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何が当然なのだろうか

たとえば、ある人がたくさん稼いでいるとする。
稼いでいるのだから、多少は消費してもいいと思ったとする。
それは正しいだろうか?

たぶん、正しいって言いますよね、現代社会では。

もし、その人の家族が、夫または父がたくさん稼いでいるのだから、
家族は適当に遊んでいてもいいのだといったとしたらどうだろうか。

たぶん、それはあまり正しくないだろうって言いますよね。
妻ならば夫の稼ぎをかなり援助していると考える人と、
そのような内助の功はあまり考えないという人といるかもしれない。
息子や娘だったら、父親が金持ちだからと楽をするのは
いいことではないというかもしれない。
あるいは与えられたチャンスは生かして、
法律に触れるのでなければそれでよいとする考えもあるだろう。

酒を飲んで一生を暮らしても、
社会に奉仕して一生を暮らしても、
大差ないとするニヒルな考え方もあるだろう。

家族が遊んでいたら少しみっともないとしたら、
稼いでいる人自身が遊ぶのもみっともないものではないか。
という点についてはどうだろうか?

*****
またたとえば、
給料を要求するとして、自分の働きはどの程度の給料に値すると
どのようにして判断するだろうか?

どのくらい要求してもいいものだろうか?

あるいはあなたが社長さんだとして、どのくらい支払うべきだろうか。

リバタリアンはそんなことは倫理的な判断からは出てこない、
マーケットがすべてを決める、
自由市場で価格が形成される、
それだけだと言いそうだ。

高く売れるなら高く売って何も悪いことはない、
買う方も納得しているのだからという言い方だ。
一度失敗しても、次から賢くなればいいと言う。

自分がアルバイトをするとして、時給が高い方を選ぶのは当然だと言われそうだ。
意識の高い人ならば、
その企業がどんな活動をしていて、社会的にどのような勢力に荷担しているのかなどを見極めるかもしれない。
たとえば、事務作業があるとして、それが軍事的な使用目的がうっすらと見えている場合、
あなたは積極的に働くだろうか。
自衛力として作用するのだから価値があると考えるのも考え方であるし、
軍事力に荷担するのは嫌だとする考え方もある。

時給が高い方を選んで当然だと考えれば
すでにリバタリアンの入り口である。
そこは怖い。

なぜ自制できるか。
そこに社会規範というものがあるだろうと考える。
伝統的社会であれば習慣があるし、
そうでなければ宗教がある。
二宮尊徳や儒教やカトリックやイスラムやプロテスタントである。

しかし現代日本ではそのような規範がとても緩くなっていて、
残っているのは、かなりむき出しの形の、他人に傷つけられないようにしたいという意味での対他配慮かもしれず、
そうなると、ぎりぎりまでインセンティブを追求していいという
リバタリアンの考えが当然のように広がるだろう。

そこは自制のない社会である。
欲望を追求していいけれど、自己責任である。

欲望を自然な形で抑制する社会規範というものが
果たしていいものなのか悪いものなのか
社会規範をきつくしたり緩くしたりしながら
揺れながら歴史は続いてゆくのだろう

社会全部が揺れるというのも現代的な特徴だろう

昔は社会の一部にかなり開放的な部分があって、
しかし大部分はかなり抑圧的とか、
そんなものだっただろう。

開放的な部分に参入するにはそれなりの壁もあった。
しかし参入することも方法としてはあり
その代わり破滅しても文句は言えない。
そのような部分があっただろう。

江戸時代でもそうだろうし
平安時代にもそうだろう。
戦国時代は尚更そうだろう。

しかしそのような時代には、
見たくない人には見ないでいる自由があり
知らないでいる自由があったと思う

吉原に行かないで一生を終わる人が多かっただろう
芸術の狂気に触れることもなく過ごしたものだろう

しかし現代はそうではない

否応なしにいろいろな人を巻き込む社会
しかも商品の売りつけという形で

何が当然なのか、とても怪しい

昔の遊女の絵を見たりすると
化粧をして晴れ着を着て、
それは現代の女性のままではないか
それで当然なのか、怪しい



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儒教的枠組みの解体

儒教的枠組みの解体と言われるが、
それって一体何だっけ?というくらいのもので、
簡単ではない。

長い間の積み重ねがあり、
ヨーロッパで言えばカトリックの伝統にも近いくらいのものなのだから、
簡単に模式図を提示できるものでもない。

では本当に何なのかと
入り込んでいくうちに人生の全部を使ってしまう
そういうもののはずだ。

逆に、儒教って何だと思いますか?と
聞いてみればいいのだろう。
その人の考えていることの一部が分かる。

封建的という言葉と結びついていると
言った人を知っている

家父長制とか身分制とか長幼の序、男女の秩序、そのあたりも大きな要素かもしれない。

人によっては信義とか格物致知とか。

もっとも古くもっとも因習的なものとも結合していて、
しかしもっとも革新的でもっとも世の中からはみ出している要素もある。

社長さんから放浪者まで
射程は広い。

韓国ドラマは儒教的と言われるし実際そのような要素も感じる

安岡正篤一日一言 ~心に響く366の寸言~(メルマガ)

http://www.chichi.co.jp/366_1.html
というのがある



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安岡正篤 致知

名横綱双葉山と木鶏の逸話
(安岡正篤『人物を修める』致知出版社刊より)

 老子の後学で、恐らく老子とその最も代表的な後進である荘子と前後する人と思われるのが列子であります。しかし、この人については、老子の後学で荘子の流(ながれ)であると推定される以外、全くわかっておりません。その「列子」に「木鶏」の話があります。

紀渻子(きせいし)、王の為に闘鶏を養ふ。十日にして而して問ふ、鶏已(よ)きか。曰く、未だし。方(まさ)に虚憍(きょけう)にして而して気恃(たの)む。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお影響に応ず。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお疾視(しつし)して而して気を盛んにす。十日にして又問ふ。曰く、幾(ちか)し。鶏、鳴くもありと雖(いえど)も、已に変ずることなし。之を望むに木鶏に似たり。其の徳全し。異鶏敢(あえ)て応ずるもの無く、反って走らん。

これと同じ話が「荘子・外編」に出ております。紀渻子という人が闘鶏の好きな王(学者によって説もありますが、一般には周の宣王ということになっています)のために軍鶏(しゃも)を養って調教訓練しておりました。そして十日ほど経った頃、王が“もうよいか”とききましたところが、紀渻子は“いや、まだいけません、空威張りして「俺が」というところがあります”と答えました。さらに十日経って、またききました。“未だだめです。相手の姿を見たり声を聞いたりすると昂奮するところがあります”。また十日経ってききました。“未だいけません。相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります”。こうしてさらに十日経って、またききました。そうすると初めて“まあ、どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも平生と変わるところがありません。その姿はまるで木彫の鶏のようです。全く徳が充実しました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、姿をみただけで逃げてしまうでしょう“と言いました。

大変おもしろい話でありますが、私はこの話を往年の名横綱双葉山関にしたことがありました。これは双葉山関自身が『相撲求道録』という本に書いておりますが、まだ横綱になる前の大変人気が出てきた頃でした。双葉山を非常にひいきにしていた老友人に招かれて一緒に飲んだことがあるのです。なにしろ私もまだ若かった頃ですからつい一杯機嫌で、“君もまだまだだめだ”と申したましたろころ、さすがに大横綱になるだけあって私もそのとき感心したのですが、“どこがいけないのですか”と慇懃(いんぎん)に尋ねるのです。そこで私が木鶏の話をいたしましたところが、大層感じ入ったらしく、それから木鶏の修行を始めたのです。その後は皆さんもご存知のようにあのような名力士となって、とうとう六十九連勝という偉業を成し遂げたのであります。なんでもそのとき、私に木鶏の額を書いてくれということで、書いて渡したのでありますが、その額を部屋に掛けて、朝に晩に静座して木鶏の工夫をした。本人の招きで私も一度まいりました。

今度の大戦(第二次世界大戦)の始まる直前のことでありますが、私は欧米の東洋専門の学者や当局者達と話し合いをするためにヨーロッパの旅に出かけました。もちろんその頃はまだ飛行機が普及しておりませんから船旅ですが、ちょうどインド洋を航行中のときでした。ある日、ボーイが双葉山からの電報だと言って室に飛び込んできました。なにしろ当時の双葉山は七十連勝に向かって連戦連勝の最中で、その人気は大変なものでしたから、ボーイもよほど興味を持ったらしい。そして“どうも電文がよくわかりませんので、打ち返して問い合わせようかと係の者が申しておりますが、とにかく一度ご覧ください”と言う。早速手にとってみると「イマダモクケイにオヨバズ」とある。双葉山から負けたことを報せてきた電報だったのです。なるほどこれでは普通の人にわからぬのも無理はありません。この話がたちまち船中に伝わり、とうとう晩餐会の席で大勢の人にせがまれて木鶏の話をさせられたのを覚えています。

 その後双葉山の木鶏の話が自然に広がり、あちらこちらに鶏ならぬ人間の木鶏会ができました。しかし、これは結構なことです。

*****
かの安岡正篤を捧げ持って
雑誌「致知」がある

稲盛和夫、牛尾治朗、渡部昇一と並んでいる。
渡部昇一もすでに名誉教授とのことで
なるほどみんな年をとるわけだ

安岡正篤と他の執筆諸氏を並べるとやはり日本知識人階層に段差ができていたことに
気づかされる。

学生運動で大学が荒れた頃があって
その頃の傷からまだまだ回復していないのではないかと思う。
あるいはその頃からの愚民化政策が完全に
国民の気質を変えたようにも思う。

致知という雑誌の目指す方向は
もちろん伝統的な儒学であり四書五経なのであり、
その延長の朱子学でありまた陽明学であり、
そのような充分な栄養素が図書館にはあるにもかかわらず、
現代的な花は咲いていない。



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債務者を人質にとる

新銀行東京の元行員ら数人を逮捕へ 警視庁
 新銀行東京(東京・新宿)から融資金数千万円をだまし取ったとして、警視庁捜査2課は27日、同行の元行員や融資先の関係者ら数人について、詐欺容疑で取り調べを始めた。容疑が固まり次第、逮捕する方針。

 新銀行東京は同日、詐欺容疑で元行員らを警視庁に告訴した。

 調べによると、融資担当だった元行員は融資先の関係者らと共謀し、不正な融資手続きで、同行から融資金数千万円をだまし取った疑いが持たれている。

 同行によると、融資が行われたのは2006年9月で、07年7月に不良債権化した。内部調査の結果、同行は今年3月、不正融資の疑いがあるとして、警視庁に捜査を依頼した。 (16:07)

*****
東京都の税金がどれだけ使われたのか。
そして今後も、金融機関の危機に関しては寛大な処置がとられる方向であり、
なんだか末端の債務者を人質に取っているような感じなのだ。

どうすればいいのか難しいが
このように詐欺容疑と出せるならばとても明確である。

しかし詐欺とは言えないながら
灰色のケースがたくさんあるはずで、
事情はとても分かるし同情も大いにするのだが
それでも困ったものだ

世の中は難しい
生きているだけでかなりありがたいという地点までまず
退却してしっかり土を踏みしめてみたいと思う



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社会の仕組みを根本的に変えなければだめ

だからダメって言っただろう
今の社会の仕組みを根本的に変えなければダメ
などと
またまたいつものように論壇でははやしたてている

ここ何十年か
変わらない景色である。

いつでも 根本的に徹底的に抜本的に変えるのだと言い続けているように思う
時によって脱軍国主義、脱アメリカ従属主義、脱官僚主義、脱工業化社会、
何でも代入できる型枠があるのだ
ただそれに代入しているだけの気力のなさ

*****
実際にひどい損切りに耐えている人にとっては、
いま新聞やテレビで
だから今の仕組みではダメなんだなんて言う
後出しじゃんけんみたいな言い方で
小遣いを稼ぐのはやめて欲しいと思う。

ダメならダメではじめからきちんと言って欲しかったと
非専門家としては思うけれど、
たぶん、言っていたんだな。
報道されなかっただけで。

おじいちゃんは
河野洋平が新自由クラブをつくって
自民党を飛び出した昔の頃を
最近は何となく思い出しているよ。

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ゆでられるカエル

急に熱い湯に入れられると
カエルも驚くいてカマから飛び出す

水からはじめてゆっくりゆでられると
うっかりしてゆでがエルになってしまうと
昔からたとえ話で言われる

今回の円高は急激な熱湯で、
いくら何でも麻酔なしにこれはひどい
麻酔が効くまで少し時間があればいい

*****
受け入れ難いことを
受け入れるのも時間の作用であることが分かる

逆に、時間さえあれば
人間はどんなことにも慣れてしまう生き物でもある。

たとえばゼロの状態から今の税金を急に取られたら
徹底的に抵抗するだろう

しかし時間をかけてじりじりと制度を作れば
今くらいの税金でも文句を言わずに支払っている

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26年ぶりの安値7162円

大引けは前週末比486円18銭(6.36%)安の7162円90銭で、
2003年4月に付けたバブル経済崩壊後の最安値7607円を更新し、
1982年10月7日以来26年ぶりの安値に沈んだ。

7600円が一つの壁だったけれどあっさり更新。
7200円も突破。

トヨタやソニーなど主力株中心に換金売り。大手銀行株には売りが殺到。
三菱UFJやみずほFGなどが値幅制限の下限(ストップ安)で売り気配。

政府は銀行保有株の買い取りや金融機関への公的資本注入額の拡大などを柱とする
緊急市場安定化策のとりまとめに動いているが、
市場の最大の関心事である急激な円高への具体的な対策が盛り込まれていないとして、
前向きな評価はひとまず限られた。

金曜日、90円の壁はぎりぎり守られて、今日は93円くらい。

*****
「急激な円高への具体的な対策」これこそが肝心要。麻生さんと中川さんに頼りたい気分。
政権も任せるし高級レストランもバーも構わないから、
ここだけ本気でお願いします。
こんなにも急激なのは実際困る。大資本家以外は対策もできない。
(たぶん、専門家に言わせれば、急でも何でもなくて分かっていたことだと言うのだろう。
そこが憎らしい。)

翻弄されるばかり。こんな気分も久しぶり。
船に出て嵐にあって、もうなるようにしかならない、どうしようもない、
命だけあれば儲けもの、そんな気分だ。

また一日、破綻は延びた。現金がないって、こんなにも苦しいものか、と某社長の弁。

*****
26年ぶりというと、えーと、何をしていた頃かな。



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見よ これがたそがれだ

見よ これがたそがれだ

そのことを諦めたことさえ忘れている

*****
金融危機に似合うのは
中島みゆきの歌のようだ

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リバタリアンの危機

その人は自称リバタリアンで
つきあっていると特に悪い人ではないのだが
合理的と言えば合理的だ

何かを担保にして円を借りてそれを外貨で回せば利息が多く取れるし
それで株を買ってもいいので
それを数社にまたがっていろいろとやっていると
結局レバレッジをかけた取引のようになる

たいていかどうかは知らないが
その国の株が安くなれば信用できないということで
その国の通貨も安くなるようだが、
今回は見事に当てはまらず、
世界中の株が安くなり、
ほぼ全世界の通貨の価値も下がって、
円だけが高くなっている。

こういう特殊な局面だと、
株と外貨を担保にしている人は評価割れが起こる。
生命保険会社とか銀行とかと同じ。
担保を返してくださいということになり、
お金を補給するか、担保をそのまま差し出すかの選択になる。

そのリバタリアンはどっかからお金を補充してそれですむらしいが、
当てにしていた現金が滞ると、土地などの担保があっても、
お金が回らずひどいことになるらしい。

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金融資本主義に献金

金融大変動で
金融資本主義に献金したつもりになればいいのだと
腹をくくるつもりが
どうしても納得しきれない

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日本はまだいいのかな

IMFはアイスランド、ウクライナ、ハンガリーに支援決定。
日本政府がグルジアを支援するとニュースに出ている。

こうしてみると日本はまだいいということなのか。

アイスランド、ウクライナ、ハンガリー、グルジアは愚かな政府ということになるのだろうか。



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まだ壊滅的にはなっていない

外国為替市場の円相場は、1ドル=93円53-56銭と、前週末比1円63銭の円高・ドル安で始まった。その後は、日銀による市場介入を警戒した円売り・ドル買いもあり、同94円台前半で取引されている。

中川昭一財務・金融相は27日午前、臨時の記者会見を開き、このところの急速な円高について「過度の変動がみられる。経済や金融に悪影響を与える。重大な関心をもって引き続き注目していきたい」と述べた。
午前10時では94円。まだ壊滅的にはなっていない。

今回は外貨買い/円売りポジションの巻き戻しによる円高。
円キャリートレードは、投信や生保などの機関投資家による円売り/外貨建て資産購入、個人や企業による外貨預金や外為証拠金取引、ヘッジファンドなどの短期筋による円売り/外貨買いの投機的ポジションなどにとどまらず、北欧やアジアの近隣諸国の個人や企業による円建てローンの借入など、様々な形態があるが、たぶん投機的ポジションの巻き戻しが強烈で、それに引きずられる形で関係筋が円を買ってポジション解消しているらしい。もちろん損切り。

意見を拾うと、
ユーロ/円については、130円を下回ったところで、大方のポジション整理が終わったと見る。だが、ポンド、豪ドル、北欧通貨などは、円売りポジションの投げはまだ道半ばと見ており、これらの通貨の対円での下落余地はまだある。
90円割れの水準では、日本の通貨当局がドル買い/円売り介入を実施することも予想されるが、「今のところ、円高、ドル高が同時進行しているので、単独介入がどれほど功を奏するか疑問」(外為アナリスト)との指摘もある。

とはいえ、しないよりした方がいいだろう。
ポンド、豪ドルはまだ一段の展開があるというのも困る。

*****
米政府が米連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)や連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)を公的管理下に置き、リーマン・ブラザーズが破綻したのは9月初めから半ば。同氏は危機は「もう2カ月目に入り、かなりの進展がみられ始め、政府の対策により展開が早まる時期にある」と述べた。
過去50年の間に起こった危機からみると、大幅な金融ショックが起こった2カ月後に銀行間金利は最高水準に達していると、一部アナリストは指摘する。今回の危機でも、中銀の莫大な資金供給に助けられ、過去1週間で信用状況が一部緩和しているとの兆候がみられており、同様のパターンが確認できる。

この記事にあるように、ある専門家も、上の方として打つ手は打って、あとはそれが下に波及していく時間差の問題だとして、あまり心配していないと話している。ただ、どのくらい時間差が出るか、その間に資金繰りに行き詰まる人たちがどの程度いるか、それはちょっとやってみないと分からないというのだそうだ。



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金融危機と食欲

金融危機で食欲がいきなりゼロになる
食べなくてもとくに空腹を感じない
自分ながら分かりやすい体である

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グリーンスパン謝罪のなぜと未来

グリーンスパンがなぜ謝るのか
よく分からないと
リバタリアンは相変わらず言い張り、
自分もずいぶん損をしているのに
そう言っていられるのは、
現実には損がなくて、また株があがるまで待てばいいという結構なご身分だからだ。
彼にとっては円高は資産価値が上がるのでいいことなのだ

もう一人はリバタリアンではなく
それなのに
現実に株も外貨も損切りしていかなければならない悲しい身の上なので
とても矛盾していると思う

この状況ではリバタリアンが損をして決着を付けるのが一番いいのだが
そのような構造にはなっていない
リバタリアンが反省するにはもっと大きな地震が必要なようだ

たとえばこんな地震

*****
中国が膨大なアメリカ債権を行使して
軍事兵器や軍関係の技術者、さらには産業技術、基礎研究に至るまで大幅に買い取る、あるいはスパイして模倣する

時期を見て債権を放出して売り浴びせ、アメリカ合衆国を破産に追い込むと宣言、米英の自由主義に対する最終戦争の布告

アメリカ合衆国政府は防戦のため国民に節約と生産を説くが国民は一向に聞き入れず遊びほうける

アメリカはしばらく抵抗した後、アメリカ合衆国破産を宣言

アメリカ合衆国は解散して各州が独立国となり北アメリカ共同体となる NAU

中国は勝利宣言して東アジア共同体を結成する EAU
世界決算通貨として元が君臨する。

続いて南アメリカ共同体 SAU
アフリカ共同体 AFU
ロシアは中央アジア共同体 CAUを結成
各ブロック間で会議を定期的に開き
持ち回りで世界銀行の議長を務めることとなり
世界経済は統一的な権力の下に置かれることになる

この頃から中国の資産家が共産党政権内部で新フリードマン主義を掲げて活動

最強国の中国の内部でモラルが崩壊し
新フリードマン主義のインセンティブに群がる

一時的に中国共産党の世界覇権の時期が続く

しかしやはりバブルがはじけて新フリードマン主義者が一掃される
中国の覇権は崩れ上海地域は独立する。

各経済ブロックでインド、ブラジル、上海などが覇権を握り、緩やかな多極主義に移行する。

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クリムトとフロイトとウィーン

クリムトの細部に何が宿るか
改めて新鮮である

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錬金術の伝統

ヨーロッパの科学の伝統の一部分には
錬金術がある

卑金属を組み合わせて反応させると貴金属になるのではないかと
様々に探求された
結果としては成功しなかったけれど
それで科学はずいぶん発展した

金はできなかったけれど
それでよかった

今回米国の金融工学の行き詰まりが錬金術の破綻ともいわれる
無から有を作り出す幻想であった

最終的には無から有は生じなかった

*****
このようにして破綻が明らかになってみると
吹き出すように新自由主義の批判になっている

このように一気に振り子が振れてしまうのも
おかしなものだと思う

精神医学の世界でも
成果主義と市場主義がうつ病を引き起こしていると名指しされたりして
フリードマン一派もさんざんである

星野仙一さんは「ストップ!いじめ」では
「大人に言いたい。子どもがいじめられていて、わからないか?」と
いじめをストップしようと語っていた。
その星野監督が持ち上げられた後で批判され
日本はいじめの国だとかの言い方も出ていて、
この激しい振幅はやはりすこし大人ではないような気もする。

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低金利政策が低所得層の所得を奪った

日本が長く続けている超低金利政策が
円キャリートレードを招き
金融危機でそれを解消しようとして円が動いて
今回の円高の原因になっているとのことで
経営者さんたちも大変だ

銀行の利息を減らしてその分
銀行が儲けた形になっているが
主に利息を銀行に献金させられたのは
低所得・引退世代であると怒っている人もいた。

お金持ちはさっさと外貨にしたり株にしたりしていたとのこと
しかし今回は株も下がり外貨でも損が出て
みんなが大変だ

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役割理論 新経営家族主義

今井保次氏は次のような見解である。

職場でのうつ病発症を説明する「役割理論」
 心の病にも多くの種類がある。例えばアメリカ企業で心の病といえば、酒を含む薬物依存が圧倒的に多い。ところが日本企業の場合は、うつ病が一番多くなる。私どもの調査では、職場の心の病で一番多いのは「うつ病」であるとの回答が過去3回の調査で常に90%を超えている。日本企業に求められるべきは、このうつ病対策である。

 うつ病の理論としては、脳内にあるセロトニン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質の機能不全によるものという説がもっとも有力だが、これは医師がうつ病に抗うつ剤を投与することの根拠にはなるものの、職場でうつ病を予防しようとする時には役に立たない。

 あまり知られてはいないが、ドイツ精神医学者であるアルフレート・クラウスの「役割理論」は、職場の現状からうつ病の発症を説明できる唯一の理論である。

 アイデンティティー(自己同一性)を、つまり自分自身であることを、自分に求めるのではなく社会的役割に求めることが危険な状況をつくるという説である。他者から期待される役割に自分を同一化しすぎるために、役割の喪失、役割矛盾に対応できなくなる。役割に同一化するということは、義務感・責任感が強く、行動に裏表がなく、規範にしがみつくことになる。また役割としての人間関係にはきわめて同調的となり、他者との安定した人間関係に依存することになる。そして同じ対象に愛と憎しみの両面を許容することができなくなる。以上、クラウスの理論はうつ病の特徴を見事に説明している。

 私たちは他者の提供した役割(他者との関係)にのめり込み、役割を果たすことで他者からの承認を得ようと必死になっている。グローバル化と技術革新によって、職場環境の変化はめまぐるしいものになっている。この時、仕事の失敗、仕事の変更ないし消失、人間関係の破綻は、自己を失い危機的な状況をつくることになる。

過酷な現実を生む市場主義、そして成果主義への反省
 市場主義がどんなに過酷な現実を生むかということは、最近の穀物価格の高騰で貧しい国の人々が食物を得ることができず、暴動まで起こしている事実から明らかである。この市場主義の理念が職場に導入されたのが成果主義である。

 市場主義に正当性の主張があるように、成果主義にも正当性はある。例えば成果に応じて評価することはアリストテレスの倫理学以来、正義にかなった行為といえる。しかし成果が集団や管理職ではなく従業員一人ひとりに求められているため、人々の協力やコミュニケーションを阻害するという副作用をもたらした。そして当然のこととして、成果が出なければ責任をとらされる。もちろん担当者としての責任はあるが、しばしば過度に責任を追及される危険がある。

 責任追及への過度な恐怖、オストラシズム(陶片追放=古代ギリシャの秘密投票による追放制度)ともいえそうな、仲間外れになることへの過度な不安、これらを解消する成果主義もあり得たと思われるが、事態は変化しなかった。先に記したように、役割を果たすことで他者からの承認を得ようと必死になることは、うつ病への親和性を高める。職場でうつ病が問題になる理由はこの点にあると思われる。

今後の方向は、各人が協力し合う「新経営家族主義」
 今後の方向としては、成果主義を規定した就業規則上の文言を変えることではなく、オストラシズムともいえる企業文化を変えることだろう。その目指す方向に名称を与えるとすれば、新経営家族主義とでもなろうか。そこには共通の目的があり、役割分担を明確にし、他のメンバーが何をしているかを配慮しながら各人が協力してその目的実現に貢献し、結果としての成果を分かち合う集団のことである。例えば、QC(品質管理)サークルや創意工夫の提案のために特定の者が無給で残業をしたり、仕事のミスの謝罪に上司同伴でなく担当者個人が行かされたりする職場ではない。

 



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日本独特のうつ病観

野村総一郎先生の談話

Q.社会の指導原理や儒教精神が崩壊したことが要因急に増えている原因は何でしょうか。


A. すでにお話した診断基準が変わったことが一つ。もう一つは社会医学的な仮説になりますけれども、バブル経済の崩壊、リストラ、成果主義、そういった一連の経済情勢の変化、これが現実的には非常に影響が大きい。それから家族制度の崩壊。それぞれ孤独になっていますよね。

 もっと大きな流れで言えば、70年代に言われた、ポストモダニズムの変化ということが相当関係あるんじゃないかと思います。世の中の全体が「大きな物語」を失った世界になったと言われますよね。その中で日本という国は、特に衰えがひどいと言わざるを得ない。高度経済成長期にあだ花のように咲いた希望ある世界が、バブル経済の崩壊でなくなり、その代わりに与えられる価値観がないんです。

 それから、刻苦勉励できちんと働くのが正しい生き方であるという、非常に明解な儒教哲学が江戸時代から400年続いてきましたが、それが90年代に崩壊した。几帳面で真面目だという日本独特のうつ病観ができたのは儒教の影響が大きく、私は儒教がいいとは思わないのですが、とにかく儒教的なものが徹底的に崩壊しましたよね。それはもう見事なほどに崩れ去り、まったく秩序のない社会になっている。

 うつ病を患っている方は、おそらく社会全体の指導原理を求めているんです。どういう生き方をしたらいいか、ガイドが欲しいんですよ。だけど、そのガイドしてくれるものがない。社会全体が指導指針を失っていますから。

 もう少し具体的なレベルで言えば、今の経済成果主義だったり、まったく文化を異にするアメリカの価値観を単純に持ってきてしまう。これも日本の劣化だと思いますね。今の政治状況を見ても、政治家は非常にプアになってきた。指導原理がなく、頼りない。

 私は社会思想家ではありませんから、大きな指導原理が世の中にあるべきだということを言っているのではないんです。けれども、どうしてうつ病が増えたのか語れと言われれば、こういう思いで語らざるを得ないという気がするんです。



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青春の言葉

テレビドラマで青春の映像を見る

自分の青春はもちろんテレビほど鮮やかではなかったが
記憶の中で純化されている
しかし
いまも喪失の感覚が痛い
青春の言葉が失われたことが取り返しのつかないことのように感じられる

愚かなものだ

あの世に行ったときは
老年でさえ
懐かしいのだろう

失ったことを
思い出すときに
不可避にまつわる
レトリック

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いこじ

いこじになっているだけだ
愚かなことと知りつつ
どうしようもない

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夢が思い出せない

夢の中で
映画の中の
とてもいい場面
思い出せない

映画の場面という概念だけが残っている
それが不思議だ

*****
夢の中で思いついたことが再構成できない
ダーウィン的セレクションが三層にわたって起こると
概念記憶されているのだが
思い出せない

人間の行為に関してのダーウィン的セレクション
はまずDNAに関して起こる

次に脳の特性に関してセレクションが起こるがそれは
一面ではDNAのセレクションに還元される
もう一つは文化が脳に教育する側面に関して起こることで
文化に対してセレクションが起こる

違う文化があればそこに淘汰圧が発生する

違うな
三層と考えたはず

DNAと脳と文化の三層について、かな

それは違うはずで、脳というものは、
DNAで作られる脳の容器に
文化という内容が入るはずで、
容器と内容の全体に対して淘汰圧がかかるはずだ

でもそれは少し違うと夢の中でも結論は出ていて
脳の機能に関して二層を考えて、
それぞれに対して淘汰圧がかかるはずと考えたような気がするが

たとえばもともと抑圧機能の高い脳と低い脳でどちらが淘汰されるかという
問題

それとどのような文化を好み、自分の内容とするかについて、
淘汰圧がかかるはずという問題

だんだん夢が薄れてゆく

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ニュートン

時折、普通よりすべすべした小石や奇麗な貝殻を
見つけて夢中になってきたが、
私の目の前には真理の大海が、
依然として発見されることもなく横たわっていた

*****
ニュートンにとっては、
発見されることなく横たわる真理の大海は
人間の認識能力や特性と関係のない客観的真理であったが
それは結局は脳が認知していることであり、
しかしその認知の全体に脳自身の含まれているはずで、
ここで入れ子になっている。

脳をxとして世界全体をAとすればニュートンにとっては
認知の関数をCとすれば
C(x)=A
となるが
個体の脳としてみれば、
C(x)=ax+b(A-x)
というような具合で、
しかも、そのような脳が複数個あってネットワークを形成し、
言語とか教育によって結合されているわけで、
C(x)の総和=a(xの総和)+b(A-x)
とかになって
ややこしくなる。

ややこしくなるが
結局整合性はとれていて、
ニュートンの言うことで正しいらしいと
ローレンツが解決したことになる。

脳にダーウィン的セレクションがかかり、
ニュートン的知性が選択されて残り、
結局客観的心理に一致する脳が残るので
長い時間の後には
ニュートンで正解ということになる

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さて、本当の金融危機だ

さて、本当の金融危機だ
本当にまずいんだけど、
どうする?

何も考えないでしばらく待つしかない

明日になってから考えよう

詰め将棋じゃないんだから
不安定要因もある

待ってみよう

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青の違い

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無題23.JPG

いろいろな処理を経て、ずいぶん変化

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赤いハート

無題1.PNG

いい色だ
絵を描きたい

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あるところにはあるものだ

20081023_3.gif

買い時だというのでインデックスファンドが売れている
あるところにはまだまだあるものだ
うらやましいことだ
皆さんしぶとい

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夜10時半過ぎNYマーケット 危機を見ない

夜10時半過ぎNYマーケットオープン
株価一段と下げている
円高も進行の様子

深刻なことだ

人間の脳は
見たくない危機の場合には
見えなくなってしまう
自分にとってかなりまずいシーンで
テレビのチャンネルがいきなり変わってしまうような感じ

実際、見たくない
とりあえず土日は休みなのでどうしようもないのだが
この月末を過ごせるかどうか
多くの人が瀬戸際を迎えている

*****
でも、まあ、なるようにしかならない
生きていれば何とかなるだろう
今は100年に一度の津波だと
グリーンスパンがいうのだから
そうなのだろう

100年に一度の危機をどのようにして迎えて経験したか
それを語り継ごうではないか

*****
それにしてもかなり苦しい広範な危機
土日は忘れていたいけれど
そういうわけにもいかないし

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ウェブサーフィンは高齢者の脳に刺激を与える

ウェブサーフィンは高齢者の脳に刺激を与える 

ウェブに通じたベビーブーマー世代や高齢者は、インターネット検索中に、より多くの脳領域を働かせている

 【10月14日】グーグル検索をすることは祖父母世代に良い影響を及ぼすことが、UCLAの研究者による新規研究によって明らかになった。

ウェブ検索中の脳の活動を調べた研究から、興味をそそる知見が得られた:すなわち、インターネットに詳しい中高年者は、初めてウェブサーフィンをした同年代の人々よりも、意思決定および複雑な推論を行う脳領域がより刺激されたというのである。

さらに、読書ではインターネット検索と同じ数の脳領域は刺激されなかった。

Parvin Foundationが資金を提供したUCLAの研究には55 - 78歳の成人24例が参加し、その半数は1日1回から1日に何回もウェブ検索をした経験があった。残りの半数はインターネットを全く使用したことがないか、使用するのは1カ月に1回までだと報告した。被験者には認知症のような神経学的疾患はなく、年齢および教育レベルは同様であった。

読書およびウェブ検索中の脳の活動を測定するため、24例の成人が新規のインターネット検索をするか、または本のような形式で表示したコンピュータ画面上のテキストを読むという、両方の活動を別個に行い、それらの活動中に機能的磁気共鳴画像(functional MRI)スキャンを受けた。

読書が両群において同じ脳領域を刺激したのに対して、日頃からインターネット検索をしていた被験者は、新規のインターネット検索中に、特に意思決定および複雑な推論をコントロールする脳領域において、対応する被験者の2倍も大きな脳活動の増大を示した。

「研究結果は、コンピュータ化された新たな技術が生理的影響を及ぼす可能性があり、中高年の成人にとって潜在的な利点を有する可能性があるという希望を与える」と、UCLAのSemel神経科学・ヒト行動研究所の教授であり、同校の記憶・加齢研究所の部長でもある首席治験責任医師のGary Small博士は述べている。

「我々が得た最も目覚ましい知見は、インターネット検索は、読書中には活性化されない、より多くの範囲の神経回路を働かせるように思われるが、しかしそれは以前にインターネットの経験がある被験者に限られていたということであった」。

Small博士は、被験者が検索の経験が豊富であったほど、より多く脳が働かされたと結論づけている。

Pew Internet & American Life Projectの調査によると、インターネットの使用は米国のすべての年齢群において増加しているが、毎日Web検索をするベビーブーマー世代および高齢者ははるかに少ない。8月に発表された報告書によると、50 - 64歳の成人の40%および65歳以上の成人の27%が毎日オンラインで情報を得ているのに対して、18 - 49歳の成人ではその割合は約55%である。研究では、18歳以上の成人2,251例を今年の4月8日から5月11日まで調査した。

Small博士は、ウェブの経験がより少ない人々はオンラインで情報にアクセスする手段を理解していなかった可能性があったが、もっと時間をかければ「より経験が豊富な群と同じ脳の活性化パターンを示すかもしれない」ことを認めている。

本研究は、次号の『American Journal of Geriatric Psychiatry』で発表される予定である。

surfing-the-web-stimulates-older-brains
 
*****
解釈については留保であるが。
脳活動の増大とは何を意味しているかを検討しないといけない。
それにしてもまあ、いい報告もあって安心するところもある。



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ネット社会の実感

最近はあう人ごとにあなたにとってネット社会とはどんな感じのものですかと
感想を聞いて回っている

意外に多いのは、
ネット社会の人たちのことってよく分からないという感想だ
マニアックな世界には多少の違和感を感じているという

*****
2チャンネルなどを見るとびっくりする
いったいどんな人たちなのか分からない。
どうして何が楽しいのか分からない。
すごく偉そうに総理大臣を批判しているけれど
その人がそんなにいいことを言っているとは思えない
どうしてあんなにすごい言葉遣いができるのだろう
気持ちが悪くなる
芸能人などの情報をやりとりしているのかもしれないけれど
あれって、無料でしょう?
情報を出す方もただで出す世の中でもないし
私は必要な情報はお金を払って手に入れるものだと思っている
なにより忙しいし時間がないから
あのような一覧性の悪い情報は私に向いていない
本当に大切なところだけピックアップしてくれないと見る気がしない

言葉も特別だし
時々よく分からない絵があったりして
あれがどのように楽しいのか私にはよく分からない
それぞれ特別な世界があって
長くつきあっていると独自なルールができていくんだろうけれど
何回か見ただけでは
なんだかすごい人たちがきついことを言っているようで
あの独特なネット方言で何を意味しているのか把握できない
私には縁のない世界だと思う
共感できない

少なくとも心の栄養にはならないみたいだから
私は行かない

料理のレシピなどを検索したりする

*****
というような意見が何人かいた
ある程度距離を持ってネットとつきあっているという感じだ

世の中で心配をしているほどの害悪にはなっていないのかもしれない
目立つ人はいるけれどそれは例外だろうという感想だ

一部はもともと共感性のよくない人たちの世界かもしれないねと感じているらしく
共感は期待しないとのことだ
なるほど見て楽しめない人に問題があるわけでもない

*****
誰でも自分の居心地のよい場所があって
たまたまネット上で集まりやすい人たちもいる。
たとえばコンピュータが好きであれこれ情報をやりとりしている人にとっては
現実の友達よりも有用な情報源になるだろう。
それがカトリック教会ならよくてネット社会なら悪いともいえないだろう
しかし
カトリック教会で気をつけなければならないことがいくつかあるように
ネット社会でも気をつけなければならないことはいくつかあるから
そのことに気をつけるのは当然のことだろう

そんな人たちがマシンについての議論をしたり
ゲームについて情報を交換したりするのは当然だし
あるいはメーカーもそのあたりから情報を拾っているかもしれない。

新しい集団や新しい社会では様々な不安定要因があるもので
古いカトリック教会のような安定性に至るにはいろいろなプロセスがあるだろう
OSがだんだん安定していくプロセスのようなものだ
新しいことができるようになって不安定になりだんだん安定して
また新しいことができるようになって不安定になりまた安定していく

ネット社会にはいろいろと問題があるけれど
十字軍や魔女狩り、異端弾圧のようなことはまだしていないと思う

*****
韓国の女優さんが自殺するでしょう、
私あれがどうしても分からないの、
なんていわれたって、あんなにきれいなんだから、いいじゃないと思うの
そりゃ、いろいろとがっかりすることもあるでしょうけれど、
鏡に向かったら勇気が出るはずだわ、
私たちなんかこの顔でずっと生きて行かなくちゃならないんだから、
ずっとつらいはずなのに、生きてるのよ、
どうして死んじゃうの?

*****
この人はお医者さんについて、
最近は黒髭先生ってわけにはいかないのね、
と語っていたが、
それは赤髭先生だろう。
黒髭は海賊、それに日本人ならたいてい黒か白の髭だ。



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