刑務所の構造 放射構造
多分、古い部分なのだろうね。
何年の前のことだけれど、うっかり連れられて見物したことがある。
単純化して言えば、
まあ、実際単純なのだけれど、
放射状に6本くらいの通路があって、
その中心に監守の詰め所がある。
正六角形の中心部で監視していて、
廊下は放射状、
各人の部屋は廊下に沿っていくつも並んでいる。
こうしておけば、最低二人いれば、常時360度を監視していられるわけだ。
最低の人数で効率よく監視できる。
最近はコンクリート高層建築だろうから、また監視カメラもあり、
こんな必要もないだろうが。
外務省佐藤氏の苦難
外務省のラスプーチンこと、佐藤氏。
ノンキャリア入省だったという。
かれは逮捕され拘留され、人生が大きく変わった。
その転機に当たり、ふてくされることもなく、勇敢に対処している。
事件の詳細は知らないのだが、
今日できることは何かと、問い、今日できること、今日なすべきことをしているように見える。
なかなかできないことである。
外部から訪れた、強制された人生の転機に際して、いかに対処するか、人間が問われている。
北原ミレイ ざんげの値打ちもない 石狩挽歌
こんな言葉を思いつく人は死なないで生きているんだ
私はここまで苦しんだことはなかったかも
暗室で写真現像
カラー写真が普通の写真として定着していた頃であったが、
個人の家でフィルムの現像、印画紙への感光、現像、定着なども比較的小さな設備で可能だった。
風呂場でもできた。
伯父がそんな設備を持っていて、何度か現場を見せてもらったことがあった。
わたしは中学生の頃、写真部の設備を使って、
白黒写真を焼けるようになっていた。
伯父の設備を思い出し、話をしてみた。
親戚に譲ったが、多分使っていないと思うので、話してみようかというのだった。
結局、その人が使っているから、譲ることはできないとの返事だった。
あの当時は、そんなはずはないだろう、ケチだなあ、などと思っていたのだが、
いまから思えば、そんなことに時間とお金をかけないで本当によかったと思っている。
他人のケチに感謝。
万事塞翁が馬である。
杞憂
杞憂
と書こうとして、なんだか紋切り型のようで、やめた。
しかし杞憂というのは中国の故事成語の一つで、
この言葉だけで、小さな物語を誰にも思い出させるのだから、
イメージ喚起力は大きい。
「愚か者の人生は不快で不安定で、未来のことばかり考えている。」(セネカ)
との言葉を思い出した。
キムヨンジャ、ヤンスギョン
韓国人の歌う『演歌』で、1990年代くらいのことではなかったかと思う。
韓流ブームなどは予想されていなかった。
ヤンスギョンは、
田村正和、高橋恵子、古屋一行、脚本・鎌田敏夫のテレビドラマ
「過ぎし日のセレナーデ」の主題歌を歌っていた。1989年。
田村正和は 榊隆之 役だった。
昔はひどい時代で、
韓国旅行といえば、一部では、女性には嫌われ、
男性が安くいかがわしいことができる旅行と思われていたような面もあった。
美容整形した女性にサービスされて日本人は喜んでいたらしい。
PC98 NEC 儲けはどこに消えたのか?
最近何かでNECの名前を見かけた
そして昔を思い出した
そもそも電電公社というものがあり
電話事業を独占していた
電電公社には製造部門がなく
日本電気が下請けしていた
従ってNECは電話機や交換機や通信関係については強いはずなのだった
いまでも、TAなどについては信頼性が高いと言われることがある
ソニーなどはそんな製品は作っていない
大型計算機は富士通が強かったらしいが
パソコンは交換機の延長のようなところもあり
NECは本では優位に立っていた
PC88に続いてPC98を発売して、本格的な独占が始まった。
そのころPCが必要になり
一番いいので間違いないだろうと思い
PC9801の初代機を買った。
MSDOSと一太郎、ロータス1-2-3の時代だった。
その後、AT互換機は不遇の時代が続く。
NECと一太郎が組んで、日本の市場を牛耳っていた。
わたしはそんなのが嫌いだったので、
エプソンのノートマシンを愛用し続けた。
結局三台乗り換えて使用し、現在も手元にある。
電源コンセントさえどこかに行ってしまったけれど。
二台はDOSマシンだ。
VZとATOKを組み合わせて、非常に満足できる日本語入力・編集マシンとなった。
最後の一台はWin3.0がインストールされていた。
遅かったけれど、このときからカラー画面になった。
NECはWindowsの時代になってシェアを落とした。
その前には、画面に日本語を表示する時に、
日本語フォントのメモリーがあらかじめあり、
従って海外製品には真似のできない、高速日本語表示ができる、
わたしはそんな風に理解していた。
Windowsが開発される経過の中で、
これはアップルのOSの真似ではないかとの裁判が始まった。
詳細は知らないが、当時の友人の話によれば、
ビル・ゲイツは、似ているというのなら、「どこが似ているのか説明しろ」、
そうすれば「どこが違うのか説明してやる」
などと屁理屈をこねたというのだった。
ド素人だった私も、「要するにアップルの真似をしたんだね」と理解し、
その友人にも、「そうだね、アップルには及ばないけれど」と説明を受けていた。
一方で、アップルも、基本コンセプトは、ゼロックスの開発になるものを借用していたとかで、
マイクロソフトを追いつめるには至らなかったというのだ。
まあ、そんなこんながあって、Windowsが普及し、NECの独占は崩れ、
現在に至る。
思うに、当時のNECの莫大な儲けはどこに消えたのだろう?
それが不思議でならない。
昨日などはサッポロビールが外資筆頭株主であるスチール社の動きに
翻弄されていると報道されていた。
企業も土地も着々と国境を気にしない企業に買収されつつあるのではないかと憂うつになる。
軍隊とスパイと資本金がある米国はまだしばらく世界の支配者なのだろう。
中国が、著作権法はじめ、米国の戦略的権益を無視したら、どうなるのだろう。
中国としては、ある日、どこどこの私企業設備をすべて国家が没収し、
国営に移行すると宣言しても、自由なのだろう。
PC98の頃のNECは国営企業の延長であり、
現在は私企業になっているという感じがする。
当時の儲けを蓄積しておけなかったのは、
役人体質のゆえではないかと思う。
はばたく
すべてを捨てるから
はばたくこともできるだろう
そこまで景気よく空騒ぎしなくてもいい
あまりに居心地のいい空間があると
人間は場所に固執する
すべてを捨てるから
歩き始めることができる
すべてをすてるから
この世界自然のすべてを自分の家と思うことができる
本箱の裏の金具
補強の金具が見えている。
この本箱を作った時の情景が浮かび上がる。
あのときは本箱などの備品のほかに、
床の配線に汗だくになったものだった。
あのときはこんな終わりがあるなんて
つゆほども思わなかった