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形見えず色に反応

私は目が悪くて
メガネを新しくするお金もないので
世界のすべてが美しいし
女性の大半は魅力的だ

形はよく分からないので
赤い色とかによく反応する


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尖閣 漁船衝突

報道では
漁船衝突という
意図の薄い表現を使っている

そんな訳はない

中国はなんと
日本の監視船が中国漁船を取り囲んでぶつけたと
公式の場で語る

おお!


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新聞やテレビで嘘をつく

もう誰でも新聞やテレビで嘘をつく世の中になった
サッカー選手は嘘丸出し
検察検事が嘘丸出し

テレビで
元検察が
証拠を慎重に吟味することが大事で
ぶつをよく見れば自ずと分かる
私は間違ったことはない
逮捕された人の個人的な問題で組織の問題ではない
というような意味のことを言っていた
驚く


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番組で聞くこと

生命倫理の番組で
あなたにとって命とはなんですか
とやはり聞いている

こんなのアホしか聞かないでしょうとその人は思っているらしくて
表情がぎこちなかった

歌手に対して あなたにとって 歌とは何ですかとか あえて聞くわけだ
答えようもないわな

ーー
江夏投手に向かって、あなたにとって巨人阪神戦とは何ですかと
聞いていたので
もう江夏に向かって何だと思ったが
見かけたところでは全く関係の無いことを答えていた
 いいねえ

ーー
効かない薬にも使いようがあるように
無意味な質問にも使いようがあるのだ


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常識とニュースと宣伝

ニュースとは何かを考えてみると
常識そのものでは仕方がない
しかし常識からあまりに違っていてもニュースバリューがない

読者視聴者として想定する人々の常識の範囲を考えて
そこから離れすぎずしかし少しだけ新奇なものを提供する

常識なのに、あるいは非常識なのに繰り返しているとすれば
それは宣伝である
プロパガンダ
これは急に外国に行くとよく分かる
すぐに慣れてしまうが

理想とか真実を言っても仕方がない
相手が理解しないのであれば
仕方がない


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尖閣問題発言に見る権力中枢度

尖閣問題発言に見る権力中枢度という意見を聞いた

こういう時に怒ってはみ出した意見を言う人は
何の責任もない軽い立場ということで
一方、じっと我慢して、まともなことを繰り返して言っている人は
経済とか歴史についてよく考えている人で権力中枢に近いということだ

ーー
オバマ大統領が
人民元が安すぎると公式に発言したので
その方向で自体が推移すればいいと思う


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夜10時過ぎ月明し

夜10時過ぎに会社を出る
月、いとあかし


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自由と経済発展

自由こそは経済発展の重要な手段であると同時に
主要な目的である

ーー
たしかにそうだろうなと思うが
それは経済発展の程度によるのであって
まずは食事が満たされないとよくないと思う人もいるだろう
栄養と自由とどちらが大事かと言えば栄養だと考える人もいるのではないか

そう考えるとマズローの欲求の階段のようなことになるのだろう

自由への欲求はだいぶ次元の高い話なのではないかと思う

ーー
自由の観念もかなり危ういところがあうる

ポトてチップスはカルビーでもコイケヤでも選べますよと言われても、
それは不自由なのではないかと思う

菅か小沢か自民党かと言われても不自由を感じるだけではないか

ーー
自由と言っても
たとえば開発途上国では魚を捕獲するために
海に爆薬を投げ込むのだそうです
またたとえば魚を捕獲するために海に毒を流す
それを捕獲する

爆発で魚は死んで捕獲されるわけですが
それはお店では売れない
だから土地の人は豊かにはならない

ましてや毒薬で魚を捕獲してもその先は困ったことだ
殺したい奴にごちそうするか
事情を知らない人に売りつけるしかないが
どちらにしても良くないことだ

それだって自由だろうと言われればそうだけれど
それは無知と表現した方がいい

自由はちょっと難しい


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中国の言う「強烈な報復措置」

尖閣諸島問題で
中国の言う「強烈な報復措置」とはどんなものか 
実際に知りたい

どんなすごいことなんだろう

ーーー
中国外交部の王光亜副部長(外務次官)は、日本側が19日午後に中国漁船船長の不法拘置の延長を決めたことについて、丹羽宇一郎・駐中国大使に強烈な憤慨と抗議を表明した。王副部長は「日本側が船長を即時無条件解放しないなら、中国側は強烈な報復措置を講じる。その全ての結果は日本側が負うことになる」と指摘。「日本側のつくり出した今回の事件は中日関係に深刻な損害をもたらした。今後事態がどう推移するかは、完全に日本側の選択にかかっている」と強調した。
「人民網日本語版」2010年9月20日


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自殺を賛美する文学伝統

自殺を賛美する文学伝統は確かにあるのだと思う
心中物とかいまだに上演されている

そのことと現代の自殺年間3万人がつながっているとは思わないが
そして実際に問題は
中高年一人暮らしで失職した男性と言われているが
それでもなんとなく
関連を疑う

日本語というOSに仕込まれたものがありそうで

ーー
この世を生きて
天国とも地獄とも感受している様子を見れば
受け止め方次第なのだなとは思う

いずれにしてもこの世しか生きていないはずなのだし
いいことばかりが続くはずもないし
悪いことばかりが続くはずもない

躁うつの気分に伴うようにして
天国とも地獄とも感じるのだろう

ーーー
秋田県現象というのも興味深い
岩手も青森の自殺率は高いが秋田が持続して一番高い
なぜなのか

北前船でお姫様の中のいやとは言えない性質の人が秋田に運ばれ
絶対いやだと言い張る人が京都に残ったのだろうと個人的には考えているが

実際は秋田美人とか
秋田はバスケットボールなどスポーツも強いし
たぶんロシア系の遺伝子も混じっていて
そのせいで体格もいいし色も白いのだろうと思う

そのようなことと自殺の関係
美人がいるんだから温泉にでも行ってしばらくくつろいだらいいのにと思うが
逆なんだろう





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全然効かない薬の効用

収録

たとえば 「全然効かない薬」があったとして、こういう薬は、効かないという制約を受け入れることで、 「気軽に誰にでも勧められる」という、得難いメリットを得ることができる。

「本当に効く」薬というのは、作用してしまう以上、その作用が他の人に好ましくない可能性は、常にある。 「効く薬」はだから、医師でもなければ勧められないし、銭勘定だけを考えると、「効くこと」は、必ずしもすばらしいことだとは限らない。

それが砂糖玉だとか、小麦粉を丸めただけの、どう見ても「効かない」薬であれば、今度はそれを購入したお店の不思議な雰囲気だとか、 あるいはそれを使ってみて、「ちょっとだけまし」な気分になったりだとか、そういう個人的な体験を、留保なしに他の人に勧めることができる。

薬という競争社会においては、だから「効かない」こともまた、決定的な不利益とは言えなくて、ホメオパシーなんかはだからこそ、広まったんだと思う。 あれを「カウンセリングのおまけ」と考えていいなら、カウンセリングという体験に抵抗を持っている人がいたとして、 「薬の購入」という理由を得ることもできたのだろうし。



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大阪地検の主任検事(43)による捜査資料のデータ改ざん疑惑

厚生労働省の村木厚子元局長(54)に無罪判決が出た郵便不正事件で、捜査を指揮した大阪地検の主任検事(43)による捜査資料のデータ改ざん疑惑が21日、明らかになった。元局長の関与立証のため、描いた構図通りにつじつま合わせをしようとしたとすれば、検察捜査への信頼は根底から瓦解する。控訴断念に向け、最終調整の続く検察当局は無罪判決を上回る衝撃に揺れ、最高検は刑事事件として捜査する方針を表明した。

ーー

自分たちはまだそういう時代に生きているんだ

テレビの水戸黄門に出てくる悪代官と同じ



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賞賛による堕落から逃れる方法はただひとつ。仕事を続けることである。アインシュタイン

賞賛による堕落から逃れる方法はただひとつ。仕事を続けることである。
アインシュタイン


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なぜ学問は退廃するか

以下、引用「なぜ学問は退廃するか」

■■書店で出会う「哲学」のつまらなさ
 現代この場所で私たちが直面している問題を、根本にかえって、深く考えるのが、哲学である。ところが、大学や書店で出会う「哲学」は、決してそのようなものではない。現代日本では、哲学は、非常につまらないものへと縮減しているのである。 
 哲学者に向かって、あなたの哲学は何ですかと決して質問してはならない、というジョークがあるが、この話が意味するものをここでもう一度考え直してみよう。 

 哲学的問題に自分の頭と自分のことばで取り組み、「哲学」する人、これが本来の哲学者である。哲学者は、自分の抱えている問題あるいは現実に直面し対決する。
 これに対して、過去の作品としての「哲学」あるいは哲学(学)者について研究する学者のことを、哲学学者と呼びたい。哲学学者は、文献に直面し対決する。

■■「-における」症候群   問題領域の限定
 アカデミズムの頽落は二段階を追って進む。
 第一段階は、「・・」学と「・・」学学の分離である。アカデミズムは、自らの仕事を「・・」学学だけに限定する。
 第二段階は、思想史研究から特定個人の文献研究への縮減である。
 要するに、アカデミズムは、スケールの小さい方へ、研究が楽な方へと自らを誘導してゆく。 

 このようにして、アカデミズムはいまや、特定個人の文献研究にしか興味を示さなくなった。それどころか、この傾向はさらに徹底して若手研究者に受け継がれ、彼らはもはや特定個人の文献の特定の箇所にしか興味を示さない。
 たとえば、学会の学会誌の投稿論文の目次を見る。ここにみられるのは「誰々における何々問題について」の洪水である。これを、「-における」症候群と呼びたい。 

 考えてみれば、大学院期間とは、いかにして重箱の隅をつつくような論文を生産するかという技術を学び、またそのような論文を発表することがとりもなおさず「学」である、と信じ込まされる期間である。
 研究室では「-における」論文の生産にはげみ、自宅に帰ってはじめて、自分が本当にやりたい思索に没頭するという「二重生活」を送っているものもいる。 

■■「手がかりにして」症候群   特定思想への埋没
 だが、現実には、アカデミズムは特定個人の文献研究へと縮減する。考えてみれば、それにはそれなりの理由があるのだ。

 ひとつには、特定個人の思想におぼれることの、麻薬のような快感がある。テクストを読む快感とでも言おうか。つまり、自分の頭では考えず、カントやヘーゲルに考えてもらって、自分でそのように考えたかのような錯覚を持つ快感。たとえば、ヘーゲルのようにものを考える快感。道元のようにものを考える快感。

 そしてそれは、その快感が哲学であり倫理学であり学問であるという錯覚へと結び付く。そしてついには、その快感が「安心」へと変わるという事態に至る。つまり、ヘーゲルを読み、ヘーゲルのように考えることで安心する、という事態に。
 この境地に至った人は、「ヘーゲルを読んでいればいい」とか、「親鸞でいい」という言い方をする。このことを専門用語では「ヘーゲルあるいは親鸞に即する」と言う。 

 これが学問であろうか。しかし現実には、論文を書くときにまでそれが波及している。たとえば、「カントとともに次の問題を考えてみよう…」とか、「ヘーゲルを手がかりにして次の問題を考えてみよう…」と述べて、全編、カントやヘーゲルからの引用を切り貼りする。
 要するに自分の頭で問題を考えることを放棄し、カントやヘーゲルに考えてもらっている。うがったみかたをすれば、彼らは始めから、問題そのものについては責任回避ができるような形式で、論文を書いているのである。これを「手がかりにして」症候群と呼ぶことにする。
 
■■「次の機会に」症候群    根本問題の回避
 では、彼らに、「カントがその問題についてどう考えているかはよく分かった。ならば、あなた自身はその問題についてどう考えているのですか?」と問うてみよう。
 しかし私たちは彼らの論文の末尾に、「我々は以上のような根本問題に直面した。それについてはまた次の機会に論じることとし、ここで筆を置きたいと思う」という文字列を発見するに終わるのみである。次の機会はいつ訪れるのであろうか。
 ひょっとしてこれは、自分の頭で問題そのものに取り組むことを、永遠に先のばしするという宣言文ではないのだろうか。そして、いわゆる学者たちは、これを暗黙のうちに承認しているのではないだろうか。これを私たちは「次の機会に」症候群と呼びたい。 

 頽落したアカデミズムは、これら三つの症候群を推進する側にまわっていて、私たちにそれを暗黙のうちに強要する。
 たとえば、三つの症候群にのっとった論文ほど学会誌に載りやすい。
 そして、敏感な若手研究者たちは、アカデミズムが要求することを察知し、求められるとおりに振舞おうとする。
 その結果、学会誌は、三つの症候群の見本市と化す。 

■■「体制化」された学問
 科学論においては、学問は「学会」「レフェリーつき学会誌」「大学のポスト」「教科書」などが有機的に組織化されることをもってその学問は制度化されたと考える。
 つまり、何がその学問であって何がその学問ではないかについての評価基準が学会によって明示的暗示的に作成され、その基準によって学問的業績とそうでないものが振り分けられ、その業績を積み上げたものが専門家・研究者として認定され、大学のポストに就き、そして学生を再生産していく。
 これが学問の制度化のひとつの意味である。 

 制度化された学問は、きわめて自己目的的に運動する。
 ある論文が哲学の論文として評価されるためには、「文献学・解釈学」というスタイルをとったほうが有利なのであるから、応募者はそういうスタイルで論文をまとめようとする。
 その結果として、応募されてくる論文のスタイルはそのようなものばかりとなり、掲載されるものもそうなる。すると、それが既成事実を作り上げて、あとに続く学生たちはさらに強固にそのスタイルを学習することになるのである。 
 
 このパラダイムを骨の髄まで染み込ませた研究者が、時代の危機に真に対応する哲学の営みを開始できるはずはないのである。
 彼らにできるのはせいぜい過去の哲学者の思想を抽出してきて現代の状況にただあてはめてみるだけのことだ。
 そんなことで現代の問題の構造が解明できるほど、現代社会の抱える病理は浅くない。

 現代日本において、哲学は文献学・解釈学を主軸として制度化された。その功罪は様々あるだろうが、時代の危機に対応するという視点からすれば、デメリットのほうが格段に大きいと言わざるを得ないだろう。

ーー
文献学者になっているというのは実際にそうで、
聖書の研究と信仰が別のものであったのと同じだ
フロイト学者とかラカン学者がたくさんいて治療がうまいかどうかとは関係がなさそうだ

 メルロポンティについての解説とか議論を求めて仏文科のゼミに参加したところ
 原理的な哲学的な議論はなく
 この言葉はメルロポンティはいつ初めて使ったか、その後の変遷はどうであったか、と質問が出て、
 見事にそれに答えられるのである
 それは正解のあるクイズなのだ

 そのような手続きを一年繰り返しても病気の治療とどう関わるのか、まったく見通しがなかったので
 そのゼミはやめにした


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沖縄県名護市・市議選

9月12日に沖縄県名護市で市議選が実施 
で、基地建設反対派議員が過半数を占めたとのこと 
当選理由は基地問題に対する意見だけではないのだろうが
それでもやはり、反対の意見らしい

退職した元防衛事務次官の守屋氏は、要するに建設利権なのだと解説
新しい土地を用意することは困難で
既存の施設の一部を使うことにすると
工法が難しい方式でなんとかまとまりそうだったけれど
それだと中央のゼネコンしか技術がない
海につくる方式だと地元建設業者でもできる
そこが理由で決定したのだが
今度は環境保護団体が海を守れと言い出したとか
きちんと読んでいないのでわからないがおおよそそんなことを書いていたように思う

迷惑施設と言われるが
きれいなごみ処理施設、きれいな原子力発電所、きれいな核燃料処理施設など
どこかで引き受けなければならないものだ
なんとか話をまとめて軟着陸しているのに
運動家などが話をぶち壊しにする
それならどうすればいいのか教えて欲しいものだ

そんなものはどこにも造らなくていのかどうか

地元の業者にしても大人なのだから
交渉の仕方はあるはずともいうことになり
要するにお金がかかる

ーー
核燃料処理施設は「いとかわ」暫定的にしておくとか一案ではある

新しい発電は太陽発電以下、環境に優しい発電となったようで、原発は否定されるほどではないが
後退気味になっている
いろいろと問題続きだから仕方がないが

米軍のプレゼンスが必要とか有効とか言っていたのに中国が尖閣諸島問題で
このような態度を取っているのはいかがなものか?


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ストレス食い

いけませんね
ストレス・むちゃ食いでございます

もうこんなに太っているのにまだ太る気かと後輩に指摘されまして

スーパーでは
お弁当が半額になっていまして
それで二つ食べちゃう

アホですね
と言いながらまだバナナを食べている
あ、そういえば、ポテトチップスもあったぞ!という具合


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五稜郭の榎本武揚

五稜郭に立てこもり蝦夷共和国なんて名乗ってみたりして
しかしその後は調子よく要職を歴任し
薩摩の西郷さんなんかとは随分違う人生だ
榎本武揚とか西郷隆盛とか

五稜郭で戦死していれば源義経、楠木正成と並ぶヒーローだったとの意見

あっさりと明治新政府の役人になるところがなんともスーパーマンだ

西郷隆盛の精神分析などはなかなかむつかしそう


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格安食品

格安品はおおむね嬉しいのだけれど
食べ物だけは格安品は危ない
中国の人がなにをしているのか今では容易に想像がつくではないか
年寄りが自己責任で安いものを食べてもいいけれど
子供を巻き添えにするのは良くない


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経済は上昇時には連帯し下降時には分裂する アマルティア・セン

アマルティア・センの入門的な本。

経済は上昇時には連帯し下降時には分裂する

それって、よく分かります。全体のパイが大きくなっているときは、多少の格差があっても大丈夫。
最も貧しい人も、たぶん所得が上がるから。

しかし一旦下降局面に入ると、階層は分裂し、多くの場合、最も貧しい階層が最初に最大の被害を受ける。

一番最初に被害をうけるのが私たちで
一番最後がロックフェラーさんというわけだ。

100円ショップで危険そうなものを買わざるをえない

ーー
社会全体で言ってもそうだし、会社で言っても同じ。
儲けが小さくなった時に社長の給料を下げるのか、パートさんに辞めてもらうのか。

ーー
インドネシア、タイ、韓国で年率10パーセントの成長を続けていたとき、
突然5パーセントになると、それだけで惨事が発生する。

そのための経済的安全保障が必要である。

ーー
アジア各国の発展に教育が非常に重大な寄与をした。
ヨーロッパは自分たちの経済発達モデルだけしかないと考えてきたが
アジア諸国は後発して追いつく経済発達モデルを示した。
その際に教育水準が大切だった。

後発国においては教育の費用は相対的に安い
国家が教育を普及させマーケットがそれを利用する
マーケットが発達すれば国家は潤う
国家と市場の相補的な関係が成立する

ーー
自由市場主義経済は必然的に格差を生む。格差が耐えきれなくなった局面で
民主主義のプロセスが作動して、所得の再分配を行う。
どの範囲の自由がいいのか、どの程度の再分配がいいのか、社会が合意を形成する。

大きな政府と小さな政府はそのあたりのことで
もちろんのことだが、人間のやる気を引き出すには自由経済市場の小さな政府がいいのだし
人間がお互いに悲惨な体験をしないためには高福祉の大きな政府がいいのだ

しかしどうだろう
私の考えは
小さな政府でもお金持ちが慈悲の心をもっていれば独り占めはしないはず
大きな政府でも能力のある人が必死で働き、やる気を維持すればいいはず

社会の全部の人が自分で自分を食べさせていけるわけではない
かならず能力のある人がそうでない人を養う部分が出てくる
それを社会制度として仕組みにすると、
大きな政府と小さな政府のどちらの場合でも、それを悪用する人が出てくる
悪用する人がいなければどちらの仕組みでもいい
それだけのことなのだと思う

人間の出来が良ければ
共産主義でもうまく行くしリバタリアンでもうまくいく
人間の出来が悪ければ
どちらの制度でも、うまくいかない

その中間の組み合わせで、ときどき混合具合を変えようというのが
実は二大政党主義の民主主義なのだが
それは人間の一部は悪党で怠け者だという前提に立っているのだと思う

強制的な徴税、刑法による社会秩序維持などが見られる。
言ってみれば、馬鹿扱いなんだな。馬鹿で悪党で怠け者として統治されている。

ーー
能力によらず汗をかいた分だけ給料を支払う仕組みが出来ればいいんです

徹底的な自由主義市場でなにがまずいかといえば
能力のある人はたいして汗をかかずに儲けてしまうこと

儲かった人だけが次にも儲かること
そのあとはもう何もしないでも儲かる
敗者復活は難しい

徹底的な共産主義でまずいのは
能力があるのに怠けて汗をかかずに給料をもらうこと
これでは社会全体が発展しない

自由主義市場でも共産主義でも
能力のある人が報酬に関わらず最大限働けば
結果は同じようになるはずである

しかしどちらの場合も
人間の能力を最大限に発揮する仕組みにはなっていないのだ

ーー
愚かなことを言うようだが
能力のある人も、そうでない人と同じように汗をかく、その心がけだけで
社会は制度によらず、よいものになる

大きな政府だと能力のある人が怠ける
小さな政府だと能力のある人が汗をかかずに儲ける

ーー
そう考えると、頑張ればとても儲かる、しかし再分配の仕組みはかなりきつい、
と設定したいわけだが、諸外国の制度とのかねあいもある

ーー
たとえばのはなし
イチローに打率350なら10億円、
200本なら15億円、
首位打者なら20億円、
4割なら100億円とか設定すれば
4割を目指してイチローさんは今の打撃スタイルを変更していただろうか
もっと4球を選んでいただろうか

あるいはそんなことには関係なく進んだだろうか

制度設計とはそういうことだ

そして100億円のうち90億円は税金にしてもいいのだろうと思う
社会貢献をして気分がいいしそんなに使えるわけでもないし
(と思うのは、貧乏人の考えなんだろう。)

ーー
制度設計として
市場メカニズム、民主主義、マスメディア、分配システム、徴税、軍隊、徴兵、教育、医療、土地制度、など

NHKの民主主義に関してのルポでエジプトを報道したものがあった
エジプトでは選挙がでたらめで機能していない

テレビキャスターが言うには、取材に言ったら投票所に人が来ていない、
それなのに放送では投票所は大にぎわいで関心が高く投票率も高いと読み上げる
自分が嘘をついて、政府の広告をしていると感じて、活動を始めた
「われわれは見ている」という民間団体

広告会社の人が言うには
政権政党の広告を頼まれたが全く現実と違う宣伝でいやになった

ーー
制度設計に関して画期的な発案があればいいのにと思う

個人的には人間の努力の量を客観的に測定する方法を開発して
その努力の量に比例して報酬を与えるような制度を設計したい

汗はたとえとしてはいいのだが
汗っかきがいるし冷や汗も出るしでうまくない


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ときどき自分のやっていることが心底嫌になる

ときどき自分のやっていることが心底嫌になる

心底嫌になるから革新の原動力にもなる

永井荷風を思い出している

高橋是清を思い出している

人生はもっと自由じゃないかと思っている

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