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私の一番最後の記憶は何か

私の一番最後の記憶は何かと尋ねるのかい?

そうねえ、私はこの間死んだのだから、最後の記憶は一番新しい記憶で思い出しやすいはずなんだけれどね
病院のベッドでのことはあまり覚えていないです
普通の死に方だったもの
老人の肺炎
痛みはなかったような気がする
もうぼんやりしてしまって
失禁したりしたら嫌だなと思っていた

それより最後の記憶といえば
多分このお正月だね
自分が死ぬとは思わなくて
うっかり普通に過ごしてしまったよ

もう充分に生きたし、これ以上生きても、実質はあまり変わらなかったような気もするよ
何と言ってもお前たちがいてくれるのだから私には悔いはない

おじいちゃんの時計という歌があるだろう
腕時計をおまえにあげたね
止まらないように大切にしてください

私の時代には戦争も貧乏も犯罪もあった
そんな人生だったよ
おまえにも全部は話していなかったけれどね

繰り返さないようにしておくれ

私の人生で最初の強烈な記憶はやはり母親のことだよ
これからあの世で会うのかなと思うと複雑な気分だわ

あの人がいなくなってからの年月が私には心地良かったのだよ
なんだかのびのびと生きられた

どうしてなんだろうね
あの人は私の味方ではなかったし私を慰めることもしなかった
私を不安にさせて脅かし必要以上に憂鬱にさせた

心理的に悪い母親だったのだよ

どうしてということは私には分からない
私は理解するには幼すぎたし当事者過ぎた

あの世で会うときはやっぱり親子なのかね、それとももう少し違うものなのかね

私が嬉しい時には喜ばずに冷水を浴びせ
私が苦しい時には喜んで溺れた犬を打つような真似をした
そのような母親

私は自分がその子供だということで苦しんで育った
私は自分が悪いのだろうかといつも自分を点検した
点検した末に強迫性障害になった

今でもその癖は続いている
いつまでも、自分がどこか悪いのではないか、至らないのではないかと、
人を傷つけているのではないかと、事前の反省を続けていて
だから私は多分強迫性障害なのだと思う

でもね、だったら、どうして私の母親は私を貶めるようなことをしたのだろう
性的成熟が気に入らないのだろうか
そうかも知れない
でも、私の遺伝子の半分は母親のものなのだから、そのことを考えると
白雪姫の継母のようなことは考えにくい

白雪姫の話には私は悩んだものだ

ほとんど何も積極的にはしていないのに
人を苦しませ憎悪に染める存在
そのような存在であるなら私はこの世界への入場券をお返ししたいと思うほど

母は兄が大好きだった
父は私が大好きだった
そんなことは世間にはよくある構図だ
分かっている
しかしそれでも納得などできないレベルで私はいじめられたと感じている

いつか母親に苦情を言ったことがあった
なぜ私をあんなにいじめたのかと問うてみた
母親は、そんなことはない、考えすぎだ、記憶違いだ、あるはずがない、つくり話をしている、
そう言って、泣いて、父親に賛同を求め、錯乱した母をなだめるために父は母を肯定し、私は取り残された

そのような未熟な人が母親になってもいいものなのか
母親になったらもっと成熟しないものなのか

私はそのことが言いたかったけれど
母は泣いて自分を守っただけだった

そのような女臭い防衛のしかたも私は嫌悪した

それがこの世での最初の体験で、結局最後の体験かもしれない
それ以外に私は何を体験したというのだろう
それ以外はすべてが虚ろなのに
それだけはリアルなのだ

母親だけが私にとって3Dなのだ

私は母が死んだあとにイタコに聞いたことがある
どういう事なのかと
自分のこどもを可愛く思わないのかと
イタコは泣いて私に詫びてくれた
しかし私はそれはイタコの言い分であって母の言い分ではないことが分かっていた

母なら何と言うか、私には分かっていた

不幸な子供である、イタコの慰めの言葉も素直に信じられない
そのような子供を母は育てた

そのことの償いをどうしてくれるのか
あの世でやはり私は責めるだろう
どのようにしても償いなどできないではないかと思う

この不全感をどうしたら良いものか
まったく、分からない

それでもね、いま思うけれど、それも、そんな苦しいことも、過去のひとこまに過ぎなかった
私はもっと楽々と深く息を吸って深く息を吐いて生きれば良かった
そうすることができたのになぜしなかったのだろう
それが私の愚かさだと思う

過去を清算したかった
いまから思うとただ忘れればいいだけだった

母のことがあったから強迫性障害になったのではなくて
強迫性障害があったから母のことがずっと心にひっかかってしまったのだと思う

単純に打ち込めることを見つけて自分を打ち込んでいれば良かった
今ならそう思うし
多分、強迫性の癖のあるおまえにもアドバイスしたいと思う

単純に、そして賢く、今を生きるのだよ

そう言いたいと思ったのが、私の最後の記憶かもしれない






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「恐怖消す」プロセス解明 北大、脳内の作用部位発見

「恐怖消す」プロセス解明 北大、脳内の作用部位発見

 恐怖や不安の記憶を消し去る脳内マリフアナ「内在性カンナビノイド」を伝達するシナプス(神経細胞の接合部)を北海道大学医学研究科の渡辺雅彦(わたなべ・まさひこ)教授(神経解剖学)のグループがマウスの研究で突き止め、31日の米科学アカデミー紀要(電子版)に発表した。

 脳内で作用するプロセスが具体的に分かったのは初めて。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の新薬開発などにつながる可能性があるという。

 脳内では無数の神経細胞が結合しあい、シナプスが視覚や聴覚をはじめ、さまざまな情報を伝達する役割を果たす。

 研究グループによると、カンナビノイドを受け取るシナプスは、恐怖や不安など「負の感情」をつかさどる大脳の扁桃体の中の「基底核」と呼ばれる部分にあった。神経細胞に食い込むような特殊な形をしており「陥入型シナプス」と名付けた。

 陥入型シナプス周辺の神経細胞にはカンナビノイドの合成酵素も集中。神経細胞で生成されたカンナビノイドがシナプスに働きかけ、基底核の活動を活発化させて恐怖の記憶を消去していると考えられるという。

 渡辺教授は「カンナビノイドを含む薬は食欲増進などに使われている。プロセス解明によって、PTSDへの薬効に注目した新薬開発が進む可能性がある」と話している。

ーー
見出しが不正確だけれどね


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いろいろ考えて嘘を言うのって 面倒くさくないですか

いろいろ考えて嘘を言うのって
面倒くさくないですか

シンプルに本当のことを言って生きようじゃないですか

人間は疲れてくると辻褄の合った嘘をつけなくなります


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いましていることは緊急でも重要でもない

1.重要かつ緊急
2.重要かつ非緊急
3.非重要かつ緊急
4.非重要かつ非緊急

の話で言うと
子供の頃にときどき言われたことで
もし余命6ヶ月と宣告されたら何をするか
なんていう話

非緊急の項目を緊急にしてしまえば
重要なことがあぶり出されるという具合の話だ

ところが
そんなことを言われて、そのとおりだなあと思いながら、
いましていることは緊急でも重要でもないと薄々感じ
では重要なことはなんだろうと思うと
何も考えつかず、つまらなく日々を送るのだった

挙句の果ては
つまらない日常をつまらなく生きることが重要なことなんだとか言われたりして
倒錯である

単純に言うと答えがないから倒錯している

重要なことなんて何も無いのだと
言うのもよくないし
かといって、若い人に無目的にだらだらと生きられるのも
年寄りとしては気に入らないしということなんだろう

立派に生きて年をとって
結局やりたいことはカラオケに行ったり
温泉で若い子を買ったりそんなこと
(この場合、若いと言っても30は過ぎているようだが)







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ゴールドラッシュで一番儲けたのがツルハシやデニムを売った人たち

ゴールドラッシュで一番儲けたのがツルハシやデニムを売った人たちという例を紐解くまでもなく、飲食店の利益率と比較すると、ぐるなびは驚異的な利益を上げています。飲食業界においては、お店を自ら運営するよりも周辺産業の方が収益性が高いということが言えそうです。


新規のお客様を獲得するのは、実はかなりのコストがかかります。同じお金をかけるなら、リピーターさんにさらに通ってもらうようにする方がはるかに効率的。お店を運営する側からすると、どうしても「どんどん新しい人にお店を知ってもらいたい!」と考えがちなのですが、実は新規獲得に偏重すればするほど、お店の運営は安定しなくなります。

お店の側はといえば「新規獲得」にばかり気を取られしまい、結果としてお客様と信頼関係を築き、長期に亘って付き合っていこうという姿勢が希薄となってしまいました。ほとんどのグルメサイトは「いかにして新規のお客様を獲得するか」にフォーカスしています(“常連さんを作るのはお店での頑張り次第です”というのが彼らの常套句です)。しかし、あまりに「新規獲得サービス」がメジャーになりすぎてしまい、いつの間にか「常連さんを作ろう」という取組は、多くの飲食店においておろそかになってきている気がします。

こうして次から次へといくらでも「美味しいお店」の情報を得られるようになると、ネットサーフィンならぬ「お店サーフィン」のような楽しみ方をする方が非常に多くなっている気がするのです。行きつけの店を持つのではなく、片っ端から新しいお店を開拓し続ける、という楽しみ方ですね。ネットによって便利になったこと、豊かになったこともたくさんありますが、ネットによって大切なものが失われることもあります。飲食業界では、まさに「極端な新規顧客偏重」と「利害を前提にした関係性」が生まれてしまったことが、ネットによる悪影響であると言えるでしょう。そして、その傾向は、食文化を豊かにしないばかりでなく、回り回って飲食店を利用するお客様にとっても大きな損失となる可能性が高いのです。

もう一度、「お気に入りを見つけ、そこに長く通う」というお店とのつきあい方を見直すようなサービスを作ったらどうかと思うのです。

ーー
との意見である


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教育の朝日

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