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国家備蓄しているプレパンデミック(大流行前)ワクチン接種の優先順位

医療従事者らが最優先 大流行前ワクチンに順位 新型インフルで政府が素案
 08/09/19 記事:共同通信社提供:共同通信社

 政府は18日、新型インフルエンザ対策の関係省庁会議を開き、国家備蓄しているプレパンデミック(大流行前)ワクチン接種の優先順位について、医療従事者ら発生時に第一線で対応する業種を最優先にする、などの素案をまとめ公表した。

 内閣官房によると、関係業種は計97で、接種対象者は推定で計1000万―1500万人。

 国民的な議論を進めるのが狙いとしており、近く内閣官房のホームページに掲載、国民の意見を聞いた上で、本年度中に正式決定する。

 素案は、接種対象となる業種を優先度順に3つのグループに分類。最優先グループは、感染拡大防止・被害の最小化に取り組む業種である感染症指定医療機関などの医療従事者、保健所職員、新型対策にかかわる警官や救急隊員、検疫所職員、在外公館職員ら。

 第2グループは、対策の意思決定や国民の生命・健康維持に関する業種として首相や閣僚、自治体首長、一般医療従事者、国会議員、地方議員、報道機関職員ら。第3グループは国民の最低限の生活を維持する業種として、ライフラインや食料流通関係者らを挙げた。

 大流行前ワクチンは、新型発生後に製造される本来のワクチンができるまでの「つなぎ」として、新型への変異が懸念される鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)を基に製造し、国が2000万人分を備蓄している。厚生労働省研究班が約6400人を対象に安全性や有効性を確認する臨床研究を進めており、結果が良好なら、医療従事者らへの接種拡大を検討するとしている。
 
*****
1.備蓄分を処分したいのだろう。ワクチンが効く保証はない。
2.「感染症指定医療機関などの医療従事者、保健所職員、新型対策にかかわる警官や救急隊員、検疫所職員、在外公館職員ら」というのは、結局、一番危ないという意味なのだろう。
3.「首相や閣僚、自治体首長、一般医療従事者、国会議員、地方議員、報道機関職員ら」という部分は批判が多い。わたしも意味がわからない。

いずれにしてもいい話ではない。



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行住坐臥のスポーツマインド

スポーツはジムにてのみするものではない
行住坐臥、日常の中で身体を活性化することが
要諦である

たとえば居間から台所にかけては
ハードルに相当する障害物を置き、
常に足を高く上げざるを得ないように設定する

使わなくなったタワー型コンピュータなどはちょうどいいハードルである

しばらくの間は股関節が痛むが
そのうちに慣れて関節可動域が拡大する

たとえば身軽に駅の階段を足で登る
それだけでずいぶんと違う

自動車を使わずに歩き
歩けないなら電車を使う

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性愛の幻想の性差

性愛についての幻想について言えば
個人差も大きいが性差も大きいのではないかと思われる

生物学的構造から言って
能動側と受動側に分かれてしまうのも
やむをえないような気がする

男性の側の幻想が
物事をリードすると考えて、
長い年月の配偶者選択の後には
男性側の幻想と現実が一致するに至るだろうと推定できるのだが
現実にはそのようにはなっていないと思われる
それが不思議だ

たとえば
源氏物語で描かれる人物像は
男性の理想なのか女性の理想なのか
考証すれば面白いかもしれない

スーパー貴公子の物語だから男性側に都合のいい要素も多いのだろうが
その都合のよさに乗る形で男性をひきつけるための女性用の教科書だとすれば
事態は複雑である

男性が男性のために発達させた幻想と
女性が女性のために発達させた幻想が
決して一致すめことはなく
しかし優雅に交差しているのである
その微妙なこと

心理的次元でも生物学的構造の次元でも
いえることである

たとえば母と赤ん坊の関係で言えば
母親の乳首が形成されることと
赤ん坊の唇が形成されることは
お互いに必要な偶然であり
したがって必然的なことであった

*****
現実の性の幻想として
痴漢する側とされる側という
非対称な関係がある

また精神的ダメージを受けることで言っても
性的PTSDで長く苦しむのはどちらかという問題もある

そうした表面的な次元を
もう一皮めくってみれば
男性側も結局は母という女性に抑圧され支配されているという現実があり
絡み合って
勝敗はつけがたい

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不正米とサブプライムローン

不正米があちこちに入り込んでいるが
薄く薄くなっているのでもうどうしようもないし人体に被害はないのだと
言う人までいて
これはサブプライムローンがあちこちにばら撒かれて
薄く薄く入り込んでいるのと
よく似ていて
似ていることに驚く。

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ネット社会の万能感という場合の万能感とは何か

ネット社会の万能感という場合の
万能感という言葉には注意が必要である。

Omnipotentの翻訳であり、
多能感、全能感、万能感などと翻訳されている。

確かに親指ひとつで、またはクリックひとつで、
いろいろなことが可能になるのであり、
その延長として、自己の多能感または薄めて言って、有能感を
錯覚することもあるだろうとの議論なのであるが、
誰しも、それは極端な話なのだとは分っている。

ネット社会の延長として、現実社会においても、
本気で自分が有能だとか多能だとか信じているのであれば、
その場合には、むしろ妄想とか知能の障害とかを考えることになるかもしれない。
その程度はわきまえているものである。

*****
しかしながら、万能感という言葉は微妙に我々を惹きつける。
万能感の一面をかなりの程度薄めていけば、
その一部には能動感が残るだろうと考えている。

人間の主観的意識の成立のためには
能動感が大切な要素だと私は考えている。

総理大臣が、私はあなたと違って客観的に自分を見ることができるのだといった内容の発言をしたとして、
客観的に自分を見るためには
どうしても客観的に見ている主観が必要なのである。
結局は主観的にならざるを得ない。

このあたりの事情をさしてデカルトはコギトについて言及した。

人間の生存と生殖に関して言えば、
主観的体験を意識することは有利ではあるが不可欠ではないと思われる。
無意識のうちに行動していることは誰しも経験がある。

外科医が当直をしていて、眠いところをいきなり起こされて、
手術を滞りなく行い、次の日の朝になって、カルテを見て、
その記憶のないことに驚くという例はしばしば言われる。
また、考え事をしていて、改札をまったく主観的注意の意識なしに
通り過ぎ、その時間帯の意識がまったく欠けているという例もしばしば言われる。

人間は主観的意識を欠いたままで立派に生きられる存在であるようだ。
あればお互いに便利だという程度のものらしい。

その主観的意識がどのように発生するかについては、
大きな謎であることはカント以来誰もが認め、
あいまいな仮説を持ち出しているが、
実証には遠く、珍しく、カトリックの政治力をもってしても、
定説というものがない。

我々は主観的意識の発生について仮説を持っており、
その内容の骨格は、統合失調症の場合の自我障害の観察に由来している。
させられ体験、能動感の消失、被動感といった系列の症状からは、
人間の意識の能動性は実は脳が操作して作り出しているものであり、
その操作部分が破壊されたときには
まったくの自然状態である、神経は反応の束であるというテーゼにまで
戻るのだろうと思われる。

実際、脳に視覚や聴覚など各種のモードの感覚が到達するまで、
時間が一致しているとは考えられない。
足の親指をやけどするとき、
目からの信号、耳からの信号、皮膚からの信号は、時間としてずれているはずである。
しかし脳はそれらを総合して、同時であると判断するように調整している。

同じような調整の仕方で、
能動的行為の予想と結果を操作して、予想を常に先に感覚し、
その後に行動しているので、その差が、
能動感として残るのである。

この部分が破壊されると、能動感は失われる。
したがって、能動感が失われた状態がむしろ自然状態であり、
世界は予想できず、
行動は刺激に反応するだけのもので、
主観的意識はつねに行動に遅れているはずである。

ところが脳はその時間を逆転させているので、
主観的体験としては能動感が発生する。
それは簡略に言えば、「予想通りに事が運んだ」「意図したとおりに行動した」と
主観的に意識する錯覚が生じていることになる。

そのことと万能感の幻想とはほんの一歩である。

*****
わたしは日ごろはそのような意味で
万能感とか能動感という言葉を使っているので、
ネット社会の幻想的万能感といっても、
むしろ、人間はだれでも薄められた能動性の幻想の中で生きているのであって、
その方向の万能感をネット社会や携帯が裏づけしてくれるわけでもない。
もしそうなら、万能感や有能感や能動感が薄れてしまった人に
ネット社会や携帯世界で自信をとりもどし、
能動感の感覚を取り戻してほしいくらいなのである。

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