SSブログ

人権問題について、国際社会と大きな感覚のズレがある 読売社説

聖火護送リレー 「平和の祭典」からはほど遠い
 テレビ中継を見ながら、「こうまでして聖火リレーをする必要があるのか」と感じた人も、少なからずいたことだろう。
 人権問題について、国際社会と大きな感覚のズレがある。

 中国政府は、ようやくチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世側との対話を再開する姿勢をみせたが、五輪のためのポーズで終わらせてはなるまい。
(読売社説)

*****
大きな感覚のズレというのは
重大な表現で、
「感覚」のズレならば、他人がとやかく言うべきものではないということにもなるだろう。
「とやかくいうべき何か」なのではないか?
しかしその根拠は何か?
人権問題は感覚の問題なのか?

あなたは間違っている、
なぜなら、と理由を述べて、相手が納得するような実験や証拠を用意できるか?
そこまでしなければ、
中国には土地もあり人口もあり資源もあり技術もあり歴史もあるのだから、
感覚がズレているというだけの表現で引き下がるとは思えない。
あなたが正しいと証明してみなさいと言われるだけだ。

知り合いの中国人はもちろん、よくないです、と言っているが、
中国政府の言い分としては、
感覚のズレならば、向こうからみても、こちらがズレているはずだ。
多数決で決める問題なのか?
一人一票なら中国は強い。一国一票ならアフリカも強いしEUも強くなった。
GDP換算で多数決をしたいところだろうがそんな制度はない。
G7とかで多数決をする?

各国で歴史に違いがあるのだから、感覚にズレがあるのは当然のことだ。
アフリカでの性習慣が、エイズその他と関係し問題があることを連想する。
少しずつ理解してもらうしかないが。
そのような発展段階なのだと安易に言うことも最近は批判されると思う。

たとえば中国には宦官がいたし、纏足があった。もともととんでもない国である。
しかしまた西洋ではカストラートはましな方で、
魔女裁判から自己去勢まで。まけずにとんでもない。
そうした自己抑制の宗派がドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟に絡んでくる。
遠い話ではない。
捕虜を去勢された奴隷として使用しようとする目的で去勢していたのは
ずっと昔のシュメール人。
家畜を去勢すると従順になり命令に従い易くなることを知っていた応用したらしい。
アフリカではいまだに女性器切除があり、FGMと呼ばれている。

人間はこんなもので、
だからこそ中国はズレたままでいるのだし、
誰もどうにもできないのだと思う。
長い時間が必要だと思う。

それより、聖火リレーはごり押しで通すくせに、
年金問題は解決不能だし、
健康保険問題はもう明らかにまずいし、
どうして地道な日常的な活動がきちんとできないのか問題だ。
個人で言えば、運動会だけは張り切って、
普段はでたらめな学生のようだ。
運動会なんかやめなさいとお仕置きしたくなる。



共通テーマ:日記・雑感

世界観

宇宙論とか世界観に関しては書きたいこともある
しかし散々書かれた後であり
わたしとしては付け加えるものもない
自分なりの表現ができるというだけで
実際Paul Davies, "God & the New Physics"などのような説得力を持っては書けないし、
J.C.Eccles先生のように強い確信をもって書けるわけでもない。

懐かしく思い、いまJ.C.Ecclesを検索してみると、
googleでしばらく眺めてみたところ、
神経科学者としての業績と
二元論者としての業績が取り上げられているようで、
amazonではさらに乏しく
The Self and Its Brain K.R. Popper , J.C. Eccles のみが本格的な著述として残っている。

神経の抑制性シナプスと促進性シナプスの二つがあることを実証してノーベル賞を受けた。
伊藤正男先生がEccles先生のところに留学して弟子となり、
日本の大学で弟子を育てたから、わたしなどは弟子とはいえないが、世代としては、
Eccles先生の孫弟子ということになる。

晩年は二元論の立場で積極的に発言し、
創発性(emergency)唯物論などを攻撃していたが、
若い唯物論的陣営からは、
棺おけに片足を突っ込めば優秀な人でも信仰に頼るものだ、その例として、などと引用されたりもした。
K.R. Popperと一緒に三世界論などを展開、
多分、二元論の変形と解釈されるものだろう。

わたしが勉強していたのはその頃の話で、
唯物論と二元論と言っても、
デカルトとかパスカルの方面の話であって、マルクスはまったく関係がない。

現代の脳科学者ではJ.C.Eccles、脳外科医ではWilder Graves Penfieldが二元論を唱えた。
Penfieldは1933年てんかんの治療のために行われる開頭手術の際に脳を電極で刺激すると、鮮明な記憶がよみがえることや手足が動くこと、感情が刺激されることを発見し、脳の部位別機能図を作った。
EcclesやPenfieldのように実際に神経や脳を研究している人が二元論をまともに言うのだから、興味がある。

いまから思ってみると、カナダ、アメリカ、オーストラリアなどでの宗教的環境はそのようなもので、日本とはかなり異なるということだ。
その頃からニューエイジサイエンスとかトランスパーソナル心理学とかの流れがあり、
アメリカ西海岸を発信地としていた。
ドラッグとかヒッピーとかの流れでもあり、東部エスタブリッシュメンツからは嫌われていたようで、
わたしなども、
フロイトは天才で100点の中で90点くらいだと思うが、
ユングもかなりの天才で70点くらいはいくだろうと思っていて、
しかしユングには問題があると評価が辛い人もいて、
そんな人たちはおおむね、ニューエイジとかトランスパーソナルへの点数も辛いようだ。

わたしは同時代人の中ではミルトン・フリードマンとケン・ウィルバーが天才で90点くらいだと思っているが、
どちらも日本では点数が辛い。

ケン・ウィルバーは、「プレとトランスの錯誤」を解説していて、
近代の知性は、原始的神の観念と、トランスパーソナルな超越の観念を混同してしまう、
それは無理もないが、訂正していきたという趣旨のことを書いている。
もっともだと思う。

アメリカの風土は、キリスト教で当たり前で、無神論とか唯物論というのは、
文明以前の存在で、
日本人であるわたしが神については不可知、唯物論の一種と思ってくださって結構、
みたいな発言をすると、
かわいそうに、愛されなかったのね、
幼児期に何かあったのね、
発達が阻害されているのね、
と来るのもだから、かなり影響されて、
結局、神はいるということで話がまとまるのだと思ったら、
今度は日本では、神などないものとして話が進んでいるのだった。
多分、原始的多神教の世界と受け取られていて、ヤスクニなどはそのシンボルと思われているのだろう。
戦争で突撃されたのは向こうなのだし。
17歳の飛行士がアンフェタミンを飲まされて片道だけの燃料を積んで体当たりで突っ込んでくるのだから、
一種のトラウマだろう。

そんなこんながあって、アメリカと日本は精神風土がと違うのであって、
世界観についても、最初の合意事項が違うようだった。
もういまはそんな議論に入って行こうとは思わないし、
世の中は、その後養老先生がマスコミに脳の話を広め、
その後も脳科学の話は好まれ、茂木健一郎先生が最近ではリードしている。

Ecclesが神経に針を刺して電位を測定した頃から、
根本的に進歩したことといえば、脳の機能を画像で見ることが多少は可能になった程度で、
方法論的に根本的な、測定問題が前進していない。

科学哲学としてはかなり複雑になり、認知科学として一派を形成し、
立派な商売をしている。
この20年では精神科系薬剤が大幅に進歩し製薬会社が巨大化したのが一番だけれど、
思想の世界では認知科学や心の哲学ということになる。

たとえばこんなレビューがいいと思う。
*****

学問小史:認知科学――心の哲学へ至る潮流

明治大学図書館紀要「図書の譜」第5号,pp.72-80 (2001) に掲載


1.認知科学とは

 認知科学(Cognitive Science)とは,「心とは何か,心はどのように働くのか」という疑問を追求する学問分野のひとつであり,1970年代から学問分野としてのアイデンティティを確立し始めた比較的若い学問である。歴史的には心理学,情報科学,神経生理学,言語学,人類学などの諸学問の学際領域から発展してきたものであり,その萌芽は1930年代にまで遡ることができる。
 認知科学が基盤とする方法論は「モデルによる理解」である。我々人間が行い得る「知的行為」が,これこれの心的表象をこれこれの形式で計算操作すると,そうした行動が生み出されると説明できる「認知モデル」を構築することが,認知科学の中心課題である。このモデルの妥当性は,心理学的な実験との整合性,神経生理学的な知見との整合性,モデルに基づいて構成される情報システムの実効性の観点から評価される。
 しかし「心とは何か」という疑問は,哲学が永らく相手にしてきた問題であり,認知科学がモデル理解という方法論を確立したからといって,そうした問題ににわかに決着がつく見通しが立ったわけではない。問題点を整理する有力な観点が提供されたのであり,むしろ問題の根深さはより顕わになったとも言えよう。
 本稿では,諸学問から認知科学が生まれ,発展してきた歴史を三領域からそれぞれ簡単に振り返ることにする。そして最後に,哲学の分野との最近の結びつき,すなわち現代の「心の哲学」を語るうえにおいて認知科学の研究活動がいかなる位置を占めているか,を解説する。

2.情報科学からの展開

 認知科学の成立には,情報科学の計算にかかわる理論と,それを実行する機械であるコンピュータの技術が不可欠であった。この分野の発展は,20世紀初頭の記号論理学に基礎をおいている。記号論理学から,論理体系で世界を明瞭に記述するという発想が生まれたからである。この発想に加えて,論理規則による演繹を機械仕掛けで普遍的に実現できることが,チューリングマシン(A.M.Turing 1936)の概念で示され,「考える機械」の研究の端緒となった。
 40年代になると,情報システムの制御理論であるサイバネティクス(N.Wiener 1948)や,デジタル信号の符号化と通信理論(C.E.Shannon 1948)が発表された。同時に実用的なコンピュータが開発され,その後,徐々に性能をあげていった(J.von Neumann 1958)。
 「心とは何か」という疑問は,コンピュータ技術の発展の前では,「機械は心をもつか」あるいは「人間は機械なのか」という形で現れた。機械が心をもつ判定基準にチューリングテスト(A.M.Turing 1950)が提案され,それを目標に,いわゆる「人工知能 AI」の研究がスタートするのである。「人工知能」という名称自体は,1956年のダートマス会議において命名された。
 人工知能の初期の成功には,論理命題を証明するプログラム(A.Newell and H.A.Simon 1956)や,対連合学習システム(E.A.Figenbaum and H.A.Simon 1962)があげられる。その後,複雑な知識の表現方法やその処理方法として,関連語を有向グラフで結ぶ意味ネットワーク(M.R.Quillian 1968),推論式を基本にした一般問題解決器(A.Newell and H.A.Simmon 1972),概念階層の枠組み記述(M.Minsky 1975)などが提案された。一方で,状態推移に関する記述の研究(J.McCarthy and P.J.Hayse 1969)のなかからは,計算のうえでの量的な問題としてフレーム問題が指摘された。
 こうした基本技術は,80年代に入ると,実用的なエキスパートシステムの開発へとつながっていった(N.J.Nilsson 1980)。膨大な知識をコンピュータに蓄えようという巨大プロジェクトも生まれた(D.B.Lenat 1983)。しかし,先のフレーム問題を始めとした論理的な記号表現の問題点が表面化し,一転して停滞への歴史を歩むのである。ここで,記号表現に代わって,神経回路を模した結合表現が脚光を浴びることとなる。この原理は,コネクショニストモデルあるいは並列分散処理モデル(D.E.Rumelhart and J.L.McClelland 1986)と呼ばれた。エキスパートシステムのなかには,記号表現に加えて結合表現を採用するハイブリッドシステムも多く現れたが,それも停滞の救世主とはならなかった。
 90年代を迎えると,膨大な情報を蓄えたうえでよく考えて解を出す,という設計思想を根本的に考え直す動きが現れた。サブサンプションアーキテクチャ(R.A.Brooks 1990)がそれであり,外界の部分的な情報に即応するモジュールの連合体として知的行動を実現する思想である。こうした潮流から,人工生命(C.Langton 1989),エージェントシステム(J.C.Brustolini 1991),といった研究も発展してきている。

3.心理学からの展開

 心理学の分野では,1920年頃から,内的な心理状態を除外して,もっぱら動物の反応と条件付けを研究対象とする行動主義が主流となっていた。行動主義は30年以上にわたり心理学研究を支配したが,50年代に研究方法の革命的転換が起きるのである。「認知革命」として知られるこの転換を後押しした研究には,短期記憶のチャンク構造の研究(G.A.Miller 1956),概念形成にかかわる認知過程の研究(J.S.Bruner 1956),言語の文法構造の情報表現(N.Chomsky 1957),認知における注意の役割を示すフィルター理論(D.E.Broadbent 1958)などがあげられる。
 認知革命後の心理学は,心的状態を表すモデルを積極的に認め,そのモデルから知的な行動がいかに機能的に説明できるかを問題にした。ここですでに認知科学の方法論が確立したといえるが,当時は「認知心理学 Cognitive Psychology」(U.Nisser 1967)と呼ばれていた。もちろん,これらのモデル構築には,次々と提案される情報科学の先端理論が影響を与えるのだが,心理学分野では,それまで十分に研究されてこなかった部分の,知覚・記憶・思考・言語の研究が大きく開花した(P.H.Lindsay and D.A.Norman 1977)。
 認知心理学の興味の中心を一口で言うと,言語行為を代表とする人間の知的活動が,人間が記憶する知識体系からいかなる思考プロセスで生じるか,となろう。ここで重要な位置を占めるのは知識の記述表現であり,場面に応じた知識活用法の研究(R.C.Schank 1975),概念知識の構造カテゴリーの研究(E.Rosch 1978)などが相次いだ。視覚イメージの心的回転実験(R.Shepard 1971)からは,心の中のイメージ情報は,アナログ表現(S.Kosslyn 1980)かそれとも記号表現(Z.W.Pylyshyn 1984)か,という論争が巻き起こった。
 70年代後半から認知心理学は,大脳の神経生理学との関連性を徐々に深めていき,認知心理学から認知科学と呼ばれることも増えてきた。1977年に学術誌「認知科学」が発刊され,1979年にはアメリカで,認知科学会 The Cognitive Science Sciety が発足した。
 80年代は,究極の知識表現や単一の中心判断機構といった考え方よりも,多様な記述表現や分散的な判断機構といった考え方が優勢となってきた。人間の記憶は,手続き記憶,エピソード記憶などの多種の機能の複合体として分類された(E.Tulving 1983)。不確実な状況での判断の研究(A.Tversky 1982)からは,人間のもつ多様な思考方略が明らかにされた。そして知的な行動とは,状況についてのメンタルモデル(P.N.Johnson-Laird 1983)をもつことから実現されるとみなされた。脳の中には部分的な機能を担うエージェントモジュールが多数存在し,全体として「心の社会」(Minsky 1986)を形成しているのだという主張も,広く受け入れられた。
 また,霊長類サルを使った比較認知科学の研究も多くなされ(T.Matsuzawa 1991),霊長類の認知機構と人間のそれとの類似性・連続性も指摘されるところとなった。こうした研究は90年代に入り,心の働きを生物進化の文脈に位置づける研究分野の成立につながる。この分野は「進化心理学 Evolutionary Psychology」(L.Cosmides and J.Tooby 1992)と呼ばれ,ある特定の認知方略が確立された根拠を,その方略の進化上の優位性から説明するのである。

4.神経生理学からの展開

 神経生理学は,人間の知的活動の源である脳の解明・理解という目標を目指して発展してきた。40年代に,単一の神経細胞の数理モデル(W.S.McCulloch and W.H.Pitts 1947)と,神経細胞相互の学習則(D.O.Hebb 1949)が提案されたのが,この分野の発端と言えよう。その後,神経細胞の信号伝達モデル(A.L.Hodgkin and A.F.Huxley 1952),細胞間のシナプス結合の可塑性や興奮・抑制結合(J.C.Eccles 1957)などの重要な発見が続いた。
 脳への展開としては,神経細胞の集団によって判別学習装置を実現するパーセプトロン(F.Rosenblatt 1959)の発見があげられよう。これと同等の仕組みが後に小脳で見つかることとなる(M.Ito 1984)。また,特殊環境で生育したネコの視覚一次野から神経細胞の反応選択性(D.H.Hubel and T.N.Wiesel 1962)が,脳梁切断の症例から大脳半球の機能差(R.W.Sperry 1966)が判明した。
 70年代に入ると脳の研究がいっそう盛んになった。大脳辺縁系における海馬では,信号の長期増強(T.V.Bliss and T.Lemo 1973)が見つかり,心理学的な記憶研究と接続した。また,脳外科手術の多くの症例にもとづき,大脳の部位と心的機能との関係がまとめられた(W.Penfield 1975)。視覚系においては,計算論的モデル(D.Marr 1982)が提案されるなか,色判別の神経回路網の生理学的解明(S.Zeki 1983)が進んだ。
 80年代後半は,神経回路網の理論が進み,先のパーセプトロンが任意の判別関数の学習まで拡張(D.E.Rumelhart and J.L.McClelland 1986)され,コネクショニストモデルとして情報科学と密に結合することとなった。同時に,PET,F-MRI,SQUIDなど,人間の大脳の活動を非侵襲的に測定する技術が進み,心的活動における大脳部位の活性化の状況が時間を追って測定されるようになってきた。こうした研究動向から,大脳全体として思考がどのように実現されているかという情報モデル(B.J.Baars 1988)も提案され始めた。
 90年代以降になってようやく,「心がいかにして脳から生まれるか」という,神経生理学本来の目標が射程に入ってきたようである。だが,神経回路の集合体でどのように心的機能が実現できるか,あるいはそれが進化の過程でいかにして自然に発生してきたのか,という問題は依然として難問である。細胞群の同期発火(F.Crick 1994)やカオス的挙動(W.J.Freeman 1994)にその手がかりを求める試みはあるが,複雑系物理学や量子物理学(M.Jibu and K.Yasue 1995)のさらなる発展が必要に思われる。

5.哲学への展開

 認知科学とその発展をもたらした諸科学は,哲学との接点を歴史上いくつももってきた。それらには,助け合う関係もあれば反目し合う関係もあるが,終始刺激的なものであった。その刺激の度合いは最高潮に達しながら21世紀にもち込まれようとしている。
 20世紀初頭にウィーンから発した論理実証主義の運動は,20世紀前半における科学の哲学的基盤を形づくった。情報科学の基礎となった記号論理学もこの運動から生まれた。実証的事実の記述とそれらの間の論理的関係を明白にすることが,科学の営みであるとするのだ。心理学における行動主義もこの運動に支えられたと言えよう。
 しかし,論理実証主義に基づく科学論は,50年代から批判にさらされる。言語はゲーム規則(L.Wittgenstein 1953)のように恣意的であり,客観的と思われる科学的観測は我々の理論に依存する(N.R.Hanson 1958)というのだ。こうした指摘により,世界は神から与えられたという「所与の神話」が崩壊していく(W.Sellars 1963)。この傾向から,実証が容易ではない心的構造が容認され,「認知革命」へと至ったとみることもできる。
 その後実証主義は,反証可能性(K.Popper 1959)の概念を取り入れ,モデル構築による科学的方法論として整備された。だが,科学が対象とする事象の「実在性」は揺らいだままであった。「科学革命」は観測事実でなく理論が起こすというパラダイム論(T.Kuhn 1962, 1970)は広く受け入れられるものの,実在性を否定した相対主義(P.Feyerabend 1978)を招くのである。こうした動向は,科学は社会状況によってつくられるのだとする社会構成主義(K.J.Gergen 1985)にもつながっていく。
 哲学の分野で科学的方法論が議論されるなかで,認知科学はモデル構築による方法論で着実な歩みを進めていた。しかし,いざ「心をもつ機械」などと理想を語ったときには,哲学的な議論は避けて通れないのであった。「心」とは何である(とする)かということは,「心身問題」と呼ばれる哲学上の積年の課題であるからだ。古くはデカルトの「心身(心脳)二元論」まで遡れる。
 認知科学者が,心を研究対象とする前提は,外界との入出力関係と心的状態同士の関係という機能的プロセスで心を捉えようとするところにあり,この立場は機能主義(H.Putnum 1961)と呼ばれる。心と脳とを一元的に扱うひとつの試みであるが、「心」を重視する立場からは異議のあるところである。
 「心をもつ機械」と称する「心」に,初めて積極的に異議を唱えたのは,現象学哲学者(H.L.Dreyfus 1972)であった。ハイデガーが言うように,我々人間は世界内存在であるはずであるのに,世界から切り離されたコンピュータが心をもつとは何を意味するのかといった具合である。我々がもつ「心」という感覚に訴える批判も現れた。他者の心はいったい理解できるものなのか(T.Nagel 1974),言葉を理解するとはどういうことか(J.Searle 1980)といった議論である。こうした批判を受けて,人工知能研究から方向転換する研究者(T.Winograd 1986)も現れた。
 一方で,認知科学の成果を取り入れ哲学的な議論を展開する認知哲学者も現れている。信念や欲求といった通俗心理学の用語を記述していくことで,心の記号表現への還元がなされるとする機能主義をつきつめた立場(J.Fodor 1981)と,脳のなかの神経回路網における活動を記述することで,心の結合表現への還元(あるいは心自体の消去)がなされるとする消去主義の立場(P.M.Curchland 1985)での論争も続いている。
 哲学者が問題にしているような「心」を認知科学の枠内に含めるには,「志向性」と「感覚質(クオリア)」の自然化を行わねばならないと言われる(N.Nobuhara 1999)。志向性とは,意味が何らかの対象に対して現れるという性質であり,感覚質とは,我々が「赤い」とか「痛い」とかに伴って感じる純粋な感覚である。両者とも,「意識主体」に不可欠な要素であり,かつ何か物的な事象に帰着させることが不可能に思われる。けれども認知哲学者の一部は,意識の多元的草稿理論(D.Dennett 1991)などで,こうした難題に果敢に挑んでいる。近年、「心」にまつわる哲学的議論はとくに盛んになっており、「心の哲学 Philosophy of Mind」と呼ばれる分野を形成しつつある。
 心の哲学のなかで、認知科学の動向に照らして優勢な状況にあると言える立場は、生態学的実在論(J.J.Gibson 1979)である。人工知能は、外界から独立した知性を実現するのでなく、環境に埋め込まれて行動する知性の実現に向かっている。またそれは,進化のシミュレーションによって実現されるとも,しばしば主張される(S.A.Kauffman 1986)。認知的学習も状況に埋め込まれて達成されると捉える理論(J.Lave and E.Wenger 1991)が注目される。意識の心理学的理解と生理学的理解はともに、生物進化の歴史を背景にして成立する(N. Humphrey 1986)とみなされてきている。生態学的実在論は、ひとつの心、あるいはひとつの主体を論じるときには、それを含む環境とそれをもたらした歴史を空間的・時間的な全体として,合わせて捉えようとする。それは相対主義の脅威をかわし,実在性を維持する立場ともなるのである。そんななかで、ダーウィンの進化論が再び強力な思想として浮上している(D.Dennett 1995)。
 現在、心の哲学は興味深い状況を呈している。哲学者が科学と接近し、心の自然化や、心の一元論的理解(D.J.Chalmers 1996)を試みる一方、神経生理学者(J.C.Eccles 1989)や数理物理学者(R.Penrose 1994)などの科学者が、二元論的立場で心の独自性を主張しているのだ。攻守ところをかえた状況である。また、思想を語る営み自体が自然化の枠内に入ってしまうと、我々は心を適切に語るところまで進化していない(C.McGinn 1992)という可能性も出てくる。考えてみると,その指摘もなかなか的を射ているような気がしてくる。今ますます、心の哲学がおもしろい。

参考文献
・ポール・サガード「マインド:認知科学入門」共立出版, 1996
・橋田浩一他「講座認知科学(1)認知科学の基礎」岩波書店, 1995
・N.A.スティリングス他「認知科学通論」新曜社, 1987
・スタン・フランクリン「心をもつ機械」三田出版会,1995
・ジョン・アンダーソン「認知心理学概論」誠信書房, 1980
・松本修文編「脳と心のバイオフィジックス」共立出版, 1997
・苧阪直行編「脳と意識」朝倉書店, 1997
・門脇俊介「現代哲学」産業図書, 1996
・S.Bem and H.L.deJong: Theoretical Issues in Psychology, SAGE, 1997

*****
物理学の世界でもなぜか停滞していて、
物理学の先端の成果を世界観に生かす仕事はほとんど進展していない。
量子力学と相対性理論と、極微の世界と極大の世界と、うまくつないで話ができるかどうかということで、
結局、有能な語り手としてのPaul Daviesとか
『皇帝の新しい心』のRoger Penrose、
『ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環』のダグラス・R・ホフスタッター
とかがいるだけで、
本質的な前進はないものと思う。

*****
昔は量子力学の本も読み、方程式もいじったように思うし、
相対性理論も理解し、特殊相対性理論と一般相対性理論について、先輩と議論し、
加速度の扱いについて、勝利したことは覚えているのだが、
その後はすっかり忘れてしまい、ただの思考練習だったかとも思う。
多世界解釈は今でもわたしをとらえているし、
それはわたしが自分でもよく考えた結論として、
自分の言葉で説明できる。
人間中心主義は、やはりキリスト教的な考え方だろと思う。
しかし2000年のカトリックの蓄積は大きく、
うかつに批評などできないものと思う。
いくらでも資料があり、膨大な蓄積がある。

カトリックに反抗したグノーシス派などはいまでも興味深い。
このブログはエピファニオス(315?~403)の『パナリオン』をもじったものだ。
Panarionでは畏れ多いので、Panalionとふざけている。
Panarionは毒蛇にかまれたときの薬箱という意味である。
グノーシスは毒蛇であり、かまれたら即時にカトリックの信仰で解毒する必要があるとされた。
グノーシスのもとの文献は徹底的に廃棄されたが、
グノーシスに反論するカトリック側の文章は残り、それを検証してみれば、
当時、グノーシスがカトリックの何を批判したかが分かってくるという、
回りくどい話だった。
それが昨今は死海文書やナグ・ハマディ写本の翻訳も進んだ。それがグノーシス的なのだと言われている。

大体このように、ナグ・ハマディ、グノーシス、フロイト、ユング、Eccles、トランスパーソナル、ニューエイジ、精神医学、精神薬理学と並べてくると、ろくでもない傾向がくっきりする。
要するにカトリックに対してグノーシス、
脳医学に対してフロイト、
フロイトに対してユング、
近代知性に対してトランスパーソナル、
内科に対して精神科、
なぜかそのような流れである。

最近は、上司はなぜ部下をいじめるのかを日々話を聞いて研究している。
Discipline & Domination & Submission & Manipulation & Sadism & Masochism
の系列の問題なのだと見当をつけている。
病名としては、うつ病、恐怖症、パニック障害、不安性障害、自律神経失調症、心身症など。

世界観の問題は、脳の中の「世界モデル」問題として、わたしの内部では引き継がれている。



共通テーマ:日記・雑感

衆院山口2区補選、民主・平岡氏が当選

衆院山口2区補選、民主・平岡氏が当選

創価学会でもだめ
次はどうする?

選挙ではだめだということが分かったのだから再編だ。



共通テーマ:日記・雑感

誉め殺し

【ワシントン=黒瀬悦成】パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの幹部が、米大統領選で民主党の候補者指名を争うバラク・オバマ上院議員の支持を表明し、オバマ陣営が困惑を深めている。

 保守派などはこれまで、オバマ氏のミドルネームが「フセイン」であることなどを理由に、同氏をイスラム過激派と結びつけるなどの中傷を展開しており、想定外の「ラブコール」は波紋を広げる可能性がある。

 問題の支持表明は、パレスチナ自治区ガザ地区を支配する「ハマス政府」のハニヤ首相の首席政治担当補佐官、アフマド・ユセフ氏が今月13日、米WABCラジオに語ったもの。同氏は、「我々はオバマ氏が好きだ。彼に当選してほしい」とし、オバマ氏を故ケネディ大統領になぞらえ、「オバマ氏は、米国が(他国を)支配したり尊大に振る舞ったりせずに国際社会を率いることができるようにするための構想力を持っている」と持ち上げた。

 これに対しオバマ氏は14日以降、「ハマスは無実の市民を多数殺害しているテロ組織だ」と演説などで繰り返し強調し、ハマスと距離を置く姿勢を打ち出している。

(2008年4月19日11時44分  読売新聞)
*****
むかし竹下さんを誉め殺しにした勢力があった。
ハマスがこのような形で力を発揮できるとは実に意外。
「我々はオバマ氏が好きだ。」といわれると困ってしまう。



共通テーマ:日記・雑感

韓国映画事情と日本映画事情

韓国の映画人口は日本と同じくらいあるんです。人口は日本の3分の1だから、日本人の3倍、映画を観ていることになる。日本以上のネット社会である韓国で、これほど映画館に足を運ぶ人が多いというのは、日本の抱えている問題の裏返しだと思います。韓国は、日本の10倍もの予算が映画に投じられ、公費助成に関しても、準政府機関のような委員会が、いい映画を作るために全権を行使して助成先を決めている。はっきりしているわけです。
 韓国映画の偉いところは、日本映画の一部に見られるような、観客をナメた姿勢が全く見られないところです。前に一度流したシーンを回想シーンでもう一度説明調に流すような、そんなことは決してしない(笑)。大いに学ぶべき点ですね。

日本の映画観客数は、1950年代は年10億人を超えていました。60年代に急減し、72年には2億人を割ります。96年には1億2000万人まで落ち込みますが、その後、少しずつ回復してきて、ここ7年は1億6~7000万人で推移しています。一方、スクリーン数はここ10年、増加傾向にあり、97年に1884だったのが、2007年には3221になりました。その7割以上がシネコンです。公開本数も増え、10年前は邦画・洋画合わせて年611本だったのが、07年は810本。これは、ブームと言っていいものなのでしょうか。

スクリーン数の増加に比べ、映画人口はさほど増えず、1スクリーンあたりの観客数も売り上げも減っています。シネコンが増えたことで地方の人たちに映画が身近になったことは確かです。でも、ヒットを見込める作品が数スクリーンを占拠する一方で、成績が悪ければ上映打ち切りという実態もあります。口コミなどを通じてじわじわっと売っていくタイプの映画には向いていないですよね。最近はコミュニティシネマのような活動が活発になりつつありますが、多様な映画を見る環境は整えていかないといけないと思います。

新聞社芸能担当記者座談会から

*****
わたしには、あのような空気の淀んだところに
みんなで2時間じっとしている
神経の太さが信じられない。

わたしは暗くなったにすぐ寝てしまう。



共通テーマ:日記・雑感

高齢者医療―このままでは台無しだ 朝日社説

高齢者医療―このままでは台無しだ
 75歳以上を対象にした後期高齢者医療制度をめぐって、不安や不満、怒りが収まる気配がない。保険証が届かない。保険料を間違って徴収された。そうした事務的な問題は時間とともに改善されるだろう。
 事態が深刻なのは、「わずかな年金から、こんなに保険料を引かれるとは思わなかった」というような訴えがお年寄りから続出しているにもかかわらず、厚生労働省がきちんと対応したり、説得したりできないことだ。
 法律ができてから2年にもなるのに、野党ばかりか与党の議員まで「お年寄りに説明がつかない」と言い出している。制度そのものへの不信や不安が広がっているのだ。
 膨らむお年寄りの医療費をどう支え合うかという制度論ばかりが先行し、お年寄り一人ひとりの保険料の変わり具合について、政治家も官僚も目配りが欠けていたということだろう。
 お年寄りの多くはこれまでも市区町村の国民健康保険などで保険料を納めているので、新制度になっても負担はほとんど変わらない。厚労省はそう説明してきた。
 ところが、年金からの天引きが始まると、保険料がぐんと増えたという不満の声が次々に出てきた。ようやく生活費をひねり出している低所得のお年寄りにも、そうしたケースがある。
 新しい制度では、県単位で保険料が一本化されたうえに、市区町村独自の税金の投入がなくなった。お年寄りには所得に応じた負担を広く求めることになった。お年寄りの負担は総額で見れば、ほとんど変わらないが、人によって増減はさまざまだ。
 どんな所得層で負担が増えているのか。負担が増えた人と減った人はどちらが多いのか。そうした当然の疑問に対し、厚労省が「わからない」というのだから、驚く。これでは、保険料をたくさん払うことになった人たちが怒るのも無理はない。
 厚労省はただちに実態を調べて全体像をつかむべきだ。そのうえで、保険料が上がって困っている低所得の人たちがいるのであれば、仕組みを改めることも含めて必要な対策を講じなければならない。
 新しい高齢者医療制度は、従来の老人保健制度に比べ、現役世代とお年寄りがどれだけ負担し、税金がどれだけ使われているかが分かりやすくなった。世代間や世代内の負担の不公平もある程度是正された。
 だが、そんな意義や利点も、不信や不安を放置したままでは伝わらない。
 まずは、お年寄り一人ひとりの目線で負担の仕方や実態などを説明し、納得を得る。それをしなければ、せっかくの制度も立ちゆかない。

*****
厚労省が「わからない」というのだから、驚く。
という意地悪な書き方に驚く。



共通テーマ:日記・雑感

ぞっとする核拡散の闇 朝日社説

北朝鮮とシリア―ぞっとする核拡散の闇
 昨年9月、シリアの砂漠にあった建物をイスラエル軍が空爆し、破壊した。その建物は何だったのか、シリアもイスラエルも詳しく語ろうとせず、米国も口をつぐんだ。
 この謎の事件について、米政府が衝撃的な発表をした。シリアが核兵器用のプルトニウムを作るため、北朝鮮の支援をうけて秘密裏に建設していた原子炉だった、というのだ。
 空爆された建物や、原子炉と見られる内部の写真まで公表された。北朝鮮の黒鉛減速炉とそっくりだ。北朝鮮とシリアの核開発担当の高官だという2人が肩を寄せて立つ写真もある。
 どうやってこんな写真を入手できたのか。スパイ小説を地でいくような離れ業に驚かされる。
 シリア側はさっそく否定した。北朝鮮もかねて、核技術や物質は輸出していないと強調してきた。
 だが示された資料を見る限り、両国の主張は信じられるものではない。米政府は「この型の炉は過去35年間、北朝鮮だけが建設している」などとして、北朝鮮の関与を強調した。
 北朝鮮は、パキスタンのカーン博士を中心とする「核の闇市場」ともつながりがあった。その北朝鮮から核技術が中東に流れる。弾道ミサイルの技術もひそかに取引される。
 今回の件が事実とすれば、核の拡散が世界にとって現実の脅威であることをまざまざと見せつけるものだ。
 イスラエルは半ば公然の核保有国であり、それに対抗して中東の国々が核を手にすれば、事態は制御不能に陥りかねない。イランは国連制裁を受けながらも、ウラン濃縮を進めている。
 核不拡散への国際社会の取り組みをいちだんと強めなければならない。
 空爆から7カ月もたって公表に踏み切った米国の真の狙いは分からない。イランへの牽制(けん・せい)との見方もあるが、北朝鮮に対する強烈な圧力であることは疑いない。
 日本も、拉致や隣国の核武装という問題に加えて「拡散」の脅威にも真剣に向き合う必要がある。

*****
北朝鮮から核技術が中東に流れる。弾道ミサイルの技術もひそかに取引される。
核の拡散は世界にとって現実の脅威である。

これって、本当に困ったことでしょう。そう思わない?



共通テーマ:日記・雑感

B層狙い

高田 明和氏の本。
だいたい500~1500円の本。

*****
●脳の栄養失調―脳とダイエットの危険な関係

糖分と脂肪を目の敵にし、肉より野菜という「ヘルシーな食生活」がかえって糖尿病をまねき、うつや能力低下をもたらすことがある。大脳生理学から見た、ホントは危ない健康常識。脳が栄養失調にならないためには?

●食肉生活のススメ

「日本人は食べ過ぎている」「低コレステロールが健康」「長生きの秘訣は粗食」…どれにも全く根拠がありません。実際には日本人は少食になっていますし、コレステロールが低いと死亡率も高くなり、脂肪を摂らないとガンやぼけ、うつ病にもかかりやすくなるのです。「血液サラサラ」では病気を防ぐこともできません。すべては統計が示しています。食肉生活の正しい知識で、脳と体の健康づくりをしましょう。

●脳によく効く栄養学―ボケたくなければ肉を食え

昨今の脳トレブーム、実は食事が脳に与える影響は大きい。脳梗塞や認知症、うつ病などの脳・神経の障害から、わが身を守る画期的な栄養入門書。「コレステロールや糖分は脳によい」「肉は食べるべき」「下手なダイエットは脳の敵」などの新常識や、アラキドン酸という新顔の栄養素まで、ページを繰るごとに驚きの連続。テレビでおなじみの博士の書き下ろし新作。巻末に「脳に効く」特選厳選レシピつき。

●「砂糖は太る」の誤解―科学で見る砂糖の素顔

砂糖とそば粉は、同じカロリー!「砂糖は太る」それは、誤解です。「甘さが太らせる」それも、誤解です。「砂糖は糖尿病の原因」それも、やっぱり誤解です。あなたの「食べ物常識」を覆す、砂糖の真の姿。

●病気がイヤなら太りなさい―肥満はヤセより長生き

「肥満が糖尿病・心疾患・動脈硬化・ガンの原因」はウソ!「ダイエットで健康になれる」もウソ!肥満に関する常識をつくがえし、元気で長生きできる秘訣を、医学的データをもとに提言する画期的健康本! アメリカではこのところ肥満が急増しています。しかし、いわゆる「小太り」の人がもっとも長生きという調査結果がでました。さらに肥満の人とやせの人では、肥満の人のほうが長生きという結果もでたのです。つまり肥満が悪いのではなく、運動不足や不規則な食生活が病気のもとであり、体重を減らさなくても健康でいられるのです。太っている人がダイエットをしても、ほとんど成功しません。それどころかダイエットの繰り返しは健康を害することも知られてきました。この本では、そうした健康と肥満についてのこれまでの誤解を正そうと思います。(はじめより)

●認知療法でうつ病が治った―優しい人ほどうつになる

「うつ」の根本原因である「ゆがんだ考え方」を改善しながら「三列記録法」「五列記録法」などの実践的な解決策を紹介する実践の書。クスリで治らないうつ病を克服する、アメリカ発の最新うつ療法を掲載する。

●「うつ」依存を明るい思考で治す本―クスリはいらない

まずは「よくやった!」と自分をほめよ!脳が強くなる!!新現代病「うつ」依存。病院のクスリには知られざる副作用が!脳のしくみを知って自分の力で脳を変えよう!生活習慣、食べ物、睡眠、運動で驚くほどラクに生きる!!
いくら薬を飲んでもうつ状態、頭の痛さ、やる気のなさなどは治らない場合が多いのです。そこでまず、脳に栄養を与える必要があります。次は脳内のトリプトファンをセロトニンに変える必要があります。次は脳細胞を傷つけないことです。脳細胞はストレスの際に副腎皮質から放出されるコルチゾルによって死滅します。とくに記憶をつかさどる海馬と脳を統合的にコントロールする前頭葉の細胞が死滅します。次は悩みの中枢(帯状回、扁桃)などから活動の中心を別のところに移すのです。脳は活動しているところに多くの血液が流れるようになっています。それには運動をして脳の運動野により多くの血液を流すなどの生活態度が必要です。そして「将来は必ずよくなる」「将来は必ずよくなる」と繰り返し自分に呼びかけることです。

ーーーーー
新橋ではみなさん頭がいいのでこの手の本についてはコメントを求められません。助かります。

意外なタイトルをつけて、1000円で売ろうという出版社なんですね。これ自体興味深い現象です。
なんでもやりすぎはよくないし、小太りの人がもっとも長生きというのも昔から言われていることです。運動不足や不規則な食生活を改善すれば自然に肥満は解消するはずで、何を肥満と呼ぶか、定義の問題でしょう。
肉を食べろと言っても、日本人として適度にということです。アメリカ式に食べていたら、肥満になります。そうするとまず膝や腰を悪くします。周りから散々言われるので普通は耐えられません。

栄養学よりも禅の言葉のほうがよく売れているようで、禅の言葉シリーズのほうが高田本のターゲットに合った本ということになります。自民党のいう、B層狙いですね。ここが現代日本のボリュームゾーンでしょうから、マーケッティングとしてはいいのだと思います。薄利多売で同じネタで何回も書いています。



共通テーマ:日記・雑感

マカについて

マカについて

■原材料名 【内容液】マカ濃縮エキス末、ベニバナ抽出物、亜鉛酵母、冬虫夏草菌糸体抽出物、
トナカイの角抽出物、ビタミンE、ショ糖脂肪酸エステル、セルロース、酸化ケイ素
【被包材】HPMC
 
■栄養成分 3粒(0.86g)あたり : マカ濃縮エキス末/200mg 冬虫夏草抽出物/50mg 
トナカイの角抽出物/50mg ベニバナ抽出物/120mg 亜鉛/6mg 
熱量/3.30kcal たんぱく質/0.13g 脂質/0.04g 炭水化物/0.60g 
ナトリウム/0ー6mg
 
● 原材料をご確認の上、食品アレルギーがご心配な方は、ご利用をお控えください。
また、体質や体調によって、まれにからだに合わない場合(かゆみ、発疹、胃腸の不快感など)があります。
その際は、ご利用をおやめください。
● おすすめしております摂取量を目安として、摂り過ぎに気をつけてご利用ください。
● 薬を服用あるいは通院中の方は、お医者様とご相談のうえお召し上がりください。
● 食生活は、主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。
 
*****
こんな感じ。
マカ濃縮エキス末/200mg 冬虫夏草抽出物/50mg 
トナカイの角抽出物/50mg ベニバナ抽出物/120mg
これでは何を飲んでいるのか、まったく分からない。
成分分析するとして、化学物質として何を分析していいかも分からない。
トナカイの角が奈良の鹿の角でないということを検定することができない。

半島の北から送られてくるらしい偽バイアグラは
有効成分が半分程度になっているとのこと。

偽マカを作ったとして、半分なのか1/3なのか、比較もできない。
健康食品だから別に違法ではないのだろうけれど。
何がどう効くのか知りたいと思うのは無理な話ではないと思う。

無題20080427.JPG
取り組んだら教えてくださいね。
でもこれだと下を向いたときに
髪の毛の先が薬品についてしまうはず。
気をつけよう。



共通テーマ:日記・雑感

メンタルヘルス調査数字 大企業が手厚い

メンタルヘルス不調者が最近3年間で「増加している」とする企業は55.2%と半数超に上る。“特に増加が目立つ年代層”は、「30代」が最も多く51.9%、次いで「20代」が41.2%の順。メンタルヘルス不調で1カ月以上休職している社員がいる企業は62.7%で、3年前の前回調査(50.9%)よりさらに高まった。1社当たりの休職者は平均9.5人、全従業員に対する比率は平均0.5%である。
 こうしたメンタル不調の増加に対して企業側も対策を進め、「何らかのメンタルヘルス対策を実施する」企業は79.2%と約8割を占めた。規模別にみると、1000人以上では98.9%(前回90.4%)、300~999人では79.3%(同68.0%)、300人未満では57.0%(同35.9%)と規模が大きいほど実施率が高いが、前回調査に比べ、どの規模でも実施率が高まっている。
 具体的な施策は、「電話やEメールによる相談窓口の設置」が最も多く56.0%、次いで「心の健康対策を目的とするカウンセリング(相談制度)」52.4%で、以下、「管理職に対するメンタルヘルス教育」「社内報、パンフレットなどによるPR」「ストレスチェックなど、心の健康に関するアンケート」などである。
 また、メンタル不調で休職した社員のうち、完全復帰した割合を尋ねたところ、「半分程度」復職したとする企業が22.5%で最も多いが、「7~8割程度」が21.5%、「ほとんど(9割以上)」も20.4%あり、3者に「全員(復帰)」7.3%を合計すると71.7%となり、7割超の企業で「半分程度」以上が完全復帰していた。規模が大きいほど復職割合が高く、大企業では、メンタルヘルス対策が復職面まで充実していることから、その効果が復帰割合に出ているものと考えられる。

*****
大企業が手厚いと出ているが、管理職個々によって方針があるようで、
会社の内部でも一律ではないのが実情である。

いろいろな事情があることをくんで、
実際の診療は進められる。
これが人間くさいところである。

共通テーマ:日記・雑感

『趣味は競わず』 頑張り過ぎない

頑張り過ぎない

 うつ病の初期に不眠、食欲低下、倦怠(けんたい)感などを生じます。そして、いつも習慣的に行っていたことが面倒になったりします。さらに進んで、趣味や娯楽に興味を持てなくなります。

 これは興味の喪失と言って、何事にも興味を持てなくなり、何をしてもおもしろくなく、喜びも感じない状態で、うつ病の大きな症状の一つです。そして、うつ病が回復してくると、趣味への興味も回復してきます。

 趣味はうつ病にならないための重要なストレス解消法です。「仕事が趣味だ」という人も、仕事以外の趣味を少なくとも一つぐらいは持ちましょう。一つ持っている人はもう一つ持ってみてはいかがでしょう。できれば多趣味をお勧めします。一つ飽きてきたら、他の趣味を始めるというようにするのも良いでしょう。

 趣味は楽しくなければなりません。一度始めると、とことんまで追求して、達人の域に達しなければ意味がないと考える人がいますが、それが苦痛になっているようなら考えものです。

 ストレス解消法がストレスを生むこともあるのです。趣味は頑張らない、突っ張らない、競わない、無理しない、マイペースで行うのを原則としてください。

 私は過去にゴルフに夢中になり、うまくならずに落ち込んでいる時、恩師から「『趣味は競わず』といいますからね」と言われ、ほっとしたことがあります。(毎日新聞)



共通テーマ:日記・雑感

メンタルヘルス指導の現実

メンタルヘルス指導の現実がこんな風

こんなこと言われているようでは
もうすでに疑問符で
言うほうも疑問符です

しかしこんな人が会社にメンタル指導に行ってレクチャーします
講習を受けるとき、この人は一体偉そうなことを言ってどれだけ稼いでいるのだろうと
疑ってみて下さい。

本当に株で儲けている人は
株式投資のレクチャーをする必要はないはずです
特別な情熱のある人なら別ですが

メンタルをコントロールできる達人なら
もっと何か違う仕事をしているはずでは?

*****
急なトラブルに「早くしないと!」でいつも失敗……。人は誰でも割り込み処理が苦手、この状況にどう対処すればいい?

 仕事のない休日はいいものですね。電話を取らなくていいし、会議にも出なくていい。ややこしいメールを読まなくてもいい。心が乱されることの少ない、とても貴重な日だと思います。

 こういう日には「自分レビュー」をしてください。自分レビューとは「自分をじっくり分析する」こと。そこからメンタルヘルスを維持するアイデアや、改善策が見えてくることがあります。

受注を決めたい出張の日。早く空港に行かないと!
 
 今回は、日曜に自分レビューをするためにオフィスを訪れる、システム営業さんの登場です。私は毎回この営業に、「忘れたことリスト」を持ってくるようにお願いしています。忘れたことリストとは、やらないといけなかったがやり忘れたことを書き出した表で、自分レビューにはもってこいの題材です。

 ある日曜、いつものように私は営業に、忘れたことを尋ねました。

 「エアコンの消し忘れです。くやしい忘れ物でした」

 エアコンの消し忘れがくやしい? 一体、どのような忘れ物だったのでしょうか。詳しく聞いてみました。

 冷え込みが厳しい日のことでした。その日、営業はお客さまの元へ出張する予定がありました。システム開発の提案中で、この訪問で一気に勝負をかけたいと思っていたのですが、うまい説得方法がなかなか浮かびません。うんうんと悩んでいるうちに、飛行機の出発時間が迫ってきました。急いで自分の荷物をまとめて、空港に向かわないといけません。

 「こういうときに、大事なものを忘れるんだ」。営業は経験からよく分かっていました。資料や財布、携帯電話、そして家の戸締まり。入念にチェックしていたそのときです。携帯電話が鳴りました。営業は思いました。「この急いでいるときに、一体、誰?」

 相手は実家の母親でしたが、一言二言で電話を切って、空港に向かいました。

 3泊4日の出張の結果は、あまり良いものではありませんでした。疲れて帰宅してドアを開けると、いやに室内が暖かい……。

 「やってしまった!」。営業は叫びました。暖房を付けたまま出張に行ってしまったのです。4日間、エアコンは誰もいない家を暖め続けていました。出発する前にあれだけチェックしたのに……。営業の疲れは最高潮に達しました。

 「私は誰のために電気代を使ったのだろう? 気を失いそうになりました」と営業はいいます。確かに、くやしい忘れ物でした。

深夜の呼び出し。早く資料を届けないと!
 忘れたことリストは続きます。

 営業が作った見積もり資料に不備があって、お客さまから緊急呼び出しがありました。なんと深夜です。お客さまは、稟議書の作成を急いでいました。

 営業は思いました。「早く資料を届けないと!」

 資料を訂正して、タクシーに飛び乗りました。深夜なので道路は空いていて、スムーズにお客さまのビルに到着しました。ところがタクシー代金を支払い、ビルに入館しようとすると、IDカード(入館証)が見当たりません。

 お客さま先のIDカードがないと仕事にならないので、忘れないように、家ではいつも財布や携帯電話と同じ場所に保管しています。今日も絶対忘れずに持ち出したはずでした。でも見つからないのです。

 IDカードを悪用されたら、大変なことになります。そこで営業は、警備員に事情を説明して、自分のIDカードを使用禁止にしてもらいました。警備員には紛失状況を事細かく聴取されたそうです。やっと入館し、お客さまに資料を手渡せたのは、ビルに到着してから2時間後のことでした。「私の失った時間を返してくれ!」。営業はそう思ったそうです。

 幸い、タクシーの領収書から乗った車が特定できました。調べてもらうと、IDカードは車内に落ちていました。財布を出した弾みで落としてしまったようでした。

 営業は、残念そうにいいます。「忘れ物の対策が、忘れ物を招いてしまったようです」。対策が裏目に出てしまうこともあるわけですね。

終電で居眠り。急いで降りないと!
 そして営業の忘れたことリストは、さらにグレードアップします。

 営業はノートパソコンを持ち歩いて仕事をしています。もちろん、パスワード設定や保存データの暗号化は忘れていません。衝撃から守るための専用かばんも購入して、万全を期していました。

 あるとき、帰宅が終電になりました。疲れていたので電車で居眠りをしたそうです。目が覚めると、電車は下車する駅に停車中でした。営業はあわてました。「急いで降りないと!」

 間一髪、下車することができました。でも自宅に着いた後、とんでもないことに気付きました。パソコンのかばんがないのです。電車を降りるとき、あせっていたため持ち慣れた書類かばんだけをつかんで降りたのです。明らかに置き忘れです。

 パソコンの置き忘れには気を付けろ。会社から、耳にたこができるほど聞かされていたことでした。でも自分が当事者になるとは、一度も思ったことがありませんでした。新聞などで目にするデータ流出事件のことが頭をよぎりました。

 すぐに会社の緊急時連絡先に連絡し、悶々としながら電車の始発時刻を待ちました。生きた心地がしなかったそうです。

 始発の時間になって駅に電話すると、かばんは無事、遺失物として保管されていました。すべての持ち物を1つのかばんにまとめておけば防げたかもしれない、これもくやしい忘れ物でした。

 このように、忘れたことリストを整理すると、自分がどんな状況で失敗が多いかが分析できます。営業の「忘れたこと」に共通するのは、「急ぐ」とか「時間がない」「せかされる」という状況です。こういう緊急時に、「忘れたこと」が起こってしまうようです。

すぐに驚かない、すぐに手を付けない
 コンピュータは、緊急時の処理が得意です。急ぎの処理(割り込み処理)が発生したら、実行中の処理を中断してそちらを実行できます。中断した処理の途中経過はきちんと保存され、割り込み処理が終わった後に正しく再開できます。

 ところが人間は、割り込み処理が苦手です。人間の脳は、ホルモンが人間の気持ちや思いを電気信号に変換することで働いているそうです。コンピュータのように0と1が規則正しく切り替わって動くわけではありません。そこに割り込み処理が入ると、電気信号が交錯します。いろいろな情報が脳で混ざり合って、元の処理も割り込み処理も交錯し、混乱状態になります。

 ITの現場では「私に割り込まないで!」というようなことはいえません。思いもよらないところから急ぎの依頼やクレームが割り込んできます。これはなかなか防ぎようがないでしょう。だとしたら、割り込みに振り回されず、緊急時でも正しく自分を保つ方法を身に付けておいた方がトクです。

 そのために役立つ、「すぐに対応しない3活用」という方法があります。紹介しましょう。

活用1 すぐに驚かない

活用2 すぐに手を付けない

活用3 すぐに成果を求めない


 活用の1つ目は、割り込みや緊急事態が発生しても「すぐに驚かない」ことです。突然の出来事には誰でも驚くものですが、これにいちいち反応していると脳が疲れてしまいます。割り込みや緊急事態はいつでも起こる。そう考えて仕事をすると、突発事態でも、脳の乱れを最小限に抑えられます。

 2つ目は、「すぐに手を付けない」ことです。早く火事を消したいとき、あせってすぐに手を付けてしまうと、間違って水ではなく油をかけてしまうかもしれません。がむしゃらに対応するよりも、まず正しくて失敗がない手順を考える。その後に行動する。これが一番、最短で納得して行動できます。

 3つ目は、「すぐに成果を求めない」ことです。自分の脳は1つなので、割り込んできた仕事をやり始めると、全体の仕事の速度は落ちます。割り込み処理を入れたら、すべての成果をきれいに出そうとは思わないこと。これが自分の脳を乱さないコツです。

 この内容を聞いて、営業はいいました。「今度は、忘れなかったリストを持ってきてもいいですか。ひょっとしたら、そこに自分の成功の秘けつがあるかもしれないと感じました」。大正解です。失敗を分析する目的は、失敗を繰り返さないため。成功を分析する目的は、成功の度合いを高めるためです。

 会社や組織に多少のマイナスパワーが存在しても、それを上回るプラスパワーがあれば、皆さんのメンタルヘルスは良い方に向かうはずです。今回紹介した方法などで自分レビューを実施して、メンタルヘルスの向上に役立ててほしいと思います。

*****
活用1 すぐに驚かない
活用2 すぐに手を付けない
活用3 すぐに成果を求めない
などといって
自分レビュー
ばかりしている社員

わたしなら雇いませんし昇進させません
正解は「すぐに処理すること」それだけです
それができないなら仕事が合っていないのです



共通テーマ:日記・雑感

大井町

不動産としては、個人的には事情が許すなら大井町がいいと思っている。
イトーヨーカドーが使える。東品川のジャスコも使えそうだ。
しかし物件が枯れているようだ。
お金もなければ物件もなく、この先考えようもない。

4,500万円 4DK  東京都品川区大井5丁目
建物面積:106.11m2   土地面積:95.7m2   1972年築
という一戸建てがあるが、
 「大森」駅   徒歩18分 で
わたしのメタボが治ってしまう。


共通テーマ:日記・雑感

中古マンション価格の下落

8,680万円 3LDK  東京都港区南麻布5丁目
専有面積:102.5m2   所在階:3階/9階建   1972年築
という物件が広告に入っていた。
100平米で一億円くらいの見当だけれど、
地区年数を考えても、
地下鉄日比谷線  「広尾」駅   徒歩1分 だから
割安感がある。
港区の中古物件は下落しているようで、
割安感がある。
とは言っても、自分の給料で買えるようなシロモノではない。

4000万円のローンを組んで一生縛られるのが現代である。

高輪、南青山あたりでもすこし値崩れ気味だと思う。
駐車場付きも多く、
駐車場代だけ考えてもお得ではないかと思ってしまう。

不動産を担保にしている場合には担保割れなどしないのだろうかと空想している。

9,980万円(税込) 2LDK  東京都港区南青山2丁目
専有面積:107.74m2 『青山一丁目』駅 徒歩5分
など。
多分、100平米で一億円を意識していると思う。
これは表示価格だから、実際の売買価格はもっと下だろう。
1977年築 だから9000万円まで交渉できると思う。

9,000万円(税込) 3LDK  東京都港区白金台5丁目
専有面積:138.95m2   所在階:7階/10階建   1968年築
築40年のマンションで、配管などどうかと思うが、
一方、古いマンションはまじめに良いコンクリートを使っていたりする。
これは駐車場がないので難しい。

ローンを組んでも払いきらないうちに死ぬだろう。
ということはローンが組めないということだ。
老人には厳しい現実である。

7,980万円 3LDK  東京都港区芝浦4丁目
専有面積:100.57m2   所在階:11階/49階建   2006年築
これなど新しいし、山手線・京浜東北線「田町」徒歩8分
老夫婦が住むにはいいかもしれない。



共通テーマ:日記・雑感

聖火リレー 現実的な絶望の上に敢えて築く希望

夜遅く疲れて帰り着いて
電子レンジで加熱して
一人で食事をしていたら
ニュースのなかで
聖火リレーの様子を映し出していた

この国はこんな姿をしているのか
何が「聖火」なのだろう
わたしには事態が理解できない

後期高齢者医療制度
医療現場における立ち去り型サボタージュ
産科のたらいまわし
自殺の増加
そんなことをまじめに考えている人間がおよそバカを見るのだ

良心的な人たちと組織は心を痛めて辞退したのだろう

国家権力は
頭の悪いやつらは
少しのいい思いをさせれば
いくらでもいうことを聞くと
考えているのが明白ではないか?

中国は走者をあからさまに何重にも取り囲み守り
フランス語を話す国境なき記者団の実行部隊はそれに敢えて暴力的に接近し
警備隊はそれを暴力で排除し
結果的にニュース映像になるという目的は達し
マスコミはそのように応じ
なんという醜い暴力と暴力と権力とマスコミだろう

こんなもののこんな現状を守るために医者が当直をして身を削っているのかと思うと
絶望する

しかしまた知人の中には警察の人間もいて実に勤勉に働いている
その人たちの組織がこんなことをしている
マスコミの知人も一人一人はいい人なのに
結果はこれだ
ただ絶望する

テレビから目を転じて
下を見ると新聞の一面下の広告が見える
ただ有名になっただけの人が何か書いて印税を稼いでいる
伝えるべきはもっと大切なことではないか?
それなのに雑誌のように発行されて消費される書籍
アサヒ芸能以下の紙面を作って恥じない朝日新聞
ただそれだけの社会に
再び絶望する

水中出産と言って
水の中で出産する方法を選んだ人がいて
結果的に赤ん坊は溺れて
突然の救急で対応した医者は
なぜ当然の準備をしないのか
困ったら救急なのかと
心底絶望している

言葉のない赤ん坊が何をいいたいのか、
我々はよく考えてみなければならない。

しかしここで持ちこたえよう
次の世代に
このようなつまらない「聖火」ではなく
明確な「希望」をリレーしよう

政治もマスコミもすでに占拠された
しかし
連帯もあり希望もある

明確な現実的な絶望の上に敢えて築く希望こそが本当の希望なのだと
バートランド・ラッセルが述べている。

共通テーマ:日記・雑感

新聞は半年に一度役に立つ

何かに熱中していたら
時間が過ぎているのも気付かず
あわてて施錠して警備装置をセットして外に出たら
雨が降っていた

ビルの中にいたら分からないくらいの雨だった
傘はビルの中にあるが
警備装置を解除するのはとても面倒なので
手元にあった新聞を頭に載せて歩いた
雨よけにはそれで充分だった

最近は新聞を読む時間がない
四つに畳まれたままで
積みあがっている
この半年ではじめて新聞が役に立った

電車に乗ると傘を持った女性が乗り込んで
座席に座り
隣の男性との間に傘を斜めに邪魔かなという感じで置いて
実際男性は邪魔そうにしていたのだが
バッグからハンドクリームを取り出して
手に塗り始めた
確かに手の表情は美しく
しぐさに色艶がある
塗った後で傘をとって隣の男性の邪魔にならないように持っていた
ハンドクリームを塗ることがそれほど大事なのだろうか
手を乾燥させてはならないという気迫があった

そんなことを思っているうちに新聞は見る見る乾いていった
新聞紙は水分の吸収も蒸発もいいものだ
花屋さんで包むときには新聞紙を使うことが多いのも分かる気がする
と感心して見ていたら社説が見えていた

いいことが書いてあった
これにも感心した
朝日新聞は読まなくても購読料を払い続けるだろう
応援のつもりだ
岩波書店の本も読む暇はないけれど買い続けるだろう
これも応援のつもりだ
丸善は理科年表しか売る気がないらしい

傘にもなるのだから
新聞は本当にいいものだ

共通テーマ:日記・雑感

過去と未来の非対称 適切な「世界モデル」

過去について後悔するときも過去の結果はすでに確定されていて、
その動機や心理的メカニズムだけが不明である。
変更可能なのは解釈だけである。

未来について推定するとき、
動機や心理的メカニズムがまず未定であり、
さらにその先の結果については、その上にも未定である。

事柄の動機や心理が分からないという点では共通である。
結果が分かっていないのが未来で、分かっているのが過去である。

*****
一体どういうことかといえば、
人間が長い時間をかけて脳の中に構築するのは、
世界のミニチュアである。
「もしこの場面でこの人にこう言ったら、話はどう進むだろうか」と考える。
シミュレーション機能である。
その場合に、「世界の模型」に仮に入力してみて、その出力結果を見てみるのだ。
ここでは「その人に話す」という入力が、どのような結果となって出てくるか、予測する。

高級な「世界の模型」を持っていれば、予測は正確になる。
安定した心理で世界を生きることができる。

雑でいい加減な「世界の模型」しかないと、世界のことはなかなか理解できない。
世界は、意外なことが次々に起こる不思議な場所で、
人間は不可解で、理解も了解も不可能なものと感じられるだろう。
意外なことを言われて、わけが分からないというのは、このタイプになる。

世の中に渦巻いているいろいろな不満や非難や怨嗟の声は、
それが予想外のものだったから、語られるのだろう。
予想の範囲内であれば、はじめから対処しているはずである。

対処できなかったのは、
自分の側の「世界モデル」が適切でなかったか、
相手の側の「世界モデル」が適切でなかったか、
どちらかなのであって、
自分の側の「世界モデル」が適切でない場合には、不満は何度も続くだろう。
相手の側の「世界モデル」が適切でない場合は、何度も続くとは考えられない。
不幸な場合にも、二度、三度までだろう。

*****
過去に体験したものについて、
その心理プロセスを分析して、
今後に役立てるのは、
骨の折れる作業である。
これまでの自分の「世界の模型」を変えなければならないが、
どう変えたらいい分からないのが現実である。
どう変わったらいいか分かったときには、
すでに変わっているのだと言ってもいい。
理解することと変わることはほとんど同時に起こる。

未来に経験することに関して、
心理の仮説を立て、
現実がその通りに行くかどうかをみることは、能動的学習そのものである。

仮説を立てて成功すれば採用すればいいし、
成功しないなら棄却すればいい。
そのようにして繰り返して行けば、
真実の束が残る。それが脳というものだ。

*****
過去について考えるとき難しいのは、過去そのものは変えようがないからだ。
したがって、過去についての解釈を変えるしかない。
しかしそれはそれほど簡単ではない。

その過去があって、現在の「世界モデル」が出来上がっているはずで、
いったん出来上がったものを部分的にでも壊して、組立て直すのは難しいはずなのだ。
むしろ、これから新しい回路をつくるつもりで、新しい解釈のもとに新しい結果を採集したら、
そのことを「世界モデル」の最新部に付加すればよいのだ。

つまり、過去を後悔して解釈を改変するのは、
すでに出来上がっている建物を改造するようなもので、大変だ。

未来を心配して恐怖している場合は、
いずれにしても新しい経験を屋根の上にさらに新築するようなもので比較的たやすい。

*****
長々と述べたように、取り返しのつかない過去について悩むほうが、
恐怖の対象である未来の一場面を空想しているよりも、
ずっとつらいはずだ。
恐怖の対象は実際に怖い、しかしただそれだけである。
取り返しのつかない過去について、自己の内部の「世界モデル」を変更するのはかなり苦痛である。
それは本人が本人であることの中枢部分を変更することであって、
当然アイデンティティくらいシスに直結する。

*****
世界モデルがある程度正しければ、
精神病的な深い病理になるはずはない。
多少の不適応は生じることもあるだろうが、それは現実的範囲にとどまっており、
現実検討力は保たれている。
中核にある「世界モデル」はあくまで正しいのである。

世界モデルがかなり現実とずれてしまえば、
人間は自分の中枢だけは否定することができないので、
必然的に外部の世界の側を否定することになる。
これが精神病である。
現実検討能力の破綻ということになる。

過去を知って「世界モデル」を改変するというが、
それはまさにその人そのものとも言えるので、
改変は難しい。

未来について、予測と修正というプロセスを適用するなら、
合理的であるし、むしろ成長の原則と言えるだろう。

*****
さて、最近のうつ病は、メランコリーモデルと異なっていて、
会社が怖くて出社できない、
上司に怒られたので怖くて出社できない、
自分は悪くない、会社が悪い、
会社を休んで趣味のことをしていれば、
息を吹き返す。
あるいはそのような組織には未練がない。
さっさと辞めて、次の就職を考える。

この場合は、
「世界モデル」がずれていて、
しかも、過去について反省せず、
つまり自己モニタリングができないまま、
自分の世界モデルは壊れていないと確信し、
相手の世界モデルが壊れていると仮定している。

ずれている「世界モデル」と合致する世界を探しても
多分見つからないだろう。

「世界モデル」が現実とずれているならば、
将来の予測は外れることが多くあり、
未来について恐怖することとなり、
その屈辱に耐えられないということになる。
しかしその経験から学んでもらえばよい。
未来のことは学習できる。

おおむね、経済と体力に余裕があるうちは
自分の「世界モデル」を壊す必要はないようだ。
転職したり休んだりしていればよい。
いよいよ経済も体力も限界に来たとき
妥協する必要に迫られる。
しかしそれもいいことなのだ。
それではじめてその人の内側の「世界モデル」は修正される。

過去を反省するときには学習機能とは少し違うので、
難しい。
いったん自分を解体する必要がある。
メランコリー型うつ病のつらいのはそこだろうと思う。

*****
正しい「世界モデル」を持っている人と、もっていない人。

正しい「世界モデル」をもたずに未来に向かえば恐怖症になる。
未来については学習ができる。「世界モデル」は変更可能である。

正しい「世界モデル」をもたずに過去を回顧するなら、取り返しのつかない後悔となる。
その人は過去の結果を知っている。それは変えようがない。
その他の結果が可能だったのにいまとなっては不可能である。

正しい「世界モデル」を持ってもらうことが治療である。

*****
未来については仮説を検証し採用するか棄却するかを決め、
修正して再度検証すればよいので、
脳のトライアンドエラーの原則にかなっていて、
病理としては深くないと思う。

過去の後悔については、
そのときは適応的な行動だったはずで、
今も多分人からはほめられるような行動だったのではないかと思う。
だからこそ変える手がかりが見つからない。
その点で病理は深いのだと思う。



共通テーマ:日記・雑感

のどが腫れている

充たされない恋の想いを補うためか
新橋の銭湯に行く

あれこれ言いながらなんとなく診察みたいになる
先日は
くっきりした大きな目が濡れているキレイさんで中国の人だった
のどが腫れているようで
聞いてみたら
母親の妹が病院に通っているとのことだった
血圧を聞くと
そんなものは測ったことがない
第一医者にかかったことがない
ずっと健康なのだという
HIVの検査で保健所に行かされたと言っていた

なるほどと思いそのあともいろいろなことをして
脈診したりして
結局軽いけれど多分病気だと思ったので
治療の手順を説明した

このような職場だと
汗をかきやすくなっていても
気付かないことも多い

結局検診に行ったようなものだった



共通テーマ:日記・雑感

あなたでなければならなかった

年ごとのゴールデンウィークに思い出すのは
あなたと出逢ったことだ

わたしの中でまるで連続ドラマみたいに収納されている
再生するときには背景に音楽さえ流れている
くっきりとせりふを覚えている
そのときの瞳の表情を覚えている
おどろいたあなたがあげた声を覚えている

誰にも迷惑にはならないから
こっそりア・マポーラなど流している

心理分析の解説までつけることができる
喫茶店の席で陽を浴びて
雑踏を前にして独り想うのはそんなことだ

あなたと出逢い
そのことを分析し
それだけがわたしの人生だったようだ

その他のことはその他の人でも間に合ったと思う
誰かがやっただろう

あなたと出逢うのは
わたしでなければならなかったと信じている
わたしにとってはあなたでなければならなかったと証言できる

無限に憧れをかきたてる唯一の存在

そんなことはあなたにとっては
迷惑なことなのだろうと
過剰なことなのだろうと知りつつ
いまも変わらず憧れる

手を触れたこともない
唇に触れたこともない
恋である

共通テーマ:日記・雑感

喫茶店ですずめ

喫茶店でゆるくしていたら
すずめが飛んできてしばらく床の何かをついばんで
また飛んでいった
そういえば鳥がいるということは
鳥が介在する伝染病があるだろうか
などと考えた

人ごみを気にしない方向に進化したすずめであった

共通テーマ:日記・雑感

人工妊娠中絶における配偶者の同意 経済的理由

本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる
と母体保護法第14条 にあり、
「配偶者の同意」はもっともなのではあるが、
最近の風潮として、または潜在的にありながら最近顕在化した現実として、
戸籍上の夫に知られずに他の男性の子を妊娠した場合、夫に知られずに中絶したいわけで、
その場合、事情を話して、婚姻外の男性が承諾して書類を出すこともあるようで、
明白に法律に反しているものの、
諸般の事情を考えると、それしか方法がないようでもあり、
夫に知られたくないから中絶したいのであり、
知られたくないと思う限り、法律に反するしか方法はないようで、
また一方、それを法律で追認することは望ましくないと思われ、
まったく困ったものである。
「配偶者の同意」を「子の遺伝子的父である男性の同意」と表現すればいいのだろうか。

*****
「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれがあるもの」に
当たるものとして最近多いのは、
妊娠出産前にある程度地位を確保しておかないと組織に捨てられてしまう、
復職しても派遣扱いである、それは避けたい、
そのためには計画外の出産は困るというもので、
夫が定職を持っていて、妻が職を辞しても普通の生活はできるのであるが、
妻のライフプランから言うと、中絶を希望したいという場合で、
それは厳密に立法者の考える経済的理由とは考えられないが
拡大解釈してなんとなく認められている様子である。
もちろん、産んだとして、そのあと育児がうまく行かないのであれば、
子供も親も不幸であり、そのことも総合して考えなければならない。
中絶すればしたで後悔や自責は付きまとうので、簡単ではない。

*****
子供なんかまた作ればいいとの言葉もないことはない。
わたしにとっては超越した言葉である。

共通テーマ:日記・雑感

国境なき医師団に

国境なき医師団に
下着なきナースを
という品のないジョークを聞いた女性が
本気で怒っているのを見て
これは笑ってはいけない話なのかなと
本気に考えてしまったことがある
とさっき本気で思い出していたのは
トラウマなのだと気付いて
そのことの全体が本当に恐ろしい

共通テーマ:日記・雑感

8丁目的「立ち去り型サボタージュ」別名「逃散(ちょうさん)」対策

「立ち去り型サボタージュ」別名「逃散(ちょうさん)」で有名なんだけど、大変なんだ、病院は。

へえ、「逃散(ちょうさん)」て、日本史で習ったわ。先生に指名されて、
わかんなかったけど、あてずっぽうで、
「ちょうさん」って答えたらあたりで誉められたのよ。

まあ、そんな日本史みたいなことが大病院で起こってるわけだ。

どうすればいいの?

そうね、困ったね。

先生のやる気を出すんなら、わたしできると思うな。昼間、ナースに雇って。

*****
そんな話をしてまた乾杯、8丁目の夜は続く。

共通テーマ:日記・雑感

医療現場の閉塞感

現実は厳しい。

*****
小児科では女性医師が4割、産婦人科では5割です。にもかかわらず、月平均の時間外労働は100時間以上、それに更に加えて、月平均4,5回の当直。その際には、ほとんど仮眠もとれず、2日連続の32時間連続勤務。

このような実態で、女性医師が果たして働き続けることができるでしょうか。結婚や出産、あるいは、体力の衰えを機に、小児科や産婦人科の医師を辞めのは当然です。

小児科、産婦人科の医師不足問題は、女性医師問題とさえ言えます。

*****
手術などの治療には、最善を尽くしても不可避な危険性があります。福島県の産婦人科医の場合も、癒着胎盤など非常に難しい状態で、ほかの医師が担当したとしても、妊婦の死亡は防げなかった可能性が低くはありません。そんな治療で逮捕されるのなら、リスクの高い治療をしなければならない専門の医師は萎縮し、自己防衛として、危ない治療は断るようになるでしょう。

産科や外科、麻酔科、小児科などの医師は今でもすでに不足気味なのに、決定的に減少すると思います。この傾向は、研修医の後期研修の志望先にすでに表れており、産科や外科などを希望する研修医が激減し、リスクの低い科の希望者が増えています。

本来、リスクのある困難な治療を成功させ、病気やけがで命の危険にさらされた人たちを救うのが医師の喜びです。しかしこのままでは、若い医師たちにとっては、そんな治療で感動を覚えるのは昔話にすぎない、という状況になってしまうかもしれません。しかも国民の医療不信が高まり、医療費抑制で給料も低ければ、医師という職業に何の展望も開けず、閉塞感が強まる一方です。

*****
はい。閉塞感が強まっております。
閉所恐怖でパニックになりそうです。



共通テーマ:日記・雑感

atre :trip beyond your imagination

20080426.jpg

真ん中高めストライク!

共通テーマ:日記・雑感

本田宏氏 開業医について

 週刊東洋経済の2006年10月7日号で、業界や職種による賃金の比較「年収じゃ見えない!稼ぎの本当の裏側、日本人の全給料」が特集されています。これによると、時給トップ3は、1位が弁護士で1万402円、2位が航空機パイロットで8226円、3位がフジテレビで7582円。大学教授が6196円で6位、医師は4985円で11位でした。

 これら勤務医の給与(生涯賃金)が大手企業のサラリーマンよりも低い事実が報告され、さらに勤務医の過酷な労働実態が新聞などで明らかとなり、さすがに最近では、勤務医が法外に高給を取っていると思う人は少なくなったように感じます。

「借金は8年を経過した時点で1/3を終わりました。開業当初は家内と良く笑いながら食事をしていました『世の人は開業医がまさかこんなもの食っているとは思わないだろうな』と。またそれは驚くことに長者番付に名前が載っている状態でだったのです。長者番付に名前が乗るような状態でも、税金(これが泣きたいほどすごい)と借金を払うと残りは……(ちなみに借金は経費にはなりません、借金の利息が経費になるだけです)、新規開業の先生方はみなさん分かるでしょう。(中略)一般開業医の高収入は、そのように自らの仕事を他人に委託して行った結果として得られる『成功した社長的』なものではなく、自らの身を粉にした分だけが得られるものであり、それを辞めたときに収入がなくなります。高収入な開業医はそれだけ彼の身もすり減らしており、『ぼろ儲け』に見える開業医の身体も同時に『ぼろ』にし続けているのです、そこに人に誇れる正当な対価が生じます。」

 最近は、勤務医の現場の過酷な労働環境は広く社会に認知されてきましたが、開業医の実態は正しく伝わっているでしょうか。「開業医は儲けすぎ」が一人歩きしたままでは、医療費のパイは削減し、開業医から勤務医へ医療費をシフトするだけでいい、という小手先の改革が進められる危険性が高いと私は懸念しています。



共通テーマ:日記・雑感

ビル ヴィオラ

anime.gif

いまとなっては懐かしい。

共通テーマ:日記・雑感

心と体のかかわり合い 心身症

心と体のかかわり合い

 最近、心療内科や精神科診療所をよく見かけます。それらの多くは、うつ病などの気分障害や神経症、あるいは心身症などを治療する専門科です。その中でも、心身症という病態をご存じでしょうか。

 見た目には身体症状を訴えているのですが、その背景には何らかのストレス因子が大きく関与し、心身両面からの配慮が必要な病態が心身症です。

 例えば、テスト時期になると便秘や下痢を繰り返す方、彼とのトラブルから無月経になった方、過労気味になると肩こりや頭痛が悪化する方。何らかのストレスが病状の発症や悪化因子となりえます。しかし、もともとおなかをこわしやすく、以前から月経不順気味で、母親も同じような肩こりや頭痛で悩んでいたなど、体質的因子が病気に関与していて、ストレスが先か身体的病気が先かはっきりしないこともしばしばです。

 病気は心と身体がかかわり合って生じているとすれば、すべての病気は心身症と言えるのですが、特にストレスや心理社会的要因が大きくかかわっていると考えられる身体的病態を心身症と呼んでいます。



共通テーマ:日記・雑感

ボブ リチャードソン

クリップボード01.jpg

共通テーマ:日記・雑感

人工妊娠中絶

日本では母体保護法第2条第2項により、人工妊娠中絶を行う時期の基準は、「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」と定められており、厚生事務次官通知等により、現在は妊娠22週未満となっている(従って、人工妊娠中絶は人工流産とも呼ばれる)。

妊娠11~12週程度まで
日本では、頚管拡張後、掻爬術(独:Auskratzung)や産婦人科器具(胎盤鉗子やキュレット、吸引器など)で胎児を取り除く方法で行われる(英語で「拡張と掻爬」という意味で D&C(dilation and curettage)とも呼ばれる)。海外では、1980年代にフランスで開発されたミフェプリストン(RU-486)という人工流産を引き起こす薬が急速に広まり、2002年にはWHOも推奨する初期中絶の一方法になったが、日本の厚生労働省は2004年にこの薬の個人輸入を禁止した。最近では子宮外妊娠(頸管妊娠)の治療として、メソトレキセート(抗癌剤)の注入による自然流産の誘発等も行われている。

妊娠12週~満22週まで
この時期は胎児がある程度の大きさとなるため、分娩という形に近づけないと摘出できない。そのためラミナリアやメトロイリンテルなどで子宮頚部を拡張させつつ、プロスタグランジン製剤(膣剤、静脈内点滴)により人工的に陣痛を誘発させる方法がある。また妊娠12週以降は死産に関する届出によって死産届を妊婦は提出する必要もあり、日本の人工妊娠中絶の約95%が妊娠11週以前に行われている。

このように、12週まで掻爬だが、それ以後は分娩に近くなり、死産届を提出する必要もある。

同意書は必要?
中絶手術には本人と相手の男性の同意が必要です。
本人あるいは相手の男性が未成年の場合、病院によっては保護者の同意書も必要になりますので、
病院への問い合わせが必要です。
相手が分からない、相手と連絡が取れない、相手が海外などで同意書を作成できない場合もその旨を病院でお話してください。
このとき親身になってくれないようであれば他の病院へ行きましょう。

妊娠12週以降は陣痛促進剤を用いた特殊な方法になるため、所要時間は全く予想がつきません。
また、術後の出血の可能性も高いため入院の必要があります。

*****
母体保護法第14条
第1項 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
第1号 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれがあるもの。
第2号 暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの。
第2項 前項の同意は、配偶者が知れないとき、若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者が亡くなったときには本人の同意だけで足りる。

*****
昔の優生保護法第14条は以下のような内容。
本人又は配偶者が精神病、精神薄弱、精神病質、遺伝性疾患又は遺伝性奇形を有する場合
本人又は配偶者の4親等以内の血族関係にある者が精神病、精神薄弱、精神病質、遺伝性疾患又は遺伝性奇型を有する場合
本人又は配偶者がらい疾患(ハンセン病)に罹っているもの
の中絶が認められる。



共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。