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神の怒り

深夜3時
1時間位やんでいた雷がまた始まる
かなり大きな音
赤ん坊がいたら泣くだろう

偉大なる神の怒り
神聖な神の裁き

そのような連想に誘われる

ヴェルディのレクイエムで
ティンパニーの激しい部分がある

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ネット社会の良い点

ネット社会の良い点が実感できたのは
リナックスのときだった
リナックス関係のいろいろなソフトも充実してきて
とてもいいことだった
フリーソフトだけでいろいろなことが出来てしまう

支配も抑圧も搾取もない世界と
一瞬思う
現実にはいろいろあるに違いないけれど

リナックスが逆にマイクロソフトに変化をもたらしたこともある

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ネット社会の知性

ネット社会の知性のあり方は
知識の総体に関連付けが薄いこと

そして論理の訓練が出来ていないこと

*****
本で何かを学ぶことは、
全体と個別の関係付けを作っていくことだった

図書館という知識の総体があって
その中で物理学があって
その中の流体力学があって
というように目次を再分化していく作業があり
何かを勉強していると言うことは
たまり自分の頭の中の図書館の引き出しにインデックスをつけて、
場所を決めて、他の司式との関係付けをするようなところがあった。

最近はいきなりネットで検索である
Wikiでほどほどに必要なことは分かるし
次に何を調べたらいいかも分かるので
いいのだけれど
嘘が混じっていても
それを見抜くことが難しくなっている

書物の世界では
子引き・孫引きがあり、
翻訳があり、
どの段階でミスがあったのかを
検証するのが大好きな人もいた。

ネットの世界では
引用の体系も少しばらばらで
よく分からなくなっている。

人類の知識の総体の中でどのあたりの事を考えているものなのか、
その感覚がつかみにくい。
それがネット社会だと思う。

部分の詳細については調べ易くて
昔発売されていた
ビデオのリモコンのテレビ部分の設定の仕方なんていうのも
簡単に出てきて
やはりネットは便利である。

しかしそれで終わりになってしまうことが多くて、
個別の事象と全体のことや人生の事を結び付けて考えることが少なくなったと思う。
個別を全体の中で意味づけることが
あるいは意味づけをしなおすことが
文学の一つの方法なのだと思うが、
それがしにくいと思う。

*****
知識にインデックスがついていないで、
いきなりアルファベット順の検索をかけるような
知識のありかたといえばいいのか。
図書館がアルファベット順または日付順に並んでいる。
それはそれで合理的である。
しかし伝統的知識人の頭の中は、
分類がしっかりしていて、
かつ、個別の項目同士に内在する連関を発見できるようになっていたものだと思う。

*****
分類には常に不完全さがあり
それはずっと不満だった。
概略としてはそれでいいが、
新しいものはどこに入れたらいいかしばらく迷う。
また領域を横断するような知識体系もあるもので、
それについては場所に迷う。
迷ったときのくずかご的分類もあるから取り敢えずはいいけれど、
時間がたつにつれて、不満が出てくるものだ。

しかしそれはそれでいいのであって、
小学生が学問と出会うとき、やはり図書館の分類項目に従って、学習を進める。
時代が違えば少し違うものになるがそれでいい。

*****
欠如しているのは全体の見取り図である。
しかし考えてみれば全体の見取り図を提供するものが支配者であった。
いつの時代でも。
歴史も科学的知識も支配者の手によって編纂されて提供された。
支配者が変われば更新された。

ネット社会の特質は、本来、支配者を排除することだった。
中央集権を排除して、ヒエラルキー的につながるのではなくて、
ネット的につながるのが、趣旨だった。

だから全体の見取り図が欠けているのはいいことかも知れず
拒否し続けていいのかもしれない。
しかしまた、全体の見取り図のない不便さもあるのだ。

支配者が誰でも科学的真実は変わらないだろうと言うピュアな考えには賛成で
そうであって欲しい。
支配者が変われば実験結果が変わるなんてことは
本来ありえない。
しかし人間は政治的である。

全体の見取り図が欲しいと言うことはつまり支配者が欲しいということにつながるのかも知れず
それくらいなら混沌のままでいいような気もする。
秩序とヒエラルキーが欲しいのはこれまでの習慣だったような気もしてくる。

このあたりはもっと繊細に考えてみなければならない。

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ネット世界とメタボリック・シンドローム

ネット世界とメタボリック・シンドローム
これはもう大きな関係がありますね

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ジェネリック・メーカー

ジェネリック薬品を出しているメーカーは
みんな同じ程度というものでもない

もともとメーカーの下請けで作っていて
それを独自の販売ルートに乗せる会社もあって
つまりはメーカー品とまったく同じというものもある

ある程度有名なメーカーでは
成分は同じでもその他の成分が違ったりすることもあって
その場合はあまり有名でないジェネリック・メーカーの製品が実は
先発品と同じでよかったりする

しかしジェネリック品の特性も把握してその上で使えばいいのであって
下痢をする傾向があるのなら、
便秘気味の人に使えばいいのだし、
吸収の遅いものなら、血中最高濃度が遅れたほうが都合のいいような使い方をすればいいのであって、
要するに使い方ひとつである

水銀入りのマグロを食べて
マラカイトグリーンの入ったうなぎを食べているのだから
現代人はよほど丈夫なのだ

次の世代は赤ん坊の頃から水銀が蓄積しているし、
母親がアルコールを飲んだ経歴があればそれはしっかり影響するので、
さらに丈夫な子供だけが残ると思う

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ネット世界的食事

家族4人で外食
お兄ちゃんはケータイに夢中
お姉ちゃんはゲームに夢中
両親は無関心に当然の顔をしている
黙ったまま4人で食事

世の中全体がコミュニケーション能力をなくしている

食事をしていても
意識はネットの向こうとゲームの向こうとつながったまま

多分食事をするということが当然になっている
人間にとって食事をするということは最終目的のひとつであるのに
すべての努力をし尽くしてやっと食事にありつけるものだったのに
現代は当然のように食べている
するとそこに失感情が生まれ無感動無気力が生まれる
何も思う必要はないのだ

食事に対して能動的になる契機もない
受動的に待っていれば食事が出てくる
食べればそれでいい
片付けもなし
工夫もないししたがって気力も生まれない
そのうち味覚は外食産業用の味覚になり
メタボが進行する

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ピスタチオ

ピスタチオ
半暗がりの中で空を割る
割れないとき無理やりになり
これだからイラマチオはいらいらする
とどこかから聞こえてくる
まあ脚韻は踏んでいる

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ネット的環境

簡単に言うと
王子様にお仕えするお手伝いさんに
いつもかしずかれている
環境

たとえば太宰治が過ごした幼年期

そればそのまま延長して
自分の部屋にも
ポケットの携帯にも
お手伝いさんがいて
坊ちゃんはすごい
お嬢ちゃんは素敵
といい続けてくれている

肥大した幻想的全能感
ナルシスティック・サプライはネットの向こうにいつもいる

全能感はあるものの
力を行使できるのは
ネットの向こうの誰かに対してだけ
ネットの中ではすごいのに
現実の生活ではコンビニのバイトを削られている

小泉も安倍も福田も小沢もどうしようもないと言い散らし
しかしそのどうしようもない人の
決めた派遣労働で今日も働く

それを無力と思わないすり替えがどこかにある

*****
昔精神科病院には
「私は国連事務総長、主治医の君にだけは伝えておくよ」といいながら、
掃除の時間になるとまじめにモップがけを続けている人がいた。
国連事務総長も自分の住んでいる場所くらいは掃除するのがいいと思うが
そこはどこかを考えると
これが精神病に特有の意識の二重帳簿なのだ。
矛盾はあるが片方が片方を論理的に圧倒してしまうことはない。
奇妙に同居している。

ネット世界の住人は
自分は国連事務総長だと言うことはないと思うが
自分はかなりの情報を握っていて、自分をリーダーと思っているネット上の子分もいると
感覚してはいると思う。
そのことが現実の就職活動に役に立たないのは
特に矛盾とは思わない。
これは軽度の二重帳簿的事態だと思う。

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アンジェリーナ・ジョリーの半生

アンジェリーナ・ジョリーが
悲惨な半生を綴る

そうだろうな
でもそれで納得がいく

アメリカ人はそういう人を賞讃できるのかな

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千葉県、自治体病院対策本部設置 地域医療確保に本腰

千葉県、自治体病院対策本部設置 地域医療確保に本腰  
 
記事:毎日新聞社 提供:毎日新聞社 【2008年8月29日】

 銚子市立総合病院の診療休止問題などを受け、県は28日、9月に堂本暁子知事を本部長とする「県自治体病院支援対策本部」を設置すると発表した。対策副本部長は白戸章雄、植田浩両副知事が務めるほか、健康福祉部長、総務部長らが参加。医療整備課内に専従の緊急対策チームも設置し、「県の総力を挙げて」(堂本知事)地域医療の確保に取り組む。

 県医療整備課によると、県内の自治体病院は26あるが、病院事業の主な経営指標とされる「病床利用率」は04年度以降、ほとんどの病院で低下している。医師数の減少により、入院患者の受け入れが制限されて病床利用率が低下。さらに経営が逼迫(ひっぱく)という悪循環が起きている。休止が決まった銚子市立総合病院では、▽04年度73・3%▽05年度71・5%▽06年度64・3%だった。

 病床利用率の低下などにより、医療体制の変化を強いられる自治体病院も出てきた。07年11月には市原市民病院が診療所に変更、08年4月には鋸南病院が経営を外部に代行させる指定管理者制度を導入し、安房医師会病院が民営化した。浦安市川市民病院は09年4月の民営化を予定している。

 対策本部、緊急対策チームは実際に各病院を訪問し、医師、看護師の確保状況や経営状況の実態調査を進める。医師については、現状の数だけでなく、退職予定者数も把握し、千葉大などと連携の上で医師数確保を目指す。

 10月下旬をめどに、各自治体病院の状況把握を終え、11月以降、病院ごとの対策を検討していく方針。県は「着手可能な対策から逐次実行に移したい」としている。



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防災は万全か

防災の話をしていて
みんな心配していることが分かった
水、食糧、薬、衣類、暖房、電池、ライト、ラジオ、ポータブルトイレ、トイレットペーパーなど。
電池、水、食糧は定期的な入れ替えが必要とのこと。

うちの場合、普段食べているものがそもそもレトルトパックや缶詰などの
保存用食糧なのでいつも最新のものに更新しつつ毎日食べている
地震があってもいつもと同じ食生活が続く
おまけに便にならずに全部吸収される医療用栄養食などもある

期せずして日々災害に備える生活になっていた
新鮮なものなどここ2,3年は口にしたことがない

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お顔の大きな王子様

ある大統領
南オセチアとアブアジア
問題で記者会見

大きすぎる顔は
男性ホルモンのせいなのかと問われ、
「その懸念もあるが、恐れるものは何もない」
と男性ホルモン丸出しの攻撃性で語った

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たらちねの たるちち

たらちねの
は母にかかる枕詞で
垂ら乳ねの で垂れてしまうほど豊かな乳の という意味らしく
足る乳 でも意味が通るし そのように 漢字があてられている場合もある。

たるちちの でも結構すっきりした語感なのだが
母音の関係とかリズムの関係で
たらちねとして定着したらしい

乳は音としては父と同じなので不思議である

*****
乳房をいつくしむ言葉がどれだけあるかと考えて見て
あまり思いつかない

昔の人の性欲の対象は異なっていたのかもしれない

*****
現代社会、とくにハイソな社会では、
下半身の露出よりも、上半身の露出が伝統的に甚だしい
パーティドレスなどは鎖骨から肩から乳首のぎりぎりまで豊かに露出している。

*****
垂れてしまっては困るので補正していて
それで充分
足る乳と形容できる

*****
ドレスの間から想像させられる
胸の様子
白い脂肪の上に静脈が走っている
大きすぎずしかし充分に貪婪なラインが見える
欲求してるが許さない
爆発寸前だけれどすましている
わたしが最初に触れたとき
あなたは息を吐くだろうか吸うだろうか
両方の推定をしてみる
ドレスの谷間は微妙に動き
わたしを誘い続ける
与えないために誘い続ける
高貴な花と知っていながら
しかし高貴な花もやはり花と見定めている

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直上型雷

東京夜8時15分
直下型地震があるなら
これは直上型雷だろうと思う
光が見えたあと
真上で音が始まって
四方に広がる
何という迫力満点の雷

ロックの音を雷鳴のようというが
ロック以上である

近所の女がキャーと声をあげている

ロックの会場でここまでやったら
苦情が出そうだ

そりゃあ音楽じゃねえだろ
ただの雷だろ!

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裏付けのない情報を拡大するというネット社会の特質とその中に生きる人格

ネットは欺瞞情報を流せる道具である。
他人になりすますことができる道具である。
「嘘をつける」道具である。
「誰かになりすます」ことができる道具である。
他人の意見をこっそり拝借して自分が考えたように脚色できる社会である。
会ってもいない人に会ったことにしてその人が何を言っていたかを捏造できる社会である。
合成写真を流して捏造イメージを作ることができる社会である。

このようにして主体はいろいろな嘘を発信しているのだが、
そのうち自分の中身が嘘になっていることに苦しむようになる。

嘘ばかりつく人間が
私の実質は嘘をつくことですと
論理学の教科書みたいな事を
言って平気なわけではないのだ。

墓碑銘に私は嘘つきであると書くことの悲哀。

嘘はこの場合事実との関係が問題なのではなくて
他人の興味をひくかどうかということだと思う

つまり嘘をつく人間は他人の心理を操ることだけに関心があり
と言うことはつまり他人の心理に依存しているのであり
大多数が「もうその話には関心がない」と判断したら
その判断を受け入れるしかない

そのような意味で精神の実質が他者の集合にのっとられている
ガリレオ・ガリレイが言ったように
それでも地球は回っている
とはいえないで
はいはい、皆さんのおっしゃりとおりですというしかない

*****
しかしまた、
人間が文化を生きて言葉をつかうということは、
たとかにある意味で他人の集合意識を受け入れているということなのだ。
そうでなければ
他人に通じる言葉を話すことは出来ない。
自分の独自な感覚や体験を社会の共通の言語でどうして表現できるはずがあるだろうか。
もともと矛盾している。

*****
そのような原理的な矛盾はあるとしても、
人間は自分の人生を確かに生きているし体験を蓄積して
どの時間でも自分なりの人生を創りつつあるのだ

しかしその人生の実質が
嘘をつくことであったり捏造することであったり
他人の心が欲しているものを提供することであったり
その場合もやはり実質といえるのだろうか

たとえば一対一でものの値段を決めるときとか
多数者の間で株価を形成するときとか
嘘が威力を発揮する

昔からそのような人たちは一部には存在していたのだ
しかしネット社会は
そのような心理を増幅している
発信側も受診側も裏付けのあいまいな情報をやり取りし
理性の領域でさえも
人間の論理の検閲を合格していないような論理が発信されて受診されていて
途中のプロセスの検証は省略されて
結果だけが流れていたりする
だまされる人は自己責任なのだという社会にあって
ほとんどのことがだまされているとしたら
アドバイスはもっと頭がよくなりなさいというしかない

昔、村の嘘つきについてならば、
嘘の内容の検証を親が教えるのではなくて、
あの人またはあの人たちの言うことはうそなんだよ
それだけですんだ。
あるいはその人がどのような嘘をついてきたかの物語を語って聞かせることも出来た。
そのアドバイスは子供にも分かりやすい。

いまネットの中に流れている情報を見分けるのは
簡単ではない。
親としてもどのように子供にアドバイスしたらいいか分からない。
賢くなりなさいというしかないようなものだ。

変装して嘘をつくのだから、
人を見分けることは難しい。

時々ある、あなたにだけ期間限定で特別な情報をお分けしますという、
明らかに手軽な嘘情報を販売しているものがあり、
文章の傾向とか、
画面の構成とか、
よく似ていて、
あれなら子供でも、嘘だと分かる。

そのようなもの以外では
結局中身を吟味するしかないのだが、
なかなか難しいことがある。
たとえばある有名でない作曲家の個人生活のエピソードについて
何か語られているとする。
そんな内容について結局は吟味しようがないのであるが、
どうなのかなあと思ってしまう。
どっちでもいいからどっちでもいいのだろうか。

*****
ややこしいのは、
嘘の中には
発信している人が実は真実と確信しているものも含まれていて、
客観的な虚実についてはともかく、主観的な虚実についてあいまいな場合もあることだ。
その場合は、個人の精神病理学に帰着する。
しかしネットの画面からそのような事を読み取ることは容易ではない。

ネットに限らず、現実社会でも、
その人が妄想性人格障害であるかどうかについて、
妄想の領域が限定されている場合には、
発覚しにくいし、診断しにくいし、治療はなおさら難しい。
自分が病気だとは思わない人たちなのであるから。
自分は正しいと思い込んでいるのだから。

その信念は一定の人たちを牽引する。
そのこともまた困ったことだ。



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ネット社会とネット言葉

ネット社会が成立していることの一つの証拠は
ネット言葉が成立していることである

そしてネット言葉が現実社会に逆流を始めているのだから、
ネット社会は現実社会に逆流を始めているのだ

人間の心にとって
明らかな現実になり始めている

とくにネットに費やす時間が多い人間にとっては、
ネットの画面に現れているものこそが自分の生きる現実だと
その人の脳は判断しているはずなのだ

五感から供給される刺激を処理しているのが脳なので、
それずネットからの刺激なのかどうかは実は脳は判定していない。
ドーパミンが増えれば楽しいというだけかもしれないのだ。
脳は長期にわたる生存利得を考えることはない。
その点では多分、脳の原則とDNAの原則は不一致なのかもしれない。

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頭痛がしているだけで

頭痛がしているだけで
将来が非常に悲観的に思える
困ったものだ

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オリンピックのダルビッシュ

オリンピック第一戦でダルビッシュは
普通の投手だった

いつものダルビッシュは腕はムチのようで
球はピンポン玉のようにスピンがかかっている

第一戦ではダルビッシュの腕は普通の腕で
球は普通の球だった

お尻の小さなダルビッシュは
たくさん汗をかいていた

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時間が来たらまたもとの自分に戻ることの安定感

人生の一生をかけて創りあげる決意

その一方で、場合に応じて、一時的部分的に、自分を解放して、
まったく別の方向に創ってみる余裕。
そして時間が来たらまたもとの自分に戻ることの安定感。

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伊良部と毒蛇

伊良部がスナックで暴れたこと
原宿あたりのマンションの一室で無許可で毒蛇をたくさん飼育していて
その方法がずさんであり、隣の人がかまれ、自分までかまれた。
命に別状はなかったが、家宅捜索されて判明。蛇は押収された。
蛇を販売した店があり、近く閉店することにしたという。

なぜ毒蛇を飼いたくなるのかについての心理学的な説明はあるのだが、
飼ったとして、管理を厳密にするという発想がないことは、完全な欠落である。
違法でもあるし、常識も足りない。
問題はこのような人間も平気で生きている社会とは、どんな社会なのかと言うことである。
多様性はいいものとダーウィニズムは規定するが、
多様性にも方向があり、限度があるだろう。

*****
伊良部
一時は最高限度まで拡張した自己愛・全能感
しかし今はもう失われ、そのダメージを支えることが出来ない自己愛
彼が再びプライドを持って生きることができる場所が必要

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人生を一生かけて創る決意

自分の人生を一生かけて創る決意が必要である
ときには一時休みしても良い
それでもまた始めればよい
なんどでも再スタートすれば良い

人生の内容を一生かけて創るのである

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約束は130

携帯のメモを見ると
130 楠の下 とある
昼ごはんを食べるというのだから
13:00 か1:30 かなのだが
そしてよく分からないから
13時に行っていればいいのだが
そしてさらに一本電話すればいいのだが

それにしても
130 と書いたそのときの 心の動揺が
130 という書き方に現れているようで
ほほえましいのだ

わたしはまだまだ少年します
あの大きな楠の下で待っています



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読む犬

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一応ポーズ

カメラを向けられると
ポーズをとってしまう

飼い主と同じ



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ママの手管

あいつはね、男の敵。
純情な男を次々と手玉にとって。
遊びなれた奴でも、彼女にかかると、純情少年になっちゃう、
不思議なんだな、それが。
貢がせて、当たり前なんだもんね。
普段からきれいにしてるけど、
一年に一回くらい、すっぴんをコンビニで見るよ。
メンソレータム使ってるって笑ってる。
それがね、メイクして現れるともう、いい女。
何か秘密があるのかね。
あたしだって知りたいよ。
おっぱいなんかたれてるよ、絶対。
明るいとこで見ると、肌も荒れてるし。
でも、自分が最高にきれいに見えるとこにしか座んないよ。
さすがなんだ。

見かけもいいけど、
やっぱり、こころの使い方なんだろうな、わかんないけど。
なんかこう、タイムリーな間合いとか。

間合いだわ、それそれ。
それで食ってんだわ、ママったら。

ふんだくられても、
男は後悔しないって。



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歯軋り 歯が割れる 歯茎が痛む

お話を聞いていると、
中に、歯の話が出てくることがあり、
歯軋りがひどくて妻が寝る部屋を別にしたとか
寝ているうちに歯に力が入っているのか歯が割れるとか
歯茎が痛んでいるようで原因は歯を食いしばることだといわれたとか
いろいろあって
歯医者さんで治ることもあるのだが
上に述べたようなことは
心療内科でお薬を調整して
解決することかできる。

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平和競技

閑居して不善をなす
こともあるので
レストランとか喫茶店で時間を過ごしているが
聞きたいわけでもないのに
他人の大声が耳に入ってしまうこともある

バドミントンの二人は
ちょっと可愛いからって
強くもないのにちやほやされているそうだ

私が思うに
ちょっとではなくてすごく可愛いし性格がよさそうで
勝っても負けてもあのような人たちを
テレビに映して欲しいものだと思っている

また別の人は
競泳の人たちについて
何であんな変な泳ぎ方でタイムを競うのか
ばかばかしいと言っている

私としてはそれをいったらおしまいじゃないかと思う
タイムを競うといっても、
10.00と10.02と実質の差があるわけではないだろう。

スタートがみんな同じというのもおかしくて、
1/100秒とかを測定しているのだから、
それぞれの人について、スタートも正確に測定して、
最後までのタイムを取ったらいいのに、
とか、素人はいろいろとバカな事を考える

それぞれの泳ぎ方に何か由来というものがあるのだろう。
どこかの王様がひいきの家来に勝たせたくて勝手にルールを決めて、
賞金を与えたとか。
奴隷の協議で変なルールを与えて必死に競わせたとか。
不自然なルールの起源としてはそのくらいしかないだろう。

ある競技で、
日本人はルール違反ぎりぎりのやり方を必死に考えるし、
国際ルール委員会はそのたびにルール改正をして
ずるいやり方を防止している
とも言っていた。
日本人は困ったやつらで、
スポーツマンシップにかけると
その人たちは思っているに違いないと彼は言っていた。

砲丸投げに何の意味があるのかといえば
多分包含とは爆弾のことなのだろう
だから遠くの敵にまで届けばいい
あるいは動物の群れに岩石を投げて
どれにでも当ててしとめて食べるとか。

キャベツくらいの大きさだけれど
砲丸くらい思いものは自然には余りないだろうし
やっぱり岩石なんだろうか

円盤投げは何だろう
よく分かんない
多分、宮廷で、王様や貴族が、皿を投げあったのだろう
その中から皿投げの名人が出て、
そのあと円盤投げ投げになったものだろう
自然の作物で円盤というのも余りないしなあ

マラソンは分かるし、100メートル走も分かるし、
ハードルもなんとなく分かるけれど、
ハードルの場合、周り道をする可能性もあるわけで、
無理にハードルを飛ぶ必要はないだろう。

幅跳びは多分、橋のない川を跳び越すことから生まれたのではないか。
泳げればそれでもいいけれど。

どの場合でも、普通は、荷物を持っていることが多いののではないかと思う。
だから、100kgを背中に背負って、1万メートルを走るとか、そうなればかなり現実的だ。

以上の軽い考察からしても、
円盤投げは平和競技であり、
砲丸投げは戦争競技であることが分かる。

マラソンは、戦争をやめようという和平の知らせを早く伝える競技と解釈しよう。

*****
フェンシングが競技にあって剣道がないのは
政治力と軍事力の差である。
剣道を見ていてもよく分からないが、
フェンシングもやはりよく分からない。

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脳の欠落を満たすものとしてのゲーム

人間の脳は生まれたばかりの時には欠落がある
その欠落部分に
生まれた時の周囲の環境を入力して
環境に適応した脳を作る
だから人間は環境適応能力が高い。

ムーミン谷に生まれればそこに適した脳になる
鬼が島に生まれればそこに適した脳が出来上がる

環境は半分は自然法則であり半分は文化である
子供は遊んでいるうちに自然法則を体得し人間の文化を取り込む
そして脳の欠落は埋められる

欠落部分に
ゲームをはめ込んだら
どんな人間ができるのだろうか?
その答えが
最近はちらほら登場している

欠落しているといわれる
大切なもののひとつは言語である
これは言語を習得する基本モジュールはあるものの、
具体的な内容は白紙ということで
どんな言語でも学べるということの理由になっている

逆に、どんな言語でもこの基本モジュールのプラットホームの上に成立しているので
その部分は共通だということになる
普遍文法という

言語は複数入れることもできるが
どうも母語として入るのは一つで
他は外国語としての扱いになるらしい

脳の欠落のもうひとつは性の部分といわれている
一般に動物は学習することなしに本能だけでセックスができて子孫を残せる

人間はそうではなくてある程度は本能である程度は学習といわれている
したがって文化的情報の全くない状態で
どうなるかといえば
一応妊娠はできるだろう
しかしいわゆる性生活というものは難しいだろうということになる
性的ファンタジーの共有であったり差異の発見であったりするわけで、
そのようなプロセスは動物にはないだろうと思う。
発情期に本能プログラムに従って発情して決まりきった行動をする。

人間が印刷物、ビデオ、ブルーレイ、パソコン、ネット、携帯など
次々に進化させて来ているのも、
一面では性的欲望が牽引して来ている側面がある。
そして不思議なことに、そのどれも、現実に妊娠して出産に至ることはないものである。

このことは、性本能の欠落部分に、
予想しなかったものが挟み込まれた状態であり、
現代人の精神性生活は複雑なものになっている。

*****
そんなわけで、子供の心の欠落部分にゲームががっちりと入り込むわけだが、
これがいいことか悪いことか、難しい。
いいゲームと悪いゲームがあるといえば、
まったく困った結論である

もう少し考えてみると、
子供の心は欠落部分を補充するために体を使って自然法則を学び
人と付き合って心理学を学ぶ

そのような意味でゲームは子供の先生になることができるかということである
ゲームのなかにも確かにひとつの世界はあり価値観があり法則がある
しかしそれを学んだところでなんの役に立つのか?
そのように問うことができるはずだ

昔からのゲーム、すごろくとかトランプ、将棋はどうだろう。
他人とのゲームだからいいだろうか。

詰め将棋が好きな子がいて、
ずっと詰め将棋ばかりしていたら、
どうなるだろうか?

多分、詰め将棋は、ビデオゲームのような興奮をもたらさないので、
古いタイプのゲームに属するのだろう。
詰め将棋で興奮がどんどんエスカレートするとも考えられない。

ビデオゲームのなかには世界のモデルがあるか
そこがポイントだろう

無論、有益な世界モデルはそこにはないのであって、
学ぶには足りない。
脳の欠落部分をゲームで満たしてしまうとしたら
大きな間違いであろう。

ゲームで満たしたとしたら
本質的には何も満たしたことにはならず
欠落したままだということになる。
欠落を抱えたままで人生を生きる人があまりに増えて
欠落が「普通」になったとき、社会はどうなるのだろうか。
そこの予測がつかない。

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和歌と携帯

恋愛アイテムとして考えれば
平安時代の和歌は
現代の携帯に相当する
デートの待ち合わせと
期待と
謝罪と
感謝と
まめな人にとってはいろいろと忙しいはずのものだ

和歌を直接本人に渡すのではなく家のものに渡すというあたりは、
携帯電話で直接呼び出すのではなくて、
携帯メールを一応出しておいて時間のある時に読んでいただくのに似ている。

和歌のやり取りも
最初のうちはいつあなたのところに行きたいとかスケジュール調整の手紙で
女は重複しないようにその日は物忌みでとかうそを言う
そのうち次第に文学的洗練が始まり
同時に自己愛的な要素も強くなり、
同時に遊びとか歌合せの要素も強くなっていったものだろう。

携帯もいまはこんな程度のものだが
そのうち文学的に洗練されたものになるかもしれないのだ。

多分時代を反映してマルチリンガルになる
マルチメディアになる 音と映像付き

共通の体験を短い言葉でほのめかす技法は変わらないと思う

三角関係にある三人が
お互いに通信を傍受することは
多いにあると思う。

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夏の和歌は少ない

それはどうしてなのだろう
避暑に出かけていたのだろうか

あるいは和歌なんかすっ飛ばして
直接恋愛行動に出ていたのかもしれない

手順は必要なかったのだろう



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理由もなく威張ってるやつはオリンピックに行かせよう

あなたの会社にもいる
理由もなく威張っているやつには
オリンピックに行かせよう

老害である

いばりんぼを
100人出す
金メダルしかいらないといわせる
99人は負けるから
その後は黙ってくれる

そんな人たちは負けた事情を得意になって話すことがある
その後も威張っているなら
仕方がないWBCも出てもらう

会社の老害を説得する強力な材料になる

「オリンピックでも見たでしょう、うちの会社もああなってもいいんですか!」
と釘を刺しておく



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