タイムマシン問題
タイムマシンが可能であるか、不可能であるか、
不可能であるとして、どの点が物理法則に反しているのか、
そんなことが問題となり、多分、広範で周到な考察がある。
1.
さっき人と話していて思ったのは、
タイムマシンで時間を移動するとして、
タイムマシンは物質を運んでしまうのだから、
元の時間では物質が欠損となり、
行った先の時間では物質が過剰となるはずである。
そうなれば、基本的に一定に保たれるはずの物質なりエネルギーなりが、一定に保たれない事態となり、
そのことを説明する原理も必要となる。
何より、物質のマクロな連続性が断ち切られる。
2.
原因と結果が時間の通りに並ばず、
ときには原因と結果はお互いに結果と原因となることもあり、
循環を呈してしまう。
その辺りも問題なのだろう。
むしろここのところが伝統的にはタイムマシン問題として考えられているようだ。
つまり、未来から過去に対する干渉が、過去を変えて、結局未来が変わってしまったら、
といったような心配である。
それに対しては、一直線の時間軸を想定するのではなく、また別の時間軸を想定して、
まっすぐにすれば一直線であるが、曲げれば曲げられる、そんな時間軸を考えてもいいのかもしれない。
不可能であるとして、どの点が物理法則に反しているのか、
そんなことが問題となり、多分、広範で周到な考察がある。
1.
さっき人と話していて思ったのは、
タイムマシンで時間を移動するとして、
タイムマシンは物質を運んでしまうのだから、
元の時間では物質が欠損となり、
行った先の時間では物質が過剰となるはずである。
そうなれば、基本的に一定に保たれるはずの物質なりエネルギーなりが、一定に保たれない事態となり、
そのことを説明する原理も必要となる。
何より、物質のマクロな連続性が断ち切られる。
2.
原因と結果が時間の通りに並ばず、
ときには原因と結果はお互いに結果と原因となることもあり、
循環を呈してしまう。
その辺りも問題なのだろう。
むしろここのところが伝統的にはタイムマシン問題として考えられているようだ。
つまり、未来から過去に対する干渉が、過去を変えて、結局未来が変わってしまったら、
といったような心配である。
それに対しては、一直線の時間軸を想定するのではなく、また別の時間軸を想定して、
まっすぐにすれば一直線であるが、曲げれば曲げられる、そんな時間軸を考えてもいいのかもしれない。
松坂第一戦白星
大リーグで初登板初勝利、ということで、よかったよかった。
野茂の場合を考えてみても、
多分、まあまあ、できるだろうなあ、という感じですね。
何よりNHKは安心しているのでしょう。
だって、7時のニュースで、松坂が軽い肩ならしをしました、だと。
松坂が騒がれれば、当然、ソフトバンク斉藤も、気持ちは動くだろう。
ソフトバンクは投手が沢山いるのでタイミングを見て放出だろう。
巨人の上原はどうだろう。チームとしては上原が抜けるのはいたい。
でも最近は数字を残していないからな。負け数が多い。
野茂の場合を考えてみても、
多分、まあまあ、できるだろうなあ、という感じですね。
何よりNHKは安心しているのでしょう。
だって、7時のニュースで、松坂が軽い肩ならしをしました、だと。
松坂が騒がれれば、当然、ソフトバンク斉藤も、気持ちは動くだろう。
ソフトバンクは投手が沢山いるのでタイミングを見て放出だろう。
巨人の上原はどうだろう。チームとしては上原が抜けるのはいたい。
でも最近は数字を残していないからな。負け数が多い。
色補正後の桜
ピンクをどぎつく出しています。
これくらいのほうがぱっと見はいいですね。
部屋に飾るとなれば、すこし不自然かもしれません。
人間の目も不自由というか贅沢というかいい加減というか。
これくらいのほうがぱっと見はいいですね。
部屋に飾るとなれば、すこし不自然かもしれません。
人間の目も不自由というか贅沢というかいい加減というか。
宇津井健
新聞によれば、4月の12日で宇津井健氏の奥様が死去して一年になるという。
そういえばその話が出たのはこんな季節であったか。
わたしは知人から聞いたのだった。
知人はある場所で宇津井健氏を見かけた。そのようすはまさに最愛の妻を亡くした後に、
沈黙の中で必至に自分を支え回復しようとしている人間の姿だったというのである。
新聞記事によれば陶芸やナイフ作りの趣味に没頭するのだという。
この人は、ひとつのことに打ち込むと別のことができなくなるという人ではない様子だ。
それにしても、知人とあの話をしていた頃から、一年がたつのだ。
そのころレストランで写した写真がある。生々しく当時を伝えている。
写真というものは、文章と違い、なんだか客観的なようで、
無責任な感じで提示できるので心易い。
そして、あれからいろいろあった。
いろいろ起こったのは、あの後だったのだ。
私としては多分処理しきれない現実に翻弄されたのだ。
わが子の命日を数えるというのではないが、そんな気持ちだ。
亡き子の歳を数える、そんな私だ。
そういえばその話が出たのはこんな季節であったか。
わたしは知人から聞いたのだった。
知人はある場所で宇津井健氏を見かけた。そのようすはまさに最愛の妻を亡くした後に、
沈黙の中で必至に自分を支え回復しようとしている人間の姿だったというのである。
新聞記事によれば陶芸やナイフ作りの趣味に没頭するのだという。
この人は、ひとつのことに打ち込むと別のことができなくなるという人ではない様子だ。
それにしても、知人とあの話をしていた頃から、一年がたつのだ。
そのころレストランで写した写真がある。生々しく当時を伝えている。
写真というものは、文章と違い、なんだか客観的なようで、
無責任な感じで提示できるので心易い。
そして、あれからいろいろあった。
いろいろ起こったのは、あの後だったのだ。
私としては多分処理しきれない現実に翻弄されたのだ。
わが子の命日を数えるというのではないが、そんな気持ちだ。
亡き子の歳を数える、そんな私だ。
長嶋有「猛スピードで母は」「サイドカーに犬」
読みやすい小説。
筋書きも簡単。
イメージは喚起力がある。
私はいろいろなイメージの連想を誘発されながら読んだ。
苦労して読むのも、その成果の大きさを思うと楽しいのだが、
苦労しないで読むのもまた、楽しいことだ。
冷蔵庫の音がぷっりりと途切れるときのあの突然訪れる静寂を書いている。
なるほど。
そんな風な小さなヒントがいっぱいあって、
まだまだこの種の小さな発見は私を待っている感じがするのだ。
大思想が語られているわけではない。
分類すればやはり、小文章である。
でも、それでいいのだろう。
もう読むこともしばらくやめて、じっとしていてみようかとも考えている。
その果てに何が起こるか、見てみたい気がする。
生きることも読むことも無益なのだから
無益であるなりに考えてみようかと思っているのだ。
修行のように生きて、どうするというのか。
修行のように読んで何か益するところがあるというのか。
ただ楽しんで読むのなら、もうそろそろいいのではないかとも思う。
悦楽はあるが、その範囲も知れている。
筋書きも簡単。
イメージは喚起力がある。
私はいろいろなイメージの連想を誘発されながら読んだ。
苦労して読むのも、その成果の大きさを思うと楽しいのだが、
苦労しないで読むのもまた、楽しいことだ。
冷蔵庫の音がぷっりりと途切れるときのあの突然訪れる静寂を書いている。
なるほど。
そんな風な小さなヒントがいっぱいあって、
まだまだこの種の小さな発見は私を待っている感じがするのだ。
大思想が語られているわけではない。
分類すればやはり、小文章である。
でも、それでいいのだろう。
もう読むこともしばらくやめて、じっとしていてみようかとも考えている。
その果てに何が起こるか、見てみたい気がする。
生きることも読むことも無益なのだから
無益であるなりに考えてみようかと思っているのだ。
修行のように生きて、どうするというのか。
修行のように読んで何か益するところがあるというのか。
ただ楽しんで読むのなら、もうそろそろいいのではないかとも思う。
悦楽はあるが、その範囲も知れている。