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男女も狎れると だめらしい

なかよしをしたのは子づくりの時だけだった。
子づくりの時も、排卵日にあわせて、私がたたせて、私がいれて、
私がちょっと動いて出すだけで、虚しくなるだけ。
これが夫婦なんでしょうか。

*****
性の不一致は実は少なくない。

夫婦も、はじめは男と女だけれど、時間がたち、子どもも出来れば、
お父さんとお母さんになり、あるいは兄と妹のようになり、
男でも女でもなくなってしまう。

狎(な)れる というと、親しくなりすぎてけじめがなくなるということだが

男女も狎れると だめらしい

*****
本当に人により様々で、

奉仕だけする私は一体何だと嘆く女性もいるし

何もなければ一番いいという人もいるし

『そんなに重要な事なのか?』と言われてそのあと何も言えない人もいるし

何もないなんて我慢できないという人もいるし。


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過去の不幸を現在嘆いて現在を不幸にする のではなく 隣人愛

過去の一時点で納得できないことがあったとする

そしてそれを悔やみ恨み周囲に愚痴り現在を不幸にする

すると現在不幸だからいつまでたっても過去の不幸が心から抜けない

すると過去の不幸を現在嘆いて現在を不幸にする

こうして悪循環が生まれる

過去の不幸に支配される

*****
これを断ち切るには

過去の不幸と 現在の幸福を 区別して関係ないものにすることである Separate!

現在が幸福になれば 心に余裕もできて 過去の不幸についても 余裕を持って対応することができる

過去が消えるとは言わない しかし 嘆き続けて 幸せなはずもない

過去は変わらない

変えられるのは現在である

*****
要するに現在を幸せにすることだと 結論を言えば

現在を幸せにするためには 現在を幸せにすることだという 同義反復になるが

過去に縛られているのは 損だと 悟ることが一番大事だ

過去に縛られない一番の方法は 現在を幸せにすること

あるいは 現在の幸せに気付くこと

*****
少なくとも生きているんだから 幸せだ

息をしているんだから ありがたい

もし家族がいたら 何という幸運だろう

もし仕事があったら 何という生き甲斐だろう

*****
過去に不幸が一つもなかった人もない

現在に幸せが一つもない人もない

いまを生きることに集中しようではないか

*****
いま あなたの 隣にいる人を 幸せにしたいと 思わないか?

それだけで人生は変わる

絶対に 変わる

気付くことは たくさんあるではないか

*****
昔を嘆く時間があってもいい 人間だから

現在を生きたいと思ったら 現在の隣人を愛せ


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午前五時に駅が動き出す

午前五時に駅が動き出す
駅ビルの中のホテルにも音が届く

肩の辺りの白さがいとおしい

おまえを失う日が怖い

しかしこれから育つ若木をわたしが箱に入れてしまうことは出来ない

男らしくないが大人の分別である

もともと男らしくなんかないと分かっている


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香港のホテルの雨

Eagles - Hotel California http://jp.youtube.com/watch?v=IBJTNx5qrVU
を見た。
香港のホテルで雨に降り込められた一日を思い出した。
土砂降りだった。
せっかくの旅行の一日と思いつつも、
古いホテルで過ごす一日が贅沢に思えた。
実際今思い出すのは、観光よりも、あの雨のホテルの部屋であり、
あの金属蛇腹式のエレベーターだ。

ホテルは奇妙なものだ。
いろんな人が人生の重要な場面をその場所で生きたのだと思う。
そのオーラのようなものが漂う。
横浜グランドホテルの古い部屋にもそのようなオーラを感じる。
あの日、わざわざろうそくをともして、
まだ流行する前の、****を明治屋で買って、食べたのだった。
   あの、透明な、ぷるぷるゼリーのようなもの。(後記。ナタデココでした。やっと思い出した。)
そしてあの日のわたしたちのオーラはまだあの部屋に漂っていて、
次に来る人たちを出迎えて、包むのだろう。
呪文のように包むのだろう。

あの日、まだわたしには選択できる未来があるように思えていた。
愚かな錯誤だ。
選択などなかった。
ただチャンスをつかまえるか、チャンスを捨てるかだけだった。
ためらえば、もう二度目はないのだった。


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美少女画

現代の求める形



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セクシー

お年寄りにもかわいいセクシーがあって
おむつでお尻がもっこりしているととても感じる


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さもしい おちょくる

麻生総理の発言で
「さもしい」という言葉が現実に使われる場面を見た。
自らの政策である定額給付金について、
収入が多い人がそれを使うのは「さもしい」、自分は使わないと
最初言って、あとで撤回したのだと思う。

また同様に今回は東国原出馬要請事件で
「おちょくる」という言葉の現実の用例を見た。

古賀と東国原でどちらがどちらを「おちょくっている」
か知らないが
事態をこのような言葉で把握する方法もあるのだと
感心している次第である。

彼らは「さもしい」態度で「おちょくっているのだ」。


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礼節保たれ

先輩の記述を見ると「礼節保たれ」などの語句が散見される。
要するに適度な社会性を維持して分別があると言うことだ。

最近では診察室でどう振る舞うべきかを知らない人たちも多いのだと一般の先生方の嘆きを聞くのであるが
新橋の場所ではそのような現象は極端に少ない。

いろいろな要因があると思うが
みなさん礼節は保つものだと考えているし、それが習慣となっていて
そのことが結局は自分の得になると知っているからなのだろう
日本のトップエリートなのだから当たり前でもあるし
そのように人を指導している人たちなのだから当然ではある

ということは、礼節保たれているというのは
価値判断には狂いがなくしかし非常に疲れたという状態を指しているのだろう
価値判断や世界モデルに狂いがないという診断は非常に大切なポイントである

だからやはり「礼節保たれ」との観察は大切なのだろうと思う。


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「仮想的有能感」と「高等遊民」とリバタリアン

夏目漱石の頃の「高等遊民」は、いずれにしてもエリートで、
能力があった人が多かっただろうし、
周囲に引き上げようとしてくれている人たちも多く、
一時的に遊んでいたとしても、結局は資産やひきで、
うまいところに収まったものだろう。

現代では、学校ではまったく有能性を発揮できなかったタイプの人たちが、
ネットの中で、「仮想的有能感」をもてあそんでいるのだという。
そのことが現象としては高等遊民とかさなる。
人生の事業として仕事に打ち込んでいるわけではない。
その日暮らしである。
仕事を通じて自己形成するというプロセスがない。
自己形成以前の自分を「本当の自分」と安易に肯定して、
批判に対しては耳を閉ざす。
リバタリアンの負の産物である。

高等遊民は、実は打算があった。
家に資産もあったし、兄弟は社長である。
妻の家も資産家である。
高等遊民は富国強兵の負の産物である。

現代の仮想的有能民は、そのような裏付けがない。
頼るのは、国家のみであり、
国家に対して、生活保護しろ、最低賃金を引き上げろ、正社員にしろと要求して、
要求のために文章を書いたり、デモをしたりする時間はあるのだ。
リバタリアンの筋書きの通り。
実際、仕事はあるし、真面目な人、才能のある人は、どこでも欲しいに決まっている。

高等遊民は生家に対して、無心したり、狂言自殺したり、いろいろとしたものだ。
啄木は友人に借金したし、借金される側も、天才に対する投資だと思っていた。
実際、啄木のおかげで、名前が残っている。

アメリカならピューリタニズム、
日本なら二宮尊徳、
こうした節約貯蓄労働の態度がまず基本路線で、
そこからの逸脱が高等遊民である。
だから本心は冷や冷やものである。
どう理屈をつけても、二宮尊徳が正しいのであり、
最終的勝利者は尊徳である。
ただひねくれているから、正しい道を歩けない、それだけのものが高等遊民だ。
人は一時的にはひねくれるから、
高等遊民の文章は、存在価値がある。古典になる。
一時的に読んで、そしていつか卒業する。
いつまでもひねくれているのは、一生の損失である。

仮想的有能民はこのような構造とは違うらしい。
ネットの中で、自分は有能だと信じているのだろうか。
コンビニ弁当で脳内伝達物質がうまく働いていないのか。

高等遊民太宰治は自分の才能が見えていたし、家は大富豪だった。
見合いをすれば教授の娘と結婚できた。
今でいえば、堤さんとか、鳩山さん、細川さん、そんな人たちが高等遊民をしていた。

高等遊民は富国強兵の軍人にたいするアンチテーゼと言えるだろう。

今、アメリカのリバタリアンに対するアンチテーゼとして、
生きる人たちが求められているのだと思う。

仮想的有能民は、リバタリアンの負け組でしかなく、アンチテーゼとして機能していない。
つまらないおもちゃを与えられて、騙されているだけである。
コンピュータと政府への申し立てというおもちゃ。
こんな奴らがいるから、この社会はダメだ、リバタリアンになろうと、
リバタリアンは誘導するのだ。

実際、投書などにも、「国にきちんとして欲しい」というものが少なくない。



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定期的な朝食摂取は体重増加を抑制する

定期的な朝食摂取は体重増加を抑制する
Regularly Eating Breakfast Reduces Weight Gain
2008 March 20
 
 朝食摂取と体重との関連性は、横断的研究およびいくつかの小規模なプロスペクティブコホート研究で調査されてきた。5年間のプロスペクティブ研究で、Minnesota州の研究者が、青年2,216人(女性55%、白人63%)を対象に、自己報告による体格指数(body mass index:BMI)に基づく朝食摂取パターンと体重変化との関連性を、平均年齢15歳の時点および19歳の時点で検討した。

横断的分析では、毎日朝食を摂取している青年は、朝食を摂取していないか間欠的にしか摂取していない青年よりもBMIが低かった。プロスペクティブ分析では、19歳時の朝食頻度と15歳からのBMI変化とに有意な逆の関連(15歳時のBMIと朝食頻度を調節)があった(5年間のBMI上昇は毎日朝食を摂取していた人で1.6kg/m2であったのに対し、間欠的に摂取していた人では2.0kg/m2、朝食を摂取したことのない人では2.2kg/m2であった)。食事、心理社会的、その他の交絡変数で調節した分析では、朝食頻度とBMI変化との関連性は同様であったが、統計学的に有意ではなかった。

コメント:これらの結果は朝食を抜くことが体重増加と関連していることを示しているが、他の変数を調節後には統計的に有意とならず、この関連性の強さに確かでない部分があることを示している。私の母はいつも朝食が1日の食事の中で一番大切だと教えてくれた。子供として母のことは全く信じていなかったが、親として今子供たちに同じことを言っている。

— Howard Bauchner, MD

Published in Journal Watch Pediatrics and Adolescent Medicine March 19, 2008

Citation(s):

Timlin MT et al. Breakfast eating and weight change in a 5-year prospective analysis of adolescents: Project EAT (Eating Among Teens). Pediatrics 2008 Mar; 121:e638. (http://dx.doi.org/10.1542/peds.2007-1035)
Original article (Subscription may be required)
Medline abstract (Free)

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私の母はいつも朝食が1日の食事の中で一番大切だと教えてくれた。子供として母のことは全く信じていなかったが、親として今子供たちに同じことを言っている。
というコメントがエレガント。



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場所が症状を・病理が経過を

病気にもいろいろあるのだが
単純化すると
場所が症状を決定し
病理が経過を決定する
と言ってもいいと思う

たとえば脳梗塞の場合、
どこの場所に発生するかで
症状が決まる

一方、
梗塞という病理が経過を決定する

癌の場合でも
脳梗塞と膀胱癌は場所が違うので症状が違う
しかし癌という病理は共通なので経過は似てくる

*****
そのように見てくると
精神科で診察している病気のそれぞれについて、
場所による症状を診察しているのか
病理による経過を診察しているのかという
関心の違いが生じる

統合失調症の場合にもうつ状態は生じるのであるが
その経過を見ていれば
統合失調症とうつ病は区別がつく

うつ状態にも躁うつ病・うつ病系統のものと反応性うつ状態があるのだが
それも病理の違いであるから経過を注意深く見ることで区別ができる

表面に現れた症状は同じ場所から発生しているもので
区別しがたい

*****
ところがさらに細かいことをいうと
現代でいううつ状態は心身の両面にわたり実に多彩な症状を含む
これを「場所の症状」というのは無理だと思っている
身体表現性の症状は心身にわたり体のどこにでも発生する
ということは、われわれが「うつ状態」として観察しているのは場所の症状ではなくて
病理の特徴を症状によって診ているという
上記の原則にはずれたことを行っていることになる
ここに矛盾がある

*****
一方、統合失調症の場合には
場所が症状を表現し、病理が経過を表現するという、
実に典型的なものにわたしには思える。

*****
ということが言いたいのだけれど
伝わっただろうか?


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