SSブログ

ニヒルな人生

ニヒルな人生を送っている人たちは、
ひょっとすると、好んでニヒルになっているわけではなくて、
どうしようもなくてニヒルになっているのではないかと思う。

夜、スーパーで、200円よりも安い牛乳がなかった。
ひどい。しかし仕方がない。

花屋さんに立ち寄る。
なんてすばらしい形と色、そして香り。
意識が覚醒する。

黄色いチューリップが何本も、
きれいにしおれて、カーブを描いている。

家に帰って、上着を脱いだら、
セーターを着るのを忘れていた。
老化だな、これは。

共通テーマ:日記・雑感

小沢氏国会投票欠席 2/3再可決の是非

小沢氏が国会を途中で抜け出して、
給油新法の裁決時に議場にいなかったとのこと。
そのことがニュースになって、鳩山氏は陳謝していた。

実質、いてもいなくても、関係はない。
方針は決定した後のことであって、
小沢氏はいなくてもよかったし、
やるべきことが他にあったのだからそれでよかった。

しかし問題は、そんなことをマスコミが騒ぎ、ニュース映像として流すということだ。
しかもネガティブな扱い。
ここをどうせならポジディブな扱いに変更させるくらいの対策が欲しい。

マスコミがそのようなニュースの流し方をしたら、
わたしなどは下等な揚げ足取りだなあと思うだけだけれど、
goさせた人はそうは思っていないのだろうから。
全般に視聴者がどう受け取るか、わたしにはよく分からない。

***
衆議院に戻して2/3以上で再可決をしたのだが、そのことの是非について。

1.憲法に書いてあるのだから、それでいい。
いままではねじれていなかったから、使う必要がなかっただけ。
重要法案には、これからも使う。
だとすれば、
今回の給油新法はそれほどの重大案件だったのかということが問題である。
たかだかアメリカ軍の船に給油することを日本の自衛隊がする必要が一体どこにあるのだろう。
民間の給油会社に委託しても充分ではないかと思われる。
自民党政権執行部には重要課題であって、しかしそれ以外には、
何ということもない、ただ給油するだけというつまらない問題。
この重大性の違いがおかしい。

2.直近の国民の意思は参議院選挙である。その参院で否決されたことを重く見るべきだ。
現在の参議院は直近の民意ではあるが、最も正しい民意とは言えない。
また、衆議院も、郵政選挙の民意であって、最も正しい民意とは言えない。
従って、もっとも正しい民意を推定するために、国会は、
両院協議会で道を探り、決着のつかないときには、
衆議院の2/3以上での再可決を制定している。
それが憲法で定める、本当の民意である。

すべての情報を与えられ、理解し、その上で最上の理性を持って判断する、
そのような最上の民意というものを期待しているが、
それは現実には無理である。
その時、最上の民意に近付けるために制度を作ろうということになる。
そのひとつが現行の制度である。

現実の民意を参考にしながら、最上の理想の民意を提示していくことが政治家の役割である。
多数決の通りを実行するのが政治家ではない。それは役人がやればよいことだ。
政治家は最上理想の民意を構想し、国民に投げかけ、覚醒してもらう。

年金問題にしても、
現在の国民の声、20年後の国民の声、100年後の国民の声がある。
政治家が、現在の国民の声のみに見従うとしたら、
それは本来の姿ではない。
最上理想の民意は、100年後の国民の声をも含んで、なお最上理想であるべきだからだ。



共通テーマ:日記・雑感

なんて寒い朝

目覚ましの数秒前に目が覚める。
何時かなあと思っているうちに
目覚ましが鳴る。
起きて支度を始めると、寒い。
外に出るともっと本当に寒い。
朝のんびり出来る人は幸せだなと思いつつ、
でもそんな人は生活リズムを作ることが出来なくて
一日を無駄にして人生を無駄にすると思いつつ、
それでも何とか電車に乗る。
電車では咳をしている人はひとりもいなくて、よかった。

あと一時間眠いけど、朝起きる。これが人間の社会性の始まりである。

この一週間は寒いままで、金曜日には、最低気温0℃になると天気予報が言っていた。

共通テーマ:日記・雑感

皿を洗う

最近は皿を洗うタイミングをずらしている。
食事後に洗わない。
水に漬けておいて、
外出から帰ってきたときに洗う。

帰宅時に手洗いをすることは
インフルエンザ対策の基本なので、
手を洗うのだけれど、考えてみれば、
皿洗いをするのが一石二鳥だと気がついたからだ。

共通テーマ:日記・雑感

お金持ちについて

格差がいわれていて、
事業で成功しているような人たちはますます金持ちになっているらしい。

昔からの資産で食べているだんなさんたちは
だんだん不利になるような感じだと思う。
貸しビルをたくさん持っていたりする人たち。

東京のような場所だとあの人は金持ちだなんていう目立つような人は
あまりいないと思う。
実際は金持ちは大変な暮しをしているのだと思うが、
彼らが存在する場所と、
わたしが存在する場所は全く違うので、
彼らの存在は目立たない。

牛丼屋と公立図書館にわたしがいても、
六本木ヒルズの住人と会うことはあまりないと思う。

これが地方都市に行くと、
金持ちのだんなさんは目立つ。
暇そうにそこらをぶらついているのが見えたりする。
商店街の会議でいろいろ活動したり、
あるいは選挙の後援会とか。

昔はそういった不労所得で暮らしていける人が羨ましかった。
別荘に行ったり、ヨットに乗ったりする生活は羨ましいものだ。
海外留学のこととか旅行のこととかを
聞かされるのも、憧れ半分で、あとの半分は反感のようなものだ。

しかし最近は、そのような階層の人たちも
ぜんぜん幸せではないのだとわかってみると、
半ば気の毒でもある。

貧乏であればこそ、
毎日働き、一か月分の給料をもらってうれしがり、
規則正しい生活ができるというものだ。
庶民並みの暮しの中でこそ、
新聞に書いてあることにも共感できる。
小説の味わいも石川啄木の味わいもわかるのである。
没落しないと太宰治も、とおもうが、そんなこともないだろうか。

政界の鳩山兄弟など、
すでになんでもできる大金持ちで、
何をしてもいいし、何をしなくてもいいのに、
政治にかかわっているのだから、本当に頭が下がる。
なかなかできないことだ。

若い頃は無論、社会の矛盾について考えたけれど、
それは正しいと今も思うけれど、
現状は現状で、これでもいいかと思っている。

わたしは結局働いていただろうし、
たとえば芸術家になろうとして時間を使ってもどうせものにならなかっただろう。
自分で働いた範囲で食べて生活してきたし、それは多分境遇が違っても、
変わらなかっただろうと思う。
そうならば、資産などは結局必要なかった。

むしろ、バイオリンやピアノや水泳を強制されなくてよかったと
思っているくらいだ。
親にあまり恩着せがましいことを言われなくてもすむ。

貧乏が原因でこつこつ働くしかなかったとしても、
こつこつ働くということは人生で最上の喜びだと最近は思えるのだから、
むしろ貧乏もよい面もあったのだろう。

このような感じ方自体が、貧乏の産物だと言えば言えないこともないのだが。

貧困があまりにひどくて自爆テロなどを起こしてしまうようではいけないので、
適正な範囲というものはある。

金持ちにも人情家はいるし、
貧乏人には考え違いをしている人も多いのだけれど、
概略を言えば、お金持ちとは交際しにくい。
多分、こちらの側の羨望が消えないので、
物事をひがんで悪くとってしまうのかもしれない。

金持ちに言わせれば、貧乏人のよくないところは、
ひがむところにあるらしい。



共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。