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たるんだ着ぐるみ

がんばってダイエットして
全体の体重は落ちたとしても
実際は肌がややたるんでいて
具合がよくないものだ

たるんだ着ぐるみ

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人選

 記者の仕事が心底好きで寝食を忘れて働ける人だけが編集部にいればよい。記者の仕事は遊びではない。仕事に没頭できぬ記者は首にすべし。「仕事と生活のバランス」をとりたい、と抜かす記者にはもっと暇な職業に転職することを勧めよ。最もよく働く記者に高性能パソコンを買い与え、家でも仕事をさせよ。仕事中毒の記者にさらに仕事をさせるための機器には惜しみなく投資すべし。さらに、そこそこ良い原稿を書く記者も解雇の対象とせよ。素晴らしい原稿を書く記者の邪魔になる。卓越した仕事をする記者は同じくらい優れた記者と仕事をしたがるものだ。



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オレオレ詐欺と自己愛延長

オレオレ詐欺は
親の自己愛の延長としての息子の危機だと聞いて
自分自身の自己愛の核心部が傷つけられる感覚を持ち
こっそり対処してしまおうと思うものかもしれない

電話をかける数と
詐欺が成功する数と比較すると
膨大な数の失敗があるのだと思う

実に忍耐強いものだと思う

それくらいの努力家ならば
何でも仕事ができるように思うが
そうはいかないらしい

社会政策としては
真っ当な仕事がここにあり
これをやると収入はこれくらい
しかも世間にはいい人だと言われ感謝もされる
そんな仕事を用意しておいて

詐欺商売の苦労と結末とを考えてもらい
比較検討する材料を与える

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多すぎる不幸 並列連帯

この世の中を見渡してみて
なんと不幸の多いことだろう

これほど多いと
不幸の定義を少し変更すべきではないかとも
思われてくる

とりあえず
防げるものならば誰でも防ぎたいのだが
ある種の詐欺とか
現状では「正当」とされる争いの結果であったりするので
防ぎきれないことはよくある

他人にとってうらやましいものを持っている場合には
それを狙われるのだと思って間違いはない

結局うらやましいものを持っている限り不幸はついて回るのだ

そんな場合
とりあえずはどのようにして耐えるかということになる
捨て鉢になったりして
捨てなくてもいいものまで捨てたりしたら
それが一番ばからしいことだ
冷静に対処したいものだ

耐えることは一人ではなかなか難しい
連帯することだと思う

脳を並列につないで処理能力を上げておく
そうすれば無理な入力があったときにも慌てないで対応できる

並列に連帯することが対策だと思う

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立ち往生

立ち往生
という言葉を
人前で言っていいものかと思う。

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一次的自己愛の充足

引き続き、眠る。起きても完全には目覚めない。

高層ホテルの部屋からは空だけが見える

窓に近づくと高層ビルと東京タワー、下には公園と高速道路。長い電車がするする滑る。

ベッドに横になっていると無重力状態だ。

何も考えず無重力を楽しむ。

一次的自己愛の充足。

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11-28党首討論 実質なし

けだるい気分で
党首討論を聞いている。

ホテルにいるとテレビを見るしか気散じがない。

小沢氏は、年末にかけて国民は大変だから経済対策を早くした方がいい、第二次補正を早く国会に出せという。

麻生氏は、年末までは第一次補正で充分だという。それよりも金融法案を早く通して欲しいという。

小沢氏は、金融法案は民主党としての改正点もあるのできちんと議論したいという。第一次補正で充分だというなら、12月は緊急課題がないということで、総選挙をやったらいいのではないかと詰め寄る。

麻生氏はうまく答えられない。

*****
論理としていえば、第二次補正を早く出して12月に審議して通すか、総選挙をやるか、どちらかだろうという話は正しいのだと思う。

*****
それはそうだが、正しいからといって通るものでもないし、諸方面の調整もある。

討論の実質として、経済対策で何が足りなくて、いつまでに何をすべきなのかの話が全くない。そこが聞きたかった。
一時補正が間に合うというが、どうなれば間に合った状態なのか、説明があればよかった。倒産件数や失業率、非正規雇用者の離職率などが上げられていたが、どの程度の数字をどの期間耐えることが妥当なのか、その先にどんな未来があるのか、それを語れば、対策として何が必要なのか、我慢する側としては何を我慢すればいいのか、明確になるはずで、そのためには資金計画をどうすればいいとか、一年の間は実家に帰ってお金を節約しようとか、考えられるはずだ。

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二次的葛藤の露呈

無題5.JPG

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二宮尊徳との出あい 無利子金融

二宮尊徳との出あい
臺弘

「算術で示せばどんな悟道者も論者も一言もない」と言ったのは誰か,ご存知
でしょうか。

言葉の主は二宮尊徳(1787 ~ 1856 年)で,福住正兄著「二宮翁夜話続編」
(1887 年)(『日本の名著26』,中央公論新社,1970 年)のなかで彼に出あ
ったときには,幕末の百姓にこんな人物がいたのかと感嘆したものです。

この算術の論理が一農民に領主と掛け合って年貢の据え置きを約束させる迫力を与
え,他方で百姓たちに勤労意欲を高めるための無利子金融にもなって,年次償
還の将来計画さえもてば借金も怖くないとわからせたのです。

さらに償還後に報徳金という名目の投資を立案して資本を蓄積し,相互扶助や
天保飢饉の難民救済に役立てました。戦前の小学生には,修身のお手本として
柴を背負って本を読む少年の銅像は馴染み深いものでしたが,戦後の民主主義
時代になっても刻印は深く残っていて,尊徳の道徳教育面ばかりが語られる傾
向が強かったのです。

たとえば,石川佐智子著『世界に誇る日本の道徳力―心に響く二宮尊徳90
の名言』(コスモトゥーワン,2006 年)などを参照してください。精神科関
係で二宮尊徳を論じたのは,中井久夫が『分裂病と人類』(東京大学出版会,
1982 年)で,「執着気質の歴史的背景:再建の倫理としての勤勉と工夫」を
述べたのが,唯一の文献でありましょう。私は,「生活療法の基礎理念とその
思想史」(精神医学2006; 48: 1237.52)と,その解説的な論文「生活療法の
開祖:二宮尊徳」(精神科治療学2006; 21: 1249.55)を発表しましたので,
参照いただければ幸いです。
◆ ◆ ◆
2006 年,バングラデシュの農村銀行のユヌス頭取が,農婦たちに小額金融を
普及させた業績に対して,ノーベル平和賞を受けましたが,これは尊徳が200
年前にわが国で行っていたことと同じものでもありました。

弟子・富田高慶著『報徳記』(岩波文庫,1933 年)や福住正兄著『二宮翁夜
話』(春秋社松柏館,1943年)は説教話が主で経済・経営論は少ないのに,
『二宮尊徳全集』では二宮仕法の雛形,資料が豊富で,算数の活用が見事でし
た。戦後になって三戸岡道夫著『二宮金次郎の一生』(栄光出版社,2002年)
のような尊徳の農業経営論を主とする著作も現れてきましたが,道徳と経済を
総合する所論は,「論語と算盤」(渋沢栄一)のほかには見当たりません。興
味深いことには西欧経済学の創始者Adam Smith(1723 ~ 1790 年)は,当初
は道徳哲学(moral philosophy)の教授で,処女作『道徳感情論』(上・下,
岩波文庫,水田洋訳,2003 年)は主著『諸国民の富』(国富論)(第5 版,
岩波文庫,大内兵衛ほか訳,1960 年)の前に書かれ,最終版が没年となる本
であったのです。精神科治療史に残るYork Retreat(1792 年~)のmoral
treatment も,“道徳療法”と訳すと意味がわからなくなりますが,コンサイ
スオックスフォード英英辞典によるとmos =custom,pl. mores = morals で
あるので,生活療法のようなものだったのではないかと推察されます。
◆ ◆ ◆
私は,躁うつ病(双極性障害:双極I ~ II 型)の状態像理解にも算数の論理
を活用しています。症例で説明しますと,双極性障害の友人と一緒に歩く時
に,彼が“うつ”だと私に遅れやすく,“躁”になると私より先に進む傾向が
あります。これを物差しを落とし止めるまでの単純反応時間で測ることができ
ます。あるうつ病者は,落下幅が30 cm だったのが25 cm になったので,「そ
ろそろ会社に出られますね」と言ったら「まだ駄目です」と応じ,22 cmにな
ったら「出勤できそうです」と答えました。思考の選択・転換操作(融通)を
乱数生成の(自由度・DOR)やパプス問題で測ると,「こだわり,とらわれ」
の拘泥度を自覚させることができて,納得づくの服薬が進められます。私の簡
易機能テスト(Utena’s Brief Objective Measures of fourFunctions,丹羽
真一氏はUBOM.4 と略称)の価値は,試してみると実感いただけるでしょう。



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抑うつの鑑別

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眠る

最近は私は横になっても眠り座っていても眠っている。
とにかく眠っている。

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10年前の冬

もう10年か11年前かの冬になるだろう
秋冬のドラマでAge'35が放映されていた。
中井貴一が出演していた。
そのサウンドトラック盤を銀座の山野楽器で買った。
なんだかよく覚えている情景だ。
ほとんどクリスマスの頃だったように思う。

なんという馬齢豚歳の10年か。

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ガネーシャ 11-27放映分

信長に笑う

美少女がニコニコするとこんなにも楽しい

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風のガーデン 11月27日放送分

生前葬

父が事情を知る

ターシャ・チューダーのイングリッシュ・ガーデンと
大江健三郎の子どもとの共生とが
ヒントになっているのかとも思う

強い父をいかにして乗り越えられるかという課題。
ここには父性的父がいる。

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零下20度

北海道では各地で零下20度以下
夏の間は30度近くまで行ったとすると
半年の間に50度の温度差を経験することになる

平気なのかな?

それでも大丈夫なくらい人工的な環境になっているのだろう

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超解像

急速に普及するフルハイビジョン(HD)テレビの高解像度の画面上で、従来のDVDなどのSD(標準画質)ソースを、これまでに考えられなかったようなレベルで美しく見せる技術――それが超解像だ。

低解像度の画面を計算を繰り返して、高解像度画面にする技術。すばらしい。
東芝とNECで先行。

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キーボードの発明発展

日本語を入力するシステムとしては
キーボードは頭が悪いのではないかと思う
ネット合理的なシステムが本気で考えられないかと思う

私は右手で何か食べながらマウスを動かしたいこともあるので
左手側にもマウスがあればいいと思う

オアシス型日本語入力キーボードも
私は慣れなかったけれど意味のあるもののように思う。

しかしあと少し工夫できないものか

アルファベットは一発で押して確定できて便利そうに思えるが
そもそもたくさんのキーを打たないといけないし、
のっぺらぼうな字面で、それはそれでおもしろくない

韓国方式や中国方式などいろいろと参考にできると思うので、
何かもう一工夫できるはずと思う。



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未熟な意見も言えるネット社会のいいところと悪いところ

昔は、数多くの人の目に触れる文相や発言というものは、
いったん編集者の手を経て、そのあとで印刷されるなり、放送されるなりしたものだ。
編集者が完全に公正とも思わないし、
それはそれで問題があった。
しかし少なくとも野放しではなかったし、数の力で押し切ることができるものでもなかった。
そこにはほどほどの理性があった。

文章を提出して、不適切であれば戻されて、再度提出になる。
そのようにして社会の中で恥ずかしくないものに鍛錬された。

手紙でも同じで、一晩かけて書いたとしても、夜の間は自己愛的すぎたと、
次の日の朝、理性が戻れば判断ができたものだ。

現在、ネット社会や携帯ではそのような「考え直し」の機会がない。

これは麻生総理の発言と同じ構造である。

編集者のチェックもなく、(これは検閲がないという利点でもある)、
自分の理性や道徳心による検閲もない、(これは自己抑制という検閲がない点でよいこともある)、
だとすれば、考えの足りない答案があふれるはずで、
何もいい考えがないのにただ書き込みたいだけの人も書き込んでいる。
試験であれば零点の答案も二、三行の幅をとる。
そのせいで、傾聴するに足る意見が埋もれてしまい、
その点では事をうやむやに曖昧にする圧力として働く。

ネット社会の特性として、まず最初は、
どんな意見も公平に同じ平面上に同じ重みを持つ一つの意見として並べられる。
そのあとでクリック数やリンク数などで重み付けがされて、検索サイトでの順位が決定される。

検索会社は順位には責任を持たないわけだが、
ルールを決定した時点ですでにかなりの責任を負っているはずである。

未熟な意見も言えるということは、
典型的な未熟な意見を目にすることができて、
反面教師として学ぶことができるということである。

それだって悪いことではない。
しかしたいていの賢い人は忙しいから、長い時間をネット社会への参加に割いているわけにはいかない。
そこである程度暇な人がネット社会での主な活動家になる。

それもまたそのようにしてみれば意味のある情報であるが、
急いでいるときには情報の閲覧性を悪くする要因である。

麻生首相はいかにも現代の人らしく、
ネットの掲示板に書き込みをしている感覚で日々の発言をしているようだ。
それでも首相になれたのは一つの才能だった。
しかし首相として仕事ができるのかといえば、また別の話になる。

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反射的発言

 麻生太郎首相が20日の経済財政諮問会議で、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言。

 首相は全国知事会議で「医師は社会的常識がかなり欠落している人が多い」と発言し、陳謝したばかり。

病気になるのは本人の不摂生のためとも受け止められる発言で、波紋が広がりそうだ。

*****
普通に考えれば、これらの発言は、中川財政金融大臣などがアドバルーンを上げて、国民の反応を見ればいい項目なのだと思う。
どうして首相自らがいうのかよく分からない。失言続きで反省しているといいながら、これではまったく反省していない。

モバゲータウンでならば、立場を考えると不適切として削除されるところだ。

ところがマスコミでは削除されて知らされないのではなく、不適切発言ほど周知徹底されてしまう。それがマスコミのおかしなところだ。

だから何が何でも周知徹底させたい場合にはこのような形でマスコミに取り上げてもらえばいいわけだ。

マスコミとしては、経済財政諮問会議が何を狙っているのか、深いところを報道しないでどうするのだろう

たらたら飲んで、食べて、何もしない人とは、誰のことなのだろう。
部分的に切り取られると分からなくなるのだけれど。
生活保護を問題にした発言だとの解説もある。

*****
経済財政諮問会議とは。

経済財政政策に関する重要事項について、有識者等の優れた識見や知識を活用しつつ、内閣総理大臣のリーダーシップを十全に発揮することを目的として、内閣府に設置された合議制機関。

麻生 太郎 議長 内閣総理大臣
河村 建夫 内閣官房長官
与謝野 馨 内閣府特命担当大臣(経済財政政策)
鳩山 邦夫 総務大臣
中川 昭一 財務大臣
二階 俊博 経済産業大臣
白川 方明 日本銀行総裁
岩田 一政 内閣府経済社会総合研究所長
張 富士夫 トヨタ自動車株式会社取締役会長
三村 明夫 新日本製鐵株式会社代表取締役会長
吉川  洋 東京大学大学院経済学研究科教授

*****
おっちょこちょいというのでもなく、
深く考える習慣がないようだ。
これはうちのおばあちゃんと一緒。

自分の発言についてのチェック・メカニズムがない。

スーパーエゴによる検閲がないとも言える。
露悪的なことを言えば本音の人間だと思われるのかと勘違いしているようだ。

これは最近はよく見るパターンで、
ネット社会ではこのパターンが多い。

余り考えもしないで
反射的に発言している。



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僕が僕のすべて

僕が僕のすべて

自己愛の宣言

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政治と医療

北朝鮮と韓国、
昔の東ドイツと西ドイツを比較すると、
政治の重要さが分かる。

医者よりもよほど命を左右している。



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たらたら飲んで、食べて、何もしない人

何もしない人の分なぜ払う 医療費で麻生首相が発言
08/11/27 記事:共同通信社

 麻生太郎首相が20日の経済財政諮問会議で、「たらたら飲んで、食べて、何
もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言していた
ことが26日に公開された議事要旨で分かった。

 首相は全国知事会議で「医師は社会的常識がかなり欠落している人が多い」
と発言し、陳謝したばかり。病気になるのは本人の不摂生のためとも受け止め
られる発言で、波紋が広がりそうだ。

 20日の諮問会議では、社会保障制度と税財政の抜本改革などを議論した。首
相は同窓会に出席した経験を引き合いに出し「(学生時代は元気だったが)よ
ぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる」と指摘した。

 その上で「今になるとこちら(麻生首相)の方がはるかに医療費がかかって
ない。それは毎朝歩いたり何かしているからだ。私の方が税金は払っている」
と述べ、努力して健康を維持している人が払っている税金が、努力しないで病
気になった人の医療費に回っているとの見方を示した。

 さらに「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセ
ンティブ(動機づけ)がないといけない」と話した。
 



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自己愛と男らしさ

現代の自己愛が前提になっている男らしさとは、
野心とか男らしさとか激しい征服欲を失い、
自己顕示欲が強く、自分が何人もの女性に愛されたり、賛美されたり、
そのようにして自己愛を満たすために男らしく演じているに過ぎない。

男らしさが自己愛の下部回路になってしまっている。
食欲や性欲に似て。

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とりどりの花のように

草原に花が咲いていて
それぞれの花がそれぞれに美しい

そのように人間もそれぞれに美しい

*****
宇宙空間の解釈で、
直交座標系を斜交座標系に変換して考えてもいいのだが
その場合にもっとも美しい系を採用したいと自然に思う

等価であるがそれぞれに美しさがある
物理学の場合には
単純さとか対称性が基準にもなる
それらを総合して美しいと判断することがある

*****
人の場合もまた
それぞれに美しい

何か隠された変数があって
それが変化していて
個体の表情が生まれるのだろう

紅葉した葉も
それぞれに美しく
それぞれを私は愛している


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ポリアンナ

子供用の小説で「ポリアンナ」

純真無垢で他人の悪意も全く気にしない善意の固まりの少女。

自分に対する悪意や敵意を否認して相手のよい面や自分に対する好意的な面だけを見る。
楽天的で人を信頼し、いつも希望に満ちている。

実際には意地悪な人も登場するのだが
ポリアンナはどの人をもいい人と解釈する。
善意と親切を信じ、じぶんはかわいがられていると信じる。

そのような態度で一貫していると、最後には全員がいい人になって
みんなが幸せになる。

そんなお話。

*****
ひがんで陰険にしているよりはずっといい

しかし程度の問題で
このように前向きな態度も
自分と周囲を理想化し
自然に存在する敵意や悪意を否認し続けるとすれば
軽躁的防衛となり
常に自分を元気づけて
調子づけていないといられない人物になる

これは周囲の人にとってはいいような悪いようなといったところで
ポリアンナのように見事に善意に解釈していれば
周囲の人も参ったという感じで善意に染まっていくだろうが
実際には
ポリアンナの理想化を悪意に解釈する人もいるわけだし
ポリアンナが現実と遊離している部分については
周囲の人は困る場面だってあるはずだと思う

いろいろな場面を想定して自分を守らなければならないのも現実生活である
ポリアンナが想定できる悪い人ならば
善意で乗り越えることもできるかもしれないが
ポリアンナの善意を利用して徹底的に搾取するような人間が実際にいるのだから
ポリアンナ的な生き方を勧めるわけにも行かない

生き方のフレーバーとしては大変よい
しかし実際には無謀ということになる

夢のない言い方になるけれど
それが結論だ

ポリアンナを誇大自己というのも大袈裟なのだけれど
現実の測定が性格ではないという点でならば゜
実際に誇大で妄想的なのだ

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インドで同時テロ

インドで同時テロ、1邦人含む80人死亡 駅やホテル襲撃
 【ニューデリー】インド西部の商都ムンバイで26日夜(日本時間27日未明)、武装集団が中心部の高級ホテルや駅などをほぼ同時に襲撃する大規模なテロ事件が起きた。地元テレビは銃の乱射や爆弾などで、少なくとも80人が死亡、200人超が負傷したと報道。日本人で三井丸紅液化ガス社員の津田尚志さん(38)が死亡、別の邦人1人も負傷したことが分かった。高度成長を象徴する商都の同時テロは、印経済に打撃を与える恐れがある。

 有力テレビ局NDTVは「デカン・ムジャヒディン(イスラム戦士)」を名乗る組織が事件後に犯行声明を出したと報じた。イスラム過激派との見方もあるが、実態は不明。過去にインドで起きたテロ事件では名前が出ていない。

*****
インド株もしばらくだめ
アメリカ株ばかりではない



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それでいいものかどうか友達や親戚に聞いてごらん

社会の中での自分の立場を客観的に
認識できないという問題点は
この社会にあると思う

井戸端会議や縁側会議で地域の人たちが
集まったりすれば
自分の立場が意識されると思う

それがないままで抽象的な権利として
学校に行くものだからモンスターペアレントになってしまう

それでいいものかどうか
友達や親戚に聞いてごらんよと
いわれる人も多い

近くに住んでいるけれども
全然と違う生活をしているようだ

人間の内面の活動地域と
人間の現実の活動地域がずれているので
こまったことになる

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共同の場の喪失

新婚さんが相手にいらだつのも
自分の常識が相手の常識ではないからで
昔のように家にお嫁入りという方式だと
家のしきたりに女性が慣れればいいのだけれど
最近では女性の方が家の中は取り仕切るので
男性が合わせることにもなる
そうなると男性の母親がたまに来たりすると驚いて
これではいけませんと
一気に緊張が高まったりする

このような点では
幼なじみとか同じ職場とか
生活基盤の共有があると話も通じやすいと思う

どうせ同じ日本人同士だし東京の大学なんだしとか考えていると
かなり考え違いだったりするものだ

それくらい多様化は進んでいると思う

そんな風で話が通じないからいらいらして切れやすくなるのだと思う

核家族化で普段はそんなに他の家と交流もないから
やはりどうしてもそれぞれの家で特有のずれが生じる
ずれを訂正するのが「共同の場(アゴラ)」なのだが
それに相当する場所がない。

村の井戸端でいろいろな交流があったり
近所の人が縁側のあたりで何かしゃべっていったり
マンションではそんな交流は前提とされていない

建物が上に延びると困難になる

たぶんテレビがその役割を果たしているのだけれど
テレビに似た生活を送るととてもよくないことになる
むつかしいことだ

社会に対する態度や
他人に対する態度を
ニュースショーのキャスターに学んでいたりすると人生の一大損失である

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間接的な関係

新聞で

誰かと携帯メールでのやりとりをして
けんかになって
そのときばかりは
面と向かって電話で話した

とかいう話

電話で話すようだとかなり直接的になるようで
携帯メールやSNSなどのネット社会の中では
友人同士が話さずにつきあう世界が広がりつつあるのだろうかと
問いかけている

さらにそうした中で自意識ばかり肥大すれば
寛容はますます失われないかと書いている

*****
なるほど
自意識肥大と不寛容は関係があると思う。

対人交流の形式が
直接話したり肌を接したりすることから変化して
間接的にしかもメールでとなれば
感情表出もワンクッション置いたものになるはずだと思う
絵文字を使ったりするのも
直接の言葉を和らげる方向に作用しているだろうと思う

そのような間接的交流の中では
「他人から傷つけられない」ことが主な原則になる。
誰かがうっかり不注意で傷つける言葉を発信したとしても、
間接的で、傷付きも少ないような世界になっている。

傷つけられることが少ない世界はいいことだけれど、
一面では幼児的な自己愛を保存させて肥大させることになる。

イメージで言うと、一人一人の個室が充分に広い子ども部屋に住んでいるようなものだ。
他人が何をしてもあまり気にならない。
用があるときはメールで連絡が来る。
極度なまでに傷付きを回避する世界である。
ということは即ち、自己愛を肥大させる世界である。
部屋いっぱいにまで自己愛が拡大する。
相部屋ならば自己愛もほどほどの大きさで収まる。

直接会って話すときには言葉だけではなくて
視覚要素やにおい、手触り、話の間合い、いろいろなものが
情報となり、相手の心を推定させる。
これはメールでの情報の何倍にもなるので高度な情報判断になる。

言葉以外の要素は実際は大きいので、
だめと言っていても納得してしまったりもする。

言葉の論理はしばしば不寛容なものだと思う。
ノーはノーである。

実際の人間関係では
たとえば夫婦でけんかをしても
生活の中にはあれこれあって自然に仲直りをしている場合も多い
ところが配偶者の親とけんかをすると
なかなか仲直りができないことも少なくない

だからこそ決してけんかなどしないように気をつけている人が多いし
苦手だと思ったら
対人距離を遠くしてあまり交流しないようにしているものだ

しかしこうしたことは不寛容を前提として行動しているようでもある
いったんけんかしてしまったら和解は難しいと心得ているからこそ
慎重に行動している

これは片方だけが寛容でも解決しない問題で
自分だけが寛容でも損ばかりしてつまらないから
自然に対人距離は遠くなり
その距離になれてしまうと不寛容もあたりまえになる

こちらが積極的に寛容な態度をとっていれば
相手も寛容になるという相互性を信じられないところがある
ゲームの理論で二人とも損をするパターンのような感じだ

キレやすい、いらだちやすいこととの関連も
記事では言及されている。
これも他人との距離の問題なのではないかと思う。

ある程度近距離で他人というものにさらされ
慣れていくことでお高いにゆるす感覚や我慢する感覚が生じてくるのだろうと思う

昔から我慢ができないのは
田舎の農家の長男と決まっていたが
少子化もあり都市化もあり
そのような人が増えてしまったということだろう

ではどうすればいいのか

たとえば現代の風景はこう見えている
実際には過密な都市に住んでいても、
心理的には遠く離れて住んでいると見える
細かくいうと批判は届きやすいしいつまでも残るが
友情は遠いし消えてしまう

子ども時代は習い事で忙しくて
友達は遠い
大人になれば仕事で忙しくて
オフで飲むときにも仕事の関係の人が多い
やはり心理的には遠い

遠い分煩わしさはないし
開示するのは自分の一部分だけでいいし
息苦しくなったら距離をとることもできる

マンションの住民同士がお互いをよく知らないのと同じである

共同体はますます仮想の共同体になる
友情も仮想の友情になるかのようだ

恋愛はメールだけでは住まない領域なので戸惑う
しかしこれも現代人で
肌を合わせたからといって
必ず距離が縮まるとも限らない
かえって寂しさを感じてしまう人もいる。

*****
これだけ密集して住んでいるのに
対人距離を遠く保って生活することに慣れている

それは密集していることに対する対策だったかもしれない

しかし携帯電話やネット社会はさらに距離を遠くした

誰かが目の前で刺し殺されているのに
写真を撮る人がいる
という光景

つながっていない
切れている光景

*****
いらだつ
切れる
という光景は
いろいろな面を含んでいるだろうと思う

昔ならいらだっても我慢していただけで
我慢をしなくてもよくなっただけなのかもしれない

本質的にいらだちが多くなっているのかもしれない
その原因としては、
たとえば、暗黙のルールが共有されていないことがあげられるかもしれない

こういう場合、当然そうするだろうという前提が
共有されていない
その場合、あの人はその前提を共有していないのだと納得できれば多少はイライラも収まる
しかしそれは寛容な場合であって
多くは「自分にとって当然の前提を共有していない」ことに腹を立てる
非常識だとかモンスターだとか論評する

社会階層の分化も大きな要因だろう
同じような場所に住みながら
全く違う価値観を持っていることもある



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達者でぽっくり

達者に生きてぽっくり死ぬということのようだ。
ぴんぴんぽっくりは PPP だという。

ピンピンコロリなどという
100歳過ぎまでピンピン生きて
3日でころりと死んでいくと
言われるらしい


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