チャンス
教育してもうまくいかないなと思う場合もあり
しかしまたそこにチャンスがあるとも考えられる
普通に教育して
誰でも同じように覚えてくれるなら
ビジネスチャンスもない
普通に教育してうまくいかないからこそ
選別の意味が出てくるし
教育方法の価値が出てくる
驚くような他人を知るとき
自分を知る機会になる
自分のような人だけではないのだと知る
結局、自分を知るチャンスである
教育していると伝言ゲームが発生する
教育していると伝言ゲームが発生する
全員を一度に集めて均質な教育をしないと
「いろいろなやり方がある」なんていうことになる
私は教えてもらっていないと言い張る
それを防止するには一斉全員教育するしかない
たとえていえば(うちの妹みたいに)、(例えに出したりしてごめんね、妹)
a(b+c)=ab+c とやっていて
なんの疑問も感じない人がいる
こちらは、普通にやって、ちゃんとやってくれればいいんだ
とか思うが
まさかそんなことをしているとは思わない
本人は真面目にab+cと信じてやっているわけで
そんなことをしているかいないか、
他人がいちいち調べているのでは能率が悪すぎる
科学技術計算では最後の結果が合わない場合は
原因探求が始まる
現実の社会生活の中では
間違えているような人は
最後の結果が合わないことの原因究明などできるはずもなく
間違い続けることになる
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今年はじめての
とうもろこしを食べた
笛吹けど踊らず
教育がうまく行っているか、うまく行っていないかは
実は難しいところで
私から見て教育がうまく行っているというのと
現場さんが見て教育がうまく行っているというのと
大きな開きがあった
残念ながら
実務検定試験とか
そんなものでマニュアル化しなければならない時代のようだ
笛吹けど踊らず
踊れども汝足らず
実はもともと人間には適性というものが厳然とあるわけで
適性以外のことを教えようとしても無理というものだ
適性を見抜くこと
しかしそれはインスピレーションの部類ではないかと思う
教育機能
教育するということは組織にとっては
失敗による短期の損失を計上して
長期の利益を狙うということも含まれる
たとえば大学病院で研修医が治療することなど
レストランでも新人の作ったものを誰かが食べているはず