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「れっか」と「したごごろ」

れっか というと 烈火のごとく怒る わけだし
したごころというと 下心を抱いて接近する というやつで 愛と恋の違いは下心があるかないかだ

でもこれは そうじゃなくて 書道の話なのだ 教育書道って、知ってる?

ーー
書 写 科 学 習 指 導 案

空中の送筆に気を付けて 「熱意」

熱意の文字の特徴を分析する活動を通して,「れっか」と「したごごろ」の正
しい書き方に気付き,字形を意識して書くことができるようにする。

○ 教師は,熱意という文字を書いて,熱意という意味を問うことや,子ども
に何に対して熱意をもっているかということを聞くことを通して,子どもが
熱意に対するイメージをつかむことができるようにする。

○ 一回目に試書をした後,自分の書いた熱意と手本の違うところを手本に書
き込むことでこれから自分はどこに気を付けて書けばいいかという自分の目標
をそれぞれ見つけることが出来るようにする。

 ・ 子どもに椅子を机の代わりにして赤ペンで出来ていないところに印を入
れてもらうことでそれぞれの目標を持つことができる。

 ・ 教師は大判の手本に予め,字に書き順をふっておくことで子どもが何画
目をどう書けばいいか答えることができるようにする。

 ・ 子どもに自分の書いたものと手本の違いを発表してもらい,教師は大判
の手本に色分けしてで書き込む。書き順を緑・字の間隔を青・気を付けるべき
ところを赤で色分けすることで,何をどう気を付けるべきかに気が付く事が出
来るように促す。

○ 字の特徴を発表し合うことで,文字の特徴についての理解を深める。

  ※どんな字の特徴が出てくるか 列挙しましょう!手本を参考にして!

   複数をしめして箇条書きにすること! 

 ○ 「れっか」について意見が出てきたところで,よい手本と複数の悪い手
本を子どもの前に提示し,「どれがよいか」と問いかけ,悪い手本は,れっか
の画のつながりができていないものにすることで,子どもが画のつながりに着
目できるようにする。

 ○ 「したごころ」について意見が出てきたところで,複数のしたごころを
書いてみせることで,どこに気を付けて書くとよいかに着目し,「空中書き」
は筆先がつながっている気持ちで書くことが必要なことと,点にみえるよう
に,点の終わりを押さえるようにして書くことがポイントだということを意識
付けできるようにする。

 ○ 「れっか」と「したごころ」の共通点に着目したところで,「空中書
き」の書き方がどちらも使えそうだということを伝えて,心の空中書きを水板
書を用いて指導する。

 ○ 活動を振り返ることで,本時のめあてをつかむことができるようにす
る。 

○ 点々と心の空中書きに気を付けて2枚目を子どもに書いてもらうことで,
めあてに対する意識を徹底することができるようにする。

○ 机間指導をし,子どもがめあてを達成する様子が見えたら,赤で丸をして
称揚する。

○ 間違いを見つけたらどう書けばよいか赤で示すことで,子どもが修正のイ
メージをもつことができるようにする。

○ 試書を入れて計3枚書くことを伝えることで,子どもは少ない枚数の中で
集中することができるようにする。

○ めあてを振り返ることで,空中書きを意識して書くことができたかを意識
できるようにする。

○ 4分間黙って片付けようと声かけすることで,子どもが片付けに集中する
ことができるようにする。

ーー
よい子たちは先生の思い通りに意見を言うのだろうな。
わたしは引っ込み思案だったので
決して意見を発表することはありませんでした。

わたしが挙手しないことを批判した先生もいましたが
それについて言い返す元気もありませんでした
だって、いやなんだもん。

ーー
「空中書き」を学ぶんだって。
たいしたもんだ。
やっぱり学校は行った方がいいな。
何のことか、だいたい分かるような気がするけれど、
それを空中書きと言うのは知らなかった。

ーー
教えるとは書いていなくて
「気付くよう援助する」という書き方ですね

そうです
教師にできるのはそこまで

ーー
ここでも、
自分の書いた結果を確認して
目標と比較照合して
訂正して
また書く
というプロセスになっている

比較照合・訂正
これを反復すれば
手本の通りにするとか
自然法則の通りにするとかは
原則できるはずである

このプロセスで人間の脳は自然の法則を写し取る
しかしたいていの脳はすこしずつ壊れている

できないのは
(1)比較照合が間違っている→自分の字は充分に素晴らしい!(過剰自己愛性)
(2)下手なのは分かっているのだが修正できない→一般人

1か2か、どちらか、または、両方が壊れているのが一般人である
だから行き止まりになる


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教育界

いろいろとある今日この頃
教育界でも混乱と諦めである

学校教師になるには大学で6年勉強しなさいとかという案が出て
これもびっくり

わたしの考えでは先生は
子どもより0.1ミリだけ賢いだけで良い

子どもは教師から学ぶのではなく書物と自然とから学ぶので
余り関係はない
邪魔しない教師が良い

先生が修士を出ていないといけないということになると
母親はどうなるのだろう
うっかり自分の子どもを教育できなくなる
修士を出てから親になれ?

修士の二年間で何を学ぶのか公開したらいい
無駄だということがはっきりするだろう

6年にするのは少子高齢化社会の必然で
子ども時代・修業時代が「高齢者の都合で」長くなるだけである
教師養成学校が儲かるのだ
4年が6年で1.5倍の売り上げ増だ

教師の質を確保したいのならば6年生はむしろよくない
やる気がなくてお金のある人たちが多くなる
やる気のある人は2年を無駄にしたくないから

教職試験を実技とセットにしてはるかに難しくしてしまい
教員免許を一生使える金看板とする
給料を年収3千万くらいに設定すれば
人材は集まる
それ以外は何をしても無駄

子育て支援金を配るくらいなら
教師の給料を上げればいいと思う

ーー
こうして書いてみて思うが
はやり間違っている
孔子先生が年収3千万なんていうはずはない
貧しいのがにあっているのだ

孔子先生が豪邸に住んでヨットで遊んで株と為替に気をつけているというのは考えにくい

孔子先生がすんなりと教職に就けるようにする方法がないものか

何人もの人に会っていると
この人は教職向きだなあと思う人がいるものだ
ある程度明らかなのだけれど



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花束を贈ったあとに踊る

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はなたば

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はなたば

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はなたば

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はなたば

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ばら

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つぼみの花束

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つゆばら

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つゆばらなど

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花束の束

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接写

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ばら

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お祝いのお花

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ばら

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はなたば

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Ubuntu 8.04 LTS版

Ubuntu 8.04 LTS版
日医標準レセプトソフトの公開 

Debian GNU/Linux 5.0 (Lenny) への対応は行わない。

従来、日レセのプラットフォームとして採用してしてきたDebian GNU/Linuxは、OSとしての安定性は優れているものの、バージョンの切り替わりが早くセキュリティを担保するため、短い期間でのOSの入れ替えをせざるを得なかった。
よって、Debianにかわり、5年間のロングタームサポートを行っているUbuntuを新規OSとして採用し、
Ubuntu版日レセをリリースする。
2009-08より評価用として一般公開を行い、正式リリースは2009-10中を予定。 

というわけで今日にいたり、
オンライン請求業務は2010年4月にしてくださいとのアナウンス。

良いことだ。


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酔ったらとってもかわいいのよ

8丁目で
あなたはね、しらふだと難しい人だけど
酔ったらとってもかわいいのよ
なんていわれて
飲まされている

本当はかわいくて愛されるおじいちゃんでいたいんだ
そこがよく分かっているらしい

飲んでしまえば
あんなことも何度もできるわけでもないし
向こうは楽ができるのだ

せいぜい髪をなでたり
する程度

向こうが上手だ


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脳は自己訂正できるか

認知療法は脳の自己訂正のプロセスなんですが
それは原理的に可能なのでしょうか

ーー
まず神経系は原初的には
刺激に対してダイレクトに反応しているだけです

眩しければ眼球の絞り部分を自動的に小さくしますし
走り出せば自動的に心臓の鼓動は速くなります

しかし進化の過程で
そのような原始的な反応だけではなしに
「予測して反応する」
ことができるようになりました

たとえば
日本語漢字変換のシステムで
最初の二文字くらいを入力すると
最近の変換実績から予想してそれを変換順位の上位に持ってきます

同じようなことを脳は実行しているわけです
ボールをどのくらいの力で投げたらどのあたのに着地するだろうかとか
目的とする動物にあたるだろうかとか
予測します

予測機能があるから「不安」が発生します
未来も予測もない世界では不安は発生しません
不安の病理は進化の、かなり後半になってからの出来事になります。

ーー
予測機能がどのくらい精密であるかは
個体差があります

そのことが
「運動神経」の一部になります

ーー
ここで注意しておきたいのは、
現実を忠実に再現して予測できたとして、
それは脳の二通りの機能が関係しているということです

生まれたときから偶然に、世界の法則と一致して、予測できる脳は実際に存在しています
数学の天才などです
これは学習機能とは関係がありません

しかしまた、それとは別に、
学習機能が優れているために、
世界の法則を脳の中に正確に写し取ることができる人たちがいます

前者は世界の法則が変われば全く適応できません
後者は法則が変わっても適応できます

現在の適応としては、一見似たようなものになるのですが、
脳の機能としてはずいぶんと違うことをしているわけです。

ーー
この文章で問題にしているのは、後者の「自己訂正」機能です。「学習機能」といってもいいものです。

ボールを投げることを
何度か試行錯誤をした後に、
この程度の力で投げるとあのあたりに行くぞ
という感覚です
それは脳の中に現実の「模写」が成立していて、
その中で、投げるシミュレーションをしてみているわけです。

そして
実際に投げてみて、現実の結果と比較照合します。
現実とあわない場合は、自分の脳の中にある「世界模型」が不正確だったのです。

そこで、脳の中にある「世界模型」を修正します。
そのようにして次第に正確な「世界模型」ができあがるわけです。

ーー
さて、この場合に、脳の「比較照合機能」が正確に作動していれば、
脳の内部にある「世界模型」はどんどん正確になっていきます。
しかし、「比較照合機能」がうまく作動しないとどうなるでしょうか。
「世界模型」は正確になりません。
いつでもずれた予測をして、現実の結果と一致しません。
しかしそれを訂正しないという、不思議な行動が発生します。

世界に満ちている不合理で理解不能な行動は多分、このような原因から発生しているのですが、
誰にしても多かれ少なかれ、「比較照合機能」は完全ではありませんから、
なかなか難しいわけです。

ーー
そんな風にして「不完全な比較照合機能」を持ち、不完全な「修正機能」により、
「世界模型」は不正確なままで、
どうにか生きているのが、現実の人間の現状なのです。

まずまずで生きていけるわけです。

ーー
さて、話は元に戻って、自分の認知がずれているとして、
その不都合をどのようにして解消できるでしょうか。

(1)現実と自分の内部の予測の差を「認知」できていれば、訂正するチャンスが生まれます。「認知」できていなければ、訂正の必要性が生まれません。

(2)現実と予測の差を認知できなくても、他人に指導されて、素直に受け容れれば、訂正するチャンスは生まれます。ただ、応用は利きません。

(3)差が認知できていても、「訂正」はできないという場合もあります。場合があるどころか、多くの場合はこれなのです。
例えば、自分が描いた絵がへたくそだと多くの人は「認知」できています。しかし、たいていは、「訂正」できないのです。
ピッチャーをやっても、ストライクが取れないことは分かるのですが、「訂正」はできないのです。

ピッチャーの場合には筋肉の発達も関係あるわけですが、
絵を描く場合には、線を引くだけですから、原理的な不可能はありません。
消しゴムで消して書き直したっていいのです。
だから「現実とずれていることの認知」だけできれば、それなりのいい絵は描けるはずなのです。
しかし現実はそうではないことを考えると、人間の脳はかなり出来が悪い部分があって、しかしそれでも何とか生きていける、そのようなもののようです。

ーー
認知のズレを訂正しましょうと言うことになるわけですが
ズレを「認知」できるか
それを「修正」できるか
どちらもかなり不可能に近いことなのです

認知できるくらいなら、とっくの昔に認知しているわけですし、
修正できるくらいなら、とっくの昔に修正しているはずです。

それができないから
さして適応もよくないけれど、我慢して今日まで生きてきたわけです

それなのに、「認知の癖を修正する」なんて言われても、
二重に難しいのです

ーー
人間が、いまの自分とは違った認知セットを、持つことができれば、比較検討ができます。
しかしそれができない。
比較検討する自分は一つなのです。
自分の意識の下位セットを比較することはできるでしょうが
全体を判定するのは自分自身なので
そこに困難がある。

ーー
ゆがんだ鏡は自分がゆがんでいることをどのようにして自己診断すればいいのでしょうか。

たいていは、世界がゆがんでいると判定しています。

実際、世界がゆがんでいるのかもしれず、また、世界も歪み、鏡もゆがんでいるのかもしれず、
そうなると歪みってなんのこと?という話にもなります

そこから先は難しい
適応主義で言うと現実はなんといっても適応すべきものとしてそこにある

良い悪いの問題ではない

果たしてそれでいいのかも
いろいろな主張に分散してしまう

ーー
そんなわけで、たとえば英語の発音を日本なまりから、ブルックリンなまりに変更するとか、
そんなこととは少し次元が違うわけです。

ーー
昔の話で言えば、
無意識を意識化する、というプロセスにも似ている

意識化できないから無意識というのだという認識もあり
しかしそれでもその一部を意識化するのだという流派もある

特有の認知の癖を持っている人が
特有の認知の癖を、その癖の土俵の上でなおそうとするのであって、
なかなか複雑。

治るものならば、認知している自分も、認知されている自分も、一挙に治るはず
治らないならば、両方治らないはず

理解したけれど治らないというのはフロイトの昔から
それはちっょと違うだろうと言われているような気がする

ーー
こうして考えてみれば、
フロイトの昔からの焼き直しの側面もあり

そもそも原理的に不可能であるような気もしてくる

脳は自分自身を操作できるのか?
そう定義しても良い

修正するということはその部分を一時的に否定することであって、否定される部分は抵抗するはず
ということは、そうではない、修正を肯定する部分があるはずなので、
その部分は修正を受けないはず
だから修正には限界があるはず

だから脳は自己修正は部分的にしかできないはず

そんな話

ーー
難しい話が苦手な人は簡単に 「ポジティブ」に行こう 「ネガティブ」はだめ でもいいとおもう
そんな言葉に納得できるなら
自分はその程度なのであって
学生時代に数学ができなかったのだから
そんなもんだろうと思うことだ
むしろ安心していい
悩みは深くない

認知療法で
急に数学が分かるようになるはずがないことは
分かっていますよね?

そして数学なんか分からなくても
人生は充分に楽しいことも分かっていますよね

おなじことなんです


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ゆがんだ鏡

意識は世界を写し取ります

世界を映す鏡のようなものです

もしその鏡がゆがんでいたらどうすればいい?

ーー
鏡を二つ並べてみて
ゆがんでいるかどうか
比較すればいいですね

でも比較して判断するのはあなたの意識なので
話は複雑

ーー
たいていは
鏡がゆがんでいるとは思わずに
世界と他人がゆがんでいると
考えるわけです


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55%が1028×768ドット

Windows 7のベータや製品候補版をインストールしたパソコンのディスプレイ解像度は
55%が1028×768ドット。
宣伝されているほど
大画面ではないようだ。

基本的に邪魔だからね。



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プリウス

女性と一緒です。「すべてが良い」女性なんてなかなかいるものじゃなくて、ココがいいと思えるところ、響くところがあるのであれば好きになる。プリウスのそういう部分をぜひ好きになってほしい、とそういうことですね。100点満点ではないかもしれませんが、光っているところを見ていただきたい。
ーー
GM、BMW、ダイムラー連合で共同開発した2モードハイブリッドシステムもようやく量産体制が整い、メルセデスのMLやBMW X6に搭載されることが決まった。またメルセデスのSに続けとばかり、BMWは日本で7シリーズのハイブリッドモデルを発表。これは来年前半にも導入されることになる。
ーー
とのことです。


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東京の夜こそかなし

忘れたる

不可思議の夢

やさしくも蘇る

東京の夜こそかなし


春の愁いは

恋人の髪の香のごとく

ほのかに

やさしく

忍び寄るなる

ーー
春の夜の

心に少し

かかるもの

一筋残る

黒髪か

忘らるる身の

いとしさか

夜は夜とて

昼は昼ゆえ

黒髪の

いたずらに

乱れそめしか

読み捨てし

文がらなるか

春の夜の

心に少し

重きもの

ーー
竹久夢二より


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うつ、うつならず

擁也第六-25
子曰はく、こ、こならず。こならんや、こならんや。

「こ」は難しい感じなので出さないが
酒杯のようなもので、正式には六角形だという。
それが最近では六角形が守られず、どんなものでも「こ」だとして通用している。
それが嘆かわしいと言っている。

ーー
君子と言っても名に価しないものが多いし
臣といっても名に価しないものが多いことの嘆きであるともいう

ーー
最近で言えば
「うつ、うつならず」である

いま、うつと言っているものは、昔のうつではない
うつと違うものがうつと呼ばれて
甚だしい誤解を招いている

うつでないものをうつと呼ぶことの利益があるから
そのようなことが流通する

そのことで損をしている人も多分存在している


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