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子どもの発達障害全般

共感性の不全という観点からは子どもの発達障害も大きなカテゴリーである。
最近の考え方の概要を採録。
診断カテゴリーは、この分野では常時、新しい提案がなされており、
いろいろな言葉が使われる。
この文章では比較的保守的なカテゴリーになっている。

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発達障害の医学的理解と支援の実際

社団法人発達協会王子クリニック 石崎朝世

 精神面、運動面の発達に問題があって、日常生活に支障があり、社会適応に向け支援が必要な場合、「発達障害」があるというが、ここでは、精神発達障害(すなわち、認知面、情緒面、行動面に発達の問題がある場合)をとりあげ、その医学的な理解と支援の実際につきお伝えする。具体的には1.主な発達障害の解説とその基本的な対応、2.年齢別にみた特徴と対応のポイント、3.最近の医学的な知見(主に原因について)、4.治療が必要な合併症と対応(薬物治療を中心に)、を述べ、5.学校と連携をとった事例の実際、を紹介する。

1.主な発達障害とその基本的な対応

①精神遅滞・境界領域知能(Mental Retardation:MR、Borderline Mentality)
 話す力やことばの理解、形を認識する力や状況を理解する力などの知的な能力が年齢に比して全般的に低いレベルにあり、社会生活をしていく上で理解と支援が必要な状態を精神遅滞(知的障害)という。知的能力を心理発達テストで評価し、IQ<35は重度精神遅滞、IQ35~50は中度精神遅滞、IQ50~70は軽度精神遅滞とされる。IQ70~85は境界領域知能とされ、明らかな知的障害とはいえず、環境を選べば、自立して社会生活ができると考えられるが、状況によっては理解と支援が必要なレベルである。基本的な対応として、まず、子どもの知的能力を客観的に把握し、子どもに合った指導環境を整えることが必要。その子なりの努力や得意なところを認め、認めたことは、子ども自身にも、また、周囲の子どもたちにも伝わるようにすることも大切。境界領域知能の方の不適応やストレスにも理解が必要。

②広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorder:PDD)
 ⅰ)対人関係が薄く(共感性が乏しい)、社会性の発達がわるい。ⅱ)コミュニケ-ションの障害がある。ⅲ)興味・活動が限られ、強いこだわりがある。反復的な行動(常同行動)がみられることがある。という特徴を3歳以前から有するということが診断基準となっている。しかし、ⅳ)想像力の障害(様々な情報を統合し、推測することが困難。)。これも重要な特徴であり、かかわり方を考える場合、とくに理解が必要な特徴である。このような特徴をもっている人を広汎性発達障害という。その中で、それぞれの特徴が顕著である場合は「自閉症(ICD-10)、自閉性障害(DSM-Ⅳ)」、特徴はあるけれど症状がそれほど強くない、一部の症状は目立たない、或いは発症年齢が遅いといった場合は「非定型自閉症(ICD-10)、特定不能の広汎性発達障害(DSM-Ⅳ)」と診断する。また、知的発達の遅れや言葉の発達の遅れがない、そして、対人関係以外では、ある程度適応能力をもっているものをアスペルガ-症候群と診断する。PDDの人は、これらの特徴と関連し、程度の差はあるが、他の人と、喜んだり、悲しんだり、感動したりといった感情を共有しにくく、他の人がどのように感じているかを察知することが難しい、人に合わせて行動することも苦手である。先の見通しをつけること(様々な情報から推論すること)が苦手で、見通しがつかない不安が大きい。また、特定の音、匂い、触覚などの刺激に敏感すぎる、時間を見計らって行動することができにくい、聞くべき人の声など、必要な刺激を選択できにくい(不必要な雑多な刺激が必要な刺激と同様に入ってしまう。)、突然過去の記憶を鮮明に思い出し、そのときと同じ気持ちになってしまうタイムスリップ現象がある、など感覚、感性の特異さも併せ持っている。基本的な対応は、まず、このような状況を理解することから始まる。その上で、人との係り方や基本的なル-ル、身の回りのことを教え、見通しを持てるように工夫し(視覚的な情報も活用)、安心して集団生活を送れるよう配慮する。必要な生活体験は繰り返し実施する(ソーシャルスキルを積極的に習得させる。)。ストレスになる刺激や、集中の妨げになる刺激は調節する。得意なことも持っていることが多いので、それも認めて自信をつけるようにしていくことも大切。自信ももち落ち着いた状況では、少しずつまわりのことも見えてきて集団生活に適応する行動も増え、学習にも意欲を見せてくることが多い。落ち着いた状況では、成人になっても、周りを見て、理解する力は高まる。中には、周囲の状況を無視しがちながら、好きなことには、人一倍熱中し、ときには、特定の分野で高い能力を発揮して認められる人もいる。とくにアスペルガ-症候群は、前述の特徴をもつが、環境によっては、障害として支援を受ける必要はない「いわゆる個性」といえる。ただ、理解されない環境では、不安、過敏、こだわりなどの情緒障害を強め、社会への適応が困難ともなる。

③注意欠陥多動性障害(Attention Deficit/Hyperactivity Disorder:ADHD)
 日常生活に著しく支障を来すほど多動、注意集中困難、注意転導(気が散る)、衝動性が目立つ人のことをいう。基本的な病態としては、抑制機能の障害の他、4つの実行機能に問題があるといわれている。即ち、①こころの中に情報を留め置き、それを引き出すこと(思い浮かべて考える;非言語性ワ-キングメモリ-)、 ②発語の自己管理と発語の内的投射(話す必要のないことは話さないこと、言葉で考えること;言語性ワ-キングメモリ-。)③気分、覚醒状態の制御、④行動を分析して新しい行動を作り出す能力の低下がある。そのことによって、言われたこと、見たことをすぐ忘れてしまったり、思い浮かべて考えることが苦手、不適切におしゃべりしたり、ことばで考えて行動できなかったり、興奮しやすかったり、しっかり目覚めていなければいけないときに眠たくなってしまう。やる気が続かない傾向もみられる。また、失敗して反省したつもりでも、同じことを繰り返してしまったりする。自己中心性が目立っていたり、ひどく反抗的な子どももいる(たいへん反抗が目立ち、その状態が長く続く場合は反抗挑戦性障害があるとされる。)。こだわりや切り替えの悪さがあって、好きなことには熱中しやすい子も多い。刺激へ過敏に反応しすぎる子もいる。後述の発達性協調運動障害、学習障害(LD)が合併したり、広汎性発達障害(PDD)に近い社会性の問題を持っていたりすることもある。ただ、ADHDは他の発達障害と大きく違って、症状やその程度が状況や年齢でかなり変化する。多くの子は、小学校高学年ころになると問題が少なくなって周囲に適応していく。さらに大人になると、ADHDの特徴が残っていても、本人が自ら適した環境や適した職業を選ぶことができるようになり、のびのびと生活し、むしろ個性的な仕事で認められるようになる人も多い。即ち、多くの場合、障害とはいえない状態になる。ある程度の自己中心性や反抗心、衝動的な行動力、多少、落ち着きなく注意が移りやすい中でのひらめきや、興味のあることへの熱中は長所ともなり得る。事業家、芸術家、マスコミ関係の仕事を持つ方などは、元ADHDであったり、ADHD的な方が多いようである。ただし、極端に自信をなくしたり、対人関係や自分の将来に大きな不安をもったり、人間不信に陥ってしまったりすると、さまざまな情緒面の問題を起こしてくることがある。基本的な対応としては、特徴を理解し、記憶をとどめる工夫、考えて行動する機会をつくったり、過去の経験などを生かす方法を学ばせたりする、また、気分をコントロールしやすくする声かけやその他の工夫をする。出来るだけ小さい時期から、社会参加に必要な人とのやりとりの仕方や基本的なル-ルを教え、行動や情緒を自己コントロ-ルする力を養うこと。またその子なりの努力を評価し、得意なところも見いだし、自信を育むこと。これがとくに大切である。PDDに近い社会性の問題を持つ場合は、特に人との係り方、やりとりを丁寧に学ばせていく必要がある。いずれにしても人とうまくかかわる力をつけていくことが重要といえる。著しい多動、不注意、衝動性で二次的な問題が大きいと思われるときは薬物治療を考慮。中枢刺激剤であるメチルフェニデ-トが約8割で効果を示すが、活動的な良い面もなくす可能性があり使用は慎重をきさなければならない。

④学習障害(Learning Disability:LD)
 全般的な知的発達の遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、または推論する能力の習得と使用に著しい困難を示すものと定義される(文部省1999年)。このためにLDの子は学習に支障きたすが、その影響は日常生活にまで及ぶことが多い。このような子どもは、一部の能力のみが劣っているので、周囲にそのことがわかりにくく、一部の能力が発揮できないのは、なまけているから、わざとやろうとしないなど理解されていないことがある。また、不得意な部分が目立つために、知的発達全体が遅れていると誤解されることもある。苦手意識のため、苦手な学習や作業を拒否するような二次的な問題も出てきやすい。さらに、LDには、前述のADHD或いは発達性協調運動障害が合併していることがある。また、明かなPDDであれば単にLDであるとはいわないが、PDDに近い対人関係の薄さをもっているものも少なくない。LDを疑ったものへの基本的な対応では、心理発達を客観的に評価し、得意な部分は自信につなげ、苦手な部分では、子どもなりの努力を認めるとともに、子どもにあった指導を考える。得意な部分で苦手な部分をカバ-することを考えていくことも必要。多くの場合、学習指導とともに、ソ-シャルスキルトレ-ニングおよび心理指導が必要。また、原因や合併症状によっては、薬物治療を併用することがある。*狭義の医学的な概念では、算数障害、読み書き障害を学習障害(Learning Disorder)としている。実際面では言語性LD、非言語性LDの概念もしばしば有用である。

⑤発達性協調運動障害(Developmental Coordination Disorder:DCD)   
 手足の麻痺はないけれど、動きの協調が必要な動作に障害がある。即ち、著しい不器用やバランスの悪さなどがあって、日常動作や学業に支障を来す状態で、スポ-ツが下手、作業が遅い、書字が下手などで明らかになる。このような症状は、日常生活全般に影響するため、大きく自信をなくしていきかねない。LDと同様かそれ以上に苦手意識が育ち、苦手なことへの拒否にもつながることが多い。また、いじめやからかいの対象になることもある。周囲は、このような状態に理解を示し、本人なりの努力や向上をきちんと評価することをこころがけなければならない。この障害による不都合さは周囲に理解されにくいけれど、本人にはかなりのストレスになっているはずである。ADHDやPDD、LDの一部に合併してみられ、その経過にも影響する。

2.原因と原因からみた治療

 自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)については、結節性硬化症やフェニールケトン尿症など特定の病気であったり、周生期の障害や胎内あるいは生後の感染症の関与が示唆されたりする場合もあるが、多くは原因不明である。一卵性双生児の自閉症の一致率が80-96%、二卵性双生児は2-10%、一般の発生率は0.2%程度であることを考えると多くの場合、突然変異も含め、遺伝的要因の関与が推測される。様々な原因により脳内のセロトニンやカテコールアミン神経系の機能に変化が生じていることが推測されている。成瀬らは脳内カテコールアミン代謝低下説を考えた。瀬川らは自閉症の本態を縫線核セロトニン神経系の異常に求め、経過とともに青斑核ノルアドレナリン神経系、ドーパミン神経系の障害が加わると仮定した。変化のある脳の部位としては、これらの神経系の活動と深く関わる小脳、脳幹、前頭葉に特に変化がみられるとされる。以上より、l-dopa(エル・ドーパ)少量、ドーパミンとセロトニン代謝の補酵素であるtetrahydrobiopterin(テトラハイドロビオプテリン)は試みる価値があると思われるが、後者は統計的に有意な改善が得られなかったとして製造が中止された。セロトニン代謝に関与する抗うつ薬であるSSRI(選択的セロトニン再吸収阻害薬)や消化酵素であるセクレチンが症状を改善させたという報告、また、ビタミンB6が一部の広汎性発達障害の言語障害を改善したという報告もあるが、まだ皆に認められわけではない。
 ADHDも、一般的には生まれつきの脳の発達の問題と考えられている。主にはドパミンやノルアドレナリンといった脳の神経伝達物質に関連した神経系の機能障害、部位でいえば、それらの神経系が活発に活動している前頭葉(とくに右前頭前皮質)、大脳基底核および小脳の機能障害が推測されている。また、ADHDの子どもの親や兄弟も似たような症状をしばしば持っていることから、遺伝の関与が大きいとも考えられています。ときには、遺伝子の関与ではなく、脳に同様な変化をもたらすことがあるてんかん、出生時低体重、脳の外傷や腫瘍など器質的な障害、代謝疾患による場合もある。また、これらの神経系の活動は環境因子や睡眠リズムによっても変化する部分があり、発達早期すなわち乳幼児期の環境や生活リズムは、その後の脳の発達に影響する。従って、症状の出方や強さは、生まれつきの因子に規定されるところはあっても、小さいころからの対応や環境に影響を受けると考えられる。極端に不適切な環境(とくに乳幼児期からの虐待)は、それだけでも情緒や行動面の障害を引き起こすともいわれている。今まで問題になったころがある糖分のとりすぎ、鉛、アレルギー、環境ホルモンなどは原因として証明されていない。

3.年齢別にみた特徴と対応のポイント

 広汎性発達障害と注意欠陥多動性障害の経過と基本的な対応を中心に述べるが、経過の基本にあるものは、人としての自然の発達であり、自尊心、自立したい気持ち、反抗したい気持ちなどは、多少遅れることはあるにしても、年齢に沿った形で存在し、葛藤もある。育て方や対応の基本も、「その力をできるだけ伸ばし、できるだけ自立させ、生き生きとした社会参加を果させる」といった普通の考え方でよいと考える。そのことを念頭におき、あまり、特別な意識を持ちすぎずに、年齢相当の接し方、将来を見据えた接し方を心がけることが大切である。

[乳児期]
 自閉的なタイプは、おとなしい、手がかからないという児が圧倒的に多い。人見知りはないか乏しい。ときに刺激に過敏で泣いてばかりいる、寝が浅いといった児もいる。多動児では、ハイハイのころから落ち着きなく動き回る子もいる。この時期は、とくにスキンシップや視線を合わせての発声や表情でのやりとりが大切。睡眠リズムがつきやすい環境をつくる。ビデオやテレビがつけっぱなしの環境はよくない。

[幼児期前期]
 自閉的なタイプは、歩行後、徐々に勝手に動きまわるようになる。視線は合いにくい、呼びかけに応じない、指差しをしないといった特徴があり、言葉の遅れが明かとなる。一時期出現した言葉が消失してしまうこともある。母などと引き離された経験などつよいストレスをうけたあと、症状が一期にめだってしまう場合もある。引き続き、視線を合わせること、身ぶりや簡単な言葉でのやりとりを心がけたい時期である。子どもに共感を求めるだけでなく、保育者が子どもに共感することも大切。しばしばビデオやテレビを見続けることを好むが、周囲もこれを容認して係わりをおろそかにすると、さらに言葉や社会性の発達が阻害されるので要注意。多動児では、歩いたと思ったら、すぐ落ち着きなく走っていたといったことが多い。指差しや言葉が多少遅れることが少なくない。ことばより先に手が出たり、指示が通りにくかったりすることから、このころから叱責が多くなりがちであるが、ほめることを心がけるとともに、やはりやりとりする力を高めたい。

[幼児期後期]
 自閉的なタイプは、環境の変化や特別な刺激に敏感となり、こだわりや常同行動が目立つようになる。パニックも起こしやすい。この時期には、身ぶりも含め、簡単なやりとりが成立するように働きかけることが大切。多動児では、多動性、衝動性、不注意といった症状が目立ってくる。他児とのトラブルが目立ち、集団行動が取りづらく、保育者は保育の困難さを感じる。自閉的なタイプでは、見通しがつかない不安がたいへん大きいなど、多動児では、じっとできにくい、衝動を抑えにくい、などの特異さを十分理解しながらも、経験を増やし、少しずつ我慢する力もつける。児なりの努力はしっかりほめる。身辺自立をはかり、適切な食習慣、生活習慣を身につける大切な時期でもある。

[学童低学年]
 自閉的なタイプでも、人への意識が高まるが、係わり方がわからず、不適切な行動(いたずらやチョッカイなど)をとったりする。人と係わりたい気持ちを理解し、適切な係わり方を教える。多動児では、とくに学校での落ち着きのなさ、注意集中困難、衝動的な行為、情緒の不安定さ、なくし物、忘れ物が問題となる。前者後者とも、ル-ルの理解をすすめる、あるいはごく基本的なルールを守ることを実践させ、また、基本的な身辺自立を完全なものとしていく。また、自己コントロ-ル力をつけるとともに、自信をつけていくようにしむける。

[学童高学年]
 自閉的なタイプで、児によっては、衝動性や興奮しやすさが目立ってくる。他児との違いが意識されてくる場合もある。この時期では、ひきつづき人との係わり方を教え、社会のルールを身につけさせなければならないが、より自我が尊重され、自信を持たせることが重要。自信のあること、楽しめることが見いだせるとよいと思う。子どもによってさまざまだが、ある程度人と係わりたい、認められたい気持ちが育ってくるこの時期、そしてある程度人の気持ちを察知できるようになるこの時期に、人に対して被害的な意識が目立ってくることがある。高機能自閉症やアスペルガー障害で、そのような状況が起こりやすい。実際、拒否やいじめの対象になることもあり注意も必要だが、不適切に被害的にならないように配慮することも大切。
多動児では、落ち着きを見せてくる子も多いが、そうでないと、ますます集団に適応できにくくなることが多い。自信や意欲をなくしたり、周囲の人への不信感が募ったり、二次的な心理的な障害を持ちやすくなる。二次的な障害によって、症状が目立っていることへも配慮が必要である。スポーツその他、得意なこと、好きなことで、注意が集中できたり、自分を発散させたり、認められたりすると、自信をもち、多少なりとも安定して思春期を迎えられる。
前者後者とも、この頃より母子分離の準備も必要。また、母子分離が必要になる思春期までに、やってよいこと、悪いことといった基本的な人としてのルールや社会のルールはしっかり身につけさせておかなければならない。

[思春期]
 一般の思春期同様、反抗心が高まり、情緒は不安定な傾向がある。自閉的なタイプではパニックも目立つことが多い。特にこの時期に知覚過敏が増したり、新たな過敏性を獲得したり(知覚変容現象)、また過去の記憶が鮮明に甦る(タイムスリップ現象)などの症状が強くでたりして、さらに情緒の不安定さを助長することが少なくない。
このような時期であることを考慮しつつも、絶対に許されないことには応じないようにする。一方ではさらに自我、自主性が尊重されるべきである。また、思春期の課題である母子分離の努力も安定した青年期を迎えるために必要。このような対応の原則は一般的な思春期のものと変わりはない。

[青年期]
 自我の確立や自立を求める気持ちが高まり、しばしば大きな葛藤がある(発達障害をもった人はいわゆる思春期にその課題である自我の確立や母子分離を果たしていないことが多く、しばしばこの時期が真の心の思春期といえる時期になる)。ストレスから前述の知覚変容現象やタイムスリップ現象など様々な精神症状、心身症症状呈することも多い。理解やケアを受けながらもできるだけの自立を援助したいものである。
 多動(ADHD)タイプでは、その特徴が残っていても、本人が自ら適した環境や適した職業を選ぶことができるようになり、のびのびと生活し、むしろ個性的な仕事で認められるようになる人も多い。即ち、多くの場合、障害とはいえない状態になる。ある程度の自己中心性や反抗心、衝動的な行動力、多少、落ち着きなく注意が移りやすい中でのひらめきや、興味のあることへの熱中は長所ともなりえる。事業家、芸術家、マスコミ関係の仕事を持つ方などは、元ADHDであったり、ADHD的な方が多いようである。ただし、極端に自信をなくしたり、対人関係や自分の将来に大きな不安をもったり、人間不信に陥ってしまったりすると、さまざまな情緒面の問題を起こしてくることがある。
青年期、成人期は、発達障害の重症度やそれまでの環境により状態が異なり、できるだけの自立はめざしたいが、様々な受け入れ方があっていいと思う。

4.治療が必要な合併症と対応―薬物治療を中心にー

1)精神科的な合併症と対応

①てんかん
 自閉症の1/3から1/4が成人になるまでにてんかん発作を起こすといわれる。ADHDでもてんかんの合併は稀ではない。てんかん発作を反復したら、てんかんとしての治療が必要だが、一般には抗てんかん薬の効果は良好。発作型や脳波検査により、適切な薬が選択される。部分発作ではカルバマゼピン、全般発作ではデパケンがまず選択されることが多い。
 また、てんかんに至らなくとも、脳波でてんかん性異常を認めることが少なくない。この場合は一般的には治療の必要はありませんが、脳波異常が著しいことが関与して目立った情緒や行動面の問題を引き起こしていると考えられる場合は、てんかんに準じた治療で改善が期待できる。

②睡眠障害
 自閉症では、睡眠覚醒リズムが不安定になったり、不眠、中途覚醒や早朝覚醒といった睡眠障害が起こりやすかったりする。このような睡眠障害は情緒や行動面の発達に影響を及ぼしたり、日常の生活にも支障をきたす要因となる。まずは、日中の活動を活発にし、夜には睡眠をとりやすい環境をつくることが大切である。日中とくに午前中に光をあびることはリズムを保つのに有用といわれる。規則的な食習慣も大切である。著しい情緒の不安定さも睡眠障害を引き起こしやすい。
このことを理解した対応の工夫や環境の整備が一番だが、それでも睡眠障害が改善しない場合は薬物治療が必要。薬としては入眠薬、抗不安薬、情緒安定効果のある漢方薬、著しい情緒障害を伴った不眠では安定剤ともいわれる抗精神病薬が状態に応じて用いられる。我々は、しばしば催眠作用や睡眠リズムを調整する作用があるといわれる脳内物質のメラトニンを使用するが良好な効果を得ることが多い。

③著しい情緒障害
 自閉症では、2の情緒・行動・認知面の特徴で述べたように、見通しがつかない不安が強かったり、こだわりや過敏性が目立っていて情緒が不安定になりやすかったりする。これらの特徴を理解して対応することが第一だが、過敏性が著明で外からの刺激がうまく入らないとき、パニックが頻繁であるとき、自傷、他害が目立つとき、こだわり行動で日常生活を送ることが困難になっている、また、高揚する気持ちが押さえられない、あるいは反対に気持ちの落ち込みが著しいときなどの著しい情緒障害では、対応の工夫、環境整備とともに薬物治療が必要である。
いわゆる前思春期から思春期にかけて、また青年期とされる20歳代では、さまざまな葛藤や前述の知覚変容現象やタイムスリップ現象のために、情緒の問題が目立って、薬物治療が必要となることが多い。睡眠障害と同様、抗不安薬、抗精神病薬、情緒安定効果が期待される漢方薬を状態に応じて用いる。とくに脳波でてんかん性異常があるときや、情緒の不安定さが目立つときは、抗てんかん薬が有効であることが多い。また、注意欠陥多動性障害に伴う情緒不安定性では中枢神経刺激薬が効果を示すことが多い。
 ここで気をつけなければいけないことは、身体合併症がないかどうかである。身体症状をうまく訴えられないため、また、本人も不調の原因がわかりにくいために、苦痛を行動で示したり、精神に変調をきたしていることがある。痛みや不快感を伴うさまざまな疾患、また、情緒や行動に変化をきたす可能性のある内分泌疾患なども念頭におく必要がある(後述)。

④著しい多動性(多動・衝動性・不注意)
 このために集団適応や学習を困難にさせている場合がある。あとさきのことを考えない衝動性のある多動があることもあり、抑制が効きにくいため、日常生活の困難さばかりでなく危険でもある。著しい場合は、薬物治療の適応になり、中枢神経刺激剤が効果的であることが多い。その他、少量の抗精神病薬、てんかん性脳波異常が目立つときは抗てんかん薬で改善が期待できる。

⑤精神病様症状
 思春期から青年期にかけて、学校や職場への不適応などさまざまなストレスを誘引として、幻覚や妄想が起こってきたり、過度の緊張状態をきたすようになるなど精神病様と思われる症状を呈することがある。このような場合は、ストレスの理解とともに薬物治療が必須である。薬物では主に抗精神病薬が使われる。

⑥目立った気分の変調(気分障害)
 ⑤と同様に思春期から青年期にかけて、沈み込み意欲をなくし動かなくなってしまうようなうつ状態を呈したり、高揚している時期とうつ状態になる時期を繰り返すようになったりすることがある。この場合も、⑤と同様、誘引があれば、それへの理解も大切だが、薬物治療が必要である。抗うつ薬、抗躁薬、感情調整作用のある抗てんかん薬が用いられます。その他気分を調整する漢方薬が有効である場合もある。

⑦チック・トウレット障害
 目をしばたかせたり、すばやい動きで、顔をゆがめたり、肩や首を動かしたり、手や足を何かにたたきつけたり、咳払いや短い発声を繰り返したりといったチックといわれる症状を合併することが少なくない。これが多発性に頻繁におこり、音声チックを伴なうもの(単純な音声、奇声、汚言)はトウレット障害といい、症状が派手で容易には軽快しない。精神的緊張がある状況で増強しやすく、状況の改善で軽快することもあるが、激しいもの、三ヶ月以上持続しているようなものは治療が必要。主にドーパミン神経系の過敏から由来していると考えられており、それを是正する薬剤が用いられる。

⑧その他
 行動の切り替えがうまくいかない、動きを止めてしまう(固まる)、ひきこもり、著しい摂食障害、偏食などの行動の問題がありますが、③の著しい情緒障害に準じて対処する。これらの行動の問題では、パニックなど興奮を伴うものより薬物による改善が困難だが、対応の工夫とともに、抗うつ薬が症状の改善に役立つことが多い。

2)身体的な合併症と対応
 身体合併症があっても、本人が気付きにくく、症状があってつらくてもうまく訴えられずにいることがある。時には、そのために重症化してしまうこともある。また、それが情緒や行動面の異常につながっていることがある。何か変調があれば、身体疾患の可能性をも念頭にいれるべきである。
 よく認められる身体合併症にアトピー性皮膚炎、鼻炎、喘息などのアレルギー疾患がある。これらはストレスにより悪化したり、また、これがストレスになるというような悪循環になっていることもある。鼻炎については鼻をしっかりかむ事ができない者で慢性化しやすい。その他、下痢、便秘、頭痛、吐き気といった自律神経系の症状も多い。多くはストレスと関連して出現する。成人では胃炎も少なくない。
 次いで、少なくないし、小児期から念頭にいれて対処する必要があるのは、肥満、高血圧、高脂血症(血液中のコレステロールや中性脂肪が高値となり、動脈硬化の一因となったり、肝機能障害を引き起こしたりする)、高尿酸血症(血液中の尿酸値が高値となり、痛風や腎機能障害を引き起こしたりする)、糖尿病などの生活習慣病といわれるものである。高度の肥満では心肺への負担も大となる。
 その他さまざまな病気があるが、とくに自閉的なタイプや知的障害が重い方ではわかりにくくて少なくないものに、膀胱炎などの尿路感染症、中耳炎、虫垂炎がある。尿路結石も経験したが、一般に痛みがつよいと思われる状態でも、それに見合った症状が出にくく、治療が遅れがちになりやすい。また、情緒に変動をきたしやすい内分泌疾患に甲状腺機能障害があり、これも念頭にいれる必要がある。

5.学校と連携をとった事例の実際

事例1:脳波異常と行動障害の悪化を見、抗てんかん薬の使用で改善したADHDの男児
 8歳時、「学校で多動が目立ち、チョッカイを出すなどにより友達とのトラブルも多い」を主訴に来院。WISCⅢでは、言語性IQ135動作性IQ119全IQ130、ADHDと診断し、ご家族へは適切なかかわり方のアドバイスをした。合併障害もなく、定期療育指導は当初はお勧めしなかったが、多動症状は目立ち心理的な二次障害も心配されたため、リタリン投与を開始した。リタリンは効果を示し一時期は順調に経過していた。10歳になり、乱暴な行動と立ち歩きが再び見られるようになった。学校に出向き、実際の行動を拝見し、問題点を把握した。衝動的な行動の他、対人関係の悪さも気になった。環境的にはそれほどの問題がないことがわかったが、ひきつづき、行動はできるだけ直ながらも、児を受け入れ、自信をなくさないように先生がたにお願いした。このときの脳波検査ではてんかん性異常が目立っており、行動障害への関与が考えられたため、抗てんかん薬を加えた。定期療育指導にも入っていただくことになり、両面から支えるようになった。脳波異常は徐々に改善、それと共に情緒・行動面の改善も見られ、14歳では薬物治療、療育指導も中止でき、高校では、対人関係も良好で学習、クラブ活動共に活躍。志望大学に入学した。

事例2:多動性の著しかった高機能広汎性発達障害の女児
 5歳時、「著しい多動と易興奮性、集団行動がとれない」を主訴に来院。WISCⅢでは言語性IQ106動作性IQ114全IQ111、多動性、易興奮性とともに共感性の乏しさ、こだわりも目立ち、高機能広汎性発達障害と診断、定期療育指導を受けることになった。小学校入学後も集団適応は困難で、多動性軽減の目的でリタリン投与、多少の改善はあったが、逸脱行動は目立った。学校に出向いた療育スタッフの情報から刺激への過敏反応が目立つことが認識され、その軽減を図る目的で、少量の抗精神病薬の投与を開始した。ご家族の努力、本人の成長、定期療育指導の継続、学校における通級指導の開始、通級指導の先生との担任との連携、薬物効果などが影響し、9歳の現在、多動は軽減、友達ともかかわれ、かなり集団行動もとれるようになってきた。

 以上、発達障害について概説し、年齢を考慮した対応のポイント、様々な状況における薬物治療について述べ、最後に学校とも連携をとった事例を挙げた。



共通テーマ:日記・雑感

ソーシアリゼーション不全

社会化不全というか
社交不全というか
ソーシアリゼーション不全
とでもいうべきもの

引きこもりの像とも重なり
しかし単純な引きこもりでもない

統合失調症の社交不全と似るのだが
統合失調症の症状そのものはない

たとえばこんな簡単な例を挙げる
まったく架空の話なのでたとえになるかどうか分からないが
マラソンの得意な子がいたとする
親もこの子は特別だと言って育てる
学校でも特別扱いされる
自分はひたすらマラソンのために生活している

そのまま大人になる
誰も困っていないしむしろすばらしいことだと考えられるのだけれど
ソーシアリゼーションの観点から見れば
長い間の孤立であり引きこもりと同等のことが起こっている

困ったことに、この人がマラソン選手として
アイデンティティを獲得できればいいのだが、
世の中はそんなに簡単ではなくて、
選手としても大成できず、指導者にもなれなかったとする。
たいていは体育の先生になってそれなりに生きていくのだけれど
それも拒んだとする。

拒むのは自尊心を保つためである。
マラソンで養った巨大な自尊心を傷つけないで守りたいととりあえず思う。
しかし拒んだところでほかに道があるわけではない。

女性ならば家事手伝いということで家にいることもできる。
結婚して家にいることもできる。
引っ込み思案な娘ということで何とかなる。

男性の場合はやはり何とか都合を付けて職を見つけ、
社会に踏み出すことになるのだが女性の場合にはそこまでの圧力はない。

そうなると次の難関はPTAとか自治会とかその辺りだけれど、
それも親の助けを借りて何とか切り抜ける。

だいたいいつまでもソーシアリゼーションしなくても生きていけてしまう。
その一方で誇大感と賞賛欲求は保持される。
共感能力は育たないので
子育ての時に困難も生じる。
子どもの気持ちが分からない。

子どもはといえば、当然自己愛的な傾向に育てられる。
親の自己愛に辟易したり嫌悪を感じるのはずっと後のことで、
子どもの頃は親の期待通りにできない自分を責めるだけだろう。

そのようにして自己愛型性格が再生産される。

こうしてみてみると特に誰にも責任も落ち度もないように思われる。

これは極端なつくり話で、
実際はスポーツ選手はいろいろな場面で
体育会的な交流を経験するもので、
それなりに体育会的な人間になるようだ。

そうでない人たちの方が困難がある。

趣味と得意はコンピュータとか
得意がピアノとか
そんな場合が困る。

しかし難しいもので、芸術家は突出していれば、誰にも理解されない。
それは構造としてはそういうことになる。
コンピュータがすごく得意だと周囲には同程度のことを話し合える友人もいなくなってしまう。
英語でインド人とコンピュータで話していたりする。
こうなると誇大感や賞賛欲求にも理由があるし
共感不全も人間として共感できないのは困るとしても
芸術や特殊な領域では共感不可能となるのも仕方のないことではある

領域を区分して普通のつきあいができるようだと親も安心するけれど
なかなかできないことが多い
自分の領域のない人というものは
頭の中がたいていは週刊誌になっているもので
何ともしようがない
それでもソーシアリゼーションかといわれると
答えも難しい
それは一種の誇大感で自分を特殊と思う傾向の一つだといえば
確かにそうなのだけれど
それでいいのかどうかは状況による



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医師の適正配置

墨東病院の一件で
医者は地方にいないだけではなくて
東京にもいないことが分かってしまったけれど、
医学の進歩が病気をなくすならいいけれど
医学の進歩は病気を増やし検査を増やし薬を増やし通院回数を増やしている
リハビリを増やし点滴を増やしマッサージを増やしている

地方に医者を強制的に割り振ればいいという考えは
地方の人にしてみればそのようにして割り振られてきた医者に命を預ける気になるものだろうか
医者としても無理矢理に割り当てられた場所にどれだけの愛着を持てるものだろうか

全国を回る種類のたとえば税務署の署長さんなどの場合とは少し違うと思う
保健所の署長を全国で回そうというなら役人並みだけれど

第一方言というものもあるし
そんなに簡単ではないと思う

医者も仕事の場所を自由に選べるし
患者さんも住む場所を自由に選べるのだから
それでいいのではないか

自分が長生きをするためにはいいお医者さんのいるところに行きたいと思う人と
自分は長生きしなくていいからこの土地にいたいと思う人とがいるはずだろう

水道と電気とNHKは届いているかもしれないが
スーパーとか郵便局とか病院とか
道路が立派になった分、集約化が進んでいるのだと理解している
しかしお年寄りは移動が難しいわけだけれど
往診して歩くようだと医師の移動時間ばかりが大変で医師数が足りない原因にもなる

もちろん在宅で老老介護で看取ることができればそれもいい
しかし最後には一人が残る
その場合にどうするか

効率だけを求めるわけではないけれど、
ある程度、効率のいい快適な環境を提供してもいいように思う

これで困るのはたとえば選挙の時に住民票が必要な場合などではないだろうか

今回の衆議院選挙でも
ある宗教系支援団体のいる党では
都議会選挙と国政選挙との間を何ヶ月かあけないと
住民登録ができないのだと書かれていた
本当かどうかは分からないけれど
田舎の住民を都会の病院の周りに集めてしまうことは
集票に関係するので
できないのだと思う
そしてさらに財産問題があって
そうなると土地は売りたいはずで
都会のマンションまたは老人ホームを買いたいはずで、
すると田舎の地価はさらに下落するだろう。

そして住民の移動に会わせて、
一人あたりの投票の重みが1対2以内になるようにという要請を受けて
都心部に票が集まることになる。

*****
今でも、有名なお医者さんの病院の周りには、
引っ越してきたという患者さんが結構いるところもある。
命のことだからほかには替えられないのも分かる。

*****
医師の適正配置を役人が考えるとして、何が起こるか?
汚職である。

だから役人には退場してもらった方がいいと
たくさんの人がいっているのだろう。

*****
県庁所在地の駅前のあたりを開発して、病院と老人関係の施設とをまず作る。
次に関係職員の居住区、学校、商業施設などを確保する。
そのさらに外側に飲食店などを配置する。

医療を中心とした職住医療複合体を作る。
しばらくは爆発的な高齢化と少子化なのだから、対策するしかない。
介護の人材を海外から受け入れる場合でも、
ある程度まとまって住んでもらった方がいいように思う。
フィリピンの友達は電車で3時間乗らないとあえないというのでは
なかなか心理的にもつらい。
託児所などもこのように集中していればある程度ニーズに応えることができる。

*****
しかし思うのだが、このようなモデルケースの町を眺めていて、
あまり幸せそうではないのである。
ホームに入居していて、お金を払えば生活には不便のないおばあちゃんが、
対人関係のことで大変な苦労を話していく。
非常に猜疑的で、それも無理もないのである。
振り込め詐欺ではないが、何かというとお金をむしり取ろうとする人たちもうようよいるし、
お年寄りだということで狙われているような気もするし、
疑い深くなるのも無理はない。
そして人工的な場所に押し込められているので、
それだけでも非常にストレスであるらしい。
職員は清潔の度合いをチェックされたりするので、
清潔を保てない入居者をにらんだり、追い出したりする。
清潔を保つことはもちろんいい目標であるが、
そのために清潔でない人を追い出すのはなんだか話が違うのだが、
実際の運用はそのようになる。
あこがれて見学に来る人の印象を悪くしたらいけない。
値段が下がる。
知人のお見舞いに来た人の印象を悪くしてはいけない。
そんな感じでとても住みにくくなる。

それと比較したら、
がらんとした田舎の家でも、
自分の家だと自信を持って勝手気ままに生きている方が幸せかもしれない。
医療も薄くなるけれど、それでいいのかもしれない。
テレビで宣伝している「薬のようなもの」に頼りながら、
見慣れた景色の中で年をとる。

そのあたりの選択の自由はあってもいいと思う。
実際、介護をするに当たっても、都会にいる子どもの近くにいた方が何かと便利なのだけれど。
そのことが今度は相続問題を引き起こす。難しい。

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安心gooスティック

「安心gooスティック」は、青少年がツールバーを介し検索サービスを利用する際、無防備にアダルトコンテンツへアクセスしてしまうケースを考慮し、「goo ウェブ検索」「goo画像検索」のサービスについて、アダルトコンテンツを検索結果に表示しない機能を搭載しました。

*****
いえいえ高齢者にこそ必要です。青少年には学習の時間がありますが、高齢者にはありません。
振り込め詐欺に引っかかるのも高齢者です。
高齢者保護バーとして、アダルト、自殺、高額買い物、変な健康情報などの遮断をしてくれればよいと思います。
昼はまともでも夜中には判断が間違っている人もいますので。

*****
googleでは
セーフサーチ フィルタリング
があります
google⇒表示設定⇒セーフサーチ フィルタリング
と進むと設定できます。



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失策 あとの祭り

2008年6月10日、イギリス銀行協会のグリーン会長が「投資銀行のレバレッジ金融モデルは破綻した。今後は預金集めの伝統的銀行経営に戻らざるを得ない」と宣言した。
そのあと北京でオリンピック。9月14日、投資銀行リーマンブラザーズ破綻。オリンピックの間はまずいという心理だったのだろうか。星野がどうとか言ってないで対策すれば良かった。
リーマンを救うには、600億ドル程度が必要だったが、これは米当局が出せない金ではなかった。米当局が、今回だけ「モラルハザード」に最後まで固執したのは、明らかな失策であると批判されている。グリーンスパンやバーナンキは自滅主義者つまり米覇権の自滅を画策する人たちと噂されている。
というわけで、あとの祭りである。Posto festum.

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中国のサッカー ナルシスティック・イレブン

中国のサッカーについて朝日新聞の記事にあった。2008-8-26。
一時は人気が盛り上がったが、民間クラブはほとんどつぶれたという。
79年から始まった一人っ子政策が関係している。
教育熱があがり、親は勉強させることにお金をかける。スポーツはけがもするからとやらせたがらない。サッカーへの関心もなくなった。
記者によると、中国のサッカーの五輪代表は、選手それぞれの運動能力は高いのに、相変わらず組織プレーは苦手だ。
協調性に欠けるのは甘やかされがちな一人っ子ならではなのか。
エゴイストで自己主張の強い有能なストライカーは出てきやすいのかもしれないが、と結んでいる。

*****
組織プレーが苦手、協調性に欠けるという指摘は、当たっているかどうか分からないし、
一人っ子との因果関係も分からない。
甘やかされるという言葉もどのように定義して使っているのかとも思う。
中国は広いので育てられかたも一様ではないだろう。

しかし何となく納得できる感じではある。

共感能力の低い・目立ちたがりの・自信家の・ナルシストにはサッカーは向かない、
タレントの方がいいとの結論のようだ。
トライアスロンとかいいように思うが。

日本でも全般的にそんな傾向だと思う。
協調性欠如、共感欠如、他人の気持ちが分からないので被害的になり、
怒るときも歯止めがなくて徹底的に怒ってしまう、
一方では少し怒られただけで引きこもってしまう、
それではたぶんチームにならない。

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私の上に降る雪はいと貞潔でありました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

と中原中也に泣かれると
とても悲しくなる

*****
新聞に吉田秀和が中原と映画を見たことなどを書いている。

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踏みなれた生活の軌道

私達は踏みなれた生活の軌道から
放り出されると、もうダメだ、と思います。
しかし、実際はそこに、
ようやく新しい良いものが始まるのです

*****
トルストイもやはりそうだが
作家はみんな嘘つきである。

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漢字検定

先日は江戸検定が終わりまして、
今週末は漢字検定です。

漢字検定の勉強の仕方はこちら
http://www.ima.me-h.ne.jp/~sano/study/kanken.htm

DDwin
http://homepage2.nifty.com/ddwin/
電子辞書検索ソフトウェア 辞書を指定した検索、複数の辞書をグループ化した串刺し検索、見出し語だけでなく説明文も対象にした全文検索、条件キーワードによる複合検索など、辞書をフル活用できる超便利ソフト。
というのが紹介されていて、なるほどと思う。

WZ+DDwinで運用とのこと。パソコンに内蔵している『広辞苑』や『漢字源』など複数の辞書が瞬時に開くという。いまではネットで検索してもほぼ同じだと思う。

電子辞書の分野はあまりなじみがないけれど、漢字検定に挑戦したいとか、
きちんとしたい人にはいいらしい。

無料辞書とかいろいろと出ているが辞書を拡張してしまうと、
普段使いたい漢字がすぐに出てこなくなって、結局元に戻したりしている。

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孤独死

2003年に日本で死亡者数100万人を突破。
このまま増えて2040年には166万人に達する。

75歳以上の単身世帯は2005年で197万世帯、
2030年には429万世帯。
3人に1人は1人で老後を過ごす。

孤独死も増える。

特徴は生活が乱れていることだという。
部屋は乱雑、テレビは映らないチャンネルがあり(この新聞記事ではどうしてそんなことになるのかよく分からないが)、
窓は割れたまま、体調が悪くても病院に行かない、「ひきこもり」になる。

それでは現在引きこもりの人はずっとひきこもりで孤独死を迎えることになりそうだ。

最近は孤独死は、高齢者ではなくて、50~60代に多いのだと書かれている。

困った困った。

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家でネットをつながない

デジタル世界のデータは正しいかどうかを自分で確認しないと使えない。効率が悪いんですよ。
との意見。
この人は職場でネットを使うけれど、家ではネットはつないでいないという。
それも流儀だと思う。

*****
創作系の人は調べるのが仕事ではないし、
その上正しくない情報を読んで時間をとられていたのでは
いつまでたっても何もできないことになる。

ネットで調べていたのでは人と同じ情報しかとれない理屈だから
プロとしては不足だろう。

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心理的距離

現代が心理的にどのような環境であるかを考えると、
他人との距離がどのくらいかが問題になる。

昔ならば他人と1メートルの範囲にいれば1メートルの関係だっただろう。

いまはそうでもない。
他人と電車で1メートル、映画館のシートで1メートル、そんなことはいくらでもあるが、
心理的にはずっと遠い。
携帯は心理的な距離をずっと縮めてくれる。
いつでも、どこでも、つながっている感覚になる。
しかしまた、だから嘘もつけるようになる。
操作可能になる。

電話は距離を縮めてくれるがリアルタイムなので考えや思いを圧縮することはできない。

手紙はたいていは長い時間をかけて各もので、時間が圧縮されている。その分濃厚な交流になる。

現実の距離を描いたものが地図で、これは客観的で共通である。
心理的距離は個別で個人的である。個人的心理距離の図を描けばおもしろいだろうと思う。
近いの要素と大きいの要素を描き分ければおもしろそうだ。
たいてい、近いものは大きい。
しかし近いけれど小さいものもある。遠いけれど大きいものもある。

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リアルとバーチャルの境界

リアルとバーチャルの境界も考えてみると曖昧である

リアルの代表はたとえば食べ物だ
コンピュータ画面を見ていても満腹にはならない

しかし本当にそうかといえば
脳が動き始めるとずいぶんとバーチャルになってしまうようだ

たとえば目の前にある食べ物がおいしいのかどうか
それは脳にインプットされている情報によってずいぶん違う
いつでも新しいごちそうがあり
新しい健康食品があり
それをありがたがっているのだから
かなりの部分はバーチャルなのだと思う

無農薬とか有機栽培とかという表示も
素人が思うようなものではなくて
無農薬と表示していい期間、種類が決められていて、
その範囲内で農薬がたっぷり使われている。
これはバーチャルというより言葉の取り決めの問題か。

*****
リアルな対人関係とバーチャルな対人関係といっても、
境界がはっきりしない。
中間に何か介在すればバーチャルなのか、
コンピュータなら、手紙なら、どうなのか。
複雑で間接的でも最終的には向こうに人間がいるならやはりリアルなのか。

最近あるような大衆宗教はかなりバーチャルなものになっていて
昔のような人格と人格の接触というような伝道ではないようだ

*****
脳の都合からいえば、
実際に楽器が鳴っていても、スピーカーやイヤホンから出ている音でも、
たいして変わりがない。
全然違うという通の人もいるが
その場合でも、境界を限りなく曖昧にすることはできる。

夢と現実の境界は昔からいわれていることで
難しい。

*****
心理的なことが現実の身体的病気を引き起こすというのは
むかし心療内科の第一ページに書いてあるようなことだった。
リアル、肉体、脳、心理、バーチャル、と並べることができるかもしれない
しかしやはり境界は曖昧である

心を傷つける言葉がバーチャルとも思わない。それはリアルだ。
時間も場所もエネルギーも指定できる。

*****
典型的にはたとえば映画をバーチャルな体験というのだろうか。
宇宙旅行をして爽快になったり不安になったり冷や汗をかいたりどきどきしたりする。
脳の体験としていえば、リアルとバーチャルを区別することは特にないと思う。
バーチャルの質が悪いときにはリアルに遠いのだろうけれど、
それはたとえば近眼の人がめがねを忘れて観光旅行に行ったらどうかというようなもので、
いずれにしても、体験であるには違いない。

子どものごっこ遊びでもリアルな対人関係はあり
それに重なる形でバーチャルな対人関係がある。
ごっこ遊びの方が現実の社会生活よりも複雑かもしれない。
取り決めた役割をこなしているのだから。

*****
暫定的に定義すれば、
脳の内部の変化が予想する外部の変化が外部に起こっているならば、リアル。
起こっていなければ、バーチャル。
街が燃えたと脳は感覚していても、実際に起こっているのはスクリーン上の光の明滅であるなら、
それはバーチャル。

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ネット空間における誇大感

ネット社会で生きていると誇大的になると言われていて
理由がよく分からない

変なことを言えば批判されるし
誰にも相手にされなくなるのは
現実世界と同じだ

自民党はバカだと言って盛り上がったとしても
特にその人たちの言論が広く支持されるわけでもないので
それだけで誇大的になるとも思えない

特に誇大的になる理由はないように思うが
こじつけて考えれば
ネット社会にじっとしていられるなら
現実社会とは接触しないでいられるわけで
その分、自分に幻滅しなくてすむのかもしれない

オンラインゲームで何かしている分には
傷つかないですむ

ただ傷つきたくないからそうしているのかとも
思われる

そんなにも傷つきやすいから
現実社会に踏み出せないのだし
ネット社会にとどまりたいのだ

*****
本気で、ネット上だけでできる公共事業を考えたらどうだろう
新しい景気対策
ばらまき政策
地方の道路を造ったり壊したりしている代わりに
コンピュータで何かしてもらって
その労働にたいして報酬を支払ったらどうだろう

そんな仕事はないものか

たとえばアラブ産油国と交渉して
アラビアの手書きの古文書をコンピュータ入力する仕事とか。
これは難しそう。

単純コンピュータ入力は中国や東南アジアの人たちと仕事が重なるので
無理と言えば無理かもしれない。

バーチャルシティで公共事業をして道路を造って、土地を造成して、
それを現実のお金持ちに買ってもらえばいいわけだ。
はっきり分からないが、それはすでに実現している。政府が関与していないだけ。
しかし今後税金をどうするかで関与せざるを得ないと思う。
もう課税は始まっているのかもしれないが知らない。



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ニュースキャスター的批評態度

飲み屋でサラリーマンが政治家などを批評しているのを聞くと
ニュースキャスターそのままだと思うことがある

最近の若い人は新聞を読み比べることもないようで
新聞の影響力は弱くなっている様子だ

人の話を聞いていてもオリジナルな意見は少なく
同じことを繰り返し言っているようだ

オリジナルなことを言っている人は間違っている人が多いのも事実だろう

たぶん情報源が限られているので新しい解釈も考えられないのだろう
同じ言葉が繰り返し言われることが安心感につながるのかもしれない

ニュースキャスターと同じことを言って、一体この人は何をしているのだろうかと思う
話相手にとって見れば、聞いても聞かなくても同じことだ
カラオケの歌につきあっているのと同じである

それでも話すのはたぶん自分は正しいと認められたいからだろう
できれば自分を大きく見せたいと思っている
本当は誰も知らないようなニュースソースを握っていて
それを解説して得意になっていたいものだが
現代の社会ではそのような秘匿情報の管理は厳重である

せめてカラオケのようにニュースキャスターの発言を繰り返す
ひどい批判を受ける心配はないから安心して話していられる

だいたいが全く責任のない立場からの発言だ
外野からのヤジのようなもので
どうでもいいものだけれど相変わらずわめいている
どこか心地よいのだろう

とても臆病な自己愛と見える
攻撃されない範囲で誇大性を発揮している

矛盾しているのだが
自分は優れていると確認したいのだが
わずかの批判にも弱いことを知っている

だから反対されないことを言って肯定されたい
しかしそれでは圧倒的に支持された感覚にはならない

不全感を残しながら
しかし傷付きは回避する

そのような回路なのだろう

まあまあの誇大感と言うべきか
傷付きを回避する用心深さは感じる

どうにかなるという楽観性はないようで
むしろ悲観的に傷付きを防衛している

そのあたりは全然自己愛的ではない
むしろうぬぼれてはいけないと自戒しているようでもある

しかしその範囲内で精一杯威張っているのだ

そんなわけで日本の社会に「父親」がいなくなったわけだ

政治ではリーダー不在
サッカーでは決定力不足
といわれているもの

困ったことに本当の父性的存在ではない人が
おだてられてその気になって
筋違いの発言を繰り返し
おだてた自分たちの愚かさに
みんなうんざりしている
そこまで図に乗るとは思わなかったと言っている
誰でもそうまで持ち上げられれば
そうなると思うけれど

日本男性のだいたいがおばさん顔をしてテレビでしゃべっていて
画面が切り替わると
アメリカのおばさんがおじさん顔で何かしゃべっているので
これも驚く



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子どもへの性的虐待

子どもへの性的虐待  森田 ゆり 著  岩波新書 2008-10月

*****
日本カトリック司教協議会
子どもへの性的虐待に関する司教メッセージ
日本の教会の聖職者、修道者、信徒のみなさんへ

  最近アメリカでの聖職者による子どもへの性的虐待と、その問題に対する全米司教総会に関する報道がなされています。私たち日本の司教も、このたび2002年度定例司教総会において、この問題に重大な関心を持ち、討議いたしました。

  虐待は、無防備な子どものからだ、たましいに傷を負わせる恐ろしい犯罪です。とくにそれが、子どもの信頼している人々、つまり、司祭やその子どもの親たちによって犯された場合、とりわけ罪深いものです。教皇ヨハネ・パウロ二世は、「子どもたちに危害を加えるような者には、司祭職や修道生活での居場所はありません」、またそのような者は、「司祭職の恵みを裏切る者である」と明言しておられます。

  こうした事態にあって、私たち神の民である信者一人ひとりは、社会においてカトリック教会が真に救いのしるしとなることができるよう、それぞれの司牧と生活の現場で今まで以上に聖なるものとなるように努め、真摯に働かなければならないと思います。

  私たち司教は、日本において教会のために働く人々が誠実であり、献身的であると確信しています。しかし、不幸にして日本の教会において聖職者、修道者による子どもへの性的虐待があったことが判明いたしました。私たちはこの点に関してこれまで十分に責任を果たしてこなかったことを反省します。私たち司教は、被害者の方々に対し誠実に対応するとともに、その加害者である聖職者、修道者に対しては厳正に対処いたします。

  子どもを保護し、心身ともに成熟した人間に成長させることは、すべての大人の義務です。とりわけ、大人の保護なくしては生きていくすべのない子どもたちを守り、育てていくことは、貧しい人、小さい人々に心を砕かれたイエスの道を生きる教会の使命です。人々の救いのために奉仕するという、この教会本来の使命を忠実に果たすことができるように、日本の教会は今後とも、子どもの人権擁護のための活動、またかれらの育成に携わる学校・施設で働く者、および聖職者、修道者の養成に力を注ぎます。

  皆さん、すべてのキリスト者とともに傷ついた被害者の方々の悲しみと苦しみを理解し、彼らのいやしと回復のために、いつくしみ深い神に祈り、また、全世界の教会がこの困難な状況を乗り越えるために、神からの恵みと力づけを祈りましょう。
  私たち日本の司教は、聖職者、修道者、信徒のみなさんとともに、日本においてこのようなことが起こらないよう、自らを正し、教会の刷新に励んでいきたいと思います。
 
2002年6月21日
日本カトリック司教協議会
司教一同



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グーグルブック検索

たとえば、グーグルブック検索で
聖書と「甘え」 著者: 土居健郎
を表示すればしばらく読める。

言葉で検索することもできる。
便利だ。

「おためごかし」で検索したら
上記の土居先生の本が一番上に表示された。

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観光立国

http://www.cool47.jp/

今まさに観光立国を目指す日本にとって、ありのままの日本の姿・魅力を、その地域はもちろん日本中へ、そして世界へと発信し、大いなる活性化を目指します。

と書いてある。

京都も鎌倉もガイジンさんに楽しいところになるのだろうか。

360度パノラマビューで、
これを大画面で季節ごとに見られたら、
または今日の嵐山という具合に見られたら、
別に行かなくてもいい。

このページなども広告募集

いい仕事をして
お得意さんがいて
というようなビジネスモデルではない

流れてゆく観光客を
目立つ広告で誘導する
それだけの商売

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小さな白い球との長い戦いが終わったことを知りました

小さな白い球との長い戦いが
終わったことを知りました

長嶋茂雄
引退試合の2日前

*****
最近は「相手との駆け引き」を言う人が多い
確かにそうなのかもしれないが多すぎる



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小さなボールと一本のバットには運命と人生がつまっている

小さなボールと一本のバットには
運命と人生がつまっている
長嶋茂雄

*****
おかしいなと思うのは
世間にあふれているビジネス指南書に何が書かれているかだ

ゴルフについての本を読みふけっていてもほとんど益はない
ゴルフについての本を書く人のビジネスに協力するだけだ

ゴルフについての本を読むだけなら暇つぶしだからいいようなものだが
ゴルフについての本を書いている人は一体何をしているのだろう
ゴルフの達人でもないし文章の達人でもないし
ゴルフ産業の軒先を借りて雨宿りしているようなものだ

*****
コンサルタントという職業も不思議だ
社長業を転々として歩く人も不思議だ
特殊な技術には違いないけれど

プロ野球の監督としてチームを渡り歩くようなものか
そんな人も確かにいる

最近は監督のテレビ露出が多い
それは視聴者が選手にではなく監督に同一化しているからなのだろうか
サッカーの監督に至っては同一化さえしにくい

観客からの声も選手に対しての愛ではなく
監督からのメッセージのようでもある

野球はできないけれど
選手を将棋のコマに見立てての監督ならばできると感じるのだろうか

テレビで解説をしている人がそのまま監督になるので
たいして難しい仕事ではないのだなと誰にでも分かる

自尊心のかたまりのような選手たちを前にして
どのようにして求心力を形成するかが問題だろう

相撲の親方のようにすっかりなめられているケースもある

*****
コンサルタントが社長に進言して取締役会が人事を発令すれば
コンサルタントは何か仕事をしたことになるのだろうか

失敗したときコンサルタントは自分がクビになるだけで借金は残らないのだろうか

*****
プロ野球の監督はどんなに負けても観客が入らなくても赤字でも
本質的には痛みはない

オーナーは赤字で頭が痛いけれど
監督は平気

監督も結局雇われているだけだ

*****
現場で苦労している人たちがいて、
その人たちの処遇を、社長と相談しあっている税理士とかコンサルタントとかが話し合って決めているとしたら
現場の人たちは心穏やかではいられない

数字が伸びませんね
能力の限界でしょう
同じ給料でもっといい人がいますから入れ替えましょうと
平気で経営判断を進言する
巨人軍状態である

無論、業界の標準もあり平均もあるだろうが
それを振り回されてもかなわない

いい気になって振り回して
それでみんなが幸せになるものか
考えて欲しい

*****
社長に進言する合理化計画や増収増益計画が
その人の専門でもかまわないけれども、

小さなボールと一本のバットには運命と人生がつまっている
これが原点だと思う



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スーパースターの条件

スターというのはみんなの期待に応える存在。
でもスーパースターの条件は、
その期待を超えること
長嶋茂雄

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苦しむ力 いかに苦しむか

苦しみを私が確実に苦しむ力を与えて欲しい。
苦しみを味わい、記憶し、記録する力を与えて欲しい。

苦しみを与える邪悪なものに対して、
ただ苦しみを味わい、記憶し、記録することで徹底的に抵抗する。

積極的な反撃はしないけれど、
長い年月の後、人生の収穫という点で、私は報われたい。



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謙虚であるように

私たちは謙虚であるようにと言われて育てられた。
それは我々が自力でできることは少なく、
注意深く生きていれば、
人間は自立などしていない存在であり、自然に依存して、
生かされていることを知る日々だからである。

自然からの恩恵は抜きにして、
人間同士で比較したときにも、
他人にお世話になったり、他人のお世話をしたりして生きているわけで、
どの人もほぼ同じ平面に生きていると思うのだが、
そしてDNA分析をしてみれば単なる偶然ほどしか違わない遺伝子であって、
能力の差など、何も自慢するほどのこともない。
歴史上で回顧してみても優れた人はたくさんいるもので、
恵まれた現代に生きていれば、当然ということの方が多いような気がする。
この世で、有能な人ほど謙虚であり、
無能な人ほど傲慢であるのは不思議なことだ。

理由の一つをあげれば、有能な人には現実がよく見えるから、
自分の周囲にいる優れた人々の謙虚な様子がよく見えて、その結果、謙虚になるのだろう。
無能な人には何も見えないから、自分を誇る気持ちばかりが大きくなるのだろう。

また実際有能な人は他人の役に立つことができるので、感謝されるものだ。
人に感謝されていれば、自分が有能であることを誇る必要はなくなる。
むしろ謙虚にしていればますます褒められるというものであり、
それに誇るよりも謙虚にしている方がエネルギーが少なくて済むので、
大変に好都合であるらしい。
無能な人は自分を誇ることにエネルギーを費やしてしまっているのではないかと思う。

自己愛人格障害の場合にも、巨大に才能に恵まれていれば、かなりの自己愛的振る舞いがあっても、周囲は我慢するものだ。
その人の才能と自己愛が釣り合わないから、怒られるし、無視されるし、さげすまれる。
それだけのことであって、つまりは、現実把握力の問題なのだと思う。

ずいぶんな才能があっても謙虚すぎるのもむしろ周囲が気を遣ってしまうところがある。
ほどほどに自己愛的に振る舞ってもいいと思うのだが、
そのような人たちは謙虚に振る舞うことの楽しみを知ってしまっているし、
謙虚であることが最大の効果を生むと知っているので、なかなか謙虚をやめることができない。
その人にとっては、謙虚であることが一番楽なことで、むしろ趣味の一つである。



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拒食症と過食症とうつ

うつ・50話:第49話 摂食障害とうつが密接に関連

 若い女性の病気に拒食症と過食症があります。拒食症は、強いやせ願望や肥満恐怖などのため、「食べない、食べられない」で食べる量が極端に減り、その反動で「食べたら止まらない」と過食しては、体重増加を防ぐために嘔吐(おうと)して、著しいやせとさまざまな心身の症状を生じます。

 一方、過食症は、短時間に大量の食物を過食しては、過食による体重増加を防ぐために、過食後に嘔吐や下剤の乱用、翌日の食事制限や絶食などを認めます。しかし、体重は拒食症ほど減少せず、正常範囲内にあります。そして、過食後に無気力感、抑うつ気分、自己嫌悪や自己卑下を伴います。

 これらの摂食障害において抑うつ症状を生じることは古くから知られ、うつ病と摂食障害は密接に関連しています。

 摂食障害では、急激な体重減少や低栄養状態により抑うつ症状を生じます。さらに、過食や嘔吐後に強い自己嫌悪を伴う抑うつ気分、過食や下剤の乱用などの排出行動を止めた時や、食べ過ぎで体重をコントロールできなくなったと感じた時にも抑うつ症状を生じます。また、治療により体重が増加していく過程においても不安や抑うつ症状を生じます。これらの場合には、抑うつ症状が1日のうちで、または日替わりで、良くなったり悪くなったりと、動揺が激しいことが特徴です。

 (大阪市立大大学院医学研究科教授・神経精神医学、切池信夫)

毎日新聞 2008年3月8日 大阪朝刊

*****
摂食障害の一部は、心理とは関係のない、体の病気です。
しかし大部分は心理的要素が強く、うつや性格構造と関係して発生し、
無意識のうちに完治を拒否しています。
きっかけは多くが若い頃のダイエットです。
無力感、自己否定、無価値感などが背景にあることが多く、
そのあたりを話し合っていくことになります。



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宝くじに当たると若い美人と

宝くじに当たると若い美人と再婚できることもあると書いてある。
あまりにあけすけな言い方で驚いた。
宝くじを当たったあとで結婚したらもう誰も信じられないのかもしれない。
この人は宝くじと結婚したかったのかなといつまでも考えないといけないのだろうか。

若い美人とはどういう言い方かとも思う。
美人かどうかは人それぞれの感じ方で、
美しいとは、極端に言えばその人にとって好ましいという程度に解釈もできる。

しかし若いとは?
実年齢とは関係のない見た目の若さというのもあるけれど、
いずれにしても若いのが価値があるということなのか。
いったい何の価値なのか、全然納得できない。
生命保険というばかばかしいものに加入するとして、
掛け金が安いことくらいしかいいことは思い浮かばない。

年寄りに比べて、死んだり病気になったりする可能性がある。
年寄りは実際に生きたのだから過去については死ぬ可能性はないが、
まあ、それはへりくつだ。

それにしても、若い美人は宝くじ当選者と結婚したいのだろうかと考えて、
かなり譲歩してみると、元々が同じ程度の数名を比較するなら、
宝くじに当選した人の方がいいだろうなと思うものかもしれない。
おまけ付きだ。
あるいは逆に、お金は人を狂わせるものと考えて、敬遠するかもしれない。
宝くじに当たったからと言って威張るように人だったら実際最低である。
その人の価値、努力、汗とは何の関係もない。

考えてみれば、スポーツ選手も実業家も、
宝くじに当たったようなものだとたとえられるのだから、
実際にくじに当たった人とあまり変わらないのかもしれない。

「美人」というのも宝くじに当たったようなものなのだろう。
内面とはあまり関係がないのだろう。

書いている話題自体があまりにも次元が低いので
あきれる。疲れたようだ。



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テレビの暑苦しさ

テレビではいつもと同じ空騒ぎ
感情の厚塗り

過剰な感情が暑苦しい

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人生はあまりない

人生はまだまだあるように錯覚するけれど
もうあまりない
そして突然終わるのがたいていの人生だ



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素のままの恋愛

スターバックスコーヒーの脇を通りかかった
男女がいて女が男の手を取り
いとおしそうになでている
これは昔よく見た睦み合いの場面だ

思い出したのは炊きたての白米

今日は豚肉を用意していたのだが
たれは使わずに塩と胡椒だけで味付けしようと決めた

素のままの恋愛というものがあるだろうなと思う
原点の恋



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和服のかんざし

和服で髪をアップにするとき
このかんざしを使う
留め金とかバネとか何にもないでしょう
ただの棒なの
和服の先生に教わった
髪を上手に束ねると、ほら、ちゃんと止まるでしょう

原始的みたいだけど
シンプルでハイテクみたいで不思議でしょ?



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待ち時間と移動時間

みんなが携帯を持って急いでいるように見えるが、
たぶん待ち時間と移動時間が多いから携帯を使って
時間を埋めているのではないかと思う

待ち時間にたていては新聞を読む
すると何か考えるのでブログに何か書く
指ではうまく変換できないので時間がかかる
しかしそれで結構暇つぶしになる

何か会議が終わって
また移動時間になる
するとさっき終わったばかりの会議の出席者の様子を書きたくなる
携帯で何か書いているうちに時間がたってくれる

だって移動時間や待ち時間ではないのなら
仕事をしたりパソコンを使ったりすればいいのだから
携帯なんかの小さな画面を見ている必要はないはずだろう

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