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昨日作ったカレー

うれしかったことは
疲れて帰って何も準備したくないとき
台所を眺めたら昨日作ったカレーがあって
すっかり忘れていたがそういえばと思い出し
電子レンジで温めてすぐに食べられたとき

鶏肉バージョンはやはり美味しくできなかった



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喜ばしきおびたださについて

お前のおびただしさに驚き
お前のおびただしさをのみ味わうとしたら
それではわたしは失格なのだ

まずお前の羞恥を承知して羞恥を最大に味わいつつそして徐々にやわらげつつ
それでも次第にそのおびただしさをお前が自覚してゆくように
時間をかけて愛し合う

おびただしさを通路として羞恥をお前が感覚の中で最上のものと味わうように導く
それがわたしの役割りなのだ
お前の変化を微細に頭の中のカルテに細大漏らさず書き記しながら
観察するわたしは観察されるわたしを含めて描出し
そのときわたしは観察されるお前とつながったひとつのものとして
あなたはわたしでわたしはあなたで
あなたとわたしは一つで二つで
そのようなものとしてその満ち満ちたおびただしさの中で
観察する目は溶けてゆきますます貫いてゆく

花びらの中で
日の冷たさの中で
つぼみのほのかさの中で
温かさへの期待の中で

偉大な古代の彫像としてあなたを崇拝するのだ
古い儀式のように
激しいタンゴ・アルゼンチーノのように

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逆恨みと八つ当たり

相対的に不幸だから相対的に幸福な人を逆恨みして、八つ当たりする

人は自分に割り当てられた不幸をどのようにして納得するかと言えば
いずれにしても難しい
誰かに助けてもらいたくなる
助けてもらうひとつの形式が
逆恨みと八つ当たりである

*****
他人から見ればたったそれだけのことで
そんなに不幸だと思わなくてもいいのにと言う程度のことでも
本人にとっては耐え難いこともある
人間はいろいろなのだ

新しい猫ちゃんが来ても
隣の猫ちゃんのほうがかわいいなと思ったら
もう不幸が始まる
逆恨みしたり八つ当たりしたりする

猫が飼えるだけ幸せだと謙虚に思う人は少ないものだ

*****
見方を変えれば
他人の不幸につきあうひとつの形式かもしれない

聖書でヨブはなんだかよく分からない試練を与えられるのだと思うが
発生源の不明確な逆恨みと八つ当たりであるような気もする

抽象化した逆恨みと八つ当たりとでも言うべきか

*****
逆恨みされたり八つ当たりされたりするときは
自分が相対的に幸せなのだろうと思っていい

他人の不幸につきあうのも
税金のようなもので
この世を生きる仕方のない負担である
不幸な人はいるものなのだから

そして誰でも不幸になる可能性がある
いつでもある
だから他人の不幸に対しても共感的でありたいし
その際には多少の逆恨みも八つ当たりも受け容れて
ともに不幸を解消すれば大変よいのだが

いずれにしても簡単ではない

*****
自分に起こった不幸を他人に及ぼさないことを自分の主義にしている人もいて
大変立派なことである
なかなか出来ることではない
しかし実際にいるのであるから
出来ないことではないらしい
凡人には難しい
愚痴のひとつも言ってしまうものだ

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死んだように眠りたいと思ったとすれば

あーーもう疲れた、
死んだように眠って、もう二度と起き上がりたくないと
思ったとすれば、
要するに死にたいということなんだろうか?

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自然法則と自己愛

科学技術と社会制度の発達は、
自然の現象も人間が受け容れざるを得ないことではないと思うようにさせた。

老化もコントロールできるかもしれない。
死も遅らせることができるかもしれない。
不妊も変えられるかもしれない。
気候も変化させられる。

我慢せずに欲求していいのだと肯定的になる。

たとえば男で生まれたら男、女で生まれたら女というルールさえ、
変更可能なものになっている。

そうなると欲求を断念する苦痛に耐えることは意味がなくなってくる。
極端に言えば、お金が用意できれば、回避できるかもしれない。
歴史を通して、人間である以上、堪え忍んできた苦痛を回避できるかもしれない。

そうなるとたとえば人間の死に関しても、運命として厳粛に受け止めるというよりは、
人間の側の限界だったのか、そうではなかったのかということに関心が向く。
最善手は別にあったのではないかと思えば、いろいろな動きに結びつく。
いずれ死ぬとは理解しながら、この死だけは納得できないという感情に突き動かされる。
限界を限界と受け止めることが苦痛である。

これは自己愛肥大の一つの局面であり、
ルールは自分のために変更していいし、何か耐え難いことが起これば他人のせいだという
自己愛的な感情の動きのレールに乗ることになる。

ルールは知っているが自分のために変更しろと
いう場合、自己愛的である。
自己愛が肥大したところで自然法則はどうにもならないのであるから、
自己愛は自然法則に抗議するのではなく、人間の作る社会と制度の側に抗議する。
矛先を微妙に変えている。

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扇状地型農業と執着性格的職業倫理

扇状地型農業と執着性格的職業倫理の関係
天災の危機にさらされやすいが復興は容易である
方法は簡明である

近くの成功体験を大切にする態度
過去から離れられない
強迫性成分がある
幸運を待つのではなく努力を続ける

祈るよりは耕す

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田を治めるごとく身を修める

二宮尊徳の倫理の一つ。

自然のままに放置したのでは
田は治められない

人間の自然のままに放置したのでは
身を修められない

手間暇かけて積み上げること

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心の雑草を抜く

二宮尊徳の倫理の一つ

心に雑草が生えるのがいけないのではない
放置しておけば雑草が生えるのは自然である

それを抜いて整えるのは人間である
人間の努力だけが秩序を維持する

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つぐない(石川さゆり) 別れの予感(岩崎宏美) 2001年

再会 石川さゆり 2005年 Ishikawa Sayuri

心もよう 石川さゆり 1986 Ishikawa Sayuri

哀しみ本線日本海 石川さゆり 1999年 Ishikawa Sayuri

アカシヤの雨が止む時 石川さゆり 1995年 Ishikawa Sayuri

ラヴ・イズ・オーヴァー 石川さゆり 1999年

つぐない(石川さゆり) 別れの予感(岩崎宏美) 2001年 

なるほどこうしてみると
石川さゆり、岩崎宏美グループと
ちあきなおみ、テレサテングループに分かれるらしい。

最近はちあきなおみが心地よい。




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血流と脳波読み取り、イメージするだけでロボット動く

血流と脳波読み取り、イメージするだけでロボット動く

2009年4月1日   提供:読売新聞

 

 

 

 頭の中で動作をイメージしただけで、人型ロボットの手足などを動かすことに、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)とホンダなどの研究チームが成功した。

 脳の特定の領域で変化する血流や脳波をヘルメットのように頭にかぶった装置で読み取り、その信号をロボットに伝える仕組みだ。ホンダが開発した二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」を使った実験では、イメージ通りに手足を動かした動作の精度は90%に上った。

 欧米でも研究が進むが、成功率は60%台という。ただ、今回の成果は両腕や足の上げ下げのほか、話す時の舌の動きをイメージして発声させたことのみ。脳の動きに反応してロボットが動くまで7秒ほどかかり、読み取り装置は重さ300キロ・グラム、大きさも小型のタンスほどもある。

 チームは、さらに複雑な動きを可能にする基礎実験を続け、携帯可能な読み取り装置の開発も目指している。

*****
このニュースは私にとって難しい意味を持つと感じている。

普通に考えれば、脳の一部で「意思」が発生して、それが運動野に伝達されて
運動が起こる。
だから、意思の発生部または意思の伝達部を読み取って、
それを外部につないで運動器につなげばいいわけだ。

しかし私は意思というものの存在を別の様態で考えているので、
上のようには考えない。

人間は感覚刺激を感受し、それを加工して、運動出力に変換している。
脳はただそれだけのものである。

意思が存在すると思われるのは、
感覚刺激から加工、出力の過程で、
副次路線が作られて、あたかも、独自に意思が発生したかのように
錯覚させるメカニズムがあるだけであって、
極端な話、そのメカニズムが完全に壊れても、
生存には不利ではあるものの、生存は不可能ではない。

*****
そのように考えている私にとって、
上の実験は何を意味しているかといえば、
意思の内容は、「手を動かす」ではなくて、
「手を動かそうと思っているけれど、実際には動かさない」という意思である。

そうでなければ、実際に足が動いてしまう。

ということは、「足を動かそうと思う」と「実際は足を動かさない」の複合刺激であるはずで、
そこのところを読み取って、動作していなければ、うまくいかないはずの実験なのである。

ところが報告ではいとも単純な書き方で、
動かそうとした意思を血流と脳波で読み取って、
運動につなげると書いてある。

私としては、その意思はどこから発生しているのかをきちんと考えれば、
そんなに簡単な話ではないだろうと考えているのだが、
どうだろう。



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そのひとと その花を見た 西郷山 春日は照らし 髪の香ほのかに

そのひとと その花を見た 西郷山 春陽は照らし 髪の香ほのかに

かつての日亡き妻と
西郷山に花見に出かけた
春の陽は二人を照らし祝福しているかに感じられた
花の香はかぐわしく
いとし子の髪の香もほのかに哀しい夕べである

今一度の春をと願うが
真実の意味での春の日は還らない

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涙そうそうで死んだらどこに行くの?と聞いて答えられない

映画の中で
妹分が兄貴分にに聞く
人間は死んだららどこに行くの、どうなっちゃうの?
これに兄貴分は答えられない。

これは現代日本人の世界観システムが根本的に不備であることを露呈している実例である。

我々はどこから来たか。
我々は何者でなにをすべきなのか。
そしてわれわれはどこに行くのか。

その程度のことをはっきり答えられないで生きているとは、
何という欠落だろう。
ジクソーパズルのピースがないままで生きて行かれるものだろうか。

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Δ精神性的発達

フロイトがウィーンの世紀末に
精神性的発達を語った。

いま東京の2008年に精神性的発達を語るとすれば、
かなり違ったものになるはずなのだ。

彼の語った素朴な概念である抑圧にしても、ずいぶんと状況に変化はある。

性欲を抑圧するととして、
抑圧の程度と方法にはやはり違いがある。

性欲そのものの変質がひょっとしたらあるのかもしれない。

たとえば、印刷社会やテレビ社会が近視を蔓延させている。

たとえばウォークマンを聞く人は難聴になっているかもしれない。

それと同じような意味で、ネット社会は性欲を変質させているかもしれない。

しかしその内容は難しい。

男女で違うし、個人差はさらに大きいと思う。

人間のもともとの欲求のある部分を拡大しているし、
ある部分を縮小しているはずだが、
どのような歪み具合になっているのかは、
渦中にいるとよく分からないものではある。

フロイトの見ていた景色との引き算をしてみることは可能かもしれない。
というわけで若い人に宿題を出した。

Δ精神性的発達(現代東京ネット社会,フロイト的ウィーン世紀末)を抽出せよ

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