乳製品の怖い話
■乳製品の怖い話し(目次) ★■給食で牛乳を強制するのをやめよう (2005/04/16) (★■乳製品からできる麻薬は脳の発達を妨害する)(2005/04/16 22:14) ★■子どもの背筋力が低下し続けている(2005/04/21) ★■少年凶悪犯罪者の食事は牛乳が多い(2005/05/14) ★■カルシウムと牛乳を摂る国・骨密度の高い国に骨粗しょう症が多い(2005/6/12) ★■乳製品の各成分は,みな動脈硬化性疾患の冠疾患死亡率と強い相関がある(ほとんどすべての日本の子どもに動脈硬化がある).(糖質図3・蛋白図4・乳脂肪・カルシウム図5)(2005/7/10) ★■タリウム中毒事件に思う(2005/11/3) ★ ■タリウム中毒事件に思う-その2(2005/11/3) ★■広汎性発達障害とその類似疾患(自閉症・アスペルガー症候群・ADHD)は,精神療法と薬物療法ではほとんど効果がないが,牛乳と小麦を完全に除くと明かな効果がある(2006/2/24) ★■統合失調症にもグルテン・カゼイン除去が効く(2006/2/26) ★■カルシウムを摂ってはいけない(2006/3/4) ★■潜在意識に乳製品を刷りこむNHKの情報操作(2006/3/14) ★■マサイ族は牛乳で動脈硬化が起こる実証例(2006/3/25) ★■ビフィズス菌は大腸癌ができやすい腸で殖える(2006/4/16) ★■レバーや肉の鉄はがん・認知症のもと(2006/8/27) ★■動物蛋白は健康に害が多い(2006/9/10) ★■食育のたいせつさ(2006/10/10) ★■膏粱の疾(糖尿病)(2006/10/28) ★■なぜカルシウムを摂りなさいという指導がなされるのか?(食品科学は商業主義優先)(2006/12/1) ★■乳製品の怖い話し・クローン病(1) (2007/1/4) ★■乳製品の怖い話し・クローン病(2) (2007/1/4) ★■乳製品の怖い話し・クローン病(3)おいしい牛乳で生きている細菌 (2007/1/4) ★■パンドラの箱(真実を求めて失職した研究者)(2007/8/17) そのほか上の記事を集めたものとして 乳製品の怖い話し・乳製品の怖い話し(その1) 乳製品の怖い話し・乳製品の怖い話し(その2) 乳製品の怖い話し・乳製品の怖い話し(その3) があります ■ブログの目的 ★子どもたちの急速な荒廃 私は医師ですが、日常の臨床で、子どもたちのアレルギーが際限なくふえていく様子、箸の持ち方や身のこなしの自然な発達がみられない、体温の恒常性の異常、昼夜逆転などの生活リズムの乱れ、不登校児・学習障害児・発達障害児の急激な増加、根気や忍耐の欠如、キレル子・表情の柔和さの欠如など精神の寛容性の低下、ロート胸・脊柱側弯症・かみ合わせなどの骨骼の異常など、子どもたちが急速に荒廃し、生きる力が低下しているのを強く感じていました。そして日体大の正木教授の著書「新版・子どものからだは蝕まれている」(柏樹社,1990年)を読んで、それまで感じていた子どもが弱っていく理由の本質がつかめたような気がしたので、このブログを書きました。 ■正木教授の指摘「新版・子どものからだは蝕まれている」(柏樹社,1990年) (1)日本の子どもの異常は1960年頃から気づかれるようになった。 (2)これらの異常は、公害や運動不足のない「のどかな農村部」を含めて、全国で一様に起こった。 (3)深部感覚など自然な発達が見られない。(発達の障害と老化あるいは退化) ★(1)日本の子どもの異常は1960年頃から気づかれるようになった。 具体的には[遠足で最後まで歩けない。太りすぎの乳児の増加。仕事を一日中続けられない若年労働者の出現。視力の低下。背中ぐにゃ(背筋力の低下)(図)=(正木教授は、背筋力の低下した子どもは大脳前頭葉の機能低下がみられると指摘しておられます)。ちょっとしたことで骨折。成人のように肩こり・頭痛・腰痛がある。朝食を食べない]など。 【背筋力の低下・骨骼の異常】 このブログでは[■子どもの背筋力が低下し続けている]で背筋力の低下に歯止めがかからないことを述べました。また『背筋』や『脳』は伝統医学では『腎』という臓の経絡が支配しており、『腎』は睡眠リズムなど体内リズム・体温調節・生きる力・体質などに関わっているので、子どもの異常の本質は『腎』という臓の弱りであろうと指摘しました。伝統医学では『骨』は『腎』の経絡が支配しており、子どもが骨折しやすくなったのも、最近ロート胸・脊柱側弯症・かみ合わせなどの骨骼の異常が目立つのも、『腎』の弱りと思われます。[■食育のたいせつさ]でこれを指摘しています。 ハーバード大の現代医学的データでも、乳製品の摂取で骨折が増えるのですが、これについては[■カルシウムと牛乳を摂る国・骨密度の高い国に骨粗しょう症が多い]、[■カルシウムを摂ってはいけない]、[■なぜカルシウムを摂りなさいという指導がなされるのか?(食品科学は商業主義優先)]などで述べました。つまり、現代医学のデータも、乳製品が伝統医学の『腎』の機能を障害するということを支持しています。 【脳の機能低下】 脳の機能低下は、乳製品のカゼインという蛋白からできる、カゾモルフィンという麻薬様物質が関与している可能性があることを[■給食で牛乳を強制するのをやめよう][■タリウム中毒事件に思う][■タリウム中毒事件に思う-その2][■広汎性発達障害とその類似疾患(自閉症・アスペルガー症候群・ADHD)は,精神療法と薬物療法ではほとんど効果がないが,牛乳と小麦を完全に除くと明かな効果がある][■統合失調症にもグルテン・カゼイン除去が効く]で指摘しました。 乳製品の蛋白カゼインからできるカゾモルフィンという麻薬様物質は、広汎性発達障害患者の尿中で90%近くに検出され、注意欠陥障害・統合失調症などの患者にも見られ、乳製品をやめて2年経ってもまだ尿中にみられます。つまり普通の脳内麻薬とちがって,分解できず蓄積して脳を障害するのです。小麦も高蛋白食や動物食があると麻薬(グリアジノモルフィン)をつくります。米や大豆は麻薬が全くできないのです[■給食で牛乳を強制するのをやめよう]。日本は犯罪も少なく世界一安全な国だと言われていましたが、日本食がよかったのでしょう。これは[■食育のたいせつさ]で指摘しました。少年凶悪犯罪者の食事は牛乳が多いことを、[■少年凶悪犯罪者の食事は牛乳が多い]で指摘しています。 政府は6月15日午前の閣議で、2007年版「障害者白書」を決定しましたが、精神障害を持つ人の数は05年に約303万人となり、02年から約45万人増え、初めて300万人を超えたことがわかりました。疾患別では、そううつ病などの「気分(感情)障害」が増加し、33.3%で最も多かったのです。NHKスペシャル(6月25)でも、30代の働き盛りでうつ病が激増していることが、報道されていました。 この原因として、乳製品と小麦からできる麻薬様物質も可能性があり、中枢神経系のセロトニン・ドーパミン・ノルエピネフリンレベルを抑制するので、うつ病のような状態をつくり得るのです(Hallert C et al. 1982)。そしてこの麻薬様物質は、程度の違いはあれ、誰にでもできるのです(Husby S, et al. 1985)。 世界では、WHOの国際精神分裂病パイロット研究 (IPSS;1979)、重度精神障害の転帰調査(DOSMED;1992)のデータベースを用いて、統合失調症の転帰並びにうつ病罹患率と、国際的な食物摂取のパターンの違いとの関係が検討されましたが、乳製品の摂取量の増加はうつ病罹患率の増加と相関し(乳製品を摂るとうつ病が増える)、デンプン根菜(澱粉質の芋類)の摂取の増加は、うつ病罹患率の減少と相関したのです(Peet M, 2004)。 このように、乳製品は伝統医学の『腎』が支配する脳を障害し、脳の機能を脆弱化させる心配があるのです。現在の日本では、脳が発達する時期に乳製品を摂るため、今後精神障害が激増するとおもわれます。 ★(2)これらの異常は、公害や運動不足のない「のどかな農村部」を含めて、全国で一様に起こった。 【全国で異常が起こった理由は、学校給食で全員に乳製品を食べさせたため】 この問題を科学的に明かにするには、早急に乳製品の全くない育て方をしたグループと、比較検討する必要があります。 つまり、現在の識者はこれらの問題を全く考慮せず、ゲームが原因とか、夜型の都市生活とか、運動するスペースの不足とかを原因として挙げますが、ゲームもない時代に、運動が自由にできる、夜間も明るくない農村部にも異常が一斉に生じたのです。だから識者の指摘が本質を捉えているとは思われないのです。 私は、1952年の学校給食の脱脂粉乳あるいは牛乳の、全国一斉の導入がその原因として最も可能性が高いと思っています。マンチェスター大学のシーリ博士は、食餌の変化がデータに現れるまで、約8年かかると言っているのです。 このブログでは[■子どもの背筋力が低下し続けている][■食育のたいせつさ]でこれを述べました。脳や背筋は『腎』という臓が支配しており、乳製品の主要な蛋白カゼインから麻薬様物質カゾモルフィンができ、神経系の発達を障害するからだと思われます>[■乳製品からできる麻薬は脳の発達を妨害する]。 ★(3)深部感覚など自然な発達が見られない。(発達の障害と老化あるいは退化) つまり、子どもが何もしないでも自然に発達する機能がなくなったのです。 【発達障害と老化あるいは退化】 正木教授は著書の中で「現在の日本の子どもは、大脳・神経系・感覚系が自然に発達せず、発達にゆがみが生じ、あるいは退化している(図)。このような変化はこれらの機能が最も発達する子どもの時代にあらわれており、対策に取り組んでも事態はよくなるどころか、変化のテンポが速くなり、異常の範囲が広くなり、子どもの問題が今や思春期や青年期の問題に進行している」と述べておられます。この15年余りで児童虐待は約30倍にもなっているのです。 生長発達と老化は伝統医学の『腎』が支配していますから、やはり子どもの荒廃と『腎』が関わりがあると思われます。脳の機能の退化については[■食育のたいせつさ]で触れています。また子どもの老化現象として、[■乳製品の各成分は,みな動脈硬化性疾患の冠疾患死亡率と強い相関がある]で、10代の日本の子どもの97,9%に動脈硬化があり、乳製品が動脈硬化と強い関係があることを述べました。また[■マサイ族は牛乳で動脈硬化が起こる実証例]では、ほとんど発酵乳だけで生活しているマサイ族では、40歳以降で米国高齢者なみの、広汎な重度の動脈硬化があることを述べました。また牛乳摂取によって早熟化(初潮年齢の低年齢化)が起こったことを、[■ビフィズス菌は大腸癌ができやすい腸で殖える]で述べました。 ■子どもたちの精神性の劣化 なぜ子どもたちに柔軟性や寛容性がなくなったのか、生長や老化の異常が起こるのか、[■膏粱の疾(糖尿病)]で、伝統医学からみた日本の子どもたちの現状を述べています。 ■カルシウムを摂取することは健康によくない ヒトの母乳には、カルシウムが野菜より低いレベルしか含まれていません。WHOもカルシウム摂取が少ない国に骨粗しょう症が少ないことを「カルシウムパラドックス」として指摘しています。またカルシウム摂取の多い国は動脈硬化が多く、乳製品のカルシウムは心血管疾患死亡率と強い相関があることを述べました。[■カルシウムと牛乳を摂る国・骨密度の高い国に骨粗しょう症が多い]、[■乳製品の各成分は,みな動脈硬化性疾患の冠疾患死亡率と強い相関がある]、[■カルシウムを摂ってはいけない]などで指摘しています。 また健康に悪いカルシウム摂取がなぜ勧められるのかについて[■なぜカルシウムを摂りなさいという指導がなされるのか?(食品科学は商業主義優先)]で述べました。カルシウム摂取が骨粗しょう症を減らす、という科学的証拠は存在しないことを指摘しています。食品の科学的研究では、科学が無視されたり、根拠がなかったりすることは日常茶飯事です。 ■乳製品が健康によいという、科学的データはない 「乳製品(ヨーグルトを含む)が健康によい」という、科学的検証に堪えるデータは存在しません。 乳製品の研究が、科学的に正当なやり方で行われていないことは、■なぜカルシウムを摂りなさいという指導がなされるのか?(食品科学は商業主義優先)で説明しました。 ここでは、米国が無視する「疫学研究」のほうが、研究の出発条件が誤っていないことから、米国が重視する「計画研究」や「症例対照研究」よりも、より真実を反映するのではないか?ということを指摘しました。 乳酸菌についても、菜食の国では腸内細菌が乳酸菌中心でがんが少ないが、西欧食(肉や乳製品)を摂取すると、バクテロイデス属とビフィズス菌が殖えて、大腸がんの危険性が4倍になることを、[■ビフィズス菌は大腸癌ができやすい腸で殖える]で述べました。またこの項では、日本人が西欧食を採り入れると、乳癌・多発性硬化症・アルツハイマー病・早熟が増加したことも述べました。 シーリ博士のWHOのデータでは、心血管死亡率は乳製品消費と最も密接に相関しました(Seely, S. 1981)。 ■動物蛋白は健康に害が多い 動物蛋白は、少しの摂取でも、血中コレステロール値を増加させ、すべての成人病が増えることは、[■動物蛋白は健康に害が多い]で述べました。鉄も動物食品のヘム鉄が、組織の活性酸素産生を触媒して、認知症・動脈硬化・がんにつながることを述べました[■レバーや肉の鉄はがん・認知症のもと]。 コーネル大学とハーバード大学の専門家は、動物蛋白を摂ると冠疾患死亡率が増加することで合意しています(Hu & Willett, 1998; Campbell et al. 1998; Geissler 1999)。 動物蛋白は、骨粗しょう症の骨折率や、骨損失率を増加させることも述べました[■なぜカルシウムを摂りなさいという指導がなされるのか?(食品科学は商業主義優先)]。コーネル大学栄養学のキャンベル教授は、動物蛋白が免疫系、さまざまな酵素系、発癌物質の細胞への取り込み、あるいはホルモン活性などに危害を及ぼすと言っています[■動物蛋白は健康に害が多い]。 なぜ植物食にすると健康になるのでしょうか?それはヒトは本来草食動物の消化管を持っているからです[■動物蛋白は健康に害が多い]。 ■畜産は環境を汚染し破壊する [■乳製品の怖い話し・クローン病(1)]では、地球温暖化の最大の原因が畜産であり、自動車よりも温室効果ガスを排出することを述べました。 またこの項では、畜産特に酪農によって、比較的新しいウシの病気『ヨーネ病』が増加し、それに伴ってヒトの『クローン病』が急増したことを述べました。 [■乳製品の怖い話し・クローン病(2)]では、ヨーネ菌(MAP)が高度に有意に(その存在が偶然である可能性はほとんどない)、クローン病の腸組織に存在していることと、この細菌の性質について述べました。MAPは湖水のアメーバの中や、牧場周囲の動物・ハエやゴキブリなどの昆虫・ミミズに広く浸透しており、熱水や塩素の入った上水道でも生きている、極めて頑丈な細菌なのです。またその頑丈さや生存能力は、人間の集約的酪農などの活動によって強化され、環境に広く伝播したのです。 [■乳製品の怖い話し・クローン病(3)]では、『おいしい牛乳』などの殺菌法では、MAPが完全に死ぬことはなく、また空気や水のMAPの汚染によって、クローン病が多発している事実を述べました。またこの項では、MAPによる小児のリンパ腺炎が、5年後にクローン病に進展した症例について述べました。 ■結論 ★乳製品は世界の大部分の人が摂らなかった食品(?) 権威ある大学の科学論文や、科学的に価値のある論文を調べますと、乳製品は健康に悪い可能性が極めて大きいのです。 ヒトは植物食を採用すると、引退のない『長生き村』のように、成人病の予防ができます。これは科学的に非常に価値が高いと思われる『中国研究』で明確に示されました。 この研究を指導したコーネル大学のキャンベル教授は、西欧の研究は基盤に動物食の高度な混入があり、これはヒトの生理や代謝にあわないもので、データとして不適切な結果が出るだろうと言います(西欧食社会の食品や栄養に関するデータは、健康の指針としては不適当である)。 もともと、哺乳動物は必ず離乳し、絶対に離乳後に乳を食べないのは、離乳期に乳の糖質を分解できなくなるからです。自然は離乳を想定しているのです。また哺乳動物の乳は、種特異性があり、他種の動物の乳は、その動物の生理に全くあっていないのです。だから地球上の大半の人も乳製品を食べていませんでした。自然の摂理に抗して食べた人たちは、作物ができない地域の人々だけです。 母乳が出ない人はどうするのか?という質問があるでしょう。でも私の経験では、菜食にし、更に未精製の穀類(玄米や雑穀)を食べると殆どの人が、乳が出るようになります。乳が出ないのは生活習慣が誤っている(動物食が多い)からです。 乳製品が導入されてから、幼小児の便秘が異常に増えましたが、菜食にすると便秘が改善されてきます。これも同じ現象だと思われます。 ★地球と人の健康が破滅するまったなしの危機的状況 一方で、21世紀の栄養の努力目標に関する国連委員会(2000年)は、今すぐに世界中の人々が植物食中心のライフスタイルにしないと、10億人の子どもたちが飢えで、恒久的なハンディキャップを負うだろうと言い、また畜産が地球環境を破壊する最大の要因で、これも今すぐ対処しなければならない、待ったなしの課題だと危惧しています[■乳製品の怖い話し・クローン病(1)]。今すぐなんとかしないと、地球の健康も、ヒトの健康も破滅してしまう恐れがあるのです。 世界がん研究基金は1997年に『包括的展望(A Global Perspective)』を発表しましたが、低精製の穀類を含む植物食中心の食餌を採用すれば、がんの60~70%を減らすことができると言いました。コーネル大学のキャンベル教授は、このような食餌で、米国の健康管理費用を単年度で1200億ドル節約できるだろうと言います。日本は医療費が32兆円にも達していますが、破綻はまったなしのところまできています[動物蛋白は健康に害が多い]。 種々のデータは、乳製品が伝統医学の『腎』を障害することを示唆しています。私の近くの小学校でも、昨年(2006年)やはり背筋力が低下しました。つまり、生きる力・精神の強さ・骨骼の健全さが失われつつあるのです。私の外来に来られた、既に退官された年配の保育士さんが、「私が保母になった頃は、自閉症や学習障害児をみることはなかったのに、現在その保育所では5人に1人にこれらが見られる」と言っておられました。全国的にも発達障害は増加していると思われ、養護施設がパンク状態のようで、これも日本滅亡待ったなしの状況です[■食育のたいせつさ]。 ★牛乳にメリットがあるか? 日本食は世界でも有数の健康食です。伝統的な日本食で子どもを育て、乳製品を排除すれば、また自然に発達する生き生きとした子どもが帰ってくるはずです。 中国では日本で体格がよくなった時期と同じ時代に(1950年から1980年)、ほとんど菜食で(もちろん乳製品はない)、日本と同じような程度の体格の改善を見たということです(サイト)(Piazza A. 1986)。つまり、「牛乳がなければ日本人は大きくなれなかった」と言うことはできないのです。 カルシウム摂取が骨を強くすると信じている人も多いでしょうが、カルシウムを摂取する国の人々は骨折が多いのです。つまり皆が信じていることは盲信です。カルシウムを摂っても骨の伸びに影響がないことも確かめられています。牛乳で手足が長くなると盲信して、自然に抗して肉体改造をしようとする人がいますが、これは何の保証もありません。私の観察では、牛乳をたくさん飲んでもただ太っただけで、足の短い人もたくさんいますし、全く牛乳が飲めなかったのに、手足がのびのび生長した人も多いように思います。ある高校生でアレルギーになったので牛乳をやめさせたら、11ヵ月で12cm身長が急に伸びた子もいました。これらの観察から、どうしても身長を伸ばしたい人は、肉無し野菜炒めを食べると牛乳よりも効果があるようです。ヒトの生長には蛋白もカルシウムも必要でなく、カロリーが必要であることが分かっているからです。ただ油の料理は10歳以下の子どもには負担が大きいから注意が必要です(牛乳の負担とは比べものにならないほど少ないが)。 盲信によって、15年余りで児童虐待が30倍にもなるような、精神の荒廃と狂気の乱造を招く、効果の保証のない牛乳による肉体改造を皆さんは選ぶのでしょうか? 西欧の文明や科学は、自然を支配してねじ曲げようとします。東洋の文化は自然を受けいれて、それと調和する伝統をもっています。自然に抗して精神を破壊する(悪魔に魂を売る)肉体改造の行為をメリットというのでしょうか? (貴重な廣瀬敏之氏のコメントに答えて) ★健全な精神を回復する決め手 戦前、東北大学の近藤正二教授が納豆給食をしたら、子どもの背筋力が非常に強くなったそうです。つまり精神や生きる力が強くなることが期待されます。明治維新を成し遂げた英傑は、子どもの頃乳製品を摂っていなかったと思われます。乳幼児期あるいは小児期の給食の牛乳はやめて、いますぐ豆腐や納豆・味噌汁にすべきです。 もしこのまま、脳や神経が発達する胎児期・乳幼児期・小児期・思春期に乳製品が与え続けられるなら、この歯止めのかからない背筋力の低下から見て、「日本は必ず滅亡するほかはない」と私は確信しています。 |
クリスマスに聴くひだまりのうた
「天下りの許認可」・官僚幹部の人生を左右できるツール
官僚を動かすことが出来ないと、ことが政策に及ぶ権力を行使することはできない。この点で驚かされたのは、選挙前に民主党が強く唱えていた「天下り禁止」を、日本郵政の人事を機にあっさりと撤回したことだ。「省庁の斡旋がなければ天下りでない」という言い分にはさすがにあきれるしかないが、日本郵政には斎藤次郎氏の社長就任に加えて、大蔵省OBで前内閣官房副長官補の坂篤郎氏が選ばれた。民主党、現在なら小沢幹事長が許容する元官僚なら、第二、第三の有力ポストがありうるということだから、官僚に対するアメとしては強力だ。もちろん、他方で、横槍を入れて天下りをストップするムチも確保されているのだから、この「天下りの許認可」は強力なツールだ。この導入に一役買った点で、亀井静香郵政担当大臣の功績は大きい。
日本郵政の人事は国民から見ると明らかな公約違反だが、考えてみると、自民党政権でもこのようなことはあるのだろうから、投票行動で天下りを無くすのは難しいことが分かる。もっとも、民主党としても参議院選挙を来年に控えたこの時期に、支持者の不興を買いかねない荒技を繰り出したのだから、これは重要な権力装置の一つなのだろう。現実に、この人事の前後で鳩山内閣は明白に支持率を下げたが、個々の官僚幹部の人生を左右できるツールを得たのだから、小沢氏の権力掌握にとっては差し引きプラスの投資効果が予想されていておかしくない。
シリコンバレーをはるかに超える、世界一のイノベーション都市を、日本に作る方法
シリコンバレーをはるかに超える、世界一のイノベーション都市を、日本に作る方法
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080319/1205929244 より概要
東京から直通電車で20~30分くらいのところに、経済特区を作る。
仮にJシリコンバレー特区と呼ぶことにする。
この特区では、英語が公用語。
役所、医療施設、学校、レストラン、スーパー、電車、交通標識など、あらゆるものが英語で運用される。
この特区内の企業に年収500万円以上で採用された外国人には、この特区内だけで働けるワーキングビザが発行される。
当面は、インド、中国、西欧、北米、旧共産圏などの高度知識労働者をこの都市に集めることを目指す。
この特区内では、所得税が一律10%のフラットタックス。
目標として、50年かけて世界中から1000万人の高度知識労働者をこの都市に集めることを狙う。
彼らに、世界的ベンチャー企業をどんどん生みだしてもらう。
アメリカのシリコンバレーは「アメリカ」ではない
そもそも、アメリカの中でも、シリコンバレーというのはかなり特殊な土地だ。
アメリカ人全てがシリコンバレー精神を持ち合わせているわけではない。
シリコンバレー以外のアメリカは、もっと保守的で、日本ほどでないにしろ既得権益層が牛耳っている、風通しの悪い階級社会だ。
シリコンバレーの風通しのよさと、どんな人にも分け隔て無く平等にチャンスが与えられる公平さと、新しい物をどんどん生み出そうという自由と活力に満ちた空気は、アメリカ人気質というより、シリコンバレー気質なのだ。
それに、アメリカのシリコンバレーを形作っているのは、アメリカ人だけではない。
中国人、インド人、ヨーロッパ人など、さまざまな国の人材がシリコンバレーを形作っている。
シリコンバレーはアメリカというより、もっと異質の、イノベーションを生み出すことに特化した特殊な国際都市という側面があるのだ。
だから、既得権益で固められた旧態依然とした社会構造を持つ日本であっても、シリコンバレーと同じようなイノベーション文化を持つ都市を造れてもおかしくはないのではないか。
それどころか、シリコンバレーというのは初期の原始的なプロトタイプ製品のようなもので、アイデアのタネにすぎない。税制も含めてしっかり整備しそこに+α、+β、していけば、まだまだそれよりもはるかに強力でポテンシャルの大きな都市を建設できるのではないか。
目的
目的は、税収確保である。
最終的には、質の高い少人数制教育、安心できる医療、そして、全ての国民の生活を保障するベーシックインカムをまかなえるだけの税収を生み出すことを目標とする。
以下、その可能性を探るため、具体的な施策について考察する。
ベンチャーのボトルネックを解消する一律10%のフラットタックス
たとえば、創業期のベンチャーは、ハイレベルのエンジニアを雇いたいが、それを雇うだけの資本がないことが多い。
これは、ベンチャーが抱える大きな問題の一つだが、この経済特区ではその問題を解決するため、所得税を一律10%にする。
累進性の一切無い、フラットタックスだ。
ベンチャーは、サービス実績がまったくない状態では、外部から資本を調達するにも、倍率がつかない。
倍率がろくにつかない状態で外部から資本を調達してしまうと、会社が自分たちのものではなくなってしまう。
そもそも、実績どころか、プロトタイプすらない状態では、倍率がつかないどころか、多額の金を出資してくれる人間はなかなかいない。
これは、投資家の立場からしてみれば当然だろう。たいていの投資家は、まだどうなるかさっぱり分からない状態のプロジェクトに、大金を出資する気にはまずならない。ある程度、成功のめどがつき、投資が回収できそうな状態にまで至ってから、はじめて投資する気になるというものだ。
だから、最初に出来る限り自己資本と最小限の外部資金だけでサービスを立ち上げ、ある程度の実績を作って会社の価値を高めてから、その潜在価値に応じた倍率をかけて、外部から資金を必要額調達するようにするのがよくあるパターンだ。
このため、立ち上げ期のベンチャーは、資本が少ない。
したがって、エンジニアに高い報酬を払うだけの資金的な余裕がない。
だから最初のうちは、できるかぎり給料を抑えたいのだ。
もちろんストックオプションは発行するが、ストックオプションを発行する代わりに少ない給与で我慢してくれ、と言っても限度がある。
そもそも、それまでアメリカのシリコンバレーで年収2000万円で働いており、その収入を前提とした生活水準で暮らしていたハイレベルのエンジニアに、「ストックオプションをあげるから、年収1500万円で働いてくれ」と言っても、とくに家族持ちの場合など、生活のグレードダウンを受け入れなければならず、家族の了承を得られないことも多い。
そこでフラットタックスにより、ベンチャーは年収の高いハイレベルなエンジニアを割安に雇うことができる。
ハイレベルエンジニアにしてみれば、年収がかなり減っても、フラットタックスで税金が安いので、手取りは同じだから、生活水準を落とさずに、ベンチャーに参加できるのだ。
これで、創業期のベンチャーは、人材獲得がやりやすくなる。
世界中から高度知識労働者を惹きつける税制
そもそもこの経済特区のコンセプトは、世界中から高度知識労働者を集めて産業集積を作り出すことだから、フラットタックスとはとても相性がいい。
高度知識労働者には高額所得者が多いから、フラットタックスとは、実質的に高度知識労働者の税金に狙いを絞って減額する制度となるのだ。
ちなみに、フラットタックスは、1994年に東欧のリトアニアなどで導入されて以来、東欧を中心に急速に広がり始め、現在、世界の15以上の国・地域で採用されている税方式。ロシアも香港も採用している。
もちろん、フラットタックスには非難の声もある。
たとえば、ドイツやフランスの政府は、「フラットタックスは税のダンピングだ」と非難している。
なぜ、ドイツやフランスが非難するかというと、外国がフラットタックスを導入すると、彼らが被害を被るからだ。
どんな被害かというと、人材流出や企業流出という被害だ。
要するに、フラットタックスとは、税をダンピングすることにより、他の国の高度人材や企業(=雇用)を奪う税制だと言いたいのだろう。
したがって、日本がこの税制を採用した経済特区を作ると、諸外国の高度人材を奪い、反発を買うリスクがある。
しかし、もしこの税方式で国の財政の採算が取れるなら、それはダンピングではなく、市場原理に基づく適正価格というものではないだろうか。
そもそも、税金もグローバル競争の時代に入っている。
ある国に居住して税金を払うということは、その国の社会システムを利用し、その利用料をその国へ払っているようなものだとも考えられる。
つまり、世界規模で社会システム利用サービスの価格競争が起き、市場原理が働き始めているのだ。
支払う税金と、その国の社会システムの利用価値を秤にかけ、いちばん割の良い国家を選択するグローバルな企業やグローバル労働者がどんどん増えているということだろう。
要するに、時代の流れだということだ。もしかしたら、むしろ日本よりも先に、中国やインドやベトナムやタイなどの国で、経済特区を作るなどしてフラットタックスの導入が始まるかも知れない。
先行者メリットや集積効果を考えると、先にやったもん勝ちのゲームである可能性も高いのだ。
フラットタックスにすると、あまり税収が得られないのではないか?
ここで、「フラットタックスなどを導入したら、高額所得者からの税収が少なくなるじゃないか」という疑問もあるかもしれない。
しかし、たとえフラットタックスだったとしても、年収3000万円の労働者は、年収300万円の労働者の10倍の税金を払ってくれる。累進課税でなくても、高額所得者が高額納税者であることには変わりはない。
そして、年収3000万円の労働者が年収300万円の労働者の10倍公衆トイレを使うわけでも、10倍警察の手間がかかるわけでも、10倍道路を利用するわけでも、10倍公園のベンチを占拠するわけでもない。
たとえフラットタックスだったとしても、高額所得者に居住してもらえれば、国家としては、はるかに儲かるのだ。
だから、フラットタックスにしても、それによって、多数の高額所得者を世界中から集められるなら、十分以上にペイするのだ。
また、もう一つの点は、低所得者であるか高所得者であるかに関係なく、常に一定の割合でモラルのない人間がいるものだが、フラットタックスにすると、モラルのない高額所得者が手間暇かけて、節税努力や脱税努力するのが割に合わなくなるため、納税率が上がるという効果があるという点。複雑な仕掛けを使った節税や、ばれないように巧妙に脱税するにも大きなコストがかかるため、累進税率がなくなると、節税努力によって得られるものが少なくなり、そんな不毛な努力をしているくらいなら、本業のビジネスにせいを出した方が得になるということだろう。
見方を変えれば、本業に精を出すより、複雑で巧妙な仕組みをつくってまで節税や脱税をした方が儲かる、というのは、累進税制下で高額所得を得るという特殊な状況でのみ発生する状態だ。それ以外の場合は、そんな不毛な努力をするより普通に働いた方がよっぽど収入が増える。
フラットタックスを採用する国が急速に増えているのは、この効果によるところも大きいと見る向きもあるようだ。
そもそも、フラットタックスにすると言っても、この経済特区の中だけである。日本の他の地域の税体系は今のままだ。
もちろん、日本の他の地域に住む人間に、この経済特区を利用して租税回避などをやられたら、税収増どころか、税収減になりかねないので、租税回避をやらせないためのさまざまな仕掛けを施しておく。
たとえば、このフラットタックスを適用できるのは、この経済特区に居住し、かつ、この経済特区の職場で働いている人間のみに限定したり、適用対象も、限定された産業分野で、新しい産業を創出するようなビジネスに限定するなどする。
はてな界隈では金持ちというと子飼弾氏のイメージに引きずられているところがあるが、現実には、彼は金持ちの典型でも何でもない。日本の高額所得者の大部分は、IT産業従事者などではないし、ブログを書くような人種でもない。日本の金持ちの多くは開業医と旧産業の経営者だ。たとえば、繁盛している旅館やレストランや優良中小企業の経営者をイメージした方が近いだろう。
そして、そういう旧産業の経営者たちは、自分の会社を営む土地に縛られており、彼らに、この経済特区を利用して租税回避をさせないような規制の仕掛けを作り出すのはさほど困難ではないだろう。たとえば、ビジネスの実態がこの特区にあるわけではないのに、社長の本社宅だけここに移転して、偽装IT子会社を作るなどして租税回避しようとした場合など、徹底的に厳しく取り締まり、通常よりも厳しい重加算税を課すなどする。
Jシリコンバレー特区の高所得者は、日本経済の超優良顧客となる
そもそも、日本の低付加価値産業は、地場産業にしろ、農業にしろ、中国からの大量の低付加価値商品や低付加価値農産物に押されて、壊滅状態になっている。
日本に残っているのは、高付加価値製品を作っている地場産業、高付加価値の農産物を育てている農家、高付加価値の家電製品を作っているメーカーなどだ。
最近では日本の農家は、日本の高級な農産物を、アジア各国の富裕層に向けて輸出し始めているようだ。
また、日本の高級かわらメーカーなどの高品質製品を作っている地場産業は、ロシアへの輸出をはじめたりしている。
結局のところ、日本の産業のうち、グローバル競争にさらされて生き残れたのは、高付加価値産業のみだったということだ。
だから、日本の産業を育てるには、外需にしろ内需にしろ、日本の高付加価値産業の生み出す商品を消費してくれる顧客をいかにして開拓するか、というゲームになる。
低付加価値商品ばかりを消費する低賃金労働者が増えても、彼らが利用するのは、メイドインチャイナの、100円ショップで売られているような安物雑貨や中国製の格安家電でしかなく、中国やベトナムなどの発展途上国からの輸入が増えるだけで、結局のところ、日本経済の活性化にはあまりつながらない。
これが、ベーシックインカムを実現するのに、わざわざJシリコンバレー特区のような仕組みを作らなければならない理由だ。
もし、単純に日本の高額所得者に重税をかけて財源を作り出し、それをベーシックインカムとして低所得者層に分配するというような、ネズミ小僧方式を採ると、低所得者層の収入が増え、高所得者層の収入が減る。「そうすれば、低所得者の消費が増え、日本経済が活性化する」という話があるが、話はそう簡単にはいかないと思われる。
なぜなら、低所得者層が主に購入するのは、中国製の安い家電や、100円ショップで売っている中国製の安い雑貨であって、日本製の1本1万円の高級タオルや、一パック700円の高級イチゴなど、たいして消費してくれないからだ。したがって、この方式でベーシックインカムを実現した場合、単に中国やベトナムからの低付加価値商品の輸入が増えるだけだろう。
しかも、高所得者に重税をかけたため、日本製の高付加価値商品を買ってくれる顧客の収入を激減させるので、100g数千円もする松阪牛や、一個300円する高級デコポンや50インチの大型プラズマテレビは日本ではどんどん売れなくなる。このため、日本の高付加価値産業はかなり深刻な打撃を被むり、むしろ日本経済はかなり冷え込むのではないか。
そうすると、そもそも税収が減ってしまい、ベーシックインカムを維持し続けるための財源確保が危うくなる。
つまり、ネズミ小僧方式のベーシックインカム構想は、持続可能性が怪しいのである。
だから、日本の高額所得者に重税をかけて、高額所得者を減らすのは、日本経済にとって得策ではなく、むしろ逆に、日本の高額所得者の数を可能な限り増やすような政策を行うことによって、日本の農家や地場産業や製造業を潤わせる戦略の方が、はるかに、日本人全体の懐を豊かにし、税収を増やし、持続可能なベーシックインカムを実現できるのではないだろうか。
そして、そのための施策が、このJシリコンバレー構想なのだ。
このJシリコンバレー特区ではたらく高度知識労働者は、ほとんどが高額所得者だから、まさに、メイドインジャパンの高付加価値商品の最高の顧客である。
極論を言えば、Jシリコンバレーの高度知識労働者が、まったく税金を払わなかったとしても、彼らが稼いだお金は、日本の高付加価値農産物や高付加価値の高級タオルや、高級家電を購入するという形で、日本経済に流れ込み、結果として日本人の懐を潤し、日本政府の税収アップになるのである。
フラットタックスのせいで、吸い上げる税金が少々少なかったとしても、ぜんぜんペイするのだ。
世界トップレベルの大学、教授、学生を集積する
この経済特区にふさわしい人材育成をするためのJシリコンバレー大学を設立する。
この大学には、世界中の優秀な教授や大学講師を、ヘッドハントしてきて集める。
ヘッドハントに当たっても、フラットタックスが威力を発揮する。
優秀な大学教授や大学講師には、高額所得者が多いからだ。
同じ年収なら、欧米の大学で働くより、日本のJシリコンバレー特区の大学で働く方が、はるかに手取りが多くなる。
そして、英語圏の一流大学の分校を、この特区に誘致する。
ハーバード、MIT、スタンフォード、ケンブリッジなど。
日本の有力大学にも、分校を作ってもらう。
東大、京大、早稲田、慶応など。
もちろん、授業は英語のみ。
また、多額の奨学金を使って、世界中の国々の才能ある学生をこの大学に集める。
専門の学生獲得組織を設置して、世界中の高校や大学を訪問し、優秀な学生にJシリコンバレーに来てもらうように交渉する。
とくにアジアの貧しい国々では、勉学の意思と才能がありながら、お金がないために進学できない学生がたくさんいる。
そういう人間に、どんどん奨学金を貸し付ける。
当然、大学では通常の講義や研究室の他に、ベンチャー論をはじめとして、起業家になるために必要な知識やノウハウも教える。
そして、在学中、もしくは、卒業後に起業することを奨励する。
創業期のベンチャーに参加することも奨励する。
また、大学外の起業家やエンジニアなども自由に参加できるセミナーなども、頻繁に開催し、産学の交流が進むようにする。
当然、通常の日本人のエンジニアや起業家も自由に参加できる。もちろん、言語は英語のみだが。
起業家やエンジニアの交流スペース
この特区には、たくさんのカフェを誘致し、世界中のトップエンジニア、起業家、科学者、学生のオープンな交流スペースをたくさん作る。
それらのカフェで気軽に意見交換し、ブレストし、アイデアが生まれ、意気投合したら、その勢いで起業してしまうというのもありだ。
カフェは、国際色豊かな、多様なものを用意する。フランス風カフェ。中国風カフェ。昔の日本のお茶屋のようなカフェ。インド風カフェ。ベトナム風カフェ。アメリカ風カフェ。バリ風カフェ。などなど。
徹底的な無国籍感を、この特区のアイデンティティにする。世界のどの場所なのかよく分からない、世界の縮図のような不思議な空間を演出する。
また、世界的なカンファレンスやイベントを行うための設備も十分に用意する。
英語
このプロジェクトのキモは、日本人が、日本語と日本文化を完全に捨ててかかることである。
日本人が日本語や日本文化に固執する限り、シリコンバレーのような世界的なサービスを開発できる都市を建設するのは無理だ。
たしかに、まず、英語を母国語とする人口は日本語よりも遙かに多く、英語を母国語とする国も多い。
さらに、セカンドランゲージとして話す言語人口も含めれば、英語人口ははるかに巨大になる。
しかも、中国語、アラビア語、スペイン語などの言語に比べると、英語を読み書きできる人口の平均的知的水準は極めて高い。
とくに、セカンドランゲージとして英語を話す人々は高等教育を受けている人間が多く、知的水準がたかい。
したがって、英語圏マーケットこそが、世界でもっとも良質のマーケットなのだ。
だから、この経済特区が生み出すサービスは、はじめから英語圏をターゲットに開発される。
英語圏のユーザのために開発し、英語圏のユーザに使われながら、育てていく。
そうすることで初めて、世界的なサービスを最短距離で開発できるのだ。
ベンチャー運営に最適な労働法規
創業期のベンチャーは、資本が少なく、ビジネスモデルが不安定だ。
予想外に競合製品が先にマーケットに出て、戦略を変更せざるを得ず、人材の入れ替えをしなければならなくなることもよくある。
そういうとき気軽に労働者を解雇できないと、ベンチャーの経営はすぐに行き詰まってしまう。
また、ほんの数年の間一生分働き、一生分の報酬を手にして、早期引退する、という働き方もベンチャー特有の物だ。
休日も平日も関係なく、残業とかそんな細かいことは考えず、創業メンバー全員で、がんがん前に突進するのがベンチャーだ。
一生分の労働を数年に圧縮するのだから、かなりむちゃくちゃで非常識な働き方になる。
このため、通常の会社のような細かな勤怠管理や残業代の申請というのは、ベンチャーと相性が悪い。
そもそも、創業期のベンチャーで働く人材は、会社に雇われた労働者というより、一緒にビジネスを作り上げていく共同経営者の側面が強い。
通常の産業における労働法規を四角四面に適用したのでは、まずうまくいかないのだ。
このため、会社が気軽に人を雇い、気軽に人を解雇できるような法制度にする。
当然、法律上は、残業代を出さなくてよいし、休日手当を出す必要もないようにしておく。
もちろん、これでは労働者保護に問題が出る。
しかし、そもそも通常の労働者の権利が欲しい人間は、この経済特区で働くべきではないのである。
ここは、イノベーションシティであり、通常の労働者の街ではないのだ。
ワーキングビザや居住権の取得しやすさ
この経済特区に限っては、アメリカよりも、はるかに入国しやすく、ワーキングビザを得られやすくしておく。
アメリカの場合、テロに狙われやすいので、入国管理にはかなり慎重にならざるを得ない。
9.11以降、世界中の人材がアメリカに入りにくくなってしまっているのだ。
しかし、日本はアメリカほどにはテロには狙われてないので、入国審査をそこまで厳重にする必要がない。
これは、アメリカのシリコンバレーに対する差別化要因の一つになる。
もちろん、日本の入国管理は厳しい。
だが、この経済特区に限って言えば、必ずしも入国審査を厳しくする必要はない。
だから、どんどん人材を獲得するため、この経済特区に限っては、年収や学歴などから、高度頭脳労働者であることさえ確認できれば、どんどん入国を認めるようにする。
世界最高水準の食生活を享受できる国際都市
アメリカのシリコンバレーの弱点の一つが、その食生活の貧しさではないかと思う。
たしかに、シリコンバレーは多様な人種はいるし、多様な食文化が混在しているものの、基本はあくまでアメリカ式の食生活だ。
そして、世界の他の国々に比べ、シリコンバレーも、そのお隣のサンフランシスコも、普段の食生活のレベルがそれほど高いとは言えない。
そして、味の面でも、健康面でも、バリエーションでも、日本、とくに東京の食生活のレベルは、世界的に見て極めて高い。
とくに、普段の普通の食生活のレベルが高いのだ。
最近は、健康指向の高まりもあって、日本の食文化は世界中にどんどん広まっている。
だから、東京の食生活をベースに、世界中の多様な人種のニーズに答えられるような食環境をこの特区に作れば、シリコンバレーよりもはるかに質が高く、満足度の高い食生活を提供できるのではないかと思う。
もちろん、とくにインドなどは宗教的な理由により、牛や豚が食べられない人もよくいるので、それに合わせてベジタリアンフードを提供する外食産業等も計画的に誘致するようにする。
また、ミシュランも認めた、世界最高レベルの美食都市東京の外食産業の支店を、どんどん経済特区に誘致する。
もともと東京の外食産業は、世界中の多様な食べ物を提供できるが、それをさらにこの経済特区の人種構成に合わせてカスタマイズする。
なにより、電車で20~30分もすれば、いまやパリと肩を並べるほどの世界に誇る美食都市東京へ出られる。
当然、スーパーで並ぶ食料も、レストランで供給される食事も、すべて安心して食べられる、日本水準の物が提供される。
中国やインドなどに同じような特区を作っても、なかなか同じようにはいかない。
そして、中国やインドなどの新興国だけでなく、欧米の豊かな先進国の高度人材が快適に暮らせるには、インドや中国の食生活のレベルではまだまだ厳しいのだ。
このため、日本品質の高品質な食生活インフラは、他の新興国が作るシリコンバレー的な経済特区に対する差別化要因となる。
高度知識労働者の子供たちに適した教育サービスの提供
現在、西葛西にインド人のITエンジニアコミュニティがあり、1000人ぐらいのインド人が住んでいるそうだが、彼らは日本の教育に非常に不満を持っているようだ。
彼らのようなITエンジニアは知的水準が高く、その子供たちにもハイレベルの教育をしたいと考えているので、日本の学校教育では、レベルが低すぎるのだ。
ましてや、世界中の高度人材のあつまるJシリコンバレー特区では、さらに拍車をかけて、ハイレベルの英才教育が求められる。
このニーズに応えるため、幼稚園から大学まで、基本的に、高度知識労働者のニーズに応えた、質の高い教育サービスを提供する。
もちろん、全ての教育は英語で行われる。
英語圏のレベルの高い教師をたくさんヘッドハントしてくる。
1人の教師につき10名程度の少人数制にする。
これにより、家族持ちの高度知識労働者も、安心して移住できる。
言論の自由
中国にシリコンバレー型経済特区を作っても、まずうまくいかないと思われる。
なぜなら、言論の自由がないからだ。
本当に独創的なアイデアは、言論の自由が保証されてこそ、生まれてくる。
このため、潜在的なライバルのリストからは、中国は外されると思われる。
また、ロシアなども言論の自由が十分に保証されているとは言い難い。
このため、言論の自由が十分に保証されているという点も、やはり差別化要因になると思われる。
豊かな先進国の知識労働者が満足できる都市インフラ
インドや中国に作られるシリコンバレー的経済特区の問題は、先進国の労働者を満足させるだけの質の高い生活インフラを提供しにくいということだ。
職人や労働者の質も低く、階段でも道路でも電車でも、作りも運用もまだまだ雑なのだ。
このため、欧米の豊かな先進国の高度知識労働者でも十分以上に満足できる日本の道路、水道、電車などを提供できるのは、この経済特区の差別化要因となる。
当然、この特区の道路、電車、水道などのインフラの品質は、日本人の生活水準に合わせて、日本の建築会社が建設する。
世界一、時間に正確で、安全で、清潔で、明るく、快適で、利用しやすい日本の高度な電車網が高密度に張り巡らされた都市にする。
この都市は、基本的にどこでも電車と歩きで移動できる。
現在、景気対策のための無駄な公共事業が大幅に削減されたため、日本の建築業はかなり疲弊している。
このため、この特区のために、大量の建築需要が発生すると、たくさんの建築業者に職を提供し、失業者&ワーキング対策にもなるだろう。
安全
この特区は、アメリカに比べると、はるかに治安がよい。
アメリカと違って銃は厳重に規制されているし、犯罪の巣窟のような危険なエリアも絶対に発生させないようにする。
また、充実した警察力と、監視カメラネットワークにより、犯罪を犯しにくくなっている。
隣接した東京も、世界一治安のよい国際都市である。
なにより、アメリカのようにテロの不安におびえながら生活しなければならないということもない。
この高い安全性も、アメリカのシリコンバレーに対する差別化要因となる。
娯楽&文化施設
英語のコンテンツのみを扱う映画館や、英語を話す人向けのスポーツバーやクラブハウスなど、この特区特有の娯楽施設や文化施設を充実させる。
大量の洋書が充実した本屋やCD、DVDショップも備える。
また、いつでも20分で、世界でもっとも安全で快適で充実した世界都市の一つである東京へ出られる。
週末などは、東京で過ごすことも出来る。
質の高い生活支援サービス
この特区に居住する労働者は、世界一質の高い日本の生活支援サービスを提供される。
どこにでもある清潔で便利なコンビニ。快適に使える宅急便。
家電が壊れたら、メーカーに連絡すれば、すぐに修理してくれたり、充実したサポートが受けられる。
風呂、トイレ、上下水道のトラブルも、世界一すばらしい対応をしてくれる。
この、日本人ならだれもが当たり前に、快適に享受している世界一質の高い生活支援サービスは、日本以外ではなかなか得難いモノだ。
特に、中国やインドなどの新興国が経済特区を作っても、日本と同じレベルの生活支援サービスを提供しようとしても、まず無理だろう。平均的な労働者の質が段違いだからだ。
平均的な労働者の質の高さという点において、日本は圧倒的な世界一なのだ。
これも、強力な差別化要因になるだろう。
気候
気候に関しては、アメリカのシリコンバレーにはかなわない。あちらの方が、はるかに気候がよい。
ただし、インドや中国の経済特区よりは、日本の方が気候がよいだろう。
地震
当然、この地震リスクが最大の問題だ。
しかし、これを言い出したら、結局なにもできはしない。
建築物の耐震性を十分に確保しておく、避難経路や避難場所を計画的に都市計画に入れておくなどの対策を盛り込んでおくようにはしておく。
まとめ
このJシリコンバレー構想のキモは、以下のようなものだ。
●日本に英語を公用語とした国際都市を作る
●高度知識労働者にとって世界で一番割の良い税制
●日本の高付加価値製品の優良顧客
●世界一質の高い日本の生活インフラ
●魅力的な世界都市東京が電車で20分
この中でも、「英語」と「税制」と「東京」が極めて強烈な鍵となっている。
とくに、日本人が日本の言語と文化を完全に捨ててかかる、という潔さが、このプロジェクトの命だ。
このJシリコンバレーこそ、われわれの子供たちに残してあげられる、最高の贈り物にならないだろうか。
もう日本という物語は終わった
さっさと次へ行こう。もう日本という物語は終わったのです。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061227/1167212479 より賃金の安い中国人やインド人との競争のせいで、日本人の賃金が下がってるなんて、ウソなんだ。
そもそも、国際競争によって賃金が下がるなんて、あり得ないんだ。
どんなに中国人やインド人が安い賃金で激しく働こうが、そんなことには関係なく、日本人の労働の価値自体は、変わらない。
サンマを一箱分、築地から目黒まで運ぶ労働の価値は、30年前と今でなんの変わりもない。100年前も変わらないし、100年後にも変わらない。貿易をしても、競争をしても、イノベーションが起きても、変わらない。
イノベーションによって日本人の労働の価値は常に上昇しているし、国際貿易をして、お互いが豊かになることはあっても、競争のせいで生活が貧しくなるなんてことはあり得ないんだ。
だから、同じ労働に対して支払われる賃金も変わることはない。
グローバリズムそれ自体のせいで、賃金が下がったり労働条件が悪化していくなんて、あり得ないんだ。
支払われる金額や待遇が変わったとすれば、それは単に、物価の変動に過ぎないんだ。
そう、変わったのは、実は、労働者の賃金でも労働条件でもなく、モノの価値の方なんだ。
値札に書かれた数字が変わらないまま、みんなの気がつかないところで、物価だけが凄い速度で上昇していったんだ。
価格は変わらないまま、価値だけが急激に上昇していったんだ。
その結果、見かけ上、労働者の賃金が下がり、サービス残業が増え、労働条件が悪化しているように見えるだけなんだ。
貨幣制度が目くらましになって、それが見えなくなっているだけなんだ。
金額や価格などという、見かけに惑わされちゃいけない。
なんで、モノの価値が上昇したかというと、モノの量が減ったからだ。
なんでモノの量が減ったかというと、人間の数が増えたからだ。
もっと正確に言うと、人間らしい暮らしをする人間の数が、爆発的に増えたからだ。
中国や、インドや、ベトナムや、ロシアや、ブラジルで、人間らしい暮らしをする人間の数が、今、この瞬間も、とてつもない勢いで増え続けているからだ。
いままでにない巨大な人口が、ガソリンを消費し、鉄を消費し、魚を食べているからだ。
人間らしい暮らしをするのに必要なモノの供給量はそれほど変わらないのに、人間らしい暮らしをする人間の数だけ爆発的に増えたものだから、人間らしい暮らしをする人間一人あたりに割り当てられるモノの量が劇的に減少したのだ。
だから、同じ価値の労働を提供しても、それと交換できるモノの量は、当然減る。
おやつの量は変わらないのに、兄弟の数が二倍に増えれば、一人が食べられるおやつの量は半分になる。
単純な算数だ。
そういう状況で、いままでと同じだけのモノを手に入れ続けようとすれば、当然のことながら、今までよりも、多くの価値を生み出す労働をしなければならない。
そして、より多くの価値を提供するためにとれる手段は、職種によって大きく異なる。
デザイナーなら、いままでよりも洗練されたデザインを生み出せるスキルとセンスを身につける。
プログラマーならより生産性の高い言語やライブラリや開発手法の使い方を覚える。
営業なら、より深く顧客のニーズをくみ上げ、よりきめの細かい営業提案をする。
しかし、単純労働者(unskilled worker)の場合、今までよりも多くの価値を生み出す労働をするには、ひたすら長時間、激しく働くしかない。そうしないと、どんどん生活水準は落ちていく。
子供の教育にもお金をかけられないから、単純労働者が拡大再生産される。
ある程度年を取ってから、単純労働者に転落したら、現在の生活水準を維持しようとする限り、自力ではそこから脱出できなくなる。
企業内のいじめも、パワハラも、サービス残業も、モノの価値の上昇に端を発する。
企業は、今までと同じだけのモノを手に入れるために、いままでよりもはるかに多くの価値を支払わなければならない。
今までと同じだけのモノを手に入れられる賃金を労働者に支払う見返りには、今までと同じ額面の賃金で、いままよりもずっと価値のある労働をしてもらわないと、割に合わない。
20年前と同じ給料を受け取り、20年前と同じ生活水準を保てている労働者は、実質的には、20年前よりもはるかに価値のある労働を提供しているか、もしくは、同じ価値の労働しか提供していないのに、はるかに多くの賃金を不正に受け取っているかの、どちらかだ。
だから、今、大企業の正社員であるという理由だけで、年収500万円受け取って、年収500万円の暮らしをしている労働者の暮らしは、もしかしたら、砂上の楼閣かもしれないのだ。20年前に、年収500万円を受け取っていた労働者と同じだけの価値のある労働をしているとすれば、本当は300万円の報酬しか受け取る資格はないかもしれないのだ。
それは、労働の価値が下がったためではない。モノの価値が上がったためなのだ。
同じ労働と交換できるモノが、かつては500万円分あったのに対し、いまでは300万円分になったと言うことなのだ。
だから、今、年収500万円の人が、年収500万円の暮らしをするのは危険だ。
そんな暮らしが長続きする保証は、どこにもないからだ。
年収300万円の暮らしをし、余った200万円は、貯金すべきかもしれないのだ。
その200万円は、本来の意味で、労働の対価ではないかもしれず、一時的なあぶく銭かもしれないのだ。
そんなあぶく銭が今後も手に入り続けることを前提に生活設計するのは、たまたま宝くじに当たったからと言って、来年も宝くじに当たることを前提に、生活設計するようなものかもしれないのだ。
もう、日本という物語は、終わったのだ。
いま、トヨタは、恐るべきスピードで、次々と、世界中に工場を建設している。
そして、日本の熟練工を世界中に派遣して、現地の人々に、技術を伝承している。
さらに、最近では、もはや、外国人の熟練工が、外国人の熟練工を育て始めている。
ゆくゆくは、だんだん日本人でなくてはならない必要性が薄れていくだろう。
いまや、トヨタは、急速に日本への依存度を弱めてきているのだ。
そして、これは、トヨタに限ったことではない。
もはや、日本の経済力を支えている企業は、植物ではない。
日本という土地から動くことのできない木や草ではない。
もはや、どこの国へでも行ける、動物になりつつあるのだ。
こういう中で、企業に増税を課せば、次に建てる工場を、どこの国にするか、という経営会議で、どんな意志決定が下されるかは、だいたい想像がつくだろう。
企業に増税したくても、増税できない状況に政府が追い込まれている、というのは、そういうことなのだ。
もちろん、今すぐに、という話ではない。
日本が今まで営々と築き上げてきた産業集積があるからだ。
しかし、その残照が続くのは、もはや、そう長いことではない。
世界中に張り巡らされていくインターネット回線は、発展途上国に、英語圏の産業集積へのアクセスを、ますます容易にしている。
それによって、英語圏の産業集積は、ますます価値を増大させ、日本という言語の壁のなかに閉じこめられた日本の産業集積の力は、相対的に衰退していく。
そして、ますますパワーアップしていく英語圏の産業集積に、より自由にアクセスできるようになった発展途上国の人々と、相対的にますますショボくなっていく日本の産業集積に依存する日本人との落差は縮まっていき、日本人だけ特別のゲタをはかせては、もらえなくなっていく。
確かに、いまの労働環境は、酷い。福祉政策もひどい。改善しなければならないところは山ほどある。
一刻も早く、窮地にいる人々を救うべく、具体的な効果のある政策を打ち出さねばならない。
しかし、一方で、こういう風に、世界が音を立てて変化していくとき、いくら声高に、企業を非難し、
最低賃金を引き上げる法律を作り、同じ賃金のまま労働時間を短くするよう規制を作り、
コストのかかる正社員の数を増やすように要求し、
生活保護手当の支給基準をゆるめ、また、支給金額を増やせと、政府に訴えたところで、
歴史の歯車が逆回転し出すのだろうか?
そんなふうに企業に規制をかければ、日本の経済力を支えている企業は、
新規採用も、新規工場も、新規出店も、極力、日本ではなく、
外国で行うようにするだけだ。
要するに、日本から、どんどん雇用が失われていくだけだ。
企業からの税収も減り、ますます福祉予算が枯渇して、生活保護手当基準が厳しく
なっていくだけだ。
もう、映画は終わったのだ。いつまでも、未練たらしくエンドロールを眺め続けてもしょうがない。
いまはまだ十分すぎるほど暖かいけれども、映画館の暖房は切られ、館内の隅の方ではすでに冷気が忍び寄ってきている。
外には、木枯らしが吹き荒れているが、まだ日は明るい。
完全に日が沈み、凍てつく夜が訪れる前に、今夜の暖をとれるねぐらを見つけにいかなきゃならない。
ぶっちゃけ、いまの生活水準は、幻影なのだ。
一人あたりのモノの割り当てが半分になったら、生活の全てを、半分にしなきゃならないのだ。
もちろん、全てのモノが半分になったわけじゃない。
人間らしい暮らしをする人間の数の増加以上に、急激に供給量が増大しているものもある。
また、人間自身の労働によって生み出されるモノやサービスは、人間の増大に比例して増えていくから、問題はない。
しかし、石油にしろ、レアメタルにしろ、魚にしろ、供給量がさほど増えてないモノは、あまりにも多いのだ。
もっと正確に言うと、
(1)供給が制約されてしまうもの
(2)供給を制約することができるもの
の一人当たりの割り当てが減っているのだ。
このうち、(1)は、石油とかレアメタルみたいなヤツだ。
そして、(2)の「供給を制約することができるもの」とは、ネットワーク外部性や特許やブランドによって、「独占」することのできるものだ。
つまり、ウィンドウズとかワードとかエクセルとかインテルCPUとかイーベイとか、タミフルとか、プロザックとか、ゲノム創薬とかルイヴィトンとかナイキとかだ。
この2つのものの、相対的な価値がどんどん上昇しているので、労働の相対的な価値が、どんどん低下しているのだ。
労働の絶対的な価値は、少しも変わってないのに。
結局、国際貿易は、ババ抜きゲームなのだ。
確かに、貿易することによって、豊かになることはあっても、貧しくなることなんて、原理的にあり得ない。
しかし、いままでずっと貿易によって安価に手に入れることができていたものが、供給が制約されることによって、
安価に手に入れられなくなると、貿易によって豊かになっていた生活は、急速に貧しくなっていく。
そのとき、貧しくならずに、逆に豊かになっていくのは、供給が制約されているモノを手にしている人々だ。
すなわち、石油や、レアメタルや、ウィンドウズや、インテルCPUや、タミフルを牛耳っている人々だ。
何も牛耳れなかった人たちは、ババを引いたのだ。
しかし、だからといって、マイクロソフトやナイキだのの独占企業に就職すれば、
経済的に豊かな人生が保証されるなんてことは無い。
供給が制約される/できるものを牛耳っているのは、その会社の所有者であって、
その会社の社員ではないからだ。
むしろ、ナイキの海外工場では、幼い子供たちが、不衛生な工場の中に閉じこめられ、奴隷のようにでたらめな低賃金で、体をこわすほどの長時間働かされている。
供給が制約されているモノをなにも牛耳っていない普通の人々は、ババを引いてしまったのだ。
僕たちは、そろそろ、自分がババを引いてしまったという現実に、気がつかなきゃならないのだ。
だから、今は、多くのモノを、諦めるべき時なのだ。
もっと生活規模を縮小すべきなのだ。
もっと安い家賃の部屋に引っ越そう。できれば、ショップ99の近所に。
新刊なんか買わずに、ブックオフで十分だ。図書館で十分だ。ネットの無料コンテンツで十分だ。
高価な服やバッグやアクセサリーをほしがる女の子とはさっさと手を切ろう。
海外の安宿を泊まり歩くバックパッキングでも、一食30円の屋台のタコスでも、現地の人たちに混じって、陽気に楽しめる気だてのよい女の子とつきあおう。おしゃれな服なんていらない。穴の開いたジーンズをはいて、薄汚れたリュックサックを背負って、化粧もせずに、ブラブラすればいいじゃないか。
伴侶とも、子供たちとも、貧乏暮らしを楽しもう。
高いレストランで食事をするのもやめだ。
おいしいものを食べたければ、自分たちで、おいしい料理を工夫しよう。
ちょっとした工夫で、驚くほど簡単に、安くておいしいものなんて作れちゃうものなのだ。
子供にも、無理にお金をかける必要はない。
高い塾に行かせたり、家庭教師をつけるより、自分で教えよう。子供と一緒に勉強しよう。
サービス残業までして、無理して会社に貢献しても、いつまでも正社員でいられる保証なんてない。
正社員という既得権益の賞味期限は、もう切れかけていることに、気がつかなきゃならない。
ましてや、このまま順調に昇進し続けると思いこむなんて、いつか白馬にまたがった王子様と結ばれることを夢見る少女のようなメンタリティだ。
もう映画は終わって、エンドロールが流れているんだよ。
それよりも、まだぬくもりの残っているうちに、お金とスキルをためよう。
会社の都合で、たくさんのプロジェクトを押しつけられて、疲弊するのはばからしい。
うまく立ち回って、つまらないプロジェクトからは、逃げ回り、スジのいい一つのプロジェクトだけに専念しよう。
そこでじっくりと納得のいくまでいい仕事をし、自分のスキルを磨き上げ、顧客やエンドユーザの喜ぶ顔を見よう。
それが、明日へつながる。
その会社じゃなくっても、どこでも生きていけるすべを育て上げるのだ。
もはや会社なんて、自分のスキルを獲得し、自分のブランドを構築するためのツールでしかない。
会社に貢献して出世する、という人生モデルは、とっくに終焉しているのだ。
そうしてスキルと人脈をためると同時に、500万円もらって200万円貯金する暮らしを3年続ければ、
貯金も600万円になる。
そうすると、会社との交渉で、優位に立てるのだ。
自分のやりたいプロジェクトを堂々と要求し、スキルのたまらない、くらだないプロジェクトは、
きっぱりと断ることができる。
どうしても、会社がそれを押しつけてくるのなら、さっさと会社を辞めてしまおう。
どうせ、その会社内での地位なんて、そんなに長続きするものじゃない。
そして、いまの自分に最適のポジションを提供してくれる会社をじっくり時間をかけてリサーチし、
自分を上手に売り込むプレゼンテーション資料を、じっくりと時間をかけて作り上げ、
効果的に自分を売り込み、おいしい仕事をゲットしよう。
自分をマーケティングしよう。
何しろ、二年は遊んで暮らせるだけの貯金があるのだ。
交渉の際、足下をみられる心配はない。
十分な余裕を持って、上手に立ち回ることができるはずだ。
要するに、こういう社会状況において、桁違いに有能だというわけでもない一般人がとるべきもっとも効果的な戦略とは、まだ日本の過去の遺産が残っているうちに、その遺産を使ってスキルとお金を貯金し、そのスキルとお金でもって余裕と自由と未来を買う戦略なのだ。
余裕と自由こそが、お金で買える、もっとも価値あるものなのだから。
日本の過去の遺産の残照がいつまでも続くという幻想にとらわれたまま、
年収500万円を受け取って、年収500万円の暮らしをしたり、
いつまでも正社員の地位にしがみつくために、無理な仕事を引き受けて、
会社に媚び売って、疲弊するのは、あまり賢い生き方ではない。
それは、いつ突然、ワーキングプアに転落するかも知れない、極めてリスキーな生き方なのだ。
将棋のこと
医師の診療報酬の話題
たくさん出せば儲かるというのは間違いだ。
クリスマス・イブ
外側を生きている季節
世界中どこでも生きていける戦略
日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介
あなたは、日本依存症にかかっていませんか?
日本依存症とは、日本でしか仕事を得られず、
日本でしか生活ができなくなる、危険な病気です。
日本依存症は、国家依存症の一種であり、会社依存症とよく似ています。
会社依存症の恐ろしさとその回避策
会社依存症とは、ある特定の会社でしか通用しないスキルばかり蓄積して、他の会社では通用しない人材になってしまう病気です。
会社依存症にかかると、その会社の経営が悪化して、どんどん待遇が悪くなり、給料を下げられ、「このままここにいても、少しもいいことがないまま年を取っていくだけ」という状況になっても、ひたすらその会社にしがみつくしかなくなります。
また、会社の都合で延々とつまらない仕事をさせられたり、いまいち納得のいかない降格や減給をされても、なかなか拒否しにくくなります。
上司や同僚と相性が合わず、人間関係がこじれてギスギスした雰囲気になり、毎日会社へ行くのが憂鬱になっても、そこに居続けるしかありません。
なぜなら、その会社を辞めると、ほかに行くところがなくなり、路頭に迷ってしまうからです。
このため、このことがよく分かっているエンジニアなどは、その会社の独自製品や独自環境でしか通用しないスキルしかたまらないような仕事をできるだけ避けるようにします。
そして、「広く普及しており、かつ中長期的に需要があり、供給が不足ぎみで、かつ陳腐化しにくいスキル」を戦略的に蓄積します。
たとえば、以下のようなものが考えられます。
●要求分析、要求仕様定義、システムアーキテクチャ設計、RDBスキーマ設計、サーバの負荷分散設計、各種サーバのパフォーマンス解析・チューニング、デザインパターン、マルチスレッドプログラミング、システム管理、ネットワーク管理
●マネージメント、プロデューサ・デザイナ・経営者・営業・顧客との交渉スキルや連係プレースキル
●普遍性の高いコンピュータサイエンスの基礎
●Unix、RDB、正規表現、Java、Perl、TCP/IP、.NET、C#
日本にはたくさんの会社があり、それぞれが浮き沈みを繰り返しています。
いまいる会社が今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの会社に依存しきると、その会社が沈むとき自分まで一緒に沈んでしまい、酷い目に会います。
いまいる会社が沈みそうになったら早めに別の会社へ移れるように準備しておくべきではないでしょうか。
国家に依存する危険性
国家に対しても同じことが言えます。
政府は全ての国民を幸せにするような政策を実行するべきですが、必ずそれに成功するとは限りません。
ときに間違った政策を行い、多くの犠牲者を出すこともあります。しかも、その犠牲者を救済するための政策が実行されないこともあります。
もっと最悪なことに、間違った政策で、国全体が沈んでしまうようなことすらあります。
もちろん、そうならないように、われわれは選挙で正しい政策を実行してくれる政治家に投票すべきですが、常に正しい政策を実行してくれる政治家が自分の選挙区から立候補してくれるとは限らず、自分以外の人々が常に正しい政策を実行してくれる政治家に投票してくれるとも限らないというのが、世の中の現実です。
だから、どんなに自分が正しい政治行動を取っていても、おかしな政策が実行され、自分の将来が危うくなるリスクは常に存在します。
たとえば、金持ちばかりが得をし、平均的な労働者が搾取される最悪の格差社会になってしまうかもしれません。
あるいは逆に、今後スキルアップし、キャリアアップし、実力を身につけて高い年収をゲットしようと思っているのに、高額所得者の所得税が大増税されて、酷い搾取に苦しむようになるかも知れません。
あるいは、少子化対策で、実質的に独身税をかけられたのと同じような状態になり、結婚するつもりも子供を作るつもりもない人たちの生活の質がかなり落ちるかも知れません。
あるいは、国の医療システムが疲弊しまくって、まともな医療サービスを受けられなくなるかも知れません。あるいは、まともな治療を受けようとしたら、恐ろしく高い料金を徴収されるようになってしまうかもしれません。
あるいは、地方格差を埋めるため、都市部の住民を徹底的に搾取し、地方にじゃんじゃんばらまくような政治が行われるかもしれません。そうすると、田舎に住む人間の暮らしはよくなるかもしれませんが、今後も都市に住み続けるつもりの人間の暮らしの質が大きく低下するかも知れません。
あるいは、非正規雇用を減らし正社員を増やすという名目で、おかしな規制がかけられ、予期せぬ副作用が出て逆に多くの人が職を失うことになるかも知れません。余波で、自分まで失職するかもしれません。残された正社員の自分に酷いしわ寄せが来るかも知れません。
労働者保護や消費者保護という名目で、過剰に企業の手足を縛るような規制がかけられて、企業の活動が阻害されて経済が悪化したり、企業がどんどん日本から逃げ出すかも知れません。雇用が減り、治安が悪化し、日本が住みにくい国になるかも知れません。
要するに、投資において、全ての資産を一点がけするのが危険な投資戦略であるように、自分の生活基盤となる国家を一カ所だけに限定してしまうのも、極めて危険な賭なのです。
今までは日本が世界一豊かな国だったので、
この国にずっと住み続けるのが一番賢い戦略でした。
しかし状況は変わりました。
いまや日本よりも豊かな国や都市がどんどん生まれつつあります。
日本などよりも、はるかに先行きの明るい国や都市がたくさんあります。
本来、この惑星には、たくさんの国家があり、それぞれ浮き沈みを繰り返しています。
いまいる国家が、今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの国家に依存しすぎると、その国家が沈んでいくとき、酷い目に会います。
いまいる国家が沈みそうになったら、早めに別の国家に移れるように、準備しておくべきではないでしょうか。*1
国家依存症と愛国心は別の話
こういうことを言うと、「おまえに愛国心はないのか?」と言い出す人間が時々いますが、依存症と愛国心とは別の話です。
これは、結婚において、夫を愛していることと、夫に依存することが異なるのと同じことです。
経済的にも精神的にも自立していることと、夫を愛することは両立します。
夫婦仲は冷め切っていて、夫の暴力に怯えながら暮らしているにもかかわらず、夫に経済的に依存しているためにガマンし続けているような状態は、とても健全だとは言えません。
むしろ、特定の国にまったく依存していないにもかかわらず、その国を愛し、その国に貢献することこそ、純粋に打算抜きの愛国的な行為なのではないでしょうか。
そもそも、「いろんな異性とつきあってみて、そのなかから最高のパートナーを見つけ出して結婚する」というのは、少しもおかしなことではありません。
「1人の異性しか知らず、最初につきあった異性と一生添い遂げなければならない」というのはいかにも古めかしい道徳観念です。これは国家についても同じことです。たまたま日本に生まれたからと言って、日本と一生添い遂げなければならないということはありません。
むしろ、さまざまな国に住んでみて、そのなかから、自分にいちばんあった国に落ち着き、添い遂げる、という人生も十分にありなのではないでしょうか。
日本以外にも快適に暮らせる国や都市はたくさんある
日本以外で暮らしたことのない人々の中には、日本だけが世界で唯一暮らしやすい場所で、日本以外には暮らしやすい場所などないと信じて疑わない人もときどきいるようですが、そんなことは決してありません。
むしろ、日本よりもはるかに、晴天の日が多く、気候が温暖で、からっとさわやかで、毎日気持ちよく暮らせる国や地域がたくさんあります。
食べ物も美味しく、人々も気持ちよく、街の各種施設も充実しており、遊び場所もたくさんある快適な都市は世界中にたくさんあります。
どんなところでも、けっこう住めば都なのです。
また、日本以外の国は治安が悪くて暮らしにくいという偏見を持っている人もいますが、どんな国でも、きちんとした安全対策を講じ、危険な地域に近寄らないようにすれば、それなりに安全に快適にくらせるものです。
それに、どうせネット環境さえあれば、世界中どこでも、twitterやtumblrやmixiで遊べるし、ブログのコメント欄でクネクネすることもできるし、2ちゃんでだらだら過ごすことも出来るし、エロ画像をダウンロードすることもできるし、はてブで脊髄反射的なコメントを付けることもできるし、はてなスターを連打しまくって顰蹙をかうこともできるのです。
「わたしは(この国に生まれたというより)この惑星に生まれたのだ」という感覚を持ちながら生きるというのは、広々とした感じがして、なかなか気持ちの良いものです。
せっかくこの美しい惑星に生まれたのに、日本という小さな小さな島国に引きこもったまま一生を終えるのは、じつにもったいないことではないかと思えてきます。
依存症からの脱出は難しい
ギャンブル依存症、アルコール依存症、買い物依存症、恋愛依存症、セックス依存症、たいていの○○依存症は、そこから抜け出すのに苦労するように、日本依存症も、一度それにかかると、そこから抜け出すのにかなり苦労します。
簡単に日本依存症を抜け出す方法などありません。
また、タバコ依存症から抜け出すために、さまざまな方法があるように、日本依存症から抜け出すにも、さまざまな方法があります。
資産運用、または、プチ資産運用による脱日本依存
日本依存症から抜け出す一番効果的な方法は、実は、英語力をアップすることではなく、日本の外でも安定した収入源を得られるようにすることです。(もちろん、最低限の英語力は必要ですが)
特定の国家に依存しない収入源を確保するわけです。
これに一番効果的なのが、資産運用で暮らせるようにすることです。
利回りのよい債権や株式に自分の資産を分散投資し、運用することは、どこの国に居住していてもできます。
日本の国債や株式で資産を運用していたとしても、日本に住んでいなければ運用できないということはありません。世界中どこに住んでいても、日本の国債や株式で資産運用することは可能です。
それどころか、そもそも、日本の国債や日本の株式で資産を運用しなければならないということはありません。
むしろ、全資産を円ベースに一点がけしてしまうと、今後円安が進んだときに、自分の資産が大きく目減りしてしまうというリスクを抱え込むことになります。
資産は、全世界に分散投資しておいた方が安全だし、世界全体の経済は、多少の波はあるものの、中長期的にはつねに成長し続けているので、正しくポートフォリオを組んで、世界中に分散投資しておけば、それほどひどいことにはなりません。
だから、いったん資産運用で暮らせるだけの資産を蓄積してしまえば、日本依存症からの脱却はかなり容易になります。
ここで、「日本がキャピタルゲイン課税の大増税を行ったら、資産運用では暮らしていけなくなるのではないか?」という疑問がわく人もいるでしょうが、そうでもありません。
まず、税金の徴収には、属人主義と属地主義の二つの方式があります。
属人主義とは、その人間の国籍のある国に税金を納めること。
属地主義とは、その人間が居住している国に税金を納めること。
日本は属地主義なので、自分が居住している国や地域に税金を納めることになっています。
このため、日本でキャピタルゲイン課税の大増税が行われたとしても、海外で暮らしている限り、影響を被ることはありません。*2
現在、属人主義を採用しているのは、アメリカとフィリピンぐらいなもので、極めて例外的なケースです。
ですから、今後日本が属人主義に変更するリスクは、とても低いと思われます。
また、万一、日本が属人主義に切り換えたとしても、ある程度の資産を持つ人間に国籍を与えてくれる国は、けっこうあります。
日本が属人主義に切り換え、さらにきわめて重いキャピタルゲイン課税をかけてきたら、単に国籍を切り換えればいいことです。
ただ、問題は、資産運用で暮らせるようになるほどの資産を蓄積することが難しい、ということです。
そのため、当面は、収入の全てを資産運用だけで稼ぎ出すのではなく、収入の一部だけでも資産運用で稼ぎ出すような状態を目指してみてはどうでしょうか。
資産運用というより、プチ資産運用です。
そうすると、日本がヤバくなったので、脱出して海外で職を得たのはいいが、最初のうちはまだ英語にも不慣れで、十分な収入を得られないというようなケースでも対応できます。
世界標準のITスキルによる脱日本依存
たとえば、前述のUnix、Web、RDB、Java、Perl、.NET、C#など、世界中に普及している技術の場合、そのスキルを身につけることで、日本依存から抜け出すことができます。
また、これらに関連する要求仕様定義、オブジェクト設計技術、デザインパターンを適切に使いこなしたクラス設計、プロジェクトマネージメント、スケジュール管理なども、特定の国家に依存しないスキルです。
これらのスキルを身につけたITエンジニアは、さまざまな国で職を得ることが出来ます。
実際、ボクの知り合いでも海外で働いているプログラマーがいます。
むしろ、日本よりも快適に働いているようです。
もちろん、これらの技術は、会社依存症から脱却するための技術としても有効で、きわめて安全性の高い技術だと言えます。
これらの標準的なITスキルは、このように、会社や国家を超越して有効ですが、それ以上に驚きなのは、かなりの長い時間をも超越する力を持っているということです。
たとえば、unixの基本アーキテクチャはボクが知っているだけでも十数年、ほとんど変わってません。マルチスレッドプログラミングやデザインパターンも十数年前に身につけたスキルは、かなりの部分、いまでもそのまま役に立ちます。はるか昔に覚えた、クロージャや再帰を使ったさまざまなプログラミングテクニックも、RDBのスキーマ設計のスキルも、ほとんどが、いまだに現役です。
TCP、UDP、IP、HTTP、SMTP、POPなどのプロトコル類もいまだに基本はほとんど変わりません。新しく登場した.NETやC#にしても、過去にマスターしたスキルにほんのちょっと上積みしたぐらいのわずかな薄皮でしかなく、いままで蓄積した基本スキルはそのまま通用します。Haskellのような関数型言語ですら、似たようなコンセプトのプログラミングアーキテクチャは昔からあり、十数年前にマスターした技術の延長線上でなんなくマスターできます。
このように、長期的に安定した技術やスキルを選んで身につけるようにすれば、会社、国家、時間を超えて、安定した収入源を確保できるのです。
ただ、注意しなければならないのは人材の需給バランスです。とくに、インドや旧共産圏からのプログラマの大量供給は要注意です。
一方で、ヨーロッパ、BRICs、VISTAなど、世界中で急速に経済が発達しており、ITエンジニアの需要が今後も全世界的に巨大化し続けるのは確実です。
ここでのポイントは、下級エンジニアや中級エンジニアは、需要はそれほど拡大しそうにないのに、供給は膨大になると思われるので、リスクが大きいということです。
つまり、下級エンジニアや中級エンジニアの場合、海外に行くと、日本にいたとき以上に悲惨になる可能性があります。安易に日本から出て行くべきではないでしょう。
一方で、上級エンジニアは技術分野にもよりますが、今後、世界中で爆発的に需要が拡大することが見込まれていますが、供給が不足する可能性は十分に考えられます。
従って、自分が今後上級エンジニアになる可能性があると考えている人たちは、この戦略に沿って日本依存症から脱却しておいたほうが良い可能性が高いです。
あと、もう一つ考慮すべき点は、上級エンジニアになるような人は生産性が高いため、今後、高額所得者になる可能性があるということです。
現在日本では、格差是正の機運が大きく盛り上がっています。
今後、この機運の盛り上がりに押されて、高額所得者を狙い打ちする形で大増税が行われ、酷い搾取の対象にされるリスクもあります。
このリスクに対する保険という意味でも、早めに日本依存症を治療し、いつでも仕事と生活の場を海外に移せるようにしておいた方が安全かもしれません。
スモールビジネスによる脱日本依存
日本人が海外で暮らしてみると、さまざまな小さなニッチビジネスのチャンスに気がつくことがあります。
たとえば、日本にはあって当たり前なのに、その国にはない商品やサービス。
それは、日本のやり方を現地方式にアレンジすれば、それなりに繁盛する商売ができるかもしれません。
あるいは逆に、その国のおもしろい商品やサービスで、アレンジすれば日本でもウケそうなもの。
もしくは、現地の安い人件費を利用して、何かを作らせ、日本に持ち込むというパターンもあるでしょう。
実際、ネパールに小さな工場をもっていて、そこで自分のデザインした服を作らせ、日本に輸入して販売しているという女性に会ったことがあります。
こういうビジネスのネタをみつけたとき、スモールビジネスを興すスキルを持っていると、そのチャンスを活かして、その国で商売をはじめることができたりします。
とくに、最近急速に豊かになったアジアの国々では、日本がかなりブランドになっています。
とくに富裕層は、日本のさまざまな質の高い品々やサービスを求め、日本の産物に信仰のようなものを抱いています。
これをうまく利用することで、いろいろなニッチビジネスを作り出すことができるかもしれません。
スモールビジネスのスキルとは、小さな会社向けのマーケティング、マネージメント、経理などのスキルです。
たとえば、どんな小さなビジネスでも、どんな商品を、どんな顧客に売るのか、そのために、商品にはどのような魅力がなければならないのか、顧客は、どういう理由でその商品にお金を払うのか、どのようにして利益が出る構造になっているのか、などのビジネスモデルを組み立てなければなりません。
そして、いざ、ビジネスプランが出来たら、場合によっては人を雇い、契約を結び、信頼関係を作り上げ、法律に則って取引しなければなりません。関係者全員が気分良く仕事できるように、win-winの構造を作り出す必要があります。
また、さまざまな法律を調べ、その法律に則ってビジネスを運営する必要があります。
さらに、会社を設立し、会計ソフトで帳簿を付け、経理と資金の管理をする必要があります。
また、予算計画を立て、融資なり出資なりで資金を調達する必要もあります。
こういう小さなビジネスを最小限の規模ではじめてみて、いざ、顧客の反応が上々だったら、しだいに規模を拡大していけばいいのです。
思ったより反応が悪ければ、早期に撤退するか、あるいは、やり方を変えて再度トライしてみたりすればいいでしょう。
そして、スモールビジネスの醍醐味は、たまたま大ヒットしたときのうまみです。
日本のサラリーマンの頂点とも言える、上場企業の社長の年収でも、たかだか4000万円にしかなりません。
これに比べ、スモールビジネスをヒットさせた場合、実質的に年収1億円を優に越えてしまうということは、それほど珍しくないのです。
実際、ぼくの知り合いにもそういう人がいます。
「たかが自営業」とばかにできるようなもんでもないのです。
自営業は、あたると凄いんです。
共通して必要な日本脱出アイテム
どのようなモデルで日本依存を脱却するのであれ、共通して必要なアイテムがあります。
それは、英語と資金です。
英語は当然として、なぜ資金が必要かというと、
海外で安定した収入源を確保するまでには、どうしても少しタイムラグが出るので、その間貯金を食いつぶしながら、生活する必要があるからです。また、引っ越し資金や、あちらで家具を買いそろえるお金も必要でしょう。
また、スモールビジネスを立ち上げるのなら、そのための自己資本も必要です。
このため、日本依存から脱却するためにも、日頃から英語力を磨き、しっかり貯金してお金を貯めておく必要があるのです。
おわりに
とりあえず、資産運用、ITスキル、スモールビジネスの3つを紹介させていただきましたが、これら以外にも、日本依存から抜け出すための方法は、まだまだいろいろあるでしょう。方法は自由です。
また、この記事では、おもにリスク回避という点から国家依存症から脱却する方法をいろいろ検討しましたが、そんなことよりも、たった1回しかない人生ですし、この小さな島国に引きこもったまま一生を終えてしまうのは、あまりにももったいないと思いませんか?
そろそろこの島ばかりに引きこもるのをやめて、この青く美しい地球という惑星を縦横無尽に味わい尽くしてみてはいかがでしょうか。
*1:もちろん、この銀河にはたくさんの惑星があり、それぞれ生成消滅を繰り返しています。いまいる惑星がヤバくなったら、別の惑星に居住できるように、準備しておくべきではありますが、それは、われわれの子孫に託すとしましょう。
*2:ハリーポッターの翻訳者が、スイスに居住していたのに、日本の税務署から税金を徴収されたのは、単に脱税目的の偽装だったからです。実際には、日本に会社を持ち、その会社経由で仕事をうけ、また、しょっちゅう日本にも来ていて、仕事の実態がほとんど日本であったのにもかかわらず、スイスに居住しているという事実を作り上げ、スイスの安い税金で済ませようとしたのが問題だったわけです。あれが、本当にスイスで会社を作り、スイスで仕事をしている日本人が、翻訳の仕事を受注し、かつ、一年のほとんどをスイスで暮らしていたなら、日本から税金を徴収されることもなかったでしょう。
ホリエモン以上に詐欺的なベンチャーの内情
ホリエモン以上に詐欺的なベンチャーの内情
注意!:以下の文章は、全くの創作であり、フィクションです。
実際の人物・団体等とは、一切関係がありません。
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ぼくは、堀江さんとはあまり面識がない。ただ、仕事で会って、実務的な打ち合わせをしたことぐらいはある。だから、ぼくの名刺ボックスには、堀江さんの名刺が入っている。ライブドアの別の取締役の名刺も。なんか意味もなく怖いから、シュレッダーにかけたいというような非合理な気分になる。(← たかだか、名刺もってるだけで捕まったりしないって(笑)) でも、そう考えてしまう自分は、裏切り者的で、なんかやだ。彼がやったことが正しいと思ってるわけじゃない。彼を庇うつもりも擁護する気もまったくない。思う存分司法の場で裁いてくれ。ただ、ちょっと風向きが変わっただけで、手のひらを返すようなヤツって、サイテーだとおもうのだ。実際、彼はすごく頭の切れる人物だ。実際に具体的なビジネス案件を彼と討議してみると実感できる。性格は悪いけど。はっきりいって、ムカツクやつだし、個人的には嫌いだけど。外部の人間の目の前で、部下をコテンパンにこき下ろすようなヤツなんだ。
こんなことやればすぐに捕まるということすら分からないのはバカだからだ、とおもう人もいるだろう。まあ、ぼくもそう思わないでもない。読みきれてないとしか見えない。でも、だからといって、彼の頭が切れないと決めるけるのは愚かだ。彼をバカよばわりする人のほとんどは、彼よりずっと頭の回転が鈍い。状況認識能力も、判断能力もはるかに低い。ただ、彼ほど勇気がなく、彼ほど有能でなく、彼ほどクリエイティブでなく、彼ほどチャレンジングじゃないから、結果として、そもそも捕まるようなことをしでかす能力がない。つまり、ほとんどの人は、彼のような悪巧みをする能力があるのにもかかわらず、その気高い道徳心からしないのではなく、単に、その能力がまるでないから、それをしようという気すら起こらないだけだろう。
これは、何千万円もの借金を抱えている人を、貧乏人といって嘲笑うのに似ている。その人は、何千万円もの借金ができるほどの社会的信用力があったのだ。ほんとうの貧乏人は、信用がないから、そんな何千万円も貸してくれる人はいないって。あなた、銀行に行って、お金を貸してくれるように頼んでみなよ。あなたという人間の価値が何円になるか、銀行が査定してくれるから。たいていは、落ち込むほど安く見積もられるから。
また、堀江さんのことを、詐欺師だの錬金術師だのといって悪者と決めつけている人がいるが、そういう人は自分は彼よりもずっと善良だと思っているのだろうか。もちろん、彼は詐欺師だし、悪だ。ただ、「彼と同じ能力をもち、彼と同じ環境におかれて、まったく詐欺的にも悪にもならないという人間はかなり少ない」ということは、ほとんどの人が想像すらできないだろう。
堀江さんだって、善になりたかったさ。詐欺なんかしないで、正々堂々と人々に喜ばれるサービスをつくって、それでまっとうにビジネスをして成功したかったんだ。むしろ、普通の人以上に、はるかに理想に燃え、夢を語っていた。なんでそんなことが分かるのかって?
ぼくのケータイには、六本木ヒルズにあるいくつかのITベンチャー会社の経営陣の電話番号が入っている。ぼくが、ヒルズで彼ら経営患部^H^H幹部と行った議論時間の合計は、1000時間は優に超える。
六本木ヒルズを中心とした、日本のITベンチャー経営層は、とても狭い村だ。経営幹部のほとんどが、個人的つきあいで結ばれている。だれかが何かをすれば、女子校での噂話よりも速く広がる。毎週経営会議で各アジェンダを議論するとき、他の会社の事例がしょちゅう引き合いに出される。それは、MBAの教科書にのっているような、殺菌消毒されたケーススタディーを、スーパーで、きれいに洗われ、形を揃えられ、蛍光灯に下に陳列された野菜だとするなら、畑の中からいままさに掘り起こしたばかりの、泥つき、虫つきの、形の不揃いな野菜だ。とてもじゃないが、そのままでは外には出せないような生々しいものばかりだ。
なぜ、泥つき野菜ばかりが、経営的意思決定の際に参考にされるのか? いくつか理由がある。まず、第一に、 MBAの教科書にのっているようなビジネスモデルや経営手法のうち、参考になるものはもちろん多いのだが、参考になり方が、本質的な部分でしかないからだ。本質的な部分で参考になるなら、それで十分じゃないか、と思われるだろうが、実際には、本質的な部分で同じビジネスモデルが、具体的なディテールの部分で勝敗を分けてしまうのだ。MBA的な意味での本質は、はずしちゃいけないけど、だからといって、それで条件が満たされるというものでもないのだ。
なぜか?
ソフトウェアシステムと同じで、ビジネスモデルもカオス的性質があり、ディテールの部分に神が宿る。具体的なディテールの部分が参考にならない事例は、事例そのものが参考にならないことが多い。だから、よく、アメリカでMBAをとってきた自信満々の新人が、MBAで習った事例を用いて、ベンチャーの経営陣にビジネス提案をして、コテンパンにけなしまくられて、社長はビジネスの本質が分かっていない、と言って辞めたりすることがよくある。
もう一つの理由は、たぶん、あなたのご想像どおり、MBAの教科書にでてくるケーススタディーが、きれいごとだからだ。世の中のほとんどの人は、「価値あるサービスを消費者に提供できた企業が成功する」と思っているだろう。また、ベンチャーが成功するのは、「革新的なサービスを消費者に提供できたからだ」と思っているだろう。これは、完全に間違っているわけではないが、正しくもない。少なくとも、そういうナイーブ(世間知らず)な考えで起業すれば、ほぼ間違いなくスッカラカンになる。
現実には、「価値あるサービスを消費者に提供できた企業成功する」のではなく、「価値あるサービスを消費者に提供するビジネスを「独占」した企業が成功する」のだ。もっというと、「市場を独占支配することで、消費者から強制的にお金を徴収する構造をつくった企業」が成功する。
そして、恐ろしいことは、これは、一部のあくどい企業の話じゃなく、ほぼすべての企業がそうであるということだ。六本木ヒルズの価値観を、一般化するなって? あのね、六本木ヒルズのITベンチャーは、ITだけでビジネスが成立するわけじゃないんだよ。オールドエコノミーの企業との、取引、アライアンス、共同ビジネスもとても多い。だから、旧産業の人たちが、どのようなスタイルでビジネスをしているか、身に沁みてよーく分かっている。実際に彼らと仕事をしている人ならみな知っているが、オールドエコノミーの方々のビジネスのやり方の方が、むしろ醜悪なことも多い。
もちろん、醜悪でない、基本的には善良な経営者もそれなりにいる。でも、善良な経営者って、独占や寡占の上にあぐらをかいているケースがとても多い。あるいは、小さなニッチなので、他の企業がそのニッチ市場にわざわざ乗り込みたいという動機が弱く、比較的無風地帯のニッチ市場でビジネスしている中小企業もよくあるパターンだ。彼らは、とくにお金に困っていず、脅かされてもいない。だから、がつがつしないだけだ。しかも、表面的に善良に見えるから、善良とはかぎらない。みんなに人格者と思われているオールドエコノミーの大企業の取締役が、カジュアルな席で、いかに自分たちがそれを独占するかって、そいういう話をするのを何度も聞いた。
もちろん、基本的には、善良でないと、ビジネスはうまくいかない。しかし、善良にやると、やはり上手くいかないのだ。ビジネスをやっていると、いつもその矛盾に悩み続ける。なぜ、善良でないとビジネスが上手くいかないかというと、あくどいことするヤツだと思われると、取引相手が警戒して、腹の探り合いばかりになり、交渉にコストがかかりすぎるからだ。いつ裏切るか分からないやつとビジネスしたい人なんてまずいない。いつ警察に捕まるか分からないやつと関わり合いになりたい経営者なんて、まずいない。だから、どの経営者も、それはそれは真剣に法令を遵守しようとするし、経営会議では、いつも、「それは仁義に反する。」「それはビジネスモラルに反する」という台詞が頻繁に出される。むしろ、一般人の何倍も、法律にも道徳にも気を使う。それは、ヒルズのITベンチャーだけでなく、オールドエコノミーでもどこでも同じだ。
一方で、いくらすばらしいアイデアを出そうが、革新的なサービスを開発しようが、それはすぐにまねされ、コピーされてしまうという現実がある。他社にまねできないような革新的なサービスを開発すればいい、というのはきれいごとだ。人々にとって価値あるサービスは、たいていはマネできる。他社にマネできない技術やノウハウというが、実際には、そんなものはめったにない。あったとしても、それは宝くじ的なものであり、宝くじにあたることを前提としてビジネスモデルを組み立てるほど愚かなことはない。
それだけでない。後発の、より資金力や集客力のある企業が、同じサービスをはじめれば、資金力のないベンチャーなんて、あっと言う間に破れ去る。
こんなことを言うと、マイクロソフトもgoogleも昔はベンチャーだった。だから、ベンチャーが成功できない、というのは、いい訳にすぎない、という人がいる。また、実際に、新興市場にたくさんベンチャーが上場しているじゃないか、という人がいる。しかし、どちらのロジックも完全にインチキだ。
マイクロソフトもGoogleも、本質的には、ある特定の市場を独占もしくは寡占しているから、儲かっているにすぎない。そして、彼らが既存の巨大プレーヤーのすきをついて独占を行った手口は、いまとなっては広くあまねく知れ渡っており、だれしもが、できるならその手口をまねしようと隙をうかがっているし、また、既存の巨大プレーヤーも、その手口で新たに独占させないように、警戒している。みんな次のMS、Yahoo、Googleになりたいし、次のMS、Yahoo、Googleにならせまいとしているのだ。ある人は、それを、「マイクロソフトは誰だゲーム」だよね、と言っていた。そんな警戒されまくった状況で、だれがMS的な独占をできるというのだろう?
そして、新興市場のベンチャーは、その財務諸表やIR資料をきちんと分析・理解すれば、その時価総額の数十分の1の価値もない企業がほとんどであることが分かる。ただ、ヒルズIT村の外部の人間は、だれもそれをやる情報とスキルをもたないというだけの話だ。それは、ヒルズのIT村の公然の秘密だ。
今回のライブドアショックで、リバ狙いの勝ち組個人投資家のインタビューが笑えた。ある個人投資家は、「みんな、価格だけを見て買っているから、下がり出すとどこまで下がるか分からなくなって、怖くなってパニック売りしちゃうんだよ。ぼくは、企業の価値を見ているからね、その価値以上に下がった株があると、安いと思って買うのさ。」そして、紹介された新興市場の銘柄を見て、オイラは、椅子からずり落ちそうになった。いんちきプレスリリースをだしまくって、株価をつり上げまくっている、実質的にはライブドアと五十歩百歩の企業の銘柄だったからだ。実名を出すのは、問題がありすぎるので、出せないけど。
しかし、ほんとに一部の例外をのぞき、ほとんどすべてのITベンチャーがインチキプレスリリースをだしまくって、株価をデタラメに水膨れさせてるのに、なぜ、警察に捕まらないのか?
それは、それがインチキであることを証明できないような、プレスの打ち方をしているからだ。たとえば、○○○という電子決済プラットフォームが、いま、まさに急速に普及しつつあり、世間の注目を集めていたとする。そして、そのベンチャーが、そのプラットフォーム上で、画期的な新技術を開発し、画期的な新サービスを開始しました、というようなプレスリリースが打たれる。しかし、その技術やサービスは画期的かもしれないが、その基盤となるプラットフォームが世間の注目を集めている段階では、まだ、普及しはじめの時期であり、最初のうちは、スケールメリットがきかず、赤字垂れ流しが続く。そして、そのプラットフォームが十分に普及し、やっとこさ単黒か、というころには、そのコピー商品があふれていて、値崩れしている。それどころか、政治力と資金力を兼ね備えた大手が参入してきて、資金力にものを言わせて、テレビCMをうち、Yahooとアライアンスし、とにかく、大艦隊で攻めてくる。で、結局、最初のベンチャーがだしたサービスは、いつのまにかひっそりと開店休業状態になっており、減損会計で、目減りしたソフトウェア資産として、財務諸表からも靜かに消えていく。
なんで特許をとらないのかって? 画期的なアイデアと、画期的な技術に基づく、画期的なサービスなら、特許にならないはずはないだろうって? それが幻想なんだよね。アイデアのすばらしさと、特許になりやすさは、まったく関係がないんだ。
まず、ほんと知らない人が多くって困っちゃうのだが、「アイデア自体は特許にならない」んですよ。特許になるのは、そのアイデアを実現する装置の「実装方式」だけなんですよ。そして、画期的なアイデアというのは、たいていは、それを実現する複数の実装方式があるものなんだ。だから、ライバル企業が、アイデアだけぱくって、別の実装方式で実装すれば、まったく問題にならない。いくらでもパクれる。じゃあ、そのアイデアを実現する実装方式をすべて特許にとればいいだろうって? 実際には、それはほとんど無理なことが多い。実装方式なんて、たいていの場合、無数にあるし、それに、どんなものでも特許になるというものではない。新規性がないと、特許にはならない。そして、アイデアやサービス自体は、ユーザ的に、あるいはビジネス的に画期的で新規性があっても、その実装方式は、ごく普通のソフトウェア構造の組み合わせでしかなく、単なる組み合わせは、特許にはならない。
しかも、これらすべてをクリアして、特許をとったとしても、ライバル企業がその特許に抵触していることを証明できないければ、そんな特許はないのと同じだ。特許というものは、そもそも、実装方式についてのものだが、実装方式は、のうち、特許にとれそうな部分が目に見えるとはかぎらない。ライバル企業が、その特許に抵触していても、それが目に見えない部分であれば、それを裁判で証明するのは、とてつもなく困難だ。まだ、特許に抵触しているかどうかも分からないうちに、強制捜査に入れるわけでもなんでもない。特許というのは、特許をもっている側が、相手が特許を違反していることを証明しない限り、まったく効力をもたない。
さらにやっかいなのは、上記すべてをクリアして、最高の特許をとったつもりでも、それでもまだだめなんだ。どんなすばらしい特許であっても、たいていの特許は、金さえ出せば、つぶせる。ぼくは、その現場に立ち会った人間から直接話を聞いたことがある。ある大企業が、新サービスを立ち上げることになった。そのサービスは、すでに特許がとられまくっていた。そこで、世界中からその技術に詳しい弁護士、学者、エキスパートを札びらで頬をひっぱたいてつれてきて、何億円もの金を使って、世界中研究室という研究室にメールを書きまくって、電話をかけまくって、どっかのすごーくマイナーな論文のかたすみにでも、そのその特許と類似した技術・仕組みに関する記述が、その特許以前に公表されてないか、探させた。それが見つかれば、その特許を無効化できるからだ。なぜなら、すでに公知となっている情報では特許はとれないからだ。そうして、すべての特許がつぶされた。
もちろん、決定的な特許がとれることはある。あるビジネス的な価値のある商品を、ある特定の実装方式でしかつくることができないような場合で、その実装方式自体に新規性がある場合で、しかも、それが、目に見える部分の場合で、かつ、世界中のどんな論文のどんな隅っこにも、一切それがかかれていない場合だ。でも、画期的なアイデアを思いつくこと自体が、それほど多くないのに、その思いついたアイデアの実装方式が、たまたまそのような特許をとりやすい構造であることなど、宝くじにあたるような確率になってしまう。とくに、ITビジネスでは、この傾向が顕著だ。ITシステムなんて、実装方式に新規性があったとしても、たいてい目に見えない裏側の部分だ。
そして、偶然、そのようなすばらしい特許をとった人が、テレビで紹介され、そういうことは、よくあることだと人々が思い込む。ついでに、ユーザにとって価値のある、画期的な新サービスのプレスリリースをだしまくっている、成功したベンチャー会社の多くが、そのような特許をもっているのだと、思い込む。もちろん、多くののITベンチャーは、実際に特許を出願し、プレスリリースに「特許出願中」と書く。しかし、それは、完全にこけおどしだ。99.99%の確率で、あるアイデアを実現するための、たくさんある実装方式の一つを特許にとったにすぎない。また、裁判で侵害を証明するのが現実的でない特許だ。そして、一般に人たちの通念とは異なり、個人投資家だけでなく、機関投資家も、いや、その分野の専門家と称するアナリストですらも、そのこけおどし特許に、あっさり騙される。もしくは、騙されたフリをする。その方がとくな場合はね。もちろん、後日それが問題となったら、まさか偽装があるとは思いませんでした、私こそ被害者ですって証言するでしょうね。
これは、特許以外の、すべての参入障壁も、似たようなものだ。たとえば、うちは、ケータイのオークションサイトの最大手であり、会員数が、倍々ゲームで増加増加しており、そのビジネスの潜在規模はどのくらいで。。。。と発表するベンチャー企業の時価総額は、本来の価値の何十倍にも膨れ上がっている。みんな、将来的にケータイオークションマーケットが巨大化したときに、とてつもない収益を手にすることをイメージして、株価をつけているけど、実際には、そのベンチャーがその収益を手にする日は訪れる可能性は非常に小さい。このビジネスが崩壊するパターンなど、いくらでもあるが、たとえば、Yahooが参入してきたら、あっと言う間に、二番手になり、しばらくは、「二番手、三番手でも十分にビジネスになる」といいながら、しばらくは実際にしょぼい利益を出し続けるが(マーケット自体が急速に拡大し、network externalityからくるマイナス効果を相殺し、なおかつ、余剰が出るので)、ある時点で、network externalityが臨界点に達し、かつ、マーケット自体の拡大速度が減速すると、一番手以外は、めちゃくちゃしょぼいビジネスで落ち着く。いまの時価総額での1/10以下(もっと少ないかもしれない)の価値で落ち着くわけだ。それまでにえられると予想される配当をDCFで逆算しても、その株価はまったく説明がつかない。いや、そのオークションサイトのユーザは主にF1層であり、われわれはそのユーザのココロをつかめるような、他社にマネのできないノウハウをもっていますとか、いや、うちはケータイキャリアと共同出資で会社を設立していて、すでに独占的利権を確保してますから、とかいろいろいう事はいうし、みんなそれに騙されるんだけど、他社のまねできないノウハウなんて、そんな簡単につくれるようなもんじゃないから。通信キャリアだって、他のでっかいケータイポータルの方が圧倒的に優勢になってきて、苦しくなってきたときに、その後発の大手サイトがより有利な条件を提示すれば、あっさりそのジョイントベンチャーごと切り捨てるってば。
こうやって、一つずつ崩壊シナリオを説明していくと、「いや、その経営者は、若くて優秀だから、株高を利用して、増資して資金を調達し、その資金を使って、画期的なサービスを開発し続けるはずだ。そして、そのうちどれかはヒットするだろう。みんな、それを期待している。」とか言う人もいる。そして、それはたしかに一理ある。そして、それが、現在の新興市場の株価を説明する、唯一の説明なんだ。つまり、ITベンチャーの時価総額が大きいのは、その時価総額の大きさを利用して、優秀な彼らが画期的な「何か」をやってくれるから、というそれだけの理由だ。そう考えると、楽天やYahooのようにすでに独占がほぼ成立しているような企業は別として、ほとんどのITベンチャーは、ライブドアと似たような状態にある。
ここで、もっとも重要なのは、それらITベンチャーが、虚業をやっているということではない、ということだ。むしろ、旧態依然とした業界に、つぎつぎに新しいサービス、新しい手法、新しい価値を創造しつづける、その豊かな才能と斬新な発想で、社会に大きく貢献しているということだ。彼らは、たしかにわれわれの未来を創造しつづけている。それは、彼らと直接話してみれば、とてもとてもよく分かる。証券アナリストが彼らのところを訪問して、今後のビジョンを尋ねると、彼らは、常人ではとても思いつかないような、すばらしい見識と洞察とアイデアを振りまく。アナリストたちは、それにすっかり心酔し、彼らこそが、まさに未来の創造者だと確信する。そして、その確信は、極めて正しいことが多い。
しかし、彼らが未来を創造できるということと、彼らの会社が、利益を出せることは、まったく別のことなのだ。彼らが画期的サービスを出しても、他社がそれをパクって、実際の利益は、別の会社がもっていくのだ。しかし、アナリストたちは、そこのところの仕組みを見抜けない。あるいは、見抜いているのかもしれないが、見抜けないフリをする。この構造を、知っていて、黙っている。
熱く理想に燃えた、才能と創造性にあふれた起業家が、こういう構造に放り込まれて、何年か揉まれると、どう変質していくか、想像がつかないだろうか? いくら優れたアイデアを出しても、画期的サービスを世に出し続けても、パクられまくって、利益に結びつかない。そして、こけおどしのプレスリリースを打ち続けると、面白いように、新聞やテレビに取り上げられて、ちやほやされる。そこで、自分の経営信念や理想を語る。ビジョンを語る。みんなにもてはやされる。株価は面白いように膨らんでいき、ホンモノの資本力を手にすることができる。資本力さえ、オールドエコノミーに負けないぐらいになれば、想像力でも実行力でも負けはしない。ようやく、自分のやりたいビジネスができる。
頭の切れる人間が、こういう状況に放り込まれたら、どう行動するかは、自明だ。ここで第一にやるべきなのは、インチキプレスリリースをうちまくって、とにかく時価総額を膨らます事だ。資本がないと、なにも始まらない。
つまり、マジメにいい商品、いいサービスを、開発する、という、世の中への貢献行動は、マイナスの条件付けをされる。そして、インチキのプレスリリースをうつ、という詐欺的行為は、プラスの条件付けをされる。まるでこの業界全体の構造自体がが、善良な人間を悪の手先に変える、サタンの洗脳機械のようなものなのである。あの円筒形のビルでは、サングラスをかけた、額に傷のある、かなり悪そうなパブロフの犬が日夜量産されているのである。
もちろん、こういう状況にありながらも善良な人間はいる、と主張されるかたもいるのだろう。たしかに、そういう人間がまれにいる。しかし、実際にいっしょに仕事をしてみれば分かるが、彼らの方が、むしろたちが悪い。彼らは、キリストのような一流の詐欺師に共通して見られる特徴をもっている。すなわち、自分のうそを自分でしゃべっているうちに、自分でも信じ込んでしまうという特徴だ。
今回、堀江さんが家宅捜索を受けているのは、彼が、もっとも悪だからではない。道義的には彼と五十歩百歩の詐欺行為をやっているITベンチャーなんて、いくらでもある。単に、堀江さんは、法律的に立証可能な詐欺行為をやったので、刺されたというだけだ。他の詐欺師たちは、単に法律的に立証不可能な完全犯罪的に株価のつりあげをやっているというだけの話だ。
時価総額の膨れ上がったIT企業が、なぜ企業買収をするかといえば、それが利益確定行為だからだ。一時的にイメージだけで膨れ上がった時価総額に、実体はない。いつ消えても不思議のない、不安定なガス状のものだ。それのガス状のものを、証券会社だの旅行ポータルサイトだの、実質的な価値を持つものへ、交換する事で、個体にし、片端から、実体化、固定化し、時価総額をほんとの価値として固定化しようとしているのだ。それは、まさにウソからでたマコト戦略とでもいうものだ。最初はインチキによって膨れ上がるが、やがてそれが、株価に見あった実体を持つようになれば、それはあながち詐欺とも言えなくなっちゃうんじゃないか、という気もする。ま、ぼくに言わせれば、たとえそうであったとしても、詐欺は詐欺だけどね。
こうしてみると、堀江さんはたしかに詐欺師かもしれないが、もともと悪人である堀江さんが、ウソにウソを塗り固めて、個人投資家からお金を巻き上げてきたにすぎない、という見方が、とても表層的なものの見方のように思えてくる。
もし、若き堀江さんが放り込まれた世界が、逆のパブロフ条件付けをする構造を持っていたら、どうだろう? つまり、世の中への貢献行動は、プラスの条件付けをされ、インチキプレスリリースはマイナスの条件付けをされるという構造をもった世界だ。ぼくが思うに、もちろん、あのキツくて傲慢な性格は変わらないだろうけど、こと社会への貢献という点に絞ってみれば、ほぼ間違いなく、彼はすばらしく善良な人間となり、メディアに向かって夢と理想を語りまくっていると思う。そしてそれは、彼にとって幸せな状況であるだけでなく、この社会にとってもとても幸せな状況だろう。
もちろん、だから堀江さんも被害者なのだと主張するつもりは毛頭ない。たとえ、環境がその人間を悪にしたのだとしても、悪事をした責任は、その人間自身がとらなければならない。たとえ、ほんとうに親の教育が悪いせいで少年が犯罪を起こしたとしても、その少年がその犯罪の責任をとらなくてよいということにはならない。
ただ、堀江さんの向こう側にある、本当の黒幕について、もう少しだけ立ち止まって考えてほしいと思うのだ。
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上記の内容のメールが先程匿名で届きましたので、ここに掲載しておきます。
もちろん、ぼくは六本木ヒルズなんかに行ったことはありませんし、ベンチャーに知り合いもいません。;-P
単なるプロフェッショナルを超える、「感動を生む仕事」をする人の13の特徴
単なるプロフェッショナルを超える、「感動を生む仕事」をする人の13の特徴
本物のプロフェッショナルというのは、とても有能で、頼りになる。
知識があり、スキルがあり、責任感があり、決断力があり、前向きで、建設的で、戦略的で、実用的で、結果を出す。
しかし、ただそれだけだ。
プロフェッショナルになるための努力をいくら積み重ねても、
「感動を生む仕事」ができるようになるとは限らない。
「感動を生む仕事」をする人というのは、
アマとプロを結んだ直線の延長線上にはない。
「感動を生む仕事」をする人というのは、
頭がいいとか、知識があるとか、センスがいいとか、責任感があるとか、
そういうことじゃないんだ。
そういう「感動を生む仕事をする人」にはいくつかのタイプがあるが、その一つのタイプの特徴を、以下に列挙してみた。
アマ | プロ | 感動を生む仕事をする人 |
---|---|---|
1. 現状に甘える
|
1. 人間的成長を求め続ける
|
1. 人間と社会に対する容赦のない洞察を積み重ね、結果として人間的に成長する
|
2. ぐちっぽい
|
2. 自信と誇り
|
2. 自信や誇りにとらわれず、現実をありのままに直視する
|
3. 目標が漠然としている
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3. 常に明確な目標を指向
|
3. 目標よりも目的にこだわり、より本質的な目的とは何か?と問い直し続ける
|
4. 自分が傷つく事は回避する
|
4. 他人の幸せに役立つ喜び
|
4. 人々の幸せとは何か?役立つとは何か?について洞察を重ね、より本質的なレベルでの幸せを追求する
|
5. 経験に生きる
|
5. 可能性に挑戦し続ける
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5. 目の前の可能性に安易に飛びつかず、より優先して挑戦すべき可能性を見極めて挑戦する
|
6. 不信が先にある
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6. 思い信じ込むことができる
|
6. それが仮説でしかないことを骨の髄まで自覚しながら、渾身の一撃を打ち込む
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7. 気まぐれ
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7. 自己訓練を習慣化
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7. 生きる姿勢が優れているために、自然体の行動が、結果として高度な自己鍛錬になっている
|
8. 時間の観念がない
|
8. 時間を有効に習慣化
|
8. 無理のない自然体の行動が、結果として、高いレベルで最適化されている
|
9. 失敗を恐れる
|
9. 成功し続ける
|
9. 単なる成功ではなく、成功の質にこだわる
|
10. 享楽的資金優先
|
10. 自己投資を続ける
|
10. 気の向くまま自然に行動しているが、結果として効率のよい自己投資になっている
|
11. 途中で投げ出す
|
11. 使命を持つ
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11. 使命に縛られずに、その時々で、最も意味のあることを成し遂げようとする
|
12. できない言い訳が口に出る
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12. 出来る方法を考える
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12. そもそもの目的を問い直し、「出来る方法を考える」必要自体を無くしてしまう方法を考える
|
13. 他人のシナリオが気になる
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13. 自分のシナリオを書く
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13. 大木の枝のように広がる、無数に分岐するシナリオが絡み合う森が、脳の中でダイナミックに組み変わりながら蠢いている
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「感動を生む仕事をする人」たちは、一人一人固有の宇宙を持っていて、その宇宙で仕事をする。
それは、我々の住んでいる宇宙とは異なる物理法則に支配された異次元空間で、
我々一般人の目から見ると、ときにそれは「狂気」に見える。
プロフェッショナルになる努力をいくら積み重ねても、「感動を生む仕事をする人」にはなれない。方向性が違うのだ。
「感動を生む仕事をする人」になるには、単なる努力ではなく、生き方のスタンスそのものを変えなければならない。
逆に、生き方のスタンスさえ確立してしまえば、もはや努力など必要がなくなる。あとは、自然体で行動するだけで、それが高度な自己鍛錬になり、効率の良い自己投資になり、最小のコストで最大の成果をもたらすようになる。