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被爆地・長崎が訴える核兵器廃絶の基本は人を殺さない、いかなる暴力も許さないということ

長崎市長銃撃:「2代続けて銃撃は異常」…本島・前市長
 90年1月に長崎市役所前で右翼団体幹部に銃撃され重傷を負った本島等・前長崎市長(85)は17日、毎日新聞の取材に応じ「驚いた。二度と長崎で僕のような事件が起きるはずがないと思っていたのに。事情がどうにせよ、暴力は無条件に悪いことだ。(伊藤市長は)撃たれるような悪いことはしていないはずだ。被爆地・長崎が訴える核兵器廃絶の基本は人を殺さない、いかなる暴力も許さないということ。なのに2代続けて、その市長が撃たれるのは異常だし、不名誉なことだ。背後に暴力を容認する風潮があるのであれば本当に恐ろしいことだ」と話した。

以上、毎日が伝えている。
重い言葉である。
くだらない文章の中に、このような大切な文章も畳み込んで、しまっておきたいと思う。
忘れないために。
私は、忘れません。



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不撓不屈の魂

ピッチャー・桑田の人生を思うに、入団時にバッシングがあり、
その後も投げる不動産屋とか言われたりしたものだ。
大リーグを希望しても、ナベツネさんに借金はどうするなんていわれたり。
そのあとは怪我との戦いだ。
さらに起用法をめぐっての問題もあったように思う。
よくぞしのいできたものだと思う。

彼ほどの才能の人にして、これほどの苦難の道である。
打者との戦いはもちろん中心だけれど、
そのほかに、世間、マスコミ、悪意、誹謗中傷、怪我、トレーニング方法、チーム内の人間関係、
とにかくいろいろな方面と戦いの連続だった。

怪我で手術して、一休みしてまた出直した。
二軍球場を走って作った「桑田ロード」は私の励みになる。

私もしばらく休んで出直しだ。
他人とは比べない。
私は桑田と比べる。

桑田が不撓不屈であったと同じ程度に
私もまた不撓不屈でありたい。

私も再起して、ピッチャーズ・マウンドに相当する場所で感謝の祈りをささげたい。

神様が用意した関門を、ハードルを、一つずつ真心を込めて、越えてゆきたい。
だってそれしか私の生きる道はない。

人間にできる努力なら、私は引き受けて、やってみようと思う。

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日本美術への回帰

おばあちゃんの部屋に転がっているがらくたみたいで
いいものです

もちろん おばあちゃんの部屋にあったのは
温泉場でつい買ってしまった
粗悪な民芸品ですが

それだって
おばあちゃんの刻印ゆえに
なつかしく ゆかしいものです







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あと幾たびの春を迎えることができるのだろう

あと幾たびの春を迎えることができるのだろう
いま春の華やぎにつつまれて
ゆるゆるとつつまれて
思うこと

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いやなニュースが続く

伊藤・長崎市長、銃撃され重体…殺人未遂容疑で男を逮捕

響く銃声、教室はパニックに…米大学銃乱射、州立バージニア工科大学

こんな寒い日、こんな嫌なニュースが続く。どちらも銃がからんでいる。
ライフル協会は、銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだと言っている。
困ったものだ。

他人を殺したあとで自分は自殺するケースが多いかもしれない。

ああ、ただ生きていればいい、それだけでいいと、思ったりする。



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藤とツツジ

NHKFMで、亀戸天神の藤の花がそろそろ見頃を迎えるとのこと。
朝日新聞で、根津神社のツツジが見頃を迎えているとのこと。

すべてこうしたことは、すべての人が一歩ずつ
死に近づいていることを示している。

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大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」7

○子供だった時期の、一年一年、私はあのような難しさ、危険さにみちていた日々を、どうやって生きのびねことができたのだろう、と思うことがあります。

●そうだねえ。確かに。
子供の頃、世界は非道いものだったなあ。狭くて、愚かで、圧迫ばかりあったように思うな。東京みたいなところでほっとできたような気がするのも本当だ。子供の頃、少年から青年に書けての頃、私は何を思っていたか。そして改めて問いかける、今後私にできることは何か。
人生を享受するだけの態度で生きることは、私にとっては、手応えのない人生に属すると感じている。
何かを外側に実現する。それが大切なのではないか。真珠貝が真珠を残すように。
●生きのびるために採用した作戦はいいものだったかどうか。そのことについては未だ結論は出ないと思う。
●いまから思えば、ただ生きのびるだけで精一杯だった、それは確かに実感である。またそれで充分だと思う。ただもう盲目的に。「生きること」を欲している人間は、強いものだと感じるのだ。迷いがない。
●困難を切り抜けてきたという能動的な感覚ではない、わけの分からないうちにここまで運ばれてきて、改めて思い返してみれば、幸運なことに生き延びてこられた、そんな風にも思う。
●それは孤独な戦いだっただろうかと思い返してみれば、どの時点でも、孤独ではなかった。いつも理解者がいた、そう感じている。人間の脳は、孤立してしまうとうまく働かないのだろう。ネットにつながっていないコンピュータのようなイメージだろうか。孤立する時、生きる意味も失うように思う。意味というものは集団の中で生じるし、言葉というものが集団の中で生じる何かなのだと思う。
●逆に、そんなものに絡め取られていることは愚かなことだとも思うのだ。言葉を超えて、喜悦の瞬間を求めたり、解脱の感覚を求めたりするのも悪いことではないのだ。それが、現代ではますます、言葉に絡め取られている傾向にあると思う。

●いまだって、子供時代と少しも変わっていないじゃないか。未来は得体の知れないものだ。時間が経って自分がどうなっていくのか全然イメージできないのだ。
●世間でほめられることなんか結局うさん臭いと思ってしまう。小学校の学級で進行していたあらゆるままごとじみた世界と本質的に変わらないと思う。本格的に没頭したとしても、本当はくだらないことなんだな。ただみんなが没頭していることなので、とりあえず自分もそうしなくてはと思うだけなんだと思う。そしてそんな裂け目を強く言う言葉には乏しいわけだし、裂け目を強調してもこの「健康な」共同体の中では受け入れられないものなのだろう。
●裂け目を叫ぶことは許されない。裂け目は、ひっそりと胸に抱いて、人は、ひっそりと退場するしかない。

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大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」6

○もうひとつ別の豊かさに向けて小説を展開させる。
●「もうひとつ別の豊かさに向けて」が可能であるかどうか。これは超越を説く宗教者の課題でもある。
●この目の前にある現実以外の状況をビジョンすること。
●現実を生きていれば、このただひとつの現実以外に状況を考えること自体、無意味な空想であると考えられるだろう。しかしそうではない。そのようにして可能性の幅を拡大して考えることの中に、人間的な、未来をビジョンする働きが芽生えているのだ。だから、このただ一つの現実の他の可能性を検討することが大切なのだ。

○老女は、その年になると、昔を思い出し、昔の夢をみて、昔の中に生きるようになる。
●そのように生きることさえできるものなのか。生きることの多様さに目を開くことも必要である。
●「昔の夢を見て、昔の中に生きる」、そのようなことまでが可能である、人間の精神というもの。

○小説が子供たちにどう受け止められるかをよく考え、その伝達の仕方に細心の配慮をしていることに感嘆する。
●子供たちの前でまでなお無責任に利己的に振る舞えるものか、そんなことはできないはずだ、という、すこし安易な信頼感があるのではないか。私なら、信じない。悪い人はどこまでも徹底的に悪い。
●そのように、徹底的に悪いことを当然の前提として、なおもよく生きることを構想して行かなければならない。……とはいいながら、当面、私としてはどうでもいいような気もする。もう、疲れたのだ。



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ダルビッシュへの期待を形成する根拠は薄い

そういえば、知り合いというべきかどうか微妙なくらい縁の薄い人なんですが、
視力の弱い、全盲というのではないですが、道を歩くのにも介助が必要なくらいの人がいて、
その人が、ダルビッシュが甲子園にでていた頃、
イヤーすごいね、楽しみだね、なんていっていたのを思い出すのだ。
耳からの情報で判断できるのだろうか?
テレビはあまりよく見えないのだと思うけれど、どうなんだろう。
その人は何を元にして判断して、将来を楽しみにしていたのだろう。
そんなことを思っていたのですが、
そういえば私がテレビでダルジッシュの投球を見ていたとしても、
特になにも見えてはいないのではないかと思うのだ。
野球に通じた人から見れば、素人の私たちが「見た」としても、
なにも見えてはいないだろうと思うに違いないのだ。

結果として出た数字を頼りに判断しているに違いないし、
解説の言葉を頼りにして期待したりしているだけなのだろうと思う。

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暗い雨の日

今日は雨が降ったり止んだり
暗い一日で昼もやんわりと憂うつ

心の中でゴールデンウィークの輝かしい日を思い浮かべてみる

ときどき選挙カーが近づいて
名前を連呼している
おばかさんだな

選挙カーに乗る鶯嬢の話
普段その人は結婚式の司会とか野球場のアナウンスとかイベントの司会とかそんな仕事をしています
選挙が始まると収入になっていいんですけど
それにいろんな人のいろんな面が見えたりしてそれなりに楽しいんですけど
問題はスケジュール管理なんです
わたしは事務所経由じゃなくて自分で仕事をもらっている方なんで
重なるときはやたらに重なるし
暇なときはずっと暇で
能率が悪いんです。

気に入らない事務所のこともあるし、候補者のこともあります
でもまあずっとじゃないから
それに選挙のときはお祭り騒ぎのようなもので
仕事なんだかイベントなんだか
とにかくみんなはしゃいでいますから
給料も悪くないし食事も面倒見てくれるし

でも基本的に政治って大事だと思うんですよ、
だから何にも関係のない私たちが
選挙カーに乗って連呼して意味のない情報をばら撒いても
どうなんでしょうね、
やってる方は、町の反応がどうなんだろうっていう実感はあって、おもしろいですけどね。

こんなのが選挙かっていう、
政治屋というんですかね、
しきたりがあって仕切っている人がいて、
へーって思っていると、本当にそんな変なやり方が有効だったりして、
人の心をつかむって言う仕事は、
自民党から民主党から共産党からどこもおんなじですよ、
結局日本人が動いているわけで。

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ワードからコピーは注意だ

ワードにメモをして、それをコピーして、ソネットブログにペーストしたら、
いろんなおまけの情報が山盛り含まれていて、
途中から表示されていませんでした。

メモはメモ帳を使えばいいし、
一太郎ならこんなことは起こらないようです。

微妙にいろんなことがあります。
ワードからコピーするときはテキスト内容だけコピーするように気をつける、
こんなことを一つ一つ覚えていくのが私としては好きだな。

会社でエクセルの名人みたいな人がいて、
ほとんどエクセルでできるのではないかと思ってしまうくらいですね。
長い経験の賜物かと思います。



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ゴッドファーザー 2

ファミリーの幻想を維持する力。
幻想を作り出し維持するために精一杯の演技をし続ける。集団催眠に近い。

男が外部から勝ち取り、男の間で山分けし、そのあとで女と子供は男から分け前をもらう。そんな制度を全員で維持する。

敵を作り敵を攻撃し強さを証明する。敵がいなければ内政問題だけで、その場合は、英雄の幻想は消えてしまうのだ。

絵の美しさ。



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広告は心を満たすのか

憧れのスリムボディ
春夏挙式はブーケで飾ろう
素敵なマンションに入居して
時にはホテルでグルメと温泉

これが広告欄で見かけるイメージ

それはいつもどこかの誰かの幸せ
わたしのじゃない

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巨人第15戦目

先発の高橋尚は、2試合連続完封、開幕3連勝、開幕から25回連続無失点。
これは強いわ。完璧です。巨人9―0ヤクルトというわけで打線も好調。言うことないです。
もう視聴率なんかどうでもいいじゃないですか。

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楽天・松崎1年目の昨年から勝ち星なしの11連敗

楽天・松崎が15日の日本ハム戦(札幌ドーム)で敗戦投手となり、1年目の昨年から勝ち星なしの11連敗。これは1950年、国鉄・成田の開幕からの連敗記録に並ぶものだという。
楽天は2番手一場が18被安打14失点の大乱調で、強力なアシストだったわけです。
それにしても、二番手投手が14失点では負けを確定してもらっているわけで、ありがたいもんだ。

一方で、ダルビッシュは去年からの連勝を続けている。
実社会の縮図だ。

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ジャスコでまとめ買い

夜になってからイーオンに出掛けて、ジャスコでまとめ買いしました。
先日試しに買って来ていた、カロリーメイトに似たブロックで、
トップバリュー印のものがおいしかったので、追加していろいろと買ってきました。

確認したところ、ライトミールブロックという名前で、
チョコ味、黒ゴマ味、抹茶味、フルーツ味、ブルーベリーヨーグルト味がありまして、
それぞれ買ってきました。
私が味見したのは抹茶味で、確かに抹茶が入っていて、
そのほかにはざらめが入っていて、歯に当たります。

店内を一回りして、
タイムサービスで安くなった菓子パン、
トマトジュースは1リットルで100円、
あさり、モッツァレラチーズ、無脂肪ではない牛乳、冷凍かけそば、などなど購入。
冷凍麺類はじめ冷凍食品が非常に多く充実していた。
イトーヨーカドーに比較して明らかに多いように思う。

トマトは一個100円していて、四個まとめて買えば398円と表示していた。
何か深い意味があるのだろうか。

マグカップとうどんどんぶりの追加、生ラーメン、を買い忘れたことに気がついた。
だんだん間抜けになっている。



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井上ひさし「頭痛 肩こり 樋口一葉」

これも良くできている。
幽霊まで含めて舞台で処理するのだから、大変。

引用はしないが、おおむねをいえば、
世間の常識やしきたりに縛られることは苦しいと思いつつ、
生きるからには仕方のないところもあり、
結局内心で世間なんてこんなものと軽蔑して処理しているのだが、
やはり無理も生じて、
心は死後の世界に近づき。幽霊の姿が見えて話もできる有様。

まこと世間はわずらわしい。
しかし世間から出てしまうこともできず、
夏目漱石のように嘆じるにしても、文才があれば美文になるが、
そうでなければ凡庸な愚痴である。

樋口一葉が特殊な才能であったことは疑いないのだ。
今度読んでみよう。

読んでも読んでもきりがない。
うれしくもあり、つらくもある。

本書の帯で著者井上ひさしは、
樋口一葉が渇望していた自由を、
現代の女性はせっかく手に入れたのに、
たべること、着ること、旅行をすること、家庭を出ること、浮気をすることに浪費しているようだとの
意味のことを書いています。
まあ、そうかもね。



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青空とかプールとか





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一緒に散っているガク





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すでに暗い葉の下





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バックのボケ味





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とりどりの色







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花の色

花の写真を撮っても花の価値が減るわけではないので
とてもありがたい





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定点観察

桜はますます店じまい
銀杏はますます緑を伸ばす





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ダルビッシュ有 奪三振ショー

日ハムのダルビッシュ有です。
今シーズンは今日が三試合目、
一戦二戦といずれも14奪三振、今日はNHKも注目の中、9奪三振、
もちろん勝ち投手。
スライダーが「グビッ」と切れている様子がテレビでも分かる。
私にも分かるくらいだから、まあ、相当なんだろう。

この人は長身でさらに腕も長いわけで、
その体を使って投げたらそれはすごいのだけれど、
へなちょこなことを言えば、
あんなにも遠心力がかかったら、
右手の毛細血管がぼろぼろになるだろうと思うんです。
だって私なんか、遊んでいてキャッチボールをしていても、
なんとなく毛細血管がブチ切れている感じがしますから。

夕鶴の話じゃないけれど、
身を削って投球しているのだなあという感じがします。



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レム「ソラリスの陽のもとに」-6

6.
想念が実体を生み出すなら、進化論は飛ばして考えることができる。自意識の発生に関しても、発生のプロセスを省略して、結論だけを取り出すことができる。

7.
意識の宿る生物。
意識の宿らない生物。
両方考えることができる。

意識をどのように定義できるか、それも大問題である。

8.
まず意識だけがあればいい。そこから、実体を作り出すことができる。その実体が意識を宿していれば、あとは自動的に意識を持った実体が生まれるだろう。?
実体が繁殖をくり返しても、どの地点から意識を持つようになるか、その議論は難しい。

最小限の仮定は、むしろ、最初の意識である。?



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レム「ソラリスの陽のもとに」-5

1.
たとえば、私が誰かのことを考えると、その人が目の前に現れる。
その場合、想念の内には、その人の細部のどの程度までが含まれているか。
設計図のように詳細であるはずはないので、
想念のままであれば、ほとんど生きていることなどはできない何かである。
またたとえば、脳についてはよく分かっていないのであるから、分かっていないものがどうして想念できるのか、ひいては現実化できるのか、分からない。

1-2
外形が似ているだけで、内部の構造は全く別のものと考えることもできるのだけれど、
そんなことでは「似ている」ことを保証できない。

2.
複数の人間がいて、それぞれに、鈴木一郎のことを思い浮かべたとする。すると、想念が現実化する空間では、想念した人間の数に応じて、鈴木一郎は複数現れるべきだろうか?

3.
また、人間は自分について想念することもできる、その場合、もう一人の自分が発生するのだろうか。

4.
さて、ここから先は、昔の日記に書いたことだと思うのだが、書いてみる。

人間は自己イメージがあり、他者についてもイメージを持っている。
他者から与えられているイメージが、自己についてのイメージに比較して、重みがあるとは考えられないだろう。
眼力のある観察者はしばしば本人自身よりも、その人についてよく観察するものだ。

そのように自己や他者の抱くイメージを総合する形で、想念が具体化したら、どうなるのだろう。そしてその想念の間に矛盾する要素があった場合には、どのように現実化したらよいものだろうか。

多面体として構成する。観察者が故知なった場合に、観測値が異なってもいいはずだろう。

4.1
私がどのような人間であるかということと、私がどのような人間であると自分と他人によってイメージされているかということとは、どのような関係にあるのだろうか。

実体とイメージということか。観察者と独立して、実体は存在するのか。素朴実在論として、実体は存在すると仮定して、何の不都合があるのか?

5.
想念が現実化するとは、まさに心身医学の問題であり、人体の内部でならば、脳と神経系、そして人体各部とつながっており、また、ホルモン系や免疫系など、一応、通路はある。



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レム「ソラリスの陽のもとに」-4

●作り出された像が思考して、その結果としてまたさらに像が形成されるとすれば、像が二次的に像を造り出すこともあるだろうか?

●意識と肉体の問題がこのように長引いているのはなぜだろうか。その原初に、ソラリスのようなメカニズムを仮定してみるのもいいかもしれない。そして、いったん成立した意識は、それ事態でまた次の意識を生成する。時代が下れば、そもそもの最初にどのようなメカニズムがあったのか、誰も知らないことになる。
●そのような仮説が、現状の心・脳問題の説明して最も直感的で整合的かもしれない。
●まあ、そうであったとしてもなかったとしても、どうでもいいことだ。

●ソラリスの文章は直接に読者に反応を起こすようだ。夢、幻想、瞑想、身体反応、いろいろな反応を起こす。実際私は体調が悪かった。毒だ。



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スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」-3

意識や理性は、独立に発生して、発展して、それぞれに交流可能なものになるだろうか?

数学で、異なる公理系から出発した体系が、それぞれに翻訳可能なものになるであろうか?

海の活動と人間の活動はどのようにして比較可能な知的活動となるだろうか。

それぞれが属している物理世界に共通の法則があったとすれば、
それをいかによく理解しているかについて、
お互いは共有できる部分がかなりあるのだろうと推定できる。
その限りでは、最終目的地は同じだろうと考えられる。



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