男女も狎れると だめらしい
過去の不幸を現在嘆いて現在を不幸にする のではなく 隣人愛
午前五時に駅が動き出す
駅ビルの中のホテルにも音が届く
肩の辺りの白さがいとおしい
香港のホテルの雨
を見た。
香港のホテルで雨に降り込められた一日を思い出した。
土砂降りだった。
せっかくの旅行の一日と思いつつも、
古いホテルで過ごす一日が贅沢に思えた。
実際今思い出すのは、観光よりも、あの雨のホテルの部屋であり、
あの金属蛇腹式のエレベーターだ。
ホテルは奇妙なものだ。
いろんな人が人生の重要な場面をその場所で生きたのだと思う。
そのオーラのようなものが漂う。
横浜グランドホテルの古い部屋にもそのようなオーラを感じる。
あの日、わざわざろうそくをともして、
まだ流行する前の、****を明治屋で買って、食べたのだった。
あの、透明な、ぷるぷるゼリーのようなもの。(後記。ナタデココでした。やっと思い出した。)
そしてあの日のわたしたちのオーラはまだあの部屋に漂っていて、
次に来る人たちを出迎えて、包むのだろう。
呪文のように包むのだろう。
あの日、まだわたしには選択できる未来があるように思えていた。
愚かな錯誤だ。
選択などなかった。
ただチャンスをつかまえるか、チャンスを捨てるかだけだった。
ためらえば、もう二度目はないのだった。
さもしい おちょくる
礼節保たれ
「仮想的有能感」と「高等遊民」とリバタリアン
夏目漱石の頃の「高等遊民」は、いずれにしてもエリートで、
能力があった人が多かっただろうし、
周囲に引き上げようとしてくれている人たちも多く、
一時的に遊んでいたとしても、結局は資産やひきで、
うまいところに収まったものだろう。
現代では、学校ではまったく有能性を発揮できなかったタイプの人たちが、
ネットの中で、「仮想的有能感」をもてあそんでいるのだという。
そのことが現象としては高等遊民とかさなる。
人生の事業として仕事に打ち込んでいるわけではない。
その日暮らしである。
仕事を通じて自己形成するというプロセスがない。
自己形成以前の自分を「本当の自分」と安易に肯定して、
批判に対しては耳を閉ざす。
リバタリアンの負の産物である。
高等遊民は、実は打算があった。
家に資産もあったし、兄弟は社長である。
妻の家も資産家である。
高等遊民は富国強兵の負の産物である。
現代の仮想的有能民は、そのような裏付けがない。
頼るのは、国家のみであり、
国家に対して、生活保護しろ、最低賃金を引き上げろ、正社員にしろと要求して、
要求のために文章を書いたり、デモをしたりする時間はあるのだ。
リバタリアンの筋書きの通り。
実際、仕事はあるし、真面目な人、才能のある人は、どこでも欲しいに決まっている。
高等遊民は生家に対して、無心したり、狂言自殺したり、いろいろとしたものだ。
啄木は友人に借金したし、借金される側も、天才に対する投資だと思っていた。
実際、啄木のおかげで、名前が残っている。
アメリカならピューリタニズム、
日本なら二宮尊徳、
こうした節約貯蓄労働の態度がまず基本路線で、
そこからの逸脱が高等遊民である。
だから本心は冷や冷やものである。
どう理屈をつけても、二宮尊徳が正しいのであり、
最終的勝利者は尊徳である。
ただひねくれているから、正しい道を歩けない、それだけのものが高等遊民だ。
人は一時的にはひねくれるから、
高等遊民の文章は、存在価値がある。古典になる。
一時的に読んで、そしていつか卒業する。
いつまでもひねくれているのは、一生の損失である。
仮想的有能民はこのような構造とは違うらしい。
ネットの中で、自分は有能だと信じているのだろうか。
コンビニ弁当で脳内伝達物質がうまく働いていないのか。
高等遊民太宰治は自分の才能が見えていたし、家は大富豪だった。
見合いをすれば教授の娘と結婚できた。
今でいえば、堤さんとか、鳩山さん、細川さん、そんな人たちが高等遊民をしていた。
高等遊民は富国強兵の軍人にたいするアンチテーゼと言えるだろう。
今、アメリカのリバタリアンに対するアンチテーゼとして、
生きる人たちが求められているのだと思う。
仮想的有能民は、リバタリアンの負け組でしかなく、アンチテーゼとして機能していない。
つまらないおもちゃを与えられて、騙されているだけである。
コンピュータと政府への申し立てというおもちゃ。
こんな奴らがいるから、この社会はダメだ、リバタリアンになろうと、
リバタリアンは誘導するのだ。
実際、投書などにも、「国にきちんとして欲しい」というものが少なくない。
定期的な朝食摂取は体重増加を抑制する
定期的な朝食摂取は体重増加を抑制する
Regularly Eating Breakfast Reduces Weight Gain
2008 March 20
朝食摂取と体重との関連性は、横断的研究およびいくつかの小規模なプロスペクティブコホート研究で調査されてきた。5年間のプロスペクティブ研究で、Minnesota州の研究者が、青年2,216人(女性55%、白人63%)を対象に、自己報告による体格指数(body mass index:BMI)に基づく朝食摂取パターンと体重変化との関連性を、平均年齢15歳の時点および19歳の時点で検討した。
横断的分析では、毎日朝食を摂取している青年は、朝食を摂取していないか間欠的にしか摂取していない青年よりもBMIが低かった。プロスペクティブ分析では、19歳時の朝食頻度と15歳からのBMI変化とに有意な逆の関連(15歳時のBMIと朝食頻度を調節)があった(5年間のBMI上昇は毎日朝食を摂取していた人で1.6kg/m2であったのに対し、間欠的に摂取していた人では2.0kg/m2、朝食を摂取したことのない人では2.2kg/m2であった)。食事、心理社会的、その他の交絡変数で調節した分析では、朝食頻度とBMI変化との関連性は同様であったが、統計学的に有意ではなかった。
コメント:これらの結果は朝食を抜くことが体重増加と関連していることを示しているが、他の変数を調節後には統計的に有意とならず、この関連性の強さに確かでない部分があることを示している。私の母はいつも朝食が1日の食事の中で一番大切だと教えてくれた。子供として母のことは全く信じていなかったが、親として今子供たちに同じことを言っている。
— Howard Bauchner, MD
Published in Journal Watch Pediatrics and Adolescent Medicine March 19, 2008
Citation(s):
Timlin MT et al. Breakfast eating and weight change in a 5-year prospective analysis of adolescents: Project EAT (Eating Among Teens). Pediatrics 2008 Mar; 121:e638. (http://dx.doi.org/10.1542/peds.2007-1035)
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私の母はいつも朝食が1日の食事の中で一番大切だと教えてくれた。子供として母のことは全く信じていなかったが、親として今子供たちに同じことを言っている。
というコメントがエレガント。