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googleカレンダーの複数アカウントを同期する

http://www.appbank.net/2009/06/24/iphone-news/33309.php

なるほど
これで社長さんのスケジュールと第一秘書さん第二さんのスケジュールを
一度に見ることができるわけだ


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言語空間分析としての心理分析

空間とは要素と要素の間の距離を定義することのできる構造体である。

従って私的日本語空間の中で
言葉と言葉の距離を定義することができる。
そのようにして作った言語空間は個人によってかなり異なる。

どのように異なるのか、ここから言語空間分析としての心理分析が始まる。


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ねこまど

http://www.nikkei.co.jp/ps/YKK_AP/
ねこまど

ほかに
えほんのまど



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やせすぎモデルの是非で物議

2009-10-15-110729.jpg

英紙デイリー・メールによると、この細すぎるモデルを最初に取り上げたのは「Photoshop Disasters」というサイト。「“本当にひどい”写真修正例の歴史を紹介する」(デイリー・メール紙より)として、該当する広告のモデルの写真を掲載した。

続いてブログ「Boing Boing」が、この写真を大きく掲載し、「彼女の頭は骨盤より大きい」と紹介。このエントリーには、ユーザーからも「本当に女性がそう見えると思って、フォトショップ使ったのか?」「これが本物の人間なら、ジョークにもならない」と多くのコメントが寄せられ、“細いモデル”に見せるために、異常な修正をしていることへの批判が殺到、現在も多くのコメントが寄せられている。

この反響を知ったラルフ・ローレン側は2つのブログに削除を要請。しかし、「Photoshop Disasters」はこれを受け入れて削除したものの、「Boing Boing」は警告を受け付けなかった。結局、ラルフ・ローレン側は「女性の体型に対する歪んだイメージで写真を修正し、責任を感じる」と、この写真について謝罪。モデルを細く見せるために加工していたことを認めるという、異例の対応を見せている。

なお、ラルフ・ローレンは「この写真は米国内では承認されず使用されなかったが、間違ってリリースされ日本のデパートで使われた」(米紙ニューヨーク・デイリーニュースより)と説明しているという。

こうした一連の騒動を受け、ニューヨーク・デイリーニュース紙では、問題の渦中に置かれたモデルのフィリッパ・ハミルトンさんのインタビューを掲載。この中で、彼女は「太すぎる」との理由で、4月にラルフ・ローレンから契約を解除されたことを明かしている。23歳の彼女の体型は、公表されているプロフィールでは身長約173センチ、体重54キロで、スリーサイズは84-61-89。このプロポーションではラルフ・ローレンは納得できなかったらしい。

16歳の時からラルフ・ローレンと契約を結んでいたというハミルトンさんは、「彼らは私が太り過ぎで、もうラルフ・ローレンの服を着こなせないからと言ってクビにしたの」(ニューヨーク・デイリーニュースより)と話している。そして、問題の写真については「自分と同じ顔で、とても痩せている女の子を見てショックを受けたわ」(同)とも語り、同時に人々への悪い影響を懸念しているという。

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モードの帝王「太った母さんたち」を敵に回す、やせすぎモデルの是非で物議――ひまだね英語
2009年10月16日(金)16:00
■本日の言葉「object to」(文句を言う、反対する)■
肩の力を抜いたゆるい「暇ダネ」の英語をご紹介するこの金曜コラム、今週は女性美の基準という、いわば永遠のテーマについてです。適度に丸い方がいいのか、すっきりスリムな方がいいのか。「パリ・モードの帝王」がこのほど「丸い女など見たくない」と前者をバッサリ切って捨てる発言をしたことから、またしても物議が。(gooニュース 加藤祐子)

○トップモデルさえ着られない細い服

映画「ココ・アヴァン・シャネル」を先日観たせいもあって目についたニュースです。複数報道によると「シャネル」のデザインを手がけるカール・ラガーフェルドが「ファッションは夢と幻想の世界だ。丸い女なんて誰も見たくない」「ポテトチップの袋を抱えてテレビの前にどーんと座ってる、太ったお母さんたちが、やせたモデルは醜いと文句を言ってるんだ」と発言。12日付英ガーディアン紙の見出しは「Karl Lagerfeld says only 'fat mummies' object to thin models(カール・ラガーフェルド、痩せたモデルに文句を言うのは太った母さんたちだけだと)」と。

これはドイツのファッション誌「ブリギッテ」が今後は、やせすぎたプロのモデルではなく「普通の、現実の」女性たちだけを誌面で起用すると発表したことに対して、ラガーフェルドが「ばかげてる」と反発してのこと。「フォーカス」というドイツ誌への発言です。

ドイツ誌「ブリギッテ」がやせすぎモデルはもう使わないと宣言したのは、編集長いわく「やせすぎモデルで撮った写真を、普通の女性らしく見せるためにいちいち修正しなくてはならないのが、もう面倒だった」「もう何年も前から、モデルの胸や太ももをフォトショップでふっくらさせていた」のだと。そうだったんですか。

ではなぜ雑誌が、そんなやせすぎのモデルばかり撮影に使うかというと、好きでそうしているわけではなく、デザイナー側がそうさせるのだと。ガーディアン紙の別記事によると今年6月には英国版「ヴォーグ」のアレクサンドラ・シュルマン編集長が、シャネルやプラダなどの主立ったブランドに対して「そちらから送られてくるコレクション・サンプルのサイズがどんどん小さく細くなっていて、やせているモデルを使わないと撮影ができない」「胸もヒップもない、骨張ったモデルを仕方がなく使い、後から写真を修整している」「トップモデルでさえすんなり着られないような、小さいサイズのサンプルばかり送らないでほしい」と苦情の手紙を送ったとして、話題になっていました。英タイムズ紙のこちらの記事によると、あのケイト・モスでさえ、デザイナーたちが送ってくるサンプルが入らないのだと。

…………。かつて「emaciated(ガリガリ)」とか「waif-like(浮浪児のよう)」とまで言われてやせ過ぎモデルの代名詞だったケイト・モスでさえ着られないような服に(いかに30代になってお母さんになったとは言え)、いったいどんな市場価値があるというのでしょう。

にもかかわらず強気なラガーフェルド帝王。3年前には、やせ過ぎのモデルがいるのは業界の圧力のせいではなく、本人たちの個人的問題だと言い切って大批判されています。その上で今回のように「丸い女なんて誰も見たくない」なんてことを言えばさらに反発必至なのは、帝王も分かってるはずだと思うのですが。それでもどうしても言いたかったんでしょうか。ガーディアン記事についている読者コメントで、「そりゃあんたは、丸みのある女らしい女は嫌いかもしれないけどさ」というコメントが次々とついているのが笑えます。

(それからちょっと英語ウンチクですが、上記したガーディアン記事の見出しにある「fat mummies」。これを最初に見たとき「太ったミイラ?」と一瞬、頭の中が「???」だらけになったのですが、記事を読んでつい苦笑。正しくは前述の通り「太った母さんたち」という意味。帝王が母国語のドイツ語で発言したのを、イギリス人記者が訳してこうなったのですね。というのも「mummy」には「ミイラ」という意味と、イギリス語の「ママ」という両方の意味があるので。発音も同じです。まぎらわしいです。アメリカ語の「mommy」と同じ。こちらは発音がちょっと違います。短縮型はイギリス語では「mum」ですが、アメリカでは「mom」です。)

○内臓はどこに…日本向けポスターのありえない体型

かくして、テレビの前でポテトチップスを食べてる太った母さんたちを一気に敵に回したラガーフェルドですが、帝王がなぜそんなことを言ったのかはともかくとして、ファッション業界が世界中の女性たちに喧伝する(もしくは押し付ける)「美」のイメージについては、かねてから「ありえない幻想を押し付けるな」派と「誰だって綺麗なものが好きなんだから、いいじゃないか」派の対立が侃々諤々続いています。

「やせすぎモデル」がらみで最近批判されたのはラガーフェルドだけでなく、ラルフ・ローレンも。問題になったのは何でも日本で使われたポスターだそうで、こちらの英タイムズ紙の記事で見られるモデル写真が、すごく批判されたのです。一目瞭然ですが、あまりにあからさまな修正のし過ぎ(記事を開いて写真の二枚目を観ると、このモデルさんの本来の姿が。十分にきれいじゃないですか)。修正し過ぎた写真ばかり集める「Photoshop Disasters」というブログに取り上げられ、その記事が強制削除されたことから、他のサイトにも取り上げられ、ネットで騒ぎが大きくなり、ついに一般マスコミも取り上げたという典型的なネット対応ミス。いや、ネット対応もひどいですが、そもそもこの修正はひどい。だって頭の幅が腰骨より大きいじゃないですか。

英タイムズのこちらによると、ラルフ・ローレンは騒ぎになったこのポスターのモデルを「契約上の義務が履行できない」ことを理由に解雇したのだとか。このコラムの筆者は「つまり、雇用主の途方もないマーケティング幻想を満足させるために主な内臓を手術で取り除くよりは、いや内臓はあった方がいいと、この気の毒なモデルは判断したのだろう」と。

(全くの憶測ですが日本人としてちょっと気になったのは、これが日本のデパートで使われた宣伝スチルだったこと。日本市場にあふれている一部のアニメやマンガのイメージが影響してないか、と。人類としてあり得ない骨格の絵が日本には溢れていますからね。だから日本で売るには、一部のアニメやマンガのあのファンタジックな体型にした方がいいと、そういう判断だったらイヤですね…)

ファッション・モデルに要求される体型がどんどん細くなっていることに関する議論を、いわゆる「size zero」論争と言います。つまりアメリカの婦人服サイズ「size zero (0号)」が入らないとトップモデルになれないのはおかしいのではないか、という論争です。アメリカの0号は日本の5~7号(しかも、おばさんサイズの7号ではなく、トップブランドの7号です)。それを身長175センチ以上で着るというのですから、いやはや凄い。

タイムズ紙によると、ラルフ・ローレンにアニメ体型に修正されてしまったモデルのフィリパ・ハミルトンは身長179センチで体重54キロ(すごい)。アメリカのサイズ4号なのだとか。にもかかわらず「太り過ぎだと解雇された」のだと。そういえば映画「プラダを着た悪魔」では、最初はサイズ6号で「でぶ」扱いされていた主人公が、どんどん洗練されていってサイズ2号になっていました。つまり日本の11号くらいから、9号くらいに。主役を演じたアン・ハサウェイは公称173センチのようですから、そりゃスリムだわ。

○食べずに死んでいくモデルたち

そして、この「やせている(やせすぎている?)=美」というイメージをファッション業界が喧伝している(あるいは押し付けている)ことについて、欧米ではここ数年、批判が盛り上がっては立ち消えて元に戻り、そしてまたこうやって物議をかもして話題になるというサイクルを繰り返しています。

ひとつの大きなきっかけは、ブラジル出身モデルの急死でした。21歳だったアナ・カロリナ・レストンは2006年11月、拒食症(anorexia)がもとで死亡。身長172センチに対して、体重は40キロ。トップモデルになるため、トマトとリンゴだけのダイエットを続けていたのだとか。同じ年の夏にはウルグアイの22歳モデルがやはり拒食症で、ショーの最中に急死。その半年後には同じくモデルをしていた18歳の妹までが、栄養失調によるとされる心臓発作で急死しているのです。

こうしたことから2006年のミラノ・コレクションやマドリード・コレクションは、BMI18以上のモデルしか出演させないと決定(WHO基準では18.5未満が低体重)。アナ・カロリナの死亡時のBMIは13.4でした(WHO基準ではBMI16未満は「重度の痩せ過ぎ」)。そして2007年9月のミラノ・ファッションウィークでは、イタリアのデザイナー「ノリータ」が、拒食症に長年苦しんできて31キロもないという27歳フランス人女性のヌード写真を「No Anorexia (拒食症にNo)」という衝撃的なポスターにして発表し、ものすごく話題になりました。

けれどもロンドン・ファッションウィークはモデルのBMIを制限せず。そしてラガーフェルドが君臨するシャネルを筆頭に、やせたモデルが美しく着こなすスリムなファッションはまだまだ続き。「size zero」論争も続き(日本では、少女雑誌のモデルたちに憧れる小学生の女の子たちが早くもダイエットを始めるとか、整形するとか、あろうことか母親がそれを勧めるとか、ときどきニュース番組などで話題になっています)。

○商品としての美は常に特権の象徴なのか

なぜトップブランドのデザイナーたちはそこまで、不健康なまでにやせたモデルたちを「美」の象徴として喧伝したがるのか。英タイムズ紙のこのコラムによると、もしかしたら現代の欧米社会では「やせていること=富」だからではないかと。「肥満が貧困と結びついている今の過剰な欧米社会では、痩せていることこそ究極の特権、エリートの象徴なのではないだろうか」と。

なるほど、と思いました。一部の特権階級以外は誰もが肉体労働をして、そしてなかなかお腹いっぱい食べられないことが社会のデフォルトだった時代や社会においては、「ふっくらふくよか」「豊満」であることが美徳でした。豊満であることは、肉体労働をしなくていい限られた富裕層に与えられた特権だったから。ひるがえって今のアメリカやイギリスでは得てして「低価格でおなかがふくれる食事=油まみれ、添加物まみれの加工食品」で、ゆえに「肥満している=安くて質の悪い大量加工食品ばかり食べて、フィットネスにお金をかけられない貧困層」という図式が定着しています。

ファッションとはそもそも特権的なものです。金持ちファッションだったら金持ちゆえの特権。貧乏学生のパンキッシュなストリートファッションだったら、それは若さゆえの特権(安くて誰にでも似合う服がファッショナブルでもあるというのは、実は大変珍しい画期的な現象なのだと思います)。そしてそもそも若者の貧乏ゆえの工夫から出発したものだったとしても、それが「商品としての美」として流通システムに乗るようになった時点から、「そのために金を出せる人」のための特権的なものに様変わりしてしまうのが、ファッション・ビジネスの皮肉です。ラガーフェルドの言う「ファッションとは夢と幻想」という言葉は「ファッションとは経済特権」にも置き換えられると思います。「金で買える夢と幻想」なのだと。

「商品としての美=経済特権が生み出すもの」なのだとしたら、その美しさの定義は社会の金持ちが求めるもの。社会の既得権益の仕組みにびったり寄り添うものなわけです。つまり、金持ちほど良質な食事をしてフィットネスに時間と金をかけられるので痩せていて、貧乏人ほど劣悪な油まみれの食事をしていて不健康に太っているという、欧米社会のこの構図が変わらない限り、「やせすぎモデルはよくない」といくらファッション誌が頑張ったところで、そうは簡単に変わらないのかもしれません。ラガーフェルドの個人的な好みはともかくとして。

(ちなみにこういう話を書くと、お前はどうなんだと言われそうなので、ちょっと書きますと、私はモデルでも女優でもないので、健康を維持しつつも、ビールと餃子と焼き鳥を楽しむ生活を大事にしています)

◇本日の言葉いろいろ

・object to = 文句を言う、反対する
・ mummy = ママ、ミイラ
・anorexia = 拒食症


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国際プロジェクトの必然性

国際プロジェクトの必然性
医療法人社団北原脳神経外科病院 理事長 北原茂実

■今こそ立ち上がるとき-世界の現実を知ろう
■日本の医療を皆保険の呪縛から解き放て
■医療・介護は見方を変えれば国を支える基幹産業、戦略産業である
■海外進出が我々にもたらすもの
■高齢化社会の未来は明るい
                                                              
■医療法人法の問題点-利益を上げない組織が本当に世のため 人のためになりうるか


■今こそ立ち上がるとき-世界の現実を知ろう  医療の海外展開は世界の潮流

 医療崩壊が言われて久しいわが国ですが、その原因の最たるものは実は「鎖国」です。

  鎖国の意味は、単に患者や医療者・医療サービスのやりとりを国が制限していることにとどまりません。海外の現状を役人もマスコミも見ようとせず、欧米の医療・医療制度がさも優れているかのような錯覚を国民に持たせて、日本の医療・医療者を悪者にすることによって医療費抑制を図ろうとしていることを指します。

 その浅い似非正義感によって、もくろみ通り医者の地位・収入はさらに低下し、 総医療費は減るかもしれませんが、国民に訪れるのは1億総医療難民化、医療パニックといっても過言ではありません。

 どの先進国も寿命が延びて子供を生まなくなった昨今、世界は医療・介護についても安い人件費を求めて、めまぐるしく流動化しています。

 日本もイギリス型崩壊路線を歩めば(このまま手をこまねいていれば最も類似してくるのはこのタイプです)、日本に命を預けられるようなまともな医療者はいなくなり、国がどんなにがんばってもアジアからの移民がどんどん入ってくるでしょう。

小金持ちの患者はタイ・韓国・ 中国に行くかも知れません。その片鱗は右のサイトを開いてもらえばわかります。

 もう、この辺で日本の医療者自らが国際化に向けて立ち上がらなければどうしようもないところまで来てしまっているのです。

1) 韓国の実情
ついに国家プロジェクトが成立
株式会社が巨大な病院を運営
技術を開発すると同時に効率化を達成


ウリドゥル病院
日本人患者様用 椎間板ヘルニア
施術パッケージ(2泊3日)80万円

2) タイ、シンガポールの実情

医療ハブが120万人を超える外国人入院患者を確保
⇒一大輸出産業に

Bumrungrad病院
phukethospital

3) フィリピンの実情
出稼ぎ医療労働者が外資を稼ぐも国内医療は崩壊
類似の現象はアフリカ諸国にも 

 

イギリス医療供給体制の崩壊
外国人医師・看護師に頼らざるを得ない現実

4) あまりにも資本主義に忠実なアメリカ
その格差をまねる中国

アメリカ:個人破産の半数は高額な医療費が原因

医療を戦略産業と捕らえるキューバ
お金が無いなら知恵をだせ!

■日本の医療を皆保険の呪縛から解き放て
 時代の変化を受け入れよう、問題があるなら何かを変えよう、という動きは必然です。しかし、多くの日本国民や医師会がどうしても固執し、それを守らんがために却って泥沼にはまってしまっているもの、それが「国民皆保険制度」です。

 これが、良い働きをした時代は終わりました。右の図を見るまでもなく、使う人より払う人が少ない保険が成り立つわけがありません。

 今後老人化する 団塊の世代は一学年240万人、対する小学生は一学年120万人、介護も医療もお金・人材ともに間に合うわけがないのです。そして、進む貧富の差、階層化。若者もニートやフリーターが増えて、保険料を払えなくなっています。

 事実、東大阪市では健康保険未加入者は26%に及びます。それなのに、国民の意識は古きよき時代のままです。行き場のなくなった老人患者を、お金も払わずに病院に押し付ける息子・娘の姿は今、日本全国で珍しくありません。

 そして、保険料さえ払っていれば、どんな要求も通ると考えている患者も増えました。高度化・高額化する医療サービスを従来の感覚で当然のように手に入れようとする国民意識を今変えなければ、日本は本当につぶれます。

 パチンコや、葬式、アウトレットモール、ディズニーランドにはお金を惜しまず落とすのに、何よりも大切な命に出し惜しみをすることの愚を、悟るべき時がきたのです。
 
■医療・介護は見方を変えれば国を支える基幹産業、戦略産業である

 これまでイスラエル製品が多かったジェネリックは最近インド製が非常な勢いで伸びています。とうとう日本のメーカーでインドの会社に買収されるところも出てきました。

 一見国産の機器・材料も、生産拠点を中国に移していたり、部品のほとんどをカンボジアで作っていたり、もはや完全輸入産業化しつつあるわが国の医療。起死回生の対策は、単純な製品ではなく技術や制度の輸出しかありません。

 実は、日本の医療費は欧米のみならず北京やバンコクに比べても低価格。MRI一つとっても撮影料は日本のほうが安いのです。

 優れた医療技術、患者に対し平等にていねいに接する態度、間違いが少なく行き届いた管理、こういった日本に居れば当たり前のように思っている医療者の素晴らしさを、システムごと輸出すれば海外に高く評価され喜ばれるのは確実です。

 これまで莫大な費用をかけてきたODA、しかし人を送らずその後のめんどうを全く見なかった政府と国内大手医療機器メーカーの罪は重大です。どこの国も日本製品を買わなくなりました。お役所の常で、誰も責任をとろうとしませんが、考え方さえしっかりしていたら、今、原油高に悩む日本ではなかったかもしれません。

 今後は、同じ轍を踏んではいけません。相手国・人々に喜んで買ってもらえる製品のみならず、技術とサービス、信頼を輸出していきましょう。そして、医療福祉がお荷物の立場から外貨を稼ぐ戦略産業へと変わっていかなくてはならないのです。
 


■海外進出が我々にもたらすもの


 今、当法人は中国を足がかりとして、アジアを中心に海外進出の活動を開始しました。

 具体的な案としては、在留邦人向けの診療所から始まり、大手私立病院との提携、新規リハビリ施設の開設、現地病院への医療コンサルなどです。

 
活動が実を結べば、利益は一法人の自己完結に終わらず、日本の医療を関係者みんなが、現実を見つめなおすきっかけを作ることでしょう。

 また、相手国との良好な関係は真の民間外交になるに相違ありません。事業が成功すれば、一部の富裕層のみならず、アジアの一般的な人々を手助けすることもできるはずです。
・海外の現実的情報が広がることにより、医療を「限りなくタダに近いもの」と思うとんでもない間違いにみんなが気がつく

・日本の医療の良い部分を世界に広げることができる

・医療を産業としてとらえることにより、日本は外貨を稼ぎ、国内外に雇用が生まれる

・各国が高齢化社会を支えるための、知恵と得意分野を出し合える

・時代遅れになった国内の医療制度の改革、自由化、公平化を図れる
■高齢化社会の未来は明るい
 日本の上空をおおう閉塞感、その正体は“自立して人の役に立つ喜び”を見出せない人、奪われた人のなげきです。

 バングラデシュのNGO BRACをご存知でしょうか?貧困層にお金をばらまいても、何も生まれません。自立して稼ぐことにこそ喜びがあり、生きる意欲がわくのです。

 日本の高齢者は、今後自力のある生産消費者として社会を支えるべきです。 医療・福祉の市民運営化・国際化はその第一歩となるでしょう。

 日本の未来は明るい、と私は信じて疑いません。
 
施しは感謝や満足を生まない
   -コンプレックスの裏返しとしての開き直りやつけあがりを生むだけ

・ 「明るく楽しく前向きに」、「独立自尊の精神を」、が国を救うキーワード

・日本の老人は世界より15歳若い!

・供給者と受給者の垣根をなくす-国際化は助け合いと自立を育む

■医療法人法の問題点-利益を上げない組織が本当に世のため 人のためになりうるか

 さて、「稼いでこそのやりがい、誇り、社会貢献」ですが、この考えと真っ向から対立するのが医療法人法です。これがあるがために、病院は企業としての自覚と主体性をなくしてきました。

 病院は利益をあげてはならない、この考えを曲解したのかほとんどの公的病院では赤字経営です。しかし、赤字経営の組織がはたして人々に満足の行くサービスを提供できるものでしょうか?

 これから、多くの病院が、IT化と同じくらいの必然性を持って、国際化に立ち向かわざるを得なくなるでしょう。そのときには医療法人法の改正が必要になってくるかもしれません。

 いずれにせよ、避けられない波をどう乗り越えるか?官民合わせた協力が必要になってくることでしょう。

医療法人社団北原脳神経外科病院 理事長 北原茂実

医療法人社団北原脳神経外科病院



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ブルーレイ 200円

ブルーレイはいまいくら位しているのかなと思って
調べたらたとえば



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託児所ありの職場

http://www.nursejinzaibank.com/?act=public_recruit_search&actionType=searchClick&job_type=&addr1=26&addr2=&job_option[]=2&freeword=

これなんかを見ると
託児所ありで
看護師さんとか女医さんが助かるらしい

それならすぐにでもできるんだけどな
どうしようかな

医療機関だからすぐに点滴もできるし
薬も出せる
英語だけではなくてドイツ語もラテン語も教えられるから頭のいい子どもになるだろう

うんちの色が変だったら即刻検査ができる

うちには原則、感染症の人は来ないから病気がうつされることもない

音楽はバッハとモーツァルトばっかりだから
やはり教育には大変よい


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病児保育・病後児保育

病児保育・病後児保育という分野があって
大切なのはよく分かる

今回の豚インフルでは
子どもさんがA型なら保育はしない、お母さんが会社を休んで面倒を見ること、
B型なら病児保育・病後児保育を引き受けるのだそうだ

お母さんの困惑も分かるし
保育の側の他の子どもさんへの配慮も分かる

難しい




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選挙に負けると男性ホルモンが減少:唾液で調査

2008年に行なわれた米大統領選挙。オバマ候補が当選したときの夜の街の人々の熱狂ぶりを覚えている人なら、オバマ候補に投票した人たちのテストステロン[男性ホルモンの一種]のレベルは勝利で急上昇していたと思うことだろう。だがそうではなかったようだ。
実際には、民主党支持者のテストステロン・レベルは安定していたのに対して、共和党支持の男性たちのテストステロン・レベルは急激に下がっていた。また後者は、強制的に服従させられたような惨めな気持ちだったと述べている。
この結果は、投票終了後とオバマ大統領の勝利が正式に発表された時に、男女合わせて183人から採取された唾液のサンプルに基づいている。
男性の投票者は、候補者の政治的勝利に対して、ひいきのチームがライバルをやっつけたときに感じるのと同じ、自分が勝ったかのような高揚感を感じる。これは、10月21日号の『Public Library of Science ONE』に掲載されたこの研究の主要な学術的発見だが、当然なこととも言える。
はるかに興味深いのは両者の違いだ。オバマ大統領に投票した人のテストステロンはとにかく安定していた。この調査を担当した研究者たちによると、通常夜間のテストステロンのレベルは低下するので、安定しているということは「理論的には上昇していることと同じだ」という。
一方、夜間のテストステロンが通常低下する分を考えても、共和党支持男性のテストステロンの減少は非常に大きかった。

実際に、共和党支持の男性たちは、オバマ大統領に投票した人々に比べて、「結果を知ったとき、大きな力で支配され服従させられたような惨めで悲しい気分になった」と研究者たちは書いている。
「さらに、大統領選挙後の支配階層の交代は4年間継続するのだから、政党が政策決定の支配力を失うことのストレスが、男性のテストステロンを継続的に抑制する結果になることもありうる」としている。
ちなみに女性の場合は、どちらの政党支持者も、選挙の夜のテストステロンには大きな変化はなかった。
参考論文: “Dominance, Politics, and Physiology: Voters’ Testosterone Changes on the Night of the 2008 United States Presidential Election.” By Steven J. Stanton, Jacinta C. Beehner, Ekjyot K. Saini, Cynthia M. Kuhn, Kevin S. LaBar. PLoS ONE, October 21, 2009.
[株取引とテストステロンの関係についての研究を紹介する日本語版記事はこちら。筋力トレーニングや興奮(例えば闘争や危険な行為など)によってテストステロンの分泌が促されることが報告されている]




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神経痛に対するノルトリプチリンとガバペンチン、単剤よりも併用が有用

神経痛に対するノルトリプチリンとガバペンチン、単剤よりも併用が有用
KEYWORD神経痛|ノルトリプチリン|ガバペンチン|脳神経

神経痛の治療では、ノルトリプチリン(商品名:ノリトレン)あるいはガバペンチン(同:ガバペン)を、単剤で使用するよりも両薬剤を併用投与するほうが高い鎮痛効果が得られることが、カナダ・クイーンズ大学麻酔科のIan Gilron氏らが実施したクロスオーバー試験で明らかとなった。これら2剤は神経因性疼痛の第1選択薬だが、単剤では最大耐用量を用いても60%以上の鎮痛効果が得られることはまれで、除痛は患者の40~60%でしか達成されないという。併用投与することで効果、耐用性がともに増強し、相加的あるいは相乗的な鎮痛効果が得られるのではないかと期待されていた。Lancet誌2009年10月10日号(オンライン版2009年9月30日号)掲載の報告。

3種類の投与順に無作為に割り付けるクロスオーバー試験

研究グループは、糖尿病性多発神経障害および帯状疱疹後神経痛を対象に、ノルトリプチリン単独、ガバペンチン単独、両薬剤併用の二重盲検ダブルダミー・クロスオーバー無作為化試験を実施した。

2004年11月~2007年12月までにカナダの単一施設にdaily pain score(0~10)が4以上の患者56例が登録され、ガバペンチン→併用→ノルトリプチリンの順に投与する群(GCN群:19例)、ノルトリプチリン→ガバペンチン→併用の順に投与する群(NGC群:18例)、併用→ノルトリプチリン→ガバペンチンの順に投与する群(CNG群:19例)に無作為に割り付けられた。

各治療期間は6週間とし、用量は最大耐用量へと漸増した。主要評価項目は、最大耐用量における平均daily pain scoreとした。

単剤で部分奏効を示し、さらなる疼痛緩和を要する場合は併用投与を

3つの治療を完遂したのは45例であり、2つ以上の治療を終了した47例が主要評価項目の解析対象となった。ベースライン時の平均daily pain scoreは5.4であった。

最大耐用量における平均daily pain scoreは、ガバペンチン単独が3.2、ノルトリプチリン単独が2.9、併用は2.3であり、併用はガバペンチン単独よりも0.9(p=0.001)、ノルトリプチリン単独よりも0.6(p=0.02)スコアが低く、有意な鎮痛効果が認められた。

最も頻度の高い有害事象はドライマウスであり、ガバペンチン投与時に比べノルトリプチリン投与時(p<0.0001)、併用投与時(p<0.0001)に有意に高頻度に見られた。試験期間中は重篤な有害事象の発現はなかった。

著者は、「糖尿病性多発神経障害および帯状疱疹後神経痛の治療では、ガバペンチンとノルトリプチリンの併用投与が、各薬剤の単独投与よりも鎮痛効果が高かった」と結論し、「いずれかの薬剤の単独投与で部分的な奏効を示し、さらなる疼痛緩和を要する場合には、併用投与が推奨される。今後は、他の薬剤の併用投与とその単独投与との比較や、併用における逐次投与と同時投与の評価が望まれる」と指摘している。



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中高生の3割「昼からウトウト」…高1でピーク

中高生の3割「昼からウトウト」…高1でピーク

中学、高校生の3人に1人は、昼間に強い眠気を感じていることが、厚生労働省研究班(主任研究者=大井田隆・日本大教授)の約8万7000人を対象にした初の全国調査で分かった。昼間の眠気は、学習効率を下げたり、健康に悪影響を与えたりすることが知られており、中学、高校生への健康教育が重要になりそうだ。

大阪市で24日から開かれる日本睡眠学会で発表する。

全国239校の中学、高校を対象に、睡眠や生活習慣についてアンケート調査を行い、168校の生徒から回答を得た。

昼間の眠気は、国際的な尺度を使って評価。「座って人と話したり、本を読んだりしているとウトウトする」など、昼間に強い眠気を感じる生徒は全体の33%だった。男子は28%、女子は38%で、女子の方が眠気を訴える比率が高かった。

眠気を感じる比率を学年ごとにみると、高校1年生(男子36%、女子45%)がピークだった。

就寝時刻の遅れや、通学時間の長さなども、昼間の眠気に影響を与えていた。

研究班の兼板佳孝・日大准教授は「強い眠気を感じる生徒は、予想以上に多かった。高校1年生は、環境の変化が最も大きい時期で、それも影響しているのだろう。どういう条件だと昼間に眠気を生じやすいのかを明らかにして、健康教育などに生かしていきたい」と話している。

(記事提供:読売新聞)



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子供のためにと言いながら実は自己愛的

http://www.elecom.co.jp/pickup/winter2009/

こんな感じのページは多くて
子供が可愛いからと言っているのだが
中身は自己愛的



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夫婦で粉

夫婦で粉をやっていたというケースですね

そう
まず夫が捕まったんですね

そうそう
普通はその時点で
妻は使用を中止しますね
そうであれば
夫が捕まってから一週間もすれば
妻も出頭しても問題ないはず

ところが妻が最終的に自首したのはそれよりあとのタイミングで
それがよく分からない
つまりそのあとも粉を使っていたということになるのだろう

そうかな

そんな断定もできないだろう

そうですね
邪推というものだ


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公園や緑地が健康を守る

公園や緑地が健康を守る

2009年10月21日   提供:WebMD

 

 

公園の近くに住む人はうつ病になる可能性が低いことが明らかに

Salynn Boyles

 

【10月14日】公園や森など緑地の近くに住むと心と身体の健康が向上することを示す証拠がある。

新たに報告された試験では、緑地に近いとうつ病、不安など健康上の問題が少なかった。この関係は小児と低所得者で最も強かった。

緑地が人々の健康維持に役立つことを示唆する研究はこれが最初ではないが、特定の健康状態に対するその影響を評価したのは初めてである。

オランダの研究者が国内の医療機関の患者健康記録を調べた。郵便番号を利用して各患者の自宅から約3.2km以内にある緑地の割合も計算した。

試験の研究者Jolanda Maas, PhD(Amsterdam's VU University)がWebMDに語ったところによると、「緑地と健康との関連性が最も強く認められたのは自宅から半径1km以内であった」。

不安、うつ病に最も大きく影響

この試験では、96施設約350,000例における治療期間が1年以上に及ぶ24症状の有病率に関するデータも検討された。

24症状中15症状については、健康に影響を及ぼすことが確認されている因子を補正した場合でも、年間有病率は最も緑の多い地域に居住する患者の方が低かった。

その他の主な研究結果

  • 心の健康に及ぼす影響が最も大きかった。緑地が最も少ない地域に住む者と比較すると、緑地が最も多い地域に住む者では治療を要する不安障害の有病率が1/3低く、うつ病の治療を受ける可能性は約1/5少なかった。
  • 身体の健康については、緑の多い地域に居住することの明らかな保護効果は喘息、COPD、上気道感染症などの呼吸器疾患で最も高いように思われた。
  • 心血管疾患、糖尿病、癌など他の一般的な疾患については関連性ははるかに低かった。

驚いたことに、緑地を利用しやすいことはこの試験に組み入れられた最も都会に近い地域に住む者の健康には影響しないようであった。

研究者らは、この理由を質が悪い、大都会にある緑地は安全でないと考えられているため、それほど多く利用されていないからだと推定する。

緑地はストレスを軽減し、運動を促す

これまでの試験から、主に都会の緑地はストレスを低下させ、運動を促すことにより健康を向上させることが示唆される。

「緑地を利用できることは精神的に有利であることを示す多数の研究がある」とUrban Green Institute(オレゴン州ポートランド)の事務局長で都市自然保護活動家のMike Houckは言う。

Houckが1980年に仕事を始めたときには、よく都市設計家に町の中には自然が入り込む余地はないと言われた。

「彼らには、私のやるべきことは町の外の自然地域を保護することで、町の中の自然はすべて基本的に誰でも手に入れられると言われた」とWebMDに語った。「30年かかって明らかに態度が変わった」。

だからこそ、オレゴン州ポートランドの主要健康保険会社2社は2006年に新たに緑地を取得するために2億2700万ドルの公債発行法案を可決させるよう積極的に有権者を説得してくれたのだ。

「公債発行法案が承認されたのは初めてだったが、その重要さを理解してくれた」と彼は言う。「散歩したりサイクリングしたりカヤックに乗ったりする人が身体的にも精神的にも恩恵を受けないとは、私には想像もできない。」



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IBSのネット情報

http://www.ibsnet.jp/

ここもキレイだな


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過去と他人は変えられない

過去と他人は変えられない

逆に

未来と自分は変えられる

といわけで

未来と自分を変えよう


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デスクトップPC、低価格攻勢でソニーのシェア急伸

デスクトップPC、低価格攻勢でソニーのシェア急伸

2009年10月19日印刷ソーシャルブックマーク          
 デスクトップPC市場は引き続き需要停滞期にあるが、覇権争いは一段と激しさを増している。10万円を割った低価格モデルの販売増でソニーが急伸、9月のベンダーシェアではトップのNECに約2ポイント差と迫ってきた。ブランド力を背景に高価格帯を維持してきたソニーの戦略転換で、勢力図は大きく塗り替わる可能性がある。

 デスクトップPC市場は停滞基調を脱し切れず、ここ数か月の販売台数は前年比2割減、金額は3割減と厳しい状況が続いている。ベンダー各社とも消費者が求めやすい価格帯を重視してか、斬新なスペックを搭載したモデルが少ないことが盛り上がりを欠く要因のひとつとなっている。

 例えば搭載されるCPUは「Core 2 Duo」が依然として主流で、最新版となる「Core i7」は高額のためか搭載率はごくわずか。このためハイスペックを希求するパワーユーザーは自作またはショップが独自展開するハウスブランドPCへと流れる傾向にあることも見逃せない。

 市場が停滞を続けるなか、シェア争いは激しさを増している。昨年10月以降、台数ベースでNECがトップシェアを持続、富士通とゲートウェイ、ソニーの3社が追い上げる展開にあるが、直近の9月ではソニーがトップシェアを射程圏内にとらえる急伸ぶりとなった。ソニーのシェアは8月が11.8%、9月は17.7%で、20.0%とやや伸びを欠いたNECに2.3ポイント差に迫ってきた(図表1)。

 ソニーの躍進要因を探る前に、デスクトップPC全体の価格帯別台数分布(図表2)をみていこう。ここからも分かるように、1年前の08年9月では「10-13万円未満」が25.0%を占めて最大のボリュームゾーンとなっていたが、直近の9月では「7万円未満」の比率が32.7%と上昇、一気に低価格帯へと中軸ゾーンはシフトした。同時に13万円以上の価格帯も軒並み比率を下げており、急速に低価格化がすすんだことを示している。

 こうした市場動向のなかで、9月にシェア1、2位を占めたNECとソニーの価格帯別台数分布(図表3)をみると、両社は対照的な分布曲線が現れていることが分かる。NEC(図表3下)は、1年前と直近9月の曲線に大きな変化はなく、いずれも「13-16万円未満」が中軸ゾーンを占めてほぼ左右対称の分布。一方、ソニー(図表3上)は、1年前の「13-16万円未満」から「7-10万円未満」へと中軸ゾーンはシフト、左右対称は崩れ低価格帯となる左サイドに重心が偏る動きとなっている。

 図表4では、NECとソニーの平均単価の推移を「デスクトップPC全体」と地デジチューナーを搭載した「地デジ対応PC」、チューナーを搭載していない「通常PC」に分けて示した。まずデスクトップ全体では、両社とも平均単価を下げる傾向あるが、9月はソニーが一気に11万8000円と8月に比べて1万円以上の大幅下落となった。この単価推移が示すように割安感が消費者の購買意欲を刺激、結果的にシェアを押し上げる要因となったようだ。一方、「地デジ対応PC」と「通常PC」でみると、やや開きがある。9月の「地デジ対応PC」ではソニーはNECに比べて小幅高だが、「通常PC」ではNECが11万円でソニーは9万6000円と価格差は大きい。

 Windows 7登場前の端境期におけるシェア変動は、一過性現象とみることもできるが、高価格帯を維持してきたソニーの価格戦略が徐々に変化しつつあるのも事実で、年末商戦に向けての動向が注目されそうだ。

ーー
やっぱり
ソニーでいいんだね


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過食嘔吐に見られる記憶障害

過食嘔吐の場合
過食する自分と
嘔吐する自分とは
アクセスできる記憶に違いがあるように思う

過食する自分は
なぜか、嘔吐するときの後悔も自責も罪悪感も涙も
思い出さないようだ。

嘔吐する自分は
どちらかといえば
過食した自分に対しての事後処理部隊である
こちらはだいたいすべての記憶にアクセスできるようだ

ーー
たとえば躁うつ病やうつ病の場合でも
この種の記憶プールへのアクセス障害があるようで
学習しないとはときに指摘されるところである。

わたしの考えでは
躁うつ病で言う
躁状態の自分とうつ病の自分とは記憶プールにアクセスする権利が違うようで
その意味で多重人格状態である

またうつ病の場合でも
うつ状態の直前には軽躁状態見られるもので
それが「頑張りすぎ」で、結果としてうつ病になると観察できるが、
次回に「頑張りすぎ」モードになったとき、
うつ病の体験全体への記憶にアクセスすることができなくなっているようで
その意味で解離が発生している

ーー
躁うつ病の場合に何がトリガーになっているのかは分からないが

過食嘔吐の場合には
マイクロな血糖値の変化がトリガーになっているのではないかと思う

今まさに過食するという状態での血糖値のマイクロな動き、それと睡眠と関係する
意識の覚醒度の問題、このあたりが複合して、記憶へのアクセス障害が発生するようだ

人間は、自分の内部にある違う記憶にアクセスすれば
当然違う人格のように振る舞うはずである
その意味で解離と言ってもいいのかもしれない

女性で生理前に非常に不調であるという場合、
一部の例では行動の障害が見られる
そのケースではやはり一部の記憶へのアクセス障害が起こっているのかもしれない

ーー
マイクロな人格変容の原因として
血糖値とかインスリンとか生理前後のホルモン環境の変動とか
それ自体、異常ではないのだけれど、ミクロなトリガーがあって、
事態が発生進行しているのもしれない。


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不動産状況

ローンを払えなくなって家を手放す人が増えている。
ボーナス払いがあてにできなくなったとか
残業手当が減ってしまったからとか。

そういうわけで売り出し件数は増えているが、
購入できる人はあらかた手に入れているので、
新規購入は少なくなっている。

ここでも二極化。


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過食・嘔吐に関する血糖値多重人格妄説

過食・嘔吐について
全部ではないが
一部を
血糖値をトリガーとした
多重人格状態と解釈できると思うので報告する

ーー
まず過食と嘔吐をする人たちの場合
圧倒的に共通な部分がある

過食する自分と嘔吐する自分は時間的に重ならない
たつの意識の存在が重なるならば反省意識が働き行動を停止できる

過食する自分は嘔吐する自分を認知していない(FC)

嘔吐する自分は過食する自分を認知している
だから激しく後悔し自責し
二度としないと固く誓う(CP+AC)

過食する自分と嘔吐する自分の両方を客観的に見ている自分がいる
あるいは自分を療育的に見ている(A+NP)

しばしば泣いて
多くは悲観的で抑うつ的である

おおくは几帳面で
道徳心が強く
熱中性の性格で
人に気を遣う
精力性で
気が強い

わたしは負けない!人だったのに
過食と嘔吐に関してはどちらにも負けている
どうしようもない

「最初から食べなければいい」
「もっと立ち返って買わなければいい」
「買うときには我慢できるのではないか」
などの意見に対しては
買うときにすでに過食のモードに入っているので
どうしようもないようだ

ーー
多くの観察では
日中に強いストレスがあった場合
夜に過食をして吐いてしまう

だからストレスがトリガー(ひきがね)になっているらしい
しかしそのあとのメカニズムは分からない

ーー
ここで
血糖値を軸にして考えてみる

昼に強いストレスを体験したあと
夜になると低血糖となり、脳の上位部分からの抑制信号が弱くなり、
昼のストレスに対する反応として
血糖値を高く保ちたいとする
個体と種の保存の本能が発動する(FC)

それは合目的的な行動であり
強力である
ほとんど止められない
これが低血糖の意識である

そして急速に血糖値は上昇し
限界領域を突破する
するとスイッチは切り替わり
社会性の能力が発動し
人に嫌われたくないとか
賞賛を浴びたいとかの欲求が強くなる(AC)
その結果嘔吐してしまう

一回りして
血糖値が落ちつくと
嵐は過ぎて
平静な自分が戻る(A)
血糖値は中間状態である

こうしてみると
高血糖、低血糖、中血糖の三つの状態に対応して
人格を三つ考えればよい

一番上位にあるのは中間血糖の場合で、
自分が食べてしまうことも、吐いてしまうことも知っているし、それを客観的に考察することもできる。

一つ下層にあるのは高血糖の場合で
嘔吐する自分である
過食する自分のことは認知しているが
その両方の自分を認知することはできないでいる。

もう一つ下の層には低血糖の場合の自分で
過食する自分である
これが一番原始的反射に近い
これがあるから生命の危険が遠くなっている

これは膝蓋腱反射のようなもので
低血糖になればそれに対する反応として
たくさん食べるのはよく分かる。

こうした三重人格状態が
三種の血糖値によって引き起こされていると考える
人格変容のトリガーは血糖値であると考える

ーー
食べてもすぐには血糖値は上昇しない
だから過食する場合には
血糖値が上がる前に大量のカロリー摂取をしてしまう

血糖値が上がり始めると
中間血糖値を通り越して
高血糖になってしまうので
そこからは
吐いてしまおうとする衝動が始まる

吐いたあとでやっと中間血糖になり
精神的にも落ち着いた自分が出現する

過食の自分、嘔吐の自分、理性的な自分は、血糖値に対応していて、
だんだんあとに行くほど上位であって下位を統合支配する立場にある

ーー
ストレス+低血糖+夜間の意識レベルの変容
で過食が始まる

シューティングして高血糖になると
嘔吐モードに切り替わる

そのようにして波を繰り返す
血糖の波でもあり
人格の切り替わりの波でもある

過食の自分、嘔吐の自分、理性的な自分は
それぞれ自分のあとに書いてある自分を思い出せない
自分の前に書いてある自分については思い出せる

ーー
治療は
三つに大きく分かれている人格状態を統合することである
統合の中心は理性的な自分である

CP+ACとA+NPとFCが統合される
統合の軸はA+ACとなる

そのために血糖値の面から考えれば、
血糖値が低すぎて過食が発生し、
血糖値が高すぎて嘔吐が発生する
そのあと中間血糖になって理性的自分が訪れるのであるから
血糖値を上がりすぎず
下がりすぎずの範囲に
収めればいいはずである

ーー
糖尿病の一部は
食事制限をして
運動をして
体重を軽くしたりする

運動、食事制限、カロリーを捨てる、そうすれば体重が軽くなる
という過食・嘔吐のメカニズムとかなり重なる

ならば
血糖値コントロールの技法が使えそうである
また薬剤も使えそうである

血糖値が原因か結果かは
よく分からないところもあるけれど
いずれにしても血糖値をコントロールして悪いことはない

ーー
ゆっくり食べると言うことは
ゆっくり血糖値が上がると言うことで
急激な山にならず、
できるならば山のピークを避けて、連なる低い山にしたい。
ゆっくりと食事をとる

血糖値の急激な変化をなだらかにする薬剤を使ってもいいのかもしれない
症例を限定するならば

薬剤使用の目的は、上がり過ぎも抑え、下がり過ぎも抑えるようにすること。上下で挟みこむサンドイッチである。
理屈の上からは大いに可能であるはず。

ーー
グルコースミニスパイクや
糖質制限食の可能性について以下のページ


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衝動性を多重人格で説明

衝動性は
自分では抑えきれなくて
あとで反省的に考えると
自分でもどうしてあんなにも破壊的になったのか分からない
などと語る

このような状態も軽く多重人格的な解釈を許すようでもある


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この世界を誘惑に満ちたものに保つ方法

この世界を誘惑に満ちたものに保つ方法

満たしきらないこと

一歩手前で我慢することの快楽

満足の後には虚しさがある

虚しさに至らないようにいつまでも満足の一歩手前でとどまること


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自殺

自殺は、ある意味では
社会の通知表という面がある


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「Adobe Creative Suite 4」付属モデル

VPCL11ZHJ

「Adobe Creative Suite 4」付属モデル

Sony Styleでフルスペックを選ぶと
だいたい47万5千円

Adobe Creative Suite 4
めったに使わないけれど

この10年で2回くらいしか使わない

ーー
マックならこれ
36万円

ーー
HP、ドスパラ、エプソン、Dell、と
プラモデルのように部品を組み立てて売っている
どれも同じ

わたしの興味はソフトだ


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岡山 ノートルダム清心女子学院まで

10月19日の空。.jpg

こんな青空で

キンモクセイ.jpg

キンモクセイがたくさん

いい匂い届いてますかあ~.jpg

素晴らしい香り

294円だった。安いよねえ。.jpg

うどんを食べて

帰り道に大きな猫に遭遇した!!どーもこんにちはあ。.jpg

こんなのを見つけつつ

これはトマト銀行。.jpg

有名なトマト銀行で

白い像がマリア様の像だよ。見えるかなあ。見にくいかな??ごめんね。.jpg

マリア様もいて

やっと.jpg

ノートルダム清心女子学院です


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ダブルバインド-2

ダブルバインド(二重拘束)については
またいろいろな考え方があるだろうと思う

ーー
原型としては
言語メッセージと
身体メッセージが逆のことを伝えている場合で

たとえば
母親が表情としぐさで思いっきり「あっちに行け」と伝えつつ
言葉では「こっちにいらっしゃい」と言ったとする

すると子どもは
表情を重く読めば遠ざかるべきだし
言葉を重く読めば近づくべきだ

そしてどちらもできなくなる
途方に暮れる

ーー
あなたは立派ねー
といやみったらしく言えば
言葉だけ受け取る人は少しはいいことを言われたと思うし
態度だけ受け取る人はとてもいやなことを言われたと思うし
普通は両方を考えるから、そんな言葉をそんな態度で言うなんて、
なんだかいやーな感じだなということになる

ーー
派生したタイプのものとしては
たとえばエディプスの予言はどうだろう

お前は将来父親を殺すだろうと予言されたとする
それを実現したくないから父親から遠ざかる
遠ざかった結果、父親とは知らずにその人を殺してしまい
結果として予言は実現してしまう

これも予言から遠ざかろうとしてかえって拘束されていて
かといって予言を無視していればなおさら実現しそうで
なかなか難しい

ーー
また派生として
言語的パラドックスとして
たとえば
わたしは嘘つきだという
自己言及型のパラドックスを考える

それを他人に向けて
パラドックスを仕掛けたらいいのだ

全く魔法のように
相手は身動きできなくなる

ーー
食べる、しかし、吐く
というのも
パラドックスの一種とも解釈できる

食べて負けて
吐いて負ける

食べないで勝つという
唯一の勝利に見える道は実は不可能の道である

それを目指す限りは
食べてしまい
結果として吐いてしまい

必ず負ける
パラドックスというより
唯一可能な道と言うべきだろうか

食べてはいけない
食べないではいられない
吐いてはいけない
吐かないではいられない

禁止があるが
それは必ず破られる

禁止の標識がある方にばかり向かってしまう

禁止の標識がなかったら
気にせずどちらにでも歩いていただろう

しかし禁止があるから
かえってそちらに向かってしまい
禁止をやぶってしまう

これはエディプスの予言に似ている

普通は食べないでいられるし
吐くなんていう苦しいことはしたくない

でも食べてしまうし吐いてしまう

ーー
筋肉を鍛えれば
必ず肉離れを起こすというのも
パラドックスだろう

肉離れを起こさないなら
もっと筋肉を増やせるはずだ

ーー
意志が強いから
危機を感じたときに食べてしまう
そして意志が強いから太ってはいけないと吐いてしまう

ーー
お宅のお母さん小太り?
それならバラドックストは無縁のひと

食べるから太る
という平明な人

ーー
ちょっと連想がゆるくなった





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こういう妹がいたら朝食べるけどな

02DSC05252.jpg

こういう妹がいたら朝食べるけどな
とある人が電車で話していた

まあ、そうだね

こういう妹がいなくても
食べた方がいいね

いや、朝ご飯を食べていたら
こういう恋人が見つかるかも
そう思って食べましょうよ

原因と結果というか
動機と結果を逆転させましょう

ーー
朝食べるというのは
朝食をとるという意味です


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ダブルバインド

女と男がいるとする

男 AかBか、どうして間違うんだ、よく考えろ

女 Aだと思う。だってCだから。

男 違う!どうしてそんなに頭が悪いんだ。Bだろう。

女 よく考えたらBだった。

男 違う!どうしてそんなに自分がないんだ。自分で考えろ。

女 ごめんなさい。いつでもあなたが正しい。

というわけで
自分で考えればAだし
相手に合わせてBだと言えば自分がないと言われるし
どちらを言っても非難されるので
最初から
謝ってしまう
あなたが正しいと認めてしまう

この段階で
女は一つ階梯を上昇している
男の言うAかBかを離れて
「なんでもいつでもあなたが正しい」と言っている

実際、男はダブルバインド(二重拘束)を仕掛けているわけで、
女がABどっちを言っても、自分が勝つ罠を仕掛けている。
それくらい勝ちたい人だということだ。

女としては勝ち負けはどうでもいいので
最初から負けを認めて
あなたが一番と言ってしまうが
今度はそれも気に入らない

女が先に一段はしごを登ったが気に入らないわけだ
今度はお前は一段はしごを登っている、遅れているで騒ぐ

対話になっていないし
対話する気がないなら命令すればいいのだが
そうする気もないらしい

このタイプの男に対しては
女はもっと先に雰囲気を読み取り
男の頭の中を読み取り
男が考えていそうな方を
自分の考えであるかのように言う

女 よくよく自分で考えたけれどAだと思う。理由はDだから。

そうすれば女は正しいし
女は自分で考えたのだし
結果として「偶然」、女は男に従っているのだし
そのようにして批判を回避して生きることができる
男は批判しようがない

結局これが日本的母子関係で日本的男女関係の原型なんですね
女がいやになるのも分かる

先回りして読んでくれる女としか暮らせない男

男は自分の考えを押しつけるなら責任を取るべきだ
そして圧倒的に自信を持ってリードするのがいい
責任は自分が取るから黙って言うとおりにしろという男が好きだという女は実は多い
もちろん結果を求められるが

能力のある男にとってはその方がいい
自分の能力を二倍にできるからだ

能力のある女にとっては
自分より能力のある男になら服従するのがいい
果実が大きいからだ
だから服従も苦にはならない
むしろ学習である

ただ愚かな男に従うのは苦痛である
損をして果実が小さい
子どもも愚かである

男は判断の責任を取らないなら女と対話するのがいい

頭が悪いのに威張ってばかりいる男というのが真実で
女はやっていられない

脳の構造から言うと
女の方が現実適応力は高いから
同年代の男はバカに見えるはずだ

だから女は年上の男を選ぶ
精神年齢が釣り合う

男が自信を持って判断し行動できるのは
日本のように成熟した社会では人生の後半になる

プロ野球でもプレイヤーより監督がクローズアップされたりする
それが成熟社会の毒である

そんなこんなで不倫は文化となる

これを回避するには
男の競争に女は入れないことを原則とする
そして勝った男はすべての女を手に入れる

多分進化を加速するために人類にそのような段階があっただろうと思う
しかし食が足りている現状では
進化を停止してでも
女は自分のパートナーで
幸せのふりをすることが必要になる

女のフラストレーションは限界に達している
優秀な男は希少資源だから

それは進化の原則で、必ず相対評価だからだ
優秀とされるのは何かの物差しで測った数%である
そして優秀な側はいつでも自分たちに有利な物差しを考え続けている
劣位な側が対応策を考えたときにはすでに基準を変えている

そんな物差しはばかばかしいが
それが現実だ

野球で三振を取る能力は
すごいけれど、ばかばかしい
それと同じ
三振を取れなくなったら
ルールを変えて
ストライクゾーンを変えているのである

バナナを腹一杯食べていれば
充分だと
タヒチの女は笑っている


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先読みする苦しみ

人と話をしていると
たとえば半歩先を読んでくれる人と
百歩くらい先を読んでしまう人と
一歩遅れてついてくる人と
いろいろとあって
不思議な感じだと思う

それぞれの人生で与えられたものから学んで
その人なりの距離の感覚とか時間の感覚をセットしているに違いないけれど
そしてそれはその人の家族とか親密な対人関係の中では適応的なのだけれど
新しい出会いに関しては
有効かどうか分からない場合がある

人と人との相性は不思議で
半歩先を読む人が
半歩先を読む人と
ぴったりだから相性がいいとも思えない

かなりずれていて
なかなか相性がいい場合もあり
補い合うという関係もある

百歩先の人と八十歩先の人は
分かるところは分かるけれど
競い合うところもあるもので
難しいことがある

ーー
そんなに先を読んでいると
苦しいだろうにと思うことがある

もうすこし
年を取って
頭が鈍くなれば楽だろうとは見当がつく

しかし
そう言っても今の解決にはならず
苦しいわけだ


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