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小児のサイコーシス

Q1:小児のサイコーシスには、どのようなものがあるのでしょうか?
 

小児のサイコーシスの代表的なものとしては、統合失調症があげられます。また、青年期の双極性障害では、幻覚や妄想などの症状を伴うことも多く、一種のサイコーシスと考えることができると思います。さらに、従来診断ですが、思春期の女子に周期性精神病という月経周期に同期して認められる非定型的な精神病状態がみられることがありますが、これもサイコーシスの一つといえます。

現在は発達障害に分類される自閉症ですが、かつて自閉症はサイコーシスの代表である統合失調症の最早期発症型であるか否かという問題が中心となって研究が展開してきたという経緯があります。自閉症も小児のサイコーシスに分類されていた時期がある、というわけです。



Q2:小児の統合失調症と自閉症の歴史について教えていただけますか?
 

ドイツの精神医学者であるクレペリンやスイスの精神医学者であるブロイラーが統合失調症の概念を提唱し始めたわけですが、その頃からすでに、統合失調症はどこまで若年にさかのぼれるのかといった点についても研究されていたようです。つまり、歴史的には、20世紀初頭から小児の統合失調症という病態に関して、さまざまな研究が行われてきたといえます。

1943年に、米国の児童精神科医であるカナーが、自閉症の症例を初めて報告しました。その報告のなかでカナーは、現在は広汎性発達障害に分類されている自閉症について、「自閉症は、児童期発症の統合失調症症状が最も早期に出現したものであると考えてもよいかもしれない」と述べています。その後、自閉症と子供の統合失調症の異同が問題となり混乱が続きました。1960年代にイギリスの児童精神科医であるラターが、自閉症の子供たちを対象として予後調査をした結果、「自閉症は、認知や言語などの発達の障害であり、統合失調症とは異なる」と主張しました。また、1970年代には、イギリスの精神科医であるコルビンが、「子供の精神病状態の発症は幼児期ともう少し後の小・中学生ぐらいの時期にみられ、二相性である」と報告しました。この頃より、2~3歳頃に発症するものは発達障害の自閉症であり、もう少し後になって発症するものは子供の統合失調症であるということが明確になってきました。さらに、1980年のDSM-III(米国精神医学会の「精神疾患の分類と診断の手引き」改訂第3版)では、統合失調症と広汎性発達障害が明確に区別されることになりました。すなわち、自閉症というのは生まれたときからの障害であり、統合失調症は生まれたときには問題がなく、ある時点から幻覚・妄想などのさまざまな精神症状が出てくる疾患であるというように、統合失調症と自閉症は明確に分けられるようになったわけです。



Q3:小児のサイコーシスは、最近、増えてきているのでしょうか?
 

小児のサイコーシスが増えてきているのか、あるいは減ってきているのかを判断するのは、なかなか難しい問題です。つまり、先程述べたように、子供の統合失調症に関する概念が混乱していたことから、統一した診断基準で患者数の増減を比較することは非常に難しいといえます。

近年、児童心療科、児童精神科外来を受診する子供たちが非常に増えてきているのが実状ですが、それには、精神疾患に対する社会的偏見が減ってきたことによって受診しやすくなったことも関係しているのかもしれません。実際には、発達障害圏にある子供たち、つまり自閉症の子供たちの受診は特に増えているように感じます。一方、統合失調症の子供たちの受診が非常に増えてきているかというと、そのような印象はあまり持っていません。


Q4:小児の統合失調症の場合も、幻覚や妄想を訴えて受診するケースが多いのでしょうか?
 

子供の統合失調症の場合も大人と同じ診断基準を用いて診断しますが、大人に比べると、子供は幻覚や妄想などを積極的に訴えることは少ないといわれています。子供は、精神発達途上にあるため、言語表現などが未熟ですし、大人とは感じ方も違います。また、幻覚や妄想を実際に体験していても、「周りから変だと思われるから、人には言わない」といった子供もいますし、異常な体験そのものを子供が言葉として表現しにくいなど、さまざまな問題点があります。

一方で、統合失調症ではなくても、幻覚を体験する子供は一定数存在します。例えば、実在しない「イマジナリー・コンパニオン(想像上の友達)」と一緒に遊ぶといった体験をする子供たちがいます。日頃から寂しい思いをしている子供が、マコト君という友達は実際にはいないのに、「今日、マコト君と一緒に遊んだんだよ」と真顔で親に話をすることがありますが、これは一種の正常範囲内の幻覚様体験というべきものです。また、子供は発熱、てんかん、あるいは薬の副作用による幻覚を体験することも多く、そのほかにも、一時的に不安が高まったりしたときに一過性の幻覚を体験することがあります。子供の幻覚に関して、私自身、2件の症例報告1,2)をしています。母親が拒否的であるといった親子関係のなかで、ストレスフルな出来事をきっかけに不安が一挙に高まり、幻覚が出たというケースです。これらの症例では、1~2週間で幻覚が消え、何年間かフォローしましたが、その後全く問題は起きていません。このような一過性のストレス反応性の幻覚というものが子供でみられることがあります。



Q5:幻覚や妄想を体験する子供は多いのでしょうか?
 

私たちは、11~12歳の一般の小学生761人を対象として、幻覚体験を有する子供たちはどの程度いるのか、また幻覚体験がある子供たちは抑うつ・不安・解離などの症状をどの程度有しているのかについて調査を行い、2004年に論文を発表しています3)。

その結果、幻覚体験を有する子供たちは、21.3%に及ぶことがわかりました。一方、諸外国では、面接調査の結果からは約10%、アンケート調査の結果からは約30%と報告されています。私たちの研究では、1回でも幻覚体験のあった子供を「幻覚体験あり」としてカウントしていますので、若干高い率になっていますが、かなり詳しく回答を書いてもらうアンケート調査であったので、この数値はかなり妥当性の高い結果だと思われます。

この調査で「幻覚体験あり」と回答した20%の子供たち全員が病的であったかというと、実はそうではありませんでした。私たちは、この点に関して詳細に分析を行いました。統計学的な解析の結果、幻視や幻聴などの複数の幻覚体験を有する子供たち(図1)、「お前はバカだ」、「死んだほうがいい」といった自分に関係する内容の幻聴が聞こえる子供たち、幻視のなかでも、はっきりと人の顔が見えるとか何か鮮明な形が見えると回答した子供たちは、不安・解離などの得点が高く、病理性が重篤であることがわかりました。


図1.幻覚の種類と抑うつ・不安・解離との関連性(文献3より改変して引用)

[Redrawn with permission]


海外の調査結果からは、11歳の時点で何らかの幻覚を訴えた子供たちは、その15年後の26歳の時点で、25%が統合失調症圏の精神疾患に罹患し、70%が統合失調症に類似した症状を有し、90%が社会的あるいは職業上の困難を抱えているということがわかっています。このことから、11歳の時点で幻覚を訴える子供たちのうちで、先程述べたような特徴を有する病理性が特に高い子供たちは、おそらく、後々、統合失調症に発展していく可能性が高いと考えられます。したがって、そのような子供たちに対しては、注意深くフォローしていく必要があるといえます。

その後、三重大学の西田先生(現:国立精神・神経センター)は、5,000人以上の中学生に質問票調査を行い、約15%の子供たちが幻聴様体験や被害関係念虜などの精神病様症状(PLEs:psychotic-like experiences)を体験していたこと、PLEsの数と精神病理の重篤度は相関していたことを報告しています4)。イギリスでも同様の研究が行われ、9~12歳の子供たちの60%がPLEsを体験していたことが報告されています5)。すなわち、幻覚などPLEs体験のある子供ほど病理性が高いということが、近年の研究からもわかってきています。


Q6:幻覚や妄想の体験には、何か原因があるのでしょうか?
 

はっきりとした原因はわかってはいませんが、統合失調症が顕在化していく過程の一時期に、幻覚や妄想が出てくる場合があると考えられています(図2)6)。統合失調症の発症過程を説明するものとして、神経発達障害仮説という考え方があります。


図2.統合失調症の展開(文献6より引用)

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[Reproduced with permission]


初期段階としては、遺伝的要因や妊娠・出産時の要因があげられます。遺伝子研究の結果から、統合失調症の発症にはさまざまな遺伝子が関係している可能性が考えられています。そこに、妊娠中に低栄養やインフルエンザ感染といった子供の脳に何らかの脆弱性を生じさせるような要因、あるいは出産時に低酸素脳症や産科合併症といった要因が加わると、統合失調症になりやすい脆弱性を持った子供が生まれます。

脳は生まれてからもどんどん発達していきますから、次の段階として、不適切な養育、例えば虐待を受けるとか、母親がうまく子供に反応しないといった環境因子が加わると、統合失調症の発症過程が脳のなかで始まり、その顕れとして、先程述べたような幻覚が一過性に出てくることもありますし、強迫症状が出ることもあります。チック、不安、ある種の攻撃性といった症状に、例えば父親が突然亡くなる、大震災に遭う、虐待を受けるといったさらなる環境因子が加わることによって、顕在発症してくるという考え方です。したがって、ある脆弱性を持った個体における統合失調症の発症過程というのは、おそらくかなり早期から少しずつ始まっており、そこにさまざまな要因が加わって、神経発達が障害され統合失調症が発症すると推測されています。

私たち児童精神科医は、子供たちを診察する段階でこのような発症過程の状態をみていることも多いわけです。強迫症状がなかなか治らない子供で、そのうちに幻覚・妄想などが出てきて、実は統合失調症の前段階であったという子供たちにも遭遇することがよくあります。



Q7:子供の統合失調症は、何歳頃に発症しますか?
 

統合失調症の好発年齢は15~30歳であり、13歳より以前の児童期の発症はまれです。早期発症型というのはだいたい18歳未満の発症をいいます。12歳以下の発症の場合を最早期発症型と呼びます。統合失調症の発症年齢としては、7~9歳頃が下限ではないかといわれています。1例報告をみると、自閉症だった子供が幻覚・妄想を体験するようになった、あるいは精神遅滞だった子供が幻覚・妄想を体験するようになったといった症例が数多くみられます。私自身、十数年前に経験した症例ですが、8歳5ヵ月発症の症例について報告しています7)。この子供には自閉症などの発達障害が全くありませんでしたが、8歳5ヵ月の時点で突然、幻覚・妄想を呈しました。このように正常な子供が統合失調症の症状を発症するという、純粋な意味での統合失調症の早期発症例としては、ハートの報告(7歳)8)、ポッターの報告(9歳)9)、栗田の報告(6歳2ヵ月)10)、渡辺の報告(9歳)11)があり、概ね7~9歳です。10歳未満の発症は1例報告になるくらい、極めてまれであるということができます。さまざまな質問票に回答できるようになる年齢も9~10歳頃ですので、7~9歳というのは、ちょうど自分の内面についていろいろな報告ができるようになる最低年齢ではないかと思います。



Q8:やはり早期に発症したほうが重篤なのでしょうか?
 

早期に発症したほうが一般的に重篤です。私が経験した患者さんもそうなのですが、いくつもの小児科を受診し、私のところに来たときには10歳5ヵ月で、発症から2年も経過してしまっていました。また、こちらから積極的に幻覚などの症状があるかどうかといったことを聞かないと、子供のほうからなかなか言わないこともあり、統合失調症の診断がつきにくいこともありますので、どうしても治療の開始が遅れがちになってしまいます。

また、特に早期に発症した子供では、脳の形態異常が多く認められるともいわれていることから、幼い頃に統合失調症を発症する子供は、神経発達障害の程度が強く、そのために重篤になりやすいとも考えられます。また、早期に発症すると学校で適切な教育を受ける機会が得られず、社会的機能が低下しやすいこともあると思います。そのような子供に対して、大人の統合失調症に準じた薬物療法を行っていますが、どのような薬物がどこまで効くかについては研究自体が乏しく、残念ながらまだ明確にはなっていません。


Q9:幻覚の体験のある子供に対しては、すぐに介入が必要なのでしょうか?
 

幻覚の体験があるだけでは、薬物療法などの積極的な介入の必要性はないと思います。しかし、きちんとしたフォローは必要です。学校でいじめられたり、両親が不適切な養育をしているなど、学校や家庭で何らかのストレスを抱えている可能性が高い場合は、特に注意して、スクールカウンセラーや学校の担任の先生と情報を共有しながら注意深くみていくなど、心理社会的な介入は必要だと思います。

サイコーシスの子供のケアという点に関しては、大人の場合でもそうですが、多面的にアプローチしていく必要があります。特に統合失調症では、病気のために対人接触が少なくなりがちですので、子供の発達という点も考慮に入れ、なるべく対人接触の機会を逸しないように配慮します。病気によって希薄になってしまった対人接触を、例えば学校、院内学級、デイケアなどの社会資源で補い、子供の発達を補償するといったアプローチは非常に重要であると思います。

一方、サイコーシスの子供に対するスタンダードな心理教育プログラムといったものは、まだないのが現状で、私の場合は、その子供のレベルに合わせて工夫するようにしています。大人の患者における心理社会的介入の研究はありますが、海外でも、まだ子供の患者に対する心理教育プログラムについての報告はありません。この点に関しては、今後の課題だと思われます。



Q10:家族に対するケアは必要なのでしょうか?
 

「High EE(Expressed Emotion)」といって、親にイライラをぶつけられたり批判的なことを言われ続けたりすることが、統合失調症の発症・進展に関連するといわれています。また、子供が重い病気になってしまうと、母親が極度の罪悪感を抱いて抑うつ的になり、なかなか子供とうまく接することができない場合もあります。したがって、そのような家族に対する心理的援助や、養育者に対する疾患教育なども子供に対するアプローチと同じぐらい重要であると思います。

自発的に病院に来る親もいる一方で、なかなか問題を認めたがらない親もいて、家族への対処は難しいところがあります。また、学校から「こういうことがあって困るので、病院に行きなさい」と言われて診察を受けに来ることも多いのですが、本人にも親にもあまり問題意識がなく、こちらが一生懸命に説明しても受け入れが難しい場合もあります。年齢にもよりますが、親を説得しようと焦るあまり、子供を同席させずに親だけと話すと子供がこちらを信用してくれなくなることもありますので、診察のときは、まずは子供を含め家族一緒に話を聞くようにしています。子供が何か話をしたそうだなと思えば、両親には適宜出ていってもらうとか、親と子供に別々の心理療法士をつけるとか、いろいろと工夫しながらケース・バイ・ケースで診察を行っています。なお、実際には子供の診察よりも家族のケアの方が難しい場合も多く、診察時間が子供よりもかかることもあります。

問題を抱えた家庭に子供を置いておくと、病状がなかなか安定しないことも結構あり、その場合は入院で治療することもあります。しかしながら、児童精神科の病棟が少なく、児童精神科医も少ないという現状もあり、そういう点では適切な入院治療はなかなか実施することが難しいともいえます。



Q11:小児の統合失調症の治療、特に薬物療法について教えていただけますか?
 

子供の統合失調症の治療に関しては、その経験や研究自体が極めて乏しいのが現状です。米国児童青年精神医学会は、薬物療法と並行して心理療法、心理教育的、社会教育的支援プログラムを併用するように薦めています12)。子供の統合失調症に対する薬物療法の研究はまだあまり進んでいませんが、最近のレビューによれば、小児の統合失調症の薬物療法について、非定型抗精神病薬のなかでも、小児における有効性が確認されている薬剤とエビデンスが乏しい薬剤があることや、治療抵抗性の症例にも有効な薬剤があることが述べられています13)。しかし本邦では、いずれの非定型抗精神病薬も小児での適応は認められていません。

*  *  *

参考文献
1) Murase S, Ochiai S, et al: J Am Acad Child Adolesc Psychiatry 39: 1345, 2000
2) Murase S, Honjo S, et al: Gen Hosp Psychiatry 24: 453-454, 2002
3) Yoshizumi T, Murase S, et al: J Am Acad Child Adolesc Psychiatry 43: 1030-1036, 2004
4) Nishida A, Tanii H, et al: Schizophr Res 99: 125-133, 2008
5) Laurens KR, Hodgins S, et al: Schizophr Res 90:130-146, 2007
6) 松本 英夫:専門医のための精神科臨床リュミエール5 統合失調症の早期診断と早期介入.中山書店,2009
7) 村瀬 聡美,杉山 登志郎 他:小児の精神と神経 34:169-177,1994
8) Hart HH: Arch Neurol Psychiatry 18: 584, 1927
9) Potter HW: Am J Psyciatry 89: 1253, 1932
10) 栗田 廣:精神医学 24:1349-1356,1982
11) 渡辺 美代子,八島 祐子 他:小児の精神と神経 26:53,1986
12) American Academy of Child and Adolescent Psychiatry: J Am Acad Child Adolesc Psychiatry 40: 4S-23S, 2001
13) Masi G, Mucci M, et al: CNS Drugs 20: 841-866, 2006



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梅が香に 昔をとへば 春の月 こたへぬ影ぞ 袖に映れる

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梅が香に 昔をとへば 春の月 こたへぬ影ぞ 袖に映れる
              藤原家隆(ふじわらいえたか)

(うめがかに むかしをとえば はるのつき こたえぬかげぞ
 そでにうつれる)

意味・・梅の香りに誘われて昔のことを春の月に尋ねると、
    答えない月の光が涙に濡れた私の袖の上に映った。
    
    伊勢物語四段が背景となっています。
    愛情が深くなっていた女性がいたが、突然身を隠
    した(知らせずに結婚した)。翌年探し訪ねてみる
    と、落ちぶれた姿になっていた。還らぬ昔を思う
    と懐旧の涙が出た。

 注・・影=月の光。
    袖=懐旧の涙で濡れた袖。

*****
歌の背景となっている物語まで含めて読むとやはり興味深い歌。
歌自体だと少し言葉が足りないかなという感じ。

かなり極端なことを言っているのだけれど地味な印象なのは
やはり歌の腕ということなのだろう。
けばけばしくなくて良い味だと言うこともできるかもしれない。

袖が涙で濡れてしまい
そこに月が映っているなんて
貴族君というものだな、これが。
「しもじもの皆さん、わたしが家隆です」とでも言うか。

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人格障害論

マニヤンを検索したらこんなのが見つかった。
2003年らしい。
記録のために採録。コメントなし。

*****
『人格障害のカルテ 理論編』

高岡 健・岡村 達也 編 20040525 批評社, メンタルヘルス・ライブラリー 11, 203p.

本書は『精神医療』29号の特集「人格障害のカルテ〈理論編〉」(精神医療編集委員会編、2003年1月10日発行、批評社)に加筆・修正し、新たな論文を加えて編集したものです。

■目次
●はしがき 人格障害論の脱構築 ― 高岡 健
●座談会 なぜ人格障害はすわりが悪いのか? ― 宮台真司・羽間京子・高岡 健・岡村達也
●人格認識自体がもたらす「障害」について ― 鈴木 茂
●回避性人格障害 ― 中村 敬
●人格障害論の現状と問題 ― 大河内敦子・粕田孝行
●人格障害論の史的展開 ― 森山公夫
●精神病質論の行方 ― 西山 詮
●人格障害と英国の新しい立法 ― 大下 顕
●パーソン中心療法から見た境界性人格障害 ― 岡村達也
●『人格障害論の虚像』を読みながら思ったこと ― 塚本千秋
●BOOKガイド 人格障害基本文献30 ― 高岡 健・岡村 達也
●あとがき 一心理屋の人格障害史 ― 岡村 達也

■紹介・引用

●はしがき 人格障害論の脱構築
・人格障害をめぐって解決されていない問題点
 ①人格障害は、幼少期から老年期まで変化しない人格特徴か、状況の変化に応じて変動しうる状態像なのか?
境界性人格障害(BPD)は状態像であり、いかなる人格障害もコミュニケーションの崩壊状況の下では「境界例化」し、コミュニケーションが再建されたら、それぞれの人格障害へと「脱境界例化」される。(p4)
 ②人格障害と発達障害との関連
  コミュニケーションの安定性が崩壊へと向かうと、狭義の統合失調型人格障害(SPD)の病像が出現する。(p6)
 ③人格障害は治療の対象なのか否か?
  コミュニケーションの崩壊以前の人格にはメンタルヘルス、崩壊以降の状態像に対してのみ治療を対置することが適切。(p8)
・人格障害という用語は、そのように名づけられた人たちの排除を通じて、社会の安定をはかるために使用される傾向がある。(p9)

●座談会 なぜ人格障害はすわりが悪いのか?
・座談会の動機(p15~17)
 社会の中で「すわり」が悪くなってきている人格障害をどのように考えるか?
 →「歴史の転換点」と「コミュニケーション」という視点から捉える
・人格障害と〈歴史の転換点〉―社会学の視角から(p18~30)
 〈団地化〉;コミュニケーションが閉じない。団地がもともとどんな場所だったのかという不安。
〈ニュータウン化〉;高度経済成長以降出現。〈家族幻想〉が短い期間で終わり家族がアノミーに陥る。
  →共同体アノミーを埋め合わせるようにして生じたのが、家も学校も地域も学校的尺度で一元化される〈学校化〉という現象である。
  →〈学校化〉の中で居場所を喪失した子どもたちが居場所を獲得する〈第四空間〉が出現する。   〈集団性〉を基盤としていた時代に存在した"規制" のメカニズムが消えるが、一方で個人による事件のように見えても、集団を意識し、集団に対する"同調圧力"を気にしている
・人格障害と〈歴史の転換点〉―精神医学の視角から(p31~40)
 社会の中に根拠を持って生きてきた人たちに対して、人格障害というラベルを貼ることで精神医学者の側はそれを一つの"商売の種"にしてきた。貼られた側は、社会から排除されるか、治療を受け入れ社会復帰するかしかなかった。
 社会システムに適応することが幸せなのか、と問われると良く分からない。人格障害は「このシステムに上手く適応して問題を起こさないことに、問題はないのか」という逆説に光を当てるきっかけになる。
・コミュニケーションとしての人格障害(p40~56)
 人格・人格障害の中から、目に見える形をコミュニケーションとして捉える。個々の目に見える行動はコミュニケーションとして捉えることができる。人格障害の不安定さもコミュニケーションである。
 コミュニケーションとは、社会システムが与える選択肢をどのように受け止め、反応するか、ということであり、われわれから特定の反応が導かれるのは、社会がそれを引き出し、巧妙に利用するからである。

●人格認識自体がもたらす「障害」について
・はじめに(p57~59)~「personalityの次元に問題がある」という印象を抱かせる患者の激増。
・患者自身と精神科医の双方からする患者人格の認識(p60~62)
 患者自身から得られた性格規定と、精神科医が診察室で直接目にする患者の印象が一致するか否かを図式化する。それにより、性格の類型化が可能になる。
・形式としての人格障害―人格概念を意義あらしめるもの(p71~75)
 人格概念を実効性あるものにするためには、人格を「有機体の行動」「人間の自由」との関連において形式的に捉える視点が重要であり、前者はJanet、後者はKantを例に見ることができる。
 性格に関するわれわれの自己規定は、判断力による。Kantによると、判断力には、普遍的なものの下に特殊的なものを包摂する規定的判断力と、包摂されるべき普遍が未だ与えられていない場合に、特殊的なものを通じてそれらに対する合目的的な普遍を新たに発見していく、自立性を持った反省的判断力がある。患者と精神科医は、反省的判断力の行使により新たに普遍を合目的的に発見してゆかなければならない。

●回避性人格障害
・はじめに(p77)
昨今増加の一途を辿る社会的ひきこもりと回避性人格障害のつながりが想定されている。
・回避性人格障害―概念の歴史(p77~82)
 DSM-Ⅳでは、批判、否認または拒絶に対する恐怖の項目が最初に位置づけられ、低い自己評価に関する項目が復活。回避性人格障害の中核的特徴は、強い対人希求性を持ちながら拒絶への過敏さのために自ら他者との関わりを避けるパラドクスにある。また、対人関係に対する回避傾向は生得的遺伝的に規定されているという理解が最近の趨勢となっている。
 回避性人格障害の二つの問題点
  ①このタイプの人格障害を社会恐怖ないし対人恐怖症から連続的に移行する自我親和的な病態に位置づけるだけで十分なのか。
  ②回避・社会的ひきこもりという持続的行動パターンが、本当に遺伝的に規定されたパーソナリティーに内属する特性といえるのか。
・症例提示と考察(p82~89)
提示された4症例は、回避性人格障害を対人恐怖―拒絶への過敏症という軸のみに還元できないことを示唆する。些細な不安刺激から反射的に回避反応が割り込み、活動モードからひきこもり・行動抑止モードに非連続的にスイッチが切り替わる。
・回避行動と現代社会(p90~91)
 回避は危機的状況下では誰しもとりうる行動であるが、共同体に基づく社会システムが拡散した今日、唯一の共同関係の場である学校や職場での失敗、そこからの離脱は直ちに共同社会からの脱落を意味することになり、いったん離脱すると家族以外の誰もが敵対可能性を帯びることになり、他者への恐れが汎化してゆく。
 現代の生活環境の変化の中で、自己と環境との関係を調整する必要が減り、対処能力を超えた事態に対しては能動的に行動する代わりに「行動しない」という戦略をとらざるを得なくなる。

●人格障害論の現状と問題
・人格障害と診断される方達と看護師としての出会い(p96~97)
 精神科女子急性期閉鎖病棟での勤務経験をもつ看護師である筆者が、人格障害疾患の患者との関わりの中で体験した"とも揺れ"について述べ、"病と闘う人々に寄り添う"という看護師本来の役割について考える。
・出会い(p98~99)
 "プライマリーナース"として、Aさん(18歳女性・境界性人格障害)を担当することに。
 一定の距離を持ちながらも共感的態度で接し安定した対人関係の練習をしてもらうことを心がける。
・ナースとは友だちになりたい!―治療に最適な距離が持てない(p100~101)
 Aさんの態度が次第に変化し、治療するのに最適な距離がとれなくなる。好意的な態度とこき下ろしとのギャップに戸惑い、Aさんの反応が怖くなる。
・振り回される―感情の揺さぶり(p101~102)
 その日の担当看護師と自分行動の"振り返り"の時間を持つ。この最中に感情が揺さぶられる。
・治療チームの分裂―主治医への怒り(p102~103)
 Aさんの2回目の入院からバラエティーに富んだ行動化が多くなり、目を離せなくなる。主治医への怒りを感じ、チーム間の分裂を生じてしまう。
・患者さんとの"とも揺れ"(p104)
 Aさんの行動化がエスカレートすることで看護計画が行き詰まる。Aさんの行動化を止められずに落ち込み、"とも揺れ"を起こす。
・この事例より学習した私の見方(p105~106)
 「一生懸命、患者さんのため」にと考えるとなぜかのめり込み、看護師側の方が患者さんとの適切な距離をはかる事ができなくなる。否定や肯定をせずにAさんが感じたことをそのまま受け止めるようにしていく。
・看護師としての内省―これからの人格障害疾患患者の看護について(p106~107)
 看護師は患者さんの身近な人としてとも揺れをしながらも、一線を越えない客観性を持って、どんなことがあってもみていてくれるいわば離れない観客のような存在として機能するもの。

●人格障害論の史的展開
・精神病質人格概念の形成―変質から精神病質人格へ(p108~117)
①前駆期(1830~1850)
道徳的狂気という概念がプリチャードにより成立する。市民社会が解体の兆しを示し始める時代。精神病者の処遇の基本的パターン・鑑定の方法が確立されていくが、その中で引っ掛かってきたのが、道徳的狂気といわれる存在であった。
②変質論の成立(1850~1870)
  1857年にモレルが変質概念を確立する。当時は市民社会がさらに崩壊して大衆社会に滑り込み始め、その中で文明の頽廃という現象が生じ始める。変質概念には文明の進歩に対する批判がこめられる。
③変質論の「変質」(1870~1886)
  変質概念自体が変質する。マニヤンにより、「精神的平衡失調」を軸に変質概念が精神医学の中に大きく食い込む。この時代は、階級大衆社会に転換する時代で、精神医学の疾病論にも根本的組み換えが起こる。
④精神病質概念の登場(1886~1905)
  コッホ「精神病質的低格性」・クレペリン「精神病質人格」といった、変質概念に変わる精神病質概念が登場してくる。その背景に獲得形質は遺伝しないという遺伝学説の変化があると思われる。
・精神病質論の展開(p117~119)
①多様の試み(1905~1933)
  精神病質の分類の多様の試みが見られる。
②体系化と分岐(1917~1933)
  精神病質人格論の全盛期。クルトシュナイダー(1923年『精神病質人格』)による整理とその後の体系化。クレッチマー(1918年『性格と体格』)による性格学。ライヒ(1925年『衝動的性格』)による精神分析学的性格学。
・精神病質論の変容(p120~122)
①精神病質概念の"道徳化"とパーソナリティー理論の登場(1933~1945)
  精神病質概念の道徳化と呼ばれる時代。と同時にパーソナリティー理論が登場する。精神病質概念が病名というよりも悪口となった。
②精神病質論の「転回」(1945~1968)
  精神医学概念が価値評価とか道徳化というものに転落してしまっているとする、シュナイダーの自己批判。「"精神病質"は死んだ。だが―精神病質者は生きている。」
・"精神病質"から"人格障害"へ(p123~126)
 精神病質に代わる人格障害。背景には、①素質論から対象関係論へ、②鑑定概念から治療概念へという流れがある。人格障害はいまだ過渡的概念である。すべての人間が"狂"をある程度抱え込んでいる、というのがこれからの時代の人間像であり、そういう基本的考え方で"狂"の諸形態を分類することは可能であり、重要である。
・境界型人格障害(p126~131)
①ボーダーライン概念をどう批判するかという問題~何が医学の対象となるのかが不明確である。
②現象としてある問題にどう対処するか
  一つに治療者のチームワークが試されるということ。2番目に治療者が患者の陰性感情転移に耐えることが試されているということ。3番目に治療構造の枠組を巡るせめぎ合いが常時必要になるということ。

●精神病質論の行方
・精神病質(異常人格)概念は生きている(p134~138)
 シュナイダーによると、精神病質人格とは、素質に基づく異常人格であり、その異常性のゆえに利益社会を悩ますか、あるいはその異常性のゆえに自ら悩む者である。シュナイダーは精神病質人を非社会的な人と考えることを反対しているにもかかわらず、精神病質人格は社会意的にマイナスの評価が付されることが多くなった。こうした精神病質は今日、人格障害のみならず、異常体験反応の中にも生きている。
・今日の人格障害(p139~142)
 変化はネーミング上のことで、自体は不変のまま継続している。
・人格障害者の刑事責任能力、治療、危険性予測(p142~148)
 「医療観察法」を積極的に用いることで、犯罪行為を行った人格障害者のかなりの部分を責任無能力または限定責任能力にすることが、必要に応じて可能になる。
人格障害者の治療も必要かつ有効である場合もあるが、「従来の精神医学体系そのもの」を変更して、医師や病院がこのような事業に討って出るのが適切化は問題である。
 将来的危険性の予測は、①危険な行動をする精神障害者の頻度がきわめて低く、危険性のない者を危険とみなす誤り(偽陽性予測)が許しがたいほど多くなること、②偽陽性の場合を観察することができないこと、③精神科医や裁判官の偽陽性予測の誤りについては問題にされること、といった点から困難である。その結果、多くの人をできるだけ長く収容させようという傾向が自然に醸成される。

●人格障害と英国の新しい立法
・はじめに(p151~152)
 2002年6月、英国は精神保健法改正草稿法案を発表。これにより治療不可能とされる人格障害をも強制入院させることができるようにし、また地域での強制治療を導入することで、社会防衛を強化しようとしている。
・精神保健法改正の動き(p153~155)
 草稿法案の作成の目的は、「重度人格障害をもつ危険な人々(DSPD)」を犯罪行為の有無に関わらず強制入院させ、犯罪を予防すること。
・法改正の動きへの反応(p155~156)~多くの精神科医、諸団体は反対を表明。
・人格障害―精神病質に関する議論(p156~158)
 人格障害―精神病質が医療的概念か否か、治療可能か否かといった議論が再び活発化している。
人格障害が医学的概念であるか否かに関して意見が大きくわかれるという事実や診断の信頼性が低いと考えられている事実は、その診断にもとづいて精神保健システムにおいて拘禁がおこなわれることに倫理的問題を生じさせる。
・「心神喪失者医療観察法」との関連において(p159~160)
 「心神喪失者医療観察法」にもとづく新しいシステムに精神病質者が多く取り込まれる見込みが高い。その場合、治療体制は崩壊するおそれが高くなり、精神科医、看護師は看守化せざるを得ない。また、再犯予測不能に基づく長期の不当拘禁あるいは退院後の再犯の問題もある。

●パーソン中心療法から見た境界性人格障害
・はじめに(p163~167)
 治療者は診断過程に参与する者であり、治療過程とはクライアントが自分自身について自分なりの診断を展開する過程であり、診断はクライアントごとに異なる個性的なプロセスと言える。
・パーソン中心療法から見た境界性人格障害(p168~170)
 境界性人格障害は「自己」に対する一貫して信頼できるガードがないので、脅威に対して生存を確保すると思えるどんな手段でもとる。いつも障害があるわけではなく、行動が生じるのは「自己」が新しい「体験」という脅威にさらされるような状況に限られる。
・境界性人格障害の治療―精神分析とパーソン中心療法との対照(p170~171)
 境界例に対する精神療法は、患者が自己と他者を一貫性のある、統合された、現実的に知覚された個人として体験する能力を亢め、反応の仕方を狭めることによって自我構造を脆弱にするような防衛を用いる必要が少なくなるようにする。
・おわりに(p176~177)
 パーソン中心療法は境界性人格障害という実態を措定せず、したがってその治療を構想しない。しかし、境界性人格障害といわれる状態像を呈することのある人たちの生を支援しようとする。

●『人格障害論の虚像』を読みながら思ったこと
『人格障害論の虚像』は「人格障害」という名を告発する。「それはこの用語が、人間にまつわる不都合な出来事に際して、文明や製作の失敗を隠蔽し、免責させてしまう強烈な傾向をはらんでいるため」(p182)
「人格障害は市民の表面的な安心と、専門家の精神保健のため流通するようになった言葉」(p185)
「治療を行うのではなく、彼らなりのコミュニケーションの可能性を吟味していこうという」(p187)
「ステレオタイプな家族の形式の中で、そこに君臨するものが意識・無意識に家族メンバーを支配しようとしてきたことこそが、問題ではなかったのか」(p188)→「家族の解散論」へ

 

 

 



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映画「彼女は最高」 キャメロン・ディアス

映画「彼女は最高」1996年の作品。She's the One.

 

エドワード・バーンズ、マイク・マッグローン、ジェニファー・アニストン、キャメロン・ディアス、マキシン・バーンズ、ジョン・マホーニーなどが出演。

見ていて安心。凝りすぎない。すこしだけオシャレ。何事も適切。セリフがいい。

一回目はあらすじが知りたくて見た。
二回目はあらすじを確認したくて見た。
三回目は仕草や調度やそんな細部を知りたくて見た。
食事の時どんなものを食べているか、ドリンクは何か、カトリックだけどお祈りはしないなとか、経済的に成功していてもやはり弟だというのはこの辺で表現しているのかなとか、まあ、いろいろと考えながらみることができて、その点でも、よくできている作品だと思う。

 



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なぜIT業界がきついのか

なぜIT業界がきついのかの説明

 ウォータフォールモデル開発では、プログラムを作る前に仕様書(基本的に紙)という形でユーザに設計を承認して貰うわけですが、グラフィカルな画面を紙で表現されてもユーザには完全にイメージできるものではありません。というよりも、「書いている本人でさえイメージできているのか?」と疑問を持つことすら多いです。しかし、開発を進めるためには承認作業は必要で、曖昧なイメージで承認された仕様書(設計)で進めて行くことになります。
 ウォータフォールモデル開発では承認されたものは正しいという前提になりますが、その前提を覆す仕様変更が起きたときに、前工程に遡る大規模な手戻りが発生することが最大の問題です。しかし、ユーザは曖昧なイメージで承認している訳ですから、そもそも承認されたものは正しいという前提は壊れている。余程、ユーザの要望がはっきりと分かりやすい場合を除き仕様変更は必ず発生します。
 開発の終盤になって、実際のプログラムをユーザが見てイメージとのギャップを口にしたとき、それをユーザが「仕様変更」である、つまり「自分たちの承認が間違っていた」と認めて、「納期延長と追加費用」を認めてくれた場合か、運良く「仕様変更」が当初の見込み分ぐらい(普通、ある程度のバッファをもって見積もる)しか発生しない場合は、そのシステムは成功したことになります。しかし、ユーザが「仕様変更」(納期延長と追加費用)を認めてくれなかった場合は、いわゆるデスマーチという状態になります。現実問題としてほとんどの場合、予想以上の仕様変更が起こり、高い確率で「納期延長」が認められることはありませんから、IT系の仕事は長時間労働が常態化しいわゆる3K職と言われるわけです。
 それでも、抜本的な解決策を講じることなく、デスマーチの後には「ユーザが仕様変更を認めざるを得ないドキュメントを作るべきだった」という反省を行い、解決策としてドキュメントが増えていきます。ドキュメントが増えれば更に工数が掛かりますが、増えたドキュメントは良いシステムを作るために生まれたドキュメントではなく、「仕様変更」という言い逃れをするためのドキュメントに過ぎませんから、生産性には何も貢献しません。

こんな具合



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恥多き我が半生に ふと思う

恥多き我が半生に ふと思う
生き恥さらしてなお
人は生きねばならぬ

武田泰淳

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歳をとったら誰に介護して欲しいですか?

高齢者はこんなことも考えるんですよ、
そして絶望しているんですよ、
そこのお若い人。

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本当にいい刀は鞘に入ってる

あなたは鞘のない刀みたいなもの。
よく切れます。でも、本当にいい刀は、
鞘に入ってるものですよ
『椿三十郎』

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俺たちの旅 ただお前がいい



小椋佳のビデオで、中村雅俊が出演、俺たちの旅やただお前がいい
を歌っていた。
女優金沢碧を思い出す。
私はあの時期、青春に憧れていたのだと思う。

その後は私も年代としては確かに青春期を過ぎた
しかしどうだろう、本質的に私は青春を生きたといえるのだろうか

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天運苟如此且進杯中物

責子(こをせむ)

陶淵明(とうえんめい 東晋)

 白髪被両鬢(はくはつ りょうびんにこうむり)
 肌膚不復實(きふ またみたず)
 雖有五男児(ごだんじ ありといえども)
 總不好紙筆(すべて しひつをこのまず)
 阿舒已二八(あじょは すでににはち)
 懶惰固無匹(らんだ もとよりたぐいなし)
 阿宣行志学(あせんは ゆくゆくしがく)
 而不愛文術(しかも ぶんじゅつをあいせず)
 雍端年十三(ようとたんとは としじゅうさん)
 不識六與七(六と七とをしらず)
 通子垂九齢(つうしは きゅうれいになんなんとし)
 但覓棗與栗(ただなつめとくりとをもとむ)
 天運苟如此(てんうん いやしくも かくのごとくんば)
 且進杯中物(しばらく はいちゅうのものをすすめん)

◎子供五人の名前は舒・宣・雍・端・通。
☆二八は16歳。志学-15歳。論語「吾十有五にして学に志す」から。

白髪は左右の鬢をおおい、皮膚ももう老化した。男の子が五人いるが、すべて勉強ぎらい。阿舒は16歳で、無類の怠け者だ。阿宣は、やがて15歳だが、文章学問が好きでない。雍と端は13歳。まだ六と七の区別もつかない。通は、もうすぐ9歳。梨や栗をねだるばかり。ああ、これも運命ならば、あきらめて酒でも飲むことにしよう。  



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ノロウイルスによる嘔吐・下痢に五苓散が効く

ノロウイルスによる嘔吐・下痢に五苓散が効く
 冬になるとウイルス感染症の患者さんが増えてきます。風邪やインフルエンザの患者さんも多いのですが、ウイルス性急性胃腸炎による嘔吐・下痢症の患者さんも数多く来院されます。今回は、このウイルス性急性胃腸炎による嘔吐・下痢症(主としてノロウイルス感染症)に対する漢方治療についてお話ししたいと思います。


【症例1】
 患者さんは28歳の女性で1児の母親、専業主婦です。昨夜、急に数回の噴水様嘔吐と数回の水様性下痢、軽度の腹痛が出現し、夜間のほとんどはトイレにいたそうです。朝方、症状はいくらか和らいだようですが、体温が38度台だったため、当科を受診しました。

 診察時には普通に面談ができ、若干の吐き気を訴えていましたが腹痛は消失していました。体温は37.6度と、自宅で測定した時よりは自然に解熱しておりました。以上から、ノロウイルスによる急性胃腸炎と診断しました。

 今回は特に漢方的な診察や考察を行わず、患者さんに漢方薬を処方しますとだけ告げて、五苓散(ツムラTJ-17)3パック(分3)を3日分処方しました。五苓散は水代謝の異常(水毒)に対して処方する薬剤です。ノロウイルスによって起こされる嘔吐や水様性下痢などの症状は、まさに水代謝異常そのものですので、五苓散を選択します。

 しかし、嘔吐・下痢で脱水状態になっている患者さんに対して、利尿作用があり、むくみの改善にも用いられる五苓散を処方すれば、かえって脱水がひどくなるのではないか、と心配される先生方もおられると思います。

 五苓散は漢方薬理上、「利水剤」というジャンルに分類される方剤です。昭和薬科大学病態科学研究室教授の田代眞一氏らが行った実験によると、フロセミド(代表的な商品名:ラシックス)などの利尿剤は、人体が脱水になっている場合でも、投与すると尿量を増やし、脱水を助長しますが、五苓散などの利水剤は、人体が脱水になっている時は尿量を減らし、脱水を緩和させます。ここが多成分から成る漢方方剤の面白いところです。両者の作用を比較すると、五苓散には利尿剤ではなく利水剤というネーミングがぴったりくるように思われます。

 近年、五苓散はアクアポリンという水チャネルの分子に作用することが報告されています。五苓散は、全身のアクアポリンを介して水の適正分布に関与しているのではないかと考えられ、尿細管だけに作用する利尿剤とは異なった薬理作用を示すのだと思われます。このため、嘔吐や下痢といった水の不適切な分泌や、腸管内の過剰水分など不適切な水の分布に対して、五苓散は効果があるのではないかと考えられます。

 五苓散は、患者さんの体質(陰陽)や体力(虚実)などをあまり考慮せずに使用できる方剤です。

 また、いきなり五苓散を処方したのは、これまでの私の印象として、ノロウイルスによる急性胃腸炎に対しては、西洋医学的な整腸剤と制吐剤による対症療法よりは、五苓散の方が効き目や患者さんの評判の点で優れていたからです。患者さんの中には五苓散を指定してくる方もいるほどです。

 今回の患者さんは、症状がやや治まってから来院しましたが、外来で待合室とトイレを往復しているような症状の激しい患者さんにも効果があり、即効性も期待できます。

 診療所や市中病院の総合診療科などでは小児を診る機会が多いと思います。漢方をよく処方するある小児科医によれば、五苓散は小児の嘔吐・下痢に対しても効果があり、内服できない場合は、坐薬や注腸投与で使用するということです。即効性があるため、診察中に飲ませておくと帰るころにはかなり症状が軽くなっているそうです。

 ノロウイルスは感染しやすく、しばしば老人保健施設などで大流行します。五苓散は体力の低下した高齢者にも、漢方的診察・診断にこだわらず気軽に処方できますし、西洋医学的な保存的治療よりも治癒まで期間も短い印象がありますので、老人保健施設などでノロウイルス感染症が流行したときにもお勧めです。










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ロナセン への期待と不安

統合失調症治療薬 ブロナンセリン 商品名ロナセン
受容体選択性が高い新規SDA
 2008年1月25日、統合失調症治療薬のブロナンセリン(商品名:ロナセン錠2mg、同4mg、同散2%)が製造承認を取得した。承認された用法・用量は、「成人1回4mgより開始し、徐々に増量する。そして維持量として1日8mg~16mgを2回に分けて投与する。なお、年齢、症状により適宜増減するが1日最大量は24mgを超えないこと」となっている。

 統合失調症は、生涯発病率は1%ほどとされている。発症初期には、頭重感、倦怠感、易疲労感、睡眠障害などの身体的愁訴で医療機関に受診する場合が多いが、その後、陽性症状(幻覚・妄想・興奮など)、陰性症状(感情鈍化、意欲低下、無関心など)、不安・抑うつといった多彩な症状が現われてくる。

 治療では、従来から薬物療法が中心となっており、長年、ハロペリドール(商品名:セレネースなど)をはじめとした定型抗精神病薬(第一世代抗精神病薬)が用いられてきた。しかし定型抗精神病薬は、統合失調症の陽性症状には有効性が高いが、陰性症状には効果が低い場合があることが指摘されていた。また副作用として、錐体外路系症状(急性ジストニア、アカシジア、遅発性ジスキネジアなど)が発現した。これに対して、1990年代後半から登場したリスペリドン(商品名:リスパダール)をはじめとする非定型抗精神病薬(表1)は、陰性症状にも効果が高く、錐体外路系症状などの副作用も比較的少ないことから、統合失調症治療に広く使用されるようになっている。

表1 主な非定型抗精神病薬

■SDA(セロトニン・ドパミン遮断薬)
  リスペリドン(商品名:リスパダール)、塩酸ベロスピロン水和物(商品名:ルーラン)

■MARTA(多元受容体作用抗精神病薬)
  オランザピン(商品名:ジプレキサ)、フマル酸クエチアピン(商品名:セロクエル)

■DSS(ドパミン部分作動薬:ドパミン・システム・スタビライザー)
  アリピプラゾール(商品名:エビリファイ)

関連記事はここ
http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-04-07-3

上記三種SDA、MARTA、DSSについても、まったく別の薬ではなく、
たとえば、SDAを用いて、その使い方を工夫することで、
DSSに似た効果を期待することもできる。

 今回承認されたブロナンセリンは、ドパミンD2受容体、セロトニン5-HT2A受容体に対して強い遮断作用を有するSDA(セロトニン・ドパミン遮断薬)である。これまでの臨床試験結果などから、ブロナンセリンは、ほかのSDA(例えばリスペリドン)よりも受容体選択性が高く、SDAの最大の問題点であった高プロラクチン血症(性機能障害など)や、定型抗精神病薬に見られた錐体外路系の副作用の発現が少ないといわれている。

 ブロナンセリンは日本で創薬された新規構造をもった薬剤であり、今後は、統合失調症治療で広く使用されていくことが予想される。使用に際しては、薬剤の有効性や安全性が食事の影響を受けやすく、食後投与が望ましいとされているので注意したい。食事との関係はエビリファイなどでも観察されていることで、規則正しい食事と服薬を原則としたい。

また、副作用(高プロラクチン血症や錐体外路系症状など)が皆無ではないことを認識した上で、投与量は必要最小限となるよう調整し、投与後の患者の状態を十分に観察しなければならない。

販売量    ロナセン錠2mg  ロナセン錠4mg  ロナセン散2%

一般名    ブロナンセリン (blonanserin)

効能・効果 統合失調症

用法・容量 通常、成人にはブロセナンリンとして一回4mg一日二回食後経口投与より
        開始し、徐々に増量する。維持量として一日8mg~16mgを2回に分けて
        食後経口投与する。
        なお、年齢、症状により適宜増減するが、一日量は24mgを超えないこと

製造販売元 大日本住友製薬株式会社

心配な点はいろいろあるらしい。個別にコメントする。

太る……糖代謝に影響は少ない。ただ、不調のときには運動量が少なくなるので、その結果として体重は増加する傾向になることが多い。

プロラクチン・性機能障害……男性の場合にはあまり影響はない。女性場合にも、プロラクチンをコントロールすることもできるので、使えないわけではない。リスパダールやスルピリドでプロラクチンが動くが、対処できるので心配しなくていい。

眠気……体質による。眠気が出るなら、夜にまとめて使えばよい。眠れなくなるなら、昼に使えばよい。体内での代謝時間と代謝経路を考慮して、いろいろと工夫ができる。これもクリアーできる。

頭の回転が鈍くなる……これは表現が微妙で、陽性症状部分の頭の不必要な回転は抑えたい。一方で陰性症状部分の必要な頭の回転は促進したい。陽性症状にはロナセンのD2ブロッカー部分がよく効く。陰性症状部分にはセロトニン・5HT2A2部分が効くので、これも改善が期待される。

リスパダールとの比較……副作用が少ない。ロナセンもセロトニン部分よりもドーパミン部分によく効く薬である。そこで、DSAなどと呼んで、セロトニン・コントロール優位の印象のあるSDAとの違いを区別しようとしている。

陰性症状……セロトニン・5HT2A2部分への効果があり、これはジプレキサ、セロクエル、リスパダールとは少し違い、ルーラン、セディールに近い。使用量にもよる。また、体内での二次代謝産物の影響もある。単純ではない。

初期症状である幻覚・妄想や意欲低下などを軽減する……ドーパミンD2ブロック作用でかなり期待できる。

ロナセンはルーランの後継……会社は同じだが、そうともいえない。

ルーランで呂律が回らなくなってきた……使用量と開始時期の薬量調整による。調整可能。

朝の眠気だるさ……薬によるものか、気分変動によるものか、生活リズムによるものか、見分けつつ、対処する。調整可能。

頭がボケないか……24mg を超えない範囲と書かれていて、一方、薬剤は、2ミリ錠と4ミリ錠だから、かなり細かく調整できることになる。「ボケ」ることの内容を吟味して対処。

リスパダールでボケる人もいればボケない人もいます……薬量と種類を考慮すれば防止できる。

エビリファイも人によっては副作用がないどろか賦活作用で意欲が戻ったり……薬量と、飲む時期にもよる。数カ月前に飲んだ薬がやっといい効果を発現しているということもある。数カ月前に中止した薬の影響が今頃になって現れているということもある。

ルーランで呂律が回らなくなった。エビリファイ、リスパダールがだめで、またルーランにしたら呂律には問題なくなった。……これは実際あることで、その間に治療が進展したということだ。体質が変わりつつあるのだろう。

一般に、まず、統合失調症と広く言うが、様々な病型が含まれている。ある人の統合失調症と別の人の統合失調症は同じではないかもしれない。また、発病からの時期の違いもある。そして体質の違いもある。
それらを一緒にして論じるのは、あまり得策ではない。違いを無視して何か一言で結論を出すのは、やめよう。

個人的ないろいろな事情もある。体質、環境、仕事、家族の意見、それまでの経験、思い込み、食生活の癖、睡眠の癖。
それらを全体的に考慮して、考える。
単に「眠気が強い」と言っても、どのような状況なのか、病気の詳細と経過、体質、環境、その他、いろいろと総合する必要がある。

短期決戦ではないのですから、年単位で、取り組むことが必要である。

一日一回単剤投与を目指しているが、いろいろと工夫していこう。

*****
2008-6-18
個人的には
smapg-time-delay-model(http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-04)で

中脳辺縁系のドーパミン(D2)を遮断して陽性症状を改善するというのが12.の経路、
中脳皮質系のセロトニンを遮断して、中脳皮質系のドーパミン(D2)が出やすくなるというのが11.の経路

という両面でロナセンがぴったりなので、
自我障害初発型に使ってみたいと思っている。



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喉のつかえと漢方

 今回は「喉のつかえ」を取り上げます。喉のつかえは昔からよくあった症状で、「梅核気」という病名で江戸時代の医学書にも記載されています。梅核気とは喉に梅干の種がつかえている感じがするという意味です。日本人は生真面目な性格の人が多いためか気が滅入りやすく、いわゆる「気うつの病」になりやすい人が多いのでしょう。

【症例1】
 患者さんは56歳の身長 156cm、体重 42kg、やせた真面目そうな女性です。2週間前から喉に何かある感じがして、気になってしかたがないと訴えられています。耳鼻咽喉科や消化器内科を受診し、異常なしと言われましたが、納得できないため大学病院総合診療科を受診されました。

 身体診察上は血圧 116/76mmHg、脈拍 66/分整、体温 36.2度。心肺腹部に異常はなく、初診時に一般に行われる尿・血液検査、心電図、胸部X線でも異常所見は認められませんでした。

 ここからが漢方の出番です。初診時の検査では異常がないことを患者さんに説明し、さらなる検査(前医で既に行われている胃内視鏡や胸部CTなど)を行う前に、漢方診療をさせてほしい旨を告げ、口頭で承諾を得ました。その上で、以下の漢方診察を開始しました。

 西洋医学でも、心療内科や精神科では、心身相関の観点から患者さんの感情の変化に注目します。漢方でも、「心身一如」、「病は気から」の考え方から、「七情の変化」(喜、怒、悲、憂、恐、思、驚)を重視しますので、漢方の問診では、腹立たしいこと、嫌なこと、悲しいことなどが症状の出る前になかったかどうかを聞き出します。

 患者さんの生活背景について、漢方的な問診を行っていくと、(1)仕事上の悩みはなく、夫婦生活にも問題ないが、以前から姑とうまくいっていないこと、(2)農協の婦人部主催のお祭りの件で最近、姑に嫌みを言われたこと、(3)実家の父が脳梗塞で倒れたため、時々看病に行っていること、そして(2)、(3)のあたりから喉の調子が良くないこと、などが分かりました。

 ここまでの問診で、患者さんが病気に至ったストーリーが浮かび上がってきました。
 女性は以前から姑をストレスに感じていましたが、何とか感情のバランスを取っていました。お祭りでのもめごとで姑に対して怒りを感じましたが、表に出さず、我慢しました。この内向した怒りに、ちょうど父親が病気になって、悲しみや憂いといった感情の変化が加わり、看病疲れなどから体力、気力が低下し、一気に感情のバランスが崩れて発病した、というものです。

 このように、なぜ患者さんが病気になったのかを、名探偵よろしく推理し、発病に至るまでのストーリーを組み立てることは、漢方の視点でコモンディジーズを診療する医師にとって、楽しみといっては語弊がありますが、まさに腕の見せ所です。

 この患者さんに筆者の推理を話したところ、そうかもしれないと納得されたので、姑に対する怒りを収めることと、父親に対する感情を整理することを助言し、その上で半夏厚朴湯(ツムラTJ-16)7.5gを処方しました。治療開始2週間後には症状は10から4へ改善、1カ月間の服用で症状は消失して、以後来院なしとなりました。漢方では「一怒一老」といって、怒りは寿命を縮める悪い感情であるとし、怒りを出さないように指導します。

 このような、「喉がつかえる」という症状の患者さんが来られたときのために覚えておきたい方剤は、半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)と、柴朴湯(さいぼくとう)の2つです。柴朴湯は、半夏厚朴湯と小柴胡湯(しょうさいことう)を合わせた方剤です。喉がつかえるという症状に対しては、まず半夏厚朴湯を処方すれば、大方の場合、症状は改善します。

 では、柴朴湯はどのような患者さんに投与するかというと、何かに追われているようなストレスを感じていて、喉のつかえがある患者さんです。喉のつかえをとる半夏厚朴湯に、抗ストレス方剤である小柴胡湯を併せて使用する治療戦略です。昔から半夏厚朴湯と小柴胡湯の組み合わせが頻用されていたため、柴朴湯という方剤が生まれました。

 以下に柴朴湯を処方し軽快した症例を紹介します。

【症例2】
 患者さんは36歳の男性で小学校の先生です。身長 176cm、体重 78kgとやや太っていますが筋肉質の体形です。

 2週間前から喉が詰まるような、息ができないような症状が出現、改善しないため、近医を受診しました。そこで胸部X線、胃内視鏡などの検査が行われて逆流性食道炎と診断され、プロトンポンプ阻害薬(PPI)のオメプラゾール(商品名:オメプラール)10mgが処方されましたが、症状の改善が認められないため、精査を希望され当科を受診しました。

 血圧136/88mmHg、脈拍84/分整、と血圧はやや高め、脈はやや早めですが、ストレスによるものと考えました。

 漢方的に考えると、「待ってました!」と言いたくなるほど典型的な「気うつ」の症例です。公務員、学校の先生にはうつ病が多いという印象があったので、この患者さんにも学校で何らかのストレスがあるのではないかと推察し、漢方的な問診を始めました。

 すると、担当のクラスに不登校の生徒がいて対応に苦慮していること、学年主任で大変であることが聴取されました。仕事に追われるストレスで喉のつかえが生じていると考えたため、少しいい加減に仕事をし、休日はできるだけ仕事のことを考えず、身体を動かすように指示した上で、柴朴湯(ツムラTJ-96)7.5gを処方しました。2~3週間ごとに診察を行い、約3カ月の通院で症状はほぼ消失し、血圧も 122/78mmHgと正常化しました。

 もう1人、半夏厚朴湯を処方して症状が改善した患者さんを紹介します。この患者さんはかなり疲れていた(気虚)ので、漢方の精力剤である補中益気湯(ほちゅうえっきとう)を併せて用いました。

【症例3】
 患者さんは70歳で身長 148cm、体重58kgとやや小太りで真面目な女性です。

 半年前に夫が脳梗塞で倒れ、以後、病院に付き添いをしながら看病を続けてきました。3回の転院を経験した後、夫は1カ月前から自宅で加療することになりました。現在、夫の病状は安定し、週に2回ヘルパーさんが来てくれて、家には落ち着きが戻り始めていました。

 ところが、この女性の方に、「食欲がなくなった、喉が詰まる、息がしにくい、眠られない」といった症状が出現し始めました。夫が世話になっている病院で診察・検査を受けましたが、異常がないと言われたため、精査を希望し、姉に付き添われて当科を受診されました。顔の表情は硬く、何か思いつめている感じでした。

 長い看病で気うつになり、夫の病状が安定したところで張り詰めた気持ちが切れ、疲れも出たために発病したのではないかと考え、半夏厚朴湯と補中益気湯を処方しました。

 その結果、投与2カ月で食欲が戻り、症状はかなり良くなっていましたが、治療半年後、夫の肺炎による再入院をきっかけに症状が逆戻りして漢方だけでは対応できなくなり、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)の塩酸セルトラリン(商品名:ジェイゾロフト)25mgと、ベンゾジアゼピン系抗不安薬のエチゾラム(商品名:デパス)1.5mgを併用しました。

 患者さんは現在も通院加療中ですが、娘さんたちと相談し、夫には施設に入所していただき、患者さんは長女さんが面倒を見ることになりました。

 今回の症例のように漢方だけで治療がうまく行かなかった場合、私は漢方治療に固執することなく、西洋薬を併用しています。また、漢方薬を併用していると、SSRIなどの向精神病薬の投与量が少なくて済む印象があります。

 「喉がつかえる」という症状は、ストレスによって食道平滑筋の収縮が亢進し、知覚神経が過敏になって、通常では感じない感覚を患者さんが認知しているのではないかと推察しています。

 漢方が得意とする「不定愁訴」は、自律神経の交感神経と副交感神経のバランスが崩れることにより生じます。ストレスや感情の変化は自律神経機能に影響を与えますので、病(自律神経のバランスの崩れにより生じる症状)は、気(感情の変化)からということになります。

 



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焼け石に水

焼け石に水
蛙のツラにションベン
海に目薬
二階から目薬


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