仕事かセックスか
結局のところ仕事が好きな娘は仕事のほうが大事という価値を共有できる男性のほうがいい
なぜなら話題は仕事のことしかないからだ
そこでツーカーで話が通じないと苛立たしいし無力感を感じる
虚しいものを虚しいと言われると怒る
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大きく分けて仕事の快感とセックスの快感とどちらを取るかということだろう
女性は可能ならば仕事の快感を取る
それは脳内のドパミンとアドレナリンが溢れる体験でセックスの快感には替えがたい
しかし仕事での快感は誰にでも可能なものではない
選ばれた人にしか許されていない
妊娠出産の喜びというものは広く女性に許されているもので最終的にそこを頼ることは多い
しかし誰でも達成可能ならばドパミンは少ししか出ないのだ
男性の場合は23時まで仕事をしてそのあとでセックスをすることが出来る
そこが女性と違うところだろう
膝っ小僧を撫でたら20万円という海老蔵的な場所で派手に浪費する
その行為が問題なのではない
その行為が20万円に値するのだという観念がドパミンを産生する
何重にも虚業である
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入籍すると男性は当然のように妻としての務めを要求する
女性は約束が違うと反発する
もともとセックスよりも仕事が好きだから当然仕事を選ぶ
男は仕事と俺とどっちが大事なのかと言い出す
女は失望する
この人もやっぱり、となる
だから入籍はしないで、相手の仕事をあくまでも尊重する姿勢も節度ある愛と言えるだろう
夢のままにしておく
夢で
かつてのわたしの活動的だった時期を支えてくれた人たちが登場して
いろいろと話している
これが本当の自分なのかとも夢の中では思い、納得していたのだが、
しかし目が覚めてから考えてみた
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次第に活動を縮小している自分が本物なのかとも思う
彼らには彼らの人生の展開がある、それでいい
また再び活動を展開して
人の人生を巻き込み、背負い込み、迷惑をかけ、かけられ、
そのような時期はもう卒業だと思う
静かに、自分の心の中に実った果実を味わう時期ではないかと思う
いつまでも農園を広げるものではない
若いつもりでも、それはつもりであって、若いのではない
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実際、やればやったで、また新しいアイディアはあるし、
新しい展開があって、それもひとつの人生だと思う。やりたいと思う気持ちが半分あるし、
チャンスが来ているとも思う。
しかしそのように進軍ラッパを鳴らしているだけが人生ではないだろうと思うのだ
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「林住期」の中で五木寛之が書いていた。
古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。
「学生期」(がくしょうき)
「家住期」(かじゅうき)
「林住期」(りんじゅうき)
「遊行期」(ゆぎょうき)
「学生期」で学び、
「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、
人生のクライマックス「林住期」を迎える。
林住期は、時間を取りもどす季節だ。
林住期は、人生におけるジャンプであり、離陸の季節でもある。
これまで、たくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてジャンプする。
林住期に生きる人間は、まず独りになることが必要だ。
人脈、地脈を徐々に簡素化していこう。
人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない。
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夢は夢のままにしておけという夢を見て
そんな夢は夢のままにしておこうと思う
きつく抱きしめてもおまえは上の空
世良公則 - 宿無し
エレキギターは右手で弾く部分と
左手で押さえる部分とが
交換できる構造のものがあって
不思議
カメラの交換レンズみたい
考えてみれば
たしかに左手になじむ部品と右手になじむ部品があるはずで
それを結合すればいいと思うが
後輩の話によれば
その結合のためにアメリカ人はビス四本でかなりむりむりに締める
締めるときに微妙に厚紙を挟んだりして原始的だが絶妙の加減なのだそうだ
(なにが絶妙なのか、私には全く分からない)
日本人の工作はファインでビスなしでカッチリはまり込むくらいよいのだけれど
音の点では微調整が必要とのこと
このあたりはエロスの領域と似ているらしい
(これも私には全く分からない)