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皮膚粘膜移行部

皮膚粘膜移行部という部分が人間にはある。

例えば、口の中は、粘膜部分。
顔の表面は皮膚。
その中間にあるのが、皮膚粘膜移行部で、唇のことである。

唇を舌でぬらせば、口の中と同じように、粘膜の状態になる。
乾けば、皮膚と同じようになる。
両方の性質を持つ部分があることで、
とても便利なのだ。
食事に便利だけれど、
赤ん坊が母の乳首を吸う時、
乳汁をこぼさないのは、
唇が粘膜のようになって、ぴったり吸い付くからである。

別の場所でいえば、性器がそうである。

ヘルペスウィルスは、皮膚粘膜移行部を好む。
これも不思議な性質である。
いったん感染すると神経核部分に潜伏し、
免疫機能が低下した時などに、皮膚粘膜移行部付近に発疹を形成する。
どんなメカニズムなのか、考えるけど、
勿論、分からない。

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映画「ドクトル・ジバゴ」(6)

運命がすべてを押し流す。
暴力と飢餓と肉欲と、そんなものの前では人間はあまりに無力である。
翻弄されるばかりである。

ロシアという国についていえば、
テニスのシャラポアを生んだ国である。
それだけで、尊敬してしまうのだ。

ジバゴとラーラは医師と看護士として苦労を共にした。
この一体感は他に替えがたいものがあるだろう。
医師と看護士という男女のペアは、古くから最強の組み合わせではないかと思う。
男と女の根本はそんなふうにできているのだろうね。

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映画「ドクトル・ジバゴ」(5)

ロシアの革命によって財産が没収される時の感覚。
こんなこともあるなあと思う。

現代日本でも、倒産すると、財産は没収される。
あるいは、会社買収や役員改選や、そんな変動によって、
いままで当然に自分のものだと思っていたものについて、
所有権を剥奪される。
その理不尽さ。
一部は非合法で一部は合法である。
合法的なものまで含めて嘆くなら、「甘い」ということなのだろう。

でもね、これは自分で働いて、こつこつ蓄えたものじゃないでしょう。
合法的な横取りでしょう。
そんなことが人間の感覚として、許されるものだろうか、と思う。

合法的ながら、行為自体は、泥棒だ。

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映画「ドクトル・ジバゴ」(4)

大変な運命を非常にタフに生きているわけです。
これは素晴らしいスタミナですね。
この人たちは生活費をどのようにして工面していたのだろう。
一面に雪景色だけれど、あのふぶきの中で、どのようにして食料を確保し、
暖房燃料を確保したのか。
まず飲料水を確保するだけで大変だったろうと思う。
そんなのに比較すると、現代の我々はひ弱になったのだろうか。

しかし、我々の遺伝子は、過去を生き抜いてきた遺伝子である。
だから、いざとなれば結構強いのかもしれない。
また、現代のストレスは違う方面で問題になっているわけで、
例えば、「食べ過ぎてはいけないストレス」とか、
「用もないのに走って、体重を一定に保つストレス」とか、そんなものになっている。
都会にやたらにたくさんの似た人が集まって、厳しい仕事をしているのも、
特徴ではないか。
みんな電車の中で活字を追い、音楽を聴いている。
通勤に満員電車で片道一時間。
ばかばかしくならないのかね。

現代人もやはりタフだな。

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映画「ドクトル・ジバゴ」(3)

ソ連邦成立に至る武力闘争が描かれているのだが、
政治的志があるとして、どこで戦うかは、
やはりかなり考慮する余地があると思われる。

現在の日本でいえば、
1.政権与党内で勝ち残り、権力に至る。
2.野党側で、権力を目指すが、現体制を維持する。土俵は壊さない。
3.土俵を壊す。体制を壊す。権力を握ったら憲法改正する社会主義革命など。

民主党・鳩山氏の場合など、むしろ、自民党内で順番待ちしていた方が、
権力には近かっただろうと思う。
自民党・河野洋平氏の場合には新自由クラブで回り道をした。それが良かったのか悪かったのか、難しい。



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映画「ドクトル・ジバゴ」(2)

映画の中で、ジバゴがラーラを好きになり愛し合うに至るのは、
運命であり、仕方がないことのようである。
むしろ肯定的に描かれている。
無論、現実にラーラのような女性が現れていろいろあったとすれば、
男性は恋愛感情を開花させてしまうのは仕方ないのかもしれない。
小説では、そのような圧倒的な魅力を持つ女性を描くことが目的なのだろうから、
人物造型としては成功しているともいえるだろう。

映画の中で、ラーラを讃える詩がどんなものなのか、
紹介はなかった。

しかし、女性としては、「やってらんないよ」という気持ちもあるだろう。
どんなに魅力的な異性を前にしても、礼節はあるはずである。

でも、それは百も承知で、六ヶ月も医師と看護士として仕事を共にしても、
一線を越えなかった、分別のある大人の二人で、
しかし、再び偶然が導いてしまって、
それが運命だったのだ、
そんなにもナイスな男性とナイスな女性が存在したのだと描いているのだから、
それで特に目くじらを立てるものでもないのだが、
それにしても、勝手なものである。

革命の混乱、厳しい運命、厳しい気候、すべてを考慮する必要がある。

しかし、それは、
決して高級な感情ではないことを
言い添えておきたい。

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映画「ドクトル・ジバゴ」

パステルナーク原作。いつか読もうと思って二冊組みの翻訳を買ってあるが、いまだに読む機会がない。
どうせ長いので億劫でもある。
映画は、全体で3時間20分の長編である。
しかし最近はドラマを一気に見たりするので、途方もなく長いとは思わない。
筋書きにかなり起伏があり場面も転換するので、その点でも、飽きない。

演技はいいと思う。たとえば、お互いにどうしようもなく惹かれて、
抱き合う場面など、いけないことなのに、どうしようもなく、という表現ができていた。
別れの場面は痛切である。その痛切さを動作で表現できていた。

たっぷり時間をかけて、
ねっとり絡みつく、いい味である。

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日本映画「隠し剣 鬼の爪」

珍妙な方言。
セリフと動作と映画の中での意味が、ずれていて、
そのずれに苦しみ、観客は吐き気を催す。
映像で香りを感じさせる映画もあるそうだが、
この映画は映像で吐き気を感じさせる、
大変な意欲作である。そして成功している。
映画を楽しみに来た客に、吐き気を感じさせて退散させるのだから、
客としてはよいプレゼントをもらってありがたい限りである。

藤沢周平は好きなほうだ。

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