バベットの晩餐会
Y先生で、
放送されるとなんとなくまた見たりしている。
「いつどこにいてもあなたと一緒でした。
それはご存知ですね。
これからも毎日あなたと共に生きる。
それもご存知ですね。
…肉体がどんなに離れていようと構わない。
心は一緒です。
今夜私は知りました。
この美しい世界では全てが可能だと。」
「地上の名声は空しい」
日曜読書欄に紹介があり、
原作を読んでみたいと思った。
柴田翔は書く。
「結ばれなかった男女も
実は生の日々をともにしたのだと知り、
眠る人々の上に雪が積もる。
読む人を自ずと幸せにする輝く恩寵の数々。」
雪の日曜日にふさわしい書評。
ありがとうございます。
イサク・ディーネセン「バベットの晩餐会」ちくま文庫、桝田啓介訳。
「アウト・オブ・アフリカ」もこの人の本とのこと。メリル・ストリープ、ロバート・レッドレフォード。
てんぷら屋でお一人様
てんぷら屋でお一人様をした。
カウンターへどうぞといわれて、
決まってるじゃねえかとつぶやいて席に着くと
やはりカウンターでお一人様をしている女が目に入った。
単に生物分類として男ではないというだけであるのだが、
その人の食べ方を見ていていろいろと考えさせられた。
まず箸がきちんと使えない。
時々こぼしているようでもある。
昼からてんぷら定食にビールをつけている。
ビールはほぼ飲みきっている。
てんぷらを塩につけたりつゆにつけたりしているが、
つゆにつけたほうはもうびしょびしょで
てんぷらの衣が残っている。
カロリーコントロールのために残しているのかもしれない。
白米の上にもてんぷらのつゆがついていてきれいではない。
そして、ご飯も、味噌汁も、てんぷらの衣も、残して、立ち去った。
挨拶もなし。てんぷらの中身だけは全部食べたようだ。
まあ、こちらも体調の悪いときは似たようなものだけれど。
多分、人の目などかまっていられなかったのだろう。
テーブル席ではカップルがデートだろうか。
初々しい雪の日デートである。記憶に残るだろう。残るといいね。
おじさんは応援するよ。
季節を分ける節分の日に大粒の雪が降り、
人々を振り込める。いいことだ。
2年ぶりの雪の日曜日
子供ははしゃぐ
大人もはしゃぐ
なぜなんだろう
わからないが
はしゃいでしまう
むかし
雪が降る中を
不忍池まで歩いて、
雪の中の鴨の写真を撮ったりしたものだ
どういう理由でこのように模様ができるのかわからないが、
おもしろい。
実際老後になった人の余裕資金
自分の退職金と妻の退職金、
そして、財形積み立て貯蓄の満期も迎えたりして、
ときには親からの遺産が両方から入ったりして、
相続税を払っても、
結局、60歳と少しくらいで、急に、
2億円から4億円くらいのお金を手にしてしまう。
生きててよかったね。
遺産は半分くらいは土地と株で、そのままにしておけば特に
運用に困るということはないが、
現金部分は、とりあえず運用したいということで、
お決まりのファンドをはじめたら、
いきなりの下落で、
かなりショック。普通の定期にして置けばよかったと思うことしきり。
そんな悩みなら誰でも歓迎だろう。
しかし確かに、歳をとってから大金を手にするというのも、
無駄というか、矛盾したことだ。
子供に家を譲って、自分たちは老人ホームを探すとのこと。
しかしそれも適当なものがないらしい。
若い頃は若い頃で苦労した人たちだけれど、
これからも平坦ではないらしい。
もうすぐ病気と老化が待っている。
荒井 献 大貫 隆 関根 正雄 グノーシス ナグ・ハマディ 井筒 俊彦
ついでにいうと学者としては荒井 献が有名。
ナグ・ハマディ写本についての本などもあり、
グノーシス研究者についての紹介もある。
大貫 隆も有名な人。分かり易くはない。
関根 正雄も有名な人。
これらは古本屋で見かけたら買っておけば、
将来、損はしないと思う。
引越しのたびに運ぶ本になる。
こうした人々に比較すれば、北森 嘉蔵は
かなりはっきりと信仰者である。
外部から見れば、カトリックとプロテスタント、そして無教会主義など、
ささいなようで大きな違いがあり、おもしろいのではないか。
さらにユダヤ教とイスラム教がつながり、
そうなると井筒 俊彦を読むことになる。
この人の本も、古本屋で見つけたら、ためらわずに買ったほうがいい。
この人の本を読み返して、自分の現在位置を確かめてみるのも悪くない。
古本屋に行かなくても、Amazonでいいし、銀座教文館や教会脇の書店に並んでいる。
聖書の言葉を短くあしらって、写真や絵で構成した本があり、
贈り物にはいいと思う。
「あなたがたの頭の髪の毛までもみな数えられている。だから恐れるな」
聖書には、「あなたがたの頭の髪の毛までもみな数えられている。だから恐れるな」とある。
「だから」恐れなくていい。
「だから」恐れなければならない。
「このようにあなたがたも自分は罪に対して死んでいるが
キリスト・イエスに結ばれて神に対して生きているのだと考えなさい。
罪に対して死んでいるけれども
キリスト・イエスに結ばれて
神に対して生きているのだと考えなさい。」
「わたしは神に生きるために、
律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に十字架につけられた」
「もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生きたもう」
北森 嘉蔵には「ヨブ記講話」教文館もある。
ユングにヨブ記を論じたものがあり、これもたいそう難しい。
若いうちにチャレンジしてほしいものだ。
フロイトとユングは宗教について考え方にかなり違いがあると思うが、
どちらにとっても大きな問題だった。
彼らを知るためにもキリスト教は知るべきである。
精神を分析することの半分は家族のことであり、半分は神のことかと思うくらいだ。
日本語ならば、遠藤周作があり、なによりまず三浦綾子がある。
入門書がたくさんあり、小説もたくさんあり、
分かり易いが、浅いわけではない。
「氷点」は何度も映像化されているし、これからも映像化されるだろう。
そしてそのたびに原作が読まれるだろう。
その人たちはバッハのマタイ受難曲に出会い、
聖書を読むだろう。
「氷点」に、茅ヶ崎におじいさんがいることが出ていて、わたしにはそのことがおもしろい。