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自我障害と時間遅延理論-3

さてここまで準備して
自我障害または統合失調症の陽性症状はなぜ生じるかの説明ができた。

当然次は陰性症状がなぜ生じるか。そしてそれをどのように治療するかだ。

陰性症状は世界モデルと世界との照合と訂正ができないままで、不適応になっている面があると思う

世界モデルが不完全なのであるから
活動するだけ疲れてしまう
そして疲れないような世界モデルは作ることができないままである

ーー治療の可能性
それはシミュレーション側からの結果の出力を早くして、
自動機械からの出力を遅くすることである
これで意思の能動性は蘇るはずだ

この場合に
強すぎるドパミン遮断剤を使うのはよくない
シミュレーション側からの出力も、自動機械側からの出力も、遮断してしまうからだ。

治療としては、自動機械側の出力についてはブロックして遅くする。
一方、シミュレーションの結果の出力をそのままにして遅くしない薬剤があれば好都合である。

薬の種類というよりも、量の調整で上手くいくこともある。
多すぎれば、両方をブロックしてしまう。これはだめ。
少なすぎればどちらもブロックしない。これもだめ。
その中間量で、自動機械側からの出力を少しだけ遅らせるように調整する。
それが目標ということになる。

最近ではロナセンに期待をかけている。
ロナセンは二つの系統の神経回路で一方で抑制的、一方で促進的に働くので、
この理論にはよく適合する。

ーー
統合失調症のリハビリをどうするかは、また特別な問題がある。紙幅の関係で簡単に。
リハビリをして生活を広げたいのだけれど、
広げると再びドパミンの嵐の危険がある。
危険だからと薬剤を増量すると、ますますドパミンレセプターをブロックしてしまうので
アップレギュレーションが起こる。
するとドパミンレセプターの総量としては前よりも増えてしまうことになる。

同様のことがうつ病のリハビリで言えるかどうか。
そもそもうつ病のリハビリは成立するのか、そしてこのようなレセプター理論は成立するのか。
まだ問題が多い。

ポスト・サイコティック・デプレッションという場合、
ドパミンの嵐は過ぎて、しかし、嵐は過ぎたにもかかわらず、ドパミン・ブロッカーは
効いたままである。
そのこととうつ状態は関係があるか。

ーー
さて、精神病の増悪期のあとで、うつ状態の時期が体験されることがある。
メカニズムとしては二つ提案されている。

一つは、あまりにショックな体験であるから、精神的に疲弊して、抑うつ状態になるというものである。
確かに、精神病体験、たとえば幻聴とか、被害妄想は、耐えられないくらいのトラウマをもたらすだろう。
PTSDの様な状態となり、うつ状態になることも多いはずである。

一つは、ドパミン系の変動が起こったあとの、脳内薬理学的な意味でのうつ状態である。
うつ状態の本質が何であるかは、まだよく分かっていない。

一方、精神病については、ドパミンの過剰が発病のきっかけとなり、ドパミン遮断剤がさせられ体験スペクトラムを軽減してくれる。
そこで、ドパミン過剰になったこと、そして薬剤を使って、ドパミン遮断をしたことの結果として、うつ状態が起こっている可能性はないかということになる。

そのあたりの可能性を考えて、最近ではSDAやMALTAが治療に用いられる。
簡単にいえば、精神病の治療の初期から、ドパミンだけではなくて、セロトニン系にも働きかけ、さらにその二つだけではなく、もっと多くの系に働きかけようという戦略である。

うつの原因が一つであるなら治療も一つでいいはずであるが、
どうもうつの原因については明確に一つと結論づけられる要素に乏しい。
むしろ神経の疲弊と休止と回復がうつの増悪と回復のサイクルを
形成しているのではないかと考えられる。

ーー
薬剤としては、SDAやMALTAの効力が期待されるし、
同時に気分安定剤として、パルプロ酸などを加えておく方法もある。
その上で、SDAやMALTAでセロトニン系やノルアドレナリン系に働きかけているのだから、
SSRI、SNSI、四環系、三環系で働きかけるのも合理的である。

自殺の危険を重く見るかどうかはケースによる。
危険が重い場合には薬剤に頼るばかりではなくECTも考慮に値する。
頑固な拒食が続く場合にも、コタール症候群のような場合にも、試みる価値はある。

ーー
認知療法により認知の変容をトライするとして、
それは自意識内部の「世界モデル」の改変である。

ーー
1.あくまで原疾患の治療が大事。
2.ドパミンとセロトニン、その他に効く薬を使う。
3.SSRIなどセロトニン系抗うつ剤を使う。
4.自殺が怖いのであくまで気分安定剤で行く。
などの方針があり。


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自我障害と時間遅延理論-2

時間遅延理論を簡単に説明する

脳神経系は単純化すれば
刺激に対してある処理をして反応を返すシステムである
自意識が発生する以前の動物では
その処理系はおおむね直線的である

人間に至ると自意識が発生する
脳の中に世界のモデルが作られ
実際に出力してみる前にシミュレーションしてみることが可能になる
それを元に微調整することができる

たとえばこの程度で川の片方の端から踏み切ればもう片方の端に届くだろうとか
それを反復すると小脳がその運動の全体を引き受けるようになり
ある程度自動的に反応するようになる

またたとえば
手元にある水筒を持ち上げるとき
水がどの程度残っているかが推定できているので
最初にどの程度の力で持ち上げたらいいか推定できる
そしてその力で持ち上げて予測が大きくはずれると軽すぎて拍子抜けしたりする

予測と結果、そして次の正確な予測に修正する、というようにループが成立している。

このループを反復すると、予測と結果の間には「世界」のモデルが成立する。

例えば、ここでこの言葉を話そうとする。
すると口を動かしてこんな声が出てという一連の予測が成立する。
その予測と、実際の結果との照合がなされる。

ーー
感覚刺激から入力した信号は、二つに分かれる。
一つは、動物が共通に持つ回路で、自動機械回路である。
自意識によって考えることなく、ほぼ自動的に世界に反応している。

一つは自意識の経路である。
これは人間にしかない。

シミュレーションの結果を出力する。

さて、脳は、自動機械としての出力と、シミュレーションによる出力を比較検討する。
この両者の時間差が問題である。

人間に自由意志の感覚が生じているのは、
シミュレーションからの信号到達が一瞬早く、自動機械側からの信号到達が一瞬遅いから、
自由意志の錯覚が生じているのである。

人間の場合、自由意志はなくなっても生きていける。
また日常生活では自動反応機械となって自由意志を働かせないままで生きている時間も少なくない。

シミュレーションからの出力が遅れて
自動機械側からの出力が早くなってしまうと
させられ体験が成立する。
自由意志はなくなってしまう。
そのことは人間にとっては耐えられない被動感・させられ体験を生む。

つまり、シミュレーションからの出力が自動機械からの出力よりも一瞬早いので、
自由意志の錯誤は守られているし、能動感や行為の自己所属感が維持されている。

それが時間が逆転するだけで、自由意志の錯誤は錯誤であったことが曝され、
被動感に悩み、行為の自己所属感も失われることになる。

これが私の言う時間遅延理論であり、
自由意志の錯誤がいかにして成立しているかを説明し、
その錯誤が破れたときに、いかにしてさせられ体験スペクトラムの精神病理が発生するかを説明する。




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つり

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みち

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似てる人

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はな

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犬や猫は、治療なんか何もして欲しくないんですよ。

老いた獣医が語る

「治療してもらってると分かるのは、馬だけと言います。」

「犬や猫は、治療なんか何もして欲しくないんですよ。」

深い知恵を含んだ言葉である。

平たく解釈すれば言葉が足りないようだが

深く考えるとそうかもしれないと考えさせられる。

ネコはひなたでしっぽを揺らしているだけなのであるが。


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汝自身を愛するように汝の隣人を愛せよ

汝自身を愛するように汝の隣人を愛せよ

どう解釈するか、
なかなか難しいところもある。

単純に考えれば、
最高にいい言葉。

複雑に考えると、どんどん難しくなる。

簡単にいうと
深く考えるほど
愛は不可能であるという結論に近づいてしまう。

でも、そうじゃない、不可能だけれど、目標として生きることはできる、
そのせいで損もするし、傷付きもする、それでも、これが目標なんだという、
いい言葉だ。

この言葉を目標にして100回損しても
1回報われればそれでいいような気もする。

人間と世界に対する誠実な態度で
一度報われているような気がする。

あとはおまけのような気がする。

しかしそれだといい人から順に死んでいってしまう。

杓子定規にそうしろというのじゃなくて
そういうことを根本的な気持ちとして生きなさいということで
そこの加減が難しい

状況倫理とかいいます

道徳的判断において、遵法主義でもなく反律法主義でもなく「愛」を原理にした状況主義的な決断を説く。世界的反響を呼んだ神学的ベストセラー。
時間がないと読めませんが。

神の痛みの神学 北森嘉蔵 などもあります。
一生に一度は読んでおきたいものです。私たちの痛みを自分の痛みとして痛く感じてくれる神様だということです。
など


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旅行には行けるのに、会社には行けない

旅行には行けるのに、会社には行けない (ダイヤモンド・オンラインより)

大人の「引きこもり」が急増中!
 都心のIT企業に勤めていた30代のニシさん(仮名)は、ある日を境に突然、出勤しなくなった。
 都内の私鉄沿線のごく普通の家庭で生まれ、両親と同居していたニシさんは、1人っ子で独身。会社に行こうとしないニシさんに、母親が理由を聞くと、一言だけ、こう漏らした。
 「もう疲れた…」
 IT産業が時流に乗り、「ヒルズ族」という言葉がもてはやされた時代だ。職場では連日、終電で家にも帰れないほど働いた。が、いつものように1人で職場に残り、残業していた深夜、ニシさんの耳には、パチンと緊張の糸が切れたような音が聞こえたという。
 以来、ニシさんは5年にわたり、家から外に出なくなった。そして、会社に辞表を出すこともないまま、退職していった。
 それまでは給料を使う暇もなく働き続けてきたので、会社を辞めても、しばらく貯金だけで暮らしていけた。家では、好きなインターネットやゲームにのめり込んだ。
「真面目でこだわりが強いタイプなのに、なぜ?」
と、周囲は首を傾げる。

スピード感の求められる仕事についていけず「引きこもり」へ

 自立したはずの社会人がある朝、突然「起きられない」「会社に行こうにも、家から出られない」――そんな“オトナの引きこもり”が、水面下で深刻化している。
 大手メーカーに勤めるミウラさん(仮名)は、すでに会社を1年半以上、休職している。まもなく40歳を迎えようとしている働き盛りの年代だ。
 ミウラさんは「眠れない」日々が続いたことによって、朝、起きられなくなり、会社に出勤できなくなった。
 会社の健康相談室がミウラさんを呼んで、休み始めた理由を聞いた。ミウラさんによると、上司が「毎日、業務日誌を書け!」などとうるさい。そのうち、上司のネチネチと細かい性格に嫌悪感を抱いた。すぐ感情的になって怒りだすようなところも我慢できなかったという。

 「こういう上司の元では、働けない」
と、ミウラさんは訴えた。
 しかし、健康相談室では、ミウラさんに精神科の医師を紹介。診てもらったところ、「うつ病」と診断され、抗うつ剤や睡眠導入剤などを処方された。
 会社の人事部は、「うつ病」ということで、ミウラさんを休職扱いにした。ただ、薬を飲んでも、特段の効果は表れなかったという。
 独身のミウラさんは、東京郊外の実家で暮らしていた。といっても、ずっと家に引きこもっているわけではない。気が向くと、アフリカや南米などにも、ふらりと1人で旅に出かけた。旅先では、人が違ったように生き生きとしている。そんな行動力はあるのに、会社に出勤できないのも不思議だった。
 その後、産業カウンセラーがミウラさんの面接を続けた結果、わかってきたことがある。ミウラさんは、これまで研究者として、5~6年かけて1つの研究を行い、提案してきた。ところが、ミウラさんはその後、開発部に異動。新しい部署では、半年くらいの短いスパンで、絶えず新しいものを開発することを求められたのだ。
 ここ最近、企業は合理化対策の一環で、研究部と開発部を統廃合し、商品開発を早く回転させていこうという流れになっていた。割安で良質なモノを求める消費者のニーズに合わせて、次々と新商品を打ち出していかなければ、企業間の激しい競争に負けてしまうからだ。昔のように、長年研究したものを発表して成果を出せばいいという古き良き時代は、とっくに終わっていたのだ。
 産業カウンセラーは、ミウラさんの置かれた背景をこう説明する。
「激しい競争によって、企業の合理化の流れに乗れなかった人たちが、会社を離脱していき、オトナの引きこもりの一端を担う根底にあるのではないか」

きっかけは些細な出来事 完璧主義者ほど陥りやすい現実

 「足が痛い」――大手通信企業に勤める40代のクドウさん(仮名)が、最初に異変に気づいたのは、そんな肉体的な苦痛だった。その頃から、朝、目が覚めても、体がだるくて、起きられなくなった。

 元々、不眠の症状も続いていて、やがて出勤できなくなった。以来、1年以上にわたって会社を休んでいる。
 きっかけは「些細」なことだ。上司の課長が、本来仕事に使うべき予算を使い、適当な名目をつけて、不必要な備品などを買いあさっていた。クドウさんは持ち前の正義感から、そんな不正がどうしても許せなかったという。
 「こういう予算の使い方は、おかしいのではないか」
と、クドウさんは、課長に指摘した。
 課長は「わかった。部長とも話し合おう」と答え、3人で話し合いの場を持つことになった。しかし、逆に部長から、意外な指示を受ける。
 「クドウ君は、被害妄想的なんじゃないか?どうも体の調子も悪そうだね。医務室で診てもらいなさい」
 クドウさんが会社の医務室に行くと、外部の精神科へ行くよう促された。しかし、精神科の医師が検査しても、統合失調症の症状はなく、どこも異常がない。
 ただ、医師は「足の痛みは、精神的な問題から来るのではないか」と診断。医師の診断書も出たので、会社は休職扱いとなった。
 クドウさんは、結婚していて、妻と小さな子供が1人いる。専業主婦の妻は心配するものの、彼は働きに出ようとしない。家で時々、子供と散歩したり、公園で子供とバスケットボールで遊んだりする以外は、基本的に引きこもりがちになった。
 昼は、近所の視線への後ろめたさで、つい外出をためらった。しかし、夜になると、安心感から活動を始める。やがて、深夜はずっと起き続けるようになった。社会を離脱した男性が昼間、家から出られなくなり、昼夜逆転生活の深みにはまるパターンである。男性の引きこもりが女性より多くなる所以だ。
 「きちんと対応していてくれれば、こんなことにはならなかったはずなのに…」
クドウさんは、2人の上司をいまも恨み続けているという。

 「共通するのは、上司との関係がこじれたときに、うまく修復できないタイプの人たちです。プライドの高い完璧主義者が多い。折り合いが付けられないため、なかなか復職もできなくなるんです」
引きこもる事態が長引く理由を産業カウンセラーは分析する。
 持ち前の正義感が仇になり、傷つけられ、心の中で恨みが疼く。クドウさんに似たような引きこもりの人を何人か見てきた。周囲に誰か1人でも寄り添って、アドバイスやサポートができていれば、その疼きは消化できていたのかもしれない。
増え続ける40~50代の「引きこもり」を救う術はあるのか

 これまで、「親の甘やかしすぎだ」などと言われたり、怠け者扱いされたり、「ニート」の中に一緒くたにされたりしてきた引きこもり。しかし、彼らはなぜ体が動かなくなるのか。なぜ外に出られなくなるのか。朝、起きたくないと思っても、毎日、会社に出かけられる人たちとどこが違うのか。そのメカニズムの解明や実態の把握すら進まないまま、引きこもるオトナたちの長期化、高齢化は、着実に進んでいる。
 支援機関や親の会などへの相談でも、最近目につくのは、40~50代で家に引きこもっているケースだという。
 定年で年金生活を迎え、これまでのように子どもを養うことのできなくなった両親が、将来の生活を悲観し、行政の「ニート支援」を掲げる相談機関に行っても、「概ね30代までなんで…」などと言われ、タライ回しのようにされる。「ニート対策」事業は、あくまで「若年者支援」であり、引きこもり支援ではない。
 40代の引きこもりの息子を抱える70代の母親は、こう言った。
「もう社会に出てほしいとは言わない。でも、このままでは死に切れない」
 「100年に1度」といわれる未曾有の不景気で、働きたいという意欲があっても仕事に就けない時代。ようやくコンビニやファーストフードの店員などでバイトを続けていても、「コマのようにギリギリの状態で働いているうちに、仕事に矛盾などを感じて、つい口にしてしまった」などという話も聞く。そうなると、年齢が年齢だけに、再契約を結ぶのも難しい。
 様々な原因で、一旦社会を離脱し、履歴に長い空白期間を抱え込んでしまった引きこもりの人たち。これから先、誰がどのようにして、彼らに生活していく術をサポートしていくのだろうか。





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