SSブログ

名を呼ぶ

名を呼ぶことさえおこがましい

神聖なるものは個別の呼び名に相応しくない

それはすべてなのであるから一つの呼び名で足りるはずはない

愛が深ければ呼び名さえ禁じられる


共通テーマ:日記・雑感

女教師もの

アダルトで女教師ものが根強い人気を持つ理由

頭の悪い娼婦よりも頭のいい女教師や女医やキャリアウーマンが設定として好まれる
実は女自身の内部の肉欲に逆らうことができない、あるいは肉欲に目覚めると設定される

これは女が恋愛マーケットで価値あるものとの説明が不要になるので便利な設定である
普通、知能も低く、家柄も悪く、美しさと言っても特記するほどでもなく、その他の特徴もない、
そのような女性の恋愛マーケットでの価値を説明することは小説内部では容易ではない

ただ処女であることの価値は妊娠したとして自分の子どもである可能性が高いと男性に思わせる点で
魅力の説明が容易であるが、それだけでは物語にならない

その女の何がそんなにいいのかについては小説の描写は届かないことが多い
その女がすばらしいと仮定して、そのあと、どんなことが起こるのか描いたものが多い
女の魅力そのものについての考察が足りない

たとえば女の欲望は元々内部にあったものなのか
外部から植え付けられたものなのか
明確ではない

肉体改造の結果とかある種の薬物の使用による強制的催淫の場合は
外部原因説となるが
それは感興を削ぐ
当たり前すぎて興奮に至らない
メディカルすぎる

むしろ内部原因説が好ましく
しかしそれを隠し通し同時に最後には露わにし
過程においては導かれる如くにしかし自ら導くのであるが
しかしそう言ってしまっては変化に乏しい

女教師の側がセックスマーケットで価値のある肉体と精神を持ち
男子生徒の側が価値のない肉体と精神しか持たず
その不均衡をずるい手段によって切り開こうとするところに工夫がある
その工夫が物語になる

ずるさが様々な興趣につながるのである
人間のあさましさである
小説の内部でならば許されるだろう

女教師は大学も卒業して職業人として将来も約束された身分である
男子生徒はさまざまな可能性があるだけで全く何の確実な価値もない
その不均衡を性的好奇心と空元気だけで乗り切ろうとする

好奇心は旺盛なはずであるが
現実には余裕のない態度は避けられず経験の不足からくる不満足な行為も心理も不可避なのであるが
それについては触れられない

物語が進行するのは
男性の側に圧倒的な魅力があるからではない
男性機能の誇大な表示は外見からは不可能である
女性とは違う

女性の側には明らかに魅力があると設定されているのであるが
魅力のない男性が自然でない手段によって切り開くところにファンタジーがある

結果として多くの何の魅力もない男性、劣位の男性が感情移入しやすい

誰でも学生の頃にはマーケットでの価値が確定していないので
女教師の方が安定した価値を持つ上位の存在であり
男子学生は劣位である
この構図が世間の大多数の永遠に劣位の男性の共感を呼び起こす

普通の恋愛マーケットでは男性の価値が優位で女性の価値は劣位の構図で
その場合に自然な秩序が形成される
マーケット価値が対等の場合にはたいてい女が損をしたと思い不満を抱いている
女性が優位の場合にはたいていは恋愛として成り立たない
わずかに性的機能のみを求めたチャタレイ夫人などが存在する程度である
恋愛には男性側の精神的優位が必要とされるのが通常である

古来、小説で描かれてきたものは
劣位男性の誇大な性的能力なのであるが
それはファンタジーに過ぎないことはよく分かる

現実には男性機能は時間とともに果てるものなのでやはりファンタジーでしかない
また男性が先に果てないと受精しない

現実には男性機能そのものが評価されることは少なく、DNAが評価される
物語の中では男性のDNAが女性から評価される場面は一切なく
男性機能の評価に偏っている

それはちょうど性風俗産業で女性をDNAで評価するのではなく女性機能だけで評価することの
鏡像である

男性の性的能力が問題になるのは男性の興味に従って描くからだろうと思う
男性の性的諸因子はおおむね固定的なものであるが
女性の性的諸因子は可変的である

可変的なものを過剰に慎重に選択しても意味はない
固定的なものならば慎重に選択する意味がある

ここから、男性は女性を慎重に選択しない
しかし、女性は男性を慎重に選択するという非対称が発生する

女教師の物語は、男性が女性を慎重に選択し、女性が男性を慎重に選択しないという
典型的な逆転が発生している

2011010224.png

cat.JPG






共通テーマ:日記・雑感

検査カフェへいらっしゃい


検査カフェへいらっしゃい

 健康診断を受けていますか。病気になる前に不調を見つけ、治療を受けたり生活習慣を改めたりして、健康に1年を過ごしたい。

 気になる項目 券売機でポン さっと採血

 チャンポンやラーメンの食券でも出てきそうな自動券売機だが、メニューは料理ではない。「血糖値」「コレステロール」「貧血」といった項目だ--。

 熊本市の熊本大病院には、気軽に血液検査を受けてもらおうと設置された「検査カフェ」の券売機がある。「病院の食堂にあるのと同じです」。中央検査部技師長の池田勝義さん(53)が説明すると、検査に訪れた同市の主婦、千村美樹さん(42)は「へえー」と驚いた。

 千村さんが買ったのは「血糖値が気になる方 800円」の券。昨年9月の人間ドックで初めて糖代謝に異常が出たため、気になっているという。

 券を受付に出し、申込書に氏名や住所のほか、「医療機関で診察を受けていますか」といった問診に対する答えを書き込む。次に検査室で採血。券の購入から10分程度で終わった。

 1週間後に郵送された結果報告書には、「血糖レベルが基準値をわずかに上回っており、注意が必要」とあり、甘いものやでんぷん質を取りすぎないようにして、適度な運動をするようアドバイスされた。「気になる項目だけ調べられるし、料金も思ったより安かった。糖尿病にならないよう生活習慣を改善したい」と千村さんは話した。

     ◇

 カフェは、熊本大教授で同病院中央検査部長の安東由喜雄さん(57)が、「健康について知る場を提供したい」と考案した。2009年2月の設置以降、利用者はリピーターも含めて延べ約1640人。「アメリカは検査費用が高い」と帰国の際に来る人や県外からの観光客もいるという。

 検査データは、臨床検査専門医や検査技師らが週1回開く判定会議で検討する。異常が見つかる人は約6割に上る。前立腺がんや重い貧血と分かり、治療につながったケースも。「病気が進行する前に食い止めて、医療費の削減にもつなげたい」と安東さんは話す。

 メニューは13種類

 検査カフェのメニューは13種類。「健康が気になる方 1800円」は、企業や自治体の健診と同じで、基本的な18項目。脂質異常や肝臓、腎臓の機能低下、病気による貧血などがないか調べる。

 「お酒の飲みすぎが気になる方 1200円」は、肝臓や胆のうの機能に絞った5項目。「痛風が気になる方 500円」は尿酸など3項目だ。このほか「中性脂肪 200円」「心電図 1400円」など12種類のオプションもある。

 受け付けは月曜から金曜午前10時-午後4時。健康保険証や予約は必要ない。結果を受け取った後、説明を受けたい人は、毎週火曜午前10時半-正午の「検査『知』外来」を予約できる。問い合わせは生理機能検査室(096・373・5694)へ。

 自治体の検診 上手に活用を

 自治体の健診やがん検診も、上手に活用したい。

 市町村が行う特定健診は、国民健康保険に加入している40-74歳の人が対象。福岡市は500円、熊本市や佐賀市は1000円など低価格で、身体測定や血液、尿などの検査が受けられる。

 対象外の加入者のために、熊本市は「30代健診」(自己負担額1000円)を行っている。人間ドックの割引にも使える。午前8時-午後9時、年中無休のひごまるコール(096・334・1507)へ。

 福岡市は今年度まで、「ヘルスアップスクール」(同2700円)で18-39歳の人に健診や体力測定、運動指導をしている。託児付き。各区保健所へ。

 佐賀市は、特定健診では検査項目が足りないという人のために、集団がん検診などを組み合わせた「ミニドック」(同3000円)を設けている。山口県宇部市では、定員250人が1万2000円程度で脳ドックを受けられる。

 窓口が分かりにくいため、市役所などで健診ガイドなどの資料をもらい、説明を受けるのも良さそうだ。

 私の検診

 ◆「リパーゼ」も測って/九州大病院の准教授で膵臓専門医の伊藤鉄英さん(53)

 職場の検診に加え、膵臓で作られる「リパーゼ」という脂肪分解酵素の量を独自に調べています。これが基準値より多くても少なくても、膵臓に異常がある可能性があるからです。

 一般的な検診では、炭水化物を分解する「アミラーゼ」という酵素しか測りませんが、それでは膵臓の状態は必ずしも分かりません。リパーゼを検診項目に加えた企業では、膵炎が見つかり早期治療につながった人もいます。油ものを食べると胃がもたれる、お腹や背中の左側が痛む場合は、病院でリパーゼを測ってもらってください。

 過度の飲酒やストレスは膵臓を痛めます。やけ酒はいけません。私自身、飲むのは早めに切り上げて好きなカラオケに行き、日付が変わる前に帰宅するようにしています。

 ◆半年に1度胃カメラ/福岡市のNPO法人「がんを学ぶ青葉の会」代表の松尾倶子さん(65)

 15年ほど前にスキルス性胃がんと診断され、胃の5分の4を切除しました。会社の検診で年に1度胃カメラ検査を受け、異常なしだったのに、進行がとても早かったようです。

 現在は半年に1度、かかりつけの内科で胃カメラと、血液検査で腫瘍マーカーの数値を調べています。レントゲンやCTなどによる被爆を恐れて検査に消極的な人もいますが、私は必要なら受けるようにしています。

 病気をきっかけに、油や塩分の少ない粗食を心がけ、ジョギングをしています。ただ、会食の時は気にせず何でも食べ、悪天候の日や気分が乗らない時は無理してまでは走りません。気楽に構え、「こうしなければ」と自分を締め付けないようにしています。



共通テーマ:日記・雑感

大企業安定志向反省なし

明治維新下級の武士たちが大活躍したのは、日頃の金銭感覚を通じて、世の中の動向を見極める目が養われていたとによる。

中級の武士たちがとらわれていた空疎な儀礼や習慣に囚われることなく、時代が要求するものをいち早く察知し、それらを取り入れたことで、両者の地位が逆転。

現代でも一部似通ったこと。

日の丸親方、大企業安定志向が効力がなくなり、そこにいる中間層は雪崩を打って下層に落ち込んでいる。

しかし明治維新のように、下級層が上昇するかといえば、それはなく、相変わらず下層のままで、上流と下流の二極分解している。アメリカのように、将来日本も5%の特権階級が富の95%を握り、下層の95%が富の5%しか握れない状態になる。

ーー
まあ、そんなことを言って、長いものに巻かれようとしているのだけれど
巻かれきれないで、あがいている

支配階級がアメリカにシフトしているような気がする


共通テーマ:日記・雑感

積みあげる幸福

日々積み上げてゆく
明確な生き甲斐をもつこと

できれば毎日積み上げていくタイプのものがいい
日記などは好例だろうと思う
仕事の日誌でもいい
カルテは公表できないので別であるが

先輩の先生で
留学している途中に
それまで書きためていたカルテが全部処分されてしまったという例がある
それもなかなかつらい

共通テーマ:日記・雑感

大伴家持 ザ・デプレッシブ・ヒーロー

春まけて 物悲しきに さ夜ふけて 羽ぶき鳴く鴫(しぎ) 誰が田にか住む
夜くだち 寝覚めて居れば 川瀬尋め 情もしのに 鳴く千鳥かも

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕かげに 鶯鳴くも
わが宿の いささ郡竹 吹く風の 音のかそけき この夕べかも
うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 情悲しも 独りし思へば

家持をうつ病と認定していいような気がします。

春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ乙女
もののふの 八十娘女らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花

このあたりも、実に響きが宜しく絵が香る。
「かたかごの花」なんていう響きが好きだ。

共通テーマ:日記・雑感

依存型うつ病

ある本の紹介文。

 近年ますますうつ病は増加の一途を辿っています。特に増加数を見てみると、男女ともに30~40代がピークとなっており、働き盛りの若い世代にうつ病が増加していることになります。加えて、近年のうつ病で注目すべき点は、若い世代を中心にうつ病の症状が変わりつつある点です。これらは「非定型うつ」や「軽症うつ」と呼ばれていますが、特徴は、「どこがうつ病なの?」と思わせる行動をとることです。
 通常うつ病とは「憂鬱な気分が続く」「悲観的な考えをする」「眠れない、食欲がない」などがありますが、彼らはよく眠り、比較的食欲も旺盛で、飲み会や趣味の集まりにも参加しますが、ちょっとしたことで感情が沈みこみやすく、会社には行けない、仕事はできないなどの症状を示します。彼らをよく観察すると、人に対する依存心が強く、人が自分をどう見ているか、どう評価するかに異常に過敏だといいます。
 本書では、このようなタイプのうつ病を「依存型うつ病」と呼び、若い世代に多いこの依存型うつ病の特徴や、それを生み出す時代背景や社会的要因にも触れています。
 また、うつ病の治療や、うつ病にならない心構えについてもまとめました。熟練の精神科医が書いた、現代型うつ病を知るのに最適な一冊となっています。

ーーーーー
私の定義で言えば
自己愛型性格を基礎とするうつ病である。


共通テーマ:日記・雑感

心と視覚 不安とストレス

(患者を生きる:1185)目 心と視覚:6 情報編 不安取り除き、ストレス減らす


 目の症状と心は密接に関係する。
 目の痛みや違和感を訴えて眼科を受診した人で、うつなどが見つかる人が増えている。
 井上眼科病院(東京都千代田区)の若倉雅登院長らは、2006年4月から3年間に診察した患者のうち、精神神経科やメンタルクリニックに紹介した30人を追跡調査した。
 受診時の症状としては、目の痛み、目が開かない、違和感がある、ピントがあわない、霧がかかったようで見づらい、などが多く、紹介先での診断は、原因不明の痛みが続く疼痛(とうつう)性障害が13人、双極性障害(そううつ病)とうつが合わせて7人。統合失調症もあった。精神神経科の専門医と協力しながら、抗不安薬を処方した例もあった。
 「本人は目の症状を強く自覚していて精神神経科や心療内科にかかることが少ない。過剰な不安がさらに症状を悪化させている場合も少なくなく、要注意」と若倉医師はいう。
 心身医学的なとらえ方を眼科にも広げようと、杏林大眼科非常勤講師の気賀沢一輝(きがさわかずてる)医師や若倉医師らが中心となり、07年に「心療眼科研究会」が発足した。以来、講演や症例検討を中心とした研究会を年1回開いていて、09年は眼科や精神科の医師、看護師、視能訓練士ら約140人が参加した。
 治療では、脳腫瘍(しゅよう)や脳梗塞(こうそく)など他の病気がないこと、眼底検査や視力検査で器質的な問題がないことを確認したうえで、心理的要因が絡んでいないかどうかを判断し、取り除いていく。目の症状だけでなく、心と体の訴えを総合的に受け止めることが重要だという。
 最近、子どもに増えているのが、心因性の視力低下だ。慶応大の小口芳久(おぐちよしひさ)名誉教授(眼科)によると、小学生が大半で、男児より女児に多く、最近は低年齢化の傾向がある。
 76~81年に受診した106人を対象とした調査では、約半数が「自覚はないが、学校の検診で視力低下を指摘された」と答えた。ストレスの原因は、「学校」が3割以上と最も多く、「学校と家庭」「家庭」がそれぞれ2割前後。原因がわからないものもあった。親に甘えたい気持ちを我慢していることがストレスになっている場合もある。
 「一過性で自然に治ることが多く、過度の心配は逆効果。ただ、本人はなかなか気づきにくく、放っておくと視力が改善しにくい場合もあるので、周囲が気を配ってほしい」と小口名誉教授は話す。

ーー
こういう話題ではかならず井上眼科病院(東京都千代田区)ですね。
 


共通テーマ:日記・雑感

強迫性障害 不安や恐怖に慣れて治す

(体とこころの通信簿)強迫性障害 不安や恐怖に慣れて治す

 おかしなことと自分では分かっている。しかし、嫌なイメージや考え(強迫観念)が頭に浮かび、それに伴う不安や恐怖を打ち消すための行為(強迫儀式)を繰り返す。気がつくとかなりの時間とエネルギーを使ってしまっている。それが強迫性障害(OCD)という病気だ。
 愛知県の主婦Aさん(50)が娘の異変に気づいたのは、娘が5歳の時だった。服のボタンを留めても「曲がっている」と言って何度もやり直す。テーブルに置く茶わんとはしの位置が気に入らず、気に入るまで置き直す。
 こだわりの対象は次々に広がった。トイレに入ると、気に入ったふき方ができるまで出てこられない。そのうち、「汚いから」と、トイレの前や干した洗濯物の近くを通れなくなった。服の袖の通し方がおかしかったからと、10回以上、手を通し直しても納得がいかない。
 そうしたこだわりのすべてにAさんは巻き込まれた。行動の繰り返しに付き合わされ、確認を求められるのだ。「洗濯や風呂にかかる水道代、トイレットペーパー代もバカにならなかった」とAさんは振り返る。結局、娘は小中学校9年間のほとんどの期間、登校できなかった。
    
 20年以上、OCDの治療に当たっている「なごやメンタルクリニック」(名古屋市中村区)の原井宏明院長は症状をこんな風に説明する。
 患者の心の中に、何かの「引き金」、例えば排泄(はいせつ)物によって、「病気になるのではないか」という心配(強迫観念)が生じる。手を洗うなどの「儀式」を行うと、一時的に苦痛はやわらぐが、長続きしない。儀式をすればするほど、強迫観念が深刻になってしまう。
 これを繰り返しているうちに引き金の種類やきっかけが増え、儀式も念入りになる。完全な儀式でなかったというだけで強迫観念が生じる悪循環になる。「何も頭に思い浮かばないようにすれば楽だ」とベッドに引きこもってしまう人もいる。
     
 OCD患者は100人に2、3人とされる。うつ病より少ないが、統合失調症よりは多い。サッカーのデービッド・ベッカム選手が病気を告白したことでも知られる。
 SSRIと呼ばれる抗うつ薬による薬物療法が有効とされる。ERP(エクスポージャー〈暴露〉と儀式妨害)と呼ばれる行動療法も、様々な研究で効果が認められている。
 ERPは、恐れや不安を呼び起こす体験に患者が自らをさらし、その状態でも「儀式」をしないように努める治療法だ。
 トイレの水のように、患者が一番恐れている汚いものに、あえて触って手を洗わずにいる。これを繰り返し体験し、慣れてしまうことを目指す。患者が自発的に取り組むことが必要だ。「治療を受けさせるのでなく、自らすることが大事だ」と原井さんは言う。
 行動療法を経験した患者が中心となり、2004年に熊本県で患者と家族による「OCDの会」が発足した。会の活動は東京、名古屋、広島に広がっている。原井さんは、治療への意欲を高めるために、行動療法で治った患者に会を通じて会うことを勧めている。

 


共通テーマ:日記・雑感

富裕層向けビジネス

 じゃあどうやったら富裕層を相手にうまくビジネスやれるかっていう話だけど、我々自動車を扱う仕事っていうのは、「お客様って結局は人に付く」ものなんですよ。飲食関係のビジネスをやっている人に聞くと7割くらいが人に付くって言うけど、自動車なんかもっとそういう特性があるんです。お客様が気に入ると、「この営業マンからしか車を買わない」とか、「担当を替えるな」とかよくありますよ。

 うちのお客様でポルシェを探していた方が、「ごめん、南原さん今回は浮気しちゃった」って来ましてね。で、何を買ったか聞くと、ホンダのオデッセイを買っちゃったって。散々打ち合わせをしてポルシェのこの仕様はああだこうだって細かく言っていた人が、気晴らしにホンダに行ったら新人の店員さんがすごく良かったからそっちを買っちゃったとかね。

 ああ、車はどれでもいいんだなって、結局はお客様は人に付くものなんだなって思いました。お金持ちの人ほど人に付いていく。当たり前のことなんだけど、もちろん会社に対する信頼感がなければ人にも付かないし。

 車を簡単に売るだけじゃ誰も信頼してくれないですよ。僕自身は、結構信頼されてる方だと思うんです。なぜかと言うと、例えばメルセデスを買いたいという方がいるなら、その方の知らない情報をたくさん提供します。

 「いま買ってもいいけど、あと1年後にはモデルチェンジしたのが出ますよ。それでもいま買いますか?」とかね、普通のディーラーが直前にならないと教えないような情報も教えてあげるんです。「そのオプション付けても、年に1回くらいしか使わないよ」とか、ただ売るだけじゃなく相手にとって有益だと思う情報を提供するようにしています。そういう体験を一度すると、もう他のディーラーからは買えなくなくなっちゃいますよね。長いお客様だと30年くらい付き合っていますからね、

 もう家庭の事情なんかもよく理解しているわけです。たまに奥様から電話が掛かってきて、「車こすっちゃったんだけど、旦那が帰ってくるまでに車を直して!」とかね(笑)。もうとりあえず板金屋に全部の仕事を中断させてその車を先に回せって言って修理させたりとか。もちろんその分コストはいただきましたけど、それはちゃんと見合った分だけのことでしたからね。旦那さんに見つからずに、私と奥様だけの秘密ね、なんて言って対応したこともありましたし。

 オートトレーディングはニヨンサンロクゴ(24365)部隊って言われているくらいですから。24時間365日動く準備ができてます。

 イギリスでもシンガポールでもアメリカでも、日本人の金持ちっていう感覚って諸外国の富裕層に比べたら何でもないんですよ。そのケタの違いをまず認識した方がいいですよね。日本なら高い車を持っているって言ってもせいぜい5000万くらいでしょう。海外に行ったら10億くらいのクルーザーを持っている層がいっぱいいるんだから。富裕層ビジネスって一口に言うけど、日本のマーケットの富裕層とリアルな世界の富裕層の定義の違いをまずは認識することが必要ですよね。

 もちろん日本にも大金持ちっていう人はいますけど、そういう人たちは表に出たがらないですよね。

 実は僕らもいろいろと手を打ったんですよ。DMも打ったし。パーティーをやったりとか。でもやっぱり一番多いのは紹介なんですね。

 いつも心掛けているんですよ、自分はどうしていきたいのかを。まずは踏み出す方向を決めること。それから踏み出すために体を前に傾けていること。それがきちんとできていれば、そういった出会いを掴めるんですよ。僕はよく引き寄せ力があるって人から言われるんだけど、本当に、必要な時に必要な人が来るんですよ。たまたまどっかの誰かにそれを言ったら、覚えていてくれた人が引き合わせてくれたりとかしますから。



共通テーマ:日記・雑感

人は相手の善意ではなく自己愛(セルフ・ラブ)に訴える

人は相手の善意ではなく自己愛(セルフ・ラブ)に訴えるのだ


政治経済学の誕生

 さらに重要なことは、誰もが自分の保存を第一の目標とする権利があるというこのホッブズの原理は、政治哲学の分野にとどまらず、経済学の分野でも基本的な原理となったのである。資本主義社会の発展とともに、経済というものの考え方が基本的に変化してゆくのである。

 経済学(エコノミクス)という語はギリシア語の家政術(オイコノミケー・テクネー)からくる。オイコスは家であり、経済学は家の管理と支配の術の意味だった。家の主人が女たちに手仕事をさせ、奴隷たちに労働させ、家計を管理するための術である。この伝統は中世を通じてそのまま維持された。近代の初頭になっても、経済学は君主の家計の意味からそれほど逸脱していなかった。

 それがやがて重商主義の時代になると、君主の家計が国家全体の家計に拡大され、経済学は政治経済学(ポリティカル・エコノミー)と呼ばれるようになる。しかし誕生当初の経済学は、君主が国家を運営するための術という意味をまだ帯びていた。重商主義とは、国家を一つの家計とみなして、収入を増加させ、支出を減少させるという国家の家計の術、国家の富を増大させる術だったのである。

重商主義

 家計の収支が主として貨幣の出入りで計算されるように、国家の富も貨幣の増減で計られていた。だから輸出を増大させ、輸入を減少させるならば、国家に残る貨幣の量は増大する。輸出を増大させ、輸入を低減させるには、殖産興業が必要であり、国民が豊かになる必要がある。しかし重商主義の目的は国民そのものであるよりも、国家の備蓄の増大であった。節約することでも、植民することでも、関税をかけることでも、収入は増大させることができるからである。反対に国民がみずからの欲望に忠実で奢侈であり、浪費すると、どれほど生産しても国家は貧乏になると考えられた。

 このことを、イギリスの重商主義の理論家のトーマス・マンは次のように説明している。「大いなる配慮と慎重さをもって、常に、輸入し消費する外国商品よりも多くの国内商品を輸出し、……その差額を財宝として国内に持ち帰る」[1]ならば、国は豊かになるだろう。これにたいして「内外の商品を過度に浪費するため、反対の過程が行われるところでは、かかる浪費を賄うために必ず貨幣が輸出されねばならず、かくて人民の生活状態を退廃せしめ、そのため富裕な数多の国が極度に窮乏に陥るのである」[2]。だから「財宝を増大せしめ勤勉とそれを維持する節倹とは、一王国の財宝の真の監視人となる」[3]のである。

スミスと自己愛

 この重商主義の経済学を批判し、国家による貿易の管理が無効であり、人々がみずからの欲望にしたがうままにすることが重要であることを訴えたのがアダム・スミスである。まずスミスは国家の富とは輸出と輸入の差額として残る貨幣の量ではないと主張する。「国民の労働によって生まれる生産物によって、国民の生活が豊かになること」こそが重要なのだとかどうかが問題なのだと指摘する。国の豊かさとは、国民全体の豊かさのことなのだ。

 スミスはこう語る。「どの国でも、その国の国民が年間に行う労働こそが、生活の必需品として、生活を豊かにする利便品として、国民が年間に消費するもののすべてを生み出す源泉である」[4]。そして「世界のすべての富はもともと、金や銀ではなく、労働によって獲得されている」[5]。だからいかにして国民の生産性を高めるかを目指すべきであり、たんに貿易で差額を獲得することを目指すべきではないのである。

 スミスは労働の生産性を向上させるための重要な要素として分業を挙げている。『国富論』の第一章の「分業」で描かれたピン工場の実例は有名だ。一〇人ほどの小さな工場で、分業することで一日に四万八〇〇〇本以上のピンを生産していた。そしてスミスは分業しなければ、「ピン製造の技術を身につけていないとすれば、一日に二〇本を作ることも、とてもできない」[6]だろうと指摘していたのである。

 そしてこの分業を成立させ、市場での交換という方式で、人々が生活に必要なすべての品物を手にいれるためには、国家による命令も、面倒なメカニズムも不要なのである。ただ人々の「自己愛」(セルフ・ラブ)に訴えかけるだけでよいのだ。スミスは、他人の助けを必要とするならば、相手の善意に頼るのではなく、「相手の自己愛に訴える方が、自分が求めている行動をとれば相手にとって利益となることを示す」[7]のが近道だと断言する。すべての市民が自己愛のもとで行動することで、さまざまな職業の分業が成立し、市場で必需品を入手できるようになるだろう。

 国民がパンを毎日食べることができるのも、ワインを飲むことができるのも、それは国が命令したからでも、他者が善意で生産しているからでもない。他者もまた自己愛に動かされて、こうした商品を生産しているのだ。「われわれが食事できるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである。人は相手の善意に訴えかけるのではなく、自己愛(セルフ・ラブ)に訴えるのである」[8]

マンドヴィルの論理

 これをさらに極端に表現したのが、スミスと同時代のイギリス人のマンドヴィルである。彼は人間の欲望はつきることがないが、この欲望を滅ぼすのではなく、生かすことが社会全体を潤すことになると考えた。「悪の根という貪欲こそは/かの呪われた邪曲有害の悪徳。/それが貴い罪悪「浪費」に仕え、/奢侈は百万の貧者に仕事を与え、/忌わしき鼻持ちならぬ傲慢が/もう百万人を雇うとき/羨望さえも、そして虚栄心もまた/みな産業の奉仕者である」[9]。奢侈と浪費は悪徳であるが、それが人々の雇用を作り出し、国を富ませるのである。

 重商主義の理論では、節約は善であり、浪費は悪である。しかし個人的な悪徳である浪費や奢侈は、資本主義の社会においては新たな消費を生み、生産を刺激し、雇用を創設する。個人的な悪徳は、全体的には公共の善をもたらすとマンドヴィルは主張する。「このように部分はすべて悪徳に満ち、/しかも全部が揃えば一つの天国」[10]だというのである。

 この逆説は衝撃的であり、多くの人々の議論を呼んだ。しかし人々が節約し、消費を控えれば、生産が冷え込み、社会全体にマイナスの効果が発揮するのが資本主義の実際のありかたであり、彼の逆説は資本主義の社会構造を見事に言い当てていたのはたしかである。ただしこれが逆説なのは個人の消費を「悪徳」と定義するからであり、資本主義社会における個人の通常の活動としてみなしてしまえば、どこにも逆説は存在しなくなる性質のものだった。

新しい欲望の概念の必要性

 このように資本主義社会のありかたが解明されてくると、人間の自己愛と欲望を否定することは、社会の存続を否定することになるのが明確になってくる。私利と対立する公益という問題構成そのものが変わってくるのである。ここから新しい欲望の理論が誕生することになり、欲望はもはや、自己のうちの欠如を欲望する主体の欲求としての「エロス」の概念では考えられなくなる。欲望する主体は、他者の必要性を認識するようになるのである。こうして欲望のうちに二人称および三人称の契機が登場する。

 ただ、この新しい欲望の概念について考察する前に、この一人称としての「わたしは愛する」という欲望の構造について、もう少し考えておきたいことがある。それは「自己愛」という概念はたんに私利や私欲と同じものと考えることはできないからである。そのことを明確に示したのがルソーだった。ルソーは自己愛と利己愛を明確に区別するのである。

自己愛と利己愛

 ルソーは原始状態においては、野生人にはごく穏やかな自己愛が存在していると考える。これは文明社会のうちの虚栄心としての利己愛のようなものではない。誰がも自己を愛さなくては生きてゆけないという当然の事実に注目したものであり、この自己愛は、他者の評価によって自己の価値を定めようとする利己愛とは違うものだと主張するのである。ルソーは次のように語る。

 「利己愛(アムール・プロープル)と自己愛(アムール・ド・ソワ)を混同してはならない。この二つの情念は、その性格においても、その効果においても、きわめて異なるものなのである。自己愛は自然な感情であり、すべての動物たちはこの自己愛のために自己保存に留意するようになる、人間においては、理性に導かれ、憐れみの情によって姿を変えられることを通じて、自己愛から人間愛と美徳が生まれる。これに対して利己愛は、社会の中で生まれる相対的で人為的な感情である。それぞれの個人はこの感情のために自分をほかの誰よりも重視するようになる。そして人々はこの感情のために他者にあらゆる悪をなすことを思いつくのであり、さらに名誉心の真の源泉でもある」[11]

 自己愛は、自己保存の原動力であり、美徳の源泉である。これにたいして、利己愛は、文明のうちで発生するものであり、悪徳の源泉である。ただし文明人は、社会のうちで他者の評価の集中する場として生きているのであり、もはやこのような素朴な自己愛だけで生きることはできない(もちろん自己愛なしで生きることもできないのだが)。それでもこの素朴な自己愛は、現代人のうちで働いていて、重要な役割をはたしているのである。次回はそのことを考えてみたい。資本主義的な欲望とは別の道筋で、二人称と三人称の愛情につながる道が、ここからも開けているからである。

 



共通テーマ:日記・雑感

黙っていれば美人だよ

無題200804061-2.jpg
すましていれば
結構整ってるのに

無題200804062-2-3.jpg
すぐこんな風
本当に父親と母親の混合物
まあ、日本のおばさんに会いに来てくれて
ありがとう



共通テーマ:日記・雑感

知人の娘

無題200804068-3.jpg
よくまあ韓国からわざわざ
お母さんによく似ている
仕事があったので次の日を約束
マスコミ関係で
今回は日本に取材

無題200804065-2.jpg
次の日
丸ビルとんかつ屋でご馳走
何しろ私はとんかつ屋しかいかないから
明日帰るって
美人なんだから気をつけなさい

共通テーマ:日記・雑感

ヨーグルト実験 バイアグラより効くかも

いろいろなヨーグルトで実験しているが、
やはりカスピ海ヨーグルトとかケフィアヨーグルトは作りやすい。

医療用のビフィズス菌のようなものも何種類かあるので試してみると、
ひとつだけ、チチヤスヨーグルトのような、全然粘りのないものができて、
それはそれでよいと思ったが、
ほかはヨーグルトにはならなかった。

グルメファンというヨーグルトは香りもこくもいいのだが
要するにもとの牛乳がいいようだ。

何がどのように効果を発揮しているのか分からないが、
ヨーグルトを続けて食べていると体に変化は確かにあるような気がする。

最近は京急ストアで、かつおのたたきの一本ままを買ってきて、
何回かに分けて食べている。
なぜだかとても元気になるような気がする。

バイアグラを飲んで鼻が詰まっているよりも、
ヨーグルトとかつおのたたきを主食にしていたほうが
効率がいいかもしれない。

共通テーマ:日記・雑感

70歳まで働ける社会

20110113152927.jpg

70歳まで働かざるをえない社会
年金受給年齢を変更しますというわけだろう

Catherine も びっくり

51HnfjQkIBL.jpg


共通テーマ:日記・雑感

cherish the old friends

If you can behave naturally in your relationship with your partner, you should cherish him/her because he/she is the best partner you could have.
パートナーとの関係の中であなたが自然にふるまえるなら、あなたが持ち得る最高の相手だから、大事にするべき。

If you're serious about your partner, be more considerate of him/her. Cherish your time together.
パートナーのことを真剣に思うなら、もっと思いやりをもって。一緒にいる時間を大切に。

cherish the language
言葉を大事にする

cherish the old friends
古い友達を大切にする

cherish
【他動】
~を大事にする、大切にする、〔希望・イメージなどを〕抱く、〔アイデアなどを〕温める、〔いい思い出などを〕胸[心]にしまっておく

・Do you take Joseph to be your husband, to love and cherish him, to respect and honor him? : (結婚式の牧師の言葉)


共通テーマ:日記・雑感

あなたは、私のことを、丸ごと全部受け入れてくれますか。

あなたは、私のことを、丸ごと全部受け入れてくれますか。

私は、あなたを丸ごと全部、受け入れます。


共通テーマ:日記・雑感

人を好きになるのは、いいことばかりじゃない。

人を好きになるのは、いいことばかりじゃない。
自分の過去の傷や、相手の過去の傷。
自分の醜い面や相手の醜い面。
直面は避けられない。
でも、それでも、誰かを好きになるのは大切なことだ。

人を愛してずっと幸せでいるには努力が必要だ。
そして愛も人生もその努力に値すると思う。

いいのは、手をつなぐまで。それだけのこととあなたは言った。
お互いに知らないから、夢を見ていられるとあなたは言った。

わたしは、違うと思う。
手をつないでからあとも、すばらしい愛がある。
夢から覚めたあとも、すばらしい愛がある。
わたしはあなたにそのことを伝えたい。

自然な自分で、努力も少なく、お互いに好きでいられて、愛の報酬も多いなんていうことは
私には奇跡が二回続けて起こるようなものに思える

とても不自然な苦労で、報われない努力で、しかも本当に報われなくて、それでも
もう一度やってみる、そんなものが愛だと思う。

報われたかったら、ただ仕事をしていた方がいい。
損をしたくなかったら、何もしないほうがいい。
愛の努力は100分の1しか報われない。
そのようなものが愛だ。それでも、わたしはそのために生きたい。

100分の1しか報われないからもう嫌だなんて、思わない。
100分の1だと納得して進む。
進もう。






共通テーマ:日記・雑感

性欲と愛

性欲と愛を区別することを考える

愛していることを示すために相手の性欲を満足させることは
とてもよくある行為なのだが
それは単に相手の性欲を利用して愛を証拠立てようとしているだけで
愛ではない

痒いところを掻いてあげて、ありがとうと言われる程度のもので、愛というほどのものではない

愛はどれほど相手を高めてあげられるかなのだから
性欲を満足させることなどは
水が低きに流れるのと同じことでしかなく
愛の名に値しない

逆に自分の性欲を満足させて愛だと思っている例もある
もちろん、そんなものは愛でもなんでもない
明らかに違う

脳の中の愛の回路と性欲の回路は区別されるのだと思い出す

愛のために性欲を利用してはならない

性欲のために愛を利用してもならない

これは個人的な信条だけれど、愛と性欲は全く別の回路なのだ
人によっては区別がないのだろうがそのような人はそのような人で良いのだと思う

相手の性欲回路を利用して自分の愛を証明することなんてできない
自分の性欲回路を利用してそれを愛と言うなんて明らかに間違いだ

むしろ愛は性欲を堰き止めることで証明されるのである

性欲の不自然な停止こそが愛の証明なのだ

性欲の回路を阻止して愛の回路で置き換えることができる

そのようにして人間同士は愛し愛されて上昇する

愛は知性の新たな開通である
愛は感情の新たな開通である
愛は直感のもたらす果実である
愛は不自然な知性と不自然な感情と不自然な直感のもたらすものである
真のものでは全くない

愛が性欲回路を部分回路として持つことは時に許されるが
それは主に満足させることではなくて上昇・昇華させることによる

人間は肉欲に支配される場面がある
私はそれは愛とは呼ばない
それは単に肉欲である
肉体を持つ人間として肉欲は確かに通常のものではあるが
人間は肉欲をそれ以上のものにすることが出来る

肉欲は世俗で言ういけない自分である
ワルイモノである
それは傲慢であり居直りである
いい子のふりをしてきただけだ
弱い自分
自分を裏切る自分
こんなにも人を傷つけて無反省だった自分
漠然とあった万能感も剥奪されて
自分の限界と醜さをつきつけられるとき

そのことを生き尽くした末に
人間はそこから離陸することが出来る
肉欲に居直るのならそれまでの人間である
肉欲を洗練することもできないだろう

肉欲が強い欲動ならばそれをエンジンとして次のレベルに進むことが出来る
離陸するために性欲は強い欲動である必要がある

完全に偉大なものに自分の全てを委ねることが出来るのだ

このレベルになると性欲を形式的に利用しているようで居ながら
全く別の愛の回路を働かせていることが解る

それが愛であるのは無私でありすべて相手のためでありすべては自発的奉仕だからである

そのような境地がただの一瞬ではあるが成立することの不思議を考えている






共通テーマ:日記・雑感

心理分析と言語分析

ずっと以前、言語分析の専門の人と話して
ずいぶんと話が明晰で
いい学問だと思ったことがある

最近の経済学は読んでもよく分からないし
現実の経済をうまく回すこともできないし
結局理論も実践も何となくダメらしいと見当はつく

最近の心理学とか精神医学も
なんだかんだいいながら自殺者を少なくできないし
うつ病は増え続けるしという結果だ

統合失調症もうつ病も軽症化して外来で治療できる感じになってはいるが
一般の人々が安心しているわけではないし
専門家も安心はしていない

精神薬理学の進歩はいろいろにあったと思うが
心理学の進歩はどうかと言えば
本質的な突破口が開けていないと思う

フロイトの時代から本質的な進展はないように思われる
ところがフロイト自体が大変難解で
さすがにカントやハイデガーの学問した言葉を使っている人なのだけれど
英訳を読んでもやはり簡単ではないし
日本語訳は格段に分かりやすいとも思うが
それは長年慣れ親しんで
自分たちなりの解釈ができるようになっているだけではないかと思う
そうでなかったらドイツ語でも英語でも同じように分かるはずだ

フロイトをあきらめるとして
現代日本語でどうかと言えば
荻野恒一と笠原嘉である
それも全部が素晴らしいわけではない
(恐れ多いことを言っているが、まあ、つぶやきだから勘弁してもらおう)

世の中にある「心理分析」というものがどの程度のものであるかは、
理性のある人ならば判断できるはずだ

おおむねを言えば、すべてを血液型で解釈してしまう
阿呆流と同次元である

厳密な検証にも持ちこたえられるだけの心理分析はあるか
考えてみると
頭をひねって別解釈が多分成立するケースが多い

細部については勿論であるが
その集大成としての診断が食い違うこともよくある話である
統合失調症と多重人格やPTSDなど

チキンと検証するシステムがなくて
声の大きい人が自分の流派のことを言ってそれでおしまい

そんなものだと言えばそんなものなのだけれど

心理分析に比較すると
言語分析は客観性を持たせることが可能かもしれない

次に出てくる言葉の確率を予想することができる

たとえば否定的思考という
そのように「思考」の実体がどのような神経回路の裏付けを持っているか、
解明されるまで、本質的な解決はお預けである

否定的言語習慣ならば分析もできるし訂正もできる

思考などはよく分からないものだ
言語習慣といった方がわたしには分かりやすい

言語習慣は個人の内部で何層かに積み重なっている
名古屋で生まれて育てられ
京都の大学で学び
アメリカの研究室で学び
パリの研究室でしばらく苦難を体験し
日本で家庭を持ち
現在に至るという人の場合、
おおざっぱに言って、
日本語、
関西文化、京都学生文化、
名古屋子ども文化、
家庭の言語習慣、
個人的言語習慣、
その脇に英語の経験、などが
積み重なっているだろう。
だいたい10階建てくらいの建物を想定して、
そのことの言語習慣を分析する。

そんな中で、
例えば、否定の言葉を選びやすいとか、
語尾を曖昧にしやすいとか、
朧気で陰影のある言葉を選ぶとか
平気で嘘をつくとか
自分を飾りすぎるとか
心理分析ではなく
言語分析をするのである

一時心理学では心理分析ではなく
ストップウォッチを持って行動分析をしたものだ

何を話すかの内容への感心ではなく
どの言葉が語られるまで何秒かかったかを
ストップウォッチで測定し

人間と人間の距離はどれだけなのかを具体的に
物差しで測定した

その後はたとえば赤ん坊と母親の交流をビデオに撮って
客観的な分析として
目が合う回数とかを数えた

行動の測定の時代である

言語の測定の時代が来ていると思う
コンピュータが使えるから

ーー
などなど言ったところで
分析に値する
人間がいることが前提条件である

フロイトの時代にマーラーがいたわけだ

フロイトとマーラーならばどちらにでもなりたいが
現代の日本で何になりたいかと考えても
どうも元気が出ないのだった


共通テーマ:日記・雑感

男を見る目

小さい頃、近所のおばちゃんたちやおじちゃんたちをみていた。
あとになって、どのおばちゃんが奔放な人なのか知った。
外見にふさわしくなかった。
どのおじちゃんが奔放なのかも知った。
これは外見にふさわしかった。
わたしは、男を見る目はあって、女を見る目はなかったのだろう。
いまはどちらもない。

*****
また、恋愛などにはまったく無縁そうなおばちゃんが、
五木ひろしの恋の歌を聞いているのを見て、
奇妙な気持ちがしたことも、覚えている。

そんなに恋の歌が好きなら、恋をすればいいのだろうと、
思ったような気もする。



共通テーマ:日記・雑感

恋愛至上主義者

わたしは結婚していて夫がいます。子供はいません。
彼は結婚していて子供もいます。
でも、好きなんです。
わたしは夫とはもうずっとセックスもありませんし、キスさえありません。
同居人と思っているだけで、
恋愛感情はないんです。
社会的な責任は感じます。夫を不幸せにしたくありません。
両親は悲しむでしょうし、夫の実家も悲しむでしょう。
彼の妻も、子供も、困るでしょう。
それは理解できます。

でも、恋愛感情は、止められないんです。
彼だけが、好きで、恋愛感情が溢れてくるんです。

*****
この場合、恋愛至上主義者を擁護する人は少ないだろう。
分別のある人なら、ほとんどが否定するだろう。
それは、余裕のある人の趣味であり、道楽である。
生活を壊すほどのものではない。

彼に対する恋愛感情が、
夫の場合と同じく、さめてしまう可能性も無視できない。
自分が何を壊そうとしているのか、
見極めた方がいい。

しかし、このままの婚姻関係を続けることは誠実ではないというのも本当なので、
まず婚姻関係の解消を考えるのがいいと言われれば、それも道理である。

このままで続けていれば、現在の婚姻関係も、
それなりに落ち着いた外見をとるものだとの意見にも一理ある。
結婚と恋愛は別のものである。
その方が世間は受け入れるだろう。
不潔な話だろうが、そうなのだから、仕方がない。
婚姻は続ける、恋愛は人に言わないで続けるのである。
それが知恵なのかもしれない。

そんなことを人に話してしまうのが、
弱さなのかもしれないし、すでに恋愛の資格がないのかもしれない。

悩みなんかひとつもありません、という顔で平然としているなら、
世間は受け入れる。

*****
あるサイトで、ある人のアドバイスである。
実際、よくもそんなに面倒なことをするものだなと感心する。
わたしは和歌を読んでいるだけで充分だ。

共通テーマ:日記・雑感

恋愛至上主義と日常生活主義-2

恋愛至上主義と日常生活主義の対比を説明して思うが、
たとえばこんな場面はどうだろうか。

男が女に好きだから付き合ってくれと言う。

女は戸惑いつつ、正直に答える。
「あなたには恋愛感情は持てない。
でも、結婚するにはいいと思う。
だから、そのつもりなら、付き合ってもいい。
でも、愛し合うというのとは少し違う。」
なかなかませた口をきく。

男はそれでうれしいと思う。実質、結婚オーケーということだからだ。
「本来、恋愛感情で始まった関係は、
3年以内に日常生活パートナー感情の軌道に乗せないといけない。
人間として尊敬され、教育し、教育される存在にならなければならない。
相手がそのように自分を思ってくれるかどうか、
恋愛感情が先行している間は、分からない。
特に相手が恋愛体質だと、3年して、恋愛がさめたときに、
他の男性に恋愛感情が向かってしまうかもしれない。
そう考えると、いま、この女は、自分を、
日常生活のパートナーとしてよいと言ってくれているのだから、
永続性がある。
わたしはむしろ、誇らしい。
性ホルモンに突き動かされての言葉ではなく、
人間として尊敬するという言葉だから。」

僕は君の子供の父親として合格かいと聞くと、
女は、「もちろん、最高」、と答えた。
これでいい。

*****
もしも女が、
「あなたには一度も恋愛感情を持ったことがないし、
これからも持てないと思う。
いったいどこでそんな間違った感情を持つようになったのか知らないが、
わたしが勘違いさせたのなら謝るから、
どうか恋愛感情などということは抜きにして、
友人でいよう」
と言うのなら、
これはこれで、男はきっぱりと諦められるだろう。
そこまで言われたら。

表面的には恋愛感情を話題にしているのだが、
その根本では、あなたは私の日常生活のパートナーにはなれないと
宣告しているのである。
そこを読み取らないといけない。

第一には、女が未熟である場合がある。
恋愛感情にこだわる人はいるものだ。
かわいいが、未熟。成長するかどうか、未知数。

第二に、しかし実際は、女は男よりも成熟していて、日常生活主義者が多い。
恋愛感情はあっても、日常生活主義が優越する人が多い。
日常生活を送るには、
ロミオとジュリエットを読んでいるだけではだめで、
お互いの生活歴と経済の現状を妥協なくチェックする必要がある。
日常生活主義とは、
経済と、日常生活感情のことである。
これが一致しないなら、その先には何もない。

住む場所、乗る車、付き合う友人、仕事の仲間、テニスのサークル、スポーツジム、
パーティに呼ばれたときのプレゼント、出産祝い、入学祝、昇進祝い、
海外赴任すれば一度くらいは立ち寄り、ボランティアには参加し、
出版すればお祝いをする、そんな日常生活セットが、
一致するかどうかということだ。

*****
しかしまた、それでも食い下がるのも、恋愛である。
もし他に目移りするような人間ではないと自分を信じられるなら、
ずっとずっと待つのがいい。

好きになれる人など、めったに現れないのだから。
多分、一生に平均して0.7回くらい。
10人に3人は、現れないで終わるのではないか。
もし出合ったならば、逃してはいけない。

それがあなたにとっての唯一のバラなのだ。

共通テーマ:日記・雑感

君はバラより美しい

君はバラより美しいと
比較に使われるのは
やはりバラがふさわしい

Image13.jpg

Image33.jpg

共通テーマ:日記・雑感

した事としなかった事の後悔

あなたは、したことを後悔するのと、
しなかったことを後悔するのと、
どちらが多いですか?

私の場合は、
歳をとっても、いまだに両方があり、
まったく未熟であると反省するばかりである。

いっそのことどちらかに偏ってしまいたいものだが、
そうもできず、
結果として、余計なことをしているし、
やればよかったと悔やむことも多い。

困ったものだが、本当にどうしようもない。
後悔しているときは、うつの時期なのだろうか。

私が桜を何度見ても驚いているのは、
毎年春にうつになっているからなのかもしれない。

一度でもいい、ぴかっと輝いてみたい。

共通テーマ:日記・雑感

美しい妻を持っていることは地獄だ シェイクスピア

>美しい妻を持っていることは地獄だ シェイクスピア

一度でいいからそうつぶやいてみたい

地獄というのは
いつも嫉妬を感じつつ、浮気を監視しつつの生活だからだと思う

終わったあとに
他の立派な男なら
もっと幸せな絶頂を与えられるのにと
いつもすまない気持ちでいるからでもあり

それならいっそ他の男に与えようかと空想してみることでもあり

実際つらい(が、楽しい)

美しくなくても
若い妻というだけで
地獄だと思う

妻の若さを保つために定期的に離婚する



共通テーマ:日記・雑感

シェイクスピアのセリフと性愛行為

性愛の言葉も行為も
大きくくくるとほとんど同じと思われて

ちょうどシェイクスピアの劇で配役が変わっても同じセリフを言うようなものだ

声のトーンとか間合いは違うけれど
活字にすれば同じといえば同じで
妙なことだ


共通テーマ:日記・雑感

「にもかかわらず」愛する

妻「ねえ、あたしの作ったこの肉じゃが、どうかしら」
夫「愛してるよ」
妻「料理の味のことよ」
夫「食べたから言ってるのさ。それでも愛してるよ」

*****
「にもかかわらず」愛する。

愛とはそういうものだと
キリスト教の学校で教わりました。



共通テーマ:日記・雑感

ニュージーランド 鳥 統合失調症 荻野恒一 故郷

ニュージーランドでは哺乳類が存在しないままで時間が経過したので
鳥類の天国となり、飛べない鳥がいたものだが、
人間がウサギやシカなどの哺乳類を持ち込み、
鳥の卵や子供を食べたり、餌となる草を横取りしたりしたので、
結果として絶滅に至った種もあるとのことだった。

ははあ、グローバリゼーションのことかと思い、
交通手段の発達はこのようなことにまで影響するのかと思った。

ニュージーランドの鳥が口をきけたら、
「鎖国」も選択なんでしょうけど、
そのうち、ニュージーランドの鳥も、
アメリカンな生活を望むようになるってことでしょうね。

人間の移動ということで言えば、昔々の荻野恒一先生の論文を思い出した。
統合失調症の一部についての考察で、
荻野先生が金沢大学で仕事をしていた当時、
奥能登の若者が、都市部に出て、そこで統合失調症を発症する例を何例も考証して、
「故郷喪失の病理」と名付けていた。
もとの本はもうどこかに行ってしまってすぐには参照できないけれど、
概略そんな話だったと思う。

現代的にドーパミン仮説で言ってしまえば、
奥能登の田舎での生活にちょうどよく、ドーパミンレベルがセッティングされた脳が、
都市部に出てきて強い刺激にさらされ、ドーパミンを沢山出すようになってしまうと、
レセプターは過剰なドーパミンを処理しきれず、
幻覚妄想状態に至る、なんていうように考えても、まあ、いいかもしれない。

交通手段の発達があり、都市生活が成立したから、このような病気が発生したのだとも、
言えるかもしれないわけで、
統合失調症の発生のすべてを説明するのではないとしても、
そうかな、とも思える話だった。
しかし、学問の世界ではもちろん、この方向では話は発展せず、
薬理学的な話題に終始するようになっていった。

交通の発達、都市生活の成立と同時に、
精神病についての考え方も変化し、精神病院が成立する、
だとすれば、疾病概念にまつわる考察も必要なわけで、
ミシェル・フーコーの狂気の歴史とか性の歴史とか、
難しい本でのお勉強が待っていて、
本を買ってはあるけれど、まだ読んでいないのだった。

精神病については、堀田善衞「ゴヤ」でもさかんに描かれていて、
「狂気」と堀田氏は表現しているのだが、
狂気がどのようにして社会から排除されて、疾病として分類されてゆくか、
そのプロセスがちょうどゴヤの生きた時代に進行したものらしい。

交通手段、都市生活、疾病概念、精神疾患、精神病院、これらのアイテムについて、
どれが原因でどれが結果であったものか。

共通テーマ:日記・雑感

王子様はいないのだと、人生の早期に悟ることが必要である

王子様が現れないのは太っているからだ、という思考は間違っている

しかし太っていなくても現実には王子様は現れないので、それも間違っている

王子様はいないのだと、人生の早期に悟ることが必要である

それを悟らないのはひとつは躁うつ病、ひとつは微細な対人関係障害である

自己愛性だとたしかに困難はある

夢を見て傷つき

妥協できずにいるうちに結婚マーケットでの価値がなくなり

さらに妥協しにくくなり

そのままになる


共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。