかといわれれば、
多分、ないと感じている。
なぜだろう。
それはひとつの季節としては素晴らしいものだった。
しかしそれだけだ。
わたしは次の季節を生きたいのだった。
繰り返しを望まない。

作るとすれば、かなり違った秘密基地を作りたい。
目的も性能のかなり異なったものを作りたい。

大学受験の勉強を終えて、大学に入学した瞬間のような気持ちだろうか。
いま、フリーハンドで未来を描くことができる。
その時に、なにもわざわざ昨日までの習慣に固執することはないだろう。
ひとつの成功であったが、それがすべてではない。
世間的に言えば、勿体ないことではある。
しかしわたしは自分の人生のほうが勿体ないのだ。
人生の時間をゆっくりと熟成するために、
新しい秘密基地を作ろう。

目的も効果も違った秘密基地を作ろう。
生きるということの、別の局面を切り開こう。

いま私が不満を感じているのは、
私の脳を覚醒させる読書空間がまだ見つけられないでいることだ。
環境の中に何かが欠けているのではないかと思っている。
少しずつ研究していこうと思う。

しかしこんな状況も嫌いではないのだ。
新しい環境にどのように対処するか、
それは私の遺伝子が活発に動く局面でもあるのだ。

新しい環境の中で私の遺伝子と脳はどのような働きを見せるのか、
そのことを楽しみにしているのである。

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新しい紅葉

今日、窓から外を眺めると、
新しい一群の紅葉が目に飛び込んできた。
新しい感動がある。
こんな私にも、まだ、感動はある。



いま外に出て、夕日を浴びている紅葉を撮影すれば、
少しはきれいかもしれない。
しかし私はいまそれをしない。
倦み疲れているからだ。
紅葉の美しさも、たった一分の散歩に私を連れ出すことはできない。

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パスタを茹でる技

パスタは、最終的に食べるその瞬間に、最も適切な歯ごたえになって欲しい。そのためには、表示されている茹で時間を守らない必要も生じる。

また、ビタクラフト鍋の場合にどの時間がいいか、
トライアルを要する。
私は火を止めて、そのまま表示時間を待つ。
それで問題ないようだ。



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大衆芸能

演歌の世界を考えてみる。
歌詞は、もうとっくにネタ切れである。
無理をするとへたくそがばれる。
無理をしないと、どこかで見たような歌詞になる。
昔は、カモメ、海、酒場、女、煙草の煙、これに多少のアレンジ、これですんだ。そして、この定型で処理していた時が、演歌の黄金期だった。
最近はもう少しどぎつい歌詞で、抱かれるとか、帰りたくないとか、もう一歩具体的な情景に踏み込んだものも多くなった。
作曲に関してはよく分からないが、
もう限界で、どのように作っても、自然に作ればどれかに似てしまうのだろう。
似ないように作るには、無理をして、変な流れになってしまう。仕方がないだろう。気付かれないようにパクルのはかなりの技術だ。

そこまで考えてもう息も絶え絶えの状況なのだなあと納得して、
大衆芸能としての演歌に接してみると、
昭和の一時期に確かに完成されたのだと感じる。

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