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人生において一番大切なものは「時間」です

人生において一番大切なものは時間です。

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30歳未満の女性の可処分所得は男性を2600円上回った

 単身世帯を対象にした総務省の2009年の調査によると、30歳未満の女性の可処分所得は月21万8100円と男性を2600円上回り、初めて逆転した。男性比率の高い製造業で雇用や賃金に調整圧力がかかる一方、女性が多く働く医療・介護などの分野は就業機会も給与水準も上向きという産業構造の変化が背景にある。諸外国に比べ大きいとされてきた日本の男女の賃金格差も転換点を迎えつつある。

 総務省がまとめた09年の全国消費実態調査によると、勤労者世帯の収入から税金などを支払った後の手取り収入である可処分所得は、30歳未満の単身世帯の女性が21万8156円となった。この調査は5年ごとに実施しており、前回の04年に比べて11.4%増加した。同じ単身世帯の若年男性は21万5515円で、04年と比べ7.0%減少。調査を開始した1969年以降、初めて男女の可処分所得が逆転した。

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統計上のことだが印象的

昔は結婚は人生リスクを半分にすることだったが
最近は人生リスクを倍にしている


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検察上層部に嫌疑をかけられた検察官

検察上層部に嫌疑をかけられた検察官は
1.検察ストーリーは拒む、否定。
2.可視化を要求。虚偽の自白の存在を前提とした。
3.検察リークでマスコミ情報はできあがっていると非難。接見禁止が続けば、「検察リーク」によって、一方的に偏った記事が世間に溢れることになる。そこでマスコミ接見を設定。情報戦でも検察上層部と戦うらしい。

ピッチャーが元キャッチャーと対戦するようなもので
困ったことだろう。

嫌疑をかけられた検察官にしてみれば
なぜ俺なのかと感じ
村木事件だからなのかと考えるはず


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規則帰結主義(rule-consequentialism)

ルールが生み出す社会のあり様を考えてルールの良し悪しを議論する、
この考え方を規則帰結主義(rule-consequentialism)という。
あるルールが存在する社会と存在しない社会では社会の様相が変わる。
したがって、二つの社会の様相を比較することによってルールの良し悪しを合理的に議論することができる、
これが規則帰結主義のロジックだ。



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ミネルバのふくろうは黄昏(たそがれ)に飛翔する

 古来ふくろうは学問の神ミネルバの化身と考えられてきた。夜行性の生き物であるふくろうは黄昏にならなくては飛翔できない。ヘーゲルは、ふくろうのこの行動様式の中に学問の負う宿命を看取した。すなわち、あらゆる事象はその歴史が終わらなければ真実の姿を把えられない。ゆえに、学問が真理を見い出すのは対象とする事象が歴史的終焉を迎えた後のことである。



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誤解と憎悪のループ

人間は誤解と憎悪のループに入ると抜けられない
悲劇である
そして愚かなことだ


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含みを読み取る

相手の言外に込められた感情や含みなどを暗黙裏に汲み取る能力

いいですよと言っているが実際は駄目なのだ

成田離婚では
海外旅行で男性は明示的な意味の部分で交渉するからうまくいかない。
女性は言葉がわからなくてもそれなりに状況全体から交渉をまとめるので強い。
頼りにならない男という印象が形成されて、
成田に到着する頃には離婚の決意が固まっている。



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動物に育てられた子供

採録

真の意味でのコミュニケーション能力欠如 ― 動物に育てられた子供がしばしば見つかるロシアの悲哀

■ コミュニケーション能力がないって?

近頃、「空気が読めない(KY)」と同じくらいよく聞かれるのが「コミュニケーション能力がない」という表現。そう自覚して人付き合いに苦手意識を持っている人も少なくないようだ。「コミュニケーション」という言葉には、情報伝達と意思疎通の2つの意味がある。実際のところ、たとえば自らをオタクと分類している人が「コミュニケーション能力がない」と自覚している場合は、「情報伝達」には長けているのに「意思疎通」が苦手だということになる。 
  
「情報伝達」は、明示的な言葉によるコミュニケーションがメインである。一方、「意思疎通」には、相手の言外に込められた感情や含みなどを暗黙裏に汲み取る能力が要求される。母国語が異なる同士でも意思疎通が可能なことがある。言葉が通じなくても物々交換なら十分可能だったからこそ、古くから異民族間での交易が行われてきた。現代においても、互いに言葉の通じない男女が恋に落ちることは十分に可能だ。

現代文明の原動力になっているのはまさしく「情報伝達」。人類全体の情報伝達能力はITの登場により飛躍的に向上した。しかし、「情報伝達」のキャパが増えても、「意思疎通」が促進されるわけではない。むしろ、「明示的な情報伝達」に「暗黙的な意思疎通」が追いつかない状況。それゆえ、情報伝達能力や情報収集能力に優れていても「コミュニケーション能力がない」と自覚する人が増えてきているのではないか。

■ "モーグリ症候群"の子供たち

ごくまれに人里離れたジャングルの中などで、動物に育てられた人間の子供が見つかることがある。彼らは育ての親や一緒に育った兄弟たちとなら意思疎通ができるのだが、人間とは意思疎通ができない(犬科や霊長類の動物が育ての親となるのが普通だが、後述するように鳥類が事実上の育ての親になったケースもある)。真の意味で「コミュニケーション能力がない」子供なのだ。

文明社会に連れ戻されると、"モーグリ症候群"という診断が下される。これは、ジャングルブックの主人公モーグリのように動物に育てられたため、人間の言語、意思疎通の方法、行動様式を習得できていないことを意味する。最近、"モーグリ症候群"の子供がロシアで見つかることが多い。しかも「人里離れた場所で見つかる」という従来の常識を打ち破り、堂々たる"町中"で見つかったという事例がここ数年で何件か報告されている。

■ 町中で野良犬に育てられた男の子が見つかる

2006年の2月のこと、ロシア南部のスタブロポリ地方の町中で犬に育てられた4歳の男児が発見された。後述する理由により既に身元が判明しており、アーサー・ズベレフという名前。アーサーちゃんは、最初、四つんばいの姿勢で水溜りから水を飲んでいるところを目撃された。民生委員たちが目撃現場周辺を捜索し、アーサーちゃんを発見した。

発見時、アーサーちゃんは、ゴミ捨て場近くに作った隠れ場所で、野良犬たちと寄り添うように眠っていた。だが、民生委員たちが近づくと、犬のように吼え両手両足で地面を蹴って、すばしっこく逃げ去ってしまう。アーサーちゃんを保護するまでに、結局、3週間もかかってしまった。

保護されたとき、頭からかぶって着るタイプの服を1枚身に着けているだけだった。だが体重は4歳児の標準レベル。野良犬たちの助けを借りて、十分な量の食料にありつけていたのだろう。アーサーちゃんは、同じ町で路上生活を営んでいるビクトリア・ズベレフというホームレス女性(45歳)の息子。しかし、酒びたりの母ビクトリアは育児を放棄した。そして、いつの間にか野良犬たちが面倒を見るようになったらしい。

■ 家の中で飼い犬に育てられた女の子が見つかる

2009年の2月にも、同じくロシアのウファという都市で、アーサーちゃんと同じように犬に育てられた3歳の女児が発見された。彼女の名はマディナ。アーサちゃんの場合とは異なり、育ての親は野良犬ではなく飼い犬である。しかも、見つかったのはなんと家の中。

アンナという名の女の家に足を踏み入れた民生委員たちは、飼い犬たちに混じって四つん這いで骨をかじっている女の子の姿を見て愕然とした。ロシア中央部のウファは2月の気温が氷点下20度近くまで下がる厳寒の地。なのに、マディナちゃんは裸のまま犬たちと寄り添っているではないか。

近づくと、犬のようなうなり声を上げて威嚇する。直立歩行はできず、常に四つん這いで歩く。人間の言葉はほとんど理解できない。かろうじて「ダー(はい)」と「ニエット(いいえ)」の2つの言葉を言えるが、人が近づくと攻撃的な態度を取り、まともなコミュニケーションができない。

ロシアの都市部にはアルコール依存症の人が多い。マディナちゃんの実の母アンナ(23歳)も酒浸りの毎日を送っていた。マディナちゃんが生まれてまもなく夫が家を出たことが、その引き金だったという。

アンナ自身はテーブルで食事をとるが、娘には人間の食事を与えたことがない。マディナちゃんは、床の上で犬たちと一緒に"エサ"を食べていた。アンナは何日も家を空けることがよくあった。かと思うと、酒飲み仲間を家に連れてきてドンチャン騒ぎ。だが、仲間たちの前でマディナちゃんの存在を完全に無視していた。

「マディナちゃんは天使のように可愛らしい女の子です。でも、母親に完全にネグレクトされていました。彼女に愛情を注いで面倒を見てくれたのは犬たちだけです」と民生委員の1人は話している。また、地元紙によれば、母親が怒り出すと、マディナちゃんが外に逃げ出すことがあったが、近所の子供たちが彼女と遊ぼうとすることはなかったという。そりゃ、言葉もしゃべれず裸で四つん這いになって走り回るマディナちゃんは、他の子供たちにとって不気味この上ない存在だったはず。

■ 言葉を理解せず、鳥のようにさえずり鳥のように羽ばたく"鳥少年"が見つかる

2008年の2月には、同じくロシアのボルゴグラードで7歳の"鳥少年"が発見されている。"鳥少年"はマディナちゃんと同様に母親(31歳)と同じ屋根の下で暮らしていたが、母親は決して自分の息子に話しかけようとしなかった。彼女は無類の鳥好きらしく、たった2部屋しかないアパートの中に数え切れないほどの鳥篭が置かれていた。無数の鳥が餌をついばみ糞を落としながら、さえずっていた。ベランダでは野鳥にも餌を与えていた。

母親が暴力をふるった形跡はなく、食べ物もちゃんと与えていた。だが決して息子に人間の言葉で話しかけず、外で近所の子供たちと接触させることもなかった。こうして7歳まで鳥小屋同然のアパートの中で外界と接触を絶たれて育ってきた少年は、人間の言葉をまったく理解できない。その代わり、鳥たちとのコミュニケーションは得意のようだ。

「話しかけても、鳥のようにさえずるだけです」と地元の民生委員は言う。ただし、少年にとって、そのさえずりは何らかの意味を持つコミュニケーション手段となっているらしい。自分のさえずりが相手に理解されないことがわかると、鳥が羽ばたくように手を振り始める。

"鳥少年"は母親から引き離され、児童養護施設に収容された。この7歳の少年にも、やはり"モーグリ症候群"という診断が下されている。母親は、結果的に"モーグリ症候群患者"を人工的に作り出すプロジェクトを成功させたのと同じである(母親にそういう意図があったとは思えないが)。それとも、この母親にとって、息子は飼い鳥のうちの一羽に過ぎなかったのだろうか。飼い鳥に人間の言葉で話しかける癖のある人もいる。もしこの母親にも同じ癖があったなら、少年はかろうじて人間の言葉を覚えていたかもしれない。


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女同士だから分かる

女同士だから分かると言うのは
コウモリ同士だから分かるというのと同じ



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幸福の大部分は適当に忘れているせいである

不幸の大部分は貧乏のせいである
幸福の大部分は適当に忘れているせいである



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おとこは旅をして種を撒く

これからの時代、おとこは旅をして種を撒くのがいいのではないか

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随分元気な人

大学院総合文化研究科・U氏・57歳と女子学生19歳セックス裁判
という記憶があって
今から思えば随分元気な人

そのような人と成立してしまうのはなんともはや
狭い世界で生きていたのかと推測する


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9条の価値

さて、9条は念仏以上の価値があるのだろうか
お祈りは自分の心を清らかにするが
異教徒の心を清らかにすることはないと思う

何よりも大事なことは自分の心を清めることだという教えはよくわかる

しかしそれはお巡りさんに給料を払っているからだ

グレーシー柔術のように絶対負けない発想が9条の念仏になっているなら
かなり困る

心の問題は9条でいいけれど
一方でグレーシー柔術が必要だ

しかしもう昔と違うので
核弾頭を複数個同時に打ち込まれたら迎撃しようがない
逆に一発なら日本が過剰反応して、ただの誤射だったのに
過剰反応した、実は誤射ではなく、日本の誘導に乗ってしまったものだとか
言うのだろう
国際平和で友好グレーシー柔術はないということになる

しかし攻めたところで疲弊したところを必ずどこかの大国に攻撃されて
無条件降伏に至る
国連の常任理事国体制は続いている

あれこれ考えると困難なので
9条の念仏に頼れと言い続けるほうがなんとなくご利益がありそうに思える

実質的には念仏以上のものではない

ということはtoo late too little といわれる金融政策を
粛々とやらせていただく

9条しかない日本なのだから多少の経済撹乱など微罪である

少なくとも領土の野心はありえないし
国内に抵抗分子を抱えているし
地理的になんともどうしようもない

アメリカは遠すぎる
中国は大きすぎる
ロシアは寒すぎる

国債を刷る
年金を維持する
赤字を放置して膨らませる

日本国を占領したら
円無価値で
借金チャラでみんな大損するぞと
脅す

経済的にグレーシー柔術を仕組んでおいて
その上で9条念仏を唱え続ける






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貞節の価値

最近は処女の価値とか貞節の価値はどうなのだろう
昔はどうして大切にされたのだろう


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ハイジとペータ

アルプスの少女ハイジは
幼なじみのペータ以外と
恋愛する可能性があるのか知りたい


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純米は最低5、6割のこと・消費者庁

秋田、新潟限定の土産品の焼き菓子2商品の原材料に米粉を0.004%しか使っていないのに、「純米クッキー」と表示したのは消費者を誤解させるとして、消費者庁は13日、土産品業者の「大藤(だいとう)」(東京都)に対し、景品表示法違反(優良誤認)で再発防止を命じた。同社は「米どころの特色を出そうと、純米酒をヒントに名付けた。米粉を原材料に使っていれば『純米』と言っていいと思った」と釈明している。2商品は消費者庁の調査を受けて8月に販売が中止された。

 消費者庁によると、2商品は「あきたこまち米使用純米クッキー」と「コシヒカリ純米クッキー」で、4年前の発売以来、計約2万6千箱、約2100万円を売り上げた。工場での1回分の原材料232キロのうち、小麦粉65キロ、砂糖48キロに対し、あきたこまちとコシヒカリの米粉はそれぞれ10グラムだったという。

 消費者庁は「『純米』と言うからには、原材料として最低5、6割は使っていないといけない」としている。

ーーー
というのだが
この会社も会社だが消費者庁が「最低5、6割」というのも相変わらずすごいコメント
純米は10割のことですよね、小学校理科で言えば

こんなことが役人も裁判関係も日常なのだから驚く

純米定義訴訟でも起こしたい
裁判官が消費者庁をどう判断するか関心を持って見守りたい



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愛されること

人間の欲望には果てがありません

給料が20万円の人は
「せめて25万円あれば」と思いますが
現実に25万円の給料が得られるようになれば
今度は「30万円くらいはほしい」となってしまいます

病気で入院したときは
「健康が一番だ」と思いますが
病気が治って元気になり
日常生活に慣れたころには
またささいなことに不満が募ります

今あなたが何かに対して不満を抱いているとして
たとえその不満が解消されたとしても
さらに高い欲望を訴え
新たな不満を感じてしまうことでしょう

欲望から要求が生まれ
要求から不満が生まれます
欲望に果てがない以上
不満にもかぎりがありません

現在に不満を抱いている人は
結局どのような人生を送ろうとも
一生不満を抱くことになるでしょう
時間とともに不満の種類が変わるというだけのことです

根本的に不満を解消する方法は
「欲望を抑えること」しかないのです

と言っても
修行僧にでもなるというのでなければ
俗世で生きる私たちにとって
完全に欲望を断ち切るというのは
不可能に近いことです

適度な欲望は
向上心には欠かせないもので
悪いことではありません
まったく欲がないのは
「無気力」と同じです

大きすぎず
小さすぎず
適度な欲望をもつということが
心豊かに暮らすための秘訣です

人間にはさまざまな欲望がありますが
もっとも人間を苦しめるのが
「愛されたいという欲望」です

もちろん誰でも
他人から愛されれば嬉しいものです
愛情を受けるということは
生きることの張り合い
支えとなることで
とても大切なものです

しかし
それは結果的に感謝すべきもので
当然のように要求するものではありません

せっかく人間に喜びを与えてくれるはずの愛というものが
要求してしまった途端
人間を絶望させるほどの苦しみに変わります

愛を要求する人は
他人に拒絶されるか
その弱みにつけ込もうとする心ない人に利用されるか
どちらにしても
不幸な結果しか招きません

欲望に苦しめられたときは
「人間の欲望には果てがない」という真理をよく思い出してください

愛を要求する人は
えてして
他人に感謝する気持ちを忘れてしまいがちです

仮に願いが叶ったとしても
それを当然のこととして
さらに強い要求をして
またぞろ不満を抱いてしまいます
まったくきりがないのです

他人から愛されている人は
けっして愛を要求したから得られたのではありません
むしろ要求しないからこそ
他人から「積極的に」愛してもらえるのです

強引に愛を要求し
望み通りの愛が得られることなど
人間が空を飛ぶのと同じくらいに不可能なことです
あなただけではなく
この世の誰にも不可能なことです
できないことを望むから苦しいのです

まず
「他人を愛すること」そのものに喜びが感じられなければ
いくら他人に愛情を要求しても
永久に心が満たされることはありません

仕事でも
「上司に嫌なことを言われた」「同僚は自分よりも楽をしている」などと愚痴ばかりこぼしている人は
仕事そのものにやりがいを感じておらず
「いやいやながらやっている」という意識の強い人です

次々に不満が生まれるのは
まわりのせいではなく
自分に意欲がないからです

「自分がお金を稼ぐために
自分の意志で働いているのだ」ということを忘れてはいけません

積極的な意志をもって行動している人は
他人の態度などいちいち気にかけないものです

あなたが通りを歩いていて
財布を落とし
通りかかった人に拾ってもらったとします

さりげなく「落としましたよ」と言って渡されれば
素直に感謝できるでしょうが
「さあ礼を言え!」と強要されたら
口だけでは「ありがとう」と言っても
心から感謝することはできないでしょう

同じように
「私を愛してくれ」と他人に強要して
無理やり「愛している」と言わせたとしても
けっして心から愛されることはありません

愛されたいと願うなら
まず他人の立場になって
相手のそういう気持ちを想像することからはじめなければなりません

「愛されたい」と願うこと自体は
人間として当然のことで
卑しいことではありません
しかしその欲望をむき出しにしてしまう人は
他人から敬遠されてしまいます

お金がほしいからといって
強盗をして他人から奪えばいいというものではありません
知恵をしぼって
合法的にお金を儲ける方法を考え
努力する必要があります

愛情も
短絡的に直接要求するのではなく
時間はかかっても
正当な手段で得る方法を考えなくてはなりません
そういう態度こそが
その人の魅力であり
向上心であり
人間性なのです

他人から愛されるためには
まず「自分が幸せに生きること」が必要です
自分が幸せになれば
自然に他人も幸せにしてあげたいと願うようになるはずです

他人の幸せが
また自分にも返ってくるのです

欲望を感じつつも
その欲望だけがひとり歩きしないよう
うまくコントロールし
有効に活用できる人が
幸せな人だといえるでしょう


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