何が正しいかは結局分からない
何が正しい方針かは結局わからないことが多い
短期的にどうすればいいのかさえも分からないことが多い
分からないながらも決定しなければならないのが人生であるから
困るのだが
どんなことになっても最悪でもないだろうと思うので
そのあたりも人生のいいところだ
多少楽観的でいい
いずれにしても殺すのは男である
男を殺すのは男である
ささいな理由が多い
メンツに関わる
女を殺すのは男である
浮気をされたときに、社会的体面を保つために、
相手の男と、自分の女を同時に殺してしまう場合がある
自分の子供の母親を殺すのはロスが大きいが
それよりも社会的体面を維持する方が大切だと思うらしい
子供を殺すのは昔は男性だった
最近は女性による子供殺しの報道も多い
昔からよくあったものかどうか分からない
女性が自分の子供を殺す場合は目立たないように殺すことができただろうから
畳の部屋
大江健三郎
手元にある全集を眺めてみると
ヒロシマ、ナガサキ、核の時代とタイトルが続いている
やはり一番大切な問題に着眼していたと思う
全集の最後には自分で振り返りつつ書いた後書きがあって参考になる
人間はこのように生きることもできる
ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する!
人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、そして普段は気にかけない自分の位置情報や生体情報まで、人生の「すべて」をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャルな分身に人生を語らせることも可能だ。いいことずくめの「ライフログ」の時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター科学の重鎮が、その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。
ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice)
シャワー
2010年8月12日
一時のような上り調子の暑さではないが
やはり結構暑くて物事全般の意欲はそがれている
何もやる気がしない
You Tube などで 短い気晴らし
また 笑わせてくれるサイトなどをちらちらと見る
PCの一台でハードディスクのACCESSに異常が発生して
ハードディスクの中身をバックアップして、ハードディスクを交換してくださいというメッセージが出た。
Winの画面に移行しないので
Winの起動に必要な部分のエラーなのだと思う
別のPCにつないで中身をバックアップすればいいのだろうなあとは思うが面倒で
保証期間内なので持ち帰って修理するとのこと
中身が消えてもたいしたことはないと思っていたら
中身としては何かいろいろと入っていたらしく
業務に多少の支障が出ているようだ
おまけに昨日は横浜の一部でNTTの固定電話とインターネットが不通になったようで
一昔前では考えられないことだ
だんだんゆるい国になってきているのだろうと思う
年を取ったらタヒチなどでのんびり暮らしたいと思っていたのだが
東京はタヒチなんかより暑くて湿度の高い夏になっているのかもしれなくて
東京にいながらにして年来の夢が実現できているわけだ
12日の通勤はやはりいつもよりサラリーマンの流れは少なくてまばらだったし
服装も通勤ではなくカジュアルな感じで
何より意識がもう溶けかかっている感じの緩さを感じさせる
太陽はかんかんと照るわけではないし
昨日の夜などは台風の影響があるのか風が強くて窓を閉めたくらいだった
暑いなあと言いつつ
少しだけ汗をかいて
またシャワーを浴びることなども
この頃らしくて好きだ
2101年のあの頃ねと思い出すのはシャワーによってではないかと思う
ーーーーー
報道ステーションで日本全国の雨とか風とか酷暑とか火事とかそんな報道をするときに
現地からの中継で同じ男性がずっと出続けているのが不思議だ
現地にテレビ局もあるわけだからそれですむだろうと思うのだが
わざわざ現地まで飛んでいるらしい
そこまでして顔を売りたいということなのだろう
タイムマシンにお願い
SADISTIC MICA BAND - タイムマシンにおねがい(LIVE 1989)
超越的な力にお願いするだけという
前時代的女性性のステロタイプを描いて余す所がない
ーー
タイムマシンで時代をまたいで過去の原子配列を移動させるとパラドックスが発生するというのは分かる
ならば
純粋に過去を観察することは可能かと考える
観察するということは普通に考えれば
電磁波が観察者の原子状態に変化を与え、その変化を感覚することが観察ということである
未来の物質が過去の物質を変化させると
たとえば孫が祖父を殺すなんて言うことが起こる
そうではなくて過去の物質が未来の物質を変化させるという一方向だけの関係になったらどうなのだろう
過去を変えることはできないが過去を観察することはできるのではないかと考えられるのだろうか
観察者問題は昔に解決されていて
客体に影響を及ぼさない観察者は存在不可能であると
一応の解説が与えられていて
しかしそこからまたパラドックスが提唱されている
猫が死ぬとか生きるとかというやつだ
それ以前の問題として
過去の物質と未来の物質が一方向にしろ双方向にしろ影響を与えるということが
パラドックスの発生になる
ーーー
影響を与えることを予定して総てが仕組まれているという予定調和的な時間構造は考えられるわけだが
その場合は決定的に決定論的になる
遠い未来が決定されているから現在が決定されているわけだ
その決定論を解消するために多世界宇宙が構想されるがそうなるとすべての可能性は
濃淡を伴いつつ総て存在するのであって
どの世界も単にそれだけの意味しかない事になる
ーー
タイムマシンにお願いしている女の精神構造は平安時代と同じだ
そしてイメージと比喩と言葉で魅力を創りだす方法も平安女性と同じだ