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中毒

中毒という言葉はもうあまり使わない

この人達はどうも自分を素直に語らない

医者と対面するときは大体が被告と尋問者という感覚らしい

とくに薬物中毒者は医者から薬物を入手しなればならないので主要な欺きの対象となる

ーー
昔は眠る薬などが嗜癖のよくある例だった

飲んだかどうか忘れてもう一度飲んだりするなど

薬物自体が健忘を引き起こし、過量摂取を形成するという悪循環があったらしい


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自分が投資したものを否定出来ない人間

人間は自分がお金をかけたり時間をかけたり愛情を注いだものを否定しにくくなるものだと思う

自分の全面否定になるからだろう

たとえば授業料をたくさん払って習い事をしたとして
その内容を否定することはしたくないのが人情だろうと思う

そうすると精神は縛られてゆく

ーー
このようなからくりがあるので
講座商売はお金を沢山取る
たくさんとったほうがありがたみがあるし期待を抱かせるし
あとで否定しにくくもなるのだろうと思う

高額の支払いをすること自体が一種の洗脳プロセスになっているのだと思う


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クローン人間の復元ポイント

脳死を一応人の死として移植その他のことも考えようとの法律が成立した。

霊魂などは考えず、脳が人間の精神活動の根源であり、
脳が生物学的に活動停止すれば人間の死であるというのは、
例えば、DNAの立場からすればとんでもないことで、
脳が活動停止してもDNAの複製と拡散に役立つならば、
その生物は生きているということになるので、という話も
さんざんして、それでももう大きな流れとしては、米国に右習えしかないのだから
仕方がない。

その上で考えると、
将来クローン人間ができるようになり、
骨格や筋肉系は18才くらいでうまくできあがるだろう。

神経系はやはりトレーニングが必要なので
トレーニングが違えばかなり違って精神の内容になるので
クローンとはいっても、イチローのクローンがイチローほどの天才的バッティングをするとは限らない。

夏目漱石のクローンを作ったとして、
文学作品を書くとも限らない。

脳よりも筋肉が勝負の部分ではクローンは多分18才くらいで同じ程度の能力を発揮すると思う。

*****
最近Winを使っていてときどき便利なのが復元ポイントである。
何か調子がおかしいと思うとき、
さっさと何日か前の復元ポイントに戻して内容を復元する

人間の脳に対してもそのような可能性は議論されていて、
技術的にはかなり難しいけれども、
学習の期間を短縮できないかと可能性が検討されている。

難しいと考えられていた技術が次々に実現しているのが昨今であるから
原理的に不可能でないことならばできるだろうとも思う

そうすれば、クローンに対して、18才の脳の中身を注入してやれば、
18才から、生活体験を始められるので、
かなりその人に似た精神内容のクローンが可能になる。

原理的には一つ一つの神経細胞の状態を復元ポイントとして記録しておき、
それをコピーすればいいのだけれども、Winみたいなわけにはいかない。
しかし、そこは人間の精神活動なので、
完全複製でなくても、ほぼ輪郭を描ければいいのじゃないかともいわれていて、
多分そうだと思う。

兄弟で生育環境はかなり似ていても
やはりその人のDNAによってかなり異なった発育をする
そのことを考えれば、重要な部分だけはきちんと情報を入れてやれば、
あとは脳が補正してまたは補完してうまくその人らしく機能するだろうと考えられる。

しかしまた双子の場合に違った部分も出てくるわけで
それはどうなのかと考えると
難しい
双子は自然の作り出したクローンだからいい思考モデルになるのだけれど

一卵性双生児で精神病になる、ならないの割合が一致していない。
約半分くらいは環境とか生育歴の影響と考えられるのだけれど、
もし復元ポイントシステムができれば、
傷ついたときに、その前の復元ポイントまで戻すことで
治療ができることになる

これは根本的な治療になると思うが
傷の上に復元ポイントが乗る可能性もあるので
簡単ではないと思う

*****
わかりにくいと思うけれど
自分のためのメモ


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意識のフレームの外に出す

気をそらして
忘れさせれば
不安も強迫も止まるんだよ

意識のフレームから
一時的にでも
外に出せばそれでいいんだ

そう先輩は言っていた
そうかもしれないといま思う



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中山忠彦

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「シズコさん」 佐野洋子著

フロイトは男だったから、母と息子のことしか分からなかったのだと
シズコさんは言うと香山リカさんが紹介している。

これは実際そうだと思う。
母子関係といっても、
母息子と
母娘ではずいぶん違うはずなのだ。

*****
紹介を続けると、

戦後、11歳の兄を病気で失った母は、徹底的に冷たく娘に当たり続ける。
「母は本当に兄の代わりに私に死んで欲しかったのだ」とまで思うのも無理はない。

著者を本当に苦しめたのは、
母の虐待ではなくて、
そういう母を好きになれない、自分への自責の念だ。

全財産をはたいて高級老人ホームに入居させたのは「母を金で捨てた」と、
著者はまた自分を責める。

母子関係の闇の深さ

*****
娘にとって、出来のいい兄がいるということは
まったくもって不利な状況である。

母にとって息子が王子様であることは明白で
恋をしてさえいる。

他人に対して自慢はしないが娘にならばいくらでも自慢をする。
母にとって娘はある種の自分の延長に過ぎない。
時に耳になって母の息子自慢を聞き続ける。
同時に母の夫愚痴を聞き続ける。

実際に悪い夫も多いのだが、
家庭でも立派な夫というものは少ないはずで、
妻から見ればほとんどはくだらない夫なのだ。
その口の捨て場所が娘になるのはよくある話で、
娘が父を軽蔑してさえいるものだ。

母にすれば遺伝子の関係ない夫はどんなに軽蔑してもいいのだが、
そして精神的に軽蔑すればするほど、
日常生活で衝突したときにも楽に自己弁護できるのだが、
娘はそうではない。

母の愚痴に同調しながら、
一方では、自分の遺伝子の半分は父由来なのだと思うと、
気持ちは引き裂かれてしまう。
考えてみれば自分の顔は父親に似ていると思ったりして、
気持ちが悪くなる。
本当は母親は自分のことも父親と同様に嫌っているのではないかと疑う。
そして娘はますます母親と一体化して意見の不一致のないように自分をゆがめてしまう。

そんな時間を過ごしているうちに自分が人の親になり、
不幸の再生産をしてしまう。
自分もまた息子に恋をして、
娘を夫への嫌悪の気持ちのゴミ箱に使ってしまう。

*****
母親の人生の真のパートナーは息子である。
父親の真のパートナーは実の母である。
娘の真のパートナーはその息子である。
母と娘はお互いにとって奇妙なものである。
財産も権力もなければほどほどの年で別れられる。
しかしそうは行かない場合があり、いつまでもくっついていることがある。
そうすると、微妙に腐敗臭が漂う。

このあたりは天皇家の例でも分かるのだが、
娘は母の苦悩の一番の理解者であり
一番の洗脳対象であり、
しかし結局、財産と権力の相続者ではないのである。
男と女は人間として平等なのに、
まったく平等ではないのである。
それは母が息子が好きだからだ。

母にとって娘は付属物でありおもちゃでありくずかごであり
自分が泣けば一緒に泣いてくれる共鳴管である。

父と娘は母を介在にした間接的関係のようである。
母と同じ事を娘がいい続けるので
父は絶望する。

娘が本当に人生を生き始めるためには、
息子を産むしかないのだ。
そこで真のパートナーが出現する。

*****
その真のパートナーを11歳でなくしてしまったとしたら、
その悲しみと愚痴と呪いと嘆きが
娘に押し寄せることは明白だ。
娘は心を閉ざして鈍感になるか、
ぎゅうぎゅうに感情を詰めこまれてアップダウンの激しい感情生活を送るかしかないのだろう。
母の涙の捨て場になるしかないのである。

*****
ここで
フロイトは男だったから
母と息子のことしか分からなかった
という言葉を見つめなおす

フロイトが女であっても、
母と息子のことしか分からなかったはずである

女は息子と関係し、
男は母と関係する。
それだけである。
そのほかに重要な関係はない。

すべての男には母がいるから問題はない
すべての女に息子がいるわけではないから
問題が発生する
特に出生数が少なくなっている現代では問題で、
さらに、皇室に見られるように、ある階級では、女性の出生割合が多くなっている印象もある。
母と娘はどのように関係したらいいか

憲法や民法は絵空事を決めているが、
それは現実ではない。

悲惨な関係という答えがあるだけだ

変形としては、男みたいな娘という存在の仕方もある
宝塚みたいな関係の仕方もある
そこにわずかな救いがある

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おごそかに隔つるもののあるをおぼゆ愛すといへど恋すといへど

おごそかに隔つるもののあるをおぼゆ愛すといへど恋すといへど
前田夕暮

こちらも大先生。

まあそうだね、当たり前だ
おごそかにというからなにか越えられない大きなものなのだろう
カジュアルなものじゃない

なにか場違いなものを場違いなヒトに求めているのではないかという
疑いもある

恋についてあれこれ歌っているということ自体が
真実恋する人ではないのだと物語っている

真実恋する人は行為を連続していればいいだけである
それ以外に何もない

恋について語る人は
恋ではない何かに関心があるのだと思う
だから本当に恋する人の参考にはならないかもしれない

恋の感傷を賞味するのが恋ではない
恋の激情を処理するのが恋である

別れむとする悲しみにつながれてあへばかわゆしすてもかねたる
前田夕暮

将棋の名人の恋愛沙汰のような感じだと
思った

*****
恋でも愛でも
とにかく他人なのだから
へだてるものはあるのだと
普通なら考えられるが
恋愛状態のある局面では
ひょっとしたらその隔てもないのではないかと
錯覚することがあるということだろう

隔てることがなかった状態を
小児精神医学のようないいかたをすれば
母子一体の幻想ということになる

それでさえ母子一体であったのは一瞬であり
分離してからは
やはり別の個体であるから
隔てるものを媒介してつながっている

むしろ隔てるものがあるから
それによって媒介されてつながっているのだともいえる

隔てるものの現実としては、
やはり、物理的に別離場所を占めているということが大きいのではないかと思う。
似た風景を見ているとしても、
別のシステムが
別の体験をしているのだ。
だんだん隔てられてゆくだろうと思う。

恋愛が
一体感の幻想とつながると錯覚する、その錯覚のモードは
普遍的なものなのだろうか。
日本人男性歌人に特に固有なものなのだろうか。

普遍的であるはずがなくて、
選択と淘汰の激しい世界ではそのようなとぼけた個体は
多分相手にされなくなってしまうのではないか。

恋愛を語る時に一体感を語ること自体がなんだかもうずれているともいえる。

*****
新聞で、ゴーンさんが、
夫婦として共同体を作るには何かしら共通のものがなければならないといっていた。
価値観でも趣味でも金銭感覚でも。
好きだというだけでは続かないと。

生活というものはそのようなもので、
恋愛とは関係がない。

恋愛ゆえに長い時間をともに過ごすのはかなり無理だということになる。

通い婚というものが
恋愛には適しているのだろう。
生活はまた別。

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不安が逓減する理由

未来を予期して不安に怯える

過去を想起して後悔に苦しむ

人間はそういうものだ

簡単に病気だとも言えない

ーー
しかしながら原理的に考えてみると

未来を予期して不安に怯えたとして、その時は一度リハーサルをしたことになる

人間の脳は何度でもリハーサルができる

シミュレーションといえばもっとぴったりする

予行演習ができる、模擬試験ができる

そしてそのたびごとに細部は明らかになり具体的になり不安があったとしてもその程度と範囲が限定されてゆく

だから、頭の中で一度リハーサルをするごとに、不安は小さくなるはずなのである

ーー
ところが不安症という病気の群の場合にはそうはならない

強迫性障害の場合には同じ強さで何度も繰り返す

パニック障害やSAD、GAD、PTSDの場合にはむしろ不安が増大することもある

これは私の理論で言えば神経細胞の特性として
外部刺激に対して増大する反応を示す群であり躁状態を作り出す細胞群と類似している

さらに
たとえば結婚式での記帳の不安をリハーサルしているうちに
不安そのものが不安のターゲットになる
字が震えたらどうしようではなく
不安になったらどうしようとなる
ここから先はどの不安がどの不安の原因になっているのか分からないほどの
不安の積層化が進行する

そのような人も街角で不意に記帳を求められるとスラスラと書けたりもする
通院しているクリニックで思いがけずに心理テストをしたりするとスラスラ書ける

だから書くことが問題ではない
書く場面を予期することが問題なのだ

予期することを何度も繰り返していれば
通常は不安が減少する

だからスポーツ選手は練習をするのである

しかしこの人達は練習すればするほど緊張してしまうのである
そんなことがあるだろうか

マニー細胞が関係していればそんなことも成立するはずである

ーー
学校時代の成績の良かった人のかなりの部分はマニーであることが指摘されている
マニー成分を多く持つ人は不安症になりやすい
そう結論づけている

従って私の治療は不安症に対して、マニーを抑制する薬剤と社会リズム療法である

クロナゼパム、バルプロ酸、トピラマート、ラモトリギン、ガバペンチン、など。



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社会リズム療法(Frank E, et al. Interpersonal and social rhythm therapy: managing the chaos of bipolar disorder. Biol Psychiatry. 2000 Sep 15;48(6):593-604.)

社会リズム療法(Frank E, et al. Interpersonal and social rhythm therapy: managing the chaos of bipolar disorder. Biol Psychiatry. 2000 Sep 15;48(6):593-604.)

Abstract 

Interpersonal and social rhythm therapy is an individual psychotherapy designed specifically for the treatment for bipolar disorder. Interpersonal and social rhythm therapy grew from a chronobiological model of bipolar disorder postulating that individuals with bipolar disorder have a genetic predisposition to circadian rhythm and sleep–wake cycle abnormalities that may be responsible, in part, for the symptomatic manifestations of the illness. In our model, life events (both negative and positive) may cause disruptions in patients’ social rhythms that, in turn, perturb circadian rhythms and sleep–wake cycles and lead to the development of bipolar symptoms. Administered in concert with medications, interpersonal and social rhythm therapy combines the basic principles of interpersonal psychotherapy with behavioral techniques to help patients regularize their daily routines, diminish interpersonal problems, and adhere to medication regimens. It modulates both biological and psychosocial factors to mitigate patients’ circadian and sleep–wake cycle vulnerabilities, improve overall functioning, and better manage the potential chaos of bipolar disorder symptomatology.



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徐々に高まる不安

徐々に高まる不安というものは実は原理的にはおかしい

不安は徐々に低くなるはずのものである

神経細胞は慣れてくるはずだからだ

ということはここで特殊なことが起こっているはず

これはマニーの場合とかOCDの場合と同じ事が起こっているはずなのだと思う

どんな恐怖も、通常であれば、だんだん慣れて、余り強く感じなくなるはずなのだ


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うつと呼んでいるもの

われわれがうつと呼んでいるものにもいろいろなものが含まれているのだと思う

筋肉痛のことを考えても
マラソンのあとの筋肉痛ならば普通のことだし
何もないのに筋肉痛ならばやはり病気なのだろう

真剣な恋を失った失恋のあとで悲しいのは当然だけれど
特に何もないのに涙が出て死にたくなるのはやはり病気だろう

元気の欠如でうつということもあるが
悲観の過剰でうつということもある

欠如を見ているのか
過剰を見ているのか
考えてみる必要がある

そういったうつを全部含んでうつと呼ぶのは
やはり話を不正確にしていると思う

たとえば
プラセボが効くうつが20%
新規抗うつ剤が効くうつが25%として
これは薬が効かないのではなくて
うつの分類がゆるすぎるのと
プラセボ投与の場合も
治験コーディネータがとても詳細に生活をチェックするので
生活が建て直されてしまうことが原因だと思う


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その人が歩いた道を

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ただ手を伸ばせば実現してしまう愛に

ただ手を伸ばせば実現してしまう愛に
ためらうのは
なぜ

ーー
少年愛の私は
これを少年愛のままで保存したいのだ

曲がった愛欲


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統合失調症の陰性症状

わたしは陽性症状と陰性症状の区別をするのは
あまり賛成ではないのだが
実際に患者さんに説明するには便利であるし
分かりやすいようだし
多くの本に書いてあるので
やはりそのように説明する
こちらから説明しなくても患者さんが、そのように読みましたが、
と理解を語り、そこから説明を始めてもいいようだ

*****
陰性症状は
defect
のことで
ジグソーパズルのピースが失われていると、
そのことを defect というのだと英語の先生から教わった

欠損とかと表現してもいいのだけれど
何だか絶望的な響きがあるので
使わない

*****
昔からうつ病と統合失調症の区別は
defect が生じるかどうかとも言われていた
うつ病では defect が生じない
それが病理の反映である

しかしそのことは教科書的な話であって
実際には躁うつ病・うつ病を反復していれば精神機能の低下が生じる場合があると古い医者は観察している
そのことを病理ではなくて
躁うつ病・うつ病の時期に社会生活が停止して、その結果、生活史や学習に欠損が生じるからだとの
説明もある

*****
統合失調症の場合の defect は
たとえば右足を失った場合を考えてみるといいし
躁うつ病・うつ病の defect の生じない事情については
ねんざしたけれどすっかり元に戻ったという場合を考えればいい

失ったものを、あるものとして生活しても不自由なので、
ないことを前提として工夫していこうというのが生活臨床やSSTである
妥当であるがつらい一面も確かにある

右足があるものと思って生きていこうという主義もよく分かるし
その方がいい場合も多くあり
一概にどうとも言えない

*****
では統合失調症で具体的に何が失われているのかと言えば
まだはっきりしない

場所についても病理についても
はっきりしていない

だから defect が生じるとする、または陰性症状が残る、
または、一番はじめには潜伏的な陰性症状があり、
次にそれに対しての反応として陽性症状が発生し、
それが過ぎ去ると、陰性症状が残るという説明も、
一見分かりやすいようで、疑問はたくさんある

*****
そのような言い方で言えば、
躁うつ病・うつ病の場合に失われるものもあるのだし、
てんかんの場合にはあきらかに神経細胞群が失われると思う

また性格障害の場合にはあらかじめ失われた成分があるように思う

知能の点でも defect は大いにあるのであって
人間の脳はたくさんの defect を抱えて
それを代償して機能しているのだと言えなくもない
だからあんなにも一見無駄に思える部分があるのだと考えられなくもない

事実、かなりの萎縮があっても、
立派に社会生活を営んで尊敬を集めている人もいる

ある種硬直した人格だから尊敬されるという面もあるかも知れない

こう考えてくると
統合失調症の場合には
代償不可能なある部分が機能欠損しているのだと考えられる

代償可能な部分については
躁うつ病・うつ病で表現されるともいえる

うつ病の診断をした場合でも
うつ病の薬だけではなく
セロトニン、ドパミン、てんかんの薬、その他いろいろを使うことを考えれば
事情は単純ではないらしい。


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八百屋が二軒

近所に八百屋が二軒ありまして
近所の農家でとれた野菜とかを並べているんですね
この辺は農家が多い

価格競争で共倒れになるのは避けたいというので
なんとなく地域を分割して納入先を決めているんですが
やはり特別な付き合い先はあって
地域分割の例外になっているわけです

すると当然ですが
例外を増やしてしまおうとするわけです

社長同士は付き合いもあるし無理な販路拡張はしないのですが
若い人はやはりときどきやってしまう
それしか業績を上げる手段がない
社長もそれを知っていてお互い様だし若い人のやることだしと
黙認しているわけです

ところがある日、一消費者に過ぎない私に
批判が飛んできました

あんたのところは私の領域だ
それなのに相手の野菜を買うなんてひどいんじゃないかと言うわけです

それって独占禁止法違反だし
そんな協定に法律的な正当性はないですよね
というと急にトーンダウンして
だからあくまでも紳士協定ですなんて言い始める

とにかく、わたしは安い方を買いたいだけで
領域協定はお宅さん方が勝手に決めたもので
私には関係ないです

私には買いたいところから買う自由があるでしょう

まったくおかしな言いがかりです


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異常な正義感という病気

こんないい加減で、なあなあな世界で
まともな正義感を持続していることは
実質的には困難である

しかしその中でやはり
普通程度の正義感を維持している人がいて
世間からは浮いてしまい
自分を異常な正義感の人間と定義している

そこまでは自分が苦しいだけでいいのだが
プラスして汚言症に似たきつい表現の習慣があるのである

死ね
お前はいらない
寄生虫だ
どれだけバカなんだ

正確な意味での汚言症ではないが
延長線上にあるのではないかと思う

正義感はいいのだけれど
それを表現する形式は
チックに似たものですこし困るというタイプ


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認知療法が有効な理由

認知療法はどういうメカニズムで効果を発揮するのか
やはり不思議なところがあるわけです

人間は言葉で傷つくし
言葉で悪い方に影響されます
だからそれと同じ程度に言葉によって癒されることはあるはずです

しかし認知療法はそのようなレベルの話ではないでしょう

病気にもさまざまなものがある
というのは理解していただけると思うのですが
言葉に悪い方向に影響されたりよい方向に影響されたりすることもある一方で
脳の器質的な変化がうつ病をひきおこしているというレベルの問題もあるわけです

発達障害のような場合とか認知症の場合などが典型的です
認知症の場合には余計な物質が蓄積したりして脳の機能不全が発生します
血管の調子が悪かったり、血糖値が不安定だったり、
ミトコンドリアの不調があったりします

そんな事態に言葉による治療がなぜ有効なのかが問題なのです
神経の伝達が変調を来しているとか、物質の過剰や欠損があるといった場合に
いったい言葉による認知療法がどのように有効なのか

SSTという技法の集積があり
これは器質的な病変による機能欠損に対して
具体的な対策を考えるものです

認知療法の一部分はSST的なものですが
しかしそればかりではない

ーーーーー
何度か繰り返して書いていることですが
最近は抗うつ薬の認可がなかなか前進しません
アメリカで使われている薬が日本で使えないのですから不自由です
ベンラファキシンやエスシタロプラムを早く使いたいのですが
ベンラファキシンは治験に失敗しています
エスシタロプラムは現在進行中です

なぜ治験が成功しないかについては
やはり事情があるのです

まず現在、うつ病の定義が拡大していて、反応性のもの、疲労蓄積性のもの、脳病変によるものなど、
様々なものが含まれています

そのようなうつ病に対して、薬剤を投与して
HAM-Dのようなチェックリストでうつの重傷度や回復度を測定しています

治験の担当者・コーディネーターは
HAM-Dの他にも、生活の細部にわたり調査します
睡眠、食事、体重、尿、便、体温、その他細部にわたりチェックを続けます
また治験協力者は予定通りの時間にきちんと通院することを守りますし
守る動機付けもできています
週に一回、きちんと全部、実施します

考えてみるとそのようにきちんとした調査がある程度の期間続くと
程度の差はあっても生活は是正されるものです

実際、プラセボ投与の場合の有効率が思ったより高いのです
高すぎると言ってもよい
その理由として
治験コーディネーターによる丹念な生活チェックが治療としても有効なうつ病がかなりの程度含まれている
のではないかと考えられるわけです

うつ病の定義の批判にもなり
治療とは何かの問題にもなりデリケートな部分を多分に含むのですが
実際に現在、うつ病ではないかと思いクリニックを訪れ、
うつ病と診断され、治療される人の中には
「治験コーディネーターによる丹念な生活チェックが治療としても有効な」症例が含まれています

認知療法の一部分は
生活チェックやスケジュール表の記録を含んでいますから
「治験コーディネーターによる丹念な生活チェックが治療としても有効な」症例に対して
やはり有効だろうと考えられます
この場合は薬剤はプラセボでもいいわけです

そして
認知行動療法だけでは解決しない症例に対しても
薬剤と併用する形で認知行動療法を行えば効果があるだろうことは容易に推定されます

器質性の部分と反応性の部分を別の面として考えることは
昔から行われていて
よく考えるとこのような二分法はたいへん乱暴でもあるわけですが
一応そのように考えるとして
器質性部分に薬剤を
反応性部分に精神療法を
しかもその精神療法は精神分析でもなく傾聴でもなく
生活チェックではないかとの意見があるわけです

これは合理的な考え方だと思います

認知行動療法が目指しているのも
基本になる仮説も
実際の効果も
これだけで説明できるものではなく
もっと大きな領土を覆っているのですが
少なくとも実際のクリニックでの治療では
このような側面があるのではないかと思うわけです

ですから
患者さんにとっては
単純な繰り返しに思えても
一週間の詳細なチェックを
ある程度の期間耐えることが
やはり治療になるわけです

それは結構大切なことですし
ひとりで実行することはやはり難しい

治験の構造がうつ病を治す
だから
認知療法が有効なのだ
と考えます

もちろんこれは現実に起こっていることの一部分でしかないでしょうが
そのような感覚を持つだけでもずいぶん違うと思います


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音楽としての中国語の優美さ

中国語にもいろいろ地方の違いがあるようだけれど
よく分からない

私が聞いている中国語は
北京のあたりのもののようで

最初はなんだか緊張の強い言葉だと感じた
しかし時間がたってみると

女の話す中国語はとても優美で
親しいものだ

音楽として心地よい

口やのどの緊張のバリエーションが多様なのだろうと思う
その多様さが心の多様さを表現するのに役立っている

日本語と比較すると
ピアノとチェロくらい違うように思う

そして女には情の深さがある


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六本木ヒルズトラブル集

関ヶ原で西軍の総大将となった毛利。
徳川家としてはいい土地を用意するわけない。
六本木ヒルズは毛利家の跡地に建てられている。
テレ朝の天気予報で見える毛利庭園も小さなものだ。

森ビル本社            → 回転ドアで死亡事故
グッドウィル・グループ(コムスン) → 廃業
M&Aコンサルティング(村上ファンド) → 逮捕
ライブドアホールディングス     → 逮捕
椿総合法律事務所          → 海外に逃亡 (タイで山口組に殺されたとも言われている)
エム・ファクトリー         → 六本木ヒルズから強制退去
サイバード             → MBOで上場廃止
リーマン・ブラザーズ        → 倒産

そして赤穂浪士最後の7人が腹を切った場所である。




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私はどのような未来を望みどのような未来をつくろうとしているのだろう

私はどのような未来を望みどのような未来をつくろうとしているのだろう
そう考えることがある

過去は変えられない

未来は変えられる

未来を変えるために現在を使うことができる

どのような未来を構想し現在をどのように使うか
それが人間にとってなにか本質的な部分であるような気がする



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アカンプロセート (商品名:キャンプラル)飲酒欲求抑制薬剤

飲酒欲求を抑える薬 :アカンプロセート                  

画像
アカンプロセート
(商品名:キャンプラル)
   今、抗酒剤とは別に、飲酒欲求そのものを抑制する薬剤物質としてのアカンプロセートが注目されています。日本では未だ認可されていませんが、欧米諸国や、お隣の韓国などで「キャンプラル」の商品名で実際に治療に投入されて一定の成果をあげているようです。
 以下、アカンプロセート(商品名:キャンプラル)について概観してみたいと思います。 
                          
◎:薬剤アカンプロセートは、脳内の伝達物質(飲酒欲求にスイッチを入れる物質)であるグルタミン酸によって引き起こされる脳内の過剰な欲求を緩和します。即ち、アカンプロセートが、神経細胞の受容体(スイッチによる命令を受け入れる部分)を封鎖して、伝達物質グルタミン酸分子の受容体への付着を防止することで欲求命令の伝達を防ぎます。
 アルコール依存症者の脳にはこのグルタミン酸が特に多量に見られます。(原因は不明) 全ての患者に効能が認められるわけではありませんが、アルコール依存症者の治療にアカンプロセートが投薬され、一定の成果を挙げているようです。

◎:アカンプロセート開発史
1984年:フランスのメラム社が癲癇及びアルコール依存症の治療薬として開発
1987年:同社、フランスにて同薬剤の仮認可を取得
1989年:同社、同薬剤をフランス薬剤市場に
その後 ヨーロッパ規模での認可に向けて
フランスのリファ社(メルク社の孫会社)がアカンプロセートの所有権を取得
1995年:ドイツにて「キャンプラル」として認可
1996年:リファ社、アカンプロセート含有薬剤「キャンプラル」をドイツ市場に
2004年:7月、アメリカにてアルコール依存症患者の断酒継続の為に、
      「キャンプラル」 が認可」され、治療が始まった。

◎:副作用=下痢、鼓腸(放屁)、嘔吐、痒み、発疹 (依存性は認められない)
                     (以上,◎部分資料=Wikipedia・独語版)

現在、日本では「日本新薬」,「新日本製薬」等の製薬会社で研究が進められており、また久里浜アルコール症センターにて治験中で、数年後に認可か?といったところです。服用に際しては自助グループや精神療法との併用が効果的で望ましいとされています。


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職員募集のお知らせ

職員募集のお知らせがなくなったので職員募集は締めきってしまったのか?と聞かれました

そんなことはないんです いい人ならば 募集中です どうぞ試しに 履歴書を送ってみてください

お医者さんも
看護師さんも
臨床心理士さんも
薬剤師さんも
メディカルクラークさんも
受付事務さんも
経理担当者も
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ーーーこんな人を求めています

お医者さん
・日本の中心で精神医療を叫んでみたい方
・学び合いスキルアップしたい方
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・事務的な仕事は委任して研究的な仕事をしたい方
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各職種の方
・医療法人を足がかりとして、貧困国などに社会貢献したい方
・世界各国の駐在員のために精神科医を駐在させたいと考えている方
・社会の矛盾に目をつむっていられない方
・社会が変わらなければ精神障害はなくならないと思っている方
・国会議員のブレーンとなって医療政策を提案したい方
・リワークプログラムに興味のある方
・認知療法や対人関係療法に興味のある方
・帰りに銀座に寄りたい方
・昼は心療内科で、夜は銀座で、要領よく働きたい方
・新橋でとことん飲みたい方
・時間限定・残業なしで新橋で働きたい方
・逆に時間無限定、残業もっこりで、自宅に帰らず、新橋で働きたい方
・ミュージカルとか映画とか演劇とか汐留・有楽町に比較的、ついでの用のある方
http://www.tohostage.com/vampire/index.html ダンスオブバンパイア とか見たい傾向の人
・ブルーノートやコットンクラブやSTB139 スイートベイジルなんかが好きな人
・都心にいないと落ち着かない人
・どうせ泳ぐなら都心のホテルのプールがいいと思っている人
・都心のホテルのプールで泳ぐ人を眺めたい人
・短歌とか詩を作りたい人、作曲したい人、作詞したい人、映像作家になりたい人、CDデビューしたい人
・ポールスチュアートの季節の新作を制服にするので、それを着て働きたい方
・仕事の帰りにアルゼンチンタンゴを踊りたい人……深夜には待合室がダンススタジオとして使えます
・仕事が終わったらサックスなどを吹きたい人……深夜には音を出しても迷惑になりません
・ディズニーの年間パスポートがほしい人

ーーーーー
まあ、以上は冗談ですが
チームワークというものを理解している人がいいですね

4番バッターばかりを集めた一時期の巨人はチームではなかったでしょう
ぜひみんなでチームを作りましょう

勤務地は新橋、品川が基本ですが、あといろいろありますので相談しましょう

給料などは実力次第です
ただし金額は他の医院に比較すると少ないのでもともとの資産家でないと暮らしていけないと思います





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「エビデンス」と「スピリチュアリティ」 水島  広子

1999 年,WHO(世界保健機関)の
総会において,健康の定義として従来の
「身体的(physical)」「精神的(mental)」
「社会的(social)」の 3 つに加え「スピ
リチュアル(spiritual)」という要素を
含めることが議論された。これによって
「スピリチュアル」という概念が広く知
られることになったが,宗教ではない
「スピリチュアル」という概念は現代日
本人の多くにとって決してストンと落ち
るものではないだろう。
 一方,最近の日本ではにわかに「スピ
リチュアル」がブームになっている。そ
の内容は玉石混淆で,現実世界からの単
なる逃避に近いものも多いようである
が,中には犯罪的な霊感商法などもあり,
「スピリチュアル」という言葉を聞いた
だけで「怪しげ」と感じる人が多いのも
無理はないかもしれない。「怪しげ」と
いうのは,何も犯罪のことだけではない。
一般に私たちは人を洗脳するようなもの
を「怪しげ」だと感じるものである。何
かを信じれば救われる,という概念に洗
脳されてしまい,周囲が何を言っても聞
かなくなってしまう状態,すなわち主体
的なコミュニケーションができないよう
な状態を,人は「怪しげ」だと感じるの
だと思う。
 私は精神科医としての仕事の他に,ボ
ランティアでアティテューディナル・
ヒーリング(AH)という活動をしてい
る。AH とは,1975 年に米国の精神科
医ジェラルド・G・ジャンポルスキーが
始めた活動であるが,簡単に言えば,心
の平和を唯一の目的として,怖れを手放
していくというスピリチュアルなプロセ
スである。自分は心の平和を選びたいの
か,選びたくないのか,ということを
自分に繰り返し問いかけることになる。
「他人が変わってくれなければ自分の心
は平和にならない」という考え方も手放
す,という点では,「社会に変化を起こ
したければ,自分がその変化にならなけ
ればならない」と言ったマハトマ・ガン
ジーの考え方にも通じる。
この活動は日経新聞などで紹介された
こともあり,広く知られるようになった。
ビジネスパーソン,医療福祉関係者,教
育関係者,社会活動家,障害当事者など,
さまざまな立場の人がまったく対等な個
人として参加しており,大変な好評を得
ている。ワークショップをそのまま実録
した『怖れを手放す』(星和書店)も広
く読まれているようである。
ところが,おもしろい現象として,
「周囲の人に勧めたいが,『ヒーリン
グ』とか『スピリチュアル』という言葉
が怪しげに感じられてしまうので,何か
違う名前に変えられないか」という相談
を時々受ける。私も真剣に考えてみた
が,せいぜい「愛」を「あたたかい心」
に変えた程度で,「ヒーリング(癒し)」
や「スピリチュアル」に代わる言葉は思
いつかない。それにしても,AH を「怪
しげ」と感じるとは,何とも皮肉なこと
である。なぜかと言うと,AH は,先
ほどの私の定義によると「怪しげ」の
代名詞とも言える「洗脳」とは対極にあ
るものだからである。「心の平和を選び
なさい」という教義を持っているわけで
もなく,単に「心の平和を選ぶか選ばな
いか」という選択肢を提示するだけであ
る。しかし,自分の心のあり方は状況に
よって自動操縦的に決められるのではな
く「それ以外の」選択肢があるという気
づきは時として人の人生を変えるほどで
ある。これは認知療法の構造にも似てい
るが,認知療法はスピリットではなくマ
インドのレベルに働きかけることを意図
して作られたものだと私は理解している。
このたび岩崎学術出版社から訳書『対
人関係療法総合ガイド』を刊行してい
ただいた。私は 1994 年頃より対人関係
療法の勉強を始め,1997 年に『うつ病
の対人関係療法』(岩崎学術出版社,共
訳)において初めて対人関係療法を日本
語で詳細に紹介した。今では対人関係療
法専門クリニックを開くに至っているし,
厚生労働科学研究の「精神療法の実施方
法と有効性に関する研究」にも入れてい
ただき,日本でおそらく最初となる対人
関係療法のエビデンスを得るべく微力な
がら努力している。
 対人関係療法の魅力の一つは,そのエ
ビデンスの確かさと豊富さにある。もち
ろん,精神療法も治療法として薬物療法
と同じくらいの検証を受けるべきだと私
は信じているので,精神療法のエビデン
ス研究には大きな可能性を感じている。
 一方,対人関係療法の魅力は,それだ
けではない。私は以前から,なぜ対人関
係療法がこんなにもよく効くのだろうと
不思議に思ってきたが,その鍵の一つが
スピリチュアルな変容にあるということ
をここ数年実感するようになってきた。
たとえば治療においては「ゆるし(過去
の手放し)」が自然と起こることが多い。
「ゆるし」は現在においてしか起こらず,
そして,自分の感情に本当に向き合わな
い限り起こらないが,対人関係療法は過
去ではなく現在に,そして感情そのもの
に焦点を当てる治療法であり,かつ患者
に無条件の肯定的関心を伝える基本姿勢
を持つため,そのような土壌が本質的に
あるということなのだろう。「ゆるし」
はマインドではなくスピリチュアルな次
元で起こるものだと私は考えている。
エビデンスで知られる対人関係療法に
おいてスピリチュアルな変容が起こる,
と言われてもちぐはぐな感じがするだろ
うか。でもエビデンスとはしょせん現実
に起こっていることを可視化しようとす
る試みである。「精神療法のエビデンス
研究」と言われたときに人が違和感を覚
えるのは,「人間の心はそんなに単純に
表せるものではない」という感覚のため
だと思う。「そんなに単純に表せるもの
ではない」ものを可視化しようとして,
エビデンス研究はこれからも未完成なま
ま前進を続けるのだと思う。そして,そ
の過程で,治療において感じられる「ス
ピリチュアルな変容」もとらえられるよ
うになるかもしれない。エビデンスとス
ピリチュアリティは決して相矛盾する概
念ではないと思う。
 学術的な場ではまだまだスピリチュア
リティについて語りにくい雰囲気がある
が,よく見てみれば,精神医学の領域で
も,例えばクロニンジャーが提案してい
るパーソナリティ 7 因子モデルの「自
己超越(self-transcendence)」は明らか
にスピリチュアルな概念である。有効な
治療の過程でスピリチュアルな変容が起
こるのであれば,それについての学術的
な基盤もいずれ追いついてくるだろう。
日本でも,これからいよいよ「スピリ
チュアル」という概念が咀嚼される必要
があると思うが,究極のところ,他人を
変えなければ気がすまないものは「怪し
げ」で,自分の心のあり方だけに責任を
持とうとするものが本来の「スピリチュ
アル」と言えるのではないだろうか,と
いうのが私の現時点での考えであり,今
まで「エンパワーメント」という言葉が
示そうとしてきた概念に近いものではな
いかと思っている。つまり,外部の条件
によって自動操縦されるのでもなく,ま
た,小手先のスキルを云々するのでもな
く,自分の中に本来備わっている力との
つながりを見出すこと,と言ってよいの
ではないだろうか。まさにそれは精神療
法が目指してきたものの一つではないか
と考える今日この頃である。








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「過食費」と「深い癒し」水島 広子 

 近著「摂食障害の不安に向き合う―
対人関係療法によるアプローチ」を読
んだ方から,「過食のお金や,アルバイ
トをした場合の収入の扱いなど,ずい
ぶん現実的なことを細かく扱っている
ので驚いた」という感想をいただいた。
その感想を聞いて思い出したのが,米
国では,対人関係療法(interpersonal 
psychotherapy: IPT)が,精神科医や
臨床心理士だけでなく,ソーシャルワー
カーの方たちに多く活用されていると
いう事実である。ソーシャルワークと
IPT のアプローチに共通点が多いから
だということを,IPT 創始者ワイスマ
ンに聞いたことがある。患者の現在の
対人関係と症状の関連に焦点を当てる
IPT では,治療の過程で,様々な現実
的な問題が解決することも多いし,ソー
シャルサポートの量的・質的充実も重要
な治療目標の一つである。これは,ソー
シャルワークを専門とする人たちには,
極めて親和性の高いアプローチだろう。
 振り返ってみれば,IPT が治療法と
して開発される際に多くを参考にしたサ
リバンは,当時圧倒的に優勢だった精神
内界的アプローチとは異なり,「精神医
学とは,人々についての,そして人々の
間のプロセスについての科学的学問であ
り,心や社会や脳だけに焦点を当てるも
のではない」と教えた。この時点で,精
神医学がソーシャルワーク的な領域に踏
み出したと言える。そして,サリバンの
考えは現在では多くの臨床現場に共有さ
れていると思うし,ソーシャルワーカー
の方たちの活躍の場が増えているのも,
それが必要なことだと認識されているか
らだろう。
 一方で,こうした現実的なテーマを扱
うと,単なるソーシャルワークになって
しまい,「深い」治療にならないのでは
ないか,と懸念する人々がいるのも事実
である。もちろんそのリスクは否定しな
い。例えば,治療者側が一方的に問題解
決をしてしまうようなやり方だと,治療
的なプロセスは進まないだろう。むしろ,
患者の無能力感や依存心を増すだけかも
しれない。要は,どういうスタンスで扱
うかということだと思う。IPT の魅力
は,現実的なテーマを通して患者の力動
を扱えるところにあると私は思っている。
そこで得られるものは,症状の寛解にと
どまらない。ゆるし,深い癒し,患者や
家族の人間的な成長に感動することも少
なくなく,まさに精神療法に期待するも
のが得られるという印象がある。
 私が拙著に書いた一つの例は,過食症
状を持つ摂食障害患者の場合に必ずと
いってよいほど問題になる過食費の話で
ある。過食には膨大なお金がかかる。患
者の多くは若年女性であり,とても自分
でカバーできる金額ではないことが多い。
一人で何とかしようとすると追い詰めら
れて売春にすらつながり,家族に負担し
てもらうと,何らかの不和が生じること
が多い。そういう意味では,明らかに現
実的なテーマである。
そのようなケースに対して,私は細々
とした話を聞いて対応していくのだが,
私が持っている明確な原則は,過食費は
「家族が払うべき性質のもの」というも
のである。これは,摂食障害が病気であ
り,過食は症状であって本人のコント
ロール下にはないということを考えれば,
実は当然のことである(当然だと思わな
い方は拙著を読んでいただきたい)が,
こうしたことを敢えて明確に形にするこ
とは,大きな意味を持つ。患者の罪悪感
を扱うことになるからである。
 過食をやめられない自分,家族が苦労
して稼いでくれたお金で買った食べ物を
嘔吐してただトイレに流す自分,そもそ
も経済的に自立できておらず家族にいつ
までも苦労をかけている自分……お金に
ついての罪悪感を持っていない過食患者
を私は見たことがない。そしてその罪悪
感が放置されることで,病気の経過はま
すます悪くなる。患者の罪悪感は明らか
に治療で扱うべきものであるが,その有
用な「とっかかり」が「お金」なので
ある。IPT の「医学モデル」を適用し,
過食を病気の症状と位置づけた上で,患
者の自立も視野に入れながらお金の流れ
を細かく規定していく作業は,様々な治
療的プロセスを伴うものとなる。
 考えてみれば,「お金」は,私たちの
生活の中で様々なものを象徴している。
過食患者においては,「家族が苦労して
稼いでくれたもの(家族との関係性)」
であり,「自己コントロールの悪さの象
徴(自分の性質)」であり,「経済的に自
立していない,だめな自分を示すもの
(自分の能力,社会における位置づけ)」
であり,「今後の生活の安定を脅かすも
の(将来への不安)」である。「自己」
「世界」「将来」という,悲観的認知の
三徴のすべてがここに含まれているくら
いに,私たちの精神生活の全域に及ぶも
のだと言える。これほどホットな領域を
扱わない手はない,というのが私の考え
であるし,患者の現在に密着する IPT
では扱わざるを得ない領域でもある。患
者が実際に困っている領域を扱うことは,
治療関係を強固にするし,患者の治療意
欲も高める。そして結果としてソーシャ
ルワーク的な側面も達成できるのであれ
ば(IPT は治療であってソーシャルワー
クではないので,本当のソーシャルワー
クが必要になったときにはもちろんソー
シャルワーカーを紹介する。ソーシャル
ワーカーの活用を考えるところまでが,
IPT の守備範囲である),患者にとって
それほど「お得な」治療はないのではな
いだろうか。
そして,「お金」というテーマのやり
とりを通して,身近な他者との関係性の
中で,罪悪感が扱われ,無力感が扱われ,
将来への不安が扱われ,最終的には無
条件の肯定的関心を感じることが,IPT
で経験される深い癒しにつながっている
のだと思う。そもそも,私たち人間が,
細々とした現実的なことに従事しながら
毎日を生きているのであり,私たちの心
のあり方は,現実との関わり方に間違い
なく反映されている。心に触れる治療を
行うために,現実的なテーマを扱うこと
は,大変理にかなったことのように思え
る。



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お前はアスペルガーだと言われたら、それはお前だと言い返せ

「自己」と「他者」の区別がついている・・・自我が形成されている
「言語」を獲得している・・・言葉で論理的に考えることが出来る
多分その上で心の理論が成立する

ーー
しかしそもそも自我というものが何であるか非常に怪しい

わたしはそれは意味のある錯覚なのだと考えている。その錯覚がなくなったとき、自我障害が発生する

ーー
言語も非常に疑わしい

嘘をつく習慣のある人はいて、これはおそろしい。嘘と真実の境界線を自分でコントロールできる気になる。
そして相手もそうしているだろうとみなす。そうしたことは言語が引き起こす必然の副作用である。
あるいは真実もそのようないい加減な捏造物のひとつにすぎない。
シェイクスピアが言うように、現実は夢と同じ成分で作られている。

ーー
お前はアスペルガーだと言われたら、それはお前だと言い返せ
そのようにレッテルを貼るものではない
しかしその次元で喧嘩を売られたらその次元で買う


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境界性人格障害と双極Ⅱ型

無題.JPG

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体感型メンタルヘルス研修

「変えられないもの」……外的ストレス要因
「変えられるもの」……思考と行動

 ストレスの原因となるものを自分で変えることは出来ません。
 ストレスとなりうる原因を「変えられないもの」として受け容れ、ストレスとして受け止めない思考と行動のスキルを学ぶ。
 
(1)何をストレスに感じるのかという自己特性を理解する
(2)変えられるものと変えられないものを区別し、コントロール可能な領域を把握する
(3)直接的には変えられないストレスの要因に対して、自己の思考と行動を変えることにより対処できるようになる

こんなプログラムで1日30人で140万円の請求書が会社に届く。
こんなものより社員にお金で分配して欲しいけれどね。ひとり4万円。



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いい女は不幸になる 誤解系の男女

佳人薄命というが
いい女は不幸になるというのが最近のわたしの観察である

わたしが観察しているいい女といっても
8丁目の健全な職員さんたちのことで
ママさんたちはもうこれ以上不幸になりようがないくらい不幸であるから除外する

彼女らはOLさんとして勤めていても特に目立たない程度の人が多い
だから比較的きれいかなという程度の人である
本当の美人がどうなるのかについては知らない
芸能人はたいてい仕事の近くの人とくっつくようで案外まともな選択をしているのかもしれない

そんなわけで少しだけ様子のいい女がいるとして
たいていの分別のある男性はためらう
もちろん、自分などが釣り合うとは思えないからだ
どこかのすごい男があらわれて
やっと釣り合いがとれるのだろうと思っている

女のほうも自分はかなりいい女だと思っているので
当然釣り合うようないい男を待っている

生まれつきのいい女もいるし
全身美容整形したようないい女もいる

話を聞くと、美人さんたちは人間嫌いになるようだ
わたしが整形したとたんに手のひらを返したようにちやほやし始めた
まったく信用できない
若い子が新しい整形したらそっちに行くに決まっている
と絶望的な真実を観察している
頭は悪いのにこんなところだけはしっかりと分かる

高嶺の花にアタックするのは誰だろうと思っていると
本当にすごい男ではなくて
自分はすごいと誤解している男なのである
本当にすごい男は8丁目なんかには来ない
やることがたくさんある

いい女たちも最初は分別がある
「バカね、自分はすごいと誤解しているんだわ、お門違いよ」
と言えるのである
しかし、人間は魔が差す

なぜかどういう分けか知らないが
そんな男のひとりが選ばれてしまう
誤解系男以外の男にはまともに相手にされないで時間が経つのが
よくないのかもしれない

とにかくいろいろな意味で誤解系男が
押し続けて果実をもぎ取る

いったいどういうことなのかと最初は思うが
どうも見ているとそれなりにふさわしい二人のようでもある
いい女というものは頭の中は誤解系女なのだ、たいていは

長い間の習慣で誤解系女になってしまうのかもしれない

誤解系男と誤解系女が長くうまく行くほど世の中は甘くないので
次の誤解系を探す
男はだんだん誤解度が増す
女は次第に誤解度がダウンする
そんな傾向があるように思う

本当に世の中は難しいものだ

子供が生まれると
ママは美人なのにどうしてわたしは美人じゃないのと言われるらしい
その誤解型性格以外は遺伝しないに決まっている


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搾取の構造を訂正しようと訴えるなら

搾取の構造を訂正しようと訴えるなら
国内規模か
国際規模かと考えて
国内だけにとどめる理由はないはずである

自分にも他人にも貧乏を強制できる権力というものが成立するものかどうか

ここから先
賢者は沈黙する

良心的な人間は祈り続ける

世俗的な人間は何にせよチャンスだと思う

飢えて死んでいく子どもたちにとって
文学的実験など無意味である
あらためて何度でも無意味である

そして文学的実験にとって
飢えていく子どもたちは無意味である

みんないんちきをしている

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横浜元町雑貨屋さん

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横浜元町の雑貨屋さんなどで買い集めた人形などが好きだった
破壊されたまま元に戻らない
こんな事は深く恨みに思う

破壊してしまえる人がいるのだと心底恐怖を感じる
人間は戦争を起こして子どもも含めて根こそぎ殺してしまえる存在である
パレスチナでの戦争をニュースで見るがそれは特殊な人たちではなくて

私の人形を破壊したと同じ種類の人間がいまも人殺しをしている
それがあなたの隣人なのである

そして聖書は隣人を愛せと教えているのである

写真は残った

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