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古い町の歯医者さんに行く

結局、古い町のなじみの歯医者さんに電話をして、
予約を取りました。
電車賃はかかるけれど、仕方がないでしょう。
安心感の方が大事だもの。
ちょっとした小旅行です。
明日行くことになりました。



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ゴールデンウィーク

世の中はゴールデンウィークなのですね。
私は何も予定はありません。
ひたすら読書したい、それだけです。

まだ味読していない古典作品が沢山あるのだから、
わたしのやりたいことはまず第一に、
古典を読むことだ。

天気がよければ少しだけ散歩に行ってもいい。
人混みでないところに。



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歯医者さんを選ぶ

たとえば歯医者さんを選ぶ時、
どんなふうにして出会うのでしょうか。
難しいものです。

あんまり上手そうではないとか、
商売第一らしいとか、
素っ気ないとか、
よく分かってくれるとか、
そんな要素も徐々に分かってくることで、
最初から分かるわけではないし、
偶然の相性の問題でもあるし、
難しいものです。

結局、昨日行った歯医者さんの予約があるのですが、
行こうかどうか迷っています。

昔住んでいた町の歯医者さんは、私は好きでした。
もう60歳も過ぎるかと思われるほどの男性歯科医、
息子さんと共同で駅前で診療していました。

その町では駅前でほとんどすべての用が足りたものです。
スーパーがあり、電気屋があり、ホームセンターがあり、
お医者さんもあり、銀行も役所もあり、全部徒歩10分以内の距離で、
自動車は必要ありませんでした。

いま都心部にいると、歯医者さんは沢山あって看板をそこここで見かけるのですが、
評判については全然分かりません。
田舎ではお医者さんの評判がかなりいろいろ分かります。
正確ではないかもしれませんが、○にしろ×にしろ情報はあるようです。

困ったなあ。
新しい医院はなんだか商売に走っている感じがする。
古い医院は技術と設備が古い感じがする。

優しくて患者の立場に立ってくれる人で、
しかも技術が確かな人がいい。
どうすれば巡り会えますか?

古い町まで行ってもいいのだけれどなあ。
どうしようかなあ。
うつの私には決められない、重大すぎる事件なのである。



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読みかけの小説

仕事に関してのことがにわかにやかましくなり
私は、脳が仕事モードになってしまうと、
ゆっくりと小説を読んでいられないたちであることは承知しているのだが、
今回も実際、その通りになっている。

大江健三郎「憂い顔の童子」を読みかけている。
先日までは、大江ワールドの中で、イメージのふくらみを楽しみ、
言語の力を楽しんでもいた。
しかし脳の仕事回路が発動してしまうと、
小説は色あせて萎んでしまうようだ。

仕方がないので、そばにあった、
安岡章太郎「海辺の光景」を読んでみた。
ますます頭になじまないことが分かった。

なじまなくなると興味がなくなることはもちろんなのだが、
途中で本を置いて考え込んでいることが多くなる。
また、夜ならば、うとうと眠り、その間に、自分なりに物語を進行させていたりする。
すこしして起きて、また文章に沿って進み、またうとうとして、
自分の物語を進行させたりしているようだ。

文章についてもそうで、
うとうとしつつ、自分の文章を「読んで」いることがある。



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大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」9

○敗戦後の一時期。あの時期ならば、自分の運命がどんなにねじ曲げられても不思議じゃなかった・よく生きのびたものだ、という思いにあらためてとらえられるのです。いや、あの時期、自分は確かに決定的な変動を体験したのであって、いまここにいる自分は、全く変わってしまった後の自分だ、という気がします。この時期については、うまく表現することができないできた。

●敗戦後の一時期については、まさにそうだっただろうと思う。石川淳を思い出した。
●「よく生きのびたものだ」の感慨について。そういえばそうだ、そうなのだ。ただ生きのびただけで、それはかなり立派なものなのだ。自分の割り当てられたDNAがどんなふうにこの世界で形質を発現していくのか、それを見届けるだけでいい。もう苦しまなくていいのだ。そう思う。

○身体と精神と感情に起こった決定的な変化。その転換期をどう乗り越えたかの物語。
○わたしは理科少年から文学に関心を持つ少年に変わった。
○私らが子供の時、時間がいかにノロノロ進むようであったか。

●転換期をどう乗り越えたか。理科少年から文学少年に。そこに段差があったのか。
●理科少年が本当に文学に関心を寄せたら、たとえば安部公房のように、独自の世界を築くことができるはずなのだ。私なら、多分、独自の世界観の提示を試みるだろう。



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大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」8

○しかもそのようにして生きのびるだけでなく、自分を、なにかえたいの知れないところのあるものから、なんとかかたちのある「自分自身」に造り上げて行っていたのですから。

●自分を造り上げる。そうかもしれない。しかしまた、私の目指すことは、自分自身を造り上げることではなく、人々に向けて、それも100年後の未来の人類に向けて、確かな、有効な言葉を残すことではないかと思うのだ。そして、その言葉をみがき固める過程で、私自身が確固たるものとしてみがかれて出来上がるなら、それも望外の喜びである。
●100年後の人と仮定することで、理想的な人を想定することができる。信頼するに足る人と想定することができる。しかし一方で、現在、周囲にいる人間に対しての、不信感と解釈することもできる。

○子供だった頃のリアリティーは、悪夢から幸福な夢まで、まさに夢のリアリティーと重なっているようにも感じられる

●こうしてみると現実の時間軸と夢の時間軸は並列しておかれているようだ。無論、現実であることの重みはどうごまかしようもなく重いのであるが。人の心の中で、過去や未来は現在と拮抗する形で存在しているし、過去の人間は、いま現在命がないとしても、やはり人の心の中で生き続けていると思う。



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歯のトラブル

今日の昼頃、歯の詰め物がとれてしまいました。
歯医者さんに行ったら、

虫歯が12本もあります。
まずレントゲンを撮って、全部なおした方がいいですね。
今回とれたその部分もだいぶ削ってきれいにしないといけません。
とりあえず簡単なもの詰めておいてもいいですけど、
すぐにとれてしまいますよ。
歯垢も溜まっていて、それが歯槽膿漏の原因になりますね。

こんな感じでさんざんに言われて、
どうしようもないなと、落ち込んだけれど、道をさっさと歩いていた。

他人の病気についてあんなに簡単に断言してしまうんだね。
人の辛さはどうなるのだろう。
どうでもいいか、事実は事実だ。
おみくじの大凶を渡す時に特別な慰めを言ったりしないものね。

老化。
変化。
衰え。
つらいものだ。
徐々に徐々に受け入れて行くしかない。

おまけに最近は横になっている時間も長いので、
体力も落ちているのだ。
困ったものだ。
どうしようか。

虫歯については仕方がない、
歯医者さんにまかせるしかない。
億劫だけれど、仕方がない。



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巨人第21戦目

ついに甲子園三連戦で勝ち越した。
そして昨年6月7日以来の単独首位。
先発の高橋尚が8回1失点、やはり投手の力が大きい。

去年も今頃は強かった。
目標は後半勝負なのだから、
日々の戦いで収穫をつかみながら、
勢いを貯めていって欲しい。

高橋は一時、抑えもやっていたわけで、
いろいろな経験が実っているのだろう。
成績の悪い選手を追い込む采配ではなく、
どんどん配置転換して、いいきっかけをつかんでもらいたいものだ。

抑えの豊田を別の形で活かせないか、
考えればいい。
7回豊田、8回林、9回上原で行きたい。

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ダニエル家具でセール

ホテルオークラのそばを自動車で通ったとき
ダニエル家具のセールを見かけた

偶然があって、家ではあるフレックスの家具を使っているが、
やはり時間がたってみるとすこし軽々しい
ダニエル家具などはもうすこしいいのかなと思っている

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燃え尽きた 矢吹ジョー

テレビで矢吹ジョーの話
最後のシーンで彼は死んだのか
それとも死んではいなくて明日のためにまた歩き始めるのか

いずれとも決めがたいのだという
それでいい

いずれにしてもそこにあるのは完全燃焼した矢吹だからだ
燃え尽きる
そこまで生き切る
それがいい

つらい苦しい経験であった
しかしその中で私は生き切った
そして完全燃焼した
過去の時間に悔いはない

そのことを改めて気付かされたのだった

いろいろあった
そしていずれにしても私は完全燃焼した
再びチャレンジするとしてもあのようにはできないだろう
そのような日々を送った
確かに送った

そう思えるのだ

まだ解決できていない問題はある
そのことに取り組まなければならない

しかしそのときに
私は思い出したい
私がこれまでつらいときに支えられたのは
宇宙の星の遠さと、
人間の唯物性によってであった。

星の世界の何と遠いことか。
そして宇宙はどこに浮かんでいるのかも人間は知らず、
時間が何であるかも知らず、
それでも一日割き、一年先を考えて生きているのだ。
この星の光は何万年も前に発生したものであり、
地球に届くまでにはるかな時間を要し、
届いたいま、すべてのことは過去になっているのだという、
遠い遠い思い。

人間のなんと言う唯物論的であることか。
人間を解剖する。
徹底的に唯物論的に解剖する。
そこに心などなかった。
あくまでも物質なのだと突きつけられた。
それは圧倒的な破壊力で私の認識を変えた。

そんなことも思い出そう。
そして、いまは思う。
あの時間、私は燃え尽きた。
それほどの時間を生きた。
それは言ってみれば、わたしの、人生に対する熱心さだっただろう。
それでよい。
結果は人間の配慮を超えるところだ。
受け入れるしかない。

燃え尽きたのだという事実を敬虔に受け入れる。
そこからまた明日は出発できるのではないか。

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大庭みな子『寂兮寥兮』(かたちもなく)

大庭みな子『寂兮寥兮』(かたちもなく)は、きちんと読んだことはないものの、有名で、
不思議なものがあるなとは認識していた。
今回読んでみて、自分の感受性の射程外にあることが理解できた。
それだけだった。

ところどころキラキラする部分はあり、
それは描写というよりは、 高次の思想内容の、文学的表現というべきもののようだ。

人間の意識のあり方と同じように、
時間のあり方の枠組がとてもゆるくなっていて、
心の中の出来事同士は因果関係で結合されているのではなく、
むしろ緩やかな連想で結合されていて、
そのような結合点をいくつも作りながら物語は編み上げられているようだ。

しかしまた感受性の向きが異なっていることは確かなようで、
私の中で何かが発火するという事態には至らない。
いくつかの連想をもたらしたことは確かで、それは言葉の力である。

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巨人第20戦目

今日は阪神に勝利。
先行してやっと逃げ切り。
逃げ切りの場面になるとリリーフ陣の弱さが感じられるのだ。
阪神久保田は今日も力強かったけれど、
解説の掛布さんは、昨日と違ってシュート回転していますねとすこし不満げだった。

後半に行くほど安心だといった感じの投手陣にしたいと思うよ。
7、8、9は安心という感じの勝利の方程式がほしい。
内部査定で、救援陣の評価を上げて、給料を高くするしかないでしょう。

背番号18をクローザー専業に与えてもいいと思う。

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六ヶ所村 他人を踏みにじる権利が誰にある

六ヶ所村のことを考えるたびに
私の心は憂うつになり
頭が詰まってしまいます

専門的なことはよく分からないのは仕方のないことなんだけど
でも仕方ないといってはられない

六ヶ所村再処理工場で耐震計算ミスがあり、
日立エンジニアリング・アンド・サービス社は11年にわたり事実を隠ぺいしていたという。
大地震が起きた場合、土台部分の強度不足で切断装置が転倒し、
使用済み燃料などを傷つける恐れがある。
1993年に耐震計算を行った際、
切断装置の固有振動数などのデータを誤入力したことが原因、
その後放置されたということらしい。

六ヶ所村のプルトニウム生産工場では、
5トンものプルトニウムが作られていて、
長崎に落とされた原爆の500発に相当する。
もし事故が起これば大変なことで、
いままで地震が起こらなかったので助かっていただけのようだ。

放射能汚染といわれても
長期間にわたる影響なので
現実に生きている人間が影響を実感できる部分は少ないのかもしれない。
夢千代日記で胎児被爆の影響が描かれていた。
チェルノブイリでは大きな影響が実際に起きて、
しかもいま、事故のおきた原発施設でどのようにして放射能にふたをするか、
大問題なのだと報道していた。
全体を囲ってしまったとしても、なお、時間がたてば、放射能は漏れてくる。
それを防ぐために、もっと大きな建物を作って全体を覆ってしまう、
それくらいしか工夫はないようだ。
完全にお手上げなのだ。

核を上手に扱うだけの技術は本当はないのだと思わざるを得ない。
将来のことに関して言えば、ますます技術は不安定になるだろう。
日本人全体のレベルが劣化しているからだ。
教室でじっとしていて話を聴くこともできない人たちが、
理屈を理解して、手順どおりに、この難しい放射能を扱えるとはとても思えないのだ。

そのうちに私は死んでしまうだろう。
それまでに六ヶ所村を大地震が襲うことはないかもしれない。
地震も危ないが、誰か悪意のあるテロリストがいて、
その人が六ヶ所村を襲ったらどうなるのだろう。

考えたくないが、不可能な話ではない。

そしてまた、なぜ六ヶ所村なんだろうと考える。
進んで引き受けた面もあり、
押し付けられた面もあり、
現実は複雑なのだろうけれど、
それにしても、六ヶ所村という土地もかわいそうだし、
その場所に住む人々もかわいそうだ。

こうしたことを決定した人たちはそのことをどう思っているのだろう。
六ヶ所村とそこに住む人々はどうなってもいいのだろうか。
そのように他人を踏みにじる権利が誰にあるというのだろうか。

政治も企業も、
誰もが無責任である集団、
そんな中でプルトニウムがどんどん増えてゆくことの恐怖。



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天神様の梅守

書類を探した
かなり必至に探したが見つからなかった
そのほかのいやな書類ばかり見つかった
いやな過去がまとわりついて悲惨な感じだった
その代わり
太宰府天満宮のお守りが見つかった
天満宮の梅の実を納めた梅守、健康長寿とある。
天神様なら恨みを晴らすのかと思ったら、
そんな低次元のことではなく、
学問の成就でもなく、
このお守りが、天神様を永遠に静めるのだという。
結局、健康長寿だというのだ。
それもそうかもしれない、なにより健康長寿である、異論はない。

人間の側の配慮によって、天神様の怒りと恨みを静めるだなんて
とんでもないことだ、とは思わないらしい
何とか静まってくださいとお祈りすればそれはそれなりに効き目もあるらしく
さらにどのように関係するのか分からないが
まわりまわって健康長寿だというのである
この辺の、一種ちゃっかりした感覚も好きだ

理屈の上で原則を貫くというのではない、
かなりいい加減でゆったりした感じの世界観はなかなかいいものかもしれない

私もあとはお祈りでもして時間を待とうか



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定点観測2



銀杏と染井吉野



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定点観測





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巨人第19戦目

何という疲れる試合だろう。
一気に白髪になり腰が曲がりそうだ。

前半は1-0で勝っていた。途中で1-1になって、延長になった。
久保田の力投はなかなかのものだった。打てそうになかった。
しかし巨人林もいい投球だった。ピンチをしのいだ。
民放での放送が終わり、NHKBSに移った。
星野がぶつぶつ言っていた。
12回には4-1として、勝ったかなと思ったら、その裏、
豊田が連打され、さよなら負けである。
疲れる負け。

こんな日もある。
やはり阪神は強いのだが、リリーフ陣の強さが根底だ。
巨人は上原とパウエルが戻ってきたら、
上原をクローザーで固定してしまうべきではないか。
河原の成功をもう一度。
明日明後日と二連勝したいものだ。

谷も小笠原も、巨人ではおとなしいような気がする。
疲れる環境なのだろうか。
なんとかしてあげたい。

少なくとも、ファンは惜しみない愛を与えるのだと信じて欲しい。
巨人のために私の全部の愛を捧げてもいい。

いいところ。
内海は失点1で立派に試合を作った。それでいい。



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巨人第18戦目

木佐貫勝ち投手、広島に楽勝。主力を休ませることもできた。
つまり甲子園で阪神に勝ち越したい。
このところの強さは本物だと思う。

辻内崇伸投手は、今月中にも左ひじの手術に踏み切ることが11日、決定的。手術した場合、長期離脱は避けられない見込みとのこと。残念だけれど仕方がない。

上原が出遅れていることがかえっていい方に出ているのかもしれないとさえ思う。
人事は分からないものだ。

何事にも謙虚にということだろう。

巨人は01年から甲子園3連戦で負け続けている。
今度こそは勝ち越したいという、
あまりにも控えめな希望が実現されるよう祈りたい。
本当に阪神は強くなってしまったなあ。



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こんな方向に月が見えた

夕方、ざくろ坂を品川駅から登りつつ歩くと、
坂の上に一番星が見え、その下に上弦の月が薄く薄く、ほとんど横になって、光っていた。
月はこんな方向に見えるものなのか?

今夜も寒い
お風邪を召しませんように

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ホテルオークラ テラスレストラン

ホテルオークラ本館一階のテラスレストラン。
テラスレストランというのが固有名詞である。

机と椅子はたいしたことはないのだが、
窓からは今日は桜吹雪が見えている。
里桜が散っていた。
大きな花びらが左から右に流れる。
これはすばらしい眺めである。

いろんな人がいて、人々は今日も活発だと、遠い気持ちで眺める。

小学生4人と母親二人がお茶を飲んでいた。
小学生の頃からこんなところで会合を開くものなのか。

場所のせいか、格式のせいか、静かなホテルである。

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ゴーゴリ「外套」吉川訳

講談社文芸文庫新訳ゴーゴリ集である。
250ページの文庫で1200円であるから、高い。
そして、その内容は。

「外套」は語りの文学の側面を持ち、語呂合わせなど、いろいろな試みをしているのだといわれる。
だから、文体はこの場合、本当に「語り口」なのだと思う。
そして日本語になった語り口はどうなのか?
ロシア語を知らないのだから、なんとも言いようがないのだが、
研究の結果の新訳がこれだというのなら、
これがいま手にしうる最高のものなのだろうけれど、
私としてはやはり不満である。

語呂合わせなどは確かに日本語でも試みていて、
地の文から完全に浮き上がっていて、いい味わいだった。

そのほかにはどうなんでしょう。
例えば、町田康がこの文章を語ったらこうなるかなというイメージで書いてみるとか、
なんかもっと工夫があれば、1200円も納得できたと思う。

でも、確かに、ドストエフスキーに通じる不潔な感じはよく出ている。

ドストエフスキーの翻訳は、岩波版よりも、新潮版が好きだ。
これはもう、ドストエフスキーはこういうものだと読んでしまったのだから、どうしようもないだろう。
まあ、どうでもいいことだけれど。



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巨人第17戦目

なんて寒い夜なんだ。

それよりも、
ルーキー金刃2勝目。巨人3-2広島、相手が広島だし、まあこんなものでしょう。

それよりも、
楽天のルーキー田中が2失点完投、4度目の先発でプロ初勝利。
相手がソフトバンクだから価値がある。
楽天に入ったものよかったかも。先発ローテーションがもらえたし、
打線は打ってくれないから、おさえるしかないのだというはっきりした目標ができるし。

それよりも、
長崎市長殺害の背景についての報道、決定版なく、もどかしい。
アメリカの銃乱射事件、犯人と断定された韓国系の学生について、
育った韓国の町並みとか、いろんな情報。
あっという間にこんな情報まで駆けめぐる時代なのか。
韓国の大家さんだった人が何か答えていた。

それよりも、
こんなに早く情報が揃えられるなら、
多分いろんな情報が、公表されないだけで、飛び交っているに違いない。
情報を素早く揃えるには、普段からのインフラ整備が必要だろう。
だとすればそうしたインフラと人材を遊ばせておくこともないはずで、
何らかの情報収集活動を継続しているのだろう、
だとすればその情報を誰が買うのかも何となく限定されそうだ。

それよりも、
カトキチの冷凍そばがあったので、さっと作って食べてみた。
美味しかった。
わたしの場合、B級食が口に合っているのだろう。
そばつゆも全部のみました、ばか。

それよりも何よりも、
朝日夕刊になぎらけんいち
コンサートで尿意を催した話の運び、さらりと書けていて、上手。
文章力、あり。



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人と料理の複合記憶

とても少数ですが、
あの人と食べたあのお料理は美味しかった、
そんな印象で記憶に残っている人っているんですよね、
お料理が美味しくてラッキーだったのか、
その人の雰囲気がお料理を美味しくしたのか、
多分両方の要因があって、
ということは、そんな人と時間を過ごすことはとっても人生のお得だなあと
思った次第です。

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人のネットワーク

こういう人に意見を聞きたいとか
こういう知恵がある人はいないかとか
人についての情報が欲しいことはありますよね
そして大切なことは
プラスその人の人柄とかキャラクター
ついでにその人の背景
そこまでひっくるめての人に関する情報があれば
とても心強い
デパートでは買えないもの
そうした人のネットワークを作ることが大変重要な仕事もある
それを維持することにも費用がかかる

人脈の形成ということですね
人脈は資産だということ
そのとおりだ

そして人は刻々と変わるものだから
人脈こそは人の世のつらさを教えてくれるものでもある
無常はここにもある

人のネットワークがあれば、
人間はその人の能力の限界を超えて
達成が可能になる
それが組織だ

有能な人々を組織することで
大きな達成を可能にする

組織するのは誰か?
組織するという能力を持った人だ
頭がいいとかそんなこととも少し違う

組織も、公式の組織と私的な組織に分けてもいいかもしれない
発想とか情報が流れてくるのは
案外私的な組織からかもしれない

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第五次医療法改正

第五次医療法改正があり、2007年4月1日から施行されている。
いろいろな論点はあるが、今日は医療法人に関しての一点だけ。

今回第五次の改正では、医療法人に関しても大きな変化がありました。
たとえば改正法40-2では医療法人の役割の明確化、つまり監査のあり方などを強化したようです。
42-八号では有料老人ホームの設置可が盛りこまれ、医療法人の業務拡大が可能になります。

中でも44-4項では、解散時の残余財産の帰属について、ついに規定されました。
省略して言えば、医療法人内部の剰余金は、解散するとき、出資者に返されるのではなく、
国などに帰属するというものです。

これはすごい話で、財産権の侵害であり、憲法違反だと反対している人たちもいます。

だって、一所懸命働いて、会社(病院)が大きくなって、最初資本金(出資金)1000万円で始めたものが、最後には一億円になっていたとして、その一億円は、当初出資金は出資者に返還するものの、あとの9000万円は国(など、最初に法人約款で決めておく)に取られちゃうんだそうです。

何でこんなことが!
というと、厚生労働省は、医療に株式会社はなじまない、なぜなら、医療法人は営利組織ではないからだ、というあたりに出発点があります。
「営利活動は認めないといっても、残余財産を分配するときに、配当とはちがう形だけれど、実質的に利益になっているじゃないか」という批判はあった様子です。

そこらあたりを、法律的にもすっきりさせたいというので、儲けが法人内部に残ったら、それを利益として分配することはダメ!としたらしい。

それだと旧法の医療法人との整合性とかの問題もあり、未解決の部分もある。

そもそも医療法人が解散するということは現実にはほとんどないことなので、
もっぱら、株式会社参入を禁止したい勢力の考えたことらしい。

もちろん、運用としては、いろいろ方法もあるので、そんなに悲惨な法律ではないのだけれど、
今度は、そんな性質のお金には税金はどうなるのか、などの問題が生じて、
国税とはやっと調整段階で、
来年には間に合わせるということらしく、
結局、あと一年は、待ってくれということらしい。

実際、このあたりで、新法になったら医療法人も運営が難しいなんて思った人も多く、
駆け込み法人成りが多かった。



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人生に不可欠なもの

長崎市長がなくなってしまった。
冥福を祈る。
事件の意味について新聞の主張しているところでほぼ全部尽くされているし、
私としても賛成である。
暴力に反対、言論の自由をすべての市民、マスコミの手によって守ろう。

ここから先は長崎市長銃撃事件とは関係のない話。

私は個人的に多くを失ってしまったと述べているが、
実際に何を失って何が残ったか、考えた。

死んでしまう人に比較して、
私には何と多くのものが残っただろう。
命もある、とりあえず生活するだけの資産もある、友人もいる、そして未来への自由もある。

失ったものを数えれば
確かに強い後悔を感じる。
しかしそれでも私に残されたものを考えると、
それこそは本当に私のものなのだとも思える。
いま私にここされたものは実にありがたいものばかりだ。
それをありがたいと思って感謝して生きていたい。

死んでしまえばあの世に持っていけないようなものに執着していても益はない。
古来、文人はむしろ捨てることで、処世の術とした。
また捨てることは、認識の術でもあった。
そうした態度は世俗に生きる家族を幸福にしないから、
しばしば家族をも捨てることになった。
捨てられた家族としても、どうせ付き合いきれない人間なのだから、
捨ててくれてよかったと考えていたものだろう。

捨てられるものならばすべて捨て去り、
なるべく死に近い状態をつくる。
その時点で、未来に届く言葉を語ることができるようになる。

若いころ清潔に几帳面に考えていたことも、
いまは多く忘れている。
しかしそれでよいはずはない。

人生に必要なものは数少ないし、
ただそれだけを大切にして生きればそれでよい。
物質的条件としては単純にした方がよい。



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山手線で認知症予防

今日、山手線に乗って経験したこと。
偶然両隣に退職も近いくらいの年齢の男性、
両方とも、魔方陣に数字をはめ込んでいる。
右側の人が高度で、左側の人が初歩だ。
一体、電車でこんなことをしている人が
給料をもらって仕事をしているのだろうか?

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目取真俊「帰郷」「剥離」「署名」

目取真俊「帰郷」
他の話が心理劇であるのに比較すると、冒頭に置かれているこの話は、
夢幻的で半ば幻想の体験のようにも思えるものだ。
話をつくるという点ではよくつくっていると思う。

「剥離」
これは学級崩壊によって小学校教員である妻が身体的・精神的危機に陥り、
それと連動する形で夫である中学教員が危機に陥る様子を描いたもので、
よく描けている。
しかしこれは「文学」なのだろうか?
この文章に目取真俊の刻印がどれだけあるのかといえば、どうだろう?
もちろんうまいし、的確である。そのゆえに、素直ないい文章になってしまっているのだろう。
それで悪いはずはないのだけれど。
直球が素直すぎて、模範的過ぎて、とてもいいのだけれど、多分、三振を取ることはできない。
もう少し汚いスピンがかかっていればいいと思う。

「署名」
これはなんとも不条理劇である。
不条理の中に陥れられた者の苦悩は実によく描かれている。
しかし一方、陥れる側の、動機とかメカニズムとか必然性とか、
そんなものが知りたいと思う。
それを提示していないから、不条理劇と呼んでいいものになっているのだろうけれど。

全体に、沖縄の風土の中で語られることの意味は充分にあると思う。
日本に生活している人は、テレビに出ているような抽象的なTOKYOの中で生きているのではなくて、
具体的などこかの土地で生きているのであり、
だとすれば特有の言葉があり特有の風俗があり、従って特有の感情と思考があるのだと思う。
それをすべて脱色して、成功するとも思えない。
リアリティを付与するには積極的に、土地や時代を特定することもいい作戦だ。
夏目漱石にしてもとても地域的なローカルな言葉である。
森鴎外のほうが歴史的に見てグローバルな言葉遣いである。
ただ、夏目漱石の言葉が後の時代には東京の言葉になり、
文章の言葉になっていったわけで、その点でローカルと単純にはいえないけれど、
でも本質的にはローカルなのだと思う。

沖縄の言葉で書かれる部分に、とても光るものがあり、深い響きがある、
言葉の語数以上の含蓄がある。

これには私の個人的な沖縄体験も関係していると思う。



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巨人第16戦目

今日は広島黒田に完敗。
いいんじゃないでしょうか。
黒田にはたま~に勝てば充分です。

西武涌井、好投。
でもスタントがガラガラ。

中日・山本昌、阪神相手に好投。
いい投手は打てません。

ピッチャーの給料を上げるわけには行かないんだろうか?

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グールドのモーツァルト

芸術の表現を語る時、
「何を」と「どのように」とがあり、その幸福な一致が目標なのだといわれる。

グレン・グールドがモーツァルトのピアノソナタを弾く時、
モーツァルトの音楽と
グールドの弾き方は
どうもあまりぴったりしないようなのだがと言われることも多いだろうが、
それでも、グールドらしさの刻印がくっきりときつく押されていることは間違いない。

これでいいのだと思う。
芸術の表現における多様性を目指し、
社会としては多様性を保持する方向を目指す、
それでいいのだと思う。

現代のように情報が重複しつつ駆け回り、
真実の一時情報は少なくなり、
それでも手を変え品を変え情報が分散して行くなら、
ゴツゴツするくらいその人らしい表現の仕方があってもいいと思うのだ。

グールドはグロテスクなくらいにまでグールドである

そのように表現様式にこだわる時、
たとえば顯微鏡が新しい世界を開いてみせるように、
突然新しい世界が開けるのではないかと思う。

表現様式は、単に、表現の仕方ではなく、
世界の発見の仕方なのだ。

それは
世界観の発見なのである。

それは究極の成功例であるが、
少なくともその程度の意気込みを持って
表現様式にこだわりたい。

グロテスクだけどリアリティにあふれている。

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