SSブログ

自然崇拝

テレビを眺めていると
自然崇拝の発言はよくある

さすが大自然は人知を超えているとか
自然の生薬、漢方薬は根本的に治すとか

自然に不思議があることは確かでそれは驚嘆に価するのだが
キリスト者ならば神の創造であるということになり
自然崇拝者にとっては長い期間の生命の不思議になる

いずれにしても生命賛美になる

ーー
生命が生命を崇拝し賛美するのだから自己愛ですな

弁護士の理性

原則は理解していて以下は暴論なのだが
ちょっと思考実験してみると
民事でAさんとBさんが対立して
それぞれに弁護士がついて争うとする

するとそれぞれの弁護士の判断が違うということ自体が
理性を逸脱している

事実認定が一致していれば
判断の違いは生じないのが原則である

事実認定をどうするかについては
A、B、それぞれの弁護士で話しあえば
裁判官はほとんど要らないはずである
どの人にも理性があれば

まあ、それを言えば、A、Bに理性があれば判断できるわけだけれど

法律は一定の価値観を背景に持っているのであって
振幅があるとしても
本来は適切な範囲がわかるはずで
それは弁護士費用よりも小さいと思う

すると
弁護士は金を払えば嘘をついてあげると契約していることになるのだ
困ったことである
という暴論である

実際、懲戒される弁護士の多いこと

弁護士の半分は嘘つきである

考えてみると
民事裁判は勝ち負けがあるので
弁護士の半分は嘘を付いているはずだ

裁判官の判断が間違っている場合もあると思うが
いずれにしても片方は嘘つきである

言葉が人を傷つけるなら

言葉が本当に人を傷つけるなら
それと同じ程度に
言葉が人を癒すはずだと思う

人の言葉なんかに傷つかない人は
人の言葉になど癒されないだろう

その意味で
傷つく人は救われる

傷つかない人は
救われもしない

fu

201001141.JPG201001142.JPG201001143.JPG201001144.JPG201001145.JPG201001147.JPG201001148.JPG

電子レンジ 有害ガス インコ死亡 悲しいカナリア

オーブン付き電子レンジを使用した際、ペットのインコが死ぬ事故が相次いでいることが分かり、国民生活センターは8日までに、有毒ガスが発生していないかを調査し改善するよう、メーカーでつくる日本電機工業会に要望した。

……続きを読む


Schumann: Dichterliebe, Op. 48 - 1. Im Wunderschönen Monat Mai - Fritz Wunderlich, Hubert Giesen

Schumann: Dichterliebe, Op. 48 - 1. Im Wunderschönen Monat Mai - Fritz Wunderlich, Hubert Giesen

Fritz Wunderlichのものがあったので記録

Horowitz and Fischer-Diskau play Schumann Dichterliebe,Op.48 (1/3)

なんていうのもあり

好きな芸能人ランキング上位者の多くは、嫌いな芸能人ランキングでも上位に入っています。

好きな芸能人ランキング上位者の多くは、“嫌いな芸能人ランキング”でも上位に入っています。

泉ガーデンレジデンス

住友不動産で泉ガーデンレジデンスを洪水のように宣伝

売れないんだろうな

社会リズム療法(Social Rhythm Therapy)

社会リズム療法(Social Rhythm Therapy)を自己記入式チェックシートを用いて施行しています。

リワーク

後半部分で目を惹いたのは、リワークについてのくだりでした。京セラの産業医の方が書いた論文を掲載しているのですが、そこにはうつ病を知る者からすると驚異的な数字が記載されています。 

本社ではこの2年間でメンタル不調により長期休業をした者の全員が平均四ヶ月の休職期間を経て復職し、再休職した者は一人もいない。さらに、ほぼ全ての事例が1年程度の就業制限下でのフォロー期間を経て健康管理を卒業しており、精度の高い健康管理を行えているものと考えている。

これはものすごい実績です。京セラでは産業医の指導のもと、メンタル休職者のリハビリに力を入れており、その結果がこの驚異的な復職に繋がっています。右肩上がりにうつ病患者が増えている今の日本の状況で、メンタル休職を減らすことはかなり難しいと言えます。その場合には、京セラのように、入り口ではなく出口をしっかりと整備することで休職者を減らしていくという取り組みが、経済的にも社会的にも有用であると考えます。 

うつ病の社会的損失の減少という観点からは、出口戦略であるこの三次予防への取り組みも有効ですが、一次予防にも力を注いでいくべきです。「ストレスへの気づきを深め、ストレスへの対処を向上させる」というものです。そのためには教育や研修は一つの有効な力になりますが、さらなる対策を著者は企業に求めています。 
残業のルールを守る、ということです。残業時間を減らすという取り組みを行わないで、メンタルヘルス教育をしたりしてもあまり効果はないと指摘しています。 
人間には個体差がある。毎月100時間以上の残業をしても何の問題もないという人も確かにいる。一方、残業しなくてもうつ病になる人もいる。しかし、長時間残業が続くと心身に不調をきたす人は確実に存在する。法律という基準(月に45時間)がある以上、守らないといけない。 
(中略) 
残業ルールの浸透は労災防止にも大切である。心の病で労災申請になるケースは、過度な残業やハラスメントが発症のきっかけとなっている事例が多い。(中略)残業は月に45時間居ないという社内ルールをつくり、それを会社全体で守るようにすれば、こういった労災申請のほとんどが避けられることになる。従業員の利益にもつながる。メンタル休職による社員の労働損失、残業費用、訴訟リスク、こういったことを全て計算すると莫大なデメリットになる。残業を減らすことは緊急の課題と言ってもおかしくないと思う。(中略)組織全体の慢性的な長時間労働は減らすべきだ。 

ちょっと長い引用になってしまいましたが、とても重要な示唆を含んでいるのであえて記載しました。本人が望むと望まざるとに関わらず、長時間労働は少なからず肉体と精神を疲弊させます。現在の企業のリスク管理という点において、上記に挙げたデメリットを考えると、長時間労働を減らすという意思決定は経営者にとって喫緊の課題だと言えます。企業も所属する個人も、その意義をしっかりと認識し、長時間労働の減少に取り組んでいくことがこれからの社会に必要なことだと思います。

強い光線を当てて手の甲を撮影する

強い光線を当てて手の甲を撮影するとよい

映画 12モンキーズ

20世紀末、突如発生した謎のウイルスにより人類の99%が死に至り、21世紀初頭の人類は汚染された地上を捨て、地下での生活を余儀なくされていた。その原因を探るため、科学者グループは服役中の囚人ジェームズ・コール(ブルース・ウィリス)をタイム・トラベラーに選び、過去の世界に送り込む。彼は子供時代に、目の前で1人の男が殺される光景を目撃し、その強烈な思い出を何度も悪夢に見ては繰り返しうなされていた。コールはまず地上に出ての調査を命じられ、荒涼とした街の廃墟で不気味な猿のマークを見つける。人類滅亡の元凶と見られる「12モンキーズ」という名称を教えられたコールは1996年の世界に旅立つが、機械の故障か、1990年のフィラデルフィアに来てしまった。その不審な言動から彼は逮捕され、精神病医学者のキャサリン・ライリー(マデリーン・ストウ)の立会いの下、精神病院に入れられた。そこで彼は、自分の父は神であると自称する入院患者ジェフリー・ゴインズ(ブラッド・ピット)と出会う。コールは脱走騒ぎを起こし、拘束衣を着けて独房に入れられるが、忽然と姿を消した。21世紀に戻された彼は経過報告を済ませ、再び過去の世界への旅を命じられる。なぜか第1次大戦中にフランスに送られ、戦場で囚人仲間のホセと再会した後、本来の目的地である1996年の世界に到着した。この世界で頼る者のない彼は、今や精神科医として成功しているライリーの前に現れ、2人はフィラデルフィアへ向かう。コールは街角であの猿のマークを見つける。「12モンキーズ」はジェフリーの主宰する過激な環境保護団体で、彼の父親は世界的な細菌学の権威ゴインズ博士(クリストファー・プラマー)だった。ジェフリーの関与を知ったコールは彼の屋敷に向かうが、警官隊に取り囲まれた時、またしても21世紀に呼び戻された。再び96年に現れた彼は、「12モンキーズ」のアジトの前でライリーと再会。「12モンキーズ」はいよいよ大きな行動に出るらしい。果たして、彼らがウイルスを盗んで世界各地にばら蒔いたのか……。だが、いつしか彼女を愛していたコールは任務を捨て、彼女とこの世界で生きていくことを決意する。2人は変装して空港に向かう途中、ジェフリーたち「12モンキーズ」が、環境保護アピールのため動物園から動物たちを逃がしたニュースを知る。「12モンキーズ」はウイルスと無関係だった。だが、その直後、彼らは空港でゴインズ博士の助手の男を目撃。男の目的が世界各地にウイルスをばら蒔くことと察したコールは、銃を構えて男を追うが、逆に警官隊に射殺されてしまう。ゆっくりと倒れるコールを抱きしめるライリー。その光景を5歳の彼が見ていた。そして、男とウイルスを乗せた飛行機は大空に舞い上がった。

ーーーー
今日、ペットの話をしていて、猫が可愛いとか言っていたら、その人の家では猿を飼っていたという
最初はリスザルでその後はまた別のサル

精神病医学者のキャサリン・ライリー とあるが精神医学者とか精神病理学者とかなんだろうね




ディストピア(反楽園世界)

ディストピア(反楽園世界)

映画 ラ・ジュテ

ラ・ジュテ


第3次世界大戦後の廃墟のパリ――。
放射能に汚染されたパリの地下で、戦争を生きのびた勝者側の科学者たちは、“過去”と“未来”に人類の救済を求めるために、捕虜を使って時間旅行を試みる。
彼らはそこで、ある記憶に取りつかれた男を選び出す。彼は少年時代、オルリー空港の送迎台で見た断片的なイメージ――凍った太陽と叫ぶ女――が心に焼き付いている。
実験台での注射により過去に送り込まれた男は、送迎台で見た女と再会し夢見心地の時間を過ごす。続いて、未来へと送り込まれた男は、世界を救うためのエネルギーを持ち帰る。
そして、彼は自分の記憶の驚くべき真実を知ることになる・・・。

大胆極まりない設定を鮮烈なイメージに溢れるモノクロ映像に翻案・凝縮編集した、映像美の結晶とも言うべき傑作短編映画『ラ・ジュテ』。
多くの映画人を虜にし、なかでも、テリー・ギリアム監督がこの『ラ・ジュテ』を原案に『12モンキーズ』を作り上げたのはよく知られている。

1963年ジャン・ヴィゴ賞・受賞/1963年トリエステSF映画祭・金賞受賞
監督・脚本:クリス・マルケル/編集:ジャン・ラヴェル/朗読:ジャン・ネグロニ/音楽:トレヴァー・ダンカン/美術:ジャン=ピエール・シュドル/製作:アナトール・ドーマン/出演:エレーヌ・シャトラン、ダヴォス・ハニッヒ(1962年フランス作品)

(C) 1962 ARGOS FILMS

28分収録/片面1層/モノクロ/16:9/モノラル/リニアPCM/日本語字幕

内容(「キネマ旬報社」データベースより)

『ベトナムから遠く離れて』のクリス・マルケル監督が全編スチール・カットで撮影し、多くの作品に影響を与え続けているSF作品。第3次世界大戦後、荒廃した世界の中でわずかに生き残った人類は、過去と未来に救済を求めてひとりの男を送り込む。

文化文明と症状

文化文明と症状には関係がある
表面の症状の奥にあるものを見ていく必要がある

たとえば
水道があるから手洗い強迫が生じるのであって
水道のないところでは別の形を取る

シャワートイレでおしりを洗いすぎる症状も当然シャワートイレが普及してからの症状である

手洗い強迫よりは清潔強迫が普遍的だし
逆にして不潔恐怖のほうがさらに普遍的だ

子どもの遊ぶ「ばい菌鬼」などを考えても
不潔という観念はかなりくっきりとした独立した観念のようだ

そこから考えるとパニック障害の場合に言う
アゴラフォビアではも同じ構造をしていて
安全な空間領域と危険な空間領域が判然と区別される

危険とか不潔とかの観念によって物や事を標識する働き全般に関係している症状である

全く危険ではない場所や人に関して危険と標識をつけることもできるし
全く不潔ではないものに対しても不潔と標識をつけることができる

そのあたりの『任意』の感じが症状の形成に関与している
記号論でよく言われる話である

とすると記号の病のような気もする

治療は記号の意味の付け替えだけでいいのだ

たとえば日本語である言葉を回避している場合など
別の言語では全く問題なく発音したりしているわけで
ものやことに意味を付与する『記号』の働きである

記号の働きが人間になければ
発生しない病気がある

ーー
食料が豊かでないと過食症は成立しない
また嘔吐の習慣が成立するには水洗トイレが必要だと思う

下剤の習慣的使用については当然下剤の安定供給が必要である

過食嘔吐はそのような、いわばインフラ整備が進んだ地域で起こっている
逆にインフラ整備が進めば当然のように起こる

ーー
手洗い強迫にしても過食嘔吐にしても文化文明に依存した症状であって
そのようなインフラがない状態でその人達がどのような症状を呈するものか
あるいは症状は呈しないものか
興味深い

それは実験できるのであるが倫理的問題があるので実験はしない

しかしそれに相当する症状や傾向が昔はあったはずだと思う

だとすれば現代で起こっている現象に名前をつけて呼んでみても正しい把握ではない

ーー
強迫症状が勉強に向かえば偏差値向上するわけだし
強迫症状がダイエットに向かえば徹底した食事管理と運動管理が成功する
強迫症状が対人関係に向かえば支配的な態度になる

強迫症状が仕事に向かえば仕事中毒であるがそのことを悪く言う人はあまりいない
悪く言われないが本人はあまり幸せではない

試みる→脳の報酬回路に刺激発生→快感・満足
という経路で作動していない
強迫回路が作動しているだけなので深い満足とか生きがいとかとは違う領域なのだと思う

セックスに関しても同様で
快感・報酬回路の働くセックスは当然快感である
そして終りが明確にある
しかし強迫回路が働くセックスは、快感がなくて終りがない

ーー
SADに関しては
多分下位分類が細かくできるはずで
SADの下位分類をしていくと
たぶんSAD以外の精神疾患の分類がそっくり成立するのではないかと思われる
入れ子
マトリョーシカ

ーー
SADの治療に関して
1.認知療法、認知の癖に働きかける、フォーカスする
2.ACT、マインドフルネス、アクセプタンス、フォーカスをはずす
3.薬剤の効果と副作用コントロール、治験コーディネータ的かかわり
の3群を作って、調査する
各治療法について標準手続きを定めて実施する

多分、治療法による違いはあまり出ないのではないかと思う
むしろ、下位分類によって違いが出ると思う

つまり、下位分類によって、適した治療法があるのだと思う







「人知れず微笑まん」

「人知れず微笑まん」
先輩の座右の銘

唯一生き残るのは変化できるもの

 「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るのでもない。唯一生き残るのは変化できるものである(Charles R. Darwin 1809-82)」

心の中に沈んで居座る虚偽

害をなすのは、
心を素通りする虚偽ではなく、
心の中に沈んで居座る虚偽である。
ベーコン

ーー
自分で自分に嘘をついて平気になるものだ
人から言われても聞く耳を持たない


人間の体毛は非常に薄いので 直接に愛しあうことができる

人間の体毛は非常に薄いので
直接に愛しあうことができる

何という奇跡だろう

ーー
それなのに人間の心には棘が生えているようで
まるで寒がりのハリネズミである

温め合いたいのに棘が邪魔
刺されたくないから一人でいたいと思う日もある

他人の心の棘は痛すぎるのに
私は寒がり

ーー
孤独?
いや私は非人間でいい

愛は愛
孤独は孤独である



あなたの新しい恋人は私に似ているかしら?

あなたの新しい恋人は私に似ているかしら?

そう言って微笑んでいた




あからさまな光

結べ 無意味な 蝶結び


長寿の秘訣

 (1)よく出歩く
つまり愛人と外出して買い物をしたり屋外プレイをする

 (2)ゲラゲラよく笑う
つまり愛人に笑い話をしてもらう、あるいは上質の笑いを自分で提供する、落語を覚えて演じきる

 (3)夜更かしはしない
つまり夜のセックスは短く、あるいは早朝から長く、夢の続きのように長く

 (4)細かいことは気にしない
つまり愛人について細かい詮索はしない、愛人の携帯もメールも着信履歴も無頓着になる、逢っている現在だけよければ充分だ、もう老人なのだから

 (5)何でも、ほどよく食べる
つまり愛人の用意したものなら何でも食べて美味しいと言い機嫌よくさせる

 (6)夫婦仲を良くするなど異性に関心を持つ
つまり愛人といつまでも恋人の緊張関係でいる

 (7)適度に運動する
つまり適度にセックスをする、散歩のついでにもセックスをする、納屋があったらかならずセックスをする

 (8)趣味を持つ
つまり愛人を気持ちよくさせる技術を磨く

 (9)腹を割って話す友達を持つ
つまり愛人に何でも打ち明けて徹底的に付き合う

 (10)ヨーグルト、納豆などの発酵食品やキノコをよく食べる
愛人に発酵食品をつくってもらい、一緒に食べる
愛人菌による納豆とか、愛人菌によるヨーグルトはなかなか美味である
嘔吐の趣味のある愛人は容易に発酵食品を作ることがてきて消化に良いので老人には好都合である

ーー
以上を総合すると長寿のためには愛人が必要である




有意味、無意味、非意味

有意味さを喜んでいるならそれでいい
円満である

無意味さを悩むなら
それもいい
極めて正常である

非意味の力に圧倒されそうになるとしたら
それはどうだろう

それは珍しくはないが克服困難な病気、統合失調症の可能性がある

ーー
治療者は非侵襲的で共感的な態度を貫く
ときに患者の現実的な補助自我となり、患者が病的世界を頼らずに生きて行く可能性を求める

病的体験を構築増進させてしまうような接し方はよくない。もちろんである。
しかし患者が病的体験と現実生活との妥協点を探るとき、
安定した病的体験は役に立つこともある
現実との適応を改善する限りに於いてわずかに病的体験の一部を是認することは
あってはならないことではないと思う

正しい原則はいつでも正しい
しかしそれは単に正しいのであって
人生にとって有用であるか否かについては判断を保留しているのだと思う

いつでも正しいのもひとつの価値であるし
時に例外を作り例外の側にも価値があると奥行きのある世界を構成することもできる

ーー
奥行きのある世界については先日創業100年以上の日本の中核企業で感じた
人事についても仕事の質についても普段は人の目に晒さない非常に奥の部分があり
ひょっとしたらまだまだ奥がありそうな雰囲気であった

比較すると新興勢力は平板で画一的な人事対応しかできないようだ

人材を本質的に会社であると捉えている会社と
人材を取り替え可能で購入も売却も可能なものとして捉えているかは
大きな違いとなるだろう










この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。