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毒をもって毒を制する

毒をもって毒を制する
原理があり、
古く西洋ではホメオパチーと言う。
同毒療法。
一般にはよく理解されないし、
患者さんによっては、
わたしはめまいがするのだから、めまいを止める薬を出して欲しいのだと
素直に考えている。
それは素直でいいのだが、
わざとめまいをひきおこす物質を少量使うことで、
めまいを止めるという不思議な技もあり、
しかし高度ではあり、いまどきの患者さんは「自分で理解したい」ので、
「理解しがたい技」はなかなか使えない。
全部任せてもらえれば、
いろいろとできるのだけれど、そんな時代でもないようだ。
むしろ、標準検査による疾患の確定、その後は学会標準治療による対応、
それが求められているようで、医者の腕も、標準が求められているだけのようだ。
そもそも保健医療では、標準的治療しかないのだ。
スーパーでも、青山や高輪や広尾のスーパーは高いのだけれど、
お医者さんは青山でも銀座でも値段が同じである。
それならば、土地が安い地方で経営した方がいいに決まっているのだ。
地方のお医者さんはみんなお金持ちではないか。

毒をもって毒を制する
の話に戻ると、
ある学会で、激しい「毒」をはく先生がいて、その日も盛んに吐いていた。
みんな気絶しそうになっていたのだが、
そこに、さらに「猛毒」の先生が登場して、
どうなることかと思ったところ、
不思議におだやかに収まったのだ。
先輩が言うには、これこそ「毒をもって毒を制する」であり、
「あのくらいの猛毒でないと無理だった」とのことだった。
同毒療法は生きている。

「毒食わば皿まで」というのもあり、考えると深い。

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幾人もの尊い心

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それでもおな耐えろという
なおも復讐をとどまれという

たぶん私ひとりならばとどまることはできなかったに違いない
しかし幸いにも私を理解し共に苦しむ人々がいる

大げさな言葉を使うならこれが奇跡なのだと思う

自分のことではないのに
苦しんでくれるこの現象を
どう理解したらいいのだろう

苦しみなどは考えてみればただそれだけのものだ
極端な話、忘れやすい心には何ほども残らない
ある施設では苦しみの果てに風船バレーなどで時を過ごしているのである

一方私に与えられるこの共感は何だろう
温かなこの固まりは何だろう
なぜ私などがそのようなありがたいものの恩恵にあずかることができるのだろう
なぜこの魂の浄化を実感できるのだろう

ここに至るには幾人もの物語がある
幾人もの尊い心がある
そして現在がある

苦しいことではあった
しかしそれを補って余りある啓示であった
人間であることはよいことだ
生きることはよいことだ

人の憎しみの一方に人の愛があり
私は深く神に感謝する
涙さえふさわしい

苦しみもいまは何ほどのこともなく
ただ朽ちてゆく枯れ葉のように認知されているだけだ

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ボーアと迷信

ニールス・ボーアは教科書にも出てくる量子力学の大先生。
コペンハーゲン学派のドン。
ハイゼンベルク、シュレーディンガー、アインシュタインなどと同時代を生きた。

ボーアの家の壁には馬の蹄鉄が釘で打たれていた。
科学者たちは中傷した。
彼らはボーアがこのような迷信を受け入れるとはとうてい信じなかった。
ボーアはいつも「迷信なんか信じていないさ」と答えた。
だがしかし、「たとえ迷信を信じていなくても、効き目はあると教えられてきたのでね」

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万葉集の一歌とカルティエ

万葉集巻20-4311 大伴家持

秋風に 今か今かと 紐解きて うら待ち居るに 月傾きぬ

あきかぜに いまかいまかと ひもときて うらまちをるに つきかたぶきぬ

家持が作った、女が「待つこと久し」の歌である。
この歌は七夕の歌らしく、一年に一度しか会えないならば、
「今か今かと 紐解きて」の織女も分からないでもないが、
待たせている牽牛はよくない。

万葉集の当時、愛する男女は、同居していない。夜に男が女の家を訪れる。男は、自分が行かない夜には、女が何をしているのか知ることができない。

万葉の男はおおらかで、人妻に宛てての恋文もたくさん残している。私も他人の妻に恋をするから、他の男も私の妻に恋をしなさいと歌うものさえある。
その一方で、貞操帯のように、別れる時に、お互いの下着の紐を結び合った。次に逢う時まで、その結び目をほどかないのが愛の誓いであった。
そしてこの歌では、女が待ちきれなくて、「自分で紐を解いて」待っていたのに、月も傾いてしまったことだ、というのである。

怪しい。あなたが来てくれないから自分で解いたというのである。嘘をつけというところだ。

ここをあからさまに、あなたが来てくれないから寂しくて、他の男性と、の意味にとってしまってもいいし、万葉の世では多分そうだっただろう。しかし言葉の上では、「紐解きて」とだけ言っていて、さすがに、家持である。分かる人にだけ分かればいいという態度なのだ。「自分で紐を解いた」と言って、あとは俯いていてもいいのである。

貞操の観念の発達は、私有財産制の発達と並行している。
女にすれば自分の子どもであることは確かであるが、
男にすれば、誰の子どもか、確証はない。状況を読むしかない。
その表情、そのたたずまい、微妙な抑揚の中に、真実を読む。

私有財産制よりも、共同財産制の色彩の強い社会では、
誰の子どもかということは、あまり詮索されないだろう。
しても仕方がないし、趣味が悪い。
兄の子であっても、弟の子であっても、一族の子であれば、
同じ敷地の中で平等に育つといった事情もあっただろう。

そんな中でも、やはり独占欲はわいてくるもので、
相手の下着の紐を結んでやる時に、独自の複雑な結び方を考案する。他人には結べない。解いたら、そのことが分かってしまう。そんな結び方を考えては、あちらこちらの女の下着の紐を結んでいたものだろう。

現代では、あからさまな貞操帯がどの程度使用されているか、不明である。
しかし例えば、カルティエには「現代の愛の貞操帯」ともいうべき商品がある。
ブレスレットであるが、専用のドライバーが付属している。解除する時は一人でもできる。しかし、装着する時には、誰かに助けてもらわなければできない。片手では難しいように出来ている。
女が浮気をしたとして、相手の男にドライバーを回してもらうだろうか?そこまで卑屈な男に、女は興味を持続できるだろうか?多分、できない。
多分に心理的な貞操帯である。
だから、女と、浮気相手の男が、非常に程度の低い人間ならば、簡単に装着もできるのだ。その場合は、男としても、諦めがつこうというものだ。恋心も醒める。



一方、女性が男性に対して用いる、心理的貞操帯もカルティエは用意している。例えば、100万円の腕時計がある。一目でカルティエと分かり、値段も分かる。そんなものをつけていたら、新しい女は興ざめである。
女は自分の選んだものを身につけさせたい。腕時計でも、ネクタイでも。
男はカルティエをはずして、他の時計を着用する。そうすると、このカルティエは機械式で、しかも、設計上、すぐに止まってしまう。セイコーやシチズンならば、いつまでも動いてくれるのに、である。そこでオートワインダーを使って、腕につけていない時にも、巻き続けなければならない。それは自宅であってはならず、携帯するのもおかしなもので、職場か、そうでなければ、秘密の場所になる。
そこまでの事情を考えると、この腕時計はかなりやっかいである。
デザインに存在感があり、重量感があるのも、難点といえば難点である。ただ時間を知るためではなく、ステイタスを誇示するためでもなく、ある種の貞操帯なのだ。
そして男は何か理由をつけて、時計の装着を怠るようになる。女は愛の冷却を感じる。

歌に戻る。
今か今かと 紐解きて とはまたなんと愛らしい。自分の女ならば。そして他人の女ならば、なんとあさましい。

うら待ち居るに。この「うら」は、「うら悲し」「うら寂し」などと用いる時の「うら」と通じるものだろう。
家持の歌に「うらうらに 照れる春日に ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもへば」があり、「うらうら」と用いている。
「はるるのに かすみたなびき うらがなし このゆうかげに うぐいすなくも」ここでも「うら」が登場する。

さらに時代はくだり、阿久悠作詞、山本リンダ歌、都倉俊一作曲、「うらら うらら うらうらで うらら うらら うらうらよ……この世は私のためにある」と、「うらら うらら」と歌うものまである。万葉から昭和まで、通底している。

うら待ち居るに とは うらうらして待っていました ということだろう。
こんなことを、職業歌人の家持が歌い、自分で万葉集に採録しているのである。

あなたにつけてもらった
カルティエのリングを自分ではずして
約束を待っていたのに
もう今夜は来ないのね
でもいつでも携帯を鳴らしてね
待っています

というところだろう
最後にもう一度だけ言うが、
わたしを待っているなら、
自分ではずすな!



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歌と詩のあいだ 

歌と詩のあいだ 和漢比較文学論こう 岩波書店

月を望んで、歌人は懐旧の情に耽り、詩人は二千里外の友を思う。
和漢の言葉の黄砂の上に成立する歌と詩。
万葉集から幕末の漢詩人までを視野に入れる。
漢語表現の受容と変容。

序説――「月」をめぐる和漢比較文学論攷
 
I 部  歌語と詩語
 
  一 歌と詩のあいだ
  二 「吹」と「ふく」――和習の背景
  三 酒坏に花を
  四 酒坏の月,水の上の花影
  五 目に見ぬ花
  六 道をうづむ花
  七 餞別の扇
  八 形見の鏡
  九 和漢聯句ひろいよみ
 
II 部  漢文学の受容と変容
 
  一 夢
  二 唐紅に水くくるとは――業平の和魂漢才
  三 『蜻蛉日記』と漢文学
  四 聞き紛う音
  五 蕪村の発句と漢文学
  六 青頭巾の問い――江月照松風吹,永夜清宵何所為
  七 成島柳北の青春
 
あとがき

*****
この手のものが一番好きだ。
漢詩は不思議なもので、
元の意味もいいし、
文字で書いたときの形もいい。
中国音もいいのだと思うけれど、
それは時代と地域によっても違うようで、
しかし日本語で読み下しても、とてもいいのが不思議だ。

それがいいのだと何度も教育されて、
そのような美意識が日本語の中に溶け込んでいるから、
日本語を読み書きするうちに、漢詩が好きになってしまうのだろう。

日本語にしても偶然いいのではなくて、
いいと思うように日本語の中に仕組みが仕込まれているということだ。

*****
しかしそれにしても、漢文学を受容し、日本的な美意識の中に取り込み、感動しているなどは、
ご先祖とはいいながら、見事なものだ。

漢方薬でもそのようなことは実はあって、
日本の漢方は、中国の漢方のそのままではない。

富山医科薬科大学では、
和漢薬と呼んでいる。漢方を基本にして、日本的にしたものであり、独自のものである。

本書の歌と詩のあいだにならって言えば、
漢方薬と、和漢薬のあいだということになる。

面白というべきか複雑というべきか、中間には朝鮮半島があり、
「チャングム」さんも漢方処方していて、おもしろかった。
脈診したり望診、舌診したり、結果として日本の現在と同じ名前の処方をしたり、
共通言語として通じる部分がある。

*****
最近は日本語の自由さをとても感じている。
横書きで書くことさえ承認すれば、
ヨーロッパ各国語も、カタカナでもいいし、原語のままでもよくて、取り入れられる。
各変化もないし、単数複数も気にしなくていいし、
名詞には男性も女性もないから気楽でいい。

原語のままで書いておけば、
日本語の中で一層際立ち、
何がポイントなのか、わかり易くなってありがたい。

機械翻訳でもありがたいと想うのは、そんな事情もある。

大事な単語さえ分かれば、大体は推定できる。
読むべきものを選択したら、あとは細かく検討すればいい。

そう思えば、かな文字というのは、大体は読み飛ばしてもいい文字となる。
漢字の塊と、カタカナの塊、そして英語の塊を注意すれば、大体は足りる。
日本語はかなり便利だと思う。
純化しようという圧力がないから大変よい。
中央政府そのもの、文部科学省そのものが、カタカナ英語を頻発して、
翻訳しようとする意志がまったくない。
そしてそれはいいことだと私は思う。漢語と英語をかな文字でくっつけていけば、
意味が分かるのだから、大変高級なのだ。



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おおらかな気持ちでいたい

長期的な展望で考えられているか
太陽は46億歳、寿命は約100億歳という。

他人に寛大か。
他人の心は変えられないし支配できない。

運命を受け入れるか。
あるがままを受け入れているか。

とらわれていないか。
別の考え方はできないか。
立ち止まって相対化できないか。
長く生きても100歳くらいだよ。

これですべてが終わりではない。
時間を待てないか考えてみよう。

明日まで待てば少し変わるかもしれない。

過去は変えられない。
未来を少しでもいいものにできないか考えよう。

イインダヨー と叫んでみよう。

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アレロック そろそろ花粉

アレルギー性鼻炎の薬の中では
アレロックが比較的好きだ。

アレグラも比較的いい。クラリチンは効きが悪い。たくさん使えばいいのだろうか。でも眠くなるだろう。
バイナスも好きだけれど、速く効く感じはない。
ジルテックなどはもう昔の薬という感じがしている。

どの薬も、発売当初は、眠気が少ないアレルギーの薬といわれるが、
やっぱり眠いで終わる。アゼプチン、リザベン、オノンとか。

確実に効かせたいならセレスタミンだけれど、
プレゼンの前とか、大事なとき用。

フルナーゼ点鼻液は最終的には効くけれど、もっと早く効いてほしい。
昼に使うと夜に鼻が乾いている感じ。

個人的にはフルナーゼ点鼻、アレロック、セレスタミンでいい。

というような詳しい人がいて、いろいろ体験を聞かせてもらっている。

トリルダンは自閉症の子供に使ったとき特別な効果が一週間だけあったが再現性がない。
偶然だったのだろうか。
小青竜湯がいいとか、アタPがいいとか、ヒベルナがいいとか、いろいろな人がいる。
ヒベルナは沈静、抗吐き気、抗めまいなど、人によってぴったりの場合がある。特殊な例だろう。
アタPが衝動性抑制に効くことがあり、これも何かの体質によるらしい。
古い薬には味がある。副作用を上手に活用すると言ってもいい。



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上司によるパワハラで精神障害、自殺

上司によるパワハラで精神障害、自殺という記事が
朝日夕刊に出ていた。

上司に人格を否定されることを言われたら、
精神病になるのか、病気って、なんなんだと思うだろう。
弱いだけじゃないかと思うだろうか。

しかし待ってほしい。精神病になるのではなくて、
精神障害になるのだ。

たとえて言えば、殴られたから青あざができるようなもの。
無理をして走ったから、捻挫したようなもの。
こういうのは、病気や疾病ではなくて、障害である。
diseaseではなくdisorderや、disabilityである。

精神科領域では、疾病概念として確定したものを除いては、なるべく障害概念で
考えていこうという態度である。
疾病概念としては、アルツハイマー病などがある。
障害概念としては、不安性障害、パニック障害、気分障害、など。
疾病には治療が、障害にはリハビリテーションが主に対応する。

統合失調症の場合には、陽性症状が疾病にあたり、
陰性症状が障害にあたると考えるのも分かり易い。
しかしそれはとりあえず分かり易いというだけで、
真実かといえば、問題がある。
陽性症状よりも陰性症状よりも前にある、ある症状が、疾病本体であり、
陽性症状は障害に対する反応であり、
陰性症状は残遺した障害であるとみるのもひとつの妥当な見方である。

甲状腺機能が亢進している場合、病気であって、治療を要する。
捻挫したという場合、人に押されたかもしれないし、自分で足を挫いたかもしれない。
いずれにしても、結果として捻挫しているわけだ。捻挫を病気や疾病とはいわない。

上司の心無い言葉で精神障害になり、自殺に至るという表現は、正しいのだろうか。
パワハラの言葉や態度で、心が傷つき、
不安性障害や気分障害になることはある。
捻挫と同じ。
しかしそのことと、自殺実行の間には、かすかだが隙間があるように思うのだが、どうだろうか。

これはかつて流行した、PTSDの議論と重なる部分もあるようで、慎重を要する。



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急性腹症

急におなかを悪くして、
吐いたり、下痢したりしている人がとても多い。
ウィルス性のものもあるのではないかと思っている。
急性。
近くで急におなかを悪くしている人いませんかと聞くと、
いるいる、いっぱい。



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「藻」から再生可能ガソリンを精製する技術が登場

「藻」から再生可能ガソリンを精製する技術が登場
日光と二酸化炭素、藻などの光合成微生物から原油を作り出すという新技術。従来のバイオ燃料の課題を克服できるという。

2008年05月30日 08時11分 更新
 米Sapphire Energyは5月28日、藻からガソリンを精製する新技術を発表した。日光と二酸化炭素、藻などの光合成微生物を利用する「画期的なプロセス」で原油を産出し、オクタン価91(オクタン価はアンチノック性を示す値で、JIS規格ではレギュラーガソリンは89以上と規定されている)のガソリンを精製するというもの。耕地や農作物が不要なため、従来のバイオ燃料にみられた「食糧か燃料か」というトレードオフとも無縁だという。

 新技術で産出する原油は、通常の原油精製施設での精製が可能で、従来のサプライチェーンを通じて流通できるという。最終製品となるガソリンはカーボンニュートラルで再生可能。米国材料試験協会(ASTM)標準にも準拠する。新技術では日光以外の天然資源を必要としない上、藻は耕地以外の土地やにごった水でも繁殖するため、原油産出施設を簡単に、経済的に拡大できるのが特徴だとしている。

 Sapphire Energyは、石油化学やバイオテクノロジーなどの分野の科学者により設立された企業。「従来のバイオ燃料のマイナス面のない再生可能燃料を作り出すこと」が目標で、ゆくゆくは「再生可能な石油化学製品製造の分野で、世界のリーディング企業になる」ことを目指しているという。IntelやAppleを支援している米ベンチャーキャピタルのVenrockが出資している。

*****
すごい
海でできるなら日本もできる


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他者からのまなざしの局所的過剰

他者からのまなざしは全般には薄くなったが逆に一部は過剰になっている。
無名の隣人は他者のまなざしから逃れていられるが
有名な遠くの人は他者のまなざしに過剰にさらされている。
たとえば毎回のように女性週刊誌に登場してしまう。

日本における高学歴女性の自己実現の困難さと見る視点もあるが
他者のまなざしの過剰と見る見方もある
外国に行ってほっとするのはそのせいだろう
曾野綾子氏もそのような苦しみがあったとのことだ

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連帯

まじめに働いているアメリカ人がカード破産したり解雇になったりして
それも大きく言えば自己責任なのだけれど
それではかわいそうだと思う

そんな文章があって、引用すると、

信用度の低い個人に貸し付ける銀行ローンを商品化してウォール街の大銀行に売りつける。証券化されたローンは、初めてマイホームを手に入れた市民がどれほどの愛着を抱き、ローン返済のためにどれほど懸命に働いたかを語らない。住宅バブルがはじけ、不良債権が続出しても、金融機関の関係者は市民の生活や苦悩など興味もない。一番の関心は年末のボーナス。中には数億ドルも手にする者が珍しくなかった。

というわけで、確かにこの局面では断裂したアメリカである。

どん欲で社会的連帯を意識しない知的エリート層たちのモラルの破壊と言われるのだが、
そうなのかどうか。

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「死んだ金魚をトイレに流すな」

「死んだ金魚をトイレに流すな」という本があって
命の体験の共有とサブタイトルがついている

親が何気なく死んだ金魚をトイレに流すと
それを見た子どもが命を軽く見るようになるという。
そうかもしれない。

現代では命は一部分は操作できるものと考えられている。

しかしその重い命を生きて、一体何をすればいいのか、よく分からないままだと思う。


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危ない橋を渡らないとメシが食えない

米国の投資銀行や投資ファンドは
信用力の低い住宅ローン債権を証券化した。
その商品の危うさを充分に知っていた。

危ない橋を渡らないとメシが食えない
だから「この橋は危なくないよ」と言いながら
誰よりも早く渡ろうとした。

(浜矩子、朝日新聞で)

損をした人たちも別に怒っているわけではなくて
自分の欲深さにあきれているわけです。


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伸筋系を活用する

8丁目で話を聞く

気持ちいいときは
体を充分に伸ばして弓なりになっちゃう
なんていう

確かに手足の伸筋系をのばすのは気持ちよさにつながる
てんかん大発作の時も充分に延ばすから気持ちよさも頂点に至るようだ

だから私は男の人には充分に突っ張ってもらうようにしているの
とのこと

そうか
逆に女の人にも充分に突っ張ってもらえばいいわけだな

誰にでも当てはまるわけではないかもしれない
すくなくともその人には当てはまりそうだった

しかしはっきりイメージできなかったので
少しだけ教えてもらえないかというと
はぐらかされた

伸展発作の状態でといえば
どうすればいい?

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徳のある人をたたえよう

悪口は言わないようにしよう
それよりも
徳のある人をひそかにたたえよう

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トンネルなどお散歩し いきはよいよい 天神様はどこじゃろな

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トンネルなど お散歩したり 休んだりいきはよいよい かえりはこわい
天神様の細道じゃ


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オスはメスと交尾後、不安が減り、リスクを冒す

日経のサイエンス欄で
ラットの実験、ドイツ、レーゲンスブルク大学

オスはメスと交尾後、
不安が減り、リスクを冒す行動をいとわなくなる

脳内ではオキシトシンが増えていた
これにより
オスは新たなメスを求める冒険に出て
自らの遺伝子をしっかり残そうとする

*****
いつまでもこんな記事が続くのだろう

自らの遺伝子を残そうとするのではなくて
そのように行動する個体の遺伝子が残る傾向があるというだけだ

異性にも子どもにもまめならば遺伝子は残るだろう
お疲れ様なことだ

*****
同じ論文でメスについて言及がないのだろうか
オスの脳のオキシトシンをメスはどう感じているのだろうか
ヒトのメスはラットのメスほど寛大ではないような気もする

*****
後尾のあとではリスクの高い株を買ったり冒険に出かけたりするわけだ
でもそれは結局新しいメスを探すためだなんて
まるで新聞記事のために付け加えたコメントみたいだ
(実際新聞記事だからそれでいいけれど)

交尾を禁止されると不安でイライラしたオスになるかと言われればそうでもないだろうと思うけれど
それは現代先進諸国で見られるだけだろうか

*****
メスとしては異国からの冒険者には興味があり寛大である人たちもいるらしい
英会話教師の例

それは生まれ育った同性グループでの順位付けが
一時的に停止される感覚があるからだろう

青い目には自分がとても魅力的に映ることもあり得るだろうと
信じられるのは不思議だ


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五七のリズム

五七のリズムが念頭にあると
それからずれたときの
おもしろさがある

わざと短く終わってみたり
わざと長くつなげてみたり
ちょっと出し入れして
始末がつかない様子を演出する



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最近のパニック障害

最近はパニック障害については
Gormanの仮説が有名
恐怖条件付けの脳機構

phobic avoidance
フリージング防御反応

パニック障害のとき
SSRIを服用したとき
認知療法を施行したとき
それぞれで脳血流の変化を測定したりしている

母子分離ストレスの研究は相変わらず続いている
早期の母子分離を経験するとやはり多少過敏になる
これは牛若丸みたいなものかなと思ったりする

セロトニンが不足である
セロトニン・レセプターが過敏である
すこし方向が違うのだけれど
部分部分で違う方向に動いていると考えてもいいわけだ

Panicとひとまとめにしていうけれど
実際はいろいろな病像があって
周辺的な事情についてどの範囲でひとまとめにしていいのかは難しい
ずいぶん違う

DSM4では列記してある症状のうち4つ以上となっていて
4つというのはなかなか絶妙であるらしい

4つ以内だとだいたい1年以内に治療が終わる感じもある
例外は多いけれど

Barlowの誤った警報モデルが有名

具体的な恐怖の原因がないのに警報だけが鳴っている
これがパニック発作

海馬恐怖と
扁桃体恐怖

恐怖の内容を
言語化する事
明確化する事
これで大分治療は前進する

たとえば
地球は丸いというのは最近の人であれば常識である
しかし5千年前の人類の立場に立ってみたらどうだろうと考えてみる
するとたぶん地球は平たくてどこまで行っても平たいのだと考えるのではないだろうか
そう考えたくなる理由もあって
5千年前の人類を想像してみればずいぶんと考え方も感じ方も広がる

非合理的確信を
合理的思考や合理的反応に置き換えられないか考えてみる

不安だからどきどきするのか
どきどきするから不安なのか

悲しいから涙が出るのか
涙が出るから悲しいと思うのか

不安とどきどきと確信の三角形の悪循環
リラクセーション
認知の訂正
行動療法
がそれぞれの部分で効果がある

パニック障害と非定型うつ病の近縁性が言われている
さらに社交恐怖が近い

体をメタルで飾る人がいる
ピアスとかリングとか
攻撃性の亢進を思わせる

認知療法は前頭葉の血流を増加させる
そのことが治療効果に関係しているのではないかと推定されている

自己肯定感を引き出して増大させる事が有効である場合も多い
過剰に自己否定的な人がいる

怒り発作
怒りはときに大切


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うつ病で休んでいるときの掃除

うつ病などで休んでいるとき何をすればいいですか
という話はいろいろと答えがあって

私などはできるだけ何もしないで休もうと言う事が多いけれど
患者さんによってはやや積極的に
散歩やスポーツジムや掃除を勧めることもある

特に身の回りの掃除は効果的と言う人も多い
毎日掃除をしても不都合という事はないのだし
家のどこかの一角には整理整頓を要するものがたまっている事も多いものだ

掃除機とかも気持ちがいいし
最近の化学ぞうきんとかも使ってみれば気持ちがいい

ぞうきんがけというとかなりの体力を使うけれど
そこまでしなくてもいい
しかしエアコンのあたりとか照明器具のあたりとか
普段は掃除をしないあたりも一撫でするだけでずいぶん気分が違う

身の回りがさっぱりすると
気分もさっぱりして眠れそうに思う


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銀座松坂屋のとんかつ

銀座松坂屋の7階で
ヒレカツ御前を食べた

ここは歴史が古いらしい事を書いてある
デパートではじめて大衆食堂を開いた
そのとき作った歌が書いてある
おいしく食べれば富士山が見えるなどの歌詞だ

沢山席があって自由に座っていいと言われる

自由に座る

あとで来た人たちが
自由でいいと言っているのに
隣の席に座ったりする

ヒレカツは丸いのが6つ出て来る
包丁で半分に切れている
一口にちょうどいい

ソースの他に
トマトケチャップがついてくる
試しに食べてみたら
なかなかおいしい

ヒレカツ自体は塩味もついていないくらいのあっさりしたものだ

キャベツは二人分くらいたっぷり出て来るので
おかわりの必要はない

お味噌汁はすこし甘みが強すぎるような気がするけれど
これはこれでいいのかもしれない

ごはんは軟らかめで
これは私にちょうどどいい

別の席では高齢の女性がゆっくりした英語で話をしている
食事が運ばれてきて
Have a good appetite.いただきます。
などと言って食べ始めた。

ゆっくりと区切って言ってもらえれば
私にも分かりやすいと思った

割り箸はいい物を使っている
家でも使おうと思ってお土産に持って帰った

外食はあと一年くらいないと思う
来年まで生きていたいものだ

松坂屋の階段の踊り場にいすが置いてあって
高齢男性ばかり4人がうとうとして座っていた

何か生き甲斐になる仕事なり活動があればいいのにと思った
この年齢層の人たちが消費活動なり生産活動なりするのが
日本の未来だと思う


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結婚後と離婚後

離婚の交渉でお金の事を決めたりする

結婚している限りは
裁判所からいくら稼げと命令される事もないのに
離婚したあとでいくら払えとか言われるのは不思議な事だ

結婚している間の方が大事なような気もする




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新橋色

新聞で新橋色というものを見かける。調べてみると解説と絵がある。

新橋とは東京の新橋のことですが、明治時代の
おわりごろ新橋の芸者がこの色の着物を愛用し
て、それが世間にも流行したことから色名として
こう呼ばれるようになりました。緑みのある青で
すが、従来の天然染料ではなく、欧米から導入
された化学染料によって染められたこともあって、
そのハイカラな感覚が当時の人にはとても新鮮
に感じられたようです。

shinbashi.gif


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Haruki Murakami: Always on the side of the egg

Always on the side of the egg

By Haruki Murakami

I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies. 

Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be? 

My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies. 

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them. 

So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. 

The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people. 

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott. 

Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands. 

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing. 

This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course. 

It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message. 

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this: 

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg." 

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be? 

What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor. 

This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically. 

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness. 

My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war. 

He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him. 

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important. 

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together. 

Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System. 

That is all I have to say to you. 

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.

*****
卵の側にも言い分はあり
壁の側にも事情も言い分もあり

正義というものにも事情があり
そのそれぞれに配慮して総合判断するのが実際だと思う

例えば最近では
ドビルパン前フランス首相が「世界の共存 正義の理念こそ必要」と答えている
今ここに至って正義の観念である
すでに克服された地点かと思われる話が繰り返されている

このような正義は容易に壁になり得るのだが
しかしまた卵を守るものにもなり得る

正義が相対的でしかないと知った上で
さらに現在誰かが抱いている正義の観念は一時的なものでしかないと知った上で
それでも正義を軸とするしかないという
一段上の議論にもなりうる

また一方で包括的に
そうした正義全般が間違いのもとなのだとも指摘できる
正義のためにつぶされた卵は生き返らない

卵を守る壁として登場して
ついには卵を圧殺する壁になるのが歴史だったと思う

しかしいつでも正義は卵を守ると言い
卵にも沢山の種類があり
ということはどの卵を守るのかで
正義にも種類がある

その上のレベルでのすべての卵を守る議論はあり
卵を守るとしても卵の何を守るかの議論になって行く

果てしもないものだと思う

目障りな他人がいない場所に行くしかないような人もいるのだということだ
その意味ではいま人々は近すぎるとも言える


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春のたび命のつまみを回される

年をとること
たとえて言えば歯医者
いやもなく削られる

残りの月日を削られて
春来るたびに
つまみをひとつ回される


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春浅し 新聞ばかり たまりゆく

春浅し 新聞ばかり たまりゆく

春浅し ビデオばかりが たまりゆく

春浅し 気がつけばまた 惜しき春

春浅し 老臭立ちて 絶句する

春浅し 亡き妻の日記 そっと読む

春の野は まだ子供らの 吐く息か

春浅し 古き畳に 本を置く

春の野の 向こうに見る 富士の山

春の昼 まだ眠りたい ひなたかな

春の日に 湯島の舞台 さんざめく

春の日に 義経の本 読んでいる

春浅く 小唄もひとつ ひねるなどして


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春のせいもありますかね

うつですね
春のせいもありますかね
などとゆるゆると言う


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新海苔を試せと言われ口にする

新海苔を 試せと言われ 口にする

君といる春 楽し 悲し うれし


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春の日や 麦いたずらに 長くなり

春の日や 麦いたずらに 長くなり

田舎屋に 麦少しあり 水もやり

田舎屋で 昔を語れば 聞く人もいて

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