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ゆとり教育は

ゆとり教育を米国が言うとき、
日本人は国内でコンビニの店員をしていればいいというつもりだったのだろう。

ゆとり教育を日本の指導者が言うとき、
画一的な正解を出すだけでない、
世界を変える様なクリエイティブな人間が欲しいという事があったのだろうが、
実際は、ゆとりの分は塾で勉強して、画一的選抜に適応して、エリート層ができた。
ゆとり教育だけで育てられたこともたちは
塾で勉強していい学校に入ったエリート層に仕えるだけの存在になる。

結局、米国エリート→日本エリート→日本非エリートの三段階に別れることになった。
世界を変える様なクリエイティブな人間を生み出す教育は、
ゆとり教育ではなかったわけだ。

*****
現行の東大入試や全国模擬試験といった画一化を生むものは即刻やめるべきですね。答えは1つだという前提の下で、全国の人が同じ答えを出し、採点されるという世界は気持ち悪いですよ。世の中に、答えが1つしかないものなどないわけで、東大に入る人というのは、多分、設問に対する推理力と記憶力が高い人であって、決してクリエーティビティーが高いわけではないということです。ですから、まずはあの無駄な試験を止めて、自分で自分の世界を選ぶということに時間を使うようにすべきでしょう。

*****
かなり特殊な考え方だろう。商売で言えば、そうかもしれない。
最終的に儲けなければ無意味だというなら、そうかもしれない。

世の中に、答えが1つしかないものなどあります。
論理はひとつです。


自然学

自然界や生物界は緻密に織り上げられて、隙間のない織物で、
人間がうっかりどこかの一部分に変化を加えたりすれば、
いろいろな予期しない影響が出てきて、
世界の各部分はここまで密接に関係しあっていたのかと
驚かされる。
逆に言えば、無駄がない。
無意味というものがない。
無益と見える存在にも益があり、
益が上回るからこそ、この世界で存在を許され、
世代を経てますます緻密に織り上げられているのだ。

かなり厳しい、ぎりぎりの生存競争が続いたとき、このような
極端に精密な織物が成立したのだろう。

人間が虫歯になるのは、マイナスばかりなのだろうか。
とりあえず歯医者が儲かるが、それだけではなく、それ以前に、
虫歯にもプラスの価値があったのではないか。

肺炎球菌にも、ピロリ菌にも、いろいろな面があり、
利害得失の総合点で評価されて、
この世界に場所を与えられているのではないか。

宗教的価値多元主義の実現はなかなか難しい

宗教の世界では、
かなりのインテリでも、
他宗教を批判的に語ることが多い。貶める。
そのことで、自分たちの一体感を醸成する。

敵を作って、団結を強めるコントロールの仕方である。
そんなことをしなくてもいい知識人までそんなことに加担する。

不思議なものだ。

宗教的価値多元主義の実現はなかなか難しい。
理論としてはきれいなのだが。

人々は歌いたいし踊りたいし戦争したいのだ。
脳に対立回路路が埋め込まれているのだろう。

生後直後に、対立回路を破壊してはどうだろう。
どのような結果になるのだろうか。

一体感のある集団

一体感のある集団の最大規模はどの程度で、
それを全地球規模に拡大するにはどうすればよいか。

それが問題。

解決を求める。

*****
しかしたとえばそのように一体感のある集団がいったん形成されたとしても、
内部で対立は生じるだろう。

自民党としては一体だが、
派閥に分かれているのと同じだろう。

対立が生じるのは、
「希少価値」を争うからだろう。
いくらでもあるもの、たとえば、空気を争って競争しあうはずもない。
(中国の風下にいる日本では、
新鮮な空気は希少価値のあるものになりつつあるが)

*****
果たして、いくらでもあるものだけで人間は幸福になることはできないのだろうか。
誰かが幸福になっていれば誰かが不幸になっているというタイプの幸福と不幸しかないのだろうか。
嫉妬は強い感情である。
何とか成長できないものか。
伝統的宗教はそれぞれ嫉妬などの感情からの脱する方向での成長を説いている
しかし難しい
嫉妬があるから人間は努力するのだとも言える
それは正しい方向の力にもなりうる
ライバル関係と友情関係は両立する

少なくとも、嫉妬するゆえに自分を高めるという方向でありたい
嫉妬が自分をだめにし相手をだめにするなら
だめな嫉妬である

NHKスペシャル新シルクロー総集編-2

最後の場面で諸宗教の融和を語っていた
言葉も、製作者のコンセプトもそうだろう

しかし圧倒的に美しいあの映像が語るのは逆のものだ

映像そのものが
人間は対立し続けるだろうと
教えている

製作者のせっかくのコンセプトを越えている
言葉の意味も超えている

感得されるのは
いつまでも人類は対立しあうだろうということだ

集団とは、他の集団と戦うためのものだと
定義されてきたし、これからもそうだろう
脳の癖だ

核兵器や生物兵器のように
一挙に大量殺戮できる平気はあるのに、
同じくらい一挙に人々が理解しあえる装置はない


ドラマ「バラのない花屋」

筋書きには興味がなかったが
花がきれいだった

わたしは花屋のオーナーになりたい
どこかの花屋をM&Aするぞ

高精細画面に映し出される花の美
特にバラ
たまらん

竹内結子も全然興味はないが
画面で見るとこの人の静脈にはそそられる
手の甲や腕だけではなくて、
顔の静脈も透けて見えている

こんな感じがわたしの理想だ

顔の作り方は
吉永小百合や小谷真生子みたいなつくりかただと思うが、
この顔面の静脈は、
映画でも出ないし、ニュースキャスターにも見ることはできない。
薄く塗った上に、
ライトの当て方、撮影の仕方がある。

この人とあの人の脳を取り替えれば
とてもいいと思うのだが
そうも行かない

質料(μλη hyle ヒュレー)としてはいい
しかし形相(ειδοζ eidos エイドス=form)としては
いいとはいえない。

ダルビッシュの肉体に
桑田の脳をつなげたい感じなのだ

きょうは変なことを書いている
バラのない花屋というタイトルから
バラの名前という映画を思い、
キリスト教哲学から
ギリシャ哲学に飛び、
変なことを書いているが飛びすぎ

石油は世界の不平等の象徴である

ただ自分たちの地面の中に石油があったというだけで
べらぼうに豊かな生活ができる
おいしいものを食べられて
ぬくぬくと生きられる

石油は機会の不平等のシンボルだ
いま石油で儲けている人たちがどんな汗をかいたというのか

石油を世界の人々全員の共有物にしよう

もう乱暴といわれてもかまわない
一度だけ乱暴させてもらう
すべての石油資源を米軍で接収しよう
そして欲しい人に売る
売り上げたお金は
誰か代表に持たせたら消えてしまう
全世界の個人に直接振り込む
携帯電話を70億人全員に配り、
毎月、石油の売り上げの70億分の一を振り込む

貨幣単位はoilだ

携帯を持って店に行って買い物をする

貧しい地域ではお店がありません

それなら宅配するから頼んでくれればいい

貧しい人たちは携帯が使えません

使えなくても、ずっと振り込み続ける
何世代かの後には
誰かが使い方を発見して仲間に広める

300年かかってもいい

石油は全人類のものだからだ

*****
怒るのはわかるけど
無意味な話だ
まあ少し落ち着きなさい

*****
もう黙っていられない
老い先短いこの身はなにも恐れない
どうせ死ぬのだ
正直に信念を語ろう

不平等がきらいだ

*****
でもそうなれば今度は振込みのある携帯電話を奪い合うのではないでしょうか
時間がたてば携帯電話長者が誕生しているでしょう

何かが価値があるなら
それを独占して占有するものが現れる
最初は暴力や呪文
時代がすすめば警察と軍隊と法律

形を変えても、
結局同じです

1000年後くらいに、
埋蔵されていた携帯電話が大量に見つかり、
その所有権を誰かが独占することになる

それって、同じことでしょう

*****
いずれにしても、
個人的に使える資産や
食べられる食糧には限りがあるだろう
どんなに独占しても
無駄なことだ

*****
それを使わせろというのではない
独占している豊かなものがいて
買わざるを得ない貧しい者たちがいることが
ゆるせない

いやいや
石油が欲しい人たちは裕福でしよう
最貧国の人たちが欲しいのは石油じゃないんですから

だから石油ではなく
貨幣としてのoilに変換して
全世界の市民に平等に分配するのだ

はー
そーねー
まず教育だと思うんですよ
でもね、日本国内でも同じですけど、
何を教えたらいいのか、対立が生まれるでしょう

極端に言えば
銃の使い方を教えるのも教育だし
医学を教えるのも教育でしょう

ならば、分配されたoilで、
各人の学びたい教科を携帯で学んでください

いや、何も、そんなこと考えなくても、
どうすぐにみんな死んでしまうんだから

もう筋が通ってませんよ
筋が

わたしはどんな顔をしていたらいい

あなたは人のこころの痛みが分かる人だと思うのに
あなたは誰かへの愛を語り誰かへの崇拝を歌う

わたしはどんな顔をしていたらいい?

彼女には物足りないけど結婚はしたいと私に言った人

彼女には物足りないけど結婚はしたいと私に言った人

これでちょうど短歌になる
わたしは短歌でふられた

いやふられてはいないのかな
よく分からない
若い頃だったからこれではだめだったのだ

相撲でアナウンサーが

まえみつを はやくとりたい ことみつき

これもちょうど俳句のような語数になっている
あちこちにあるものだ

合い星で千秋楽の両横綱
白鵬を転がして勝つ朝青龍

もてるより一人の人が問題だ

女性雑誌の見出し
激モテ
めちゃモテ

でも
モテても幸せじゃない
(偉そうだけど)
目立つ仕事だから
いろいろな人が告白してくれる
傷つけないように断るのに気を遣うだけ
あとでぎくしゃくするし
難しい

わたしは男性に対して脇が甘いのかなあと
思ってしまう
自分が何か悪いからこんなに告白されるんだろうか

なのにの自分が好きな人には
友達でいようといわれている。
私がいつも断っている同じパターンで断られている。
だからそんな風に言われたらどんなに悲しいかはよく分かる。

その人と話すと
「彼女と別れたいのに別れられない」とか
そんな眠たい話ばっかり。
この人と一緒にいても
この先悲しい思いばかりするのかなあと
悪い方に考えてしまう。

でも
私が好きなのはこの人なんだと分かってはいる
これが恋愛感情なのだろうか
なんだか薄い
現時点では
本当に好きな人にまだめぐり会っていないということなのだろうか

自分が好きな人が自分を好きになってくれて
ひっそり
生きていけたら
それ以上の幸せはないと思う。

でも
自分が好きな人が
自分を好きになってくれるのは
奇跡的な確率のような気がする。


投資信託の苦情・相談が急増

国民生活センターでの
投資信託の苦情・相談が急増。
60歳以上が6割。
大幅に資産が減った。
定期預金と思ったのに、実際は投資信託だった。
まあ、そんな話。
だから言ってるじゃないですか。
定期預金より、
うまい話はないんです。

たしかにね、
元本確保型と言えば、元本保証と思いますよね。
それはたしかにかわいそう。

正社員の立場の評価

正社員は一握りのエリートで
マネージメントを担当し、
実務は契約社員や派遣社員という
分け方をしている人もある。
細切れの実務を担当してもスキルアップしないから
格差が固定化するという。

わたしの感じでは、
正社員もものすごく大変で、
「いい思いをしているエリート」
「派遣社員から収奪している」
などとはぜんぜん思えない。

*****
単純労働に適合する程度となったら
円周率は3でいいとなったのだろうが
そんなゆとり教育では
単純労働にさえ適さないということで、
内容を変えたい様子だ。

しかし教育を手厚くすれば、
当然、社会や政治を見る目は肥えてくるので、
きつい批判が起こる。

権力を肯定する
優秀な労働力が必要だが、
多分、無理だろう。


クリーンハンドの政治家

きれいなどぶに同じ

老年にしてますます頭脳明晰

早朝の番組で
政治家、野中氏と藤井氏が出演。
まことに明解に語る。
老年にしてますます頭脳明晰である。
すばらしいことだ。
政治の事のついでに健康法も教えて欲しいものだ。
なぜそんなにも元気で頭がいいのか。

猫にねずみを捕まえてもらう

先日港区の横断歩道を
歩行者と一緒に、体長7センチくらいの、ねずみのようなものが走っていた。
歩行者は驚いて、よけて歩いていた。

いま問題になっているのはもう少し大きなねずみのようであるが、
いずれにしても、猫を飼ったほうがいいのではないか。

最近の猫は野生を忘れているようだから、
脳の一部を携帯電話と同じ回路で刺激して、
ねずみを捕獲するようにすればどうだろう。

捕鯨反対の人たちからまた文句が出るかな。

難民キャンプに行ったとしたら

医療の仕事でも、二つあり、
コンピュータにたとえると、
ハードとソフトといえるだろう。

たとえば難民キャンプに行ったとして、
心臓のことや感染症のことは、
文化や言葉が分からなくても、なんとかなりそうだ。
これは人体のハードの部分だ。

しかし難民キャンプの中で心理を扱うとなれば、
言葉と文化、宗教、世界観に通じていなければ、
どうしようもないだろう。
これは脳のソフトの部分だろう。

心理の業界はIT屋の中でもハードを売るのではなく、
ソフトをケアする部門だということになり、
いきなり難民キャンプに行って活躍できるとも思えない。
OSが違う世界にいきなり行っても、
たいしたことはできないようだ。

ハード屋なら何かできそうだ。

チベットの目論見

程度の低い勘繰りをすれば、
今回チベットが騒いでいるのは、
いろいろあるだろうが、
結局、観光で食べて生きたいという人たちの意志が背景にあるのではないか。
めぼしい産業がなく、しばらくは豊かになれそうもない、
そんな中で、チベット仏教の様子は観光資源になる。
見た目にも分かり易い。
チベット仏教の人たちはそのままにしておいて、
観光で儲けたい人たちが動いているのではないか。
オリンピック前に人権問題だと騒げば
アメリカが反応して世界中に報道される。
とんでもなくいいコマーシャルになる。

爪の成長

歳をとると爪もあまり伸びないような気がする

死んでからもしばらく髪や爪が伸びるのが
不思議といわれることがあるが
髪や爪の細胞はすぐに死ぬわけではないので、
伸びるのが当たり前とも言える。

絨毯屋

日本で立派なじゅうたんを手に入れようと思えば
なかなか高価である

シルクロードの番組の中で何回か
じゅうたんを背景に歌を歌っていた

安く手に入るのだろうか

テレビセットの背景

春を意識しているのか
テレビスタジオの背景が
パステルカラーで楽しい

NHK新シルクロード総集編-1

重々しい語り口で番組が始まる。
わたしは隣町の友人を戦争で殺してしまったと元兵士が語る。

カザフスタン
中国からカザフスタンに帰ってきた家族の映像
文字がない民族とのことで
歌を歌って気持ちを伝えるという

マティスの絵のようなじゅうたんが壁にかけてあった
とても美しい

衣服の模様も美しい
どこで作っている布なのだろう
綿花を収穫していたから地元で何か作っているのだろうか

ウズベキスタン
アゼルバイジャン

たとえば現代日本で個人的にイスラム教を信仰し、
時刻になったら祈りを捧げるので仕事はできないというなら、
ちょっといきすぎだというだろうが、
このような環境では異常ではないのであって、
結局空気を読んでいるのだろうともいえる。

アルメニアとの戦い

それにしても広大である
土地はいくらでもある
日本の小さな不動産を買ってほとんど一生をかけて
支払いをする
そんな人生にどんな意味があるのだろう

故郷の土地
人間は生まれて1年くらいの間に脳のセッティングが決まる部分がある
故郷の風土に合わせた人間として生き始める
その土地から引き剥がされて生きるのはやはりつらいだろう

難民の居住地を国が提供してくれた
昔の電電公社の官舎のような感じ。
今で言えば関東圏でサラリーマンが買う、
3000万円の一戸建て、駐車場を取れば庭がない、
そんな平屋。
日本人はどうしてこんなにも密集して暮らしているのだろう。

移民の計画とか満州国とか、
まあ、考えそうなことだ
また、世界的に見れば、愛国心を持ち、祖国を守るという軍隊がなくて
どうして国民が安心して生きられるだろうというのも常識らしい
日本は少し先を進みすぎているようだ
人間、あるいは、民族は殺しあうものだ
とのメッセージを読み取ることもできそうだ

グルジア
コーカサス山脈

ブドウ畑に囲まれた家
代々伝わるワイン作り
何という安定した人生だろう
ぶどうの木は孫のようにかわいいと語る
ここでも故里の歌・民族の歌
グルジアワイン

甲府のワイナリーを思い出す
海のない土地はどんな風だろうか。
一度住んでみたい。

NHKはデジタル放送にふさわしい映像を提供している

人々はそれぞれに美しい
これは撮影の技術が優れていることもあり
被写体を選んでいることもあるだろうが
それぞれの民族がそれぞれに美しい

ロシアの広大な穀物畑

トルコ
ペットボトルで何か飲みながら
豪華なじゅうたんを背にして
民族の歌を歌う
翼があったら飛んでいけるのにと

チェチェン
チェチェンはロシアであるという教育演説
チェチェンの人々は歌い踊り陶酔の中で
民族の団結を誓う

コサック兵
チェチェンと戦って力になったのが復活したコサック兵
帝政ロシア時代に活躍したがソ連時代には禁じられ
ソ連崩壊後に復活したという
熱烈な愛国者集団
祖国ロシアのために
学校では女性も軍隊の訓練を受けている
カラシニコフを組立て、
人を殺す訓練をしている
多分、貧しさや格差が背景にあると思う

徹底的に差別され貧しかったら
やはの軍隊が魅力的に思えるだろう
日本で226のときに東北地方の貧しさが背景にあったと先輩から聞いた


祖国
故郷の土地
それらをキーワードにしているようだ

わたしには要するに貧困の問題のように思える

イスタンブール
ここでは多彩な民族と宗教の並存
とても理想化して紹介

バザールの活気を伝えている
アメ横のような感じ

コサック兵士の好戦的な様子を見ていると
やはり人間とは
希少資源をめぐって争う存在なのかと思ってしまう
殺しあって勝利したものが
子孫を残す

直後にスポーツ番組があったこともあって
余計に人間の攻撃性を考える

多分、全員が食べるだけの食糧があっても、
争いあうのだろう
ホルモンのせいだろう
仕方がない

食糧とエネルギーをめぐって争い
結局は殺しあうのだろう

そんな中で日本は人口が減少するというのだから
なかなかえらい
この世界での存在権を放棄する方向なので
大変平和的である
9条よりも明確で確実な世界へのメッセージである

音楽はヨーヨーマと出ている
売れるだろう

医学映像

医学関係で映像に敏感なのは
基礎系では解剖学、
臨床系では眼科だと思う。

解剖学は伝統的にスケッチがさかんで絵心のある人が多い。
人体の正確なデッサンのために必要な解剖学の知識というものがある。
美大には解剖の先生が教えに行く。

最近は筋肉を鍛える方面の人が、
正確な解剖学の知識を欲しがる。
解剖図を見て、この筋肉を鍛えるのに一番正しい運動はどうするのですかという。

肉眼解剖学では、
骨、筋肉、内臓を皮膚で包んでイメージしている。
表面の出っ張りにもくぼみにも理由があり、名前がつけられている。
ラテン語がそれぞれ割り当てられている。
たとえば、
長趾屈筋(musculus flexor digitorum longus)
橈側手根屈筋(musculus flexor carpi radialis);
などというような具合で、なかなかいいものだ。
古きよき学問の匂いである。
ヨーロッパの伝統のフレーバーである。

人体を眺めて、
こんなにも複雑で機能不明なものが立派に生きているのだから、
よくできているものだと感心する。

眼科は光学系のレンズそのものを扱うので
敏感になるのだろうか。
眼科の写真はとてもきれいだと思う。

コンピュータ映像に一番縁があるのが
放射線科だろう。
一番高価な機械を使う。
進歩も著しい。
日本の比較的強い分野だと思う。


フィルター

昔のカメラマニアは
レンズのフィルターをいろいろと用意していたように思う。

いまはどうなのだろう。

老いの一人暮らしの匂い

老いの一人暮らしは
知らずに小便臭くなる
仕方のないことで
自分でも感じている

人間臭さだと諦めている

なすすべなくこの上なくいとしい春を見送る

なすすべなく
この上なくいとしい春を
見送る

死を迎えるとき
そんな気分が少しあるだろうか

手指の表情

手タレと呼ばれる人たちがいて、
手と指を画像にとらせる。
CMで言えば指輪とか石鹸とか。

そのために手指に傷がつかないように
常日頃から手入れを怠りなく、
手袋を愛用するという。

手指の表情には独特のものがある。
多分、脳とかなり直結していて、
無意識の動きがかなり含まれているのだろう。

脂肪の具合、
皮膚の張り、
静脈の具合、
いずれも意識的にコントロールできるものでもない。
さらにその上に動きが加わる。

過剰に読みとっても不都合だろうが、
伝わるものはある。

統合失調症の利点

統合失調症が不利益ばかりのものであれば、
多分、進化論的に淘汰されてなくなっているはずなのかもしれない。
ある民族で、統合失調症の原因になるような遺伝子が
全部取り除かれたら、
統合失調症には罹らず、
部族間の争いがあっても、有利に展開し、
といったプロセスが生じるはずだろう。
しかし何か利点があるから、
統合失調症はいまだに存在しているのだろうといわれている。

物事の関係を過剰に推定する癖だとして、
その推定が偶然、物理法則に一致していれば、天才といわれるし、
不一致なら、無価値といわれる。
しかし、物理法則も自然法則も、心理法則も、
表面的には環境に応じている部分があり、
一定の変化は必要なのだと思う。

そのようにして過剰な関係付けの癖は続くのだろう。

進化論で言う、放散と淘汰を繰り返している、
フロント部分なのだろう。

その点では、秀才の家系に、病者が存在するのも、当然である。

イメージとしては、
時計を考えて、
長針の描く大きな円と
短針の描く小さな円を考える。

短針の描く内部は、
どれも、普通。

長針の描く部分は、
12時あたりがストライクで、秀才、
それ以外の、1から11時はすこし不具合。

そんな感じ。

だから、短針の範囲内に納まらない傾向がいつも必要で、
統合失調症の傾向は必要。
長針の中の一部分だけが有用であるが、
どの部分が有用であるかは、
歴史の偶然にもよるので、分からない。

そのような遺伝子が生き残ったのだろう。

図1.jpg

チベット報道

チベット報道を眺めていると
チベットの人たちの困惑も
深いと感じる

五体投地と言って、尺取虫のように、地面を進み、
聖地までたどり着く。

一族の中から僧を必ず一人出し、
その人を通じてダライ・ラマの教えが浸透する。

ダライ・ラマの写真がいつくも貼り付けられて
風にひらひらしていた。

宗教にも文化・文明にも発展段階というものがあり、
一足飛びにはいかない。
だんだん成熟していくしかない。

キリスト教がそうだった。
中国共産党による悪い行いもあるが、
カトリック教会による悪い行いの歴史的総体と比較すれば、
まだまだと思う。

どちらがいいというのでもなくて、
発展段階が違うのだと思う。

これはマルクスのいうようなことで、
むしろ、むしろ中国共産党が言いそうなことだ。

チベットの女性で英語でインタビューに答えている人もいた。
中国共産党を非難している言葉で、
それはそうだと思うが、
チベットの現状を見てみれば、
自決の原則がいいのか、どうか、
なにかもっと知恵がありそうな気もする。
その知恵は、報道では切られているのではないかと思う。

行き着く先はアメリカで、
自由と民主主義とが正しくて、
キリスト教のことは強くは言わないが根本的には
当然の前提として考えているようなところがあると思う。

現在のようにアメリカドルが基軸通貨としての威信を失いかけているときに、
やっとアメリカの、歴史の中での姿が見えてくるのだと思う。

別れる理由

愛しているなら
わたしのためと思って
別れて

愛していないなら
二人のために
別れて

どちらにしても
方程式は見えていて
結論は同じ

人間は繰り返す

人間は同じ行動パターンと思考パターンを繰り返す

変えろと言われて一時は納得しても
いつの間にか元に戻っている
根の深いものがあるらしい

自分自身について
考え
ほぼ絶望している

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